僕の名前はルシアンのレビュー・感想・評価
全3件を表示
たとえまやかしの愛だとしても
映画《僕の名前はルシアン》は、予告から想像していたストーリーとはまったく違う印象に着地しました。
特に衝撃的だったのはラストシーンです。
主人公のミミが、ネット経由で知り合ったルシアンと心中ごっこをした結果、ミミが身体障害を抱えながらも生き残るという結末でした。
車椅子に乗ったミミらしき女性が、あきらかに「なんかマズそう」なだらりとうなだれた姿勢で映し出されたとき、
(うわあ、えっ、そういうこと?ええ……)と頭の中でずっとパニックを起こしていました。
自分からすれば、死ぬよりも苦しいかもしれない結末だからです。
でもラストシーンのミミのモノローグは驚くほどさっぱりしており、後悔や絶望感はあまり感じさせられませんでした。
またエンドロールとともにポップな主題歌が流れたことから、ミミがこの結末に納得していたようにも感じました。
画面越しに見るルシアンは素性のわからないサイコパス野郎でしたが、
現実世界で誰からも愛情をかんじとれないミミにとっては、唯一、「愛してるよ」と想いを寄せてくれる存在だったのでしょう。
たとえそれがまやかしでも、愛してくれる人が一緒に死のうとしてくれるなら、その結果として未遂による身体障害生活があるなら、
ミミにとっては満足できるものだったのかな、と。
全体的に映像が綺麗だし、音楽も良かった。
柳さん演じるルシアンがすごく綺麗だった。綺麗だからこそより怖さを感じた。
全体的に映像も綺麗だし、音楽も良かった。
死にたいと思い、一緒に死んでくれる相手をネットで見つけて死ぬなんて事は
起こりそうに無いと思っていたけれど
ミミの孤独に共感して観ていると
最後くらいは、人の温もりや愛を感じたいと言う思いがよく分かった。
そんな孤独をうめたい人にとってルシアンは、美しく優しくて嘘だと分かっていても委ねるに値する存在にみえた。
死体が発見される姿も寂しく冷たい感じが凄く出ていた。
最後のミミが水の中に捨てられて深く深く沈んで、もがいて浮いて行くシーンは少し希望が見えた気がして良かった。
生と死の狭間でお互いないものを求めて飢えているもの同士の結末
生と死の狭間の間で、お互いの無いものを求めて飢えているもの同士の結末。
そこから、ラストの家族の1人が動かぬ人になって、埋まった家族の有様というか。
ヌードについても意味があるんじゃないかと色々と考えたのですが、いまだ結論は出ません。
また、大鶴義丹さん演じる刑事の食べるシーン、ケチャップの描写。血液。
監督がこの作品を通して何を顕そうとしていたのか、私がうまく受信できたか不安ですが、ただ色々と現代人にとっては、この「LOVE」の形は、複雑で繊細なものなんだと、考えにふけっています。
とかく、人間の欲求の根本にあるものが満たされたり、満たされなかったりする世界は蔓延していることをまざまざと見た気がしました。
私事ですが、こうして生きていく中で今年になって知り合った俳優さんが若くして亡くなったニュースがあったりして、より身近に生と死の狭間を感じる機会になったこともあって、映画は鮮烈でございました。
映像作りそのものは、どこか街の香りも漂ってきそうな色作り等、没入して見ることができ、エンディングの曲で、急に現実に引き戻されたような感覚を感じました。
全3件を表示