カラーパープルのレビュー・感想・評価
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ゴスペルっぽいシーンは迫力あって良かったけど、他のミュージカルシー...
ゴスペルっぽいシーンは迫力あって良かったけど、他のミュージカルシーンは無難に仕上げた感あるかなぁ。元のスピルバーグ監督作の方がよりシリアスでシンプルに心に響くのは仕方がないか。ラストでハリー・ベイリーを他の役者に変える必要ある?あの爺ぃ、ルイス・ゴセット・Jrだったのか!あとウーピーいたね?!
自身の尊厳を取り戻す女性の話。
主人公の女性が様々な女性との出会いを通じて、自身の尊厳を取り戻し、道を切り開いていくお話。
この映画を観て、やや心が重くなった。
この主人公が置かれた環境があまりに酷いものがあったからだ。
厳格すぎる父の元で育ち、最愛の妹と生き別れ、お腹を痛めて産んだ2人の子供ともすぐ離れ離れにさせられ、見知らぬ男の元で奴隷のように虐げられて暮らす。
この映画は、男尊女卑や人種差別、貧困問題とか色々な問題を含んでいるのかなと思った。
だからこそ鑑賞している中でたくさんの人に色んな部分が色んな刺さり方をする映画だと感じた。
その中で織り混ぜるブラックの人たちの歌や踊りは、とてもエモーショナルで圧巻だった。
色んな人に遍くおすすめできるかなりビターなミュージカル傑作映画。
印象が違うがいい映画だった
オリジナルは相当昔に観た記憶はあるが、細かいところは全然思い出せない。黒人女性が強く生きる物語くらいしか印象に残っていなかった。それでもこの映画をミュージカルにするの?という違和感は強かった。歌と踊りが入るとシリアスさが和らいじゃうと思ったから。
でも、実際に観てみると細かいところを覚えていないから、違和感覚えるというよりも踊りと歌(特に歌!)に圧倒されてしまった。そりゃあれだけ上手い人を集めてミュージカルにしたらすごい迫力になるよな。楽曲も普通によかった。自分たちも踊れるに違いない!
たしかに凄惨なシーンは多くない(元々こんなもんだっけ?)。そしてストーリーも白人に対抗する黒人女性というよりも、姉と妹の愛情や女性同士の友情を描いた話だったし、女性が男(しかも黒人男性)の支配から逃れて自立しようとする話だった。オリジナルも同じ話なのに別の印象ってことは、時代や社会状況が変わったということかもしれない。そういう意味で今作られた意味もあったのだろう。いい映画だった。
黒人女性の人権回復の歴史
黒人女性たちが、白人ではなく黒人男性から徹底的な支配を受ける弱さが描かれる。対抗できる力をもち合わせるが、白人女性から引き下ろされる場合もある。『大統領の執事の涙』のように、闘うよりも庇護者に守られて無難に過ごせた方が良さそうにも思える。アフリカの黒人たちも、当初尊厳を保ちながら、植民地支配に服属していく歴史も描かれていた。
黒人の方々の歌とリズム感に酔いしれる…。
黒人の女性のスタイルは、ホント、黄色人種の私たちとは全然違う。
迫力あるボディを楽器のように響かせて歌い上げる曲の数々は圧巻。
ダンスも表現力も素晴らしく、テーマの重さからくる憂鬱も救われました。
女性を本気で殴る男はサイテー。
私なら、仕返しに、睡眠薬で眠らせるか、スタンガンで気絶させて、縛ってベランダからつるして、社会的に抹殺する(実際にしたことはないです)。
長い歴史の中で、苦難に耐え忍んできた黒人の女性たちにエールを贈りたい。
同じ頃の日本でも、女性は嫁という子どもを産む家政婦扱いだったのだろうと気づく。
明治時代の嫁は、誰よりも早く起き、誰よりも遅く寝て、家族の3食の食事を用意し、家事全般を家電もない中こなし、風呂は一番最後、嫁が不倫しようものなら重罪って、奴隷じゃんと思った。
どんな男性も、女性から産まれるので、女性にはかなわないと分かっているのに、変なプライドに邪魔されて、女性を虐げちゃうのかなー。
小さい男の子ならかわいいけれど、おっさんがしても愚かとしか思えない。
現在でも、イスラム圏やアフリカ、中国やインドなど、まだまだ女性の人権がないがしろにされているエリアはたくさんある。
女性は男性を支配したいとか、跪かせたいとか思っていなくて、ただ自由に生きたいだけなんだけれど。
女性が政治の中枢にもっと増えれば、今よりは平和な世界になるような気がします。
遥かに華やかに
ハリウッドの名作がブロードウェイのロングランになり、双方のキャストとスタッフが集まり届けるミュージカル、モブキャラも歌って踊るからなんかインド映画っぽい
差別と暴力がなおあからさまだった前世紀初期にアメリカ深南部を生きた姉妹
最近のハリウッドはささやかなハッピーエンドとか描かないから剛毅な大団円でそれもまた良い
ミュージカル版で新たなカラー・パープル
あの名作がブロードウェイ ミュージカルを経て、再映画化。プロデューサーにスピルバーグもアリス・ウォーカーも名を連ねている。なるほど、ストーリーの大スジは同じだけど、細部の設定や描き方はかなり変わっている。勿論、黒人差別、女性の人権という部分は変わらないが、女性の自立という雰囲気がより強く主張されているように感じた。加えて、神の御業、悔い改め、許しについても色濃く歌や台詞に描かれていて、ゴスペル要素が強くなっていた。キャストは他のヒット作でも観たことがある女優さんが複数、そして皆歌もダンスも素晴らしい。
ウーピーもしっかり顔を出していたシーンがあり、前作へのリスペクトも感じられ、新たな今作のミュージカル化はより物語の流れや抑揚が感じられて、とても良かったと思う。
もう少し話題になってもよいような気がするが、公開劇場も、上映回数も多くなくて、ちょっと残念。
自己主張できる自由の有難み
奴隷制が終了後の1900年代のアメリカジョージア州の黒人社会。
※性被害を被った事がある方は絶対に見ない方が良い作品。
されてきた虐げられた過去を繰り返してしまうからなのか、黒人男性が黒人女性を虐げることが横行している。低収入家庭ではよりひどい。
街中の食材店のオーナーにも関わらず、田舎のカウボーイに娘を売る父アルフォンソ。
しかも娘のセリーは母亡き後、そのアルフォンソの子を2度宿し、産んで、2人とも子を取り上げられている。セリーの妹ネティは賢いから学校の先生にすると言われているのに、扱いの違いに驚く。
女性は性のはけ口と家政婦にすぎない存在だから、妻を亡くし長女がターゲットになってしまったのか?
子供を売る商売のためなのか?
最初はよくわからない。
そこに来た、馬に乗った体たらくそうな男、ミスター。既に3人子がいて悪魔と呼ばれているが、妹ネティを嫁に欲しいとやって来るも拒まれる。代わりにセリーが牛と交換で嫁に出される。
あ、赤ん坊を売る商売のためではなく、娘を単なるはけ口として扱っていたのか、とわかる。
で、嫁いだ先の生活水準は更に落ち、何の愛情もなく、すでにいる3人の子の世話と家政婦とはけ口。
家に残ったネティは父アルフォンソのはけ口役とされそうになり、ミスターのところにいる姉を訪ねてくる。最初はネティを欲しかったミスターは下心があり住まわせることにするが、ネティははけ口にされる事をここでも拒んで、追い出されて姉妹は別れた。
そこから10年。セリーが世話をし続けたミスターの息子、ハーポが妻に連れてきた女性ソフィアは、セリーのように従順ではなく、自己主張もするしハーポに尽くさせようとする。
セリーの夫、ミスターも、街の教会の神父の娘で、酒場のブルース歌手シュグが本当は心に秘めた相手で、シュグが帰郷すると家に泊めなんとご飯まで作ろうとする。
この辺りで気付く。あれ?女性によって扱われ方が違う。セリーが望まぬ扱いを拒んでいないだけなのか?と。でも同時に思う。誰かが声高に理不尽を拒んでも、その皺寄せが誰かに行くだけなんだなと。
セリーはずっと皺寄せ。
ずっとその扱いだからそうされることに慣れてしまって、抜け出せない。親の愛を感じられずに育ち、愛し合って結婚してもいないし、妹とも生き別れ、愛情に飢えているのだが、夫も夫で父親支配の歪んだ愛の中で育って、心にはシュグがいる。
なので、好きでもない優しくない夫を振り向かせようという気持ちもセリーにはないから、おしゃれをする気もわかない。
亡き母との唯一の思い出、裁縫が心の支えで得意分野。こき使われているので料理も上手。
でも、それを褒められたり活かす場は来ない。
セリーが、何にも縛られず街中を夢中にさせるシュグの奔放な生き方に触れると、少しずつ心の声が出始める。この時点ではまだ、シュグの魅力は表面的で尻軽歌手な印象しかなく、女が自由になる=誰にでも足を開くことで生計を立てるに行き着くのかな?と思わされるが、シュグは地元から出てテネシー州メンフィスを拠点にできているので、人権無視のど田舎ジョージアより少しだけ進んだ世界を知っているのだ。
セリーにとって本音が出る分岐点になるところで、鼓動のような音が入り、こうして耐えて生きて繋がれてきた黒人の血がセリーの中でも脈々と生きて、繋がれて今があるのだなと感じる。
シュグが訪ねてきた時、セリーは産まれて初めて地元を抜け出し、夫を置いて、シュグと、メンフィスを訪ねる。産まれて初めて映画を観る。
初めて吸った自由の空気。
そして、シュグもまた神父の父親と確執があり、親の愛に飢えていた。シュグとセリーは何故かキス。
あれ、レズ同士なの?と思うが、そういうことを伝えたいのではなく、はけ口とされてきたセリーの女性としての機能も、本来自由なんだよと自覚させる場面なのかなと思った。心にある異性を愛そうが、同性を愛そうが、本来自由。
あとは、生い立ちに虐待等があると、欠如した愛を埋めるための同性愛があると聞いた事がある。そういうのも関係しているのかな?
シュグの実家は神父だから、異性愛は許されないはずだが、シュグも愛に飢えていて、心の通い合いなのか恋愛なのか、セリーもシュグも混同しているようにも見受けられた。実際、そこから10年近く後、シュグは男性と結婚して故郷に一時的に戻る。
シュグが再び故郷に戻るまでの10年近くも、セリーはずっと家の奴隷をこなして生きていた。
その間、夫の息子ハーポの嫁ソフィアは再婚し2児をもうけるも、白人市長夫人に背いて6年間の投獄。
あぁジョージアの中では先進的な女性像に見受けられた理不尽に逆らうソフィアでも、家の中ではそれを認めてくれる男性もちらほら出て来ても、白人による黒人支配はまだまだあるのだから、黒人×女性×貧困のセリーの圧倒的不利を思い知らされる。
ソフィアの牢獄にそこに毎週面会に尋ねたのもセリーだった。
10年前、シュグはセリーと、生き別れた妹ネティからの手紙を夫ミスターが隠していたのを見つける。
ネティはなんと、セリーが産んだ子達を養子にとった神父夫妻の元に逃げ込み、子供たちの世話をして過ごしていた。更には神父伝道で黒人のルーツアフリカの村を回っていた。後に白人支配が押し寄せて村を焼かれ、難民キャンプを周り、パスポートも焼かれ、アメリカに市民権の書類がないと帰国ができないとなるのだが。
シュグが戻るタイミングで、セリーは夫を殺しかねない怒りの限界を感じていた。シュグに着いてメンフィスに行くことを決意。
その時のセリーの溢れ出す暴言。最高だった。
それを聞いて、6年ぶりに笑えたソフィア。
シュグに着いて行ったらシュグの家で電話が鳴る。
出ると、父親が亡くなったと。
気乗りせずも地元に戻り教会の式に出たあと、実は父親は母親の再婚相手で、セリーは母の最初の夫の子だったと知らされる。
実家の食材店も、実はセリーの父親の物だったので、ゼリーが相続できると。
長年耐えて耐えて、ようやく心の声に従えて自由を手にしたセリー。
何がしたいか考えて、既製ズボン店をオープン。
かつての実家に戻り、心から笑いが湧いて来て、何がしたいか思いつく、このシーンが最も好きだった。
女性もズボンを履く時代が、やっとジョージアの片田舎まで浸透してきていた。
ズボン屋さんのドアの前でセリーが歌うシーンで、正直、客観的に見ないと辛いので、そういう時代だからなぁという目で観ていたにも関わらず、ボロボロ涙が出て来た。自立をできるまでに、思考も身体も心も体力も、全てを奪われて来たセリーが、夫にNOを言え立場をひっくり返せる時が来た。ガツガツ狙って手に入れてきたのでなく、少しの選択が出会いを変えタイミングを引き寄せて。
一方、セリーが出て行き、家事もできず威張れず虐げる相手もおらず、家業の畑は害虫騒ぎで、八方塞がりの夫。悔い改めて、土地を売り、セリーの妹ネティ達が帰国するための資金を密かに用立てる。
セリーからは、やり直すなんてありえず、友達ならなってあげてもいいよと言われるが。
そして迎えた感謝祭。セリーが招いてシュグ、ソフィア、ハーポ、ミスターと勢揃いのところに、妹ネティとかつてセリーが産んだ2人の子供とその子供達が帰国しやってくる。
あれ、神父夫婦はどこ行った?セリーの子供達2人とも、ネティが引き取って良いの?
お互いわかるうちに会いたいという手紙の一文で予想はしたが、帰国したネティ、別人!!!生き別れたネティがリトルマーメイドの子で印象が強かったから、驚き!
とにかく紆余曲折辛いことが沢山あったが、みんながまた集まった。
この輪こそが、セリーがお人好しで、切っても良い人間関係を切らずにいたからこそ、守れた、セリーの人生そのものであり、守れた人間関係であり、繋いだパープルの血である。
善い行いの黒人でなくても、黒人というだけで互いにbrotherと声を掛け合うのはよくわかる。
そうなっている根本原因のどこかに、必ず、黒人という属性がゆえに辛い思いをした理不尽がある。それが先祖にいて、だから生活水準や養育環境の空気に響いてしまったのか、本人が被っているのか、わからないが、辿れる程度の何代か上には、奴隷制が終わってもその影響を色濃く受けた人々がいる。その人達がどんなに理不尽でもどうにか命を繋いでくれて、今の黒人がいる事実がある。深い深い傷が必ずどこかにある。
作中で、前半のセリーの環境は周りが決めていく。抗えば暴力だし、逃げれば誰かがそれを負う。
今ならありえないレイプが当然で、周りの意識を変えていくなど到底無理。
ソフィアやシュグの振る舞いのように、そうよ抵抗しなくては!とは私も思えなかった。したくても後が怖すぎて、行く場もないからできない。
なのでセリーが言う、「生きている」それが何にも勝る価値なんだとよく理解できた。
どう生きるかを選べるどころか考えてよい自由すらなくても、どこかに希望を探して、いつかの自由を信じて生きるしかない。選べる範囲でごくごく小さな選択を少しずつするしかない。そう思わされた。
そして、女が男に支配されずに自由の息を吸うには、とにかく、手に職。男よりもできる何かを身に付けるしかない。1900年代からそうなんだなと思った。
家の建て方や作りは、ディズニーランドの至る所で見受けられるカントリーな感じ。トムソーヤにビッグサンダーにスプラッシュに、全部そんな雰囲気。
そういう粗野なスタイルが、小洒落た雰囲気に作り上げられて商業化されているが、実際には時代を反映した、低所得層の噛み潰している苦虫生活そのもの。酒場など、知識も教養も身につけようがなく畑仕事をするしか生きる術がない者達の発散場だから荒れ者が出る。だから、スプラッシュマウンテンが停止にするほど、アメリカでディズニーを快く思わない人がいるのもわかる。
黒人だけでなく、人権侵害や虐待の影響は、本当に本当に根深い。
そして、この作品を観て、過去の被害やトラウマが掘り起こされるなどなく、基本的人権がある中で生きてこられた有り難みを感じた。
強く生きなきゃ!!て思た。
すごく良かった!
ミュージカル版じゃないほうの映画は見たはずだけど、
記憶に残ってなかったので、展開の先読みとかナシで。
冒頭の曲がイイ感じで。
なんだか、必死に生きてきた(であろう)両祖父母のこととか、必死に僕を育ててくれた両親のこととか、今も必死に生きてる弟のこととか、若くして亡くなった姉のこととか、いろいろ考えて。『強く生きなきゃ!!』て思た。
仕事とか生活とか健康とかアラフィフ独身とか、色々あるけど、『強く生きなきゃ!』て。
ミュージカルとしては、冒頭の曲と、シュグとのデュエットの曲とか、素晴らしかった。
シュグ役の人が山村紅葉さんに見えて(^o^)
あと、産婆さんってウーピー・ゴールドバーグだった??クレジットには出てこなかったような気がして、見間違い??
ミュージカルに救われる辛い内容
1986年に公開された時のこの映画観たはずなのだけど、十代だったわたしにはあまりに辛すぎる内容だったということ以外細かい記憶が残ってない。当時、ETでスピルバーグを認識して、そのスピルバーグ監督の新作と観に行ってETとの違いに衝撃を受けたという記憶は残ってる。
さて、今作はミュージカル、ほんとにストーリーは辛すぎるのだけど、黒人社会のミュージカルとあって、ゴスペルやブルースのような音楽が全体を明るくしてる。
でもほんと、ストーリーは辛い...
新しいアプローチで作られた現代版カラーパープル
ザ・ミュージカル映画!
どのナンバーも素晴らしく、実際にブロードウェイの舞台に立っているファンテイジア・バリーノをはじめとした、実力あるキャストたちの歌声と存在感はさすがと言えます。
魅力的な楽曲と圧巻の歌声への感動を加味しての評価です。
事前にスピルバーグ版を視聴していた事もあり、ストーリー性に関しては正直そちらに軍配が上がるなと感じてしまいました。
性的虐待や暴力、男女・人種差別描写、それらによる登場人物たちの痛みや苦しみに対する解像度や重みの比が違うなという印象は否めません。
結末に関しても個人的には前作の方がしっくりきました。
しかし、今作はあくまで舞台版を脚色したミュージカル映画。
頻繁にミュージカルを観劇する立場からすると、実際に舞台上で演じられている作品の様な場面展開にはテンポ感の良さを感じましたし、小説ベースの作品とはアプローチが異なるのも納得できます。
演者の実力ある歌唱によってストーリーが補完されている部分も多く、作品が伝えたい言葉やメッセージを心震えるような歌声でもって感じることができるという点では、ミュージカル映画としては正解だと感じました。
(ミュージカルに不慣れな方からすると、逆にそれらが不自然に感じられるかもしれませんが…)
どのキャストも素晴らしかったのですが、個人的にはダニエル・ブルックス演じるソフィアの存在感が抜群でした。
彼女が歌う ”Hell No!” の素晴らしさで一気に心を鷲掴みにされましたし、スクリーンだけでなく実際にブロードウェイの板の上で歌う彼女をこの目で観たかった!と、強く思わされました。
ソフィアという女性の芯の強さを持ってしても折れてしまう程の、差別と現実。それを経験しても尚、再び強さを取り戻して蘇った彼女の生き様は、簡単に真似できるものではありません。
セリーが強さを顕にした食卓のシーンで、ソフィアがセリーの事を神だと思ったと告げますが、前作同様に、このシーンでは涙が止まりませんでした。
ソフィアという女性を見事に演じきったたダニエル・ブルックスに拍手を送ります。
主人公セリーを演じたファンテイジア・バリーノも素晴らしかったです。
セリーは一見するととても弱い存在に思えますが、決してそうではなくて、あの過酷な環境で苦しみながらも生き続けるだけの強さを持っている女性なのですよね。それを表に出せるだけの勇気と覚悟が、まだ持てていなかっただけ。
そんなセリーが、ソフィアやシュグといったタイプの違う女性たちの強さに影響を受け確実に変化していく様が、説得力のある演技と歌声で表現されていました。
生まれ変わった人生を美しい笑顔で伸びやかに歌い上げる “I’m here” は、涙無しには観られませんでした。この曲を歌うのが、自分の努力によって手に入れた場所というのがまた良いですよね。
ラストはミュージカルらしいハッピーエンド。
これまでの経緯を思えば、セリーがミスターという人間を赦す事は並大抵の努力では無理であろうと感じてしまいます。
しかし、神は人間に ”愛と赦し” を与える存在なのです。
大雨の夜に畑に倒れたミスターは、神に赦しを乞い、叫びます。目覚めた彼が手にしたあの一通の手紙は、まさしく神からの贖罪の恵みであったのではないかと感じます。それを正しく受け取り行動した彼を、神はその愛でもって赦されたのではないでしょうか。
そして、そんな彼を神のように広い心によって赦したセリーの元へ、最愛の妹が子供たちと共に戻って来るのです。
ソフィアがセリーの中に神を見たと言った言葉が、ここでも思い出されました。
“あなたのことを考えなかった日はない”
“私の魂はあなたのおかげで乗り越えられた”
優しく力強い歌声による “SUPERPOWER (I)” と共に、セリーの半生が映し出されるエンディングがまた素敵でした。
キルトのような鮮やかなイラストでダイジェストのように流れる彼女の半生は、裁縫という武器で人生を立て直したセリーが、これまで必死に紡いできた生きた証なのですよね。
自分の中の神と和解し、これまでの痛みや苦しみを赦し、手放したセリーが、それらを思い浮かべながら歌っているように感じられました。
前作でソフィアを演じたオプラ・ウィンフリーと監督のスティーヴン・スピルバーグに加え、音楽を手がけていたクインシー・ジョーンズが製作総指揮として参加。主演を演じていたウーピー・ゴールドバーグのカメオ出演もあり、前作へのリスペクトを感じつつも全く新しいアプローチで作られた現代版カラーパープルでした。
0.01%の幸せとも呼べないくらいの幸せ
酷い境遇だ。
でも、生きてさえいれば幸せが訪れるって事なのだろうか…とても不可解だ。
おそらく10代から話しは始まって、その時点で子供を産んでて、更に孕ってる。産まれた子供とは、直後に引き離される。ろくでもない男に嫁がされ、DV以上の事が続く。家の中で人権など認められてないような扱いだ。その旦那は、シンガーに入れ上げ、その世話をやらせる始末。
…そういう時代だったのだろう。
事実上の奴隷制度や人種差別が大手を振って通りを闊歩してる。
まるで生き地獄だ。
そんな彼女も晩年になって幸せを掴むのだけど…生き別れた妹と再会し、子供にも会い、孫にも出会う。自分に地獄を味合わせた元夫とも笑い合える関係だったりする。
生きてさえいれば、報われる時は必ずくるって事なんだろうか?まぁ生きてるだけでも駄目なのだろうけど。
最後の唄だけに何故かウルっとする。それ以外の時間は早く終われと思ってた。
つまり、俺には立ち去る選択肢があって現実ではない。でも彼女は逃げられない。
オリジナルの公開当初はもっと肌感が強い時代でもあったのだろうと思う。
アレが繰り返される事はないだろうとは思うけど、露骨てはなく水面下では行われてる節もある現代にうんざりもする。
99%の不幸の中、訪れる1%の些細な幸せがあれば、人は生きていけるのだろうか。
彼女は常に絶望と隣り合わせにいる。そんな中でも生きる糧を見出す。妹の存在だったり、友人だったり。まるで不幸が当たり前だから、慣れきってしまってるようにも見える。
時代に殺されかけそうにもなるのだろうが、ある意味強い。
神の御心のままになんて言葉が頻繁に出てくるけれど、それを隷従とか盲従に捉えてしまうのは俺の奢りなんだろうな。
晩年ではあるけれど、彼女の我慢が報われて良かったと思う。
脚本は普通だが音楽は素晴らしい
素敵な話だとは思うが、正直、話の運び方とか演出は普通…
ミュージカルらしい元気いっぱいなダンスと音楽は華やかで前向きなものばかりで良かったです。
主人公が覚醒するまでが長くて、せっかちなイマドキ視聴者は辛い…パパも旦那ももっと早く殴って蹴って沼に沈めとけと思いました。
黒人差別・女性蔑視の時代に強く生き権利を主張した女性たちを讃える気持ちは伝わってきましたが、その分男性が見るには辛いかも?
愛情深い男性も出てきましたが、基本的に男性が悪役、女性が正義というスタンス。悪い女性が居ない。
でももう予定調和でも良い。
約束されたハッピーエンドは泣けました。
ミュージカルにする前が想像できないくらいミュージカルで、サウンドトラックが聞きたいです!
全ての女性へのアンセム
どの曲も素晴らしいのはもちろん、歌も踊りも演技も、みんなパワフルで素晴らしい。
ミュージカルとして、本当に楽しめる映画でした。
時代ということもあって、なんの意識も無く息をするように男尊女卑をする男達。
流石に、今の日本では、そこまでの男性に会ったことはありませんが、程度の差こそあれ、未だに意識無く女性軽視な発言や態度を平気でする男性っているので、映画は過去の話であっても、とても考えさせられるストーリーでした。
男性や女性、人種などでは無く、ひとりひとりが個の"I(私)"として存在し、互いに尊重し合える世の中になれば良いなと改めて感じました。
黒人女性の敵は黒人男性
いやひどいな。女はモノか?というような扱いを受ける女性たち。白人からではなく、黒人男性から。父親だったり配偶者だったり。でも、黙ってない女もいる。根っこのところに明るさがあるためか陰々滅々にはならない。
全編を通じて、どっちかっていうとふくよかな女性が出てきて、堂々と美女アピールしている。大地に生えた大きな木のようでたいへん安定感がある。だから男に対抗できるのかな?
人生あかるく生きたもん勝ち。
パワフルすぎる女性「三英傑」。
こんなに力強さにあふれたミュージカルは見たことがない。セリー、シュグ、ソフィアの3人の女主人公は、見た目もパワフルだが、生き方もパワフルだ。そして歌とダンスに最初から最後まで圧倒される作品だ。。
簡単に言ってしまえば、セリーが人としての誇りを勝ち取る物語である。前半のセリーの状況はあまりに過酷である。義父から性加害を受け、見も知らない中年男の妻として家畜の様に売り飛ばされ、夫からは暴力的に扱われる。唯一の心の支えだった妹のネティとは生き別れてしまう。セリーもこれが自分の生きる定めだと半ば諦めているような所がある。それがソフィアとシュグという強くて自立した女性達と付き合っていく中で、変わっていくのを見るのがとても楽しい。彼女にとってソフィアとシュグは憧れる存在ではあるが、自分とは違うと思って、なかなか自分を変えようとはしない。しかし交流を深めるにつれて、彼女の内から本来の自分を取り戻したいという気持ちがどんどん強くなっていくのが分かる。その原動力になった3人の友情というか、結びつきは本当に心地よくて力づけられる思いがする。
あることをきっかけに、セリーは生まれ変わる。自分を肯定し、自分の意志で生きていくことを決意する。それはタイプは違うがソフィアやシュグと対等な存在になったということでもある。
「神の赦し」のような、キリスト教的なにおいは少し気になるが、人間の尊厳みたいなものを、こんなにも力強く分かりやすく表現した映画はあまりないだろう。
個人的には、リトルマーメイドのアリエル役、ハリー・ベイリーが出ていたのが嬉しかった。
信じ続ける女性
1900年代初頭から中期のアメリカ社会における黒人女性の置かれてる立場を主人公の目を通して描く。
生きづらい時代の中で虐げられる彼女の目を通し、妹を信じ仲間を信じ生きる様がとても情熱的に描かれている。
またその情熱を歌に乗せることで、その想いがストレートに心に響いてきた。
重厚なドラマのミュージカルとしても楽しめた。
昔の方が面白かった、比べるのもどうよと思うけど
昔観たインパクトが強くて(1回しか観てなくてそれも40年くらい前なのに)あーここはエピソードの人物が違ってる!って気になってしまってそれも没頭できなかった理由です。昔の方のエピソードで一番覚えてる、「黙ってろ!」と夫に怒られてそれからまったく何十年も口をきかなくなったエピをミュージカルでみんな歌うのにどうするんだろうとある意味ワクワクしていたのですが、そこ、なかったですね・・・
ミュージカル好きですが、よいなーと思った曲が1曲しかなく、それも観賞後残らなかった。字幕が上手くない。特に歌詞。
昔の物は観ずにこれだけ観てたらまあまあかも。ウエストサイドストーリーもリメイクしてたけど、昔監督した当時の流行り(ベストセラー)を、今この時代に作り直すスピルバーグ(が作り直してる訳ではないけど)の思惑を知りたい。
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