小さき麦の花のレビュー・感想・評価
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Low-Key Gobi Rural Life Tragedy
A slow-baked tale of life in the Jintao to Xi Jingping transition stage of Chinese history, in Northern Central China. With Alibaba in the production, it's a bighouse film strewn as arthouse picture. It's intresting that this film was allegedly a threat to Chinese rule, and its heartbreak tale of poverty was whittled down. It's the latest lens into Chinese society. Good music by Iran's Yazdanian.
”映え”を気にする世の中だからこそ、何気ない日々の中にあるモノの大切さに気付かせれる素敵な映画でした
この映画を観ようと思ったのは、公私ともにお世話になっている経営者の方から「仕事をしていく上で色々と気付かされる映画だった」と、オススメされたのがキッカケです。
とても気づきのある映画だったので、あらすじや感想などまとめてみます。
<映画内容>
2011年、中国西北地方の農村が舞台の作品です。
貧しい農民のヨウティエと、内気で体に障がいがあるクイイン。
互いに家族から厄介払いされるかのように、見合い結婚し、夫婦になったところから物語は始まります。
ぎこちなく、それでも互いを思いやり、作物を育て、日々を重ねていく、そんな2人の様子が描かれています。
<感想>
この映画の印象は、良い意味で「派手さがない」です。
映画全体を通して、農村地域の何気ない日常が描かれています。
だからこそ、そこで描かれている主人公夫婦の関係性の変化や、2人で掴んでいく幸せ、逆境が、実際にもありそうで、自然と自分自身と重ね合わせることができ、映画の世界に入り込んでいきました。
特に印象に残っているシーンは3つあります。
①少しずつ、主人公夫婦の家の者が増えていくシーン
元々、生活していく上で必要最低限のモノしか置いていなかったところから、徐々に壁の装飾や明かりが増えていく様子が描かれます。
モノが増えると、2人の幸せが増えていく様子を表しているようで、観ていてなんだかほっこり、暖かい気持ちになりました。
②2人で力を合わせて家を造るシーン
上記①と近しいのですが、ヨウティエが障がいをもつ妻のクイインと、2人の暮らしの象徴である家を一緒に造るシーンが印象的でした。
この瞬間から、クイインは「守られる対象」から、「一緒にモノをつくる仲間」になったように感じ、この夫婦がとても力強くなったと感じました。
③貧困層と富裕層との描写
ここは私にとって、とても印象に残り、そして違和感を感じたシーンです。
富裕層は外車を乗り回し、装飾品が多く身に付けている。
その一方で、貧困層はとにかく質素で、政治など外的環境による悪影響を真っ先に受けてしまうような描写が度々登場します。
個人的には、ここまで露骨に貧富の差を描いていることに違和感を感じました。
(他の映画でも描かれているけど、私が今まで目を逸らしていただけなのかもしれませんが。。)
そんな貧富の差が大きい環境の中で、ヨウティエが、富裕層である兄から差し出されるモノを受け取るシーンがほぼなかったことが、とても印象に残りました。
ヨウティエは、豪華なモノより、地に足がついた状態で自分で手に入れるモノを誇りに思っているのだと感じました。
ヨウティエが唯一兄から受け取ったのは、妻のためのコートでした。
地に足がついているかどうかではなく、素直に妻に喜んでほしくて、そのコートを手に入れたのだと思うと、ヨウティエの妻に対する愛の深さ、そして心の豊かさがより素敵に強調されたように感じました。
<最後に>
元々、ハリウッド映画や邦画が好きだったこともあり、私にとって中国映画はあまりなじみのないジャンルでした。
そのため、事前に公式サイトを調べてみたところ、
この映画は、公開後2ヶ月近くが経過してから異例の大ヒットとなったことを知りました。
特に20~30代の、とりわけ大都市に暮らす層がSNSなどで話題にしていた、聞いて興味がそそられたこともあり、オススメされてからすぐに配信サービスでチェックしました。
私も影響されたように、SNSやインターネットの普及で、気軽に色んな情報が得られる時代で、どうしても周りと自分を比べてしまうことが多くなったような気がします。
今は、映えること、バズること、周りにすごいと思われるような何か大きなことをしなければいけないのでは?と、考えてしまう時代なのかもしれません。
ですが、今ある環境の中で、自分のできる最大限を毎日コツコツと継続していくことが、小さな幸せを生んでいくのだなと感じました。
また、私があの中にいたら?と考えました。
私なら、今ある環境を我慢して受け入れるのではなく、「もっと」を望むのも、別に悪いことではなく、むしろ人間の本能だとも感じました。
どうせ努力するのなら、やっぱり望んだもの全部が叶う人生が良いなと思いました。
ただ、それには、それ相応のリスクを選ぶ覚悟が必要なんだなと、改めて気付くキッカケにもなりました。
考えさせられる
時代は2011年、現習近平政権への交代前年。
家族のお荷物の男女が追い出されるように縁談を取り付けられ結婚。
農村部で極貧生活の中地道に生きていくお話です。
全体的に地味だけど、色んな意味で中国という国について考えさせられるとても良い作品でした。
中国内の貧困格差は凄まじく、貧困地帯の命はあまりにも軽い。
作中、主人公が富裕層への輸血のために何度も協力させられるシーンがありますが、中国での違法な臓器売買を連想させます。
また後半、あっけなく妻のクイインは川に落ちて死んでしまいます。
ラストの解釈は色々とあるようですが、個人的にはヨウティエは後追い自殺したのだろうと思っています。
身辺整理し全ての人へ借りを返して、妻が自分に食べさせたかった卵を食べ、遺影を見つめ、草のロバを手に横たわる。作中、ヨウティエが「草のロバはいい、餌もいらないし、こき使われることもない」と言っていましたが、自分ももう誰にも搾取されなくて済むと思いながら亡くなっていったのかなと思いました。
また、その奥に意味深なボトルが配置されているのが印象的。
(同時期、中国の農村部では服毒自殺の割合がとても高かったそうで、作中のボトルは毒を象徴しているのかなと。。)
ラストは唐突に兄が「ヨウティエも町に住むのか 新生活だな」という台詞があり、物語は終わります。またエンドロールの最後でも中国語で「ヨウティエさんは政府と熱心な村人たちの援助により新しい家へ引っ越し、新しい人生を始めた」のいう内容が書かれています(英語訳の記載はなし)。
意味深すぎる。。。これも勝手な憶測ですが、中国政府の検閲により自殺シーンを改変・政府の政策PRにつなげたのではと。
作品の描写やストーリーからも、そして現実面からもあらゆる面で中国という国を考えさせられるとても興味深い作品でした。
幸せとはなにか、、
繰り返しの日常。
幸せとはなんなのか。
この映画は映画がとても大好きな知り合いにおすすめされて友人何人かと一緒に観賞しました。
観賞後のそれぞれの感想や意見・考察がわかれるのがとても興味深い作品でした。
とある町に住む男性と女性の結婚から始まる話。
決して裕福ではない二人には理不尽なことが起こったり、自分たちのせいではないことまで問題がやってくる。
ただ、それは誰しも生きていれば起こりうること。
男性はそんな理不尽なことも受け入れ、約束したことを律義に守って生きていく男性だった。
妻が障害がある人でも決して文句も言わず、二人で困難を乗り越え続けていく話はみていて地味ではあるけれど、それが幸せなのかもと感じました。
私は二人が土のレンガが台風で崩れてしまうのをおさえようとするシーンが好きでした。
ただ、そのあとの悲劇がとてもつらく、なんてあっさりと人はいなくなってしまうのだろうと、、。
男性の最後はどういう結末なのか友人と考察しあいましたが、捉え方は人それぞれだなと感じました。
自分にとっての日常は幸せなのか、生きていく中で一番の幸せとは何なのかを考える映画でした。
約束を守り続ける男はかっこいい。
そんな生き方をしていこうと決めました。
中国の貧しい農村地帯の夫婦の、思いやりに溢れた暮らしに心打たれました
発展著しい中国の、あまり語られることのないような貧しい農村地帯に暮らす農民の夫婦の物語です。
家族に邪魔者扱いされた者どうしで半ば無理やりに結婚させられるところから、この映画は始まります。
最初は目も合わせず会話すらなく、背中を向けて眠る関係だった二人が、日常の暮らしや仕事を通じてだんだん心を通じ合わせていく光景はとても美しいものでした。
派手なことはなにも起こらず、ただただ淡々と日々の糧を得るために働くふたり。
土を耕し、種を蒔き、作物を収穫するというその単調なサイクルを愚痴も弱音もこぼさず全うするその姿に、私は思わず自分を重ね合わせました。
私は事業を経営しているのですが、特別なことはなにもやらず、やるべきことを粛々と誠実に実直に実行している有り様がまさに自分のようだと。
この映画には派手なアクションや情熱的なラブロマンスこそありませんが、ありふれた日常に尊さを見出せる作品だと感じました。
タイトルなし(ネタバレ)
サイトHPにある”土は人を嫌わない”から始まる文言が印象的。引用“互いに寄り添い、土に寄り添い、愛という言葉は出てこないけど、これは〈永遠の愛の物語〉”
吹き替えも字幕も見つからず、言葉はわからなかったが感想。最初はお互い目を合わせないぐらいだったのが、一緒に過ごす過程でだんだん会話が増え、夫婦になっていく様が見れた。夫婦二人とロバと共生してる鶏と、中国の大自然で共に労働をし助け合いながら生きている。最後が泣ける。
あまり変わらない農民の暮らしぶりに驚き
清貧
バルタザールどこへ行く♥️
ロバは愚鈍な動物と思われている。そのロバを象徴してロベール・ブレッソン監督が「バルタザールどこへ行く」を撮った。さあ、ロバは愚鈍な動画なのだろうか?少なくともバルタザールとは東方からやって来たイエス・キリストの誕生を予言した三賢者の一人とされている。
ネタバレ
以下ネタバレ
そのロバが朝日が昇る平原から取り壊す家を見にやって来る。
つまり、どこへ行くのか?と言っている。そんなふうに鑑賞した。この人間社会なのかなぁ?
この物語は単なる愛の物語では無い。
僕はこの二人は単純に愛していたとは考えにくい。何故なら「労わる」「気を使う」「心配する」だけで、夜の逢瀬を過ごす場面が一切無かった。そして、彼女の死も涙を見せたわけでは無いし、以外とあっさり、表現されていた。また、麦の穂を持ち上げられない彼女に向かって『たらふく麦は食うくせに、そんな事も出来ないのか!ロバだって麦をやれば働く』と叫ぶ場面がある。(僕はこの場面が起承転結の転だと感じた。)
さて、三賢人とはこのロバを含めた夫婦の三人だったのだろうが、主人公は最後にそのバルタザールを「どこへでも行け」とあっさり捨てる。
彼にとって、彼女もそんな存在であったのかも知れない。
つまり、二人の関係は空虚な時間だったのだと僕は感じた。朝、生まれた卵は受精卵ではないので、ヒヨコは生まれない。麦の花だけでは新たな麦は実らない。
二人の努力はなんであったのだろうか。このオトコはしみじみそうかんじたのではないだろうか?
「バルタザール!どこへ
俺は行かにゃならんだ?!」
傑作だ。
中国のとても貧しいけど思いやりに満ちた夫婦の物語
中国の田舎のとても貧しい家の女性が何かしら障害があって尿漏れをいつもしているようだった。その女性と結婚した男性も貧しいが、家畜のロバをとても大切に扱ったり、燕や田んぼの中にいる何かの幼虫、そんな虫にまでも優しいのだ。女性はその男性と結婚させられて、すぐに彼の優しい人柄に幸せを噛み締めているようだった。それで一生懸命彼の為に働こうとする。夫婦共に優しい人で、約束も決して破らない。小麦を原始的手法で植え育て収穫し、家も自力で建てたりしてささやかな幸せを感じながら暮らしていた。何か不幸な事が起きる予感はしていたが・・最後はどうなったのだろう?結末はかなり急展開で驚いた。
あの名作を思い出した…
2022(日本は2023)年公開、中国映画。
リー・ルイジュン監督。
貧しい農家の四男坊・ヨウティエ(ウー・レンリン)と障がいのある内気なクイイン(ハイ・チン)の清冽な夫婦愛の物語。
2人には、これでもか、というくらい困難が降りかかる。しかし、2人は力を合わせて強く生き抜いていく。
誰の助けも借りずに。
クイインは、「子供を産めない」とされており、
左手は常に微かに痙攣し、歩行も難しそうだ。
尿意を感知できず、漏らしてしまう。
だが、ヨウティエは全く意に介さず、クイインを大切に大切に愛しむ。
そんなふたりの姿が胸を打つ。
シチュエーションも、キャラクターも全く異なるのだが、
フェデリコ・フェリーニの名作『道』を思い出した。
◆社会福祉的に後回しにされる人々、
◆近代化の割りを食っている人々、
とてつもないスピードで経済成長した中国だから作ることのできた作品とも言える。
派手なアクションも、奇想天外な展開もない。
淡々と2人の絆を描いている。
感動の涙を流した人も多いだろう。
冷血漢というわけではないが(笑)、私には強く響いては来なかった。
二番煎じ感が拭えなかったからだ。
☆2.0
ラブストーリーの裏で
大都市のビル群が遠くに望める田舎町で、実直で言葉少なく家族に厄介者扱いされている男女が見合いで結婚する。二人は多くを語らないものの、自分たちの幸せを手に入れるが。
ラブストーリーなのだが、彼らの置かれている状況がなかなか厳しくそれがラブストーリーを盛り上げることになっている。家族はいい年になって結婚しないシャイな二人を邪魔者扱いし、結婚は体のいい厄介払いだわけだ。二人は親の財産も貰っていなさそう。車も持っていない。田舎ならが家族はそれなりに近代化され豊かで甥はスマホを使っている。土地の一部で暮らすのだが助けがない。女には身体的な障害があるが、医者に連れて行ってもらったのか定かでない。農作物は豊作だがJAのようなところに買い叩かれる。都会に行くとコートを買うのにふっかけられ、値引きしても現金がない。臓器売買のようなことをせざる終えなくなる。
でも中国の開発されてない田舎の風景は美しいし、ラブストーリーも美しい。
土とともに暮らす人々の素朴な人生を描いたドラマと見るか、現代中国の社会問題を描いた作品と見るか、様々な捉え方ができそうな一作
主人公ヨウティエ(ウー・レンリン)とクイイン(ハイ・チン)は、せっせと農作物作りに励む朴訥な夫婦。どうやらクイインには何らかの障害があり、そのために親戚にはやや疎んじられているようだけど、ヨウティエの彼女に対する愛情は確固としている様子。
そんな二人の姿を見て、土とともに生きる生活も素朴でいいかも、と思いそうになるんですが、一方で自宅を建てる際に必要なレンガも自分で作る、雨が降ればずぶ濡れになってそのレンガを守る、そして農作業は家畜を使役することはあっても基本的には手作業のため、種付けも収穫も自ら行わなければならない、と、常に埃まみれで肉体労働に従事している、という過酷な日常であることも痛感します。しかも本作の時代設定は、工業化前どころか、急速な経済発展の只中にある現代中国です。そのため彼らの親族はビジネスに勤しみ、高級外車を乗り回す一方、ヨウティエからは文字通り血液まで搾り取ろうとします。それでも自らの人生にも周囲にも異議を唱えないヨウティエを幸せと捉えるかどうか、ちょっと考えてしまうものがあります。
結末の展開も、一体ヨウティエがどう判断してここに至ったのか、解釈のしようで見方が変わる内容になっています。主演俳優たちはそれほど知名度があるとはいえず、題材も派手なものではありませんが、中国ではSNSを通じて若年世代の人々を惹きつけ、興行的には予想外の好成績だったとのこと。観客たちが本作に何を見出したのか、その点も興味があるところです。
静かな、美しい映画
ツバメがいいなぁ
どんなに忌避・疎外されている者でも巡り合わせによって誰かと奇跡のような時間を共有することができる,愛があれば何でもできる、ではなく、何かができると思わせてくれる作品。
当初寡黙・無表情だったクイインが次第に喜怒哀楽を言葉にしていく姿には思わず微笑んでしまう。一方でヨウティエが麦収穫の時にクイインを罵倒してしまうのは,それまでひたすら献身的だった彼についに芽生えた彼女への甘えの,ものすごく不器用な表現ではなかったか?
ヨウティエを単純に哀れんでしまうのは,誇り高い(という自覚は全く無いだろうが)彼に対して些か礼を欠くと思う。
本当に久しぶりに「伴侶」とか「ベター・ハーフ」のような古めかしい言葉を思い出した。
勢いよく笛を吹く雨どいの瓶。二人で聞けば怖くないと言う妻。
主演女優のハイ・チン(海青)さんって、印象的な美人さんだったはずなんですよ。で、気になって年齢を調べたら46歳なんです。えー?ほんじゃ、ウー・レンリンって幾つなん?で調べたけど、わからんw
でも、これ、ベルリンのコンペティション部門に持って行ってるんですね。今のドイツで、どう捉えられたのか興味はあります。
家族に邪魔者として疎んじられ。一人前の人間としての扱いも受けられず、厄介払いのために結婚させられ、空家に追い出される。と言う展開から。本当に短い、おそらく1年の生活の中で、愛を育み、情を注ぎあい、身を寄せ合って生きた2人。
手の甲に作る「小さな麦の花」は、すぐに消えてしまう愛の印。本当に一瞬で終わってしまった夫婦の日々を象徴するかのごとき麦の花は、一人残された男の心の中に咲き続ける。ことであろうよ。って言うだけの映画です。
事前情報からは、「しあわせの絵具」的なものを予想してました。予想通りではあったし、印象にも残った。
結婚の報告に向かう2人。村外れの砂丘に上り、男が差し出した麻花。不平も言わず、自分を責めることも無く、おもらしの後の世話をしてくれる男。夫として慕い、寄り添い、献血の心配をする女。ロバに優しくする姿を見て、この男性ならやっていけると思ったと話す女。
かような純朴な愛の成り立ちにですよ。ココロ持って行かれる訳ですよ。あざとい作りではあるんですけどねぇ。定期的にやってくる、この手の中国映画には、見事にしてやられているワタクシです。なんか「木靴の木」みたいで。抗うこともできず、沁みるがままに見入ってしまいました。
良かった。
かなり。
忍耐がいる映画だ。我慢が必要。
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