PLAN 75のレビュー・感想・評価
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個人的には大賛成の制度
75歳以上が生死を選択出来る制度があったら
貴方はどうしますか?
個人的には大賛成です。
65歳とか55歳でもいいです。
何故なら幸せと感じられるうちに死にたいから。
自らゴールを決めることによって
生き方は大きく変えられます。
ゴールが見えないから不安になる。
そもそも今の与党は利権関係者には
惜しみ無く税金を使うけど困窮する国民に対しては
経済制裁レベルの厳しさ。
多くの先進国がコロナ禍で減税を推し進める中
頑なに消費税を下げない理由は?
来年からはインボイス制度という地獄も。
社会保障にのみ使うと明言した消費税は
大企業の法人税減税の穴埋めに。
今年から高齢者医療費は倍増し
年金カット法案まで始まる。
財源がないと繰り返すのに
防衛費は幾らでも増やせる不思議。
老後資金に2000万貯蓄が必要と
有識者が言えば岸田総理は投資に回せと。
飽くまで政策より自己責任。
それでもそれなりの幸せもあります。
それなら幸せと感じられる
タイミングで人生を終えたい。
だから倍賞千恵子さん演じるミチの最後の行動に
何故?と思ってしまいました。
【”深刻な高年齢化社会に対し、哀しき警鐘を鳴らす作品。”早川千絵監督の作品制作の意図は、現代日本社会の不寛容な哀しき実態を、強烈な設定を敢えてする事で訴えかけているのだ、と思った作品。】
ー 今作は社会に対するメッセージと共に、”自分の死の在り方を考える”作品である。ー
◆感想
・冒頭の青年が老人ホームを襲撃する強烈なシーン。そして、彼が自身の行動をモノローグで述べた言葉に、怒りが沸騰する。
ー ”日本の高度経済成長期を支えてきたのは、70代以上の方々だぞ!何だ、その不寛容で身勝手な思い違いの思想は!”-
・そして、高齢者を社会衰退の原因と捉えた殺傷事件多発を受け、政府が”PLAN75"という75歳を迎えた国民一人一人が自ら死を選択出来る制度を導入した事がTVで流れる。
そのニュースをやや哀し気な表情で聞くミチ(倍賞千恵子)。彼女も”PLAN75"に該当するのだな・・、と言う事が分かる。
・ミチはホテルの客室清掃の仕事をしているが、同じく高齢の仲間の女性が倒れたために、馘首される。
ー ホテル側の言い分は”高齢者を働かせて可哀想だ・・、という電話が入ったからという理由だが、”何を言っている。交通整理や、公共・民間施設のトイレ掃除(とても、尊崇な仕事だと思っている。)などは殆ど、高齢者の方々がやっているではないか”と再び、不寛容な社会に対し、イライラが募る。-
・そして、倒れた女性は自宅で独り孤独死しているのを、ミチが発見してしまう。
ー 仕事も中々見つからず、ミチは”PLAN75"に申し込みをし、加入者に配られる10万円を手にする。人生の総括の値段が10万円?しかも、”共同火葬”だと?ー
・心臓病の5歳の子供を母国フィリピンにおいて、出稼ぎに来ているマリア(ステファニー・アリアン)は政府直轄の”PLAN75"を運営する会社で働き始める。理由は時給がとても良いから・・。
ー 彼女ともう一人が行っている遺品整理のシーン。アウシュビッツのナチスを想起してしまった。”PLAN75"等という愚かしき制度は、何のことはない、民族粛清を行ったナチスの行為を通じるところがある事に、気づく。-
・ミチが、”PLAN75"のコールセンタースタッフの揺子(河合優実)にお願いして、一緒にボーリングに興じるシーン。
ー 良いのか?情が移るのではないか?違和感を感じたシーンである。-
・”PLAN75"の職員ヒロム(磯村勇斗)が20年振りに叔父(たかお鷹)と出会うシーン。叔父は音信不通であったが、身なりから推測するに零落しているようだ。
だが、叔父は誇らしげに言う”日本中の橋を作って来たんだぞ!”
ー この叔父も又、日本の高度経済成長期を支えてきた事が分かるシーンである。-
・そして、ミチと叔父は偶然”その日”を隣同士のベッドで迎える。
だが、ミチは自分で死に誘う呼吸機を外し、叔父はそのまま息を引き取る。
ー このシーンでのミチの心象が、もう少し分かればなあ・・。
一方、ヒロムは、叔父を”共同火葬”させまいと、叔父の遺骸を車に乗せ猛スピードで火葬場に向かうが・・。-
<ラスト、暮れ行く夕陽を眺めるミチの表情の解釈は、観る人によって違うだろうと思う。
私は、”自分の人生を”その時”が来るまで生きてみよう・・”ミチが思い返したように見えた作品である。>
■追記<2022.6.26>
拙レビューの中で、致命的な固有名詞ミスが幾つかあり、御指摘を受け修正しました。
ご寛恕願います。ドラムスコさん、有難うございました。
念願の寿命が伸びて人類は、、、
アインシュタインの基礎理論が原爆に利用されたように、先人が長い歴史の中で知力を尽くして生み出した、医療や食糧生産技術、そして資本主義が、意図せぬ大問題を呈してしまった現代社会。カルネアデスの板のような哲学的思考に陥り、悶々と矛盾を反芻しながら鑑賞。
命の選別という重いテーマにも関わらず、この映画では誰も泣き叫んだりしない。そして絶対悪も登場しない。だから尚更、登場人物の内なる慟哭が伝わってきて辛い。
結局、献身性を制度設計のベースに置くと、みちさんの様な善良で真面目で周囲への気遣いをする人が犠牲になる。
自由意志とは、定義が難しいのだが。監督が、生きているという事、それだけで素晴らしいこと、と仰っていましたが、私も、人は生きている限り、生きているべきだと思う。病気による安楽死問題は、また別次元として。
生命への冒涜は、許されないと思う。
倍賞千恵子さん、主人公の人となり、感情を、抑えた演技で見事に好演。歌声が伸びやかで素敵でした。磯村勇斗さんも、仕事とパーソナルな感情の狭間で揺らぐ心情を上手く表現。
カンヌの報道直後のせいか、いつもスカスカなミニシアターがほぼ満席でした。それだけ少子高齢化問題への関心が高いって事だし、実際街も映画館も高齢者だらけ。
いろいろ考えさせられる映画で、学校教育の教材としても良いんじゃないかと思いました。
重いテーマでどの様な作品になるか期待してたけど、あまり心に刺さらず。
少子高齢化をテーマにした作品。
ホテルの仕事を失い生活が困難となったミチを中心に進むストーリー。
ミチ役の倍賞千恵子さん。
80才での名演技!言うこと無し。
磯村勇斗さん演じるPLAN75の職員のヒロム。
叔父さんとの接し方に泣ける。
お目当てだった河合優実さん演じるコールセンターの瑶子。
ちょい役だったけど、ミチと15分の電話で最後で言う決まり文句。
ミチに考え直して欲しい気持ちがヒシヒシと伝わって来て泣ける。
たくさんの場面で目にするPLANT75のロゴマークやCMがウザイ(笑)
作者の狙いなのか?
高齢者を洗脳させる様な感じが観ていて嫌になる。
何も改善されない感じだったけど、この手の問題をテーマにした事は評価したいところ。
集客率は想定外の100%!
驚いたのは高齢の方ばかり。
多分、自分が一番若かったかもしれません( ´∀`)
身にしみるくらいのリアリティー
大前提となっている設定だけがフィクションで、後は全て現実のものとして受け止めてしまう─それぐらいリアルなものを追求したような作品でした。
映像が力強くて、時折カメラ目線になるのになぜかそれが妙にリアルで、思わず我を投影してしまいそうになって、都度なかなかつらい感情をかき立てられてしまいました。
自分のこと周りのこと社会のこと・・・作品の中に様々な現実を見いだしてしまいます。
内容はかなりシビアだと思うのですが、不思議と穏やかで心地良い雰囲気に包まれながら作品を見つめていたように思います。それも敢えて丁寧でやさしい演技・演出のためだと思います。非常にナチュラルで、気味が悪いくらいに心遣いが身にしみてきて、もしかしたらこの制度は悪くないのかもと思ってしまうくらい、良い作品というのかヤバい作品というのか・・・
有名無名にかかわらず、演者全てのパフォーンマンスは見事なものでした。
音楽を含めた雰囲気作りも非常に良かったし、かなり見入った作品です。
受け止め方は千差万別か
トークイベント付きの会を鑑賞、上映前に監督から「余白を感じてもらえたら」の発言があったが、ちと余白有りすぎやしませんか?と感じてしまった。
人の命が限られているとしたら、どうやって生きるのだろう? それは観る人の年齢によって様々なのかもしれないが、プラン75へ送る側の若い人だってやがては命の選択をする側になるのだ。なんて考えると、うーん、非常に難しい。
結局、命ときちんと向き合わなければいけないし、一日一日を意味あるものにしようと認識した次第です。
問題提起の一作ではあると思うので広く観てほしい作品です。
話は逸れますが磯村くんの挨拶が終わり、退場すると、本編開始前に20人程の若い女性たちが一斉に劇場を去りました。
まあ、お金払っているので目的は人それぞれですが、作品に命を注ぎ込む演者さんたちは見たくない光景ではなかろうか。
リアルでグロテスク
高齢化の社会負担拡大のなか法制化された「PLAN 75」
満75歳からはだれでもいつでも、自発的に死が選べる制度
行政サービスとして導入されてる様子がグロテスク
ポップなCMやパンフレット、使途を問わない10万円の支度金、プラン申込後のフォローアップコミュニケーション
それぞれの申込者の管理番号、対象者をまとめて処置する集中的施設、残されたもろもろを整理する事後処理プロセス
部分部分民間に業務委託されてる感じ含めて妙にリアル
本作は、そういう、年間数十万件のうちのいくつかを、ざざっと説明してみた、という構成
ポーンと観客側に投げてる感じがあるけど、確かにそっちが正しいのかも
大きな仕組が社会に馴染みはじめてるなかで、個別のいちいちの葛藤にかかずらうのは意味のないことだから
さて、はたしてこれは荒唐無稽な話なのか
なお、政府としては今後、本プランの対象年齢を段階的に65歳まで引き下げていく意向とのこと
こういう設定に穴を作るべきではない
2022年劇場鑑賞143本目。
深刻な高齢化社会に対する政府の方針として、75歳以上の日本国民に自ら安楽死する権利を与え、葬儀無料や支度金10万円など様々な特典も受けられるプラン75という制度が施行される近未来を舞台に、その制度に関わる人たちを描いた作品。
最初は利用を考えていなかった老人が徐々に環境に追いつめられていく過程や、窓口になる公務員、制度の実行に関わるスタッフなど様々な視点で個人というよりは制度を描いていくような作りになっています。
ただ、表題にもあるように、制度を実行するにあたって国民に秘密にしなければならないような事をしているので、純粋にこの制度の是非を論じる以前の話で終わってしまうのが残念でした。
テーマはよかったのに…😩
近未来映画としては、とてもリアルなテーマなので、期待して観ましたが、残念でした(^^;
いろんな登場人物が、どのように繋がっていくのか、楽しみに観てましたが、ただ、それだけですか⁉️
映画のオチはどうなんだろうと楽しみにしながら観てましたが、これで終わりですか⁉️
倍賞千恵子が最後に唄っていたのは、あまりにも聞き取りにくく意味不明でした😨
テーマはよかったのに、とてもテンポも悪く、オチもサプライズもない、ただイライラするだけの映画でした‼️
息づかい
セリフというより静かな場面で聞こえる倍賞さんの息づかいから心の内を読み取る感じでした。
いつもと観る劇場は違ったけど、年配のお客さんが多かった気がしました。個人的にはPLAN65とかnowの選択肢があっても良いけど、最後のシーンのような思いになるのかなぁ・・
Plan75を見終えて
なんとも言えないきもちになった。
まさに「生きる」ということを問う映画だ。
主演の倍賞千恵子さんの言葉少ない中に
表情から観ているこちらが想像力を掻き立ててしまう。
今から70歳へ向かう人、
まだ、50~60歳に人達が
どうこれから生きていくか
深く考える時間になる。
今の日本そのもの
日本がという目線で見ると、すこしおこがましいが、自分の家族、親、子供の立場で見るととても切なく、なんともならないものかと思う。でも間違いなくその路線に日本は、社会は、現実が向かっていく姿をこの映画は切り取っていると思う。
倍賞千恵子のリアル婆さん。
超高齢化社会が進んだ日本。インフラや家電から判断すると、ほんのちょっとだけの未来話。
とにかく、ジジババばっかりの社会だ。ま、そこを強調してるだけの事だろうけどね。
で、国は老人以外の国民を守る為に、75歳以上の人が生死を選べる制度を始める。なぜこの制度が生まれたのか、衝撃的なシーンで始まり、期待度アップ。
主人公のミチは、清掃の仕事をしていたが、高齢を理由に解雇され、PLAN 75に申請するかどうか悩む。サイドストーリーは、お役所の担当者の若者2人、高齢の叔父さんを持つ男子と、ミチの担当する女子、役所とは別の業者で働く病気の子どもを持つフィリピンママ。
あれ?みんな違和感を持ちながらも、そういうモノなのでちゃんとやります的な。まるでドキュメンタリーだわ。プラス全体を通して時間の流れがジジババ。ゆっくりすぎた。
個人的には、納得いかない主人公が、国民を巻き込んでお役所と戦ったり、殺し屋と向き合う的な展開を想像していたので、ガッカリ度が半端なかったです。だって、誰もこの制度と戦わないんだもん。確かに問題提起にはなっていますが、ちょっとエンタメ度が低すぎたかな。
審査員は「姥捨山」がお好き
「第75回カンヌ国際映画祭」の「ある視点」部門で
「カメラ・ドール」の「スペシャル・メンション」を受けたとの報に接し、
思い出したのは〔楢山節考(1983年)〕で『今村昌平』が「パルム・ドール」を受賞した履歴。
「姥捨山」にも代表される「棄老伝説」は
日本では〔今昔物語集〕にもある馴染みのある説話も、
外国人の目からすれば新奇に見えるのだろうか。
野生の動物なら、老いて自分で餌を獲れなくなれば
自ずと逍遥として死に向かうだろうし、
一方で象などは老練な雌が群れを率いるとの現実もあり。
また「ネアンデルタール人」も
病人や虚弱な仲間の面倒を見る社会性を持っていたらしいことを勘案すると、
我々はよほど彼等よりも劣っているのかもしれぬ。
本作の舞台は75歳を過ぎた老人が
自身の意志で死を選択できる「PLAN75」が法制化された近未来の日本。
老人の増加が国力を弱めるとの、かなり「優生思想」に近い内容だが、
それ以外の社会的弱者にも当該プランが波及するのかは、
ここでは触れられない。
しかし、こうした一種の「ディストピア」でも、
それに群がり不正を行う集団の存在は
軽くではあるものの触れられる。
またそれは「ナチス」が、殺害したユダヤ人の死体から、
金歯や銀歯を抜き取ったとの過去をも彷彿とさせる行為。
もっとも、今の年金制度が維持されれば、
貧困のうちに死を選択する可能性は低かろうが、
それへの締め付けが前段で実施されれば、
選択の余地は無くなるだろう。
或いは、雇用の年齢範囲を狭めてしまえば猶更のこと。
実際、今でも一人暮らしの老齢者は、借家の確保が難しくなって来ていると言うし。
営々と働き税金を納め、勤労以外でも社会や国に貢献した結果がこれでは、
あまりにも報いが無い。
もっとも、それを不思議とも思わぬ、思想の形成が出来上がっているのだろう。
高齢者が希望をもてぬ社会は、若年層にとっても生き辛い世界に違いなく、
システムの下世代への波及は容易に想定されるのだが。
本作の主人『ミチ(倍賞千恵子)』はそうした下地があり
「PLAN75」を選択する。
また申請窓口を担当する職員『ヒロム(磯村勇斗)』は
あることを契機に一連の流れに疑問を持つ。
プラン対象者への心のケアを担当する
コールセンターのオペレーター『成宮(河合優実)』は
電話の先に居るのは血の通った人間であることを
今更ながらに実感する。
そうした幾つかの化学変化が、ラストの美しいシーに結実する。
個人的には、これは暗黒の社会への光明と思いたい。
劇中『倍賞千恵子』がカラオケで歌う〔リンゴの木の下で〕が
特にその歌詞が重要なアイテムとして機能する。
それは理解しつつも、自分としては、
〔下町の太陽〕を聞きたかったなぁ。
75歳なんて、あっという間なのだ
角谷ミチの担当者である成宮瑶子の頭の中で不協和音が鳴り響く。成宮の横ではコールセンターの新人がレクチャーを受けている。プラン75に申し込んだ老人の気が変わらないように、うまく誘導するのがあなたがたの仕事ですよと。
自分も同じレクチャーを受けた。そして着実に給料を得るために、言われるがままに頑張ってきた。しかし本当にそれでよかったのだろうか。
成宮は仕事を上手くやった。角谷ミチは心変わりすることなく、無事に最終日の連絡を終えることができた。単なるコールセンターの従業員に過ぎない自分を「先生」などと呼んでくれた。最後までしっかりとしたいい人だった。どうしてあんなにいい人が死ななければならないのか。
申込者の受付をしている岡部も同じように疑問を抱く。この政策は本当にいい政策なのか。生命よりも経済を優先することが、人間にとっていいことなのか。
河合優実も磯村勇斗もいい演技をしていた。そして角谷ミチを演じた主演の倍賞千恵子は、淡々と枯れた演技で、声を上げることのできない老人の辛さと悲哀を切々と伝えていた。見事である。
PLAN75は、ひと言で言えば貧乏老人切り捨て政策である。裕福な政治家には貧乏老人の窮状など理解できないから、平気でこういう非人道的な法律を作る。庶民は強権に逆らうことをしない。逆らっても無駄だと思っている。逆らう人間を馬鹿だという人もいる。そして強圧的な政治家に投票する。ドストエフスキーの言う通り、人間は苦痛と恐怖を愛しているのだろうか。
中にはこの政治は間違っていると声を上げる人もいるが、サイレントマジョリティは現状維持を望んでいる。選挙ではそういう投票行動をとる。そうして裕福で独裁的で好戦的な政治家がのさばる。庶民はひたすら苦しみに耐える。75歳で死ななければならないとお上が決めたのなら、それに従うしかないと諦める。自分の投票行動が自分を苦しめていることに気づかない。
角谷ミチの苦しみは日本人の苦しみを代表しているようだ。歳をとっても共同体は何も助けてくれず、民間は老人を相手にしてくれない。PLAN75でなくても、もう死ぬ以外の選択肢はない。人生なんてそんなものだ。これまで自分の力で生きてきた。いまさら生活保護など受けたくない。生活保護の担当者は老人を人間扱いしてくれない。角谷ミチがこれまで選挙でどの党に投票してきたのかは不明だが、政治が彼女を助けてくれないのは明らかだ。彼女が長い間納めてきた税金は、いったい何のために使われるのだろうか。
若い人には他人事のような映画かもしれない。しかし若い人も、子供の頃から今までがあっという間だったことを考えてみるがいい。75歳なんて、あっという間なのだ。
プラン75
全く期待はずれ
死の選択という重い課題に挑戦したものの、それに対する微かな答えさえ無く、見終わったあとの虚無感は何だったのか?
いろいろなシーンの関連性も不明で、ラストのミチさんは何処へ行くか心配になった
映画としては悪くないけれど 驚くぐらい気持ちが落ち込む。 悪い影響...
映画としては悪くないけれど
驚くぐらい気持ちが落ち込む。
悪い影響を受ける人が出なければ良いと切に願う。
意欲は認める
鑑賞後に残念感が充満する。ラスト20分、多くの何故を残しながら、早川監督は登場人物の決断の瞬間や行動のディテールを描かないことを選択した。マタゾウ的には物足りず、せっかくのテーマが浮いてしまった。
技術的には、撮影は素晴らしかったし、役者も皆さん適切だった。スター倍賞千恵子、その朝の痩せた指が印象的。磯村勇斗、マリア役(失礼)、たかお鷹、それに出番は少ないが泣かせるシーンを担当した河合優実。
カンヌで何らかの賞を得られ、世界で公開されるチャンスが得られているとのこと、なにはともあれおめでとうございます。他国の評価を見てみたいです。
新宿ピカデリーの舞台挨拶回を鑑賞。倍賞千恵子、磯村勇斗、マリア役の方、監督の4名が登壇。お互いの絡みについてあまり語らないなあと思っていたが、劇中もほとんど絡まず事後納得。そして舞台挨拶終了後映画を見ずに出ていかれる前列の女性陣が結構多数で驚いた。
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