「中国西北地方の農村。 ヨウティエ(ウー・レンリン)は貧しい農家の四...」小さき麦の花 りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
中国西北地方の農村。 ヨウティエ(ウー・レンリン)は貧しい農家の四...
中国西北地方の農村。
ヨウティエ(ウー・レンリン)は貧しい農家の四男。
両親とふたりの兄はすでに他界し、家を継いだすぐ上の兄のもとで暮らしているが、厄介者扱いされている。
そんな折、ヨウティエに結婚話が持ちかけられる。
相手はクイイン(ハイ・チン)といい、年齢的には薹が立っている。
というのも、内気な正確なうえ、下に持病があり、子どもを産むことができないからだ。
クイインの家でも厄介払いができるという思惑もあり、ふたりは結婚、村はずれの空き家で牛を飼い、作物を作りながら暮らすことになった・・・
といったところからはじまる物語で、その後はふたりの愚直で貧しい暮らしが淡々とつづられていきます。
入院中の豪農に輸血が必要となるが、Rhマイナスの血液型のため提供者がおらず、村で唯一、同型のヨウティエが提供することになったり、
古家を壊すと党から家主に補助金が出るということで、家主から住んでいた家を追い出されたりと、
無学で他人を疑うことを知らないふたりは、世間から都合のいいように扱われます。
扱われ方は、ふたりが飼っているロバにも等しい。
いや、ヨウティエもクイインも使役にロバを使ってはいるが、そこには愛情がある。
となると、ふたりが世間から受けている扱いは、ロバ以下ということになる・・・
といいうことで、「あ、これはブレッソン監督『バルタザールどこへ行く』の中国版かしらん」と頭を過りました。
(この映画を観ている時点では『バルタザール』は未見なので、イメージだけでの想像です)
はじめに住んだ家は取り壊され、ヨウティエは日干し煉瓦を作り、自分の家を建てようと決意。
中盤は、家づくりの様子が、丹念にかつ淡々と描かれていきます。
淡々とした描写の中で、
イラン映画で、日干し煉瓦を延々とつくるのも観たな、題名は忘れたけど、
とか、その無数の日干し煉瓦が突然の豪雨で濡れて、努力が水泡に帰そうとするのは、メル・ギブソン主演『ザ・リバー』の豪雨シーンだな、
とか、かつて観た映画の記憶が脳裏を過ります。
そして、ようやく家が完成したところ、ヨウティエの兄が村から最も近い都市に最新の高層住宅が建設され、そこへの入居は低所得者が優先されることを聞きつけます。
入居金も格安。
兄は、ヨウティエ夫妻に申し込むことを勧めます。
ますます世間からいいように扱われている感が募ります。
終盤、新居づくりが身体に堪えたのかクイインは臥せるようになり、「湿っぽい病気モノになるのはイヤだなぁ」と感じていた矢先・・・
この終盤の展開はビックリです。
ですが、劇作としては潔い。
潔さを感じます。
身辺を整理したヨウティエは、ひとり寝台に寝て、かつてクイインが草を編んでつくったロバを手にしながら、「草のロバなら、こき使われることもないのに・・・」と呟き・・・
ジャンプカットで、日干し煉瓦で建てた新居が壊されるエピソードへと繋がります。
兄は「ヨウティエも街の新居に越した」と話しますが、果たしてそうなのか。
原題「隠入塵煙 RETURN TO DUST」、土埃に還る。
日本タイトルの「小さき麦の花」は、収穫した麦の粒5つを親指の押し当ててつくる、花もよう。
「あの世で、互いに相手を見分けられるように」とふたりがつくった目印のこと。
淡々と農民の生活を描きながら体制批判・社会批判を巧みに織り交ぜるのは、90年代あたりまでは、よく中国映画でもみられました。
久しぶりに、中国映画を観た、という手ごたえがありました。
<追記>
なお、豪農のところでは自動車も出てくるし、いつ頃の話なのかしらん、と思っていましたが、2010年頃の話だそうで、いやぁこれには驚きました。