マイ・ブロークン・マリコのレビュー・感想・評価
全268件中、141~160件目を表示
マンガと映画、メディアの特性と時間
原作はいきなり頭を殴打されたようなインパクトで一躍話題になったマンガ。私も当時夢中になって読みましたが、細かい内容は大体忘れたところでの鑑賞です。
原作マンガはそれこそインディーズ映画のような、突き進む勢いとエネルギーが魅力だと思いますが、実際に映画になると同じストーリーを描きながら全く印象が異なる。時間の流れをいかようにでも扱えるマンガと、一定の時間の流れの中で進まざるを得ない映画というメディアの特性をとてもよく現した例なのではないかと思いました。
例えば冒頭、食堂でたまたま流れていたテレビのニュースで親友の死を知るシーン、原作を読み直すと、1ページ目の3コマと2ページ目の扉絵という、たった2ページで描かれている。これを実写ドラマ映画で状況がわかるように組み立てると、どうしても1、2分はかかるということになりますね。
結果、主人公の無謀で衝動的な行動とともに一気に読ませるマンガに対して、映画は死者との対話を軸に構成された内省的な内容という印象が強い手触りとなっていました。骨壷との逃避行でたどり着く海岸は、原作読んでいた時には何となく九十九里程度の印象を持っていましたが、映画では青森でしたね。これもスピード感の違いから生まれる印象だと思います。
これは良かった
ある意味優れたアクション映画かもしれない
二人の関係は、恋愛関係だったのだろうか?いやそんなことはどうでもよい。「めんどくさい」と思っても離れられない。どこか深いところで結びついている魂と魂。きれいな感情だけではない。生身の人間の嫉妬や不安も含めた魂と魂がぶつかりあい、そして相手を深く必要とする・・・・
多分そんな、自分ではどうしようもない本当の感情の表出が、ダイナミックな展開とあいまって、見る者のこころの表層を突き破り、奥底のうずく部分にとどいて、深いところをいやしてくれる。・・・そんな印象を持ちました。
うつうつとした退屈な映画を想像して、敬遠したら、多分損します。優れたアクション映画は感情の表出もダイナミックですが、この作品、ドンパチはないものの、感情のドンパチは十分ダイナミックで、誤解を恐れずにいえば、ある意味優れたアクション映画だとも言いうると思いました。
「風立ちぬ」以来の煙草へのこだわりよ
ヒットした原作漫画をかなり忠実になぞっていて平庫ワカが描きたかったという「遺骨と旅する女」まんまのお話でそのイメージは分かるがさんざん虐待して自殺した娘を直葬して式もしない鬼畜親父が骨箱だけこんな立派なものを発注するとはとても思えずそれがずーっとひっかかり気になってしまったのが(あくまで自分が)残念。昨今の抑えた演技をぶっ飛ばすかのように叫ぶ、わめく、泣く、走る、飛ぶ、という命の生の芝居のドラマの映画の原初的な発露があまりにもストレートに演じられ嫌味なくすんなりと観る者の心を打って監督のそしてシイノを演じた永野芽郁の勝利なのだ。死者とつきあうことを、それには自分が生きていなければいけないことを明快に教えてくれた名作である。
やさぐれた永野芽郁と病んだ奈緒がいい
原作は未読。
メンタルを病んだ人の周りは彼らに振り回されがちになる。病んだ人の力になろうと共依存の関係に進んでいくことも多い。しいちゃんとマリコの関係を見ていてそんなことを思ってしまう。
マリコの依存の仕方は相当だ。しいちゃんに彼氏ができたら死ぬと脅しながら、自分はしれっと彼氏を作るのだから。親から愛情を注がれなかったから自己肯定感が低く、自分に好意を持ってくれる人に依存し、その好意が本物か試してくる。でもその人のためと思い必死にがんばったことを、簡単に無駄にしてしまう。ありがちな話なんだけど、やはり胸が苦しくなる。自分もこうやって助けてしまって、共依存にハマっていく体質なんだろう。
そんな大切な友を亡くしたしぃちゃんの行動は、これもまた相当にイカれてる。間違ってるとか、正しいとかどうでもいい。ただ、それが2人のために必要だと思った!って感じが切実だ。
最後の終わり方はハッキリしないところもあるが、それもまたいい。中身よりもたしかに残ったものがあるってことに胸を打たれた。
やさぐれた永野芽郁と病んだ奈緒。2人の演技にただただ魅了された本作。2人の代表作になってほしい。
私以外の誰にとっても、あんたが死んだことなんて関係ないわけで。
永野芽郁の煙草かっけぇ どこ切り取っても絵になりますね、 岬のシー...
やや暗い映画。
実の父親から幼少期より虐待を受け、思春期には父親に性的虐待まで受けていたマリコ。顔の傷と心の傷が痛々しい。社会人となりマリコにも彼氏ができるが彼氏にまで手を挙げられてしまう。
こんなことがあったら死にたくもなるよなぁと感じる。
そんなことがあってもマリコはシノイの前ではずっと笑顔。
シノイがマリコの父親に包丁を向ける姿はマリコと重なり、また悲しい。
旅の途中で出てくる窪田正孝が味があってとてもいい。
出てくると思ってなかったからなんか得した気分だった。
最後のマリコからの手紙は内容が分からないならこそいい演出なんだと思った。
思い出とともに、生き続ける
いきなりグッと引き込まれ、最後まで魅入りました。
つかみが早い、展開のテンポも良い、主演のトモヨ(永野芽郁)の演技も素晴らしい。
親友マリコ(奈緒)の遺骨を持って旅に出るロードムービーのようになっていきますが、トモヨがマリコを思い出すのに合わせた回想シーンも自然です。
旅の途中で出会ったマキオ(窪田正孝)の最後の言葉。
「その人の思い出とともに、あなたが生き続けること。それが・・・・」これが、作者の言いたかったことだと思います。私も同感です。
昔、永六輔が自身のラジオ番組で話していた言葉を、今でも覚えています。
「人は2度死ぬと言われています。1度目は肉体の死、2度目は人の記憶から消えた時です。故人を忘れない、時に故人を思い出すことこそ最大の供養です。」
(以下蛇足)
この秋、「遺骨映画」を立て続けに3本見ちゃいました。(川っぺりムコリッタ、アイアムまきもと、そして本作。)それぞれ違った視点からの作品でしたが、本作が一番しっくりきました。)
タイトルなし(ネタバレ)
【良かった点】
白眉はラストカット!、手紙を読み、涙し笑みを浮かべる主人公、そこには何が書かれているのかあえて言及しないお洒落な終わり方が最高だった。毎日テレビで流れる人の死。その人たち一人一人に今回のようなストーリーがあり、大切な人がいる。そうしたニュースで消費され、流れていってしまうであろう気持ちを改めて気づかせてくれる良作。永野芽郁ちゃんの体当たり演技も魅力。遺骨とのロードムービーという斬新なストーリーも◎。
【良くなかった点】
マリコへの気持ちが追いつかず、若干マリコの言動にイラついてしまった。ただ、自分たちにとってはおかしな人でも主人公にとっては大切な存在だったんだと自分を戒めて鑑賞した。でもあんな友人は欲しくないな笑
原作通り、いい意味で
原作漫画の衝撃はすごかったですが、それに忠実な実写化でした。
永野芽郁、窪田正孝が原作のイメージ通りで、会心の出来。
奈緒の演じるマリコが、原作より「壊れてる」度合いが大きすぎて、ちょっと怖いくらいでした。
普通「原作通り」すぎると、
「元のメディアのままでいいじゃん」
「映像化って、漫画が舐められてるよね、元を超えるのって容易じゃないのに」
って腹が立つんだけど、ちゃんとリスペクトして、かつ映画にしたからこその「+α」「映像だからできる独自性」がそこにあればOK。
その点では、永野芽郁の怒りや悲しみの姿、音楽や光と動きなどで、及第点以上の映像化に成功していたと思います。
親友の死に向き合う
親友の死をテレビで知り、彼女の遺骨を盗むことで彼女との人生を見つめ直す。
彼女の過酷な人生や2人のエピソード、そして今を生きる主人公の行動。それぞれに繋がりが出来るのだけど、その繋がりが弱く感情を揺さぶられることがなかった。
そして物語の主軸となる亡くなった親友の遺骨をどうするのかに対するアンサーが欲しかった。
なんかその場しのぎの回答だった様に思えた。
もう一つ彼女からの手紙は何が書かれてたのか?その回答もないまま終わるのってありなのかと思った。
痛々しいマリコの人生のストーリーを、全力で演じきった永野芽郁と奈緒の瑞々しい表現力に感嘆!
とにかく、永野芽郁、奈緒の演技力が期待以上にスゴかった!
シイノにとっても、自分の孤独を癒し、
生きがいのような存在だったマリコの突然の死
ぶっ壊れるしかなかったマリコとマリコの人生に
言葉にできない怒りを爆発させ、暴走するシイノを
永野芽郁が好演
正直、ここまでできるとは驚きだった
シイノのがさつな荒っぽさと、繊細で温かいところを巧みに表現していた
奈緒も、
つかみどころのあるようなないような
難しい役どころのマリコを
バカっぽくなりすぎず、暗くなりすぎず、
ビミョーに可愛らしさを加えながら、
これもまた、巧みに演じていた
ここに、アクセントの窪塚正孝!
通りすがりの人物でありながら
マリコを失った喪失感に打ちのめされる
シイノの心に「生きる」という気持ちを
再び思い起こさせる
その、出すぎず、引きすぎずの演技は
さすがの一言だった
見ていて気が滅入るようなマリコの人生も
この3人が演じることで、
ただ暗くて、救いようがない話で終わらず
生を実感し、日常生活があるささやかなありがたさ
を感じさせる、
希望をにおわせるラストへうまく繋がったと思う
原作読んだ人限定かも
全268件中、141~160件目を表示