「クリスチャンの素晴らしい信仰の姿を描いた作品」カラーパープル 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)
クリスチャンの素晴らしい信仰の姿を描いた作品
●はじめに
『カラーパープル』(原題:The Color Purple)は、2023年制作のアメリカ合衆国のミュージカル映画。
アリス・ウォーカー原作のピューリッツァー賞に輝いた同名小説をブロードウェイでミュージカル化した作品を基にミュージカル映画としてリメイク。
1985年の映画版はスティーヴン・スピルバーグ監督の初めてのシリアスドラマでした。 第58回アカデミー賞で、作品賞、助演女優賞(2人)など、10部門(11人)で候補に挙がったのに、結果的には無冠に終わりましたが、この作品に巡り合い、スピルバーグの人間を見る温かい目に、深く感動したものでした。
このリメークにはスピルバーグも積極的に後押し、前作でソフィアを演じてアカデミー助演女優賞にノミネートされたオプラ・ウィンフリー、前作で音楽を担当したクインシー・ジョーンズの3人が製作に参加しています。
●ストーリー
1909年に始まり1947年までの38年間にわたるアメリカ版“大河ドラマ”横暴な父に虐待され、10代で望まぬ結婚を強いられた女性セリー(ジョンソン:ファンテイジア・バリーノ)。唯一の心の支えである妹のネティ(ハリー・ベイリー)とも離れ離れになり、不遇な日々を過ごしていました
女性の権利を一切認めないセリーの暴君の夫ミスター(コールマン・ドミンゴ)によって様々な虐待を受けながらも、たくましく生きていき、型破りな生き方の女性たちとの出会いや交流を通して自分の価値に目覚めたセリーは、不屈の精神で自らの人生を切り拓いていくのです。
やがて長い間消息の途絶えていた二人が、最後に夢の再会を果たすというもので、大筋においては前作と同じです。
●感想
前作のウーピー・ゴールドバーグに代わって今回セリーを演じるのはファンテイジア・バリーノ。ステージ版でもセリーを演じ、他の持ち歌でグラミー賞も獲得した歌唱力はすばらしいものでした。
一般的に、リメークが前作を超えることは少ないのですが、この作品は、ミュージカルという新しい要素が加わったことと、クリスチャン的には、前作よりも福音のメッセージがより明確に出ていることが特長です。わたしはクリスチャンではないのですが、同じ信仰を持つものとして、困難な人生に屈そうとせず、立ち向かっていくセリーの信仰の強さに、クリスチャンとしての信仰の素晴らしさを感じました。
クリスチャン映画の名作『祈りのちから』に匹敵する信仰がテーマの作品として、お勧めします。
●解説
・差別は黒人差別だけでなくあらゆる人間の中に“差別”は存在することを
アメリカの人種差別というと、まず白人の黒人に対するものと考えますが、この映画には、白人は市長夫人1人しか出てきません。あとは全て黒人で、黒人同士の間で、あからさまな差別と虐待が繰り広げられることに、正直驚かされます。端的に言えば、人種や性差や社会的身分などにかかわらず、あらゆる人間の中に“差別”は存在するということ。それは自分を他者より優れているとする心で、虐げられた黒人の中におこりがちなコンプレクスが、余計にセリーへのDVを激しくしていたのではないでしょうか。
・黒人社会の男尊女卑
本作では、この時代の黒人女性は奴隷のように扱われていたことが克明に描かれます。セリーの父親(実は育ての親)からは、セリーに近親相姦を受けて出産するものの、赤子の隔離と人身売買にされてしまうのです。そして子猫を譲るようにミスターのもとへ結婚を強要されるのでした。
それはほかの黒人女性でも大差なかったのです。
・40年間ソフィーに希望を灯し続けたものとは
約40年にわたる夫からのDV、暴力による差別・抑圧の中で、ソフィを耐え抜かせる力となったのは、一つは美しくも不屈の姉妹愛でした。夫のミスターが妹ネティからの手紙を姉セリーに隠して見せなかったため、40年間も音信不通だったのに、二人の姉妹愛は、決してなくなりならなかったのです。
もう一つは、親友シュグの励ましです。夫のミスターから、長年にわたって「ブスで不器用な料理下手で、何一つ取り柄のない女」と言われて虐待され、本当の自分を見失い、夢も希望もなくしていたセリーに、一人の人格を持った女性として、強くたくましく生きる勇気を与えてくれたのは、「あなたはすばらしい」と励まし続けたシュグの愛があったからでした。
また市長夫人の強制投獄で、すっかり気力を失ってしまったソフィアに再び高らかな笑いと生気を取り戻させたのは、男たちへのセリーの毅然とした態度でした。その源泉となったのはシュグの励ましの言葉があったからこそなのです。
人は、良き友があってこそ、逆境の中でも真の自分の存在価値を見いだし、そのさらなる追求を目指して生きる力を取り戻せるのものだと感じさせてくれました。
さらに、ソフィーは自分が苦しいときこそ、ゴスペルを歌い、主との一体感を深めて、自らを信仰の世界へと奮い立たせたのです。だから40年間一貫して、妹との再会を信じ、前向きに突き進むことができたのです。
・クリスチャンならではの和解と悔い改めの素晴らしいシーンも用意されています。
まずは牧師の父と放蕩娘のシュグが和解するところ。
今回は、教会の中での二人だけで、父のピアノで娘がゴスペルを歌い、娘は父の胸に涙ながらに顔をうずめる、というシーンになって、神父の父親と娘の赦しと和解を象徴する美しさを前作よりも際立たせていました。
・夫ミスターの回心
妻セリーが彼のもとを去ったあと、独りで作物を作っていたミスターの広大な畑に害虫が発生し、駆除のために全作物を燃やした彼は、収穫を全て失ってしまいます。そして絶望して土砂降りの雨の中を歩くうち、落雷の恐怖の中で、これは長年のセリーに対する自分の態度に対する神の怒りの裁きだと気づき、悔い改めるのでした。
彼は、泥の中に体をうずめながら、「改める!」と何度も絶叫するのです。その言葉は、クリスチャン的に言うなら「悔い改める」ということです。
彼は別人のような優しい男になります。そして、セリーの妹ネティの一家がアフリカから戻るための渡航費用を、自分の土地の一部を売って用立ててあげるのです。こうしてセリーは、40年ぶりに妹ネティと、また出産と共に取り上げられた2人の我が子との再会を果たします。
前作では、彼は、再会した姉妹の喜ぶ姿を遠くから眺め、立ち去るのですが、今回の彼は、洋装店を開いたセリーの店を訪れて、売り上げの足しにと派手なパンツを買うだけでなく、セリーたちの晩餐会にも顔を出し、妹一家の招待計画まで知らせます。ここは前作に比べてベタな感じがします。
それでも本作の監督は、多くの女性が重要な役割を果たす中で、1人、このミスターに、前作より大きな役割を担わせたと思うのです。
それは、どんなに極悪非道な人間でも、神の前に悔い改めれば、必ず人生を“やり直す”ことができることを語りたかったからでしよう。そして「真の悔い改めはその実を結ぶ(償いの行動が伴う)」という聖書の真理を、クリスチャンだけでなく全ての観客に、スクリーンでも明らかにしたかったに違いありません。わたし的にいえば、悪人こそ救われるという、「悪人正機説」なのです。
2 時間21分の映画を観終わってみると、人間一人一人の人生とは、まさに人生の問題集を説き明かしていく魂の修行のようなものだと思います。どんな苦難にも自らが解けないようなものは用意されておらず、どこからに答えが用意されているものです。そして、諦めずに苦難困難に立ち向かっていると、自分の守護霊や神さまもちゃんと助言を送ってくださっているものなのです。
映画の中で、前半では「♬神の御業が働く」と歌われ、ラストでは「♬神の御業が見える」と歌われます。苦しいことも、悲しいことも、全ての人間の営みの背後には、神の御業が人生の問題集のとおりになされているのです。そして人がひとたびそのことに気づくと、私たちには神様の御業がはっきりと見えるようになるのです。それは、まさしくこのみ言葉のとおりです。
その時、セリーも、ネティも、シュグも、ソフィアも、そして観ている私たちも、主を仰いできっとこう言うと思うのです。
「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。」 (詩篇119:71)
クリスチャンではない人でも、いま逆境の渦中にある人なら、本作をご覧になって、人生の苦難の見方がガラリと変わる作品となることでしょう。
公開日 :2024年2月9日[1]
上映時間:141分