「ゆでガエル、現在49℃(もうすぐ死ぬ)位か?」教育と愛国 taroさんの映画レビュー(感想・評価)
ゆでガエル、現在49℃(もうすぐ死ぬ)位か?
教育基本法に「愛国心」、「パン屋」から「和菓子屋」に、閣議決定の内容が教科書に、等々。一つ一つは新聞の一面を飾らない程度のトピックかもしれないが、それらを時系列で並べて見せられると、いつの間にか遠くに来てしまったという危機感が迫ってくる。
映画には、歴史教育で子供達に「日本人の誇り」を持たせようと考える人々が登場するが、彼らは「歴史」「教育」「子供」を舐めているとしか思えなかった。教育は学問の内容を伝える場であると同時に、「なぜ?」と問う力を子供が身に付ける場なのだと思う。〝日本は誇るべき国である〟という答えが最初にあり、その答えに合致しない事実は弾圧する、これは学問や教育から最も遠い行為である。国を愛する行為ですらない。
私に戦時中の中国大陸で女性や子供を殺した祖父がいたとしよう。しかも、その祖父は私にはとても優しく、企業家としても成功して、多額の寄付によって地元自治体から表彰もされたような人物だとしよう。その場合、戦時中の残虐行為はなかったことにして、祖父をひたすら誉め称えることが祖父への愛情なのだろうか?そうではあるまい。孫に優しく、周囲から尊敬されるような人が、なぜ残虐行為をしてしまったのか、それを誰にも言えずに戦後数十年を生きてきたことに苦しみはなかったのか、等々に思いを馳せ、優しさや功績だけではなく、弱さ、ズルさ、苦しみ、罪悪なども含めて祖父を受け留めようとすることが愛情ではないだろうか。またそうした事に思いを馳せ、「なぜ?」と問う事が学問や教育の出発点の一つになるのだと思う。
他人(他国)に自慢できる〝立派な〟祖父(祖国)しか愛せませんというのは(育児が楽な〝良い子〟しか愛せませんという毒親と同様)、愛情ではなく、人間(国)の私物化だろう。