「命は選択じゃない。全うし、尽きるまで」PLAN 75 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
命は選択じゃない。全うし、尽きるまで
日本のリアルな制度を描いているのではないが、今日本が直面している問題を提起している。
高齢化社会。65歳以上の割合が全人口の7%。
超高齢化社会。65歳以上の割合が全人口の21%。
現在日本は65歳以上の割合が全人口の28%を占め、定義的に“超”の方。65歳未満が2人で一人の高齢者を背負っている現状で、この割合は今後もどんどん大きくなっていくという。
歯止めが利かぬ超高齢化。少子化などが問題でもあるが、何か対策案は無いのか…?
一石を投じる本作。
しかしそれは、考えようによっては恐ろしい…。
“PLAN75”。
75歳になったら、生きるか死ぬか、自ら選択する事が出来る。
その昔、“姥捨て山”があったが、まさしくその現代版。自殺とは違う、自分の意思で死を選ぶ。
しかもそれが、“法律”として存在しているのだ。
幾ら架空の日本の話とは言え、こんな事が許されるのか…?
劇中でも議論の末に可決。
反対派もいるが、予想以上に申請する人も多い。
自ら死を選ぶなんて…。命を捨てるなんて…。
そう思うかもしれないが、私たちは本当に現状や当事者たちの事を知った上で言っているのか…?
そう言えるのは、何も知らぬ私たちのただの綺麗事に過ぎないのでなかろうか…?
申請者2人を例に考えてみたい。
角谷ミチさん。78歳。
ホテルの客室清掃員。
身寄りナシの未亡人で、一人暮らし。
ある日、高齢を理由に解雇。健康体でまだまだ働け、新たな職を探すも、やはり高齢が原因で働き口が無い。
悩んだ末に、“PLAN75”に申請する…。
岡部幸夫さん。75歳。
おそらく無職。
身寄りナシの孤独者。
進んで“PLAN75”に申請。
そんなある日、思わぬ場所で偶然長らく会ってなかった甥と再会する…。
理由や経緯に違いはあれども、境遇は似ている。
身寄りナシ。職ナシ。孤独の身。…
まだ健康とは言え、いずれ身体にガタが来る。
動くのも容易ではなくなり、病気や寝たきり。誰かの助けがなければ生活出来ない身にもなってくる。
そんな人たちに手を差し伸べるのが社会なのだが…。
開幕の衝撃的なシーン。高齢者施設で殺傷事件。高齢者が増え続けるこの国に異を唱える者もいるのも事実。
『護られなかった者たちへ』もそうだが、当事者たちも。誰かの世話や周りに迷惑掛けるのを恥ずかしいと感じる。それならば、いっそ…。
人は産まれの自由は選べない。が、せめて死ぬ時くらい自由を…。
何も孤独に悲しく死ぬのではない。
申請すれば10万円が支給。自分の為に、家族の為に、好きに使って良し。最期の贅沢や葬式費用にだって。でも、ちょっと少ないけど…。
ちなみに申請は無料。コースもある。
最期の時は施設で、苦しまず、穏やかに眠るように…。
家族に看取られて。
ある意味、理想的な“最期”と言えるだろう。
ボロアパートで誰にも知られず、孤独に死に、暫く経って異臭やハエが集って発見されるよりかは…。
ミチが連絡の付かない友人を訪ねる。そこで目の当たりにしたのは…。
時に社会は、世間の考えと当事者たちの考えにズレが生じる事がある。
例えば、よく中年や老人は、近頃の若いもんは…と言う。しかしその中年や老人こそ、礼儀やマナーがなっていない事の方が多い。
本作だって、“PLAN75”に対して該当の高齢者たちが受け入れている。寧ろ、若者の方こそこの制度に疑問を感じている。
成宮瑶子。“PLAN75”のコールセンター職員。
ミチの担当。ミチと電話を通じて話し、サポート。
ある時、ミチとプライベートで会う。一応、申請者とは会ってはならない事になっている。情が移ってしまうから。
“おばあちゃん”のようなミチに感情寄せるも、仕事は淡々とこなさなければならない。
もっと複雑なのは、岡部ヒロム。市役所職員で、“PLAN75”の窓口受付担当。
つまり、直に死を選んだ申請者と対する。日々の業務をこなしていたが、ある日、思わぬ人物と再会する。
申請者の岡部幸夫。叔父と甥。訳あり疎遠で、20年ぶりの再会。
3親等は担当出来ず、ヒロムは外れるも、プライベートで交流を持つようになる。
叔父は“PLAN75”を心待ちにしているようだが、ヒロムは…。
各々に訪れた思わぬ出会いや再会。交流。
これは、今一度問い掛けているのではないか…?
本当にここで、命を絶っていいのか…? 人生を終わらせていいのか…?
踏み留まる余地があるのなら…?
それでも選ぶのならば…。
“PLAN75”は救済か…?
人生も終盤。居場所も身寄りも無い高齢者にとっては、究極の選択かもしれない。
が、私は“切り捨て”にも感じた。
75歳という線引き。確かに75歳と言うと老境だが、かえってこの超高齢化社会が、まだまだ現役である事を知らしめる。
あなたの周りの75歳以上の方々はどうだろう?
もう死に向かっているか、それともまだまだご健在か。
よくTVなんかで、70過ぎても80過ぎてもすこぶる元気で人生を楽しんでらっしゃる方々がいる。
映画の世界でも、スピルバーグ76歳、山田洋次91歳、イーストウッド92歳。精力的に映画を作り続けている。
登山家・三浦雄一郎氏は、81歳でエベレスト最高齢登頂者に。
そして、かのきんさんぎんさん。
寧ろ、今の若者たちの方こそ軟弱。
勿論彼らは、今尚目標持ち続け、満ち足りた人生を送っている“恵まれた”人たちかもしれない。
人それぞれ明暗は分かれる。恵まれた人たちもいれば、そうでない人たちも…。
つまり“PLAN75”とは、人生の“敗者”とされる人たちに課せられた無情な切り捨て。
75歳以上の人たちが自分の意思で選んだように見えて、実は様々な媒体で“洗脳”し、そう流されているだけ。
まるでマイナンバーカードのような政府の推し進め。
救済などではない。法を盾にした紛れもない姥捨てだ。
見方によっては社会派であり、ディストピアであり、ホラーでもある。
元の短編の長編セルフリメイクとは言え、早川千絵監督のこのオリジナリティーは非常に考えさせられる。
自分だったら…?
社会は…?
倍賞千恵子が名演。この名女優ナシでは成り立たなかった作品だろう。
9年ぶりの主演映画。見てたら、今年のアカデミー賞でのミシェル・ヨーの受賞スピーチを思い出した。
全盛期を過ぎたなどと言わせない。
こうして現役第一線で活躍している“妹”に、“お兄ちゃん”もさぞ誇らかしかろう。
磯村勇斗、河合優実ら若手も好サポート。
たかお鷹も絶品であった。
少子高齢化は確かに今の日本が抱える問題だ。
だからと言って、不用にされる言われはない。切り捨てなんぞされるものか。
戦後の焼け野原からこの国を復興させ、経済を世界の国々と並ぶほど発展させたのは、今の我々の先輩方だ。
彼らの努力と培ってきたものを、我々が受け継ぐ。そして、その次の世代が引き継いでいく。
それが我々の責務だ。
この問題にも向き合っていかなければならない。
世の風潮に踊らされ、安易な死を選んだりしない。
生きるも死ぬも、自分の人生。
決して辛く苦しく、孤独なだけの人生ではない。
楽しみも喜びも幸せもある。好きなもの、美味しい食べ物、愛する人との営み、美しい夕陽…。
それまで我が人生を全うする。
この命尽きるまで。
題材的にも話題的にも評価的にも、間違いなく2022年を代表する邦画の一本。
にも関わらず、日本アカデミーでは作品賞ノミネート漏れ。
何故か…?
もう明白。『ドライブ・マイ・カー』になれなかったからだ。
そんな線引きをする日本バカデミーこそ、死を選択すべき!
熱いレビュー、素晴らしいですね。
マイナンバーカードへの言及もお見事!
国民総背番号制、徹底的管理社会への秒読みがスタートしてしまいました。願わくばPLAN75が現実のものとなりません事を。
共感ありがとうございます。
命は授かったものです。
授かった命は、何があっても全うするのが我々の使命だと思います。
本作は、死の選択に対するアンチテーゼだと思います。
ラストシーンの”リンゴの木の下で”が心に沁みました。
仰る様に、2022年を代表する邦画であり、日本アカデミー賞にノミネートされるべき作品だと思います。
では、また共感作で。
-以上-