マイ・ブロークン・マリコのレビュー・感想・評価
全270件中、261~270件目を表示
いつもながらのあざとさ
自殺、ブラック企業、毒親からの虐待、彼氏からのDV。
現代的病弊をならべたあざと日本映画。
マリコ(奈緒)が自死したというテレビ報道を見た幼馴染みのシイノトモヨ(永野芽郁)。
回想をまじえながら、ふたりの交流をさかのぼる。
マリコはトモヨをシイちゃんと呼び姉のように慕ってきたが、父親から虐待をうけ、彼氏からはDVに遭い、次第にメンタルが崩壊していく。
マリコは幼少期からずっと虐待されつづけ、その結果、虐げられている状態に自分らしさを見いだすようなマゾ体質になってしまったのだろう。
原作を読んでいないのでわからないが、映画を見た感じではそれがマイブロークンマリコの故由になっている──と思われた。
シイノトモヨはいつもタバコを吸っているラフ&タフな女の設定だが肌つるつるの永野芽郁はヤカラな気配も態度もまったく似合わず、それは逆に妙でよかった。
リアリティがまるでないむいたばかりのゆで卵みたいな永野芽郁はいい絵だった。
が、マリコの可哀想な境遇がしつこく描写されていつもの日本映画になった。
かよわいマリコ、悪いやつ、憤るトモヨ。善悪が単純構成され、マキオ(窪田正孝)はスナフキン的な達観者として配置される。
こういったキャラクター位相は凡百の日本映画を踏襲している。
おまえら(日本映画)いつもそうだよな。
原作は漫画で話題になったものだそうだ。
読んでないのでそこに異論はない。
ただ漫画と映画はちがう。
単純な悪者vs被害者にすると日本映画になる。
たとえば先日見たShe Saidに出てくるLisaBloomは女性の権利を守る係争戦歴をもつ弁護士だが、ワインスタイン側に立脚してかれに多くの助言をしている。
告発者で真っ先に出てくる女優ローズマッゴーワンはよく出回っている画像のなかでマリリンマンソンのかたわらで裸同然の網ドレスを着ている人物である。しばしば男からセクハラに遭う一方、失言が多くゴシップ誌の常連でもある。日本で言うならチョリースみたいな問題児である。
言いたいのはこういったハラスメントの趨勢が、かわいそうな弱者とわるい強者で構成されていると思ってしまう感情的な人は物事を見誤りやすいということ。
日本でMeTooを牽引した女性ジャーナリストの事件が10対0のシンプルな話だったとは思わない。Colabo問題もそうだ。弱者が正義とは限らないし、単純に構成されている事案は少ないと見るべきだ。
ならば、映画の中の人間も単純化すべきじゃない。
かよわい女が悪いやつにいじめられる描写は情弱相手の商売はできても日本映画枠を抜け出すことはできない。
情弱とは情報を持たない人ではなく信じやすく感化されやすい人のことであり、情弱を信じさせるのはストーリーテリングとビジュアルだと言われている。したがって情弱には「女の子が泣いている=可哀想=正義」の式が成り立つ。
あなたが映画をたくさん見ているなら、何かや誰かを盲信してしまわないことをリテラシーというのだ。(と思う。)
親友の死に向き合う
親友の死をテレビで知り、彼女の遺骨を盗むことで彼女との人生を見つめ直す。
彼女の過酷な人生や2人のエピソード、そして今を生きる主人公の行動。それぞれに繋がりが出来るのだけど、その繋がりが弱く感情を揺さぶられることがなかった。
そして物語の主軸となる亡くなった親友の遺骨をどうするのかに対するアンサーが欲しかった。
なんかその場しのぎの回答だった様に思えた。
もう一つ彼女からの手紙は何が書かれてたのか?その回答もないまま終わるのってありなのかと思った。
「大丈夫に見える?」 「大丈夫に見えますよ」
「大丈夫に見える?」
「大丈夫に見えますよ」
この言葉が良かったです。
原作未読です。
余計な要素を省いていて、キャラクターも最低限、尺も短めなところが好感度◎
友人を自殺で亡くしたときの、ふがいない自分への憤り、呵責は、相当なものです。(経験者。)最後の手紙がシイノを救ったのでしょう。救いのある終わり方で良かったです。マリコちゃん、安らかに…。
全270件中、261~270件目を表示