小さき麦の花のレビュー・感想・評価
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Low-Key Gobi Rural Life Tragedy
A slow-baked tale of life in the Jintao to Xi Jingping transition stage of Chinese history, in Northern Central China. With Alibaba in the production, it's a bighouse film strewn as arthouse picture. It's intresting that this film was allegedly a threat to Chinese rule, and its heartbreak tale of poverty was whittled down. It's the latest lens into Chinese society. Good music by Iran's Yazdanian.
ラブストーリーの裏で
大都市のビル群が遠くに望める田舎町で、実直で言葉少なく家族に厄介者扱いされている男女が見合いで結婚する。二人は多くを語らないものの、自分たちの幸せを手に入れるが。
ラブストーリーなのだが、彼らの置かれている状況がなかなか厳しくそれがラブストーリーを盛り上げることになっている。家族はいい年になって結婚しないシャイな二人を邪魔者扱いし、結婚は体のいい厄介払いだわけだ。二人は親の財産も貰っていなさそう。車も持っていない。田舎ならが家族はそれなりに近代化され豊かで甥はスマホを使っている。土地の一部で暮らすのだが助けがない。女には身体的な障害があるが、医者に連れて行ってもらったのか定かでない。農作物は豊作だがJAのようなところに買い叩かれる。都会に行くとコートを買うのにふっかけられ、値引きしても現金がない。臓器売買のようなことをせざる終えなくなる。
でも中国の開発されてない田舎の風景は美しいし、ラブストーリーも美しい。
幸せだったのかな。。。
中国の奥地の貧困生活は何もないけど、この夫婦には確かな思いやる愛があった。ロバも鶏も皆んな幸せだったならいいな。
頑張って作った家、呆気なかったなー。
ロバや鶏はその後どうさたのか、気になります。
二人た互いをいたわるお姿、あまりにも思慮深くて…。 もの静かで、尊...
二人た互いをいたわるお姿、あまりにも思慮深くて…。
もの静かで、尊くて。
日々を丁寧に過ごせているのだろうか、自問したくなりました。
土とともに暮らす人々の素朴な人生を描いたドラマと見るか、現代中国の社会問題を描いた作品と見るか、様々な捉え方ができそうな一作
主人公ヨウティエ(ウー・レンリン)とクイイン(ハイ・チン)は、せっせと農作物作りに励む朴訥な夫婦。どうやらクイインには何らかの障害があり、そのために親戚にはやや疎んじられているようだけど、ヨウティエの彼女に対する愛情は確固としている様子。
そんな二人の姿を見て、土とともに生きる生活も素朴でいいかも、と思いそうになるんですが、一方で自宅を建てる際に必要なレンガも自分で作る、雨が降ればずぶ濡れになってそのレンガを守る、そして農作業は家畜を使役することはあっても基本的には手作業のため、種付けも収穫も自ら行わなければならない、と、常に埃まみれで肉体労働に従事している、という過酷な日常であることも痛感します。しかも本作の時代設定は、工業化前どころか、急速な経済発展の只中にある現代中国です。そのため彼らの親族はビジネスに勤しみ、高級外車を乗り回す一方、ヨウティエからは文字通り血液まで搾り取ろうとします。それでも自らの人生にも周囲にも異議を唱えないヨウティエを幸せと捉えるかどうか、ちょっと考えてしまうものがあります。
結末の展開も、一体ヨウティエがどう判断してここに至ったのか、解釈のしようで見方が変わる内容になっています。主演俳優たちはそれほど知名度があるとはいえず、題材も派手なものではありませんが、中国ではSNSを通じて若年世代の人々を惹きつけ、興行的には予想外の好成績だったとのこと。観客たちが本作に何を見出したのか、その点も興味があるところです。
静かな、美しい映画
現代中国における、社会において置いて行かれた側の男女のストーリー。
農家で、様々な人の手伝いをしている夫。
障害もあり、家族から邪魔者扱いされている妻。
二人が、誰も傷付けず、ただただ誠実に生きようとしている様子を
美しいカメラアングルで静かに撮り続けていた。
その一方で、夫婦を取り巻く人々は、業に塗れている。
時々、夫婦に優しく対応するが、それはあくまでも損得に基づいた行動。
本来の中国が目指そうとした清貧とは、この夫婦にあり、
それ以外が現代の中国なのだろう。
今の時代にこの映画が中国で作ることができて、
そしてヒットする。そこに中国の文化としての豊かさがまだまだあるのでは。
そう思えた映画だった。
ツバメがいいなぁ
どんなに忌避・疎外されている者でも巡り合わせによって誰かと奇跡のような時間を共有することができる,愛があれば何でもできる、ではなく、何かができると思わせてくれる作品。
当初寡黙・無表情だったクイインが次第に喜怒哀楽を言葉にしていく姿には思わず微笑んでしまう。一方でヨウティエが麦収穫の時にクイインを罵倒してしまうのは,それまでひたすら献身的だった彼についに芽生えた彼女への甘えの,ものすごく不器用な表現ではなかったか?
ヨウティエを単純に哀れんでしまうのは,誇り高い(という自覚は全く無いだろうが)彼に対して些か礼を欠くと思う。
本当に久しぶりに「伴侶」とか「ベター・ハーフ」のような古めかしい言葉を思い出した。
勢いよく笛を吹く雨どいの瓶。二人で聞けば怖くないと言う妻。
主演女優のハイ・チン(海青)さんって、印象的な美人さんだったはずなんですよ。で、気になって年齢を調べたら46歳なんです。えー?ほんじゃ、ウー・レンリンって幾つなん?で調べたけど、わからんw
でも、これ、ベルリンのコンペティション部門に持って行ってるんですね。今のドイツで、どう捉えられたのか興味はあります。
家族に邪魔者として疎んじられ。一人前の人間としての扱いも受けられず、厄介払いのために結婚させられ、空家に追い出される。と言う展開から。本当に短い、おそらく1年の生活の中で、愛を育み、情を注ぎあい、身を寄せ合って生きた2人。
手の甲に作る「小さな麦の花」は、すぐに消えてしまう愛の印。本当に一瞬で終わってしまった夫婦の日々を象徴するかのごとき麦の花は、一人残された男の心の中に咲き続ける。ことであろうよ。って言うだけの映画です。
事前情報からは、「しあわせの絵具」的なものを予想してました。予想通りではあったし、印象にも残った。
結婚の報告に向かう2人。村外れの砂丘に上り、男が差し出した麻花。不平も言わず、自分を責めることも無く、おもらしの後の世話をしてくれる男。夫として慕い、寄り添い、献血の心配をする女。ロバに優しくする姿を見て、この男性ならやっていけると思ったと話す女。
かような純朴な愛の成り立ちにですよ。ココロ持って行かれる訳ですよ。あざとい作りではあるんですけどねぇ。定期的にやってくる、この手の中国映画には、見事にしてやられているワタクシです。なんか「木靴の木」みたいで。抗うこともできず、沁みるがままに見入ってしまいました。
良かった。
かなり。
忍耐がいる映画だ。我慢が必要。
映画評をみると高評価が多い。じゃあ、見て見ようかと考えて鑑賞してみた。開始五分ほどでいい映画だとわかった。
家族からもまた、村人からも蔑まれている二人が心を通わせ生きていく。この二人は誰よりも美しい心を持っているのに、当人を除き誰も気づきていない。美しい心が美しい自然風景と一体となって、心が洗われるようだ。なんか、ミレーの絵画を観ているようだ。
【中国の貧しいながらも、善性溢れる真面目で優しき農民の姿を大きなスケールで描いた作品。変わり行く二人の暮らしや村の姿が現代中国の行く末を感じさせる作品でもある。】
◼️2011年、中国の寒村が舞台。ヨウティエとクイインは、それぞれの家から厄介払いされた形で結婚する。
◆感想
・最初はギコチなかった二人だが、身体の左側が不自由なクイインを労りながら働くヨウティエの姿に、クイインの表情は明るくなって行く。
- 必ず、畑仕事の後にはクイインをロバに乗せてあげるヨウティエの優しき心。-
・自宅を開発の為か、壊されても、二人は逞しく自分たちで欲しれんがで家を建てるのである。
- 逞しくなって行く二人。笑顔の二人。-
・だが、運命は残酷で、ある日クイインは川に流され亡くなる。
- ヨウティエは独りでクイインの魂を供養する。そして、生きていた時と同じ様に、麦の粒で、花弁の印をクイインの肌に残すのである。染みたシーンである。-
<クイインの居ない家にヨウティエは未練は無く、市が用意した味気ないコンクリートの家に住む為に苦労してクイインと建てた家を離れるのである。
二人の変わり行く暮らしと村の姿が、現代中国の行く末を描いている様に感じた作品である。>
タイトルなし
老人がいっぱい見に来ていた。
農民のミラクルな生活、そして重労働のリアリティ。中国の村の文脈などなどわかった。
性的な描写は入ってこないけれど、夫婦の愛情が美しく、それは自然や動物への愛情と通底している。
といっても、農業は身体が関与し、麦の花は美しいと共に、愛情と身体の交叉点でもある。彼女がロバを撫でるとき、それは夫の身体への愛情も喚起させる。
彼は馬鹿なように周りから表象されているけれど、約束を忘れず、真っ直ぐに働く、頭のいい男でもあった。
農業には生産性があらわれる。こんなにミラクルにものを生み出し仕事をやめない彼がピタリとやめたのは驚きだった。妻への愛が、彼の抜き難いハビトゥスをすっかり壊してしまうのを見る。
それに比べ、ロバや鶏や燕は元の場所に戻ってきてしまうのだ。そのことがとても切なかった。
仲の良い夫婦であればあるだけ、遺された方のダメージは大きい
人間は、愛情を注いでくれる存在があるのはもちろん、注ぐ相手がいるのも幸せなことだと思った。
無口で貧乏で見てくれも良くないすでにいい年齢の農家の貧乏4男と、身障者で左半分が不自由で、そのうえ尿のコントロールができない女。この二人は家族の厄介者同士を厄介払いするために結婚させられたんだけど、ロバに親切な夫を見て、この人なら一緒に暮らせると思った、という妻に、「お前があんまり見つめるからどうしたらいいかわからなかった」という夫、なんだ、相思相愛だったんじゃないか。はいはい、ごちそうさま。
傍からどう思われようと二人はラブラブで幸せ。
ふたりのお互いへの愛情と思いやりがうかがえる描写が素晴らしく、何度も泣きそうになりました。特に、夫が妻にコートを買ってやりたい理由が、「丈が長くて腰が隠れるから」おもらししても人に気づかれないように。この思いやりに泣きました。
家を建てるのにレンガを作るところから始めるのに驚き。
農作業から家の建築までほぼぜんぶ人力って、この映画、現代が舞台なんだよね?
中国の国民の生活格差って断崖絶壁のようです。
トウモロコシが売れたらテレビを買おう、市に行って病院で見てもらおう、夫婦で楽しそうに話すのを見て、「夫婦のどっちか」という死亡フラグ立ったのを感じました。
中国映画って、ほぼ予定調和な気がする。
夫婦の仲がいいのは幸せなことだけど、大抵はどっちかが先に亡くなる。残された方のダメージは仲が良い分半端ないと思うので、夫婦ってどういうのが一番幸せなんだろうか、と考えてしまった。
これが中国の現実なのかなぁ
2011年、中国西北地方の農村。貧しい農家の四男ヨウティエは、両親とふたりの兄が他界し、今は三男の家に暮らしていた。三男夫婦にとって、ヨウティエは家族の厄介者だった。一方、内気で体に障がいがあり不妊症で結婚適齢期を過ぎた女性クイインもまた厄介者だった。互いに家族から厄介払いされるかのように、ふたりは見合い結婚し夫婦になった。
2人は互いを思いやり、力を合わせ、毎日懸命に働き、自分たちでレンガと、古い木の支柱で家を作った。人の命を救うために頻繁に献血を行ったりもしていた。ある日、クイインの体調が良くないため、ヨウティエは仕事に出かける間、ベッドで休むように言って出たが、クイインはヨウティエに食事を届けようと家を出た時、めまいがして用水路に落ちた。しかし、そこに居た人たちは誰も助けようとせずクイインは溺死した。ヨウエィエは用水路に飛び込んでクイインの遺体を回収した。 ヨウエィエは数日後、作物の収穫を終え、忠実で勤勉だったロバを解き放ち、持っている物を全て売り借金を返済した。この最後の取引でもヨウエィエはだまされ、価格を切り下げるように強制された。ヨウエィエは毒を飲んで横になり、一酸化炭素ガス自殺を図った。
その後、ヨウエィエとクイインが建て、短い間だったが幸せに暮らしていた家を取り壊し、政府の役人からヨウティエの兄に金が払われた、という話。
騙された続きの一生だったヨウティエのような人が現代中国に多く居る、という事なのだろうか?
クイイン含め、なんか救いようのないドキュメンタリーを観ているような感じを受けた。
作品名にしても、「隠入塵煙(Return to Dust)」がなぜ「小さき麦の花」になるのだろう?
聞くところによると、中国政府の干渉でカットされたり改変された部分があるようなので、監督の意図した物になってないのかもしれない。
よくわからなかったが、中国の暗部を見れた貴重な作品なのかもしれない。
観賞後、いろんなことを考えしまってなかなかレビューが書けず、やっと投稿出来ました。
すごく重い作品でした。
頑固で優しい生き方
結婚しても無愛想な夫婦生活を続け、妻には障がいがあり、失禁までしていたが、夫は優しく庇い続け、労り、嵐の夜の作業には、せっかく渡したビニールシートが無駄になるほどびしょ濡れになったものの、笑い合って幸せそうだった。麦の穂の積み荷作業のとき、少し罵ったので、意外に感じたが、その後は機嫌を取り直すように荷車の上に乗せてあげていた。ろばも、街中とは打って変わって早足だった。麦の花そのものと、手首に麦粒を花形に並べて型押しを残すのと、二通り二箇所描かれていた。妻が不慮の事故で亡くなってしまい、最初の記念写真しかなく、加工して葬儀写真にしていた。貧困層向けの都市の住宅に引っ越すように勧められていて、夫は気が進まなかったが、妻が亡くなってからは、せっかくつくった思い出の家に住み続けるのは辛かったのだろうか。家の取り壊しに際して、ろばを逃がしてやり、つばめの巣も移そうとする優しさをみせていたが、ろばは戻ってきたようだった。夫は、頑固で優しい生き方は、その後も続けるのだろう。
(原題) 隠入塵煙
愛しさのあるとても綺麗な作品でした!
それぞれの家族の厄介者同士が見合い結婚してからの話。2人の農民生活はとても大変そうだけど、辛さ以上に幸せそうな姿が見えてきました。泥だらけで綺麗じゃなくても、大切な人が隣にいれば幸せだという当たり前のことを痛感させられる。
無題
全く予備知識なしでの鑑賞でしたが、圧倒されてしまいました。
10代の頃は鑑賞後こういう気分にさせられた作品が沢山あったのですが、もう半世紀以上映画を観続け年齢も70代が近づきつつある今、映画を観て圧倒されるって事は殆ど無くなってきているので久々にやられた気分でいます。
本作の様な作品は基本的に感想も書かない(書けない)のですが、鑑賞して暫くたったので少し考える余裕も出来ました。
本作の何に圧倒されたのか?を少し考えたのですが、恐らく純粋に人間が働く(労働)ことについて感動したのだと思います。本作の7,8割はほぼ黙々と働いている姿を捉えているだけの画面なのですが、それがまるでミレーの絵画を観ているように神々しくも崇高なものに見えてくるのです。
よく、“現代人が失ったモノ”という表現が使われますが、ひょっとしたらそれはそんなに難しいモノではなく、単純に生きる為にするべき労働が今の社会から消滅しつつあるってことなのではないのかなぁ~と、本作を観ているとその様な気がしてなりません。しかし、それを取り戻すのには現代社会は複雑になり過ぎました。
本作では、大国の社会の最下層(社会的弱者)の人達の行える最低限の中の最大限の生き方を描いているのですが、それが唯々美しいのです。
中国西北地方の農村。 ヨウティエ(ウー・レンリン)は貧しい農家の四...
中国西北地方の農村。
ヨウティエ(ウー・レンリン)は貧しい農家の四男。
両親とふたりの兄はすでに他界し、家を継いだすぐ上の兄のもとで暮らしているが、厄介者扱いされている。
そんな折、ヨウティエに結婚話が持ちかけられる。
相手はクイイン(ハイ・チン)といい、年齢的には薹が立っている。
というのも、内気な正確なうえ、下に持病があり、子どもを産むことができないからだ。
クイインの家でも厄介払いができるという思惑もあり、ふたりは結婚、村はずれの空き家で牛を飼い、作物を作りながら暮らすことになった・・・
といったところからはじまる物語で、その後はふたりの愚直で貧しい暮らしが淡々とつづられていきます。
入院中の豪農に輸血が必要となるが、Rhマイナスの血液型のため提供者がおらず、村で唯一、同型のヨウティエが提供することになったり、
古家を壊すと党から家主に補助金が出るということで、家主から住んでいた家を追い出されたりと、
無学で他人を疑うことを知らないふたりは、世間から都合のいいように扱われます。
扱われ方は、ふたりが飼っているロバにも等しい。
いや、ヨウティエもクイインも使役にロバを使ってはいるが、そこには愛情がある。
となると、ふたりが世間から受けている扱いは、ロバ以下ということになる・・・
といいうことで、「あ、これはブレッソン監督『バルタザールどこへ行く』の中国版かしらん」と頭を過りました。
(この映画を観ている時点では『バルタザール』は未見なので、イメージだけでの想像です)
はじめに住んだ家は取り壊され、ヨウティエは日干し煉瓦を作り、自分の家を建てようと決意。
中盤は、家づくりの様子が、丹念にかつ淡々と描かれていきます。
淡々とした描写の中で、
イラン映画で、日干し煉瓦を延々とつくるのも観たな、題名は忘れたけど、
とか、その無数の日干し煉瓦が突然の豪雨で濡れて、努力が水泡に帰そうとするのは、メル・ギブソン主演『ザ・リバー』の豪雨シーンだな、
とか、かつて観た映画の記憶が脳裏を過ります。
そして、ようやく家が完成したところ、ヨウティエの兄が村から最も近い都市に最新の高層住宅が建設され、そこへの入居は低所得者が優先されることを聞きつけます。
入居金も格安。
兄は、ヨウティエ夫妻に申し込むことを勧めます。
ますます世間からいいように扱われている感が募ります。
終盤、新居づくりが身体に堪えたのかクイインは臥せるようになり、「湿っぽい病気モノになるのはイヤだなぁ」と感じていた矢先・・・
この終盤の展開はビックリです。
ですが、劇作としては潔い。
潔さを感じます。
身辺を整理したヨウティエは、ひとり寝台に寝て、かつてクイインが草を編んでつくったロバを手にしながら、「草のロバなら、こき使われることもないのに・・・」と呟き・・・
ジャンプカットで、日干し煉瓦で建てた新居が壊されるエピソードへと繋がります。
兄は「ヨウティエも街の新居に越した」と話しますが、果たしてそうなのか。
原題「隠入塵煙 RETURN TO DUST」、土埃に還る。
日本タイトルの「小さき麦の花」は、収穫した麦の粒5つを親指の押し当ててつくる、花もよう。
「あの世で、互いに相手を見分けられるように」とふたりがつくった目印のこと。
淡々と農民の生活を描きながら体制批判・社会批判を巧みに織り交ぜるのは、90年代あたりまでは、よく中国映画でもみられました。
久しぶりに、中国映画を観た、という手ごたえがありました。
<追記>
なお、豪農のところでは自動車も出てくるし、いつ頃の話なのかしらん、と思っていましたが、2010年頃の話だそうで、いやぁこれには驚きました。
いい意味で眠たくなりました😴
お荷物同士で結婚させられて、ロバに畑を耕させ、刈り取りまで全て手作業、土蔵みたいな家で鶏と同居。ライフライン一切なし。
一体いつの時代の話よ⁉︎と思ったら現代の中国です。
途中、ものすごく眠くなり、眠ってしまったせいもあり、なぜ、何度も家を壊されるのかがわからないまま終了。
見終わって、ロビーに貼られた解説を読んでいたら、隣にいらした紳士が話しかけてくださったので、疑問点を質問、教えてもらいました。
社会制度を知ってから思い出すと感動します。
原題のReturn to dustが心に沁みました。
それでも、奇跡の映画というほどではないような気がします。
淡々とフランス映画のように
何も伝わらない予告(いい意味で)、高い評判のため鑑賞です。予告から、、、眠くなりそうなので、カフェインとりながの鑑賞でした。
中国の映画って味付け濃いめの映画という感じでしたが、フランス映画のように淡々と進みます。
ほんわかしますが、喜怒哀楽はない。
言葉にするとありきたりなストーリーですが、中国の農村部の暮らしや風習が日本人には新鮮。
また、初めは特になんの魅力もない二人と思いましたが、優しさなど魅力的です。
ただ、、、、この映画が中国の若者の間で流行った??それはさすがに信じられない。
どこに引っかかるのかな?中国の都市部から見ると農村部は別世界なのか、素朴な夫婦愛がよいのか、、、
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