「誰とも会わなくても過ごせてしまうこの時代。だからこそ生み出された映画といってもいいでしょう。心を揺さぶる傑作です。」ザ・ホエール 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)
誰とも会わなくても過ごせてしまうこの時代。だからこそ生み出された映画といってもいいでしょう。心を揺さぶる傑作です。
映画を見ていて、この役は絶対にこの人にしかできなかっただろうと思えた時、物語に一層、引き込まれる。その最たる例ではなでしょうか。
「ハムナプトラ」シリーズなどで人気を博しながら、心身に不調をきたし、ハリウッドの表舞台から遠ざかっていたブレンダン・フレイザー。彼が体重272㎏の男に扮し、米アカデミー賞の主演男優賞に輝いた本作で浮かび上がるのは、人間のもろさや悲哀、愛情。 誰しもが共感し、考えさせられる作品になったのは、全てをさらけ出したブレイザーの熱演と、メーキャップなどのスタッフの技術のたまものです。
原案は2012年に米で初上演された同名戯曲。
主人公は、“彼氏”のアランを亡くしたショックから、現実逃避するように過食を繰り返し、極度の肥満体形となった40代の教師チャーリー(ブレンダン・フレイザー)。自宅に引きこもり、大学のオンライン講座で素顔を隠しながら教べんをとって生計を立てていたのです。
歩行器なしでは移動もままならないチャーリーは、病院行きを断固拒否し、アランの妹で唯一の親友でもある看護師のリズ(ホン・チャウ)に面倒を見てもらっていましたが、うっ血性心不全の病状は悪化する一方。しかし、余命がわずかと悟り、離婚して以来長らく音信不通だった17歳の娘エリー(セイディー・ジンク)との関係を修復しようと決意します。ところが家にやってきたエリーは、学校生活と家庭で多くのトラブルを抱え、心が荒みきっていたのでした。
月曜から金曜までの“最期の5日間”の物語で、ほぼ全編、アパートの一室で展開していきます。序盤は、歩行器を使わないと立つことも歩くこともままならない、マジックハンドなしでは物も拾えないといった、チャーリーの身体性に焦点を当てられました。撮影の度にメーキャップに4時間を要したというブレイザーの姿を含め、映像は強烈で、見ていてつらくなりましたが、それが物語に欠かせぬ前振りだった、と後に気付かされたのです。
つまり本当に描きたいのはチャーリーの外見ではなく内面なのです。リズや、家を訪ねてきた若い宣教師、元妻、エリーとの出来事や対話を通じ、彼のぬぐいきれない罪悪感や、死を目前に抱く後悔がにじみ出てきます。残された時間で彼の心は晴れるのか。反面、あなたの生き方はどうか。そんな問いかけも、それとなく突きつけられるのです。
本作は、徹底した室内劇として展開されるスタイル。原作の同名戯曲に感動した ダーレン監督は、映画化すると決めたときから、原作のままのアパートの一室での展開にためらいはなかったそうです。そしていかに観客が一つの空間を見続けられるかが大事だったから、撮影前に3週間リハーサルをして、フレームに常に観客が新しく学べる要素を入れられるように準備したとのこと。
ダーレン監督の作品を知っていれば、彼が映画において究極的に大事なのはエモーショナルなんだというこだわりに共感されることでしょう。わたしにとっても「レスラー」「ブラック・スワン」などダーレン監督の過去の作品は、忘れがたい名作として記憶に残っています。
なので本作でもついついフレイザーの巨体ぶりに目が奪われがちですが、本質はそこではないのです。娘との関係において罪悪感を漂わせる一方で、独特のユーモアセンスもある人間味あふれる男が、いかに人ときちんと向き合うか。ブレイザーは、目の演技一つで表現していることが素晴らしいと思います。ダーレン監督が彼をキャスティングするまで約10年を費やした努力が実ったと言えそうです。
極論すれば、誰とも会わなくても過ごせてしまうこの時代。だからこそ生み出された映画といってもいいでしょう。心を揺さぶる傑作です。ブレイザー、ダーレン監督をはじめ、本作に関わった全ての人にこころから拍手を送りたいと思います。