「日本でも増えている孤独死という社会問題も絡めながら「死」というものとの向き合い方についても考えさせられる作品」アイ・アム まきもと 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)
日本でも増えている孤独死という社会問題も絡めながら「死」というものとの向き合い方についても考えさせられる作品
予告編を見る限りかなりぶっ飛んだ雰囲気で、主人公のまきもとも周囲に迷惑をまき散らす変人が巻き起こすドタバタ喜劇のように見えました。
ところが本編では、ガラリと印象を変えて、『おくりびと』と同じ庄内地方にある市役所で働く主人公が、「おみおくり係」担当として「孤独死」と戦うという結構シリアスで考えさせられる物語となっていたのです。
原作は、第70回ヴェネチア国際映画祭で4つの賞を受賞したウベルト・パゾリーニ監督『おみおくりの作法』(2015)。日本でも社会問題となっている原作のテーマを、岸田國士戯曲賞受賞の劇作家・倉持裕がユーモラスな語り口で新たな魅力に溢れた脚本にし、『ゆとりですがなにか』、『初恋の悪魔』等の水田監督が笑って泣けるエンターテインメントに昇華させたものです。
なお、徳間文庫より本作小説版が刊行されています。
小説版では、映画では描かれていない牧本の新人時代のエピソードや登場人物の心情が綴られています。
市役所の福祉課「おみおくり係」の職員・牧本壮(阿部サダヲ)。彼は孤独死などで亡くなってしまった故人の葬儀と納骨を行い、引き取り拒否した遺族が気が変わって遺骨を引き取りに来るかもと自身のデスク周りで保管をしています。
彼は、故人の思いを大事にするあまり、全く空気が読めなくなり、全く人の話を聞かず、なかなか心を開かず頑なにになってしまうのでした。その結果、決めたことは自分のルールで突き進む、ちょっと頑固で迷惑な存在だったのです。そのルールとは下記の3か条が挙げられます。
●まきもとのちょっと迷惑なルール 3か条
1.葬儀は絶対にやる(たとえ遺族が求めていなくても)
2.参列者を何としてで探し出すも(たとえ身寄りがないと警察にいわれても)
3.納骨はギリギリまでしない(たとえ置き場所がなくても)
ついつい警察のルールより自身のルールを優先してしまうので、刑事の神代亨(松下洸平)に日々怒られている始末でした。
ある日、1人の老人が遺体で見つかり神代から遺体の受け取りを依頼されます。現場へ向かうとひどいゴミ屋敷で警察は事件性がないからあとは頼んだと匙を投げるのです。葬儀屋の下林智之(でんでん)はそんな警察と揉めます。しかし警察は、現場を早々に立ち去ってしまうのです。残された牧本は、下林と組んで遺体の運び出しをすることにします。
その後、新たに遺体が発見されたと神代から連絡が入ります。故人・蕪木の発見された現場へ向かうため住所を尋ねると牧本が住んでいるアパートの真向かいにある別棟に住んでいる方だと判明。牧本は現場へ向かい故人の遺影で使う写真や遺品の回収を行います。
遺品の中にアルバムを見つけた牧本は、娘と思われる女の子の写真を発見。神代からは身内は甥しかおらず受け取りを拒否されたと言われていたので、身内を探すために過去の資料をあらいなおしてもらうように頼みます。
しかし、県庁から福祉局局長として赴任してきた、小野口義久(坪倉由幸)が自分の席に大量の骨壺があるのを見て激怒し、牧本におみおくり係を廃止することを決定。蕪木が最後となることを告げるのです。
蕪木の一件が“最後の仕事”となった牧本は、写真の少女探しと、一人でも多くの参列者を葬儀に呼ぶため、わずかな手がかりを頼りに蕪木のかつての友人や知人を探し出し訪ねていきます。
工場で蕪木と同僚だった平光啓太(松尾スズキ)、漁港で居酒屋を営む元恋人・みはる(宮沢りえ)、炭鉱で蕪木に命を救われたという槍田幹二(國村隼)、一時期ともに生活したホームレス仲間、そして写真の少女で蕪木の娘・津森塔子(満島ひかり)。蕪木の人生を辿るうちに、牧本にも少しずつ変化が生じていきます。そして、牧本の“最後のおみおくり”には、思いもしなかった奇跡が待っていたのでした。
最初は、変わっている牧本がいろんな人と接していく中でさまざまな気づきや成長があり、何かしらの変化があって終わるものと予想していました。しかし、おみおくりにのめり込む牧本の心情は、あまり明かにされずに衝撃的なラストを迎えてしまいました。
それでもこの物語は、日本でも増えている孤独死という社会問題も絡めながら「死」というものとの向き合い方についても考えさせられる作品といえることでしょう。根本テーマは、誰にもさけることができない「死」についです。牧本自身も、自分の将来に「死」について、常に向き合って、自分のお墓を買っていました。現在独身で死期の見えてきた自分も人ごとではありません。自分自身の最後を思わず考えてしまいました。
それにしても死んだら無なんだと豪語する小野口局長の啖呵には疑問を持ちました。今のお役所は国だろうと地方自治体だろうと、戦後政教分離の大原則にこだわるあまり、無神論に凝り固まっています。それが小野口局長のような弔う精神を喪失した機械的で効率的な行政手続きを産んでしまっていると思います。いくら政教分離とはいえ、せめて個人の大切していた宗教くらい重んじてやり、牧本のように手厚く弔ってほしいものです。
最後に、そんな牧本の迷惑が、報われる結果となってよかったでした。