カラーパープルのレビュー・感想・評価
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原作とは別物の、楽しいミュージカル
アリスウォーカーの原作は、アメリカに住む黒人女性のものだと思っているので、日本のアラフィフおじさんゲイが批評すべきかは悩むところ。中身はとにかく薄い。ミュージカル映画として楽しむならあり。ファンテイジアのアイムヒアはおそらく撮影時に録音されたものと思う。魂のこもった歌唱で、この場面で震えた。サントラの歌唱は薄いのでオススメできない。ファンテイジア2010年のアルバムで同曲をすすり泣きながら歌っているので、そちらのほうをオススメする。ほとんどの曲をブレンダラッセルが書いている。さすが美メロ職人。どの曲も素敵。h.e.r.とかシアラも出演してるのだけど、ほぼ歌う場面がないという、ある意味、贅沢な使い方でずっこけた。
黒人男性による女性への虐待描写、白人による黒人差別描写、性描写は驚くほど希薄。が、同性愛描写は1985年作品よりも鮮明で、このバランス感覚は現代の若者にはしっくりくるのだろうか。いきなり主人公が妊娠状態で始まるのだけど、原作知らない人は、誰の子?てポカン状態ではないかと思う。ポリコレ要素を詰め込むのは最近の流行りなのだろうが、個人的には好かない。
俳優陣頑張ってる。けど、1985年の同名作品を知っているアラフィフとしては、やはり今作は負けている。アカデミー賞で男優賞以外の主要部門全てでノミネートされていたのに、無冠だったことでも有名な1985年作品。まあ全くの別物なので比べたらいけないのだろうが。今作を見終わった後、1985年作品を見たくなり、早速ポチッた。
【”赦しと奇跡の再会。”傑作オリジナル作品に、ブルージーでソウルフルな楽曲と、ダンスを加え一層魅力を増した紫の肌の女性達の生き様を見事に描いた作品。姉妹が数十年振りに再会するシーンは矢張り沁みます。】
ー 数日前にオリジナル作品を鑑賞したばかりだったので、”魅力が減ってしまうかな。”と思いながら劇場へ足を運んだのだが、全くの杞憂であった。ー
■1909年、米国南部。セリー(ファンテイジア・パリーノ)は父親に虐待され、女の子と男の子を授かるが、父親に売り飛ばされてしまう。更にミスターという粗野な男と結婚させられ夫の暴力に耐えながら、離れ離れになった妹ネティ(シアラ)からの手紙を待つが、一通も届かない。
或る時、夫の元恋人で歌手のシュグ(タラジ・P・ジョンソン)が家にやって来て、ミスターに対し、言いたい放題で自由奔放な彼女に惹かれて行く。
◆感想
・上映時間2時間21分の作品であるが、体感1時間半である。それ位、大スクリーンで繰り広げられるど根性な紫の肌の女の人達の生き様と、それを彩るブルージーでソウルフルな楽曲と、ダンスに魅入られたのである。
・セリーはシュグや、自分の主張を曲げない男勝りなソフィアにも惹かれて行く。
ー 故に、ソフィアが高慢ちきな白人市長夫人から侮蔑の言葉を受けた際に抵抗し、長年留置場に入るのだが、セリーは毎週の面会日に彼女に会いに行くのである。
そして、留置場から出て来た屍の様なソフィアがセリーに言った言葉。”アンタが毎週、来てくれたから・・。”-
■今作は、オリジナルと同様に愚かしき男と、それに屈せず生きる女性達の姿を軸に描いているが、ミスターが飢饉などにより打ちのめされ雨の中、農地に突っ伏しながら”改めます。”と神に祈るシーンなどは彼の改心も描いていて、作品の幅を広げていると思うシーンであった。
<ラスト、セリーやシュグやミスターが集う場に現れたネティがその夫と子供をセリーに紹介するシーンは矢張り沁みる。
序でに言えば、ネティが帰国できるように取り計らったのは、愚かしき夫であったミスターである。
今作は、オリジナルを観ていなくてもとても心に響く作品ではないかな、と私は思います。>
黒人、女
と言うだけで、屈辱に塗れ、歪んだ人生を送った人が居た
が、それにもめげず抗い主張し続けたことで、切り拓いて
きた。
その歴史を書籍化しピューリツァー賞を受けた作家は
どんな心持ちで本作を観るのだろうか?
僕は音楽ファンでもあるので、
優れたR&B映画として本作を評価するが、
締めと随所随所の
キリスト賛歌には辟易の思いを抱かざるを得なかった。
イエス。と言うありもしない。神の神子を理由に
暴虐の限りを尽くしてきたコーカソイドの歴史に
何一つ評価賞賛を贈るべき理由はない。
悔い改め、他者の不備に漬け込んできた事実に
懺悔の念を持っていただきたい。
そう、意気込んでしまいたい。
が、今日はきっと昨日より良い日が来る。
と信じて生きたいので、本作の公開に感謝の気持ちを
贈ろうと思う。
カラーパープルは仏道最上の色也◎
心は繋がってる。
父に虐待され、10代で望まない結婚を強いられ、心の支えでもある唯一の妹と離れ離れにさせられた黒人女性セリーの話。
産まれて早々取り上げられ、自分の子とも離れ離れ、後に「悪魔と呼ばれてる」ミスターと望まない結婚、その結婚生活とは奴隷の様な扱いの生活だった…後に黒人女性のソフィア、シュグという2人の女性に出会い、今まで見たことのない世界と強い心の2人を知り、自分の生き方を改める…。
結果から書いてしまうと、とても良かった。
本作観る前はちょっと苦手な作風、上映時間が長いでシンドイなと思ってたんだけどミュージカルで進んでくストーリーと理不尽な男達の振る舞いが「何なのこの男達?!」で、何か飽きず、時間も感じずでさくっと観終わってた。
セリーの弱い心が二人の女性に出会えた事で強くなってく様と、ずっと心にいた妹ネティ、子供達との再会のラストには涙。
でもラストの集まりに、自分を奴隷の様に扱ったミスターを呼んだのには違和感。
文句なし!ミュージカルで正解
文句なし!
スピルバーグ作品のミュージカル版だが
むしろ見応えがある。
前半は黒人奴隷の現実、黒人奴隷の格差の
厳しさを思い知らされたが、仲間の励ましに
よって自分を取り戻す人生を前向きに
生きなくてはいけないと思い知らされた。
見応えもあったし、考えさせられた。
作品版も観てみたい。
観て良かった。これぞ映画。
人には存在しないパープルも愛でる
音楽とダンスを楽しむだけの映画だった。
1985年のカラーパープルは観てなかったので、あらすじは全く知らず着席。
ふーん、1909年の話なんだ。
ん?黒人のセリーは若そうな女子で結婚もしてないのに子供産んだ!?しかも2人目??生まれたばかりの男の子アダムは、おじいちゃんに殺されたのか?何だか分からず。こうなっちゃうのは当時、避妊ができなかったからだろうな。男女や夫婦の関係も現代とは全然違ったって事だよね。するとミスターと結婚する事に。あら、恋人じゃないのに父親に押し付けられた。まるで奴隷とか家政婦の様な生活だ。
自分は外国の歴史を知らないので、凄く不思議に感じたのが、当時のアメリカ南部は、ほとんどが黒人さんだったの?みんな英語を喋ってるのに、白人全然出てこなくて、近くの街のメンフィスの名前が出てくるまで、どこの国だか分からなくなってた自分。
前半は歌って踊っての連続でかなり楽しかった。ストーリーと全く関係のない人達とのパフォーマンス、楽しかったです。
意外だったのが、結構長い話だった事、1909年から40年近い先の未来まで。戦争は絡んでこなかったけど、まるでNHKの朝ドラじゃん。
最後のオチは想像通りだったけど、2時間を超えたあたりから、あ、これで終わりかって何度も思ったくらい、長さに違和感。
久しぶりに共感度ゼロの苦手な作品でした。
ミュージカル化?いや、これはまぎれもなくリメイク
〔カラーパープル〕は1985年の
『スティーヴン・スピルバーグ』監督による{ストレートプレイ}版
(正しい表現ではないのだが{ミュージカル}の対語として)も観ているが
その時とは鑑賞後の感じ方が随分と異なる。
強いて言えば、
前作は黒人女性の「リベンジ」を含めた「自立」の物語り、
対して本作は大いなる「許し」「寛解」の物語り。
今回『スピルバーグ』は製作として名を連ね、
『クインシー・ジョーンズ』は
おそらく音楽関連だろう同様にクレジットされており。
原作者の『アリス・ウォーカー』は
娘の『レベッカ』と共に製作総指揮としての立場だが
その影響もあるのだろうか。
(もっとも、もう四十年も前に一度観たきりなので、
記憶はかなりあやふやなのだが・・・・)。
先の作品でも何れも良質な音楽は既にして印象的だった。
冒頭、二人の少女が歌いながら手遊びをするシーン、
『セリー』の夫『ミスター』の横暴を揶揄するように歌うシーン、等々。
{ストレートプレイ}にもかかわらず
多くの楽曲で溢れていた。
本作は{ミュージカル}とのこともあり、
その面では更にパワーアップされている。
外連味のある集団でのダンスシーンを含めて。
また、鳥肌が立つほどの
最期の一連のシークエンスはとりわけ感動的。
とは言え、黒人女性が虐げられてきた歴史の描写はそのまま。
ただでさえ白人からは差別されているのに、
その中でも女性は一段低い地位に在り、
生まれては父親から、嫁いでは夫から暴力と性的な抑圧を受ける。
まさに女は三界に家無しの状態が、
親から子から孫へと連綿と繋がって行く。
もっとも、そうした男性の側も
親から女性に対しての偏見を教え込まれ、
暴力を振るうのを当たり前に見てきたことを考えれば、
子供は育てたように育つとも言うべきか。
そうした負の連鎖を断ち切るきっかけは
社会環境の変化もさることながら、
個人の心の解放が大きな要素となることが印象的に描かれる。
やはり記憶に残るシーンは
訪ねて来た夫の父親に水を出す時に
コップの中に唾を吐き入れ素知らぬ顔で渡すなどの
最初は小さなレジスタンス(これは先作でも同様)。
やがて次第に大きなうねりとなり、
激しい抵抗へと昇華する。
一つ主人公に限らず
牧師の娘でブルース歌手の『シャグ』についても
同様な「許し」がサイドストーリー的に語られる。
彼女は『セリー』を導く役柄が有りつつ
個人的な葛藤は抱えている。
もっとも、こちらに暴力性は絡んではいないのだが。
総じて、単なる{ミュージカル}化ではなく、
イマらしい要素も取り込んだ「リメイク」が本作の本質ではないか。
『ミスター』を
直ぐに暴力に頼る粗野な男とステレオタイプに貶めるだけでなく、
複雑な人間性を付加したこともその要素になっている。
抑圧女子の解放、のち、人生賛歌
ミュージカル映画が苦手、、、
ミュージカル映画とは知っていたものの、踊り出したり、歌い出したりするのが苦手、、、内容はいいけど。
1900年代はじめのアメリカジョージア州の小さな町を舞台に、黒人姉妹の過酷な人生描いた作品。
当時のアメリカでは、黒人差別や男尊女卑的な事は普通だったのだろう。
多様性が求められる今見る映画ですな。
圧巻のミュージカルパフォーマンスで鑑賞後感が最高!
1900年代前半から物語が始まるのだが、黒人差別はありながらも
黒人の中でも女性蔑視が甚だしい、そういう時代背景から
主人公セリーも男どもから人間扱いされない不遇の時代を送っている。
セリーには妹と子どもが2人いるが、不条理な引き離され方で
数十年経ってしまう。
この不遇の時代がこの映画の半分以上で描かれていて、
正直、胸が苦しくてたまらなくなる。
しかしながら、残り1時間になってからの
女性の逞しさ、男どもに屈しない高潔な精神、そのパワフルさが全開になってからが
この映画の真骨頂だろう。
どんどん人間らしく生きられる状況になっていく主人公、
それからラストは感動的な再会が待っていて、神がいることを確信する。
なんと素晴らしい鑑賞後感だろうと思ったし、
この物語をミュージカルというフォーマットで見せてくれた製作陣・キャストにも拍手を贈りたい。
2/10の夜に、宮崎のワンダーアティックシネマで鑑賞したのだが、
なんと私ひとりの貸切状態であった。
うれしいやから悲しいやらだが、その状況を思いっきり楽しませてもらった。
振り幅が大きすぎるけどハッピーエンドならよし!
あなたがもし今、不安と恐怖に悩んでいるのなら…
スピルバーグの手による85年の名作は、私は見たと言っても遠い過去の記憶。よって本作は、ほぼゼロ知識のような前提で見させてもらったことになる。
そのため両作品を比較することはできないが、鑑賞後の感想としては『これは別モノ』ではないかと容易に推察することができた。
悲しみ・苦労・つらさ、、、
そういった気持ちを抱えながら、またそのような状況から出られずに今を生きているひとは、いるだろうか。
本作はそんな方にこそ贈られるべき、讃美歌だ。
これを見てほんの少しでも、ミリ単位でも、気持ちが救われたら良いのではないかと思う。
これは完全なミュージカルであり、元の物語はあくまでも下敷きで、まったく新しい「カラーパープル」と言えるのではないか。
楽曲はどれも明るく、現代的でソウルフル。
そのため、陰鬱なストーリーであるのに鬱な鑑賞後感にはならず、多くの観客は主人公の結末に勇気づけられ、何とも幸せな気持ちで帰路につくことだろう。
大いなる苦難の時節を経て、自分を取り戻した女性のストーリーだ。
クライマックスの、主人公サリーによる“I'm here”、
「私は美しく、そして、ここにいる!」
人によっては当然の、当然の事実を力強く叫ぶセリー。人として持つべき誇りを再生し認めるまでの時間、なんと半世紀。苦役に耐え、それでも他人を思いやる心を見失わずいたセリー。
その解放の歌声は、たった2時間ほどだが共に辛い気持ちに苦しんだ、この映画の観客の心も解放してくれるに違いない。(少なくとも私は解放された!)
人生は帳尻合わせ。
お天道様は見ているのである。
観ている人を感動させようとする感じが今一つだった感じの作品。 本年度ベスト級。
何だか高評価にしないといけない作品だったけど自分には響かず。
全体的に観ていて辛いシーンが満載。
そんな中、ミュージカルの歌や踊りのシーンが辛さを半減させる感じ。
後半で感動の涙が流れるシーン。
自分は泣けず取り残された感じ。
泣く事を期待して鑑賞したけど残念だった(笑)
子供を出産したセリー。
いきなり赤ちゃんが奪われ、知らない人と結婚させられる展開。
愛しい妹のネティとも生き別れとなってしまう展開。
奴隷の様な扱いを受けるセリー。
髭剃りのシーンは後押ししたくなる。
鑑賞中、辛いシーンの連続でラストに感動の嵐が来ると推測。
その為か感動の涙が発動せず(笑)
期待していた作品だけに満足度は低め。
登場人物の老けて行く感じが違和感無くて素晴らしかったです( ´∀`)
久しぶりに熱いものが目から、、、
音楽と神と人間と
知識も常識も無いダメ人間なので、劇場直ぐに調べてみた。
もうあの時代1900年代には黒人奴隷は法律上禁止されてんだな。
じゃあ解放されてるし、黒人も自由なんじゃーん。とか思ったら実際はコレだ、劇中でも有ったけど僅かな給料と最低限の生活環境が有っただけで差別の嵐だ。
サラリーマンとか、学生とか、、一般下級市民と似てんじゃーん。
用は、現在のアメリカとか、日本の旧世代価値観と変わん無いじゃーんって事ですよ。
見た人感じたと思うんだけど、アレ奴隷じゃ無いんです。
彼女の両親は奴隷時代なんだろうけど。
日本で言うと戦前戦後みたいだな、彼女はただ差別されてるだけなんです、戦前の価値観のまま男尊女卑、貧富と国籍に上下を付けたがるアホの暴力と権力への盲信。
セリフでも有ったけど、差別の理由は、お前は貧困で、黒人で、女で、ブスだから。
って根拠なんすよね。
あれ?学校でも、職場でも、飲み会でも、現代でも聞く話じゃね?
あー、そいや俺も職場じゃ好きな音楽とか好きな映画を脳内再生してるわー。
やっぱ人って音楽に本心とか、正しい自分を乗せ神を探すんだな。
この映画で描かれてた宗教感とか神の存在って日本の仏教と同じじゃん。
やっぱ国と、か肌の色とか、性別変わっても思い望み願う事は共通なんだな。
俺も音楽に救われたりしてるよ、アニソンとかアイドルソングばっかだけど。
名作を「昔話」にしないためのアップグレード
名作のリメイクと聞けば、やはりオリジナルと比較してみたくなるものですが、私『カラーパープル』はまだ観られていない作品だったため、二日ほど前に予習として鑑賞してからこちらに挑んでみました。
前作・スピルバーグ版から38年経ったわけですが、比較して最近の映画は表現、描写また言葉遣いがマイルドになっていて、感情に訴えるような作品ほどやや肩透かしに感じて少々物足りなさを感じることがあります。特にスピルバーグ版では男たちのストレートで醜いまでの言動に腹立たしさを感じつつ観ていたこともあり、本作序盤のセリー&ネティの若き日のシーンについては「やはりオリジナルには敵わないか?」と思いつつ観ていました。ただ観終わって思い直せば、この物語を「昔話」として捉えてしまわれるよりもよっぽど良いのかな、と思い直しています。今もなお無くなることのない「セクシズム」に対して、世の男性は皆、多かれ少なかれ、無意識だったり直接的でなくとも、「自分も差別に加担していることはないか」と振り返るため、現代的に寄せることは決してマイナスではないと感じます。
とは言え、それぞれシーンを比較すればどちらが好みかはあるものです。私は個人的に「ネティがセリーに文字を教えるシーン」、これは後の手紙に繋げて感じたいところなので改変にちょっとガッカリ。また「シャグがセリーに歌を送るシーン」はその楽曲のアレンジも合わせてオリジナルの方が好きかな。一方、「ミス・ミリーとソフィアが絡むシーン」はいい改変で、その「事件」からのセリーとソフィアの関係性があるからこそ、シャグが戻っての食事シーン、セリーがミスターに強い表現で口答えをしたのをきっかけに「再覚醒」するソフィアには私、思わず落涙しそうになりました。
そして、知っているのにもかかわらず落涙必至のクライマックスシーン。今回、私の席の両隣共にご婦人だったのですが、お二人共に途中からポイントのシーン毎に鼻をすすられて泣いていらっしゃるご様子。当然この最高潮では涙腺崩壊しておられ、そこまで泣かれると私泣けませんがなと思ったり(苦笑)。でも、右隣のご婦人は物語終わって主要キャストのクレジット最中に退散、、あ、ほらここでタイトル出るのに。。
まぁ、なんだかんだ言ってトータル素晴らしい出来だと思います。セリーと彼女を取り巻く人たちの関係性が物語の推進力を生み、そして皆がセリーの本質にある強さに感化され、彼女を後押ししながら強く繋がっていく感じはまさに「アップグレードされている」と言える気がします。
96回アカデミー賞では私もお気に入りのソフィア役ダニエル・ブルックスが助演女優賞にノミネートされています。強豪揃いですが、1か月後の授賞式にまた楽しみが一つ増えました。応援しています!
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