アラビアンナイト 三千年の願いのレビュー・感想・評価
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物語性やストーリーテリングをめぐるジョージ・ミラー監督の思い溢れる
実に7年ぶりに世に放たれたジョージ・ミラーの新作は、一見すると『マッドマックス』の巻き起こした一大旋風を綺麗さっぱりリセットしたかのような世界観ではあるものの、「物語や願望についての物語」という意味ではミラー監督のフィルモグラフィー全体を包含するテーマ性を持った作品と言えるだろう。映画の大部分を占める魔人ジンの回想はVFX満載で、ダークかつ魅惑的な趣向によって貫かれ、かと思えばミラーらしい肉感あふれるエキセントリックな描写の数々も観る者を最初はギョッとさせ、やがて納得のニヤリに変えていく。なにしろ三千年という途方もない時代の旅路である。せっかくのエルバ&スウィントンという最高峰たちの共演をもっとじっくり見ていたかった気もするが、逆にいうと彼ら二人だからこそ”道先案内人”のような役割を滑らかに全うできたのかも。声のトーンや存在感に重みと説得力があり、心地よく身を委ねることができる一作である。
知と語りの蓄積が、文化と文明の発展を促す
魔術の使い手や奇妙なクリーチャーが存在する物語世界のビジュアルは、確かにスペクタクルに満ち、目を奪われる。だが、物語論の専門家アリシア(ティルダ・スウィントン)と古い小瓶から出現した魔人(イドリス・エルバ)の対話――といっても、大半の時間で魔人が過去の三つの願いをめぐるエピソードを語り聞かせ、アリシアは聞き手に回っている――が私たちに教えてくれるのは、自ら見聞きしたことや体験したこと、空想したことを誰かに伝えたり記録したりすることがストーリーを語るという行為の原点であり、ストーリーを語ったり聞いたりすることはある種人間の根源的な欲求であること。その意味で、見かけによらず本作には極めて知的な寓意が込められている。
魔人が回想する才女ゼフィールのパートでは、映画の原型のようなムービング・ピクチャーズのからくり箱や、レオナルド・ダ・ヴィンチがイラストを残したらせん翼ヘリコプターのミニチュア版が登場する。アラビアンナイトでなぜこんなエピソードが?と最初は唐突に思ったが、科学技術の進歩もまた、過去の知の集積と取捨選択(編集と言い換えてもいい)を経て新たな創意工夫が加わることで成し遂げられるという意味で、ストーリーテリングと親和性があるのだと気づかされた。ストーリーを語る手法を歴史的に振り返るなら、原始人の頃は身振り手振りや絵で、それから共通の言語ができてからは口承や文章で、やがて演劇と小説が確立し、さらに写真技術を応用する形で映画が誕生した。英国人小説家A・S・バイアットの短編をジョージ・ミラー監督が映画化した本作は、そうした人間の根源的な欲求と願望がもたらしたストーリーテリングの三千年の歴史と、その中における映画の位置づけにも目配せをしているように感じられた。
鑑賞動機:ジョージ・ミラー7割、アラビアン・ナイト=メタネタかも3割
ティルダ・スウィントンはとても不思議な役者さんだと思う。美醜変幻自在というか、超越しているというか。それにとても女性的に見える時もあれば、中性的に見える時もあるし、何なら無機質に見える時もある。本作の中だけでも、いろいろな顔を見せてくれる。
ノーヒャッハーで「3つの願い」というまあ物語の定型を打ち出してきてるな、と思ったら後半は変化球で戸惑う。ジンの語る物語では、天才少女のエピソードがその苦さも込みで好き。
うーんでも文字で読んだ方がより面白く感じられそうに思った。
魅力ゼロの魔人
この映画を見る前に、類似のモチーフの映画「アラジン」を思い出す。こちらに登場するランプの魔人ジーニーは陽気で無限のパワーを持ち、しかしご主人様の命令は絶対、あなたが魔法のランプを持つかぎり最高の友達である。
こうした作品は魔人の魅力が8割で出来ていると思うのだが、この作品のジンには人間的(魔人的?)魅力がまるでない。
ひたすらに自分自身を憐れみ続け、突発的にヒステリーを起こす。こいつの自分語りが物語の大半を占める。それも、俺の女だいたい不幸になったし俺も不幸なんだよというゴミのような内容。終盤ではこの魅力ゼロの魔人と中年女性のロマンスが始まる。勘弁してくれ。
話が見えないうちに映画自体が終わっていた。序盤の幻覚描写から考えると自立しているように見える独身女性が、しかし孤独に耐えられず新しいイマジナリーフレンドを作りましたという話?だとしたら時間返してほしい。
基本的に無価値な作品ですが、中盤に登場するおデブハーレムの女性は一見の価値ありなので☆2とさせていただきます。
愛について語るときに我々の語ること。 ”物語る”こと自体を物語る、巨匠ジョージ・ミラーの意欲作。
物語論を研究する大学教授アリシアと、瓶に閉じ込められていた魔人ジンとの語らいを描いたラブ・ファンタジー。
監督/脚本/製作は『マッドマックス』シリーズや『ベイブ』シリーズの、オスカー監督ジョージ・ミラー。
3つの願いを叶える事が出来る魔人、ジンを演じるのは「MCU」や『ズートピア 』の、名優イドリス・エルバ,OBE。
ジンを解き放ってしまった物語論学者、アリシア・ビニーを演じるのは『ナルニア国物語』シリーズや「MCU」の、レジェンド女優ティルダ・スウィントン。
偉大なる監督ジョージ・ミラーが実娘オーガスタ・ゴアを脚本家として起用し、親子二代で現代に「千夜一夜物語」を蘇らせた。…コッポラにしろシャマランにしろ、巨匠も娘には甘いのである。
本作は大傑作『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(2015)の次に公開されたジョージ・ミラー作品。当然その流れを受け継ぐ超スペクタクル娯楽大作なんだろうと期待していたのだが、内容としてはそれとは真逆の超こじんまりおしゃべり映画だった。
メインキャラクターは2人だけ。ほぼイスタンブールのとあるホテルの一室だけで展開する密室会話劇という、まるで舞台のような映画である。
ここまでスケールの小さい地味な映画はミラー監督としては異質。期待を裏切られたという気もしないでもないが、アクション/ヒューマンドラマ/ホラー/コメディ/動物/アニメーションと、作品ごとにガラッとジャンルを変えるのが監督の持ち味であるわけで、ガッカリしたというよりもむしろ「おっ!こういう映画も撮れるのか!」と膝を打ちたくなる気分の方が強かった。
「孤独な女学者とロマンチストなジンの恋物語」という建て付けではあるが、これを素直に受け取ると大切なものを見落としてしまう気がする。正直、ラブストーリーとしてはあまりにも不細工。第一の願いまでに時間がかかりすぎだし、そこから第三の願いでジンを自由にするまでは性急すぎる。この2人のロマンスに胸を躍らせた観客は1人も居ないんじゃない?
近年観た映画では一番の難物。一体この作品はどう捉えるのが正解なのか、鑑賞から数日経った今でもわかっていないというのが本音。
ただ一つ言えるのは、どうやらこれは「物語」とは何なのかについて言及している作品なのだということ。
三千年もの永きに渡り、物語を溜め込み続けたジン。彼がアリシアに語る物語は、「愛」「嫉妬」「欲望」「戦争」「悲しみ」「学問」と、まさに人類の歩みを凝縮したかのような内容である。「口承」によって伝えられるその物語を受け取ったアリシアは、最終的にそれを書物に認める。これは口承文学から記載文学への発展を表しているのみならず、人類の遺してきた歴史を受け継ぎ、それに自分の体験や経験を付け加えることで初めて物語は物語たり得るのだということの示唆にもなっている。
また、ジンを物語が擬人化した存在だと捉えるならば、彼を愛するということは物語自体を愛することだと言える。物語はその人を癒し、また他者に対して寛容になる優しさも与えてくれる。しかし、一方的な搾取はだんだんと物語を痩せ衰えさせる。物語の豊かさを維持するためには、自らも新たな物語を生み出すより他はないのだ。
愛とは与えられるものではなく与えるものである、という言葉を実践するかのように、アリシアは物語を描き始めるわけだが、これはミラー監督から新たな物語を紡ぎ出そうとするクリエイターへ、そして何より80代を迎えようとしてなお第一線の映画監督として歩み続ける自分自身へと送るエールであり、死ぬまでオレはストーリーテラーを辞めへんで!という宣言なのではないだろうか。
まるで監督の所信表明演説のような作品で、老境に入った監督の意地と覚悟が表れている。
ただ、独り身の女性には愛する男性が必要だ、という異性愛至上主義的なメッセージの映画に見えてしまうきらいはある。多分にフェミニズム的な要素を含んでいる作品な分、そこがちょっと気になるような気もするがまあ許容範囲内か。
爽やかな映画だし映像も美しい。『アラジン』(1992)みたいな冒険活劇を期待しなければそこそこ満足できるんじゃないでしょうか。期待しすぎは禁物!💦
映画解説等を予め読んでおかないと展開推理不能の眠くなる映画になると...
孤独な人類全てに贈る、愛の物語
大人のための絵本、というとありきたりな表現だが
幼少期に母親に絵本を読んでもらっていた感覚がぴったりの表現のように思う
荒唐無稽と思いながらもどこか不思議で、ワクワクする世界。それはとっても大それていたり身近に感じてしまうくらい小規模だったり、同じお話や同じようなお話なのに毎日ディティールが異なったりしていた。退屈で眠ってしまうこともあったけど、先が気になって眠れなかったり、夢の中で続きを夢見たりする。
バキバキの画力で描かれるお伽噺はジョージ・ミラー監督の映画そのものだし、目に映るもの全てが美しい。是非劇場で観たかった…!
監督の過去作を見ても暴力性に溢れていたり、いなかったりするがどれも不思議で夢のある映画ばかりだ
「こんな映画を観たい!」という気持ちとソリが合わなかったらなかなか評価が難しい映画ということは分かるが、まだまだ過小評価された映画と個人的には強く思う
だってこんな映画、なかなか撮れないぜ?
最後に、イドリス・エルバがちょっとよりもう少しちょっとデカすぎる点。ティルダ・スウィントンと10cmも違わないはずでは?笑
現代における魔法の再生
アリシアの願い事とは
相当面白かった
かつて物語は、津波や地震などの自然災害が起こったとき、その混乱を鎮める唯一の方法として機能していた。同じように、人間は内面の混乱を落ち着け、現実と向き合うための手段として脳内で物語を紡ぐ。
イマジナリーフレンドの男の子が存在していたアリシアは、彼の存在をノートに記録していた。そのノートと同じようにジンを記録していたので、ジンもまたアリシアの脳内妄想なのだろうと思う。ロンドンの部屋のジンの目の絵画も、ラストシーンのサッカーボールの動きも、これが現実ではないことを示唆していた。
シバの女王とソロモンの物語、ムスタファ王子と側室の少女の物語、母親によりハーレムに幽閉されるイブラヒムと巨体女の物語。どれも“力”と“エゴ”の前に砕ける虚しい悲劇。
最後のトルコの商人の妻であるゼフィールはとても聡明で知的な女性であった。飽くなき“知”への欲求と、深くジンに“愛”されながらも自分の研究を続けるゼフィールは、そのままアリシアの願いに通じる。
アリシアの三つの願い。二つは“知”と“愛”。愛は与えることなので、三つ目は愛する人を“救済”することだった。
誰だって物語の主人公は自分自身。どんなときも自尊心を持ち直して、自分の真実を大切に光らせよう。
壮大な三千年の物語を紡ぐことによって、マッチョな価値観や世間の区分けを乗り超えて語りかけてくれた。
存在
また、レビューを消されるかもしれないけど、とりあえず、レビューしてみる。
映像も魅力的だし、脚本も中弛みを(個人的には)感じたが、知的で楽しめた。
ジンの存在とは何なのか?。
ジン生3,000年も歩けないが、誰かと出会い、誰かと別れ、また再び、愛を与え合える人であれ…
そんな話だった。
退屈だけど魅力的な作品
本作は、女性学者と魔人の会話劇が軸にあり、その合い間に魔人が生きてきた3千年のあいだのエピソードがいくつか挟まれ、最後は現代の話で締めくくられる構成の作品です。その、合い間に挟まれるエピソードが退屈で、正直言って眠くなりました。ただ、主役の二人がとても魅力的なので、物語は上の空でも役者さんの魅力に惹かれるという不思議な作品でした。かなり、観る人を選ぶ作品だと思います。ディズニー的な作品やコミカルな作品を期待している人は観ない方がいいかもです。(実は私はもっとコミカルな作品だと思ってました)
追記>
ティルダ・スウィントンさんは歳を取られても(現在62歳)不思議な魅力を持った女優さんですね。
「自身を生きる」こと
不思議な作品でした。
観終わってもどんな感想がいいのかわからないし、強く印象に残ったものはない。ただ、多分だけど年齢を重ねたら作品の印象が変わる感じがするので期間を空けてまた観たいと思った。
魔人がアリシアの妄想なのかどうかとかはどうでもよくて、自分だけにしかわからない世界の中で他者に何を言われようとも「自身を生きる」美しさみたいなものがあった。誰かと比べたり、他人の生き方に口を出したい人が多くいる世の中で「自身を生きる」ことは難しいし忘れていく。
欲望に生きることは生活の変化で忘れたり諦めたりするけど、小さなことでもそれを確保することは1人の人間として求めていいことだよ…ってふわっと思ったかな。派手なストーリーではないけど、優しく響くし人によって見方は変わるかも。
願い事をかなえないと自由になれない魔人と願い事がない女 いきなりホ...
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