太陽と桃の歌のレビュー・感想・評価
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【地主から立ち退きを求められた三世代大家族の桃農家の、家族の絆の揺らぎを諍いや笑いなどを絡めながら描き出した作品。エンドロールで流れた太陽と桃の歌は、何だか沁みたなあ・・。】
■スペイン・カタルーニャ地方の小さな村で、桃農家を営む三世代大家族のソレ家。ある日地主のピニョールから農地にソーラーパネルを設置するので、立ち退いてくれと告げられる。
祖父のソヘリオは地主の父から、スペイン内戦時に土地を借り受ける約束をした際に、キチンとした契約書を交わしていなかった事で、息子のキメットに責められる。
又、農家を取り巻く経済環境も厳しい状況が続く中、それでもソレ家は桃を作り続けていた。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・今作の監督のカルラ・シモン監督は実際にカタルーニャ地方の桃農家で育った方だそうで、キャスティングもプロの俳優ではなく、地元の人達に演劇指導をして登場して貰ったそうである。
観ていて、気付かなかったなあ。逆にそれが、どこか素朴なソレ家の人達の雰囲気を醸し出していた感じがする。
・テーマ的には、悲壮感が溢れても仕方がない気がするが、ソレ家の人達は抗いようのない運命の中でも、どこか明るい。
寡黙なソヘリオは桃農家のプライドを持ち、息子のキメットも同様だが一番危機感を持っている感じである。孫のロジェーもそつなく作業をこなすが、どこか楽天的な感もある。
三世代の価値観の違いが、良く描かれていると思う。
・ソヘリオは村の喫茶店でトランプの賭けで土地を得ようとするし、キメットは常に苛苛している。ソヘリオを詰るが、息子のロジェ―の作業は認めている。そんな中、孫5人はヤンチャに遊んでいる。何処か、牧歌的である。
・ソヘリオが自身の畑で取れた真っ赤に熟した自慢のトマトや、イチジクをピニョールに渡したり、ロジェ―と妹のマリオナが桃畑の害獣ウサギを撃ち、夜にピニョールの家の戸の前に並べて置いて、ピンポンダッシュをする姿なども切なくも、可笑しいシーンであったよ。
・キメットとロジェーが争った時には、キメットの妻ドロレスがイキナリ、びんたを二人に食らわせるシーンや、キメットが先行きへの不安が爆発して泣き出すシーンで、その姿を見た家族が黙ってしまう姿は、何とも言えなかったな。
・けれども、そんな中でもソレ家の人達は昼食を共に摂り、お喋りをしながら、楽し気に過ごすのである。それにしても、スペインの桃って、ネクタリン見たいな感じなのかな。黄桃みたいな桃もあったなあ。
<だが、その日は意外と早くやって来て・・。ラスト、ショベルカーが桃の木が植えられているソレ家の畑を、不気味な音を出しながら掘り起こしていくシーンは、矢張り哀しかったなあ。>
<2025年1月26日 刈谷日劇にて観賞>
家族と地球の未来
カタルーニャで代々引き継がれる桃農園の大家族。
ソーラーパネルの事案で大家族に大きな亀裂が入る。
キャストもカタルーニャの方々を使いリアリティが
増す。ドキュメンタリーに近い演出。
広大な自然な土地に警笛を鳴らしてる感じ。
散々と降り注ぐ太陽の光と眩しさとソーラーパネル。
続けたい人々と新しい事をしたい人。
色々な葛藤と気持ちが対比してた。
沢山な場所に秘密基地を作る子供たちは無邪気
で可愛いかった。唯一の救い。
歌うのは友のため、土地のための歌詞は印象的。
綺麗な太陽の下にあった桃は甘酸っぱく
せつなかった。
フルーツ缶詰に入っている桃を思い出しました
太陽光パネルで農園を切り崩して、、、
そこがラストシーンになっているのが切ないです。
その直前の父ちゃんの涙もグッときました。
農家で生計を立てるのが厳しい状況も描写され、
主人公家族も今のままではやっていけないことは
うっすら分かっているのだろうと思いますが、
にしても、やっぱりせつないですね。
家族のドラマというよりは、
ドキュメンタリー的なアプローチになっていて、
すごくリアルな描写でした。
ただ淡々と終始進んでいくので
エンターテイメントとしては厳しいかなと思います。
スペインは、世界一の桃輸出国とか
この作品は、カルラ・シモン監督の第1作がそうであったように、多分にジュネス(青少年)向けの色彩が強い。極めて多くの映画祭やアワードで受賞やノミネートに結びついている。どうしてだろう?
本作品は、スペインのカタルーニャ地方の3代にわたる桃農家に訪れた危機を描いている。経済が発展しているスペインは、同時にEUにあってフランスと並ぶ代表的な農業国、大地が厳しい印象があるが50%以上が農地で、桃の栽培も盛ん、世界最大の桃輸出国とか。見渡す限り、桃の花が咲いている景色をどこかでみたことがある。生産額が増えたのは90年代だから、家族経営から大規模経営に切り替わったのも、その頃だと思う。監督の家は桃農家だそうで、背景は熟知しているに違いないが、一番大変な桃の収穫の季節には限りがあるから、機械化が進んでいるにせよ、家族だけでできるはずもなく、季節労働者やアルバイトを導入せざるを得ない。本作では、太陽光パネルの導入と言う現代風の味付けがあったが、その辺でリアリティの欠如があり、その分ノスタルジックで、シンボリックに、何が起きたのかを若い世代に伝えたいと思ったのでは。百歩譲って、その経過は理解するとしても、映画の冒頭と最後はともかく、その間が非常に長く、私には退屈だった。それが、日本公開まで2年間以上を要した一つの背景か。それでも、この映画を楽しんだ皆さんには、本当に申し訳ないのだが。
映画としてつまらない
ドキュメンタリー作品を観ていると錯覚するほど演者の皆さん自然でした。ただ、逆に言うとあまりにも自然すぎて悪い意味で映画を観ているとは思えませんでした。近代化や合理化に押しつぶされる農園の現状を伝えたかったのでしょうが、問題提起するだけで解決策は何も提示されず、気分が暗くなるだけの作品でした。
変わりゆく時代と家族の崩壊になす術なし
スペインのカタルーニャ、3世代にわたり桃農園を営んできた大家族に突き付けられた立ち退き命令。桃の木を伐採しソーラーパネルを敷き詰めるというが、土地に関わる契約書の類がなくなす術なし。
祖父、父、息子、そして叔父さん、叔母さん、各々の思い、抵抗、反発、挙げ句の大げんか。
それと平行して淡々と描かれる彼らの日常生活がまぶしかった。愛おしかった。
最後の収穫を終える頃、巨大な重機の騒音が間近に迫っていた。
そう、これは変わりゆく時代と家族の崩壊が何ともやるせない秀作だった。
タイトルなし(ネタバレ)
スペイン・カタルーニャ地方の桃農園。
親子三世代の大家族で桃以外の作物を育てている。
ある夏の終わり、若い地主から、土地を明け渡すように言われる。
先代の地主とは、永代に貸し付けを受けられるよう約束したのだが、口約束で契約書がない。
若い地主は、「農園を更地にしてソーラーパネルを敷き詰める、農家のみなは管理人として、そのままこの土地に残ってよい」という・・。
という物語。
桃農家も三世代に渡るので考え方がそれぞれ異なる。
一家の中心、中年の長男は農家として続けたい、続けられなくても今夏限りの収穫はしっかりやりたいと張り切る。
彼の息子、長男の学生もその思いは強いが、一家の中心の父は、息子には学をつけてほしいと願っている。
一家の中心の長男の妹夫妻は、どちらかというとソーラーパネル派だ。
だからといって無理強いまではしない。
これら農家と起業家の対立を背景に、大家族の世代間差も多く盛り込まれているが、それぞれのエピソードが短いこともあり、なかなか登場人物ひとりひとりに集中できず、やや散漫な印象が残りました。
祖父と孫娘の関係に『木靴の樹』を思い出したり、ラスト、ショベルカーで桃樹が倒されるショットなど心に残るショットもありましたが、少し食い足りない感じでした。
家族の中で孤立していく男は、自分の不器用さを環境や人のせいにして棚上げしてしまうもの
2024.12.19 字幕 アップリンク京都
2022年のスペイン&イタリア合作の映画(121分、G)
太陽光パネル事業によって紛糾する農家一族を描いたヒューマンドラマ
監督&脚本はカルラ・シモン
原題の『Alcarrás』は主人公ソレ一家の住む町の名前のこと
物語の舞台は、スペインのカタルーニャ地方にある田舎町アルカラス
そこには地主ピニュール(ジャコブ・ディアルテ)から土地を借りて桃農園を営んでいるソレ一家がいた
農園を開いたのは祖父のロヘリオ(ジョゼ・アバット)で、今では息子のキメット(ジョルディ・プジョル・ドルセ)が中心になって経営をしていた
農園の手伝いには、キメットの妹ナティ(モンセ・オロ)の夫シスコ(カルレス・ガボス)や、キメットの息子ロジェー(アルベルト・ボッシュ)が加わっていた
キメットにはもう一人の妹グロリア(ベルタ・ピポ)がいたが、彼女は別の場所に住んでいて、キメットとの仲は最悪だった
ある日のこと、夏までに土地を開け渡すように言われた一家は、ロヘリオが交わした契約書を探し始める
だが、口約束で交わしたもので、先代はもうおらず、証明するものがなかった
そこでピニョールは「パネル事業の管理者」を打診するものの、短気で頑固なキメットは聞く耳を持たずに暴力的に反発してしまう
その後、ピニョールはシスコと話を進め、彼はその方向性に同意する
だが、キメットはそれを不服としてシスコと喧嘩沙汰になってしまう
ナティは呆れ、キメットの妻ドロルス(アンナ・オティン)も悪化する家族関係にため息を漏らしていた
映画は、この大人たちの物語と同時に、キメットの末娘イリス(アイメット・ジョウ)とナティの双子の息子ペレ(ジョエル・ロピラ)とパウ(イザック・ロピラ)がはしゃぐ様子が描かれる
また、キメットの長女マリオナ(ジェニア・ロゼ)は、友人たちとダンスチームを組んでいて、農園を手伝う気はさらさらなく、反抗期の真っ只中にいたりする
物語は、キメットの一人相撲から徐々に悪化する様子が描かれ、シスコ一家のみならず、自分の家族からも距離を置かれる様子が描かれていく
ロジェーもだんだん手伝わなくなり、友人たちとナイトクラブで朝帰りをしたりするし、マリオナもダンスをやる気が失せて、パーティーをボイコットするようになってしまう
挙げ句の果てには、農園の強行取り壊しが行われてしまい、キメットが呆然とするシーンで物語は終わりを告げる
太陽光パネルに関しては、詐欺に引っかかってるなあと思いつつも、農園の収入悪化から避けられない事態になっていた
パネルによって、この土地の温度が上昇し、農作物は育たなくなってしまうので、この事業がこの土地で行われた以上、切り替えざるを得ない
とは言え、パネルがどのような影響を与えるかを知っているのは先進国の一部の人だけなので、このような方法で痛い目を見るのはここだけではなかったりする
映画は、ほぼ演技素人が集まって家族を演じているのだが、その自然さには驚くばかりだった
イリスが奔放すぎて、モザイクが入りまくるのだが、これはまあ仕方のないことかもしれない
いずれにせよ、家族がおかしくなっていく過程を描いているのだが、頭が回らずに短絡的な思考しかできないと、いずれは全員を敵に回すことになってしまうということを描いていた
パネルの是非よりも、地主に対する態度とか、一緒に働いている人への敬意などは全くないので、いずれは破綻した一家なのかもしれない
劇中で子どもたちが歌う歌が印象的で、彼らがあの歌をチョイスしてしまうのも流れのひとつなのだろう
船頭は常に高いところから状況を見て、自分を支えてくれる人に敬意を抱かなければならないと思うので、粗暴な言動で高圧的になっていないかを振り返る意味では「鏡」のような作品なのかもしれません
最初のシーン、最後のシーン
冒頭で廃車に乗った3人がかなり好きでした。
最後のシーンは(私にとっては)かなり衝撃的でした。子どもたちの声にのせて、おじいちゃんが歌い始めるところもかなり好きでした。
「退屈な」映画だが得られるものは多い。内容考察を含むのでネタバレ扱い
今年436本目(合計1,527本目/今月(2024年12月度)15本目)。
※ (前期)今年237本目(合計1,329本目/今月(2024年6月度)37本目)。
「はたらく細胞」と35分違いでこちらの作品。こちらは東京テアトル配給とまぁ映画館が違うのにバラバラですね(「はたらく細胞」は木下グループ扱い。大阪市ではつい先日、旧シネマートの跡地にできたキノシネマ心斎橋が「取り扱いうる」映画館にあたる)。
ほぼストーリーはあってもないような映画で、要はソーラーパネルを付けたいから桃の収穫ができたら出て行ってくれという話でモメはじめて、結局はあきらめて1年後か桃の収穫をしてその後出ていく(直前まで)が描かれる、ただそれだけのストーリーです。
ただ、それだけの理解だと、この映画が金熊賞を受賞した理由等一切わからないし、この映画が何を述べたいのかも一度見ただけでは理解ができず(せいぜい、農家の今後はいかにすべきか、という問題提起しかわからない)、以下は海外公式や海外レビューサイト等もかなり調べた内容になります。ほぼ答え合わせに近い形ですね。
なお、当方は行政書士の資格持ちレベルの知識です(よって、映画の述べる趣旨の裏にある事情等は知っているか、調べればわかる程度の知識)。
どうにも私の書く文章は長文になることが多いので、どうでもよい内容等は最初に完結に述べて本質論は後に回します。
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(減点0.7/以下のような事情があることにたどりつくのが日本の視聴者には困難)
正直、かなりの理解力を要するし、この映画が述べたいことは「独立して」2つあるのですが、そのいずれもがかなりの前提知識を要するのでかなりの理解力を要します。
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(減点なし/参考/謎のうっすらモザイクシーン)
この映画の主人公を誰に取るかは色々ありましょうし、家族を描く映画なので「全員」ともいいうるし、だからこそ「誰でもない」ともいえますが、登場人物のイリスちゃんがお風呂から出て「着替えることなく」リビングでテレビを見るシーン、その後で「お行儀がよくないですよ」とお母さんに抱っこされて台所まで連れていかれるシーン、そこまでの部分の、イリスちゃんの胸の部分にうっすらモザイク(ぼかし)がかかっています。
ただ、イリスちゃんはどうみても5~6歳、あって7歳か8歳かという子であり、その上半身が仮にちょっと映っていてもどうでもいい話で(下半身まで映っているとさすがにアウトだし、それだとPG12以上になってしまう)、まぁ本国側の規制なんだろうと思います。
※ 「イリス」はIris。スペインではこの読み方ですが、他国では「アイリス」(花の名前、あるいは、虹の女神から)。
(減点なし/参考/この映画が金熊賞を取った背景ほかについて)
以下は、海外評価サイト等を参考に解釈しなおした内容になります。
まず、この映画はスペイン映画ですが、日本では1年に2~3本くらいかなというスペイン映画を漏れなく見ても「これってスペイン映画?」と思えるほど聞き取りが難しい部分があります。実はこの映画はカタルーニャ地方を描いた映画で(公式参考)、この地方は「カタルーニャ方言」になります(フランス語との混合言語に近い)。この映画はその撮影や主要主人公ほかを全て当地の出身者、在住者から選んだことが一つ評価されています。
※ 聞き取りはかなり難しいですが、ラスト近くの抗議ストライキシーンで Volem.... ! という部分から明確にわかります。スペイン語をある程度知っていれば、volemの原形(辞書形)がvolerになることは推測がつきますが、標準スペイン語にはそのような単語は「なく」、かつ仮にあるとしても volemos になるため(ごく初級の範囲)、この部分で明確に「ある国の地方の言語、文化を丁寧に扱っている映画だ」ということがわかります(volerはカタルーニャ方言としては「欲する」の意味。フランス語では「空を飛ぶ」で全く意味が異なる)。
※ 標準スペイン語とはかなり異なる言語で、日本映画でいえば、純粋たる日本映画でアイヌの歴史や沖縄戦を扱う等、「聞き取り」にある程度の知識が求められるような映画(最近は補助字幕を付けられる当事者が減ったので、最初から標準日本語で作られることも多いですが)がおよそ相当します。
2つ目の論点は、「スペインの電力事情」について肯定的にも否定的にも描いていない部分です。
最初に「この土地の所有権を証明する権利書がない」等というシーンがありますが、スペイン民法では不動産の所有権の主張(得喪の主張)には、「契約書の締結と、不動産登記」という2段階を要求します(この点で、ドイツ系(韓国)ともフランス系(日本)とも違う)。そして「この権利書がない」等というシーンは、海外の説明ではその「存在しない」という理由として映画として本質的ではないので述べていないとするものの「スペイン内戦で失われた」とされるものが一般的です。確かにそういわれれば納得できます。
さて、映画内では「この農園にソーラーパネルを設置したいから出ていけ」という展開になりますが、この展開はスペインにありがちな展開です。スペインを含め多くのヨーロッパの諸国では原子力や火力発電所等に極力頼らず「自然にやさしい」発電を目指す傾向があります。スペインも例外ではありません。
このとき、諸外国においては各国の取り組みはそれぞれ違っても有事の際に備えて電力のお互いの供給ができるようにしていることが普通ですが、スペインは3方向を海に囲まれフランスとはピレネー山脈で接する形になるので、他国と同様というわけにはいきません。そして、スペインではスペイン内戦やスペインかぜなどを経た経緯、あるいは2020年以降はウクライナ戦争等もニュース報道された経験があるため、「自国の電力は自国で作る」ことが国策であり、「風力発電、太陽光発電」に対しては国が力を入れて取り組んでいる事情です。特に後者の太陽光発電はスペインが「太陽の国」というように非常に有利な地であることから日本と同程度に盛んで(スペインの面積は日本の1.2倍ほど)、実際に「農産物などは最悪輸入すればよいが、電力はそうはいかない」事情があるので、映画のような展開はしばしば問題になっており(農地の極端な安価な買いたたきや、農産物の値段を極端に安くするように要求して廃業に追い込む等)、映画の述べる第二の趣旨はそこになります。
とはいえ、第二の趣旨は「ある程度」推測はついても第一の趣旨(カタルーニャ地方出身者を多く起用した点)はほぼわからない点で、何らかの説明が欲しかったところです。
(※) ソーラーパネルの設置数「それだけ」を考えれば、統計にもよりますが、第一位は日本であったりドイツであったりします(ドイツも比較的ソーラーパネルの先進国)。ただし、日本においては設置例は多いものの、日本では梅雨があったり冬にあたる11~2月ごろにはせいぜい補助電力程度にしか頼りにならないなど、スペイン・ドイツ等とはそもそも論で扱いが違います。
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