「家族とは・・・・」太陽と桃の歌 ジュン一さんの映画レビュー(感想・評価)
家族とは・・・・
一族の大勢が集まる場では
大なり小なりの諍いが起きるものと相場は決まっている。
葬儀の場では連続殺人が茶飯事、
結婚式では人間の本性がむき出しに。
前者の代表は〔犬神家の一族 (1976年)〕、
後者なら〔ウエディング (1978年)〕か。
本作ではカタルーニャに住む「ソレ」一家の最後の夏が描かれる。
祖父や大叔母、その子供に孫たちと、
三世代にわたる総勢十三名の大家族。
もっとも、一つ所に住んでいるわけではなく
桃農園の収穫をはじめとし、
ことあるごとに集まっては他愛のない会話を交わす穏やかな日々。
企業による果物の買い叩きはあるものの、
それ以外に取り立てての問題はなく、
今年の夏も過ぎて行くはずだった。
ところが地主から土地の明け渡しを迫られ日常は暗転。
桃の木を伐採し、ソーラーパネルを置き、
太陽光発電の事業を始めるのだと言う。
祖父が結んだ(と、言っている)土地の売買契約は口頭によるもので
エビデンスは残っていない。
地主から持ち掛けられたパネル管理人の仕事に妻と妹夫婦は乗り気も、
今まで農業一筋で生きて来た夫の態度は頑な。
一族は混乱し、ぎすぎすした空気が支配する。
そんな中でも、今年の収穫は始まる。
農園を核とした皆々での生活を続けたい目標は共通ながら、
目指す方向がてんでばらばらのため、
収束点は見い出せない。
なによりも家長として有効性のある打ち手を提示できないジレンマが
父親の心を蝕んでいく。
また、こうした時に限って、
今まで溜まっていた膿がじわりと表に滲み出る。
農業に先行きが無いことを認識し、
子供には学問で身を立てて欲しい父と、
まったく正反対に農業で一人前と認めて貰いたい息子の相克。
が、そうした苦境を表面的にでも救うのは、
やはり毎年のように営々として続けて来た収穫作業なのは象徴的。
とは言え、根本的な解決になっていないことを示唆する
ラストシーンは観る者の心を暗くする。
陽光に包まれた画面とはうらはらに
この一家が背負う将来の重さが、
重機がたてる不協和音と共に迫って来る。
ある一家に仮託した、普遍的な家族の物語り。
そこには血縁の疎ましさが煩わしさがある一方で
情があり、思いやりや絆もある。
が、それだけでは渡れない世間が
周りを取り巻いている。
描かれた世界の様相は
あまりにも重い。