ザ・ホエールのレビュー・感想・評価
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魂の救済ドラマ
巨漢のチャーリーは自力で動けないほど太っているため、必然的に室内だけで物語は展開されることになるのだが、元々の原作が舞台劇だと知って納得。物語は彼と彼の周辺人物の会話だけで構成されており、一見すると退屈しそうな感じなのだが、示唆に富むセリフや、個性的なキャラクターのおかげで最後まで飽きなく観ることが出来た。
チャーリーと看護師リズの関係、チャーリーと娘エリーの関係、更には映画冒頭で突然宗教の勧誘にやって来た青年トーマスの素性などが、物語の進行とともに徐々に判明していく。
監督は鬼才ダーレン・アロノフスキー。氏の作品は毎回凝りに凝った神経症的な映像演出に度肝を抜かされるのだが、今回はほとんどそういったテイストは見られない。盟友マシュー・リバティークのカメラワークも”お行儀”がよく今一つ覇気が感じられない。原作者が自ら脚本を書いていることもあり、おそらく敢えて映画的ではない作りにしたのかもしれない。
ただ、映像はともかく、死期が迫った男の心の闇に照射したドラマはこれまで一貫してアロノフスキーが描いてきた”孤独”というテーマに相関するもので、そこにはやはり見応えを感じた。
個人的には、チャーリーの過去の悔恨、娘との絆の再生、そしてラストの幕引きの仕方に過去作「レスラー」がダブって見えた。嘘ばかりをついてきた主人公が全てを失い初めて知った大切なもの。それを取り戻すための葛藤は正に「レスラー」のそれと一緒である。エモーショナルさという点では大分趣が異なるが、本作もある種の魂の救済ドラマという気がした。
本作のモチーフになっているメルヴィルの「白鯨」の使い方も、ドラマを深淵にするという意味では実に興味深く考察できた。
”クジラ”のような巨漢のチャーリーと彼を憎むエリーの関係は、「白鯨」におけるモビィ・ディックとエイハブ船長に照らし合わせて考えることが出来る。エリーは当然チャーリーに復讐しようとやって来たのだが、果たしてそれが出来るのどうか?本作は基本的にチャーリーの視点で紡がれる魂の救済ドラマであるが、一方でエリーの視点に立てばこれは「白鯨」になぞらえて観ることも可能である。
あるいは、宣教師トーマスの存在も「白鯨」との関わり合いで言えば興味深く読み解ける。「白鯨」の中には旧約聖書からの引用と思われる固有名詞が複数登場してくる。そういう意味で、この小説には宗教的なメッセージが込められていることは間違いない。それとの絡みで考えれば本作におけるトーマスの存在もかなり大きな意味を持つように思う。宗教によって救われる者、救われずに破滅する者。人間にとっての宗教とは何なのか?改めてそれについて考えさせられる。
キャストでは、何と言ってもチャーリー役を演じたブレンダン・フレイザーのインパクトが強烈である。特殊メイクを施して体重272キロの巨漢に文字通り”変身”し、醜く太った体型を余すところなく披露している。若い頃はアクション大作で主演を張った人気スターも、今ではすっかり影が薄くなってしまったが、本作で見事に第一線にカムバックしオスカーを受賞した。これもまた先述の「レスラー」で華麗な復活を遂げたミッキー・ロークとダブって見える。
尚、フレイザーと言えば、彼が主演した「ゴッド・アンド・モンスター」という作品も思い出された。面白いことに彼の役所はその時とは真逆のポジションになっており、時の流れを感じてしまう。まるで狙ったかのようなキャスティングだが、両作品を見比べてみると本作は更に味わい深く鑑賞できるかもしれない。
何を伝えたかったのだろう? 価値観⁉️
家の中のシーンだけでこれだけのメッセージを伝えられたのは凄いと思いました。
私は価値観のメッセージと受け止めました。
例えば、お風呂掃除のこだわりで、毎日シャンプー容器まで洗う人がいたとしても、大半は綺麗だねってことに気づかれないと思います。
人それぞれのこだわり・価値観の違いかな?
同性を好きになる・子供を育てる・宗教政治を薦める・好きな人を陰で支える・誰かのために仕事をしてお金を稼ぐ
全て興味のない人からしたら何も感じないこと…
タイトルであるホエール
白鯨の小説を読んだ娘のエリーの感想は、
鯨に脚をもがれ復讐しようとしているが、鯨からしたらどうでもよいこと、興味など無い
世の中見えないところで、誰かのために一生懸命何かをやっているのかな?と思いました。それが価値観が違うと何も見えてこない…
余談ですが…
政治だけは価値観の違いと思わせてはダメだと思う
政府はきっと見えないところで、一生懸命何かをやっている人も多くいるとは思う。
しかしそれが見えない、日頃視えるように活動して欲しい。
選挙の時だけ一生懸命名前を出しても、何やっているかわからない政党・人に対して投票場まで脚を運べない、私みたいな者もいるため、陰でコツコツやるのではなく、しっかりとわかりやすく視えるようにして欲しい
復活❗️
生きる気持を全面に出して欲しかった…
身体を破滅させる心の闇と痛み
はやい話が、これは「感動ポルノ」だと思う
アカデミー主演男優賞納得の演技
ダーレン監督って元々A24作品ぽいのばかり
作ってるから相性最高なんだろうな!
この監督の作品はかなり人を選ぶ特異な内容ばかりで過去作品で苦手って感じるのなら絶対観るの辞めたほうがいいでしょうとしか言いようがありませんね。
主演の人が極限状況になる作品が多くて今回もレクイエムフォードリームやレスラーやブラックスワンみたいな流れを お約束のようにやりますが まあ暗くて重くて嫌な部分をリアルに見せる作品なのはいつも通りなんだけどラスト5分が強烈で
まあ予想した通りにはなるんですが演出と効果音の相乗効果で変な高揚感を味わえました。
あと映画が終わった時にこちらの感情が想像の範疇を超えるダメージのおかげで余韻が凄くてしばらく席から立てなかったです
あと主人公は身勝手でホモだちのせいで家族を捨ててホモだちが死んだからって過食になって太り過ぎて歩けないクズなので感情移入しずらいとは思います!
役者さんの演技も全員良くて 介護士の人が助演女優賞にノミネートされたのも納得
ダーレン作品は例外無く全部大好きだけど
今回のは過去作で1番好きです
涙腺崩壊レベルでいうと近年だとコーダと対峙のラストも凄かったけどホエールも同じくらい号泣でした
主人公にとってのある意味願っていた最高峰の終わりを迎えれて良かったとはおもいました!
宗教や神で人なんて救えねえよってのも良かった
人を救うのは人の心ってのは納得。
追加しますがラストシーンが強烈過ぎて二日間くらい頭に焼き付いてて 軽くPTSDみたいになってます
嫁は三日ラストシーンが頭から離れなくなってるって言ってましたよ!!!
どう捉えれば良いんだろ?
登場人物が少なくてシーンの展開が少ない点が非常に見やすくて良かった。昨今のMCU映画ばかり見ていたので、シークエンスが少なくて本当助かりました。あとストレンジャーシングスのマックスが出てビックリしました!「あれっ!?•••マックスじゃん!」って叫びました。
そんな中で、現実のストーリーと白鯨の物語が並列して進んで行きます。鯨はおそらく主人公の巨漢ニキだろう。それは自分も理解でしました。
無茶苦茶なことやって生きたチャーリーが、家族を裏切って不摂生をしてるのに、みんな捨てきれず寄ってくる。「人間は美しい」と言っていたが、人間臭い矛盾に満ちたこの巨漢ニキの生き様が、人を惹きつけてるのでしょうか?
自分でも抑えられない食欲、家族、世間体などを捨てボーイフレンドと恋に落ちるなど、自分の欲望にまっすぐなことと、それをエッセイに求めるところ、この映画はそれを伝えたかったのかもしれない、とこの文章を書いてて思いました。
でも何でこの映画を作ろうと思ったんだろ?巨漢ニキの演技、マックスの演技は最高でした。
だれだって、誰かを気にかけずにはいられないんだ。
これは映画ではない。とある人生だ。
かなり泣きました。デロデロに泣きました。
私自身も食で心を埋めるタイプである故、あらすじを見たときから他人事とは思えず視聴しましたが、予想外にキリスト教への辛く悲しい怒りのメッセージもあり深く共感。かなり没頭できました。
もしかしたら大衆が映画に求めるようなストーリーではないかもしれません。
人によっては鬱映画とも感じるでしょう。
しかし、さりげない伏線やそこはかとなくラブロマンスを感じるシーンに友愛もあり、シリアスではありますがキラキラと輝くドラマが散りばめられた良作です。
最後、主人公は救われたのだろうか?
救いとはなんでしょう。
愛する恋人に会えること?
娘の口で詩を読んでもらえたこと?
まさか神の元へでも行くのだろうか?
私は、ラストシーンを踏まえて、「あの時は本当に幸せだったなぁ」と過去になっても光り続ける思い出こそが救いだと感じました。
ほんの短い間だとしても、心から幸福を感じられる思い出があるなら、その人生は良きものだ。さらに愛する人にまで出会えたなら、最高の人生だ。
いいじゃないか。そんなもんで。
魂の救済、とは
レスラー、ブラックスワン、などで名をあげているDアロノフスキー作
もとは舞台劇というだけあり、物語はほぼ室内で進む。場面展開、転換も少ない。
にも関わらず、圧倒的なダイナミズムで心を打たれる。
つまりはシナリオの重要性があり、俳優の演技、がそれだけ試される作品でもある。
まずはキャスティングの妙にもつきる。主演のBフレイザー。
プライベートなどでの問題から、メンタルヘルスに支障をきたし長らく表舞台から遠ざかっていた。
彼を支える看護師役のホンチャウの演技もよい。
人間の心理描写で、物語にここまでの強弱をつけられる。ということは派手なアクション、激しいカット割り、スピーディーな展開、などだけが映像作品の肝というわけではないのだな、ということだ。
冒頭から物語に入り込み、どのようなラストで終わらせるのか、と思いつつ。
鑑賞後の深い余韻。しばらく席を立てなかった。
死を前にする人間の肉体が、幸福であったという時間、記憶を凌駕するその瞬間を最後にみた。
涙とともに。自身忘れることのできない映画。
そういえばレスラーでもそうだったか。
そう生きることしかできない男の、死を前にした肉体の躍動を映し出したラスト。自身の幸福、栄光につながる破滅への跳躍。
Dアロノフスキーの、人間に対する深いまなざしがつきささる傑作です。
果たして自分は、過ちなく生きているのか、幸福に生きているのか、正しいとされる生き方なんてあるんだろうか。
"やっぱり一筋縄では行かなかった…"な映画
ダーレン・アロノフスキーの作品が苦手だ。
改めてわかった。
やっぱり、苦手だ。
テーマが深過ぎる…というか、宗教に絡めたストーリーが出て来た瞬間に、「あっ、もうダメだ!」となる。
ネタバレは見たくないけども、何の話なのか、ほぼほぼ分からない笑
ブレンダン・フレイザーは熱演だけれども…
だから、どうした?
*人生の終わりに気付いて後悔すること…山ほどあるわ!そんなもん!
死に際にジタバタしても、到底救われるとは思わない。
やり直せるものならやり直したいわっ!
きれいに死ねると思うなよっ!笑
*もしそんなのがテーマと言うなら、くだらない作品だわ…。ん?違うってか?笑
エレファントマンよりは明るい
終末で人は救われない
すごく面白かった。
ある男の最期の五日間の物語。
登場人物は少ないが、1人1人が深く掘り下げられていて、人生について考えさせられる。
主人公を中心に、主人公と関係する人々が一人ずつ現れ、死に際の主人公と対話していく。
でもこの映画の隠れた主人公は、死んだ主人公のパートナーなのだと思う。この映画のほとんどの人物はパートナーとも深く関係している。
映画に登場しない人物を中心に物語が展開している様は、「ゴドーを待ちながら」を連想させる。たぶんあの話のゴドーはキリストの暗喩だと思うのだけど、本映画も「信仰」をテーマにしているのではないか。
そういえば、どこで聞いたか忘れたけど、「人生には誰にでも2つの奇跡が起こる。それは、生まれることと死ぬことだ」という話を思い出した。そこに存在しなかった生命が新しく出現することは確かに奇跡に違いないけど、同じくらい不思議なことは、そこに確かに存在していたものが消えてしまうこと。死とは神秘的なことでもあるのだと思う。
最後に主人公が娘に向かって歩くシーンは、ぼくは主人公が死に際に見た夢ではないかと思う。死の神秘と救いを表現していると思う。
この映画の人物はみんな、単なる善人でもなく、単なる悪人でもなく、どうしようもない人間的弱さをもちながら、互いを傷つけあい、同じ人を強く愛したり憎んだりする矛盾した感情を持っている。
主人公自身も娘を含めみんなにひどいことをしていてその罪悪感にさいなまれているが、悪人というわけではない。人間関係だけでなく、様々なものが実は善悪を簡単に決めることができないものだということが示される。
たとえばニューライフ(原理主義的なキリスト教)により主人公のパートナーは信仰に悩み自殺してしまったけど、一方でこの自殺は主人公への愛を貫いた証拠でもあった。
主人公の喘息呼吸は主人公の死が近いことを表すものだけど、一方で主人公が確かに今生きていることを示すものでもあった。
主人公の娘が宣教師の罪を暴露したことはおそらく娘の悪意からの行動だったけど、その結果かえって宣教師は救われることになった。
主人公の異常な過食行動と肥満体は、主人公が苦しみと罪を背負い続けたことを肉体的に表現したものだと思うのだけど、この映画全体が、「人間の罪」を大きく肯定しているんじゃないかと思う。
ニューライフの教義として、「終末」が訪れたあとでは汚れたものがすべて浄化される、というような話をしていたけど、この映画は、「そういうことじゃないんだよ」と言っている気がしてならない。
人間は弱さのために罪を犯し、そして苦しむけど、それらの中にこそ人間の素晴らしさがあるように思う。
<追記>
ラストシーンで、主人公の娘が、自分に渡されたレポートの文章が、自分が昔書いたものだということに気づく。
娘は「自分は父に愛されておらず、見捨てられた」とずっと考えていたが、実はずっと父に愛されていた、ということに気づく感動的なシーン。
このシーンに何か既視感があると感じていたが、その正体に気づいた
「砂の上の足跡」というクリスチャンの間で有名な詩だ。調べてみると、作者不詳らしい。
この詩の内容をざっと要約すると以下のようなものだ。
神に対して、「私が一番苦しかった時、あなたは私を見捨てたのはなぜなのか?」となじる男に対して、神は、「私はあなたを見捨てたことは一度もない。あなたが苦しかった時に足跡が一列しかなかったのは、私があなたを背負っていたからだ」と答える。
してみると、この映画でみじめで醜くて弱く罪深いおろかな人間の代表のような主人公は、「無垢に愛する」というただ一点において神の立ち位置にいるということになる。
主人公の娘は客観的には邪悪で、娘を盲目的に肯定する主人公は単なる愚か者に見えるが、一方で、理性的判断をはさまずただ信じるということによってしか、娘の心を動かすことはできなかっただろう。
もう一つラストシーンで気づいた事がある。主人公の最期のとき、ふわっと身体が浮き上がり、足が地面を離れたように見えるシーン。1つの解釈としては、主人公が死により肉体の重さから解放された、というようによめる。でも、キリスト教の教義に「空中携挙」というものがあったなあ、とあとで気づいた。調べてみると、終末論を掲げるプロテスタントの教義らしいので、たぶん当たりだろう。神に不死の身体を与えられ、空中に引き上げられた、というような宗教的なシーンではないか。
看護師のリズが主人公と最後に交わした言葉も意味深だ。「下で待ってる」とリズは言った。これが最期だと分かっているはずなのに。
主人公のパートナーは宗教によって殺されたということを考えると、この映画が宗教的なモチーフで構成されているのが奇妙に感じる。でも、この映画のテーマが「本当の信仰とは何か?」ということなのだとしたら納得できる。
ニューライフの宣教師は、「人を救いたい」という強い気持ちをもっていたけど、実はそれは「人を救うことで自分が救われたい」という動機だったことがあばかれる。
彼は決して悪人ではないけれど、彼にとっての信仰とは、自分の弱さから逃れるための依存の対象のようなものなのだと思う。主人公にとっての「過食」と変わらない。
人を愛し、信じて、前向きでいること
「おぞましい姿」をした主人公のチャーリーが、自らの死期を悟り、8年ぶりに娘と再会し向き合っていく1週間を描く室内劇。
最愛の人の死をきっかけに引きこもり、歩行も困難な程肥満化してしまったチャーリーに対し、序盤に感じるのは同情や哀れみでした。しかし、次第に明らかになっていく彼の心情や行動の根底にあるものを知るうちに、彼がとても前向きで、人を信じることを恐れず、愛に溢れた人なのだということを知り、ラストシーンは幸せに満ちた表情に感じました。
エリーの言動は客観的に見ると「邪悪」に見えます。それが真実なのかもしれません。
それでもチャーリーにとっては紛れもなく、優しく思いやりに溢れた聡明で美しい子なのだと、そう言うチャーリーの気持ちに嘘はないということが、エリーにも伝わったのだと思います。彼の愛が、彼女の未来に光を与えたと信じたいです。
たくさんの感情で涙が溢れましたが、まだ整理が仕切れていません。これからしっかり、噛み締めていきます。
デブの葛藤
40代のチャーリーはボーイフレンドのアランを亡くして以来、過食と引きこもり生活を続けたせいで太り過ぎ、体重272キロとなり、健康を損なってしった。アランの妹で看護師のリズに助けてもらいながら、オンライン授業の講師として生計を立てているが、心不全の症状が悪化しても病院へ行くことを拒否し続けていた。自身の死期が近いことを悟った彼は、8年前に家庭を捨ててから疎遠になっていた娘エリーに会いに行くが、彼女は学校生活や家庭に多くの問題を抱えていた。さて結末は、という話。
ほとんどチャーリーの家の中だけの会話劇で、そのチャーリーに共感も出来ずただ退屈だった。
娘の事は気になるし・・てな葛藤も有るのだが、自己管理も出来ないデブに共感も興味も湧かない。
フレイザーの演技が素晴らしいと評価が高いようだが、ストーリーが合わない作品だと名演だとしても個人的にはダメだった。
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