「かけがえのない日本のSF」PLAN 75 R41さんの映画レビュー(感想・評価)
かけがえのない日本のSF
少子高齢化が国の財政をひっ迫させ、そのツケが若者へ回っていくことで若者の生活までもがひっ迫化しているという近未来SF作品。
それが理由で老人たちが殺害される事件が多発し、政府はPLAN75という75歳以上の高齢者には死を選択できる法案を作ったことで起きる人々の生き方を描いた作品。
このサービスを申請すれば10万円がもらえる特典が付く。
葬儀費用等々は、合同葬儀にすることで無料化できる。
78歳の角谷ミチは、一人暮らしの掃除婦だが、仲間が仕事中に倒れたことで会社の信用問題に関わり、近しい年齢層すべてが引退させられる。
PLAN75のキャンペーンで翻弄する役所勤務の岡部ヒロムは、生活保護の仕事と叔父の訪問(申請)によって高齢者の生活を垣間見ることになる。
外国人の女性は日本に出稼ぎに来ている介護士。毎月の給与はわずか15万。心臓病の娘の手術費用が必要。
この作品は、この3名の登場人物たちの日常と変化を、ほとんど映像だけで描いている。まるで記録映画のようだ。
事実この「PLAN75の概念」は世界中で議論されており、いつか日本でも議論されると作者は考えたのだろう。そうなったらどうなるのか? あなたはどう思いますかと私たちに問いかけているのだ。
ミチは仕事を探しても見つからず、友達の孤独死を発見したことでとうとうPLAN75を申請する。死を選択した彼女には先生と呼ばれるカウンセラーが付き、毎日15分だけ会話することができる。
長年叔父と合っていなかったヒロムは、両親の離婚や母の再婚と父の他界を経験したことで、そういうものに心を動かされやすくなっている。
外人看護師は、パーティで仲間が手術資金をカンパしてくれ新しい就職場所を教えてくれる。それがPLAN75が執行される施設だ。やがて彼女は路上で仲間に出会うが彼女の自転車の子供を乗せる場所には子供は乗っていない。
ヒロムは車で叔父を迎えに行き、あてもなく車を走らせているように感じた。とある食堂で食事をしているとき、ヒロムが叔父に酒をすすめる。車酔いした叔父。彼をどこかで降ろした後、急に顔色が悪くなりUターンするヒロム。
ミチと会うことが禁止されているカウンセラーの女の子は、ミチの申し出を受けボウリング場で彼女と楽しむ。ミチは先生にお小遣いを与える。おばあちゃんが孫にしてやりたいことの一つだ。彼女の友人は、娘が来ることはないし孫を見たこともないという。老人たちが楽しむ場所にあるのは、捨てられていそうな古びれたものしかない。
ヒロムが向かった先にあったのがPLAN75の施設。叔父への最後に一緒に食事をしたのだ。しかし叔父はすでに死亡していた。ヒロムは彼ら死を選択し執行された者たちがごみ処分場で廃棄されることをつかんでいた。だからせめて人間らしく火葬にしたいと火葬場へと向かったのだ。スピード違反で捕まる映像についてはよくわからなかった。
叔父の隣で執行を待っていたのがミチだ。彼女は叔父の目を閉じる姿を見て執行されるのを止めたのだろう。
そして外国人女性は、遺留品のバッグの中から大金を発見する。しかし、彼女にとってそれはあまり意味がないものになっていたのだ。そして不審者であるヒロムの手伝いをしたのは、このPLAN75に携わったことで感じたことがそうさせたのだろう。
生きるということに選択を変えたミチは散歩をしていた。
そこで見た雲の間から差し込む朝日に生きているという感覚を覚えたのだろう。
カウンセラーの女の子は、食堂でこの仕事に関し講義する上司と新人の会話を聞きながら、大きな違和感を覚える。規則を破りミチと外で会った彼女は、ミチとの最後の会話で涙声になっていることが伺える。こんなことがあっていいのか? 彼女の思いは募り、帰宅後に満ちに電話するが、彼女は電話に出ない。自分のしていることとそれが正しいのかということに動揺が止まらなくなっているのだ。
この問題は身近に迫っている。SFではない。しかしながら財政が破綻することもない。すべては森永卓郎氏の「ザイム真理教」に書かれている。今我々は、昨年ダボス会議で決定した「炭素税」に対抗する準備が必要だ。完全に余談です。