「1980年代から90年代にかけて、「サンカ研究会」というグループが...」山歌 TKさんの映画レビュー(感想・評価)
1980年代から90年代にかけて、「サンカ研究会」というグループが...
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1980年代から90年代にかけて、「サンカ研究会」というグループがあり、参加していたことがあります。そのグループが母体となって、「マージナル」という雑誌も発行していました。10冊で完結しました。80年代には五木寛之「風の王国」「戒厳令の夜」で三角寛の再評価が興ったのです。五木作品ではイメージとしてのサンカが、日本という国家の枠組を壊してくれました。その後、三角寛の娘婿の三浦大四郎氏が監修かプレデューサーとなって萩原健一主役の映画もできました。それ以来ですね。この映画ではイメージとしての「サンカ」と現実のサンカがごっちゃになっているのが気になりました。差別問題も。西日本では、いまでもサンカ部落は被差別だったりします。世間師(ショケンシ)という言葉もいまでも通じます。西日本では。また時代設定に無理があるように思います。ゴルフ場と結び付けたかったのでしょうが、大東亜戦争で日本人は全員戸籍が紐付られて、本当の意味で放浪民は、なくなったと考えてよいと思います。サンカの娘が「春駒」の唄を歌いますが、おそらく沖浦和光氏の本からのイメージでしょう。尾道のSさんが情報源だと思いますが、たぶん楽しい想い出につながる歌ではないように思います。いろいろ思い出させてもらって、刺激になりました。
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