太陽と桃の歌のレビュー・感想・評価
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3世代続く農園の今と大家族の肖像をリアリズムタッチで描く
シモン監督は長編2作目にしてカタルーニャ地方の大農園を描くことに加えて、おじいちゃんから幼い孫まで実に幅広い世代の目線を交錯させた群像劇という手法で勝負に出た。この意欲と挑戦。皆、素人でありながら本当の家族に思えるほどのナチュラルさで彩られ、ドキュメンタリーを見ているかのような手触りが日々を奏でる。その分、家族の集合場面はこちらまで笑顔になるほど楽しく、逆に農園の未来を憂う場面ではどうしようもない切実さが身を覆う。企業による大規模農業。それがもたらす価格下落。不意に生じる土地問題。桃の木を伐採してソーラーパネルを建てようとする地主。それによる家族の分裂・・・。昔どうりに永続できるものなんて何もない。今の団欒もすぐに歴史の残り香へと変わるだろう。明瞭ではないラストや誰に感情移入すべきか悩ましい語り口にやや感慨の度合いは割れそうだが、農業と家族を揺るぎない目線で見つめたリアリズムを評価したい。
太陽の行き先の差
ソーラーパネル
傲慢と横暴
最初から最後まで苦境のただなかにあるんだけど、なぜか明るさを失わない一作
日本でも農業の苦境をたびたび見聞きすることがあるけど、農業国のイメージもあるスペインでも農業経営者は決して楽観的な状況ではない様子。一家の全員が本作の主人公といっても過言ではない、カタルーニャのソレ家もまた、家業の桃農園経営を維持できるかどうか、という瀬戸際にあります。
祖父は土地の権利関係をあいまいにしたままだし、妹夫婦はソーラーパネルの方が実入りがいいんじゃ、と勝手なことをいうし、長男は反抗的だし……、と一家を束ねるキメット(ジョルディ・プソル・ドルセ)の顔色と機嫌はどんどん悪くなってきますが、それも無理ないよねー、と思わず同情してしまいそうになるほど問題山積、前途多難な状況。
そんなお先真っ暗な農園経営見ても心が沈むだけなんじゃあ……とも思ってしまいそうだけど、土地柄なのか降り注ぐ陽光のせいなのか、なぜか映像も人物も明るさを失いません。大人たちはせっせと収穫に励むし、子供たちは農園のあらゆるもの、場所を遊びに変えていきます。そしてたとえ口論していても食事の時は楽しく食卓を囲む一家。気分がどうこう以前に、「生きてる!」って感触が画面から伝わってきます。
魔法も奇跡もない世界で展開するごく普通の生きている人々の物語。結末に彼らが向けるまなざしの先に何があろうと、このひと時の輝きが忘れられなくなる作品でした。
シスコムーン
何がテーマなのか
邦題はどういう意味?
スペインの北東部カタルーニャ地方で、桃農園を営んでいる大家族のソレ家。収穫しようとしてた頃、地主から今年の収穫が終わったら土地を明け渡すよう通達された。桃の木を伐採して、その場所にソーラーパネルを設置するとのこと。父は激怒したが、母と妹夫婦は楽に稼げるという話に乗ろうとしていた。祖父、父、長男が別々の方法でなんとかしようとしてたが、最後の収穫が始まり・・・そんな話。
桃ってすぐに傷むのにあんなに適当に扱って良いものなのか?
直接食べるのではなく、缶詰かジュースにするのだろうか?
もっと良い品種にして高級桃で販売すれば収入も増えるのに、と思って観てた。
太陽と桃の歌???最後まで観てもなんちゅう題なんだ、と意味不明だった。太陽=ソーラーパネル?歌は何?
原題のalcarrasってどういう意味だろうとスペイン語を検索しても出てこず、カタルーニャ語で検索すると、逃げる、と翻訳された。
なるほどね、逃げる、ならなんとなくわかる。
これ、ドキュメンタリーなら良かったかもしれない。
末娘の明るく無邪気な行動が癒される。
優しくて強いビンタ
子供が救い
契約書は大事
3代続く桃農園に、土地の権利者からソーラーパネルを設置する話が来てしまったことからギクシャクしだす家族を描いた作品。
終始、ドキュメンタリーのような雰囲気を醸し出したドラマ作品。
農園に関する想いは皆それぞれあり、登場人物がどんなことを考えているのか考察しながら見ると良いのかもしれないが…。
ワタクシ的にはちょっと起伏がなく、大変なんだろうということは伝わるが淡々としていて少し物足りない印象。
まぁでも逆にいえば、変に映画映画していないというか、本当にリアルな生活を描いているのだろうなぁという意味では刺さる人も多いかもしれません。
ただ1つ、娘が「ドレスにストレスはなんちゃら」…と歌って踊っているのに対する母親の冷ややかな反応には声を出して笑いそうになった。もっとなんか言ってやんなさいよw
ということで個人的には合わなかったかなと言ったところですが、リアルで厳しい現実を感じ取りたい方には是非お勧め。
リアルでまるでドキュメンタリーのようでした。
自営業者(小作人)は、つらいよ
桃農家における"感動のドキュメンタリー映画"だと思って、映画を観ましたが。。。
原題は「Alcarras」で、単に監督の故郷である町の名前らしい。
監督はドキュメンタリー風映画として、この作品を撮影している中で、鑑賞者に映画を通して、田舎町の現状を観てもらい、何かを考えて欲しいと願ったに違いないが。。。
映画には、この地での特殊性がなく、舞台が日本でも同じような事が せっかく当てはまるのだが
それを日本の配給会社は"ヒューマンドラマ"の如く、宣伝してしまっているので、
映画自体の趣旨を失いかけてしまっているが、このテーマを描くのが30年前なら良かったが
今更 問題定義されても、社会派映画としての新鮮度はない。
また、監督の言いたい主張がない事も、映画の質を落としている。
この映画の舞台となる農家は、桃農園ではなく、いちじく農家でもなく!
メインは、出稼ぎ労働者を使ってまで収穫する"オリーブ農家"であって、いちじくや桃は連産品でしかありません。
カタルーニャ地方の名産は、桃ではなく
あくまで映画冒頭のオリーブであるが故
農協にいた他農家もみな"オリーブ農家"です。
この映画の中で語られている 色や大きさ等の作物は桃ではなく、オリーブの事を言っています。
そのオリーブの収穫期である3月頃から9月までの収穫の"打ち上げ"としての 町の祭り があり
桃は、その年の"最後の締めの収穫物"という位置づけがあるだけなのですが、
その意味を映画では、きちんと説明ができていないので、
イタリア人以外の人間が、この映画の内容をまるで理解できないのは、この監督の力不足と言えよう。
また、地中海性気候であっても、2月から 真夏を過ぎ、秋になるまでの季節感が まるでなく
いかにも「1月間で撮影しました」という演出も、最低レベルだ。
ちなみに、乱雑に扱うオリーブの15ユーロセントは、25円/個です。
あの乱暴な扱い方では、ジュースにしかできません。
ちゃんと農業すれば、食用として売れて、30ユーロセントの単価には成るでしょう。
そういう意味では、邦画「奇跡のリンゴ(2013年)」「種まく旅人(2012年)」をこの映画のダメな主人公に見せてあげたい。
映画の内容からすると、50年前ではなく、パソコンもインターネットも、携帯電話もある現代なのに
社会から取り残されているのは、主人公だけでなく、監督自身も時代の流れを感じていない お花畑に住む人なのでしょう。
私見としては、このようなダメ農家には、行政指導が必要なのと同時に
農業高等教育を農園経営者子息には受けさせる必要があると思う。
この映画を観たら、「プレイス・イン・ザ・ハート(1984年)」を観て、
僕が今回期待した"ヒューマンドラマとしての農家"を味わってもらいたい。
太陽と桃の歌と言うタイトルは如何なものか?
生きるって不条理に囲まれること
一見のどかな農家の家族(親族)にいろいろと不条理な出来事がわいてきます。
農地を奪われる=仕事が無くなる。でも農地に立つソーラー関連の仕事になら就ける。
丹精込めた作物が買い叩かれて誇りも捨ててしまいたくなる農家たち。
学問が大事、勉強しろと言われながら家業をしっかりやれと、どうすりゃいいの状態の娘。
きょうだい仲たがいでいとこと遊べずプンプンの娘。
そんな局面に置かれながらも血の繋がった者同士だからこそ(義兄弟も含みます)のなあなあと、そこはキッチリさせなきゃの行きつ戻りつ。
何処にでも起こり得る難問ですね。
美しい風景に誤魔化されがちですが、人の内面を描いた良作に感じました。
ただ、無音状態や展開の遅さ、関係性の説明不足など、体調によっては寝落ちの危険性もはらんでいます。
それにしても土地の権利関係は当事者同士が存命のうちにキッチリしとかなきゃならないのはどこの国も同じですね。
教訓を再認識しました。
太陽(光パネル)と桃の歌
ソーラーパネルって本来は環境のためのものだったはずが、設置のために伐採など本末転倒なことをしてみたり、今やトラブルの象徴のひとつというイメージ。
これが映画になるってことは、世界中どこでも起きていることなんだなぁ。
明るそうなタイトルだし気候も良いのに、一族を取り巻く環境がヘビー。
契約書を交わすことがなかった時代の事を発端に、ギスギスと家族が分断されていって、関係ない子供たちも巻き込まれて観ていてずっと嫌な気持ち。
テーマは現代の問題で良いのだけど、ソーラーパネルに絞った方が良かったかなぁと思う。
作物の買い叩き問題も同時進行だと家族の精神的負担も大きいし、ピニョールと農協がグルにも見える。
もっと軽いノリの騒動かと思ってたから、期待と違いすぎてうーん。
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