小さき麦の花のレビュー・感想・評価
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仲の良い夫婦であればあるだけ、遺された方のダメージは大きい
人間は、愛情を注いでくれる存在があるのはもちろん、注ぐ相手がいるのも幸せなことだと思った。
無口で貧乏で見てくれも良くないすでにいい年齢の農家の貧乏4男と、身障者で左半分が不自由で、そのうえ尿のコントロールができない女。この二人は家族の厄介者同士を厄介払いするために結婚させられたんだけど、ロバに親切な夫を見て、この人なら一緒に暮らせると思った、という妻に、「お前があんまり見つめるからどうしたらいいかわからなかった」という夫、なんだ、相思相愛だったんじゃないか。はいはい、ごちそうさま。
傍からどう思われようと二人はラブラブで幸せ。
ふたりのお互いへの愛情と思いやりがうかがえる描写が素晴らしく、何度も泣きそうになりました。特に、夫が妻にコートを買ってやりたい理由が、「丈が長くて腰が隠れるから」おもらししても人に気づかれないように。この思いやりに泣きました。
家を建てるのにレンガを作るところから始めるのに驚き。
農作業から家の建築までほぼぜんぶ人力って、この映画、現代が舞台なんだよね?
中国の国民の生活格差って断崖絶壁のようです。
トウモロコシが売れたらテレビを買おう、市に行って病院で見てもらおう、夫婦で楽しそうに話すのを見て、「夫婦のどっちか」という死亡フラグ立ったのを感じました。
中国映画って、ほぼ予定調和な気がする。
夫婦の仲がいいのは幸せなことだけど、大抵はどっちかが先に亡くなる。残された方のダメージは仲が良い分半端ないと思うので、夫婦ってどういうのが一番幸せなんだろうか、と考えてしまった。
これが中国の現実なのかなぁ
2011年、中国西北地方の農村。貧しい農家の四男ヨウティエは、両親とふたりの兄が他界し、今は三男の家に暮らしていた。三男夫婦にとって、ヨウティエは家族の厄介者だった。一方、内気で体に障がいがあり不妊症で結婚適齢期を過ぎた女性クイインもまた厄介者だった。互いに家族から厄介払いされるかのように、ふたりは見合い結婚し夫婦になった。
2人は互いを思いやり、力を合わせ、毎日懸命に働き、自分たちでレンガと、古い木の支柱で家を作った。人の命を救うために頻繁に献血を行ったりもしていた。ある日、クイインの体調が良くないため、ヨウティエは仕事に出かける間、ベッドで休むように言って出たが、クイインはヨウティエに食事を届けようと家を出た時、めまいがして用水路に落ちた。しかし、そこに居た人たちは誰も助けようとせずクイインは溺死した。ヨウエィエは用水路に飛び込んでクイインの遺体を回収した。 ヨウエィエは数日後、作物の収穫を終え、忠実で勤勉だったロバを解き放ち、持っている物を全て売り借金を返済した。この最後の取引でもヨウエィエはだまされ、価格を切り下げるように強制された。ヨウエィエは毒を飲んで横になり、一酸化炭素ガス自殺を図った。
その後、ヨウエィエとクイインが建て、短い間だったが幸せに暮らしていた家を取り壊し、政府の役人からヨウティエの兄に金が払われた、という話。
騙された続きの一生だったヨウティエのような人が現代中国に多く居る、という事なのだろうか?
クイイン含め、なんか救いようのないドキュメンタリーを観ているような感じを受けた。
作品名にしても、「隠入塵煙(Return to Dust)」がなぜ「小さき麦の花」になるのだろう?
聞くところによると、中国政府の干渉でカットされたり改変された部分があるようなので、監督の意図した物になってないのかもしれない。
よくわからなかったが、中国の暗部を見れた貴重な作品なのかもしれない。
観賞後、いろんなことを考えしまってなかなかレビューが書けず、やっと投稿出来ました。
すごく重い作品でした。
頑固で優しい生き方
結婚しても無愛想な夫婦生活を続け、妻には障がいがあり、失禁までしていたが、夫は優しく庇い続け、労り、嵐の夜の作業には、せっかく渡したビニールシートが無駄になるほどびしょ濡れになったものの、笑い合って幸せそうだった。麦の穂の積み荷作業のとき、少し罵ったので、意外に感じたが、その後は機嫌を取り直すように荷車の上に乗せてあげていた。ろばも、街中とは打って変わって早足だった。麦の花そのものと、手首に麦粒を花形に並べて型押しを残すのと、二通り二箇所描かれていた。妻が不慮の事故で亡くなってしまい、最初の記念写真しかなく、加工して葬儀写真にしていた。貧困層向けの都市の住宅に引っ越すように勧められていて、夫は気が進まなかったが、妻が亡くなってからは、せっかくつくった思い出の家に住み続けるのは辛かったのだろうか。家の取り壊しに際して、ろばを逃がしてやり、つばめの巣も移そうとする優しさをみせていたが、ろばは戻ってきたようだった。夫は、頑固で優しい生き方は、その後も続けるのだろう。
(原題) 隠入塵煙
無題
全く予備知識なしでの鑑賞でしたが、圧倒されてしまいました。
10代の頃は鑑賞後こういう気分にさせられた作品が沢山あったのですが、もう半世紀以上映画を観続け年齢も70代が近づきつつある今、映画を観て圧倒されるって事は殆ど無くなってきているので久々にやられた気分でいます。
本作の様な作品は基本的に感想も書かない(書けない)のですが、鑑賞して暫くたったので少し考える余裕も出来ました。
本作の何に圧倒されたのか?を少し考えたのですが、恐らく純粋に人間が働く(労働)ことについて感動したのだと思います。本作の7,8割はほぼ黙々と働いている姿を捉えているだけの画面なのですが、それがまるでミレーの絵画を観ているように神々しくも崇高なものに見えてくるのです。
よく、“現代人が失ったモノ”という表現が使われますが、ひょっとしたらそれはそんなに難しいモノではなく、単純に生きる為にするべき労働が今の社会から消滅しつつあるってことなのではないのかなぁ~と、本作を観ているとその様な気がしてなりません。しかし、それを取り戻すのには現代社会は複雑になり過ぎました。
本作では、大国の社会の最下層(社会的弱者)の人達の行える最低限の中の最大限の生き方を描いているのですが、それが唯々美しいのです。
タイトルなし(ネタバレ)
中国西北地方の農村。
ヨウティエ(ウー・レンリン)は貧しい農家の四男。
両親とふたりの兄はすでに他界し、家を継いだすぐ上の兄のもとで暮らしているが、厄介者扱いされている。
そんな折、ヨウティエに結婚話が持ちかけられる。
相手はクイイン(ハイ・チン)といい、年齢的には薹が立っている。
というのも、内気な正確なうえ、下に持病があり、子どもを産むことができないからだ。
クイインの家でも厄介払いができるという思惑もあり、ふたりは結婚、村はずれの空き家で牛を飼い、作物を作りながら暮らすことになった・・・
といったところからはじまる物語で、その後はふたりの愚直で貧しい暮らしが淡々とつづられていきます。
入院中の豪農に輸血が必要となるが、Rhマイナスの血液型のため提供者がおらず、村で唯一、同型のヨウティエが提供することになったり、
古家を壊すと党から家主に補助金が出るということで、家主から住んでいた家を追い出されたりと、
無学で他人を疑うことを知らないふたりは、世間から都合のいいように扱われます。
扱われ方は、ふたりが飼っているロバにも等しい。
いや、ヨウティエもクイインも使役にロバを使ってはいるが、そこには愛情がある。
となると、ふたりが世間から受けている扱いは、ロバ以下ということになる・・・
といいうことで、「あ、これはブレッソン監督『バルタザールどこへ行く』の中国版かしらん」と頭を過りました。
(この映画を観ている時点では『バルタザール』は未見なので、イメージだけでの想像です)
はじめに住んだ家は取り壊され、ヨウティエは日干し煉瓦を作り、自分の家を建てようと決意。
中盤は、家づくりの様子が、丹念にかつ淡々と描かれていきます。
淡々とした描写の中で、
イラン映画で、日干し煉瓦を延々とつくるのも観たな、題名は忘れたけど、
とか、その無数の日干し煉瓦が突然の豪雨で濡れて、努力が水泡に帰そうとするのは、メル・ギブソン主演『ザ・リバー』の豪雨シーンだな、
とか、かつて観た映画の記憶が脳裏を過ります。
そして、ようやく家が完成したところ、ヨウティエの兄が村から最も近い都市に最新の高層住宅が建設され、そこへの入居は低所得者が優先されることを聞きつけます。
入居金も格安。
兄は、ヨウティエ夫妻に申し込むことを勧めます。
ますます世間からいいように扱われている感が募ります。
終盤、新居づくりが身体に堪えたのかクイインは臥せるようになり、「湿っぽい病気モノになるのはイヤだなぁ」と感じていた矢先・・・
この終盤の展開はビックリです。
ですが、劇作としては潔い。
潔さを感じます。
身辺を整理したヨウティエは、ひとり寝台に寝て、かつてクイインが草を編んでつくったロバを手にしながら、「草のロバなら、こき使われることもないのに・・・」と呟き・・・
ジャンプカットで、日干し煉瓦で建てた新居が壊されるエピソードへと繋がります。
兄は「ヨウティエも街の新居に越した」と話しますが、果たしてそうなのか。
原題「隠入塵煙 RETURN TO DUST」、土埃に還る。
日本タイトルの「小さき麦の花」は、収穫した麦の粒5つを親指の押し当ててつくる、花もよう。
「あの世で、互いに相手を見分けられるように」とふたりがつくった目印のこと。
淡々と農民の生活を描きながら体制批判・社会批判を巧みに織り交ぜるのは、90年代あたりまでは、よく中国映画でもみられました。
久しぶりに、中国映画を観た、という手ごたえがありました。
<追記>
なお、豪農のところでは自動車も出てくるし、いつ頃の話なのかしらん、と思っていましたが、2010年頃の話だそうで、いやぁこれには驚きました。
いい意味で眠たくなりました😴
お荷物同士で結婚させられて、ロバに畑を耕させ、刈り取りまで全て手作業、土蔵みたいな家で鶏と同居。ライフライン一切なし。
一体いつの時代の話よ⁉︎と思ったら現代の中国です。
途中、ものすごく眠くなり、眠ってしまったせいもあり、なぜ、何度も家を壊されるのかがわからないまま終了。
見終わって、ロビーに貼られた解説を読んでいたら、隣にいらした紳士が話しかけてくださったので、疑問点を質問、教えてもらいました。
社会制度を知ってから思い出すと感動します。
原題のReturn to dustが心に沁みました。
それでも、奇跡の映画というほどではないような気がします。
淡々とフランス映画のように
農業で頑張る貧しい夫婦は…
#15 本当の夫婦のあり方
文化革命の頃の話かと思って観てたら、村の地主が乗ってる車で現代の話だとわかった。
それくらい中国の田舎の農村の生活がプリミティブなのだ。
豚やロバと一緒に暮らすのはわかるが、一間の貸家で夫婦2人が暮らすなんて、日本だと第二次世界大戦前でも聞いたことない(少なくとも農村では)。
貧しく厳しい生活と反比例するかのように、主人公は正直者で、人間にだけでなくロバやツバメにも優しい。
そして無理矢理夫婦にさせられた妻も優しい夫のことをひたすら気遣う。
2人の姿を見ていると、これが本当の夫婦のあり方なんだと思う。
日本のようにお金を運んでくれる夫に家事をしてくれる妻みたいな役割を望んでいない。
ただひたすら互いが互いをいたわり合い、互いの存在が愛しいのだ。
心が洗われる作品。
奇跡のような映画
中国西北地方、とても2011年とは思えない暮らし、家族から厄介払いされるかのように暮らし始めた二人。
特になにかドラマチックなことが起こるわけでもないが、土から恵みを得て、互いを慈しみながら、時代に翻弄されて生きる。そんな二人の暮らしを映し出す奇跡のような映画。
自分で日乾し煉瓦を作って家を建て、補助金が出ると言っては借家を追い出される 。それでも淡々と日々を過ごし、それを「幸せ」と言う。
饅頭(マントウ)、林檎、ツバメの巣、嵐の夜と整備されてゆく用水路。麦の穂、コーリャン、花の印。
ロバは野に返し、豚は売る。人生において声を荒げたのはたったの二回だけ。そしてそのいずれをも彼は後悔している…そんな彼の人生とは、彼女の人生とは、一体何だったのか…
みんなもう一度人生を考えてみたら?と言われているような、そんな映画。
寡黙な二人の代わりに農村の日々を捉え綴るカメラ。貴英が“生きている間に自分の家の自分の布団で寝られるとは思わなかった”と言った時の愛しさ。愛する全てが土に還った時、有鉄も土を離れたのだろう。
①映画を観ている間よりも、観終わった後に染々と涙が湧いてくる映画だ。
こんな映画はそうそう無いと思う。
②映画の大半は淡々と続く農作業や言葉少ない夫婦の屋内の描写に終始するうえ大きな出来事も起こらないので、軽快なコメディやアクション活劇を見慣れた目にはかったるく映るかも知れない。でも、ミレーの「落穂拾い」を彷彿とさせるような一幅の絵画のような映画である。
③日本人よりも家族・血縁を大事にする中国人。それでも家族の厄介者同士で無理矢理夫婦にされた二人。その二人がぎこちない中で心が通じ会いゆっくりと夫婦となっていく様が愛おしい。
こんな夫婦なら結婚しても良かったな、とちょっと思った。
④恩義には厚い中国人。RH-の血液型しか輸血出来ない為、有鉄から輸血してもらっている農村の有力者の息子が、金持ち面をしながらも貴英に服を買ってやったりとか気にかけている様は微笑ましい。BMVに乗っているのだが、最初に貴英を乗せた時にお漏らしされたので、次回から後部座席にビニールシートを拖いていたのには笑た。
⑤題名は原題『隠入尖煙』の直訳「土埃の中で」でも良かったかもしれない。でも、この夫婦のささやかだけれども愛おしい絆を良く表した『小さな麦の花』は最近久々に良い邦題だと思う。
⑥病気になった自分に大事な卵を食べさせてくれた夫にも卵を食べてもらいたいと、不自由な足を引き摺って出掛けた挙げ句に川に落ちて死んでしまった貴英。
でも、幸薄かった前半生の後、有鉄と夫婦になれた間の貴英は確かに幸せだったと思う。
土とともに生き、やがては土に還る。時代の波に翻弄されながらも貧しい農村で健気に慎ましく生きた夫婦の物語。
養親の下で育ったヨウティエは結婚も出来ず家族から疎まれていたが、軽い知的障害を持った同じく家族のお荷物だったクイインと結婚することになる。
ヨウティエは失禁を繰り返すクイインをまったく責めることなく、彼女に優しく接する。そんなヨウティエにクイインも徐々に心を開き二人は本当の夫婦となってゆく。
時代は中国が資本主義に舵を切りだしたころ。都心部と農村部の貧富の差が如実にあらわれだした時代。都会では高級外車が走る中でヨウティエのロバの荷車みたいなものも混在する。
抽選で当たったマンションの部屋からはヨウティエが暮らす農村部が見下ろせる。ヨウティエは言う、農民が街に出てどうやって暮らしていけようか。高級な部屋であってもここではロバも鶏も飼えない。土と共に生きる彼はコンクリートの家では暮らせないのだ。
貧しくも勤勉でつつましく生きる二人。自分たちの家を持たず空き家を借りての生活だが、国の政策で空き家は次々と取り壊される。そのため農作業をしながら自分の家を建てる作業も加わり生活は決して楽ではなかった。朝から晩まで働いてもけして裕福にはなれない暮らし。だが、そんな生活でも二人は幸せだった。
空き家を転々とする二人はまるで巣を追われる燕のよう。だが、大きな流れに対しては抗いようもない。彼らはそれに対して不満も愚痴も漏らさない。
いくら働いても楽にはならない暮らしに対しても同様だった。ただ従順に荷車を引くロバのように。
しかし、愛する妻を失ったヨウティエは長年共にしたロバを解放する。もうこき使われることはないのだと。まるでそれは自分自身に重ねているかのようだった。
空き家となり取り壊されるかつて二人が暮らした家。全てを売り払ったヨウティエの姿はそこにはもうなかった。はたしてヨウティエはヤンが言うように都会に移り住んだのだろうか。あるいは。それを知る由もない。
貧しい農村で健気に生きた二人の夫婦の姿はもうどこにもない。願わくば腕につけた麦の花を目印にいつか二人が再会することを願うばかりである。
ある意味現代中国の鏡かもしれない。
大地があって、種があって、一頭のロバがあって、そして、疎外されたものどおしの夫婦があって。それだけなのに、いやそれだけだからなのかもしれません。何かとても大切できれいなものを見せてもらった気がします。
それは、彼らが二人で、大地から作りあげた作物であり、泥から作りあげた自分たちの住む家であり、そして何より、金銭的には貧しくとも、その中で育んでいったお互いを思いやる心や自然とともにあることの豊かさなのだと思いました。
中国では競争に疲れた若者を中心に、大ヒットしたらしいですが、中央政府の商業主義・都市化誘導的な政策傾向に、若干ネガテイブなメッセージが込められていると見られたのか、そうした若者たちに競争に戻るよう促すためなのか、よくわかりませんが、上映中止処分を受けたそうです。
そういう意味で、中国の現在を写し取っている映画ともいえると思いました。
美しい
慎ましくてもこのまま幸せが続いてくれたら良いのにと思わずにいられなかった
エンディングまで淡々と同じ暮らしの繰り返しでも構わない、夫婦のささやかな幸せを見続けたいと思っていたのに、ラストはちょっとショックだった。
「植物はその土地から動けない、人間は行こうと思う場所に行けるだけ良いかな」とのセリフがシーンの中で流れるが、その地に残りたいのに許されない、動かざるを得ない事情に追い立てられる人間は果たして、種を蒔かれる麦より幸せなのだろうかと考えさせられてしまった。
それでも、裕福じゃなくっていいんだ、思いやり、寄り添いあえる相手がいること、日々の暮らしの中に色んな幸せは潜んでいるのだよと、今一度認識を新たにさせてくれる良作に巡り会えました。
目印
冷酷で残酷だったりするけど でもあたたかくて優しい そんな映画でし...
冷酷で残酷だったりするけど
でもあたたかくて優しい
そんな映画でした
ラストは『?』って思ったけど
英題【return to dust】から想像できた
本国では当局から散々やられて
ラストも変えられてしまったようだが
日本ではこのくらいマイルドな方が良いかもしれない
が、オリジナルも見てみたいと思った
いつにも増して参考にならないレビューで申し訳ありません
正直、3日前までは全くの鑑賞予定圏外だった本作品、ヒューマントラストシネマ有楽町での上映前の予告編で引っ掛かり、帰宅して調べるも映画.comの解説はほぼ何も書いていません。
上映予定を確認すれば公開1週目にもかかわらず16時15分からの1枠しかなく、早々に仕事の方を調整させていただいて初日に鑑賞です。客入りは時間帯や天気予報(大雪警報)の割にはまあまあな感じかな。
で、観終わっての感想はまず「劇場で観てよかった」と思います。これ、あくまで私の場合ですが家でテレビで観てたら多分寝ちゃいます。それくらいのスピード感とあらすじなんですけど、勘違いしてほしくないのは一つもけなす意図はありません。
多分ほとんどの人が、観始めて間もなく「ヨウティエとクイイン」夫妻が気になってしょうがなくなり、いつしか心を奪われます。とは言え、自分に置き換えることは想像すらし得ないほどの過酷な貧しさですが、それでも笑い合える二人についつい「羨ましい」と思える裏腹さで、少々身の置き所がありません。
いつにも増して参考にならないレビューで申し訳ありません。でも「ベルリン国際映画祭で高評価にもかかわらず無冠だった」というのが解るような気もします。
敢えて言うならば、この二人の物語を解った気になること自体おこがましく思えてしまうほど、何だか神々しさを感じる作品です。それほどに、実に味わい深い良作であることは確かです。
全43件中、21~40件目を表示