「タイトルなし」ヒューマン・ボイス Raspberryさんの映画レビュー(感想・評価)
タイトルなし
ジャン・コクトーの戯曲を基にしたロッセリーニ監督の名作『アモーレ』。その第一話「人間の声」でアンナ・マニャーニは我々に人間の真実を突きつけた。
ロッセリーニはカメラの前の素材をいかに扱うかという様式の美学を決定的に提示してみせたのだ。
ではアドモドバルはこの戯曲をどう扱ったのか。
ポップでカラフルなファッション、洒落た部屋の設え、斧、ワイヤレスイヤホンなどなど、もう見どころ満載。
ロッセリーニの『アモーレ』がアンナ・マニャーニのリサイタルであるのに対し、アドモドバルはティルダ・スウィントンの独り芝居に終わらせなかった。
リアリズムとイリュージョンという映画にまとわりつく矛盾と葛藤を感じさせつつ、アドモドバルはその矛盾を糧にしてラストでこう語る。「われわれは現実へと単に戻って行くことになるだけ」。
現実と映画があっさりと等号(=)で結ばれるとき映画は消滅してしまう。そんな不可能な一点をしっかりと見せるには、ティルダ・スウィントンの硬派な透明性しかいない。
アンナ・マニャーニのあの動物的な魅力に対抗できるのは、ティルダ・スウィントンしかいないよね。
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