マイ・ブロークン・マリコのレビュー・感想・評価
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壊れた社会で生きれば壊れてしまうのは必然
原作の切々とした寂寥感が実写映像で上手く表現されていてよい映像化になった。永野芽郁のこれまでにない役柄も上手くハマっていたし、奈緒の「壊れた」感じがとてもリアル。ブロークン・マリコというタイトル通り、壊れて死んでしまった親友を弔う旅路を描くが、彼女がなぜ壊れてしまい、どうして自分に救うことができなかったのかを骨壺を持ちながら自問自答する。主人公み一方で、営業の仕事で毎日のように上司に理不尽な叱責を受けている。こんな環境では、タフな彼女のような人間でない限りすぐに壊れてしまうだろうなと思う。
マリコが壊れたしまった原因は、直接的には家庭問題だが、もっと広く、この社会全体が壊れているのではないかと感じさせる。窪田正孝演じる男もかつて「壊れた」ことがあったようだ。壊れた社会で人が壊れたとしても、それはむしろ正常な反応かもしれない。主人公も実は壊れる寸前ではないのか、死者との旅路で彼女はかろうじて壊れる寸前で留まれたのだと思う。
ハードボイルドと呼ぶにふさわしい骨太さがある
永野芽郁が見せる荒ぶる魂に魅せられた。まず従来の演技とは目つきの鋭さが全く違うし、シーンを重ねるごとにヒリヒリとした摩擦が熱を帯びていくかのよう。それだけじゃない。上司の小言を受け流す。やさぐれ気味に煙草を吸う。着流しのコートとドクターマーチンの靴で突っ走る。酒場ではベロベロに酔う。挙げ句の果てに、彼女が小脇に抱えるのは、無二の親友の遺骨・・・。これはもう一言で表現するならハードボイルド。一方の親友マリコは”ファムファタール”と呼ぶにはちょっとニュアンスが違うかもしれないが、少なくとも主人公の人生を翻弄する”運命の女”である点は一致している。空が落ちてきそうなほどの曇天模様が全編を覆う中、旅を続ける主人公の心が時に大きく剥き出しとなり、かと思えば、躍動しながら少しずつ変貌を遂げていくこのひととき。タナダユキ監督が描くクセモノ揃いの人間たちの中でも、格別に熱い芯を持ったヒロインの誕生である。
シイノトモヨは二回跳ぶ
これはバディが不在の女性版バディムービーだ。永野芽郁が演じるシイノトモヨは、子供のころからの親友マリコ(奈緒)の遺骨(を収めた箱)を抱き、マリコがかつて行きたいと言った岬を目指して旅に出る。マリコは不在ではあるが、道すがらシイノが回想するシーンで、2人は確かに、共に生きている。
当然ながらロードムービーでもあるが、シイノの日常であるブラック企業の職場とのコントラストが、そうだよな旅って日常からの逃避であり脱出だよなあ、と当たり前のことに改めて気づかせてくれるのもいい。
シイノが跳ぶ場面が2回あり、それぞれ印象的であると同時に、作劇の上でも物語を跳躍(leap)させるはたらきを持つ。2つの場面でともに“水”が登場するのも偶然ではない。シイノが次のステージに進むためのイニシエーション(儀式)を象徴しているのだろう。
虐待されて育った女の子が、若くして死んでしまうという重い要素をはらむ映画だが、シイノの特別なキャラクターと永野芽郁の熱演、タナダユキ監督の誠実な演出によって、きっと観る人の心を軽くしたり希望になったりするのだろうなと信じられる好作になった。
永野芽郁の演じる性格の女性はよかったですね。 クソの父親に向かって...
永野芽郁の演じる性格の女性はよかったですね。
クソの父親に向かっていく姿は勇ましかった。
近しい人をこういう形で先に亡くすと悲しさは勿論、自分に対してのもどかしさや後悔怒り等などが渦巻く。経験があるのでまさにって思いながら観てました。
残された者は‥生きていくしかない。どんなに辛くてもやってられなくても日常は戻ってくる。
そしてたまに故人を思い出して文句を言うw
あのブラック企業はあり得ないけど、辛すぎる時にはいいかもしれないなんて思ったり、、、
窪田くんはさすがの存在感だなと思いました。
予告編から永野芽郁が飛ばしてました。
本編では芽郁ちゃん浮いちゃうんじゃないかなぁと心配してましたが、杞憂。曇天の空の下、この重たく、救いのない話しを前へ前へと進めていったのは間違いなく永野芽郁の頑張りでした。
原作を読んでいないのでオリジナルのシイノトモヨは分かりませんが、強いけど強そうに見えない、大丈夫じゃないけど大丈夫そうに見える、特別キレイでもスマートでもクールでもない綿菓子系の永野芽郁の配役がハマっていました。本人の意志とか責任とかと無関係に現在の境遇にたどり着いた感がでてます。
明日原作買いに行きます。
きれいな字を手紙で残せる人になりたい
最初のほうでマリコのことをダチと呼んでる永野芽郁を見てこれ大丈夫?と思ったが、すぐに不安はなくなってハマってた。
それ以上なのが奈緒なのだろう。こちらも見事にブロークンだった。
簡単には死なない、むしろ死ねないという一方で
友人が突然この世から消えてしまうこともあり得るのが現実。
でも自分も消えてしまったら、その友人を思い出す人もまたいなくなるわけで、二度目の死を迎えてしまうことになる。(トーマの心臓)
だから残されたほうは生きていくことが必要なんだな。
窪田正孝もよかった。
マリコは骨壺に入って初めて男に勝った!
生きているうちに自分の歪みに気づいて、生き直すべきだった。でも親友の力を借りて、死んでから初めて男をぶっ飛ばした。せつない。生きているうちに自分で自分の歪みに気づいていこうと思った。
シイちゃんが増えるといい
ハードな友情の描き方が良かった。私自身がこういう邦画をあまり観たことがないのでわからないのですが、女性のハードボイルドものは作品数がもっと増えてもいいと思います。
マリコの様に若年層の自死の原因は親の虐待が多いんだと思う。だから、シイちゃんの様な女性が増えると救われる子も増える。闘わないとですね。シイちゃん、昼食にラーメン屋でビール飲むのがさまになるなあ。
かなりつまらなかった!!
出だしで骨壺を強奪するシーンは良かったですが、後は薄く表面的で、かなりつまらないです。良くも悪くも、永野芽郁の怒鳴り演技を堪能できます。
暗いのに明るい、斬新
マリコが書いた手紙の字が可愛い。
永野芽郁さん演じるシィちゃんの口の悪さと行動力に好感が持てる。
脇役の窪田正孝さん演じるマキオに興味が沸いた。
自殺、虐待など暗いテーマなのに明るいイメージの作品。
遺骨の使い方が斬新。
全体的にふわふわとしていました。
設定、ストーリー、人間模様。題名に書いた通り、全体的にふわふわしているように感じました。何故マリコが彼処まで壊れてしまったのか、大人の悪行、シィちゃんとマリコの関係性はわかりましたが、もう少し掘り下げて欲しかったかなと思ってしまいました。
作品を通して、マリコが居なくなった後のシィちゃんの不安定さが「マリコが依存していた様に見えるが、シィちゃんの方が依存していた」という表しになっている様に見えましたが、少しその表現も弱いかなと。ただ叫びまくってる変なお姉さんみたいになってた印象です。もう少しシィちゃんのマリコに対する思いだったり、『重さ』みたいのが欲しかったです。シィちゃんのサッパリした感じなのに未練タラタラな不安定さが人間としてはリアルですが、映画のキャラクターとしては不細工に見えてしまいました。
ですが窪田正孝さん演じるマキオ。素晴らしかったです。
もう少しキャラクターとしての魅力を感じたかったですが、その掴めない感じが素晴らしかったです。
もう少し登場人物に感情移入が出来て、登場人物に寄り添えたら面白い映画だったと思います。置いてけぼりにされている印象を感じました。僕の感受性の問題かも知れません。
私的に永野芽郁さんの新境地は及第点に届かず
これまでに無いキャラに挑戦というのでしょうか
悪い言葉遣い
喫煙、それも吸い方の行儀の悪さ
その他諸々
これを永野芽郁が演じ切れるか
最後にはハマるのか
そればかり気にして鑑賞しておりました
残念ながら満足に至らず、まだまだ頑張れよとお気に入り女優にエールを送りたい
私自身3ヶ月前に会社の後輩を自死で失い、あまりのショックを経験しただけに、永野芽郁演じるシィちゃんの気持ちはよく分かる
映画的には消化不良でした
もういない人に会うには、
最後の手紙に何が書いてあったかは分からないけど、マリコがめんどくせー女だったことを思い出せる様な内容だったらいいな…と思う。
幼かったマリコから母親を奪った父親に弔われたところで白々しいって、本当にそう…。父親は何を思って遺骨と向き合ったんだろうなぁ…。
トモヨとマリコの関係性が素敵な一本
<映画のことば>
「何かがあって、この町に来たのかも知れませんが、ヤケになってはダメですよ。風呂に入って、よーく寝て、ちゃんとメシを食わないと。人間、ろくなことが考えられなくなります。」
「そりゃあ、そうかもね。」
「ご自分のこと、大事になさって下さい。」
<映画のことば>
考えたんですけど。
もういない人に会うには、自分が生きてるしかないんじゃないでしょうか。
あなたの想い出の中の大事な人と、あなた自身とを、大事にしてください。
父親の再婚相手が届けてくれたのは、トモヨに宛てたマリコからの最後の手紙だったのでしょうか。普段はチャット並みの早さで既読になるはずのLINEは未読のままだったことと思いますけれども。思わぬところから「返信」があったということのようです。
遺書にも代わるようなその手紙を読んで、その内容に笑むことができるほど、トモヨとマリコとは親(ちかし)いというか、気のおけない、ざっくばらんな付き合いだったことが、偲ばれました。評論子には。
その関係性に、胸が熱くなるのを禁じ得ません。
トモヨは、きっと、その思いを胸に、したたかにマリコの分まで生きていくことでしょう。今も。これからも。
そんなことにまで思いを致してくれた本作には、評論子には、充分に秀作としての評価が当てはまりました。本作は。
(追記)
もちろん、本作のモチーフはマリコという女性とトモヨという女性…二人の女性の関係性にあることは疑いがないのですけれども。
しかし、マキオは、意外と重要な役割を果たしているのかも知れないと思いました。本作の中で。評論子は。
(評論子が本作の中から拾うことのできた「映画のことば」は、奇しくも、どちらもマキオのセリフでした。)
つかぬことを言いますが、本作のマキオは、実在したのでしょうか。
人物としては、一応は描写されてはいるのですけれども。映画作品としての本作の中で。
しかし、案外にマキオは、トモヨの自問の(架空の)相手だったと、もし仮定したら…。
トモヨ自身の思考の反芻として、自然に、これらの「映画のことば」が拾えたように、評論子には、思えてなりません。
そんな点も、観終わって、評論子には印象的な一本になりました。
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