マイ・ブロークン・マリコのレビュー・感想・評価
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きっと誰かの大切な人
家族に壊され彼氏にも壊されて、最期には自分自身を壊して消滅させたマリコ。
同じような境遇の人がたくさんいて珍しくも無くなってしまった現代社会だけれども、そんな事を憂いたって仕方がない。
親友シィちゃんは消化しきれない想いを抱えながら遺骨も抱えて海を目指すしかないのだ。包丁を振り回し、川を渡り、仕事を放り出し、骨壷で殴る。必死に生きる。死んだマリコに会いたくて生きる。死んだ人に会う為には生きるしかない。どう死ぬかはどう生きるかだ。壊され続けたマリコが誰にも助けを求められなかったのはそこまで彼女が壊れていた証左。でもマリコを喪ったシィちゃんの人生はまだ続く。これは親友をなくしたシィちゃんの物語だ。大切な人をなくしたみんなの物語だ。
マリコからのラストメッセージを読んで微笑むシィちゃんは、こらからもずっと彼女と共に生きていくんだろうなと思った。
煙草の良さ
原作が好きで見ました。
原作の良さが反映されてなかったり
原作にはない良さが表現されていたりして
作品としてとても良かったです。
禁煙、もしくは電子タバコの世の中だけど
紙の煙草を吸ってる綺麗な女性ってやっぱり良い…
良い作品だとは思われたのですが‥
(ネタバレですので鑑賞後にお読み下さい)
シイノトモヨ(永野芽郁さん)の演技も意外性があって、イカガワマリコ(奈緒さん)との関係性も感じが出ていて良い作品だなとは思われました。
ただ、シイノトモヨのモノローグ的な直線的な話で、他との展開するドラマ性に欠けいてて、邦画の広いマイナスポイントである内向した単調さが自分は評価できない点だなとは正直思われました。
しかし、だからといってダメな映画だとも思われませんでした。
個人的には邦画の内向した単調さは脱する時期だと思われています。
日本の映画(邦画)は、リアリティの乏しい大掛かりな作品か、リアリティはあっても内向して単調な作品かの両極端に分かれているように感じています。
大掛かりでもリアリティの深さにこだわるか、小さな話でもリアリティありつつちゃんと展開や観客を満足させる構成も深める努力を惜しまないことが、韓国などに差をつけられた日本映画界がやらなければならないことではと、この映画も含めて僭越ながら思われました。
友だち以上の関係なの
最近まで公開されていた
早くも無料配信されている
気になっていた作品
いま一つ。乗らなかった
シィちゃんのマリコへの想いが
感じられなかった~
亡くした友の哀しみや辛さを
怒りとともに暴言
そして常に怒鳴っている
気持ちはわかるけど…
遺骨の骨の一部を持ち歩くなら
まだしも
骨壺を持ち歩く行為が?(はてな)
と思った(軽くないし)
そして…骨壺で人を殴って
マリコのこと本当に
偲んでいるのか
疑問?
に思えた
余談…表現が
漫画っぽいな~と思う
ところは違和感に感じた
本当はこんなぶっきらぼうな言葉遣いや態度はしない人なのでは?と思わ...
本当はこんなぶっきらぼうな言葉遣いや態度はしない人なのでは?と思わせてしまう永野芽郁の隠しきれてない生来の品の良さが邪魔してあんま入り込めなかった
生きのばし
ジョーカーを観た時にも感じましたが、なんと言うか、心をぐっと掴まれて持っていかれるようなこの感覚…原作を先に読んでいたので、観るのを躊躇いましたが、エンディングにピーズまできて最高だこれは。
マリコみたいな女いるよね
人には、貴方がいないと死んじゃうっていうくせに自分には味方を何人も作って、いなくなったら死んじゃう人が複数人いる。彼氏できると連絡よこさないくせに別れたら都合よくどうでも良いことまで逐一報告してくるような女。そんな友達をめんどくさいと思っていながらも助けたりするシイちゃんがあまりよく分からない。
永野芽郁はいつもニコニコしてて明るくて元気はつらつ!みたいなイメージだから、こういう役はどうしても違和感がある。抜群の演技力でカバーしていたのは素晴らしい。
邦画が好きな人はこういう作品を見て数日間はニュースで亡くなった人のことを想ったりしてもまた忘れて呑気に暮らすのだろうか。こういう作品に対して「考えさせられる、これからも云々」とか言ってるうちは永遠にただ考えるだけなんだろうなと思う。
恥ずかしながら帰ってまいりました
恥ずかしながら日常はループする、
恥ずかしながら日常は、継続し回帰する。
自分にとって大切な、死んだ人にまた会うには自分が生きているしかない。
その通りだと思う。
ここでは、ストーリーとして、シイちゃんとマリコという二人の個人の関わりにおいてそのことが強く語られ、窪田正孝演じる男の口からも漏れる。
死者とまた会い死者とまた語りそして死者を語るには、私たちは生きて生き続けなければならないのだ。ウクライナで!パレスチナ で、ミャンマーで、香港で、シリアやイラクで、そのことは実感され生きて出会い生きて忘却を拒み生きて語り続けられていることだろう。
そこまでの大きな広がり、と、舞台である日本の生活、シイちゃんのブラック企業、小さく殺風景なアパート。くたびれたスーツと黒のパンプス、ターゲット顧客となる高齢者、マリコのありえないくらい不幸な家庭環境、それを当たり前と刷り込まれた故の人格形成とそれによる災難、性被害暴力被害などの具体的に閉鎖的な抑圧。
そして驚嘆すべき、どんなピンチやどん底の時に持ちよっとおもろいことを言って自分を笑い飛ばすシイちゃん。シイちゃんはこれができたこと、と、成長と共にぶっ壊れていくマリコを支えるという使命に支えられてきたから恥ずかしながら飛んだり跳ねたりひったくられたりラーメン牛丼お弁当ガツガツ食べたりしながら生きている。
窪田正孝のセリフのテンポがよい。
マイブロークンマリコは、マイブロークンジャパンであり、マイブロークンワールドだ。
永野芽郁の女優魂の産物
この作品での役を演じるにあたって永野芽郁さんはメディアインタビューで「ヘビースモーカーであるシイノトモヨに少しでも近づくため撮影期間中実際に喫煙者の方々に吸い方や格好を聞いて回って喫煙者として生活をした」と話していました。このトモヨという骨太で男前な女性を見事に演じられていたと思います。永野さんのお芝居の生々しさが、この物語で描かれる人間の生きづらさや逃げ場のない不条理な世の中をノンフィクションに感じさせました。
頑張ってる永野芽郁を見れた
テレビドラマに出ている永野芽郁を見てると、
まあ、アイドルに毛が生えたような感じがしたが、
この映画ではもう一歩女優として踏み出している感じがして
好感が上がった。
ちょっとやさぐれた感じといつもの永野芽郁が交錯している感じで
きっと数年もすればもっといい味が出せるのではないかなと思った。
映画の内容は微妙にコミカルな設定であるにも関わらず、
虐待→自殺という思いテーマを扱っていて、何となくアンバランスな
感じがしたかな。
これは僕がいつも感じていることなんだけど、
漫画でない限り、主人公の一人語りは自分に酔いしれている痛い人という
印象が拭えないのであまり好きじゃない。だって、どんな辛い状況でも、
一言二言独り言を言うことがあっても、長々と一人喋りをするなんて状況、
幻想でも見てない限りないと思うんだよね。
まあ、トモヨには見えてたってことなんだと思うけどね。
それに状況を説明しすぎな感じになっちゃうじゃない?
別に窪田や両親に吐露すると言う設定でも良かったわけだし。
なんかマリコは子供の頃は父に虐待を、大人になっても彼氏にDVを、
そして自殺。して何一つ救われないドラマトモヨに最後手紙が来て何か
嬉しいことが書いてあって、トモヨ的に何か救われる思いがあったのかもしれないけど、
根本的には単に不幸になるために生まれてきた女性の自殺という何も解決しないのが
スッキリしないかな。
別にトモヨがまりこのお父さんを殴ったところで何も解決はしないんだけどさ。
トモヨは遺骨を奪って逃走して、
そのさきに何があったのか?散骨とは違う形で海に遺骨を撒き散らし、
それを悔やむわけでもなく、なんか結局平凡な日常が待っているという
ある意味リアルでけど、物語としてどうなのか?という感じがした。
これは全体通してそうなのだが、マリコとの思い出を各場所で挿入していくが
全てが悲しい思い出て最後まであげる部分はなく何となく終わった感があり
物語としてはあまり評価しづらいかなと思った。
なのでストーリー★2.5、永野芽郁★1合計で★3.5
永野芽郁さんのたばこシーンが話題になって見たかった作品
上映時に永野芽郁さんのたばこシーンがかっこいいと話題になった後に見に行こうと思っているうちに上映終了していた。
Prime Video で早くも見放題に追加されて鑑賞。
シリアスなのにコミカルを入れていて微妙なところがちょこちょこあった。
「一句読んじまった」は正直要らんかった。
その点から胸にぐっとくるまでの衝撃はなかった。
とは言え、昔こういうことがあったんだという誰かの武勇伝的にみるストーリーと考えるととても面白かった。
本人はいたって真剣なのだろうが、遺骨の前で牛丼に箸立てたり、骨壺で殴ったり絶妙に不謹慎で笑っていいのかどうなのか微妙な表情で見てしまった。
ストーリー的にはクラスや学年に1人はいるであろう劣悪な家庭環境に育った少女とその友達の話。何をやっても危害を加えてくる親と、仲良くしてくれる子に依存するというよくある展開。
マリコ自身は彼氏を作るのに主人公に対して「彼氏を作ったら私死ぬから」と脅迫するあたり感覚がぶっ壊れている感じはある。
安定のクソ男にしか引っかからない女になっている。
家庭環境が悪い女はこんな人生だという偏見をすべてぶち込んだ結果がマリコだと思う。
最終的にマキオと結婚して娘の名前はマリコにするオチかと思ったが案外さらっと終わった。
なんで死んだのかも最後の手紙には何が書いてあったのかも明かされなかったので消化不良感はあるが、皆さんのご想像にと言われればそれでもいいかと思える。
見る前はマリコの父親をどうにか殺す作品だと勘違いしていたが、多方面への社会風刺的な作品だった。
カッコいいたばこのシーンが見つからなかったがどのシーンだったのだろうか。
おじさんというのは人の気も知らない迷惑な生き物だなと改めて実感する。
「ちょっとした冗談じゃないか?」で済むと思っているのが痛々しい。
ダル絡みしてくるおじさんにはあれくらいの剣幕でちょうどいい。
男前だぜ!!永野芽郁!
男前でいて繊細な映画だった。
永野芽郁&タナダユキ。
2人のカッコいい女たち。
「ダチが死んだ」
食堂でラーメンを食べていたシイノ(永野芽郁)は
テレビのニュースで
親友のマリコがベランダから転落して死亡したのを知る。
子供時代から親父に虐待され、ぶっ壊れていたマリコ。
直葬されて実家にあるという遺骨。
ドスを仕込んで両親の家へ殴り込み、
遺骨を奪取する。
壊れて死んだマリコを取り戻した。
それまでのグチャグチャの人生に戦い疲れ、
もがき疲弊した愛すべきマリコ。
永野芽郁のやさぐれ感が本物の人生を
生きる人間を感じさせる。
菜緒も、マリコの流されて搾取される弱さ、
人生を諦めた女の儚さを、
実感させてとても良かった。
ブラック企業に勤めるシイノトモヨ26歳。
どんな家族がいて、
どんな人生を生き方をしてきたか?
多くを語らないのがいい。
観客が考える多くの余白が、
半分空っぽだったマリコの
人生を映す。
マリコの「シイノ依存症」
小学生からずうっと20年も、
マリコは頑張ったんだよ!!
ガス欠!!
人生のガソリンが尽きた!!
笑えるシーンが多かった。
遺骨を奪取して2階のベランダから飛び降りる。
そして大きな川を浸かりながら渡るシイノ。
2人の行き先は、海。
マリコが行きたかった「まりがおか岬」
ここからはロードムービーに変わる。
吉野家で遺骨に牛丼を備え
(割り箸を立てる)
そしてしっかり2杯食べ尽くすシイノ。
酎ハイ3杯飲んで酔客に啖呵切るとシイノ。
“どうして相談ひとつせずに、死んでしまった?“
シイノの心は千々に乱れる。
「まりがおか岬」でマリコの亡霊と修羅場を演じ、
遂に遺骨はシイノの手から飛び立つ!!
帰路、マキオから貰った駅弁を、発車前にカッ込む。
腹は減っている。
生きていれば腹が減る。
そして、
《シイノトモヨ、恥ずかしながら、帰ってまいりました。》
・・・戦い済んで、汚いアパートに・・・。
きっと少しだけ逞しくなったシイノは、
マリコの分もこの先、
戦って、負けながらも、
戦って、
生きて行く。
永野芽郁さんを堪能出来ます。
でも今までとはかなり違った役なので
改めて女優さんって凄いなぁと思いながら
結構嵌まった1時間半でした。
※ファンの方にとっては、
可愛いだけの役の方が良いかも知れませんが。
マリコからの最後の手紙、泣きながらも
笑って読める内容で良かったです。
何とかなるよと言いたい
シィちゃんのヤサグレ感とまりちゃんの不幸、マキオの優しさとか何ともフワッとした空気感が私には良かった。三人とも息子と同年代なので彼らにしてみれば迷惑やろうけど応援したくなります。
マリコからの手紙
皆さんは最後のマリコから手紙の内容をどのように感じ取ったでしょうか?
どう感じるかは様々でしょうが、私にはついニヤニヤしてしまうような、物悲しいような感情が湧いて、トモヨの将来に期待してしまうのでした。
クライマックスでの一撃に、たまらなくスカッ!
「ユニコーンに乗って」で永野さんに興味を持ち、鑑賞。
原作未読。
過去と現在を交錯させながら、主人公が友人の死を受け入れるまでの物語。
とてもオーソドックスだが惹かれたのは、
主人公のハードボイルド感を演者が上手くさばいていたためだろう。
やりすぎ感に無理やり感もなく、ごく自然な「しーちゃん」の存在感がとてもよかった。
通してみる友人「マリコ」像も痛々しいだけでなく、儚く謎めいていて美しい。
物語はほぼ主人公の一人舞台なるも、途中から出てくる「釣り人」もまた寓話的で、
主人公の精神世界に奥行をもたせてくれる。
ゆえにリアルとファンタジーの混じったようなキャラクターだが、この演技も絶妙と観た。
救えなかった罪悪感、そんな自身への憤り、そして取り残されたことへの怒り。
まとめてぶつけるクライマックスでの一撃が、たまらなくスカッとする。
マリコが助けてくれてありがとう、と言っているようにさえ聞こえた。
また劇中では徹底して主人公の身の上について触れない。
だがなんらか不条理が過去から現在まで澱と溜まっていることは明白で、
この一撃にはそれらもまた、込められている。
そんなカタルシスも感じることができてとても印象に残った。
などなどひと悶着を経て戻った現実は、
だからと言って何か変化するわけでもなく
そこに「天気の子」を思い出す。
現実とのかかわりに焦点を当てるよりも、
関わる現実を個々の内でどう解釈しなおし生きてゆくのか。
これまた王道だが、近頃なお目立つように感じている。
ともかく振り切っていたハードボイルド永野さん、ヨシ。
そして途中、死者と会話するというコンセプトから
「スイスアーミーマン」を思い出したことも記録しておく。
むしろこのメモは「スイスアーミーマン」鑑賞のためだろう。
男前な芽郁ちゃんの魅力
本作は予備知識を全く入れずに鑑賞して、原作がコミックということも知りませんでしたが、映画観(み)の直観というのか冒頭を観ただけで「ああ、これは恐らくコミックの実写映画だな」という確信がありました。
そして今までの成功した漫画の実写化映画と(良い意味で)同じ匂いがしました。
そうした直観に引きずられ、最後まで一気に鑑賞出来ました。
ただ、よくこういう作品で重箱の隅を突く様な感じの感想の人を見かけますが、本作の様な作品は其処を無視できる人しか本来観るべきではないのでしょうね。(基本、リアルや整合性が売りの作品ではありませんからね)
これは余談ですが、この劇場(塚口サンサン劇場)って、上映している作品と何かしらリンクした作品を上映することが多くて、上映前に近日上映の『ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア』のポスターを見たのを鑑賞中に思い出し「ああ、これとのリンク作品なんだ!!」って思い至りました。
本作もなんか、あの作品のノリなんですよね。そう思うと余計に本作が愛おしくなってしまいましたよ。
永野芽郁が主演でしたが、なんか今すごい勢いですね。“のん”とは別の意味で突出した無双感があり、深きょんが出だした頃の感じと似ている気がします。
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