太陽と桃の歌のレビュー・感想・評価
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生きるって不条理に囲まれること
一見のどかな農家の家族(親族)にいろいろと不条理な出来事がわいてきます。
農地を奪われる=仕事が無くなる。でも農地に立つソーラー関連の仕事になら就ける。
丹精込めた作物が買い叩かれて誇りも捨ててしまいたくなる農家たち。
学問が大事、勉強しろと言われながら家業をしっかりやれと、どうすりゃいいの状態の娘。
きょうだい仲たがいでいとこと遊べずプンプンの娘。
そんな局面に置かれながらも血の繋がった者同士だからこそ(義兄弟も含みます)のなあなあと、そこはキッチリさせなきゃの行きつ戻りつ。
何処にでも起こり得る難問ですね。
美しい風景に誤魔化されがちですが、人の内面を描いた良作に感じました。
ただ、無音状態や展開の遅さ、関係性の説明不足など、体調によっては寝落ちの危険性もはらんでいます。
それにしても土地の権利関係は当事者同士が存命のうちにキッチリしとかなきゃならないのはどこの国も同じですね。
教訓を再認識しました。
え?ここで終わり?ダメちょっと思った けど、 こどもたちがとにかく...
え?ここで終わり?ダメちょっと思った
けど、
こどもたちがとにかくキュートなのと、
田舎のイタリア人の人との距離感の無さが新鮮で、
全体通すと、見て良かった
太陽(光パネル)と桃の歌
ソーラーパネルって本来は環境のためのものだったはずが、設置のために伐採など本末転倒なことをしてみたり、今やトラブルの象徴のひとつというイメージ。
これが映画になるってことは、世界中どこでも起きていることなんだなぁ。
明るそうなタイトルだし気候も良いのに、一族を取り巻く環境がヘビー。
契約書を交わすことがなかった時代の事を発端に、ギスギスと家族が分断されていって、関係ない子供たちも巻き込まれて観ていてずっと嫌な気持ち。
テーマは現代の問題で良いのだけど、ソーラーパネルに絞った方が良かったかなぁと思う。
作物の買い叩き問題も同時進行だと家族の精神的負担も大きいし、ピニョールと農協がグルにも見える。
もっと軽いノリの騒動かと思ってたから、期待と違いすぎてうーん。
怒りの桃🍑🍑🍑
桃の栽培を生業とする農家が、ソーラーパネルの設置のため立ち退きを強要される・・・‼️近代産業に呑まれてしまう桃農園、そして政府に作物を安く買い叩かれる農家の苦悩と、それに伴う家族間の考え方の違いによる親子喧嘩、夫婦喧嘩、兄弟喧嘩を悲哀を込めて描いた作品‼️世界のどこにでもある農家の問題を描いた現実的なドラマで見応えはあるのですが、結局は現実を受け入れるしかない家族の姿は、観ていてネガティブな後味が残る‼️映画なんだから、もうちょっとドラマチックな展開があって良かったのかもしれません‼️
太陽と桃の歌(映画の記憶2024/12/20)
第一次産業従事者の日常を描いた作品。資本主義の圧政に苦しみながらもたくましく生きている姿が映画とはいえリアル感ある。孫の純真無垢な行動がお爺さんの心に響くとこは、世のお爺ちゃんの心を鷲掴みにするだろう。
原題と邦題が違うの意味あんの?って時が割と多い中、この作品に関してはこの邦題作った人の文学的才能を褒めたい。(直接的だが)
ただ、内容的には派手な作品や詰め込んだ作品とは対極な作品なため好き嫌いは別れるだろう。
ショベルカーってVOLVO製のあるんだね。
(個人的評価5.5点/10点中)
地の糧、歌う人々
高橋久美子さんのルポ「その農地、私が買います」(ミシマ社刊)を思い出した。高橋さんの本は愛媛のミカン農家(高橋さんの実家)が農地を太陽光パネル設置場所に転用することを食い止めようとする話だった。
地主のピニョールにしても、そしておそらく農家自身、この映画で言えばソレ家の人々も、作物を植え収穫することと、太陽光パネルでエネルギーを集めることの本質的な違いに気づいていない。地から糧を得るためには、地面にコストをかけなくはならない。それは種子であったり肥料であったりするし、もちろん人的資本であったりする。一方、太陽光パネルは、地面に届く直前の太陽エネルギーを収奪する。エネルギー供給を遮られ、手をかけてもらえなくなったパネルの下の土地はやがて痩せてパワーを失っていく。
太陽光パネル事業が一方的に悪と言っているわけではない。ただその土地のことを長期的に考えていくにあたって、一方の当事者である農家は経済的に追い詰められていたり後継者難であったりすることが多く、一方の当事者である太陽光パネル業者は末端の開発担当やオペレーション担当に過ぎず事業全般を見渡せる情報や戦略を持ち合わせていないことが多い。だからこの映画の様に二世代をかけて育てた立派な桃の木を斬り倒しどの様な採算や効率が得られるか誰も承知していないパネルの設置が、十分かつ慎重な検討なしで進むこととなる。
おそらく、愛媛やカタルーニャだけではなく、世界中で再生可能エネルギーへの転換の大義名分のもと、この様なことが進んでいる。
この映画は告発しているのである。
映画の中で繰り返し人々に歌われているように「歌うのは土地のため」なのである。
失われゆく当たり前の景色
大きな事件、特別な出来事は起きずに
桃農家の日常の生活が積み重ねられていく。
動物、植物との共生関係、
何世代に渡って築き上げられる家族関係、
地域のお祭り、神への感謝
ホームパーティ、大家族みんなの食事、
どれも珍しくない景色かもしれないけれど、
立ち退きをきっかけとして、それらの関係性が崩れて全て失われてしまうかもしれない、
と思うと愛おしさ、寂しさを感じずにはいられない。
土地は単なる経済、生活空間ではなく、
そこに住む生物の魂、想いがリレーされていく場所でもあることを
繰り返される劇中の歌は訴えているようで心に染みる。
農業を頑張ろうとする息子への冷たい態度に示されるように
お父さんも次の世代からは変わらなければいけない、とは思っているけど、
興味のないようにみえたデモに参加したり、心中は常に大きく揺れ動いている。
何事も効率を追求し、早く新しくどんどん変化していくことが本当に正しいのか、
ささやかな疑問符を我々に投げかけてくれる。
言うこと聞かない人達
ヒューマンドラマの皮を被ったスペインの就農問題提起でしょうか
大家族の心境はよく描かれている、イリスちゃんメインだけど プールに強い陽射し太陽の恩恵は作物のみならずエネルギーにも スペインにもあのような砂漠のような土地が有るのですね、🍑もよく見えなかったけど平べったい、プラムに近い?
農業組合は無いのですかね、商品価値高いもの栽培したり機械化しないと農家はきっとキツイ でも一番辛いのは祖父だよね ずっと土地を管理してきたのにあんな簡単に、貴重な緑も減っちゃうしもうちょっとなんとかならない〜のと思ってしまいました
家族とは・・・・
一族の大勢が集まる場では
大なり小なりの諍いが起きるものと相場は決まっている。
葬儀の場では連続殺人が茶飯事、
結婚式では人間の本性がむき出しに。
前者の代表は〔犬神家の一族 (1976年)〕、
後者なら〔ウエディング (1978年)〕か。
本作ではカタルーニャに住む「ソレ」一家の最後の夏が描かれる。
祖父や大叔母、その子供に孫たちと、
三世代にわたる総勢十三名の大家族。
もっとも、一つ所に住んでいるわけではなく
桃農園の収穫をはじめとし、
ことあるごとに集まっては他愛のない会話を交わす穏やかな日々。
企業による果物の買い叩きはあるものの、
それ以外に取り立てての問題はなく、
今年の夏も過ぎて行くはずだった。
ところが地主から土地の明け渡しを迫られ日常は暗転。
桃の木を伐採し、ソーラーパネルを置き、
太陽光発電の事業を始めるのだと言う。
祖父が結んだ(と、言っている)土地の売買契約は口頭によるもので
エビデンスは残っていない。
地主から持ち掛けられたパネル管理人の仕事に妻と妹夫婦は乗り気も、
今まで農業一筋で生きて来た夫の態度は頑な。
一族は混乱し、ぎすぎすした空気が支配する。
そんな中でも、今年の収穫は始まる。
農園を核とした皆々での生活を続けたい目標は共通ながら、
目指す方向がてんでばらばらのため、
収束点は見い出せない。
なによりも家長として有効性のある打ち手を提示できないジレンマが
父親の心を蝕んでいく。
また、こうした時に限って、
今まで溜まっていた膿がじわりと表に滲み出る。
農業に先行きが無いことを認識し、
子供には学問で身を立てて欲しい父と、
まったく正反対に農業で一人前と認めて貰いたい息子の相克。
が、そうした苦境を表面的にでも救うのは、
やはり毎年のように営々として続けて来た収穫作業なのは象徴的。
とは言え、根本的な解決になっていないことを示唆する
ラストシーンは観る者の心を暗くする。
陽光に包まれた画面とはうらはらに
この一家が背負う将来の重さが、
重機がたてる不協和音と共に迫って来る。
ある一家に仮託した、普遍的な家族の物語り。
そこには血縁の疎ましさが煩わしさがある一方で
情があり、思いやりや絆もある。
が、それだけでは渡れない世間が
周りを取り巻いている。
描かれた世界の様相は
あまりにも重い。
24-146
地主から土地を返すよう迫られ、
メガソーラーに変えらようとすると
大家族の物語。
ドキュメンタリーなのかドラマなのかわからない自然なやりとり。
世界中で問題になってる事実を知る。
エネルギーも大切だけれど
食料、農作物も大切、
家族の営みも暮らしも命も大切。
歌は豊かな大地と愛する故郷のために
太陽の帝国なら名作です。
地主から今夏を最後に土地を明け渡す様に告げられた桃農園を営む家族たちの話。
戦時中、先代の地主を匿ったことから好意で借してもらっていた土地だったが、今の地主がソーラーパネルを設置するということで明け渡すように言われて巻き起こっていく。
体調を崩しながらも桃園に拘りをみせる祖父。
桃園以外に考えられず荒ぶりつつも子供には農業より学業という親父。
太陽光パネルの管理の仕事に揺れる義弟。
家業のことを気にかけつつも手っ取り早く小銭を稼ごうとする息子。
変わらない、変われない、先が読めない、考えられない不器用な親父ですね…。
そんな家族のすれ違いと、農家の置かれた現状をみせていく感じで、面白くはあったけれど。これと言って大きな出来事も盛り上がりもなかったし、それでどうするんでしょ?と不完全燃焼。
いったい何を観せられた?(笑)
皆さんの評価の高さに、ビックリ(笑)
僕には、どうでもいい農家の日常に思えて、退屈で退屈で眠くて眠くて、しんどかった(笑)
いったい何を観せられてるだろ…と(笑)
桃を食べるウサギを農家は駆除するみたいだが、かわいそうで心が傷んだ…
この映画の良さが、イマイチ分からない。
50点ぐらい。
柿みたいな扁平な桃。
わりと最近日本でも問題になっているソーラーパネル絡みのお話です。家族とはいえ皆んな考え方は違うわけで農園最後の夏にそんな亀裂が広がって行くのが悲しい。年代性別それぞれの思いが上手く描かれているなぁと、さすが金熊。
どこの国も一次産業を守り育てないと痛い目にあうよ。何でもいつまでも海外で作って送ってくれるわけじゃないからね。
歌うのは声のためじゃない 夜明けや明日のためでもない 歌うのは友のため 私のために命をなくした友のため
上は歌の歌詞です。桃農園の大家族の一番年下の可愛い女の子とおじいちゃんが歌う歌です。私はこの歌を聞いて反省しました。声が出ない時期が少し続き、話せるようになった今もまだ納得いかない、そんな自分の我が儘さにがっかりしたからです。
日本では相変わらず野菜も果物もとても高い。日本の食糧自給率はとても低い。カロリーベースで3割台、ということは外国からの輸入依存が大きいのだから外交問題に力を入れてもらわなくては困る。スペインは9割以上の時もあったが今は7~8割位?映画の中の農民による抗議運動にあったように、桃一つに30セントかかるのを大手卸売り業者が15セントに買い叩く、だから農家は食べていけない、暮らしていけない、家を手放さくてはならない、若者は仕事を求めて別の土地へ行ってしまう。土地が家族が農家が散らばり潰れていく様子が太陽光パネルが設置される話と絡めて物語が進んでいく。
途中でこれはドキュメンタリーなのか俳優が演じるフィクションなのかわからなくなった。演じるのはその土地のカタルーニャ語を話せる一般の住人含む9000人を超える人達から選ばれたそうだ。本当の家族のようにリアルで自然な演技で素晴らしかった!
庭でテーブル囲む大家族ランチ。おじいちゃんもパパママも兄も姉も双子のいとこも大叔母さんもいてとっても賑やか。優しくておしゃれでハンサムなおじいちゃんは辛い立場に居る。おじいちゃんは孫娘に語る。スペイン内戦時代に友達を匿った。お礼にとその友達が土地を農地として使ってくれと提供してくれた。契約書なんてない。自分の命を守ってくれた友達へのお礼なんだから。でもそれが仇となる。土地所有契約を紙で交わし残さなかったがゆえに、土地は友達の息子世代が太陽光パネル屋に売ってしまう。
小さい子ども達の遊び道具だった壊れた車が持って行かれたり桃の木が切り倒されるが、それをやらかすブルドーザーの音は聞こえても映像は後になってやっと映る。それまで私たちはその音を聞きながら音の方を見る彼らの驚きと悲しみの顔をずっと見ていなくてはならない。家族三代で続けてきた桃農園の仕事はもうできない。日本の桃と異なって少し平たい可愛い桃、イチジクもあった、ランチではカタツムリがあったし、収穫後は家族総出で桃のシロップ漬け作業をしていた。
パパの片腕として働く高校生・長男にも、おじいちゃんとパパの気持ちがすごくよくわかる少しガンコな思春期の長女にも、まだ何にもわからず双子達と基地ごっこをしたり歯が抜けたお祝いに貰ったリコーダーをぷーぷー吹いてる末娘にも、明るくて幸せな未来が待っていると思う、そう思いたい。
歌は次のように続く:
歌うのは声のためじゃない
青空や潮風のためでもない
歌うのは土地のため
豊かな大地と愛する故郷のため
ウサギ好きにはホラー
2024年劇場鑑賞327本目。
前情報無しで鑑賞。昔命を救った恩で農園に使わせてもらっていた土地を孫が契約書ないなら出ていけと言われたら家族の話。
途中までは退屈を感じなかっのですが
え、ここで終わるの?という感じでこの後どうなるかを知りたかったのに。
後ウサギ好きはこの映画観ない方がいいと思います(笑)
全28件中、1~20件目を表示