「ぶっささり」PLAN 75 ジュンさんの映画レビュー(感想・評価)
ぶっささり
小学生だったころ、共働きだった両親に代わって放課後に僕の面倒を見てくれたのはおばあちゃんでした。そんなおばあちゃん子だった僕に、この映画はぶっ刺さりでした。
高齢者が増えすぎた日本で、社会保障などの制度を維持していくために75歳以上の高齢者に対し、本人の意思に基づくとはいえ社会として寿命とは関係のない死を推奨する制度が出来た。
支度金として10万円、そのほか民間サービスを使うと高級リゾートホテルでサービスが受けられるなどなど、特典があります、と。
倍賞千恵子さんら、高齢者たちには雇用、住まい、孤独死、今でも問題になっている高齢者の問題が、僕たちへ分かりやすく突きつけられる。
子どもや孫がいる人といない人での格差もしんどい。一人暮らしと家族のいる人の温度差も、これまたしんどい。
僕は同性愛者なので、ほぼ確実に子どもはできない。パートナーはできるかも。でも死の間際まで一緒にいられるか。家は?貯金は?将来をどうするのか。
まだ日常生活に支障がない程度には元気で、働きたい気持ちもあるのに、働けない。働けないから住む場所もない。行政の援護は期待できない。
そんな状況に自分が置かれたらどうするだろうか。
未来のために死を選ぶと晴れ晴れとした顔で語るムービーが作中にあるが、あんなうすら寒いノリに自分は自分の死という形で同意できるだろうか。
親は?兄は?友人たちは?考え出すと、なんとも暗い気持ちになるし、やるせない思いで胸が満たされる。
この映画はフィクションだ。PLAN75は実在しないし、これが実施されることは、少なくとも僕が生きている間には無いと思っている。
でも、何かが違ったら、何かが変わったら、有り得る未来なのかもしれない。
75歳以上の高齢者、という属性だけで簡単に言うが、一人ひとり、感情があり、歴史があり、希望がある、生きた人間であること。制度構築する際にはどうしても属性で人を語らねばならない。でも、その制度が適用されるのは、実際は生きた人間なんですよね。
うまく言葉にできないけれど、倍賞千恵子さんが、まぎれもない生きている人間で、その人が状況のなかで死を選んでしまう。その決断までの流れに、ひどく心が揺さぶられました。