PLAN 75のレビュー・感想・評価
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PLAN75
冒頭のシーンに劇中どこからリンクするのだろう?と待っていたけど、なるほど「あの事件」のことかも?と思った私は正確だった。
全体的にカンヌで評価されやすい日本作品という感じ。暗くて辛そうで静かで人間味ある。
だけどね、劇場公開時ではなくNetflix配信で2024年に観たので磯村勇斗や河合優実が出てきた時点で「不適切にもほどがある」が脳裏をよぎりそこかしこに阿部サダヲを探してしまた。彼が出演していたらもっと違う作品になったかもね。あ、関係ない?そうね、でもこんな想像できるってやっぱ生きてるからこそ!死ぬまで楽しく生きていたいな。こころは自由だから。
現代に実現してほしい
PLAN75、むしろPLAN60は実在してほしい。映画自体はパンチがイマイチ足りない。5人の登場人物達の生き方への葛藤を描いていているけど、掴みどころがなく、中途半端で視聴者の勝手な想像に任せるのはズルさを感じる。人の人生なんて大体は中途半端なんだろうけど、映画ならではの作品にしてほしかった。
好きなフレーズは「食べたら同じよ」
タイトルなし(ネタバレ)
倍賞千恵子さんが素晴らしかったです。相変わらず声も美しかったけど、主人公の人生を本当に歩んできたような演技で嘘臭く無く、自然でとても良かったです。全編通してかなり暗く陰影を強調して撮っているのですが、冒頭の客室清掃の制服姿は、痩けた頬や深く刻まれた顔の皺がくっきりと彫刻のようで、老いが残酷だけどとても美しく、顔にはめ込まれた潤んだ濁りのある眼で時折りこちらをじっと見つめられると、それだけでドキッとするような印象的なカットも多かったです。
キャスティングも良かったです。河合美優も磯村勇斗も顔立ちが普通っぽいのでそれで得してる部分もありますが楽しみな俳優さんです。
映画としては尻窄み感が否めず、目新しさも特に無く。ラストもなし崩しに展開し、朝日のようにも見える夕日が、安易と言えば安易。色々考えさせられるし意見も割れそうできっかけにはなる作品と思います。
常々思うのですが、出生率が上がり、国が子どもを大切にして教育にお金を使わない限り、この国は滅びますね…
死にたいと思った時に自由に死ねる社会ではなく、生きていくのが辛いとか死にたいと思わなくてもいい社会であって欲しい。そんなこと言ったら眠たいこと言ってんじゃないよと叱られてしまうでしょうか?
丁寧すぎる描写
日本を知らない外国人に見せるためにはこれくらい丁寧に描いた方がいいのかもしれないが、日本人の私はすでに知っている現実社会なので、冒頭で長々と描写されて、ちょっと辟易とした。最初の13分なんて1分でまとめられるし、そのあとも省いて、早めに核心に触れてこちらの興味を引いてほしかった。ifの世界の話なのだから。
ちなみに私は高齢者、同じぐらいの年齢の方で長生きしたいという人にまだで会ったことがない。みんな口を揃えて、長生きなんてしたくない、日本でも早く安楽死が認められるといいねと言っている。私もどんどん老化していく体で長生きは嫌だなあ。女優さんみたいにメンテナンスが行き届いていればいいんだろうけどね。
国会の決議はあなた個人の決意?
実は有料配信を全く持っていないので、この映画が見たくても全くチャンスがなかった。しかし、チャンス到来。友達である、フランス語の教師が一緒に観ようと誘ってくれた。映画の最初からプラン75が「国会」で可決されたと。私は「閣議」じゃないんだねと心の中で思った。その時、友達が、『国家のために死ぬことを誇りにしている』と。だから、プラン75はその一環だと?国家のために死ぬこと?えええ!!!なんだそれと内心思った。そしたら友達は 「世界ではそう知られえている』と。そして、神風特攻隊や会社員の自殺など例にとって、私を納得させようとした。
若者が死ぬのはなぜだ?世界からも注目されている、政府のご都合主義に従う「従順な」国民? 政府の言いなりになって自分を見失っている?
国会の決議はあなた個人の決意?
友達はまた、先進国では若者の出産率が低いから、高齢者はこうなっていくんだよと。
昔の姥捨山だね。楢山節考」(今村昌平監督)を思い出したよ。でも、楢山節考」(今村昌平監督)には親子の愛があったよね。
「子供がいたって寂しいもんだ。」といって自殺をした高齢者がいるが、自分の寂しさを子供の言動行動と比べるのはもってのほかだねと思った。時々、子供がいるから幸せねと言う人がいるが、私の存在意義は子供のあるなしと関係ないと思う。関係あれば、皆さんが子供を生もうとすると思うよ。人との比較や人の恩恵で自分がどうなるか決めるのはちょっと理解し難いねえ。自分をまず見つめて分析してほしいね。
主役(倍賞千恵子)が生活保護をもらいに行きたくても躊躇っているシーンはジーンと来たね。また、その彼女の躊躇いを知ってか、いっぱいのうどんを持ってくれる人がいることも。主役のような人に生活保護を与えなきゃ誰に与えるのと思うが、本人が躊躇する。でも、身寄りがないなら、誰にも遠慮しないで生活保護がもらえると思えるが....彼女自身が許さない。
結局時間がなくて、全部見ることができなかったが、友達は全部見たようだ。彼女に、「75歳以上になって、プラン75を使う」と聞いてみた。
返事は「健康じゃなかったらそう思うと、でも健康だったらノー」と答えた。
彼女は62歳で独身で、まだ現役の先生だし、収入は無くなっても、年金は月に40万はあるだろうし、それに、確定拠出年金もあり、子供は独立して親とは住んでいないが、交流しているし.....精神的にも安定しているようだし.....健康、収入面ではプラン75を使おうとは思わないが、高齢化によって不健康になったら、考えると言うことだと思う。しかし、この世は彼女のように恵まれた環境の人ばかりではない。社会には、この映画に出たような立場の高齢者が存在するのだ。この高齢者はお荷物になったから少子高齢化対策として、国がプラン75を実施するという世の中では困る。コロナワクチンの接種で世界に『呉越同舟』の国だと証明したし、全体主義にはいりいやすい国だからね。批判的思考能力を伸ばす教育を。
現在、裕福な高齢者に対する、老人施設、旅行などで、経済の活性化を狙っているようだが、この映画の主人公のような一生懸命働いている薄給の高齢者にはどんなプランがあるのだろうか?お決まりの「自助」の一言では困るなあ。
かけがえのない日本のSF
少子高齢化が国の財政をひっ迫させ、そのツケが若者へ回っていくことで若者の生活までもがひっ迫化しているという近未来SF作品。
それが理由で老人たちが殺害される事件が多発し、政府はPLAN75という75歳以上の高齢者には死を選択できる法案を作ったことで起きる人々の生き方を描いた作品。
このサービスを申請すれば10万円がもらえる特典が付く。
葬儀費用等々は、合同葬儀にすることで無料化できる。
78歳の角谷ミチは、一人暮らしの掃除婦だが、仲間が仕事中に倒れたことで会社の信用問題に関わり、近しい年齢層すべてが引退させられる。
PLAN75のキャンペーンで翻弄する役所勤務の岡部ヒロムは、生活保護の仕事と叔父の訪問(申請)によって高齢者の生活を垣間見ることになる。
外国人の女性は日本に出稼ぎに来ている介護士。毎月の給与はわずか15万。心臓病の娘の手術費用が必要。
この作品は、この3名の登場人物たちの日常と変化を、ほとんど映像だけで描いている。まるで記録映画のようだ。
事実この「PLAN75の概念」は世界中で議論されており、いつか日本でも議論されると作者は考えたのだろう。そうなったらどうなるのか? あなたはどう思いますかと私たちに問いかけているのだ。
ミチは仕事を探しても見つからず、友達の孤独死を発見したことでとうとうPLAN75を申請する。死を選択した彼女には先生と呼ばれるカウンセラーが付き、毎日15分だけ会話することができる。
長年叔父と合っていなかったヒロムは、両親の離婚や母の再婚と父の他界を経験したことで、そういうものに心を動かされやすくなっている。
外人看護師は、パーティで仲間が手術資金をカンパしてくれ新しい就職場所を教えてくれる。それがPLAN75が執行される施設だ。やがて彼女は路上で仲間に出会うが彼女の自転車の子供を乗せる場所には子供は乗っていない。
ヒロムは車で叔父を迎えに行き、あてもなく車を走らせているように感じた。とある食堂で食事をしているとき、ヒロムが叔父に酒をすすめる。車酔いした叔父。彼をどこかで降ろした後、急に顔色が悪くなりUターンするヒロム。
ミチと会うことが禁止されているカウンセラーの女の子は、ミチの申し出を受けボウリング場で彼女と楽しむ。ミチは先生にお小遣いを与える。おばあちゃんが孫にしてやりたいことの一つだ。彼女の友人は、娘が来ることはないし孫を見たこともないという。老人たちが楽しむ場所にあるのは、捨てられていそうな古びれたものしかない。
ヒロムが向かった先にあったのがPLAN75の施設。叔父への最後に一緒に食事をしたのだ。しかし叔父はすでに死亡していた。ヒロムは彼ら死を選択し執行された者たちがごみ処分場で廃棄されることをつかんでいた。だからせめて人間らしく火葬にしたいと火葬場へと向かったのだ。スピード違反で捕まる映像についてはよくわからなかった。
叔父の隣で執行を待っていたのがミチだ。彼女は叔父の目を閉じる姿を見て執行されるのを止めたのだろう。
そして外国人女性は、遺留品のバッグの中から大金を発見する。しかし、彼女にとってそれはあまり意味がないものになっていたのだ。そして不審者であるヒロムの手伝いをしたのは、このPLAN75に携わったことで感じたことがそうさせたのだろう。
生きるということに選択を変えたミチは散歩をしていた。
そこで見た雲の間から差し込む朝日に生きているという感覚を覚えたのだろう。
カウンセラーの女の子は、食堂でこの仕事に関し講義する上司と新人の会話を聞きながら、大きな違和感を覚える。規則を破りミチと外で会った彼女は、ミチとの最後の会話で涙声になっていることが伺える。こんなことがあっていいのか? 彼女の思いは募り、帰宅後に満ちに電話するが、彼女は電話に出ない。自分のしていることとそれが正しいのかということに動揺が止まらなくなっているのだ。
この問題は身近に迫っている。SFではない。しかしながら財政が破綻することもない。すべては森永卓郎氏の「ザイム真理教」に書かれている。今我々は、昨年ダボス会議で決定した「炭素税」に対抗する準備が必要だ。完全に余談です。
終わり方が微妙
考えさせるようなエンディングを意図したのでしょうか、少し消化不要に思えました。このテーマは超高齢化社会である日本の一つの選択肢であることは間違いないと思いますが、大変難しい問題に切り込んだ良い作品だと思います。
例え高齢であっても、親族であれば(そんなことはないのですが)もしかしたら明日画期的な治療法が見つかって、元のように元気になるかもしれない、元の様ならなくてももう少し生きていられるかもしれない、もっと生きていたいと願っているかもしれない、などと考えてしまうのが当たり前だと思います。
この映画の主人公のように働く意欲もあり、元気で病気もしていないのであれば、都会ではなく過疎地で暮らすことで職を得られる可能性が大きくなると思いますが、環境をなるべく変えたくないと思う人も多いのでしょうか。
また、他に身寄りもなく孤独であれば、ただ生きている時間を長くすることに意味を見出せなくなることもわからないではありません。
いろいろ考えさせてくれる良い映画でした。
邦画らしい空気感を味わえる映画
日本の人口構成に絶望している私にとって、一つの選択肢としてあるのかなと思っていた選択的死について。
実際に日本に適用されるとこうなるよなあをリアルな温度感を持って描いてくれた作品でした。
プラン75が公的に推されることで街中にのぼりが出たりCMになったり、長生きしてるだけで罪悪感が出てきて生きにくくなるよなとか。
実際子供も孫も夫も疎遠になり1人で暮らすようになった時に金銭面での負担もあれば、1人で淡々と生きることに小さく絶望してきたり。
そんな自分にあり得る未来をありありと見せられました。自分の想像力の貧困さに気付かされました。
主人公のおばあさまが最終確認の電話でお礼を告げるシーンが本当に胸にきた。明日自分で死を選ぶのだという落ち着いた覚悟と、少しの悲しさと、人生と想いが詰まったような言葉。泣いてしまった。
結局はカウンセラーの新人研修を行なっていた方が言うように「誰も好き好んで死を選ばない」がまさにだと想いました。
日本のために、孫のために、自分の将来の不安から死を選ばないといけないような空気感や義務感が生まれてきちゃうけど、自分から死を選びたい人なんてそんなにいない。空気って本当に強いし怖い。
最後はハッピーエンドだったと思うのですが、なんともすっきりしない、したような、最後でした。私は割と好き。
邦画でしか出せないこのゆっくりとした行間と、落ち着いた音楽の間に人の気持ちが反映されているかのような空気感。私は好きでした
今からでも始まるかも🫨
事件がきっかけ?で政府が決定した75歳になったら、安楽死の選択が出来る法案プラン75が出来る。
主人公のミチ(倍賞千恵子)が、主人に先立たれ生活がギリギリでバイトも高齢がきっかけになり解雇される。プラン75を選択するが…
いやー、考えたくない内容ですが日本の未来もこうなるかも🫢
なんて思ってしまいます。
まず、政府がテレビなどで極めて安全な保健に加入出来るよーって宣伝している。
役所の人間が、炊き出ししている場所で勧誘しているのが、ぞっとしましたね。
いかにも,世のため人の為に行っていますと、善人ズラしてる事に、人が生きるとか死ぬ事はどうでもよくて、不必要な人間は消えて下さいと。
いつからか、老害なんて言葉がでてきて当たり前に使われているが、これこそが差別意識を植え付けているんじゃないかと考えてしまう。
安楽死の問題も、生きにくい世の中になっているのは何故か?年金問題?政治の腐敗?移民問題?現在進行形やん!なんて考えさせられました。
倍賞千恵子さんの演技は素晴らしいです。
ラストは、何を思いその決断にしたのかは、不明ですが、ミチさんの選択は正解だと思わされました。
今だからこそ、考えるべき作品
TVドラマで話題の磯村勇斗 さん&河合優実 さんが共演していることを思い出し、再度鑑賞。
近い将来、加速度的に進む超高齢化社会の中で、増え続ける高齢者対策として「75歳になったら自分で死を選べる法律」が出来た。「生きたい」気持ちと誰にも受けれず「見捨て」ていかれる現実のはざまで、主人公はプランに参加を決めるが・・・
という物語を倍賞千恵子さんが文字通りに体当たりで演じている。
映画は、理不尽な世の中に対して声高に訴えることもなく、老人たちの日常を淡々とつづって描いています。余計なセリフも派手なBGMもありません。最近はやりの大どんでん返しも伏線回収もありません。「この後どうするのだろう」という疑問を投げかけて映画は幕を下ろします。
大方の若いレビュアーには理解不能な作品かも知れません。予想通り「セリフがない」「主張が見えない」「暗い」「現実味がない」・・等々のレビューが散見されます。「老い」と「死」をまだ遠くに感じて、元気な老人たちしか知らない若者には違和感しかないと思います。でも、まもなく定年する私のような人間からみると、主人公が追いつめられてプランに参加していく過程が本当に恐ろしく感じます。
プランに参加した老人たちの映画の中での遺体の扱いが、このプランの真の狙いを表現していて、また恐ろしい。「自ら死を選べる」ではなく「死を選ばざるを得ない」状況を作っているのだと理解するのです。
暗く重い物語の中で、若い三人(磯村勇斗 さん&河合優実 さん、ステファニー・アリアンさん)の苦悩が、わずか一筋の光として救いとなります。特に河合優実さんの「先生」は出番は少ないものの、素晴らしいです。
現実味がない。と感じたひとはどういう現実を見ているのか。今こそ向き合わなくてはならない命題が、ここにはあると思います。
セリフが少ない
日本の未来、人生、生きることを考えさせられる
少子高齢化、年金受給年齢の引き上げ、老後資金3,000万円、
高齢者の労働問題、賃貸住宅問題…。
まだまだ若いと言われるわたしが自分の老後を考えた時に、
正直明るいばかりの未来では無いように感じてしまう。
この先さらに問題は大きくなるし、今とは違った問題も出てくるかもしれない。
もしかしたら、考えているよりもずっとずっと、より良い未来が待っているかもしれない。
起こりうるかわからないことばかり考え、若くてなんでもできる今のうちから人生に悲観しても、
悪いことや心配事は何も起きず、すべてが杞憂に終わるかもしれない。
対象者が両親だったら、自分だったら、このような政策を受けるだろうか。
両親には1日、1秒でも長く生きてほしいと思う。
苦労や大変な思いもするかもしれないが、両親や姉には長く生きてほしい。
自分がもしひとりぼっちの老後ならば、おそらくこの政策を選択する。
働き先、身体面、金銭問題。金銭問題は衣食住全てに関わる。
考えるだけで胸がキュッと締め付けられる。
ある漫画で、発見が遅くなるから困ることが多い、
すぐに通知されるようシステマチックになればいい、とあった。
映画のような、人生を悲観してしまうな政策を考えるのでは無く、
今を生きる若者が、未来を悲観しないような、待っていました!と迎えたくなるような未来を作りたいですね。
今実際にある見守りサービスを全国民が受けられるようにするとか、
より良い見守りサービスを開発するとかね。
まあそもそも子や孫などたくさんの人に囲まれているならきっと生きていたいと思う。
10年後どうなっているんだろうか。
20年、30年、40年後…。
歳を重ねるということは、隔たりなく全員が共通すること。
誰もがみんなおじいちゃんおばあちゃんになる。
自分に置き換えて、考え行動していきたい。
24.3.1 スカパー
現実離れにもほどがある
まず第一、老人議員が多い日本の国会でこんな制度を可決することは絶対にありえない!
また、仮にこんな制度があったら日本は滅ぶ。なぜなら、この国の農業従事者の70%は65歳以上であり、サラリーマンと違って厚生年金はもらえない。彼らがもし「国民年金だけじゃ生活できないし、農作業続けるのもしんどいから死なせてもらおう」となったら、日本の農業は立ちいかなくなり、食が脅かされる。農業のほかにも社会の役に立っている老人は多くいる。老人が負担だと思う人たちは、そういう存在を知らないだけだ。
今、老人が増えすぎると何が一番問題なのか、何が現役世代の負担になっているのか、冷静に分析すべきだ。日本では、老人が倒れても簡単には死なせてくれない。ほっておけば息をひきとるような老人を、手術、胃ろうや経管栄養、酸素吸入、痰の吸引などありとあらゆる手段で無理矢理命をひきとめようとする。そんな老人がこの国の病院、施設、家庭にあふれている。それがどれだけ負担になっていることか。亡くなる間際の老人の命を無理に引き止めさえしなければ、社会保険料や税金など財政を無駄に圧迫しなくてすむし、家族も介護から解放されるのだ。
この映画の主人公ミチさんのように、働く意欲もあってボウリングもできる元気な老人に、死を奨励することは明らかに間違っていて、現実的ではない。しかし、死ぬときに安心して亡くなることができる社会を実現できないものだろうか。この私も、年をとって倒れたら無理に救命措置などせず、静かに逝かせてほしい。助かってもその後に寝たきりになって介護が必要になったらと想像するだけでぞっとする。
3.8自分はどうしていきたいのかを問われる
有り得そうで妙にリアルに感じた。まだまだ自分は若いと言いつつも、必ず来る将来である。今はいいけど、その積み重ねの最後はどう有りたいかを問われる作品だった。
老人ホームやシェアハウス、最後は人同士のつながりを求めるのに、結局今は何もしていない。最後に欲しがっても手に入らないものである。今の積み重ね、それは数ではなく質。しかしそれも移ろっていく関係性。最後は看取ってもらいたいのか、孫に囲まれたいのか。理想的な最後は、自身の理想なのかを見ている最中に考えることが多かった。
それは自分のライフプラン、キャリアを考えることにもなった。時代が激しく動いていく中で、自分の高めていきたいスキルが本当に陳腐化しないのか。果たして、今の努力は「最後」まで意味のあるものなのか。75歳を超えても仕事があるのか、働いていないといけないのか。働かないためにはどうすべきなのか。すべてを逆算すると「今」に戻ってくる。
結局のところ、そんな未来を逆算して全ての「正解」を選択するのは激しく難しいと感じた。絵に描いた餅になってしまうので、焦らず、それでも一個ずつ選択を積み重ねていくしかないのだと思った。
多発する殺人事件の後に安楽死が合法化された近未来の日本の話である。...
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