PLAN 75のレビュー・感想・評価
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希死念慮を持つ私からみたplan75
私は自殺未遂を何度も繰り返した経験がある。正直、今も死にたい気持ちは変わらない。外国で安楽死を認めている国があるが、それは身体的に問題がある人のみが認められており精神的な問題を抱える人には適用されない。
対して、この映画で出てくるplan75は75歳以上の人ならどんな人でも死を選ぶことの出来る制度だ。「死にたい」と思う人には良い制度だと思う。若者の負担になりたくない、これ以上生きていても明るい未来が見えない、身寄りがない、様々な理由がある。
全国で高齢者を憎む若者による高齢者を狙った事件が多発しようとも、その事件に支持者が現れようともその人達の意見はごく少数に思う。だが、plan75の制度が出来てからのこの映画に出てくる高齢者達は「私たち生きていていいのかな」と肩身の狭い思いをしている。肩身の狭い思いからこの制度を利用する人が必ず現れる。そうなれば国が、社会が人殺しをしているのと同じだ。
植松聖が起こした障害者を狙った大量殺人事件。あの事件にも賛否が生まれる時代。私も正直正解は分からない。辛い思いをするのは障害者本人でありその家族である。ならば障害を持って生まれそうな場合は子供を産むべきではないのでは無いか。この事件でもそのような考えが社会に生まれこの事件をきっかけに子供を持たない人もいるのだと思う。それが正解か不正解かは分からないが。
現在23歳の自分の祖父母は毎日のように自分も含め、子供や孫が家に訪れる。倍賞千恵子に比べれば祖父母は幸せなのかなと思ったりもしたが、本当にそうなのか。実際、祖父母が友人と出掛けるのは年に数回(友人を多く亡くしている)だし祖父は未だに現役で仕事を続けているが祖母はほぼ毎日家と近所のスーパーの往復だ。家に訪れて話や食事を共にするだけでなくボーリングやカラオケなどたまには祖父母と一緒に行ってみようかなと思えた。
「みんな歳とるのにね」というセリフがあった。その通りだ。みんな歳をとるのに新しい職が見つからない。新しい家が見つからない。雇う側にも家を貸す側にもしょうがない事情があるだけに難しい。
理論的に言えばplan75は正しい制度なのかもしれないが、人間的に見れば正しくない制度。
希死念慮を持つ私からすれば正直安楽死制度はあってもいいように思っていた。ただ、この映画を見た事でその制度が認められることで起こる様々な問題が見えてきた。
私は自分で死を選ぶことは決して悪手では無いと思っている。ただ、制度化してしまうとこの映画で出てきたような問題が起こるのなら、自殺する人はせめて他人に迷惑がかからないように死のう。
終活を考える
75歳以上の人は健康な人であっても、安楽死を選択できるという制度「PLAN75」。国も積極的に広報活動を行い、推奨しているという架空の社会を描いた話。
未来に希望が持てない毎日を送っている老人にとっては、利用したくなる気持ちも分からなくはない。
PLAN75に関わり、恩恵を受けている側のヒロムやコールセンタースタッフの瑶子、マリア。でも心のどこかでこの制度に疑問を抱いている。しかし、思ったところで社会は何も変わらない。最後にヒロムがおじさんのために行動を起こすシーンで、少し救われたような気持ちになった。
賠償千恵子がおばあさん役を若造りなど全くすることなく演じているのが印象的。美しくて上品で、80を超えていまだ主演をはることのできる人はなかなかいない。
年のせいか、こんな制度があってもいいかな、と思えてくる。
とてもリアルだった。
他の方のレビューには、「死を選べる制度」が日本に成立するリアリティがないとの感想もいくつも書かれていた。
その通りだ。こんな法案が、どういう経緯で誰が言い出して、世論の支持を得て、国会で成立してしまうのか。まったくイメージできないし、この映画を見ても分からなかった。
それでも、リアルだった。この映画で描かれている、法案「PLAN 75」が成立したあとの日本は、いまの日本と何も変わらない。昔ほどの勢いはないけれど、世の中は比較的穏健で、礼儀正しく、親切な人たちのたくさんいる場所だった。
年をとるにつれ、仲のよかった友だちも亡くなったりする。幸い自分はひどい病気もなく、働けている。パートアルバイトなら年齢制限なども特にないし、そこそこ求人もある。住むための物件もたくさんある。それでも、いちど仕事を失うと、採用してくれるところが見つかるまで時間がかかるようになった。年配者に肉体労働をさせる職場は、お年寄りにやさしくないイメージに見えてしまうのだね。確かに、お年寄りに部屋掃除させてる一流ホテルなんてないですよね。
もう少し安い部屋に引っ越そうと思う。不動産屋さんに部屋はたくさんあるようなのだけれど、なかなか決まらない。年寄りには、なるべく貸したくないのだね。ある日突然死なれたら、あとの借り手がみつかりにくくなる。それもわかる。
娘も孫たちも、お金持ちではないけれど元気にやっている。電話すれば声も聞けるし、いっしょに暮らせたらいいなと言えば、きっと迎えてくれる。でも私は一人で暮らせてるし、そんなことお願いするのは気が進まない。私はいまのところ大丈夫だ。
「PLAN75」という仕組み、批判している若い人たちもいるけれど、そんなに悪い制度ではないのでは?とふと思ったりする。もう十分働いたし、無理に働かなくても良いのではとも思う。楽しい日々もそれなりにあった。私といて楽しいと思ってくれる人もいなくなっちゃったし。最後に美味しいもの食べて、そのまま静かに眠れたらいいんじゃないかな。そのまま目が覚めなくても。社会保障も若い人たちの重荷になっているのですよね。
倍賞千恵子さん演じる主人公の心の動きは、とても自然で、とてもよく分かる。
あと10年ちょっとで、私もその年齢になる。「PLAN75」、やっぱり気になる。1年前にこの映画を観たときのメモを見ながら書いているけれど、感想は変わらない。その日まで、1年短くなっただけ。選ぶのは私だから。選ばないのも私だけれど。
長々とした年寄りの感想文を、最後まで読んでくれてありがとう。
これ、おもしろいの?
悲しい現実…
おばあさんが今後どうなってしまうのか気が気ではない
高齢になったら社会を支えて生きてきたご褒美に安らかに
ありえそうな未来
考えが変わる映画
「PLAN75?希望者のみなのね。だったら何も問題ないよね、賛成賛成」と思って映画を見ました。
もともと私は氷河期世代としての恨みつらみが強く、高齢者優遇政策に反対派です。
強制75なら問題ありだけど、希望者75なら、何が問題?ぐらいの気持ちでした。
そんな私が
見終わると「PLAN75には反対!」と、考えが変わりました。
このように自分の考えが視聴前後で変わる映画は初めてです。すごい映画です。
もともとこういう何の説明もなく、淡々とした話は苦手です。
それなのに!
「これはこういうことかあ~」という、「説明なくとも分かる」シーンが多くて、リアリティーがあって、怖い怖い!
主人公の孤独感、炊き出しの所PLAN75の案内、もらえる10万円、テレビニュースではPLAN65にするか議論開始、産業廃棄物処理場…
特に孤独感が怖くて。
これを見た人はきっと、結婚したり友人増やしたりしようって思うんじゃないでしょうか。
人付き合いが煩わしいと思ってる若い人に見てもらうと婚姻率が上がるのでは、少子化に効果あるのでは、とすら思います。
生きることと死ぬことについての内省の中で
正直、「PLAN75」を観たのはかなり前で、実を言うと未だに何を書こうか迷っている。
誰もが迎える可能性のある「一人で死ぬこと」について思うこともあれば、「一人で生きていくこと」について考えずにはいられない部分もある。
誰だっていずれは死ぬ。歳をとればとるほどその事実は確実に自分ごとになり、逃れられない未来の出来事に対し、自分なりに受け入れ、折り合いをつけながら、先に旅立っていった人たちの人生を噛みしめる。
大人になってから随分経ったからか、いつか自分が死ぬことについて、恐怖よりも忌避感よりも、諦念とも違う、もっと身近で当たり前のような、「風邪をひいたら熱が出る」、に近い感覚で「死」を感じるようになった。
それでもやはり、自らどこまで続くか分からない「生」を手放す気にはなれないと思う。良い死に方がしたい、それは「キレイな幕引き」のことではなく、「満足するまで生きたい」と同義だ。自分の肉体が限界を迎えていないのに、精神のエゴで自らに幕引きなどしたくない。
そういう意味で、もし現実にこの映画同様の法案が成立していたら、私はこう思うだろう。
「生き辛い時代になったな」と。
この映画では、初めて身近な存在の死を思う若者たちの姿も描く。若い頃私が感じたような、見知らぬ老いた人間の記号的な「死」ではない、自分が言葉を交わしたり、人柄に触れたり、その人の人生を垣間見たりした人の「現実に訪れようとする死」が眼前に迫ってくる、悲しさと淋しさと恐ろしさ。
高齢になって、たった一人で、つましい毎日を過ごすことは誰にでも訪れる可能性があるのに、自分も当事者なのだと感じられない。うまく想像できないから、今その状況の人々を数字や記号でしか捉えられない。それが形になって襲いかかってきたとき、どうしようもなく、ただ生きていてほしいと願わずにはいられない。
いつか見知らぬ誰かが消えるのではなく、今目の前に存在している人にもう二度と会えない、それが死なのだという衝撃が、「PLAN75」の若者たちにはある。
それはもしかしたら、現代の社会構造が近しい人を亡くす経験自体を少なくしていることの現れなのかもしれない。
見送る側と見送られる側、その両端から描かれる「生きること・死ぬこと」についての思いの中で、自分の死生観を見つめ直す。それが出来る映画はなかなか無い。
ディストピア
映画。と言えばわかりやすいが
大切な問題提供を行う映画。だと表現したら人はどう思うのだろうか?
死は国籍人種出自実績地位に関わらず等しく訪れる
イベントである。この死の捉え方が歪んだ時代に生きると
こう言う世界観に引き込まれるのだろうと思った。
つまりなにを言いたいかと言うと
死は決してネガティブで陰な世界に留まる出来事ではなく
ある人にとっては最高の機会。改変ポイントであると言うことでもあるのだが、その死すら遠のき、生のみが幸福とされる実世界に縛られて囚われる事態に、実世界の不幸と救われなさ。を感じずにはいられない◎
と言う、それこそがディストピアそのものである。と言う
事実に、現代実世界に生きる人のどれだけが気づいているのか?と言うことだろう。
僕は一度死に接して死にきれなかった部類の人間である。
それ故に、自然な死に憧れ恋焦がれる毎日を過ごしているのだ。
PLAN75
現代に実現してほしい
PLAN75、むしろPLAN60は実在してほしい。映画自体はパンチがイマイチ足りない。5人の登場人物達の生き方への葛藤を描いていているけど、掴みどころがなく、中途半端で視聴者の勝手な想像に任せるのはズルさを感じる。人の人生なんて大体は中途半端なんだろうけど、映画ならではの作品にしてほしかった。
好きなフレーズは「食べたら同じよ」
タイトルなし(ネタバレ)
倍賞千恵子さんが素晴らしかったです。相変わらず声も美しかったけど、主人公の人生を本当に歩んできたような演技で嘘臭く無く、自然でとても良かったです。全編通してかなり暗く陰影を強調して撮っているのですが、冒頭の客室清掃の制服姿は、痩けた頬や深く刻まれた顔の皺がくっきりと彫刻のようで、老いが残酷だけどとても美しく、顔にはめ込まれた潤んだ濁りのある眼で時折りこちらをじっと見つめられると、それだけでドキッとするような印象的なカットも多かったです。
キャスティングも良かったです。河合美優も磯村勇斗も顔立ちが普通っぽいのでそれで得してる部分もありますが楽しみな俳優さんです。
映画としては尻窄み感が否めず、目新しさも特に無く。ラストもなし崩しに展開し、朝日のようにも見える夕日が、安易と言えば安易。色々考えさせられるし意見も割れそうできっかけにはなる作品と思います。
常々思うのですが、出生率が上がり、国が子どもを大切にして教育にお金を使わない限り、この国は滅びますね…
死にたいと思った時に自由に死ねる社会ではなく、生きていくのが辛いとか死にたいと思わなくてもいい社会であって欲しい。そんなこと言ったら眠たいこと言ってんじゃないよと叱られてしまうでしょうか?
丁寧すぎる描写
日本を知らない外国人に見せるためにはこれくらい丁寧に描いた方がいいのかもしれないが、日本人の私はすでに知っている現実社会なので、冒頭で長々と描写されて、ちょっと辟易とした。最初の13分なんて1分でまとめられるし、そのあとも省いて、早めに核心に触れてこちらの興味を引いてほしかった。ifの世界の話なのだから。
ちなみに私は高齢者、同じぐらいの年齢の方で長生きしたいという人にまだで会ったことがない。みんな口を揃えて、長生きなんてしたくない、日本でも早く安楽死が認められるといいねと言っている。私もどんどん老化していく体で長生きは嫌だなあ。女優さんみたいにメンテナンスが行き届いていればいいんだろうけどね。
国会の決議はあなた個人の決意?
実は有料配信を全く持っていないので、この映画が見たくても全くチャンスがなかった。しかし、チャンス到来。友達である、フランス語の教師が一緒に観ようと誘ってくれた。映画の最初からプラン75が「国会」で可決されたと。私は「閣議」じゃないんだねと心の中で思った。その時、友達が、『国家のために死ぬことを誇りにしている』と。だから、プラン75はその一環だと?国家のために死ぬこと?えええ!!!なんだそれと内心思った。そしたら友達は 「世界ではそう知られえている』と。そして、神風特攻隊や会社員の自殺など例にとって、私を納得させようとした。
若者が死ぬのはなぜだ?世界からも注目されている、政府のご都合主義に従う「従順な」国民? 政府の言いなりになって自分を見失っている?
国会の決議はあなた個人の決意?
友達はまた、先進国では若者の出産率が低いから、高齢者はこうなっていくんだよと。
昔の姥捨山だね。楢山節考」(今村昌平監督)を思い出したよ。でも、楢山節考」(今村昌平監督)には親子の愛があったよね。
「子供がいたって寂しいもんだ。」といって自殺をした高齢者がいるが、自分の寂しさを子供の言動行動と比べるのはもってのほかだねと思った。時々、子供がいるから幸せねと言う人がいるが、私の存在意義は子供のあるなしと関係ないと思う。関係あれば、皆さんが子供を生もうとすると思うよ。人との比較や人の恩恵で自分がどうなるか決めるのはちょっと理解し難いねえ。自分をまず見つめて分析してほしいね。
主役(倍賞千恵子)が生活保護をもらいに行きたくても躊躇っているシーンはジーンと来たね。また、その彼女の躊躇いを知ってか、いっぱいのうどんを持ってくれる人がいることも。主役のような人に生活保護を与えなきゃ誰に与えるのと思うが、本人が躊躇する。でも、身寄りがないなら、誰にも遠慮しないで生活保護がもらえると思えるが....彼女自身が許さない。
結局時間がなくて、全部見ることができなかったが、友達は全部見たようだ。彼女に、「75歳以上になって、プラン75を使う」と聞いてみた。
返事は「健康じゃなかったらそう思うと、でも健康だったらノー」と答えた。
彼女は62歳で独身で、まだ現役の先生だし、収入は無くなっても、年金は月に40万はあるだろうし、それに、確定拠出年金もあり、子供は独立して親とは住んでいないが、交流しているし.....精神的にも安定しているようだし.....健康、収入面ではプラン75を使おうとは思わないが、高齢化によって不健康になったら、考えると言うことだと思う。しかし、この世は彼女のように恵まれた環境の人ばかりではない。社会には、この映画に出たような立場の高齢者が存在するのだ。この高齢者はお荷物になったから少子高齢化対策として、国がプラン75を実施するという世の中では困る。コロナワクチンの接種で世界に『呉越同舟』の国だと証明したし、全体主義にはいりいやすい国だからね。批判的思考能力を伸ばす教育を。
現在、裕福な高齢者に対する、老人施設、旅行などで、経済の活性化を狙っているようだが、この映画の主人公のような一生懸命働いている薄給の高齢者にはどんなプランがあるのだろうか?お決まりの「自助」の一言では困るなあ。
かけがえのない日本のSF
少子高齢化が国の財政をひっ迫させ、そのツケが若者へ回っていくことで若者の生活までもがひっ迫化しているという近未来SF作品。
それが理由で老人たちが殺害される事件が多発し、政府はPLAN75という75歳以上の高齢者には死を選択できる法案を作ったことで起きる人々の生き方を描いた作品。
このサービスを申請すれば10万円がもらえる特典が付く。
葬儀費用等々は、合同葬儀にすることで無料化できる。
78歳の角谷ミチは、一人暮らしの掃除婦だが、仲間が仕事中に倒れたことで会社の信用問題に関わり、近しい年齢層すべてが引退させられる。
PLAN75のキャンペーンで翻弄する役所勤務の岡部ヒロムは、生活保護の仕事と叔父の訪問(申請)によって高齢者の生活を垣間見ることになる。
外国人の女性は日本に出稼ぎに来ている介護士。毎月の給与はわずか15万。心臓病の娘の手術費用が必要。
この作品は、この3名の登場人物たちの日常と変化を、ほとんど映像だけで描いている。まるで記録映画のようだ。
事実この「PLAN75の概念」は世界中で議論されており、いつか日本でも議論されると作者は考えたのだろう。そうなったらどうなるのか? あなたはどう思いますかと私たちに問いかけているのだ。
ミチは仕事を探しても見つからず、友達の孤独死を発見したことでとうとうPLAN75を申請する。死を選択した彼女には先生と呼ばれるカウンセラーが付き、毎日15分だけ会話することができる。
長年叔父と合っていなかったヒロムは、両親の離婚や母の再婚と父の他界を経験したことで、そういうものに心を動かされやすくなっている。
外人看護師は、パーティで仲間が手術資金をカンパしてくれ新しい就職場所を教えてくれる。それがPLAN75が執行される施設だ。やがて彼女は路上で仲間に出会うが彼女の自転車の子供を乗せる場所には子供は乗っていない。
ヒロムは車で叔父を迎えに行き、あてもなく車を走らせているように感じた。とある食堂で食事をしているとき、ヒロムが叔父に酒をすすめる。車酔いした叔父。彼をどこかで降ろした後、急に顔色が悪くなりUターンするヒロム。
ミチと会うことが禁止されているカウンセラーの女の子は、ミチの申し出を受けボウリング場で彼女と楽しむ。ミチは先生にお小遣いを与える。おばあちゃんが孫にしてやりたいことの一つだ。彼女の友人は、娘が来ることはないし孫を見たこともないという。老人たちが楽しむ場所にあるのは、捨てられていそうな古びれたものしかない。
ヒロムが向かった先にあったのがPLAN75の施設。叔父への最後に一緒に食事をしたのだ。しかし叔父はすでに死亡していた。ヒロムは彼ら死を選択し執行された者たちがごみ処分場で廃棄されることをつかんでいた。だからせめて人間らしく火葬にしたいと火葬場へと向かったのだ。スピード違反で捕まる映像についてはよくわからなかった。
叔父の隣で執行を待っていたのがミチだ。彼女は叔父の目を閉じる姿を見て執行されるのを止めたのだろう。
そして外国人女性は、遺留品のバッグの中から大金を発見する。しかし、彼女にとってそれはあまり意味がないものになっていたのだ。そして不審者であるヒロムの手伝いをしたのは、このPLAN75に携わったことで感じたことがそうさせたのだろう。
生きるということに選択を変えたミチは散歩をしていた。
そこで見た雲の間から差し込む朝日に生きているという感覚を覚えたのだろう。
カウンセラーの女の子は、食堂でこの仕事に関し講義する上司と新人の会話を聞きながら、大きな違和感を覚える。規則を破りミチと外で会った彼女は、ミチとの最後の会話で涙声になっていることが伺える。こんなことがあっていいのか? 彼女の思いは募り、帰宅後に満ちに電話するが、彼女は電話に出ない。自分のしていることとそれが正しいのかということに動揺が止まらなくなっているのだ。
この問題は身近に迫っている。SFではない。しかしながら財政が破綻することもない。すべては森永卓郎氏の「ザイム真理教」に書かれている。今我々は、昨年ダボス会議で決定した「炭素税」に対抗する準備が必要だ。完全に余談です。
終わり方が微妙
考えさせるようなエンディングを意図したのでしょうか、少し消化不要に思えました。このテーマは超高齢化社会である日本の一つの選択肢であることは間違いないと思いますが、大変難しい問題に切り込んだ良い作品だと思います。
例え高齢であっても、親族であれば(そんなことはないのですが)もしかしたら明日画期的な治療法が見つかって、元のように元気になるかもしれない、元の様ならなくてももう少し生きていられるかもしれない、もっと生きていたいと願っているかもしれない、などと考えてしまうのが当たり前だと思います。
この映画の主人公のように働く意欲もあり、元気で病気もしていないのであれば、都会ではなく過疎地で暮らすことで職を得られる可能性が大きくなると思いますが、環境をなるべく変えたくないと思う人も多いのでしょうか。
また、他に身寄りもなく孤独であれば、ただ生きている時間を長くすることに意味を見出せなくなることもわからないではありません。
いろいろ考えさせてくれる良い映画でした。
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