PLAN 75のレビュー・感想・評価
全88件中、41~60件目を表示
駆除される老人
なんだコレ?
新手のホラーか?
見事に誰の得にもならない映画だったなあ。
あのブラジルの女性の役所はなんだったんだろ?
その制度の外側にいる視点だとして…寄付や譲渡が自然に行われる事実を普通と思うか、幻想と思うか、そんな事を問う為の、民意のバロメーター的な事なのだろうか?
常識のあやふやさに笑いはしたけれど…健康診断の時に流れる政府広告なのか啓蒙ビデオなんかは分からんが、おもしろかったなぁ。
一種のプロパガンダなのかな?
こんなに長くやる話しじゃないんだろな、元々。
導入の独白にはドキッとする程の説得力があって煽られもするのだけれど、その後の世界は、その犯罪を肯定したような世界観。いわゆる大麻を合法と認めたような事なのだと思う。経済効果が莫大な為、一転して全肯定的な。
選択権は与えらるものの、ほぼ一択な未来。
自死を推奨する政府。
不必要だと隔絶する社会。
寿命によるコミュニティの崩壊。
降り注ぐ孤独。
いずれ、必ずくる死という未来。
ここが終着。だから死ぬという事が問題ではないのだと思う。問題は「生き辛さ」なのだろう。
作品に出てくる先輩方は、皆さん生き辛そうだ。
同時にプラン75を選ぶ必要がない富裕層の人間も描けばよかったのに。政府関係者とか。
そしたら色んな制度が誰の為であるか、より浮き彫りにもなってくるだろう。
テーマがテーマだけに掘っても掘っても、明るい未来な要素が見つからず…自分達の将来ながら絶望感でいっぱいだ。
安楽死と混同されそうな話だけれど、経済的困窮からの解放を同義としたら、世界中の宗教的な教えは、根底から覆されるような気がする。
総じて、編集は良くないように思う。
これは政府による人殺し映画だ
少子高齢化で、今後の年金が減額されていく可能性が高いため、題材になったと思われます。
あくまでも個人的な感想です。
まず、政府による人殺しについては、劇中のコールセンターの場面で、ある女性がプラン75を申し込んだ人は、思い返して死ぬのを止めるケースが多いので、上手くこのまま死ぬ方向に誘導してねと助言するセリフがありました。
国ではなく政府としたのは、ヒロム(磯村勇斗)がプラン75の看板を立てた時に、誰かから泥のようなものを看板に投げつけます。この状況から、反対派がいる事が推察でき、政府主導による政策と解釈できます。
その他に、死体処理者が死体の眼鏡、時計、お金を盗む行為は、犯罪行為であり不快です。
また、外国人労働者を美化しており、将来、日本を外国人が乗っ取るような感じを受けます。
最後の方に、ヒロムがおじの遺体を車の助手席に乗せて、火葬場に向かうシーンも違和感が残りました。
しかしながら、以上のような点を除けば、映画自体の完成度は高く、終始引き込まれました。ミチ(倍賞千恵子)のラストの行動に救いが残り、ホッとします。
評価の難しい映画だと思います。
ずっしりくる
ちょっと前に寅さんをシリーズ全作を通して見たので、倍賞千恵子はさくらにしか見えず、あのさくらがおばあさんになってしまっていることにまずずっしりくる。その上75歳で自死を選ぶシステムが本当にあり得る感じがして、うちには78歳の母がいて本当に苦しくなる。僕自身53歳でそんなに先の事とも思えないため、生きていくのがつらい。
人間の自然なリアルを捉えた秀作でしたが‥
(完全ネタバレですので映画を見てから必ず読んで下さい)
映画を見て監督は結構、人間の嫌な部分をリアルに捉えて表現する人なんだな‥と苦笑していました。
例えば、主人公の角谷ミチ(倍賞千恵子さん)が植木鉢に切った爪を肥料の為に?撒いていく場面や、PLAN 75サポートコールセンターの成宮瑶子(河合優実さん)に電話で(双方向でなく)自身の話を一方的に話す場面や、ミチの職場の同僚が退職の送別会で若い後輩からもらった花を後でそのままゴミ箱に捨てる場面など、そういう嫌な感じリアルであるよね‥の描写がそこかしこに表現されていました。
この映画は、増え過ぎた高齢者を殺害する若者のテロ場面から始まります。
しかし、この映画での高齢者のちょっとした様々な嫌な表現は、確かに高齢者の存在を鬱陶しく思わせて(もちろんあってはならないですが)高齢者を殺害する若者の気分も共感させる内容になっていると思われました。
PLAN 75サポートコールセンターの成宮瑶子は主人公のミチに共感し、最後にミチがPLAN 75に参加するのを止めようとミチに連絡しますが、ミチは既に身辺整理で自宅の電話は外していて通じぬままでした。
成宮瑶子は、このような事態を招いている責任はあなた達にもあるのではないかと、訴えているような目で最後、私達観客をカメラ目線で見つめます。
しかし私は、(おそらく監督の化身とも感じた)成宮瑶子(河合優実さん)のカメラ目線に対し、いやいや、このような事態を招いている中に、高齢者の嫌な部分をリアルに表現しているこの映画(監督)も加担していますよ‥とは思われて苦笑しました。
もちろんこの映画での高齢者の嫌な部分の表現は、誇張はなく表現されていて、リアリティがありました。
しかし本当は映画として、そんな嫌な部分を肯定した上で、高齢者のさらに奥の裏の心情をもっとしっかり描く必要があったのではと思われました。
私は、例えば、送別会でもらった花をゴミ箱に捨てていたミチの同僚も、嫌な部分を描いたのと同じぐらいに、そこに至るまでの裏の深い心情を描く必要があったと思われました。
ところでこの映画は、女性側の高齢者は主人公ミチやその周りが割と嫌な感じで描かれていたのに対して、男性側の高齢者は幾分かは優しい視点で描かれていたように感じました。
PLAN 75の市役所の申請窓口担当者の岡部ヒロム(磯村勇斗さん)は、PLAN 75の申請に来た長年音信不通だった叔父の岡部幸夫(たかお鷹さん)と再会します。
この岡部ヒロムの叔父の岡部幸夫に対する表現は、主人公ミチら女性高齢者と比べてそこまで嫌らしさはなかったと思われます。
むしろ、叔父の岡部幸夫がこれまで日本全国を飛び回りあらゆる建設土木に関わったこと、その地方地方で献血をして来たこと、が伝えられ、どれほど今の日本を築くのに貢献して来た人生だったかが伝えられます。
この女性高齢者と男性高齢者の描写の違いもこの映画の特徴の一つだとは思われました。
この映画は少子高齢化の日本についてが内容の基盤になっています。
日本の少子高齢化の原因は、人口ボリュームの大きい団塊ジュニア世代の少なくない人達が、家族を養える経済基盤を持てなかったのが大きな要因だと思われます。
今の団塊世代前後より上の高齢者が、あるいは既存産業の特に大企業が、バブル崩壊後に生き残り逃げきるために、非正規雇用の拡大などで下の世代の家族を養える構造を破壊してきたのが、日本の少子高齢化の大きな要因だと思われます。
そして少子高齢化による社会保障費の現役負担割合の増大は、あらゆる予算削減につながり、さらなる少子高齢化に拍車を掛けました。
高齢者の人々は、後期高齢者の負担の話になると怒り心頭で高齢者の人口ボリュームとも相まって声がデカかったです。
しかし若者世代の、例えば共働きでの子育て支援構造についての話にそこまでこれまで熱心ではなかったと思われます。
であるので、この映画で描かれているPLAN 75のようなアイデアも高齢者より下の世代からは言いたくもなるよな、とは思われます。
しかしこの考えはもちろん間違っています。
私達は、高齢者が壮年や若者世代の裏の心情に無関心や冷淡だと感じたとしても、壮年や若者世代が逆にそのまま高齢者の裏の心情に対して無関心や冷淡で返しては(忙しい日常では当然で仕方がないとしても)単に自分も相手と同じことをしているだけであって、本質的には間違っていると思われるのです。
このことはあらゆる場面でも同じです。
例えば政府批判をしている人も、批判相手である政府の人々の裏の心情を想像する必要があるのです。
自身が政府の裏の心情に無関心で冷淡であるなら、その批判も当然相手には届かないのです。
これは他国の人に対しても同様です。
ところで日本の少子高齢化の問題は、もう少子化対策で対応できるレベルを超えています。
その解決のためには日本は外国から移民を大幅に受け入れる必要があります。
当然、移民受け入れには文化衝突が起こります。なぜなら国によっての常識は様々だからです。
なので移民受け入れには、お互いに文化を含めた裏の心情を理解する必要があります。
それはその中に例え裏の心情を理解できない人がいたとしてもです。
ただ移民をする側は(される側の人々と違って)、その国や地域で暮らすために相手の言葉や文化や人々の裏の心情を必然的に知らなければなりません。
マリア(ステファニー・アリアンさん)は、そんな必然的に日本の人々(移民される側、この映画では外国人労働者での話ですが‥)の裏の心情を理解しなければならない一人です。
マリアは、PLAN 75で亡くなった叔父の岡部幸夫の遺体を施設から運び出す岡部ヒロムの手伝いをします。
この場面で小さな感動があるのは、淡々とPLAN 75の仕事をしていた岡部ヒロムが、叔父との出会いによって心情に変化が訪れる場面だからだと思われます。
と同時にそれに加えて、外国労働者として必然的に日本の人の裏の心情を想像しないといけなかっただろうマリアが、よく知らない日本人の岡部ヒロムの裏の心情に通じて手助けをしたからだとも思われました。
ただこの映画は、この場面と上で触れたPLAN 75サポートコールセンター成宮瑶子がミチに最後電話した場面以外は、相手の裏の心情に通じる描かれ方はほとんどされていません。
主人公のミチも最後の場面になっても、なぜ自分がこのようなことになっているのか分からないままだったと思われます。
リアルとしてはそうなんでしょうが、映画としてあるいは人間の本質としては、この映画は相手の裏の心情表現が全体として希薄に感じ、私はそこまで感心出来る作品ではないなとは思われました。
この相手の裏の心情に無関心で冷淡な希薄さは、結局は高齢者の裏の心情も、壮年や若者の裏の心情も、外国人労働者の存在や裏の心情も、少子高齢化で移民が必要だという現実も、なぜ彼らが相手の裏の心情に無関心で冷淡な希薄さなのかも、見ないことにしようという結果になると思われます。
そしてこの映画も、相手の裏の心情に無関心で冷淡な希薄さから免れていないと伝わるのです。
もちろんこんな長文の感想を書かせ、この映画内容も含めて互いに相手の裏の心情をほとんど考えない希薄さの表現は、逆に現在の日本を正確に捉えた秀作であるのだろうとは、一方では思われました。
人間には無理。
この映画の存在を知ってから、観る前はもしこんな制度があったらってことを考えてましたが、
「もしこんな制度があったら」じゃなくて、"今"の先にはその未来があり得るってこと、それを踏まえて"生きる意味"を考えなきゃいけないんだと、思わされました。
序盤で、倍賞千恵子さんがカメラ目線でこっちをジッと見てきて、ドキッとしました。あの瞬間は角谷ミチじゃなく倍賞千恵子だった。倍賞さんが、「よくこの映画を観に来てくれたね。あなたも考えてみて」って言ってるみたいで。
後半には河合優実さんも。倍賞さんより短かったけどやっぱりカメラ目線で、「あなたはどう思う?」って言ってるみたいで、また心臓がギュッとなりました。
あの2人の目ヂカラは強かった〜。映画だから見ていられたけど、実際に対面したらきっと目を逸らしちゃう。
私は、制度としてはあってもいいんじゃないかとは思います。
年齢のせいで社会から追い出される人のいる今の社会がつくる制度として。
(逆に言えば、年齢のせいで追い出されることがなくなれば必要ないことなんだけど、そこを突き詰めると不老不死とかの話になってきちゃうからそれはちょっと置いといて)
でも現実的には、問題山積みですよね。
まず、自分自身の考えで決断できる人に限られるでしょ。
認知症とか障害があるとかで自分の考えを伝える手段を持たない高齢者は、下手したら「本人の希望です」って言って家族とか周りが10万円もらって安楽死させる可能性だってあるし。
そうしてしまいたいと心の片隅で思っちゃうのを打ち消しつつ必死に介護を続ける人だっているだろうし。
孤独な高齢者に"寄り添って"10万円を狙う輩も出てくるだろうし。てかこの映画で河合優実さんが演った成宮さんも、「ルール違反だけど黙ってれば」って実際に会ったのって、最初はそれを狙ってたんじゃないかと思ったんですよね。相手から言い出したことだし、私は"寄り添って"あげてるだけって自分に言い訳して。
「寄り添ってあげて、気持ちが変わらないように誘導する」っていうそのお仕事、健全な精神状態で続けられるものなのかな。
"死"へ誘導するお仕事だなんて、まるで死神。。
とかってことを考えると、制度としてあってもいいとは思うけど、それが健全に運用されるとは到底思えないので、人間が扱っちゃダメな制度ってことですね。
でも、高齢化社会は"今"現実にここにあって、年齢のせいで追い出される人がいるのも現実。
まずはこの現実を知って、考えて、家族や友人と話して、"生き方"を考えるきっかけとして、とてもいい映画だと思います。
最後のミチさんの行動、あれがまさに、"生きる"ってことですよね。
人間としては生きることを終わらせてしまいたいと考えたけど、殺されてる人を前にした時、生き物として自分の命を守る本能がミチさんを逃げ出させた。
あのあとミチさんはどうするんだろうってとこも含めて、考えさせられる映画です。
知らずにいた方が楽だったかもしれないけど、でも、観て良かったです。
しぶとくもがいて生きてやる。
子供の頃、祖母が入所していた老人ホームに行くたびに「早く死にたい〜」と切実に大声で職員に訴えかけるように叫んでいる一見健康そうな女性の入居者がいた。今思うと彼女は毎日がつまらなかったのか、身寄りが誰もいなくて淋しかったのか、生きている意味が見出せなくて辛かったのか。子供ながらになんとも居た堪れない気持ちになったのを思い出した。
75歳を過ぎたら自ら生死を選択できる制度が導入された社会。
自分が将来そのような状況になった時のことを想像してみた。病気で寝たきりだったら考えるかもしれない。誰かに反対されても。でもさぞかし死ぬことが悔しくて堪らないだろうと思う。
元気で健康であっても生活できない生きていけない生きる意味が見出せないと悲観するなら死んでもいいんだよって。明るい未来も希望のかけらもない内容でした。
コールセンタースタッフの若い女性。最後突然観客側であるこちらに視線を投げかける。
そうではなく、せめてくやし涙を流す姿を見せて欲しかった。それだけでこの映画の印象が少し救われた気持ちになれたのかな…と。
自ら死を選択した人間に対して誰も涙を出して悲しまないなんてそんな世界は嘘だ。
これは映画ではない。未来だ。
思っていた以上に重いストーリー展開だった。しかも序盤から。
でも、これは近い将来起こりうる事象だと感じた。
この映画を鑑賞する前は、自分がもし老人で実際にPlan75があったら、すかさず申し込む派であったが、鑑賞中から考えが揺らいだ。
日本を支えてきた高齢者が、お払い箱にされて事務的に人生を終了させられる。まだ動くのに、型が古くて省エネでないからと捨てられる家電の様な扱いが悲しかった。
絶望の中で倍賞千恵子さんの凛とした美しさが際立ち、日々の生活描写が丁寧に描かれていて最後まで目が離せない作品だった。
木内みどり主演だったら・・・号泣してたかも
PLAN75。あくまで架空の設定に過ぎないのだが、現実をもとに考えざるを得なくなってしまうことが明らか。そして、主演が倍賞千恵子。お帰り寅さんですでにすごく老けてしまったことはわかっていて、つらい。どう考えてもつらいということしか思いつかなかった。
観る前から個人的に強く思ったことは、PLAN75を受け入れるということは「負け」に他ならないのではということだった。そして、それに追い討ちをかけるような描写が、観たあとさらにそれを決定的にしてくれた。例えば、役所の職員役の磯村君が取り次いだ電話の相手先をスマホで調べ、産業廃棄物会社のホームページを見る場面。散骨以下の隠された事実。団体プランのカラクリ。身寄りのない孤独死予備軍に訴えかける。それは自己犠牲に近い善意を逆手にとっている。役所のPCを扱えなくて諦める場面は「私はダニエル・ブレイク」を想起させられた。
家の施錠はしないで下さい。これも遺品かたずけ専門業者が直ちに入り、処分されることを示唆している。さらに最後の所持品を処理するシーン。フィリピン出身の介護師が給料の高い職場として教会のNPO職員から斡旋される最終処理場。炊き出しの公園にPLAN75の宣伝のノボリ旗。臨時受付デスク。善意と背中合わせの勧誘。バケツの汚物をかけられる役所の職員。
私は騙されない❗
倍賞千恵子以外に主役(ヒロイン)は考えられないというご意見のレビューが目立つ。そりゃ、倍賞三津子では強過ぎる。三田佳子でも強過ぎる。夏木マリなんか問題外。
もし、あの女優さんが生きていたら、倍賞千恵子よりうんと悲しくて、泣けたかもと思った。
それは、木内みどり。
「10万円の最後の報酬」は安過ぎる。若い女性監督はケチだなぁと思ったが、悪質な公共事業を強調するためだと呑み込んだ。
コールセンター職員役の河合優実との1日15分のやり取りだけが楽しみだ。
オヤジ目線で恐縮だが、ボーリングまで付き合ってくれたら、もう死ぬ選択肢は霧散して、キャンセルすることしか頭になくなるだろう。クリームソーダはおかわりするに違いない。
このテーマで複数の監督作品を同時上映するという企画も面白いと思う。瀬々敬久監督だとヘブンズストーリー並みに長くなりそう。
選択できるが、これは誘導
こんな日本は嫌だ
75歳以上になると自ら死を選べる日本
自ら死ぬ事を国が認める
それが良い事って
そんなアホな世界、、、
しかし、高齢者が新しいところへ住めない、働けないは今の日本を反映している。
最初のシーンから
引き込まれる
あんなボケた映像から始まるのね
倍賞千恵子さん、とてもリアルに繊細に高齢者を演じていた。
悲壮感半端ない。
退職した自分のロッカーを布で綺麗に拭いてありがとうございますと感謝をするシーンがミチの人柄を表現されて好きだ。
磯村勇斗君も親切丁寧な役所の人を演じている。おじさんの出会いをきっかけに行動する甥。
コールセンターの河合優実ちゃんも登場少ないがしっかりこの映画のポイントになってます。
倍賞千恵子さんのミチとの最期の電話のやりとりに泣く😭
ミチ
その後はどうなるのか、
コールセンターの河合ちゃんと合流して生き延びて欲しい
そして周りの観客は高齢の方ばかりでした。皆なにを感じたのかな。
リアリティ全くなし
なんであんなところの入り口が無人で勝手にはいれて、PLANの当事者の部屋にも入れるの? ありえない。人の命にかかわる仕事の途中で携帯に連絡はいるとその場を離れちゃうの?主人公は眠くなるガスを吸っても寝ないの?当事者が他の死にゆく人が見えるってありえないでしょ。遺体を運び出せちゃうって、どんなセキュリティ?最後で一気にばかばかしくなり興ざめ。
問いかけ映画! 観た後は誰かと感想シェア必須!
見るきっかけ:知り合いのご高齢の方が興味あると言ってたり、たまたま嫁も興味があったから。
この映画の話を聞く前から、私は「この裕福な日本はいずれ生きることに対して、悩む人が出てくると思う。その解決に、安楽死制度が導入されてもおかしくない。そうしないと国がおかしくなる」と思っていたので、私の読み正しいじゃんと思って観ました。
今回の映画の内容は私の考えである、「安楽死制度を導入して国力が豊かになって良い国になって行く部分にフォーカスされる」というストーリー展開ではなかったですが、色々と感じる事が出来たので観れて良かったです。
さて、映画の内容ですが、観た直後の感想が、
「色んな人の視点で書かれてるけど、全てが中途半端だなー」です。
一緒に観た嫁は「映画では時間が短すぎる、それぞれの視点で書くならネットフリックス(笑)」
みたいな事を言ってました。
ただ、その後オフィシャルサイトで監督さんのコメントを読むと納得。「私は映画を見る人の感受性を信じています。」人それぞれの感じ方に委ねるからこそ、「で、だから何?何が伝えたいの?」という、モヤモヤした中途半端な感じになったのだと思います。
ということで、下記からはネタバレも含んで私の感想を書きます。
きっと人間は何かした後は、人と共有したいものだと思います。
高齢になったなら、なおさら。共有したいことは最近の事ではなく、大昔のことも。
主人公がコールセンタースタッフさんと安楽死の最後の日に話した時に「おばあちゃんのおしゃべりに付き合ってくれてありがとう、本当に楽しかった」と言う言葉が印象に残っています。
この映画を見て私は今後、高齢者向けのビジネスはドンドン流行るのではないかと思いました。
・高齢者の方向けにお話し聞きます。(コールセンタースタッフの会話シーンから)
・高齢者の方向け一緒にカラオケ行きます。(カラオケで楽しんでいるシーンから)
・高齢者の方向け一緒に美味しいもの食べに行きます。(特上寿司を注文したシーンから)
・高齢者の方向けあなたの思い出の場所に一緒に行きます。(ボーリング場のシーンから)
etc
PLAN75を選択されると10万円が給付されます。利用は何でもok
主人公は使い切れず(使う相手がおらず)コールセンタースタッフさんにお小遣いとして渡してました。
また安楽死の遺品整理のシーンでは、現金が入ったカバンが見つかるシーンもあります。
こういったお金のシーンを見ると、「日本はお金を使いきれずとも満足の生活が出来るなんと恵まれている国なんだろと感じるとともに、最後はお金ではなく、人との交流や生きるってことが大切になってくるのかなー」と思いました。
個人的には「死ぬときはしっかり最後までお金を使いましょう!」と言いたいです。今の日本はご高齢の方が銀行口座やタンスに入っているお金をガンガン使ってくれば本当はいいんでよね。それだけで国力は上がってくれると思います。
日本現預貯金額って約1000兆円です。家計の金融資産構成の約半分の50%が使ってないお金。世界からみたら本当に異常。アメリカなんて13% ヨーロッパ35%とか。
最後に私がこの映画を観てツッコミたくなる所、気になったところを書きます。
・なぜ主人公は生活保護受給者にならなかったのか。プライド?
・交通整理のバイトはあんなんで怒られなかったの?普通怒鳴る人が出てもいいと思うけど。
・PLAN75に反対する人のシーンが出てきたけど、どんな思いなんだろう?
・20年ぶりにあった叔父に情湧くのかな?
・主人公最後はどこに行ったのかな?コールセンタースタッフさんに連絡したのかな?
<他の人のコメントを観てのコメント>
・セキュリティのザル感、もっと死に対して厳格なシステムに
→確かに。まぁそこは映画の世界かな。
・また病魔に襲われている恐怖からも解放されると思うと、1つの選択としてあってもいいと思う。
→確かに。病魔や人間関係で鬱になっている人も多いと思うから必要だと思う。
悲しい日本の現状を垣間見た
良くこんなプラン考えたなぁ〜。幸せなうちに死ねたらなぁ、病気とかで苦しむならその前に意識がある時に自分で決断できる…安楽死はそんな感じで考えていたけど
この映画は全く違った!
人生ドン底の状態で仕方なく選択しなければならない。
仕事なくて住む所も高齢である事や無職と言う事で借りられず追い詰められて行く老女。悲しすぎ。
親と一緒になんて観れない🥲
ただこうなる未来も否定出来ない気がする。
人生何が起こるかなんて分からない。
選択して生きて行くしかないのが人の世。
あ〜辛い映画だわ。
でも今観ておいて良かったので⭐️多目👌
ラストのりんごの歌はアダムとイブ的な?アップル社?
色々浮かんだけど分からず😅
うーん、なんか惜しい
近未来日本のリアルな話だという印象だね~!
正直、今の日本はまさにこの作品の世界に向かって一直線に突き進んでいますね
75歳以上の年配な方々の面倒をもう見られないから、生と死の選択を迫る日本政府の残酷な政策に、翻弄される年配な方々や職員達
自分がこのような状況に直面したらどうしようと時々頭真っ白になり、そして、ひたすらに怖かった!
とてもリアリティーがあって考えさせられる事も多いが、ただ残念に思う面も多かったな~
何と言ってもこのプラン75の制度が意外と緩くて、個人の気持ち一つで死の選択をやめる事ができ、収容所の管理が杜撰で、抜け道が意外と多い!
死の選択がいかなる理由があっても変えられず、収容所の管理も厳重等と、とても冷酷非道で、全く抜け道がない政策制度だったらこの作品が最高に面白かったのにな~(残念)
本作は国民の面倒を見られなくなった国が、非人道的な政策制度で国民の数を減らそうとするのを描いた作品だが、同じような作品に深作欣二監督・深作健太監督の『バトルロワイアル』『バトルロワイアルⅡ』を思い出した
『バトルロワイアル』が公開する直前に政治家のクレームが入り、その政治家と深作欣二監督が激しい議論を展開した
本作も政治家のクレームが入るような全く忖度等ない思いっきりの良い作品だったら、もしかしてカンヌ国際映画祭のグランプリを獲れたんじゃないかな!?と考えると、惜しいな~と、思わずに居られないね
独居老人が都会のアパートの一室で誰にも看取られることなく、死後数か...
独居老人が都会のアパートの一室で誰にも看取られることなく、死後数か月たって液状化しているところを発見されるとかのニュースを見聞きするたびに、暗澹たる気持ちになる。
死んだところで、アパートの家主や管理人は迷惑におもうだけで、特殊清掃業者が機械的に処理していくだけ。死んでいった人は、どうしようもない寂しさや無念さを抱きながら逝ったんだろうなと思う。映画でも主人公の友人がそのような最期を遂げるシーンが出てくる。
ムラ社会が崩壊して、ご近所づきあいが無くなってしまった都会では、ホスピスのようなところに入るためにも、ある程度の財力がないとだめという現状は、なんとかせねばとは思う。政府は70になっても働けというが、この映画のように働きたくとも雇ってもらえないとか、さらには借家からも追い出されるとなると、どうしようもない。
自分も来月還暦を迎え、会社も定年退職するが、十数年後、自分が孤独死していないとも限らないのだ。
人が生きること、人が死ぬこと
映像が少し暗めで、ドキュメンタリーを観ているような感覚に陥る。どちらかと言うと身近に感じ、
あの街でいまにも生活していそうな空気感と、昔観たフランス映画を思い出すような作り方だった。
人が生きること
人が死ぬこと
もしこのPLAN75の制度が出来たら、いまの私は迷わず選択をするだろう。
間違えなく残された方に迷惑をかけず旅立てるのだから。
また病魔に襲われている恐怖からも解放されると思うと、1つの選択としてあってもいいと思う。
そしてこのPLAN75を依頼した人、仕事としてる人たちのそれぞれのエピソードがよかった。
特にヒロムくんと叔父さんのお話が実に人間らしく。じっくりと見入ってしまった。
成宮役の河合さんもよかった。
あの電話口の涙声はこちらまで感情を揺らされた。
テーマは興味深い
テーマは尊厳死。
尊厳死といえば、選択の自由や、生き方の選択といった個人の意思に注目が集まりがちであるが、実際の人間は様々な社会的関係や制度のなかで生きており、そのなかで死を選択するということが必ずしも自身の意思を反映しているわけではないことが分かる映画。
このテーマを日本の少子高齢化の問題と抱き合わせにすることで、より現実味が増してくると思われた。
ただし、そうであるがゆえに、主人公やそれを取り巻く人々の関係性をもっと丁寧に描いてほしかった。とくに、プラン75を推奨する立場の岡部と成宮の行動にいまいち必然性がないように感じた。
例えば岡部は、親戚とはいえまったく連絡を取らなかった叔父のために、なぜ制度に反抗するような態度をとったのだろうか。これまでプラン75を推奨し、実際の申請者の手続きも行っていたにもかかわらず、叔父というだけでそこまでの行動に出られるのだろうか。
成宮にしても、コールセンターの規約などを破ってミチに会いに行ったのはなぜか、たった1度会っただけでそこまで親しみを持つのだろうか。
個人的には2人とも具体的な行動に移すことなく、もやもやした状態で終わったほうがよかったのではないかと思ってしまった。
その意味では、なぜやや薄い関係の人同士で話を展開したのかと思う。
例えば、ミチに配偶者や子ども、孫、義理の息子/娘など濃い関係の人々がいたとして、そのなかで尊厳死を選択できるかといった話の展開のほうが楽だったのでは。
あえて長年会っていない叔父ー甥、プラン75の申請者ーコールセンターの職員としたのには何か理由があったのか聞いてみたい気がする。
非常に怖い映画
超少子高齢化の日本の未来を描いた映画。
役者さんの演技も演出も非常にレベルが高くて、監督の表現したい緊張感を十分に表現出来ていた。
ただ、話のテンポは遅く感じたので正直途中で眠くなってしまった。
一番違和感を感じたのが最後のシーン。安楽死を行う国の施設のセキュリティがあんなにザルなワケがない。
普通の人の選択も見たかった
主演、助演、脚本、演出いずれもすばらしかった。河合優美の演ずる案内人が主人公で応募者である倍賞千恵子に杓子定規でなく親身に接しつつも最後はそれを押し殺して淡々と対応するシーンが心に残った。このドラマでプランを選択する人たちはそれぞれ追い込まれており、その選択が哀切な感じになっていたのだが、特にとても追い込まれていなくとも選ぶ人についての描写も観たかった。私はまだ扶養家族もいるので選択しようがないが、それが無くなればこの制度を利用する誘惑にかられるであろうとも思うので。ただ、その場合、家族への説得(少なくとも表向きは)とかいろいろあるのでそのあたりも。今朝の日経のコラムでこの映画のことが触れられており、プラン60とかプラン50を望む声もあると紹介されており、はっとした。現在、中絶論争も世界で広く行われているが、これも将来(現在も)議論を呼ぶ、よい問題提起の映画であった。ヘビーな鑑賞感でしたが。
高齢社会と自殺容認という議論が多いテーマの中で貧困孤独高齢者にフォ...
高齢社会と自殺容認という議論が多いテーマの中で貧困孤独高齢者にフォーカスした脚本で、最近の日本、そして世界を蔓延しつつある能力主義からくるいわゆる「自己責任論」を突き詰めたものと私は感じました。高齢者があのように苦しむ世界にしてはいけないと思わされました。
映画としての完成度もとても高かったです。冒頭の銃のシーン、極端な排他主義や国家論、そして激しい発砲音や、カメラ目線というよりむしろ「目があった」状態を感じさせられた倍賞千恵子さんの目線のカット。作品を観ている側の、思考から五感までを一気に引き込む監督の技量に圧巻でした。
外国人労働者を話に入れたもの良かったと感じました。合作のようですのでそういった前提で作られていたかもしれませんが、シーンにメリハリが出ました。
また、日本的な要素を非常に丁寧に描いてくれたことにとても好感が持てました。ことあるごとに感謝し、モノも大切にする姿に我が国の美を感じました。理不尽に職場を去る羽目になっても、ロッカーを拭いて、感謝を述べて。死ぬ間際まで色々な人に感謝し続けて。これは世界に伝われば良いなと思います。是枝さんが万引き家族で描いた日本の貧困像とは違う、日本の誇るべき価値観がこの作品には描かれていたと感じました。
音楽、映像、演技、全てが一級品の作品でしたが、一方で脚本の余白が少し大きすぎた様にも感じました。PLAN75というとても具体的かつ直球な設定に対して、言葉数が少なく解釈が必要なシーンが多かった様に感じました。監督の意見がもっと分かりやすく描かれても良いのかもと思いました。
それでもこれはオススメです。
全88件中、41~60件目を表示