太陽と桃の歌のレビュー・感想・評価
全44件中、21~40件目を表示
怒りの桃🍑🍑🍑
太陽と桃の歌(映画の記憶2024/12/20)
地の糧、歌う人々
高橋久美子さんのルポ「その農地、私が買います」(ミシマ社刊)を思い出した。高橋さんの本は愛媛のミカン農家(高橋さんの実家)が農地を太陽光パネル設置場所に転用することを食い止めようとする話だった。
地主のピニョールにしても、そしておそらく農家自身、この映画で言えばソレ家の人々も、作物を植え収穫することと、太陽光パネルでエネルギーを集めることの本質的な違いに気づいていない。地から糧を得るためには、地面にコストをかけなくはならない。それは種子であったり肥料であったりするし、もちろん人的資本であったりする。一方、太陽光パネルは、地面に届く直前の太陽エネルギーを収奪する。エネルギー供給を遮られ、手をかけてもらえなくなったパネルの下の土地はやがて痩せてパワーを失っていく。
太陽光パネル事業が一方的に悪と言っているわけではない。ただその土地のことを長期的に考えていくにあたって、一方の当事者である農家は経済的に追い詰められていたり後継者難であったりすることが多く、一方の当事者である太陽光パネル業者は末端の開発担当やオペレーション担当に過ぎず事業全般を見渡せる情報や戦略を持ち合わせていないことが多い。だからこの映画の様に二世代をかけて育てた立派な桃の木を斬り倒しどの様な採算や効率が得られるか誰も承知していないパネルの設置が、十分かつ慎重な検討なしで進むこととなる。
おそらく、愛媛やカタルーニャだけではなく、世界中で再生可能エネルギーへの転換の大義名分のもと、この様なことが進んでいる。
この映画は告発しているのである。
映画の中で繰り返し人々に歌われているように「歌うのは土地のため」なのである。
失われゆく当たり前の景色
大きな事件、特別な出来事は起きずに
桃農家の日常の生活が積み重ねられていく。
動物、植物との共生関係、
何世代に渡って築き上げられる家族関係、
地域のお祭り、神への感謝
ホームパーティ、大家族みんなの食事、
どれも珍しくない景色かもしれないけれど、
立ち退きをきっかけとして、それらの関係性が崩れて全て失われてしまうかもしれない、
と思うと愛おしさ、寂しさを感じずにはいられない。
土地は単なる経済、生活空間ではなく、
そこに住む生物の魂、想いがリレーされていく場所でもあることを
繰り返される劇中の歌は訴えているようで心に染みる。
農業を頑張ろうとする息子への冷たい態度に示されるように
お父さんも次の世代からは変わらなければいけない、とは思っているけど、
興味のないようにみえたデモに参加したり、心中は常に大きく揺れ動いている。
何事も効率を追求し、早く新しくどんどん変化していくことが本当に正しいのか、
ささやかな疑問符を我々に投げかけてくれる。
言うこと聞かない人達
ヒューマンドラマの皮を被ったスペインの就農問題提起でしょうか
大家族の心境はよく描かれている、イリスちゃんメインだけど プールに強い陽射し太陽の恩恵は作物のみならずエネルギーにも スペインにもあのような砂漠のような土地が有るのですね、🍑もよく見えなかったけど平べったい、プラムに近い?
農業組合は無いのですかね、商品価値高いもの栽培したり機械化しないと農家はきっとキツイ でも一番辛いのは祖父だよね ずっと土地を管理してきたのにあんな簡単に、貴重な緑も減っちゃうしもうちょっとなんとかならないの〜と思ってしまいました
家族とは・・・・
一族の大勢が集まる場では
大なり小なりの諍いが起きるものと相場は決まっている。
葬儀の場では連続殺人が茶飯事、
結婚式では人間の本性がむき出しに。
前者の代表は〔犬神家の一族 (1976年)〕、
後者なら〔ウエディング (1978年)〕か。
本作ではカタルーニャに住む「ソレ」一家の最後の夏が描かれる。
祖父や大叔母、その子供に孫たちと、
三世代にわたる総勢十三名の大家族。
もっとも、一つ所に住んでいるわけではなく
桃農園の収穫をはじめとし、
ことあるごとに集まっては他愛のない会話を交わす穏やかな日々。
企業による果物の買い叩きはあるものの、
それ以外に取り立てての問題はなく、
今年の夏も過ぎて行くはずだった。
ところが地主から土地の明け渡しを迫られ日常は暗転。
桃の木を伐採し、ソーラーパネルを置き、
太陽光発電の事業を始めるのだと言う。
祖父が結んだ(と、言っている)土地の売買契約は口頭によるもので
エビデンスは残っていない。
地主から持ち掛けられたパネル管理人の仕事に妻と妹夫婦は乗り気も、
今まで農業一筋で生きて来た夫の態度は頑な。
一族は混乱し、ぎすぎすした空気が支配する。
そんな中でも、今年の収穫は始まる。
農園を核とした皆々での生活を続けたい目標は共通ながら、
目指す方向がてんでばらばらのため、
収束点は見い出せない。
なによりも家長として有効性のある打ち手を提示できないジレンマが
父親の心を蝕んでいく。
また、こうした時に限って、
今まで溜まっていた膿がじわりと表に滲み出る。
農業に先行きが無いことを認識し、
子供には学問で身を立てて欲しい父と、
まったく正反対に農業で一人前と認めて貰いたい息子の相克。
が、そうした苦境を表面的にでも救うのは、
やはり毎年のように営々として続けて来た収穫作業なのは象徴的。
とは言え、根本的な解決になっていないことを示唆する
ラストシーンは観る者の心を暗くする。
陽光に包まれた画面とはうらはらに
この一家が背負う将来の重さが、
重機がたてる不協和音と共に迫って来る。
ある一家に仮託した、普遍的な家族の物語り。
そこには血縁の疎ましさが煩わしさがある一方で
情があり、思いやりや絆もある。
が、それだけでは渡れない世間が
周りを取り巻いている。
描かれた世界の様相は
あまりにも重い。
24-146
太陽の帝国なら名作です。
地主から今夏を最後に土地を明け渡す様に告げられた桃農園を営む家族たちの話。
戦時中、先代の地主を匿ったことから好意で借してもらっていた土地だったが、今の地主がソーラーパネルを設置するということで明け渡すように言われて巻き起こっていく。
体調を崩しながらも桃園に拘りをみせる祖父。
桃園以外に考えられず荒ぶりつつも子供には農業より学業という親父。
太陽光パネルの管理の仕事に揺れる義弟。
家業のことを気にかけつつも手っ取り早く小銭を稼ごうとする息子。
変わらない、変われない、先が読めない、考えられない不器用な親父ですね…。
そんな家族のすれ違いと、農家の置かれた現状をみせていく感じで、面白くはあったけれど。これと言って大きな出来事も盛り上がりもなかったし、それでどうするんでしょ?と不完全燃焼。
いったい何を観せられた?(笑)
柿みたいな扁平な桃。
歌うのは声のためじゃない 夜明けや明日のためでもない 歌うのは友のため 私のために命をなくした友のため
上は歌の歌詞です。桃農園の大家族の一番年下の可愛い女の子とおじいちゃんが歌う歌です。私はこの歌を聞いて反省しました。声が出ない時期が少し続き、話せるようになった今もまだ納得いかない、そんな自分の我が儘さにがっかりしたからです。
日本では相変わらず野菜も果物もとても高い。日本の食糧自給率はとても低い。カロリーベースで3割台、ということは外国からの輸入依存が大きいのだから外交問題に力を入れてもらわなくては困る。スペインは9割以上の時もあったが今は7~8割位?映画の中の農民による抗議運動にあったように、桃一つに30セントかかるのを大手卸売り業者が15セントに買い叩く、だから農家は食べていけない、暮らしていけない、家を手放さくてはならない、若者は仕事を求めて別の土地へ行ってしまう。土地が家族が農家が散らばり潰れていく様子が太陽光パネルが設置される話と絡めて物語が進んでいく。
途中でこれはドキュメンタリーなのか俳優が演じるフィクションなのかわからなくなった。演じるのはその土地のカタルーニャ語を話せる一般の住人含む9000人を超える人達から選ばれたそうだ。本当の家族のようにリアルで自然な演技で素晴らしかった!
庭でテーブル囲む大家族ランチ。おじいちゃんもパパママも兄も姉も双子のいとこも大叔母さんもいてとっても賑やか。優しくておしゃれでハンサムなおじいちゃんは辛い立場に居る。おじいちゃんは孫娘に語る。スペイン内戦時代に友達を匿った。お礼にとその友達が土地を農地として使ってくれと提供してくれた。契約書なんてない。自分の命を守ってくれた友達へのお礼なんだから。でもそれが仇となる。土地所有契約を紙で交わし残さなかったがゆえに、土地は友達の息子世代が太陽光パネル屋に売ってしまう。
小さい子ども達の遊び道具だった壊れた車が持って行かれたり桃の木が切り倒されるが、それをやらかすブルドーザーの音は聞こえても映像は後になってやっと映る。それまで私たちはその音を聞きながら音の方を見る彼らの驚きと悲しみの顔をずっと見ていなくてはならない。家族三代で続けてきた桃農園の仕事はもうできない。日本の桃と異なって少し平たい可愛い桃、イチジクもあった、ランチではカタツムリがあったし、収穫後は家族総出で桃のシロップ漬け作業をしていた。
パパの片腕として働く高校生・長男にも、おじいちゃんとパパの気持ちがすごくよくわかる少しガンコな思春期の長女にも、まだ何にもわからず双子達と基地ごっこをしたり歯が抜けたお祝いに貰ったリコーダーをぷーぷー吹いてる末娘にも、明るくて幸せな未来が待っていると思う、そう思いたい。
歌は次のように続く:
歌うのは声のためじゃない
青空や潮風のためでもない
歌うのは土地のため
豊かな大地と愛する故郷のため
ウサギ好きにはホラー
極めて現実的な家族の苦悩
予告から、家族の感動的なストーリーを期待して、公開2日目に鑑賞してきました。しかし、なんだか最後までちょっと没入しづらく、朝イチの上映回だったこともあって眠気に誘われ、思ったような感動は得られませんでした。
ストーリーは、スペインで桃農園を営む家族が、今年も収穫の時期を迎えようとしていたある日、その土地をソーラーパネル事業に利用しようとした地主から突然土地を明け渡すように言われ、一家に関わる親戚も巻き込み、それぞれの立場でこの問題に向き合い、苦悩する姿を描くというもの。
立ち退きの危機に瀕して、家族が仲違いしながらも最後は共通の大切なものを見つけ、結束していく感動の物語を期待していたのですが、全然違います。どちらかというと、むしろ逆で、じわじわと心をすり減らしていく家族の末路を見せられているかのようです。
契約書もなく口約束だけで長年にわたって土地を所有し、そこで一家総出で桃農園を営む家族の姿は、豊かな自然の風景と相まって温かいものを感じます。そんな家族に対して、世代交代した地主が無慈悲に明け渡しを要求し、そこにソーラーパネルを設置するというのは、いかにも時代の流れを感じます。
この突然の危機に対してなんら解決策を見出せず、収穫の忙しさの中で追い詰められていく父。その一方で、賭け事に乗り出す祖父、隠れて大麻栽培を始める長男、農園を諦めてソーラーパネル管理の仕事をすすめる母。その行動の端々から、なんとかしたいという思いがあるのはわかるのですが、誰もそれを明確に口にしません。そのため、わかり合えるはずもなく、全員が独りよがりのようにも見えてしまいます。
そこに追い打ちをかけるかのように、桃を安く買い叩かれて怒りの声を上げる農家の姿が描かれます。農家たちが抗議のパフォーマンスとして、大切に育てた大量の桃をトラクターで踏み散らかし、それを投げつける姿に切なくなります。同時に、その踏み潰された桃が、強い力で押し潰された農家たちの姿と重なり、悲しくなります。
ラストは、自宅近くの桃の木をショベルカーが容赦なく倒していく様子を俯瞰して終わります。結局、強い力や時代の流れには、誰も抗えないということを訴えているのでしょうか。それでも、お気に入りの遊び場を奪われながらも次々と新たな遊びを発見する無邪気な子どもたちの姿に、わずかな希望を感じます。
ただ、極めて現実的な家族の姿が淡々と描かれ、ご都合主義的な救済もなく進むストーリーはちょっと退屈です。そのため、何度も瞬間寝落ちしてしまい、物語を正しく受け止められていないかもしれません。機会があれば、しっかり覚醒している時に改めて鑑賞したいと思います。
主なキャストは、ジョゼ・アバッド、アントニア・カステルス、ジョルディ・プジョル・ドルセ、アンナ・オティン、アルベルト・ボッシュ、シェニア・ロゼ、アイネット・ジョウノら。
私には退屈な映画だった。
期待度◎観賞後の満足度◎ お母ちゃんのビンタとお父ちゃんの涙には泣いた。スペインの片田舎の一家族・親族の営みを描いた物語がどの国にも通じる普遍的な物語に昇華する時“映画”は“芸術”となる。
①冒頭とラスト、先ずプルドーザーを見せずにその音だけを聞かせ、それを見つめる顔・眼を撮したあとブルドーザーを見せる演出が上手い。
②また、登場人物達は日常的な会話はするものの、内面を吐露したり思っていることや考えていることを声高に叫んだり愚痴ったりしない。彼らの内面の感情・想いは全て彼らの行動・素振り・顔の表情・眼の表情で表される。
それもまた、非常に映画的だと思った。
③私は特に家庭的・家族的な人間ではないが、この大家族間の関係がわかってきたら、父方・母方の親族の姿とダブって見えてとても親近感が湧いてきた。
決して家族関係に共通点や類似点があるわけではない。
わが一族(ってそんな大層なもんではないが)は農家でもないし(先祖は多分水呑み百姓)。
でも、子どもの頃は聞いていても意味は分かっていなかったけれども、長ずるにつれて感じたり分かり出した親族間の微妙な空気、話題の本人のいないところでの親族間の話、伯母さん・叔母さん達の井戸端会議、お互い腹に何か有っても親族が揃うと表面は仲良くする感じ(本作の三代の大家族は妹の旦那以外はみんな血族だから、孫の兄妹の様に表面は反発したり批判的な眼で見ているけれども、やはりいざというときには家族のための行動をするから本心は親族思いなんだろう)等々とても身近で懐かしく感じる。
④一番辛いのはおじいちゃんだろう。家族にもそう言われるくらい。
恐らく内線の時に共産主義ゲリラから地主を守り食物を与えた恩義から土地を使わせて貰うようになった。でも、孫の代になると情も薄くなる。恩義も実感できなくなる。
この孫だってそんなに悪い人ではないのだろう。でも、やっぱり自分の土地は儲からない農作物を作るよりは儲かるソーラーパネルに使いたい。まあ、仕方のない選択ではある。ラスト、引き続き土地を使わせて貰えるようになった、という人情話で終わるのではなく、予定通り潰されるという形で終わる。何とも残念な結末だが、これも人の世である。
せめて自分が家族に出来ることとして、昔、先々代の地主の命を救った無花果の木から捥いだ無花果を今の地主に届けるおじいちゃんの姿が切ない。
⑤長男の言動には“何と意固地な”と思うところもあったけれども、契約書がない以上、土地を明け渡さないといけないという認識は誰以上にもあって、だからこの夏が最後という思いがより彼を意固地にしたのだろう。
同業の農民達の抗議活動に消極的だった彼は最後抗議集会に参加する。
彼の中に変化が現れ出したことを暗示するエピソードだ。
⑥
全44件中、21~40件目を表示