「作品名と著者を線で結ぶ問題に出て来る」破戒 asicaさんの映画レビュー(感想・評価)
作品名と著者を線で結ぶ問題に出て来る
島崎藤村、菊池寛、芥川龍之介、夏目漱石、山本有三、与謝野晶子、近代文学史で見かける面々とその作品名を知ってるし他の作者は大抵数冊は読んでいるのに どういうわけか島崎藤村だけは一冊も読んだ事がない。
なので有名な題名のこの内容が被差別部落を扱ったものだというのを今の今まで知らなかった。
私は被差別部落の存在は、高校の時に「にんげん」とかいう小冊子が学校で配られて何の事かわからないでいたのを 誰かが教えてくれて知った。
私は高校を地元に行かず、寮生活しながら遠方に通っていたので、その後大人になってうちの地方にはそんなのないよね、と親に話したら とんでもない 私が一番仲の良かった靴屋の子はそうだったし、よく行く肉屋もそうだったと そしてそこの娘さんたちの結婚は大変だったのだと初めて聞いたのだった。
親は幼い私にそういう話は一切しなかったし親戚の叔母達もいっぱい周りに住んでいたが、子どもにそういう話をすべきではないと心得ていたのだろうか。
もし仮に「にんげん」という冊子を学校で配られずにいたら私は知らないままだったのではないか と思う事がある。
そう思うと こういう部落解放運動って しない方が風化していくのではないかなと
でも当事者の一部の人々は「知って そして差別をなくすべき」
と考えてるらしく。
今のこの世の中、この映画の冒頭のように 同じ旅館に泊まると畳も変えて塩撒く〜 みたいなのは まずないと思うし
この彼が東京に出て就職先を探すように 昔は1箇所にまとまって集落を作り 知名で出自が知れていたような事はなくなった(たぶん)わけで、ほんとにこういうのは教育はしない方がいいんじゃないかと思ってる。
こういう映画になると、まあ間宮祥太朗だし、全く昔の話よね、と若い人は思うのだろうか。
今 実質的に現存するのは 逆差別ともいうけど つまり税理士事務所を同和系にすると査察が入らないと聞く。
これは実際 紹介された経験があるので 確かにあった。
(今もそうなのかは知らないんだけれど)
そう言えば 昭和の大物政治家 野中広務が自分は部落出身だと公言してたのは印象的だった。
関西地方は同和の問題と在日の問題が深く結びついてる場所もあると聞く。
同じような境遇が同じように集まって特殊な集団を形成したのだろう。
私の知人の少々有名な地位の息子さんが大阪のその地区の女性と結婚したんだけれども それはそれは盛大に式を上げて私達夫婦も呼ばれ モデルのような細身の体に美しい小顔が驚くくらいだったのに 二、三年で離婚。
そして その女の子に聞いたのが 最後まで入籍しなかったのだという話で ほんとにびっくりしたものだ。30年以上昔の事だけれど。
こういった差別は 職業が屠殺や死体処理だったりして そういう四つ足の肉を食べなかった時代ならまだしも、しっかり産業として根付いてる現代においては尚更(まさに本人には全く罪がないわけで)ただの言い掛かりに過ぎない。
そういうアホな時代もあったよね
という風に風化していくべきであるし、誰がそうなのかもう全然わからなくなってしまうのが一番いい。