カモン カモンのレビュー・感想・評価
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佳作。でもそれ以上の何かを感じる。
佳作です。良い作品だけど、「生涯ナンバーワンだよ!」という位置付けには決してならない映画。けれども、なぜだか心に残っています。
ホアキンの演技は素晴らしい、本当にホアキン自身の話のように見えてしまう。あまりにも愛らしい2人の生活。映画を見たというよりは、その2人の本当の生活を見たような気分になります。
劇中にはさまれる子供たちのインタビューも、いまの時代のステレオタイプを脱ぎ捨てた、時代を射抜いた言葉たちが出てきます。この辺のセンスは素敵だなあ、と感じました。
そう、ものすごく何か、ってわけじゃないんだけど、
確実に大切な部分をコンコン当ててくる、
そのささやかながら実はすごい、ていうことをやってるんだと思います。
こんな映画が作れる人になれたらきっと幸せだろうと思います。
洗練されたハートフルストーリー
ウェルメイドな作品。ホアキン・フェニックスと子役の演技はとても良くて、安心して観ていられる。洗練されたアートシネマが好きな人ならみんな満足すると思う。
主人公のジョニーは、ラジオ局につとめるジャーナリストで、全米を移動しながら子どもたちに取材する仕事だ。彼の妹は結婚しているが、夫がメンタルを病んでいて、入院させるためにごたごたしている。そのため、彼女の息子であるジェシーの面倒を見てほしいと頼まれる。
ジョニーは仕事があるので、結局ジェシーをつれて旅を続けることになる。
ジェシーは賢いのだが、エキセントリックなところがある。親元を離れてすごす不安もあり、ジョニーは手を焼くことになる。しかし、そんな生活の中でも、徐々にふたりは信頼を構築していく。
たくさんの問いがあり、たくさんの答えがある。
ウイリアム・サローヤンの「パパ・ユーアクレイジー」を思い出した。
父と子の物語で、ふたりがたくさんのことについて話す。
こういう、普段あまり親しくないおとなと子どもが、ふたりだけの時間を過ごす中でたくさんの会話をして、互いを理解していく、という物語はたくさんある。ただ、2021年という時代にあらためて、コミュニケーションの大切さを問いかけたのはタイミングがよい。製作と配給はA24。この会社の企画力のうまさにはいつも感心する。
A24の作品は売れるアートシネマだ。
spotifyのヒットチャートに名を連ねているアーティストの楽曲に似た感覚がある。それは洗練されていて、軽やかで、かつ個性もある。ただ、魂を削るような凄みのある作品はチャートには出てこない。たくさんの人に聴いてもらえる曲なのだ。結構どぎつい歌詞の曲もあるのだが、それでもおしゃれになっている。
A24も空気感が似ている。丁寧に作られた作品であるのは否定しないのだけど、やっぱり、マーケティングとかビジネス的な計算といったものが先だっているように思う。「ミッドサマー」も強烈ではあるのだけれど、がっつりと心をつかまれるような凄みはない。
それでも、ホアキン・フェニックスは名優と言ってもよい俳優だし、子役もうまかった。映像もめちゃくちゃきれいで、センスの塊みたいな作品だった。でも感動はしなくて、映画の世界のトレンドをチェックしている感覚なのだ。
時代の空気感というものがあって、クリエイティブをやるのであれば、常にそれを追いかけていかなくてはならない。その空気感に対して、どんな問いを立ててなにを生み出していくのか、という作業が自分のクリエイティブになる。そういう意味ではA24のやっていることは正しいし、spotifyのランキングの上位にいるアーティストも時代の空気をうまくつかんでいるのだ。ただ、マーケティングと計算に基づいたプレゼンテーションみたいな作品は、とてもきれいで、たくさんの人が受け入れるのだろうけれど、やっぱり、リミッターが壊れたような凄みのある作品にはならないと思う。
そういう風に考えると、スコセッシとか、デヴィッド・フィンチャーみたいな人たちはやっぱりすごいんだと思う。
モノクロの世界
久しぶりにモノクロの映画を観た
こんなにも世の中色に溢れていたのかと、再認識
そういえば最近では夢もカラーだ
映画は
なぜ仲違いして気まずいのに兄に子供を預けたのか。本当はあの時は言いすぎた謝りたいと思っていたのか
ジェシーの父親のことを大丈夫だなんて嘘ついたのはなぜなのか。嘘はいつかバレるし、バレたらもっと傷つくのに
ジェシーはわがまま放題で母と叔父は振り回されてイライラする。もっとビシッと言って、その後優しく抱きしめればいいのに
地球の時間の川に飛び込むのだ♥
『地球の時間の川に飛び込むのだ。
空っぽな変わり続ける人生の意味を
そして、星に還る日が来たら、不思議な美しい世界との別れがつらくなる』
『書いてある通りだ。すべて忘れる』
この詩が良かった。
ドビュッシーの『月の光』とモーツァルトの『レクイエム』が良いね。
『そして、未来を考えた事ある。
あるよ。
起きると思うことは絶対に起きない。考えもしないような事が起きる。だから、先へ進む以外ない。どんどん先へ。』
そして、少年は親離れするんだ。
しかし、彼にはDNAの問題とか、思春期の問題が残っている。だから、インタビューも思春期前の幼い子が多かった。
最後がいらない。『イル・ポスティーノ』見たく終わって欲しかった。カモン・カモンで終われば良いのにと思った。
追記
最後に『輪廻転生』の話で締めくくられたが、アメリカに東洋系の移民が増えている象徴なのだろうか?キリスト教では生まれ変わりの概念はないと思う。
禅問答?
急遽、訳アリの妹の9歳の息子ジェシーの面倒をみるはめになった伯父さんジョニーの奮闘記。マイク・ミルズ監督はジョニーをラジオのルポルタージュ製作者に設定し子供たちに、未来をどう思うか、死んだらどうなるかなど脈略のない哲学的な質問を投げかけます、面白いのは答える子供たちが仕込みの子役でなくリアルなこと、答える内容はこれまたびっくりな高尚さや辛辣さを含んでいて驚きました。
映画の半分はそのドキュメンタリーのような部分でしょう、言葉の魔力をより感じさせるためにあえてモノクロ撮影というフィルターをかけたのでしょう。
ただ、ロスの陽光に充ちた自然の風景やビルのそびえる大都会ニューヨーク、JAZZの都ニューオリンズなどが舞台なのでカラーで楽しみたかった気もします。
伯父さん映画ではジャック・タチの「ぼくの伯父さん」シリーズの方が好みですね、本作は禅問答のような会話に溢れていて分かったような分からないシーン、セリフの洪水で翻弄されっぱなしでした。
かけがえのない時間を過ごす2人
少年と伯父との交流と家族愛。
距離を感じる姉との関係を抱きつつ、ある理由により姉の子供と一緒に過ごす事となる。
その時間を丁寧に描き2人の変化を描き切っている。そしてラストの別れのシーンの何とも言えない感じが2人で過ごした濃密な時間を感じ心を震わせた。
そしてモノトーンで描くことで、2人に注視する描き方も良かったと思いました。
将来について考えたことがある?
他者への怒りに満ち満ちた休日の午前中、モヤモヤした気持ちをぶつける吐口に選んだこの映画。モノクロ映画にふと惹かれたのは運命だったかもしれない。
何かに、あるいは誰かに怒りを覚えて打ちひしがれているのに、どう表現したらいいのかわからない人にそっと渡したい映画。
この映画のキモは「対話」。作中のキーワードにもなるインタビューもある意味対話で成り立つものだと思う。
彼と彼は対話を続ける中で愛を育む。彼と彼女も架空の御伽噺の中で対話する。彼と彼女は電話やチャットで対話する。
人は結局、孤独の中では生きていけないのかもしない。インタビューの中で何度か子供たちも核心を突いていたが、孤独は怖い。なによりも避けたい恐怖だ。対話はその行為を行う間だけは一人ではない、という確信的行為で私は愛そのものの行為だと感じた。
怒りを鞘に収めることができたシーンがある。母親の責がなくなり、彼が親元に帰ることができる連絡が来たシーンだ。彼は自分の置かれる環境の急激な変化とそれに追いつかない感情に混乱する。めちゃくちゃになる。それは怒ってもいいのだ、わやくちゃな感情を表に出して然るべきなのだ。我々は(特に日本人は)己の感情を相手にぶつけることを嫌がる。それは国の文化でもあるが、それが祟って近年の心的症例の発症率に繋がっているのではないかと思うことがある。
自分自身、最近怒りや悲しみを子供の頃ほど上手に表に出せなくなってきた。喜びや驚きも。涙を流しながら自分の感情を表に出すのが憚れるようになったし、友人や家族の見送りで電車のホームを端から端まで走ってみることをしなくなった。
もっと感情を表にだしていい、わやくちゃなときはわやくちゃななのだ、というセリフがやけに響いた。
未熟さに学ぶ。
久しぶりに感想を書き留めておきたい作品に出会いました。
ストーリーに起伏はあまりなく、モノクロなので視覚的に退屈に感じる人もいると思いますが、役者の技術と比喩的表現が精巧で、高い評価も頷ける作品でした。
最初は、ジェシーが家庭環境によって問題を抱えていて、それをジョニーが変えていく、もしくは不思議なジェシーの中に煌めきを見出すような作品だと思ってみていました。
しかし、お母さんの言葉に合ったように、すでに一人の人間としてジェシーが描かれており、誠実にジョニーが向き合うことで、子供と大人ではなく二人の人間の物語として描かれていたように思います。
子供たちへの未来についてのインタビューが、作中の一つ大きな核を担っていますが、どれも一人の人間としての未熟ながらに、立派な一人の人間の言葉として表現されており、一つのテーマに感じます。
ストーリーについては、ジェシーと、ジョニーは似た者同士で、お互いに成長、見方によれば補完し合っていく話だと僕は見て思いました。
特に二人が似ていたのは、感情を表に出さずに間接的に何かを伝えようとするところ。音楽や録音、音が一つのメタファーになってたような気もします。
その部分にジェシーの成熟さが見られましたが
やはり、ジェシーにはたくさんの未熟さがあり、そこに子供の面白さがあり、学ぶべきことがジョニーにはたくさんあったのだと解釈しています。
音。というのも一つ大きなテーマだったように思います。ジェシーのお父さんは音楽関係者でしたし、ジョニーも録音機を持ってラジオの制作をしていました。ジェシーも録音が好き。そんな音がこの映画で何を比喩しているのか、いろんな観点から語れそうですね。映像がモノクロなのも頷けます。
ジョーカーとジェシーが出会っていたなら…
甥っ子ジェシー(ウディ)を預かり暮らすことになった独身でラジオジャーナリストのジョニーおじさん(ホアキン)。
2人が暮らしはじめて間もなく、ジェシーの屈託のない物言いや奔放な振る舞いにとまどうジョニー。
慣れないこどもとの生活で疲れ果て嫌気がさしてくる。
少々気だるく疲れた中年男、自分ペースな一人暮らしからの差は大きく、任務果たせるか??と、心配は募る。
しかし、そうこうしながらその天真爛漫さと向き合っているうち大人になりながらいつしか固めてきたジョニーの概念はほぐされほろほろと剥がれていく。
ついにはジョニーからふいに出てくる言葉の音色が和らぐ。
ーそうかもしれないな、ぺっらぺら
何気ない会話中、
ジェシーに自分のことを“ぺらぺら“だと言われ
笑いながらそう返すジョニー。
ここはポイントだろう。
こどもに言われた自分を単に卑下した復唱ではなく
真っ直ぐにむきあって解き放つ鍵を手にした言葉だった。
ジョニーにその鍵を投げたのは
他ならぬジェシー。
錆びかけ綻びかけたままのおじさんの様子にジェシーのピュアさが自然作用を促したのだ。
自分を緩め、許し、労わっている?
自分にやさしくないとまわりにもやさしくなんてできないよ。
そんなことをジェシーは本能的にわかっているのだろう。
なんだか苦しそうだな。
なんだか難しくしてるな。
ー伯父さんはばかのなかでも一番のばかだね。
とつぶやく。
そんな本能はこどもの特権か?
面白いのは物語の構成にこどもへのインタビューシーンがジョニーの仕事として描かれ点在していているのだが、全てがリアルなものだということ。
つまり、ちゃんと聞いて胸のなかに一度落として考えなければならない声。
どの子も真摯に大人が知らぬふりや本当に忘れてしまった部分をとらえ鋭くときにはふわりとつついている。
ある子が、大人についてこう答えた。
「20世紀によくあったこと。
相手をそのまま受け入れず
間違った方法でねじ伏せようとする。
今は自由に表現できると思えるけどーそうじゃない。」
胸がチクチクする。
大人たちが牽引する現世界の実情。
この子はこの先大人に諭され信じることができるだのだろうか。
だけどそれだけではないんだ。
ジョニーもジェシーと対峙する。
—笑ってる? 泣いてる?
ちゃんと対応したい…とストレートに伝える。
これってジョニー、自分自身へのことばだね。
しかもジェシーたちこどもが未来に希望をもてるおとなの救いあることばだ。
そしてこう紡ぐ。
ー長年理解しようとする
幸せで悲しく豊かで変わり続ける人生の意味を
そして星に還る日が来たら
不思議な美しい世界との別れがつらくなるだろう
日々、私もみんなも星に還る日が在ることを実感する年代。
字幕に自分のこころが映し出されたとたん涙があふれた。
ー未来は考えもしないようなことが起きる
だから先に進むしかない
c‘mon c’mon
ジェシーがそう語る澄んだ瞳に映るものをごまかさないで済む世界とじぶんに。
静かなる戒めを感じとり自分をほぐしながら、やさしく強く永遠ではない毎日を進みたい。
そしてモノクロの意味は、訳知り顔になりがちなおとなが
目にうつるすべてをこどもとおなじようにニュートラルにしたかったからじゃないのかなと思う。
ホアキンとウディ
役を超えスクリーンを越えどこかにいる2人だった。
知らなければ星に還るときまで知らないままのことを伝えてくれる素敵な映画。
子どもは子どもじゃない
ホアキン・フェニックス演じるジョニーが、色々と事情があってある期間だけ甥のジェシーと一緒に暮らすという物語。
ジェシーがまた世界中の木は菌のパイプで繋がっているだとか、陰謀論が好きだとか、風変わりな子どもだけれども、「おじさんはママと話をしないの?」(話は何度もしているが腹を割った話はしていなかった)などと聞くシーンは、繊細で敏感で鋭い彼の性格をよく表している。
また、ジョニーはラジオの仕事をしていて、アメリカ国内の移民の子どもたちにインタビューをするのだが、子どもたちの回答が漠然としてはいるが大人よりも的を射ているものがありハッとさせられた。
最後の方に、「おじさんは僕といた日々のことを忘れる?僕が覚えていてあげるから大丈夫」と話すシーンは、記録に残せるからと録音をしているジョニーにとって最も欲しかった言葉なのではないだろうか。
人間の心の繋がり方を練習させてくれる
人間の心の繋がり方を練習させてくれる傑作映画だ!ジョニー(ホアキン・フェニックス)がインタビューした子供は明らかに俗に優等生ぽい。自分の意見を持っていて社会の一員になっているかのようだ。これらのインタビュー(ドキュメンタリー)が ドラマに組み込まれている。それだけでなく、これらが密接につながっている。2度も映画で繰り返したインタビューの答えの例がいくつかあるが、そのひとつが、『会話をしている人たちはいるが誰もわかってくれない。誰もいないのと同じだ』と少年が言った言葉だが、多分、学校でも社会でも、人とは会話をするんだが、表面だけの会話で、深くなく、分かり合えず、自分をわかってくれないんだなあと感じる人がいると思うだろう。特にネットの時代に、会話の大切さを忘れてしまっていて、コロナ禍の終盤ごろ、人がより心の中を見せられなくなったことに気づくだろう。長いパンデミックをどう生きたかは人によって違うだろうが、私たちに人間関係の希薄さの修復の仕方を教えてくれている。この映画はこのインタビューのある少年の言葉の解決策を示している。それは、例えば、ジェシー(ウッディ・ノーマン)とジョニーが問題を抱えた時、ジョニーの母親ヴィブは解決法が書いてあるマニュアルをジョニーにスマホで伝授した。ジェシーは『ママはマニュアルを見なくてもできるよ』と。マニュアルだが、こういう会話の仕方を学ぶことで、お互いが分かり、だんだん近づいて繋がってくる。 これが、インタビューを受けた少年の問題点を解決策に導く過程のシーンの一つであると言える。私は、映画を観ながら、インタビューの答えになる過程をこのドラマからみい出していた。人と人がいいかにして信頼関係を築いていくか、その過程をここで教えてくれていると思う。
ジョニーの甥、ジェシーはインタビューを嫌がって、そんなことより他のことに興味がありそうだ。まず、なぜ結婚しないのとジョニーに聞く。ジョニー側からみると『なぜかなあ?』と考える機会を与えられたようだ。
ジェシーという9歳の『孤児ごっこ』をする少年だが、父親の不在、それが、社会生活のできない父親の精神に問題があることを感じ取っているからこそ『孤児ごっこ』を思いついたのではないかと思った。それに、母親も精神的に不安定な伴侶の面倒をみにオークランドへ行かなければならず、ジェシーは伯父、ジョニーのところへ。ここでも、『孤児ごっこ』を。おいてきぼりにされ、精神的に不安定になるのも無理はない。ここでも、孤独感、恐怖感が、『人はそばにいても、何もできない。誰もいないという感じと』いう、インタビューを受けた子どもの心と一致している。
二人は共同生活をすることにより、喧嘩をし、選択肢があるという過程を踏んでこなかったジェシーは初めて、ニューヨーク行きの選択肢を与えられる。でも二人の間は、インタビューで言われるように『怒鳴って喧嘩しあって、お互いに反対の意見は言って口論しやすいが、自分を説明することは簡単じゃない。』 それに、『インタビューには答えないよ』と言ってた、ジェシーが自己インタビューをするシーンが好きだ。 将来のこと考えたことあると自問して、計画しても起こらないよと答えている。そして、忘れちゃうよというジェジー言葉にジョニーは二人で過ごした時の思い出をテープにして送る。カモン・カモン。。。。の答えはジョニーとジェシーが握っていると思った。
映画作品の形式は『エコー・イン・ザ・キャニオン』(2018年製作の映画)のように、ドキュメンタリーや現在起きていることなどを織り交ぜて映画にしている。最近、こういうタイプの映画を観るが、時々、外国の映画だと、土地勘が頭の中で理解できないが、この作品はデトロイト、オークランド、ロサンジェルス、ニューヨークシティー、ニューオリンズなどと字幕がある。ジェシーに本を読んで聞かせるとき、書籍名と作家名が字幕にでる。ジョニーとヴィブの兄弟が認知症の母親を面倒見ている時のエッセイはMother: An Essay on Love and Cruelty by Jacqueliine Rose と出ている。エンドロールにクレジットを入れてもいいと思うが、作品の途中に入れていることで、わかりやすい。それに。『移民としての将来』、『森林の大切さ』ヴィブの『堕胎経験』を女性の権利として捉え、このような時事問題にも触れていいる。そして、これらのことを意識に入れている。
白黒映画だが、この場合、心の中やかなり長文の会話を描写するのに適切だと思った。なぜかというと、フォーカスを言葉におけるから。しかし、こういうタイプの日本映画をあまり見たことがない。日本映画は会話が短く、行間を読めとばかり、コンテクストで意味をわからそうとする。そういうのは個人的に苦手だ!! 言葉を使え!!
それに、問題意識の乏しい人がよく『普通』という言葉を自分の周りの基準に合わせて使ったりするが、この映画ではジェシーが『普通って何だ』と疑問をもっている。普通には暗黙の合意があるらしいが、私はそれを知らなく、普通って何?どんなこと?と質問するので嫌われるようだ。
大人はわかってくれない訳でもない
どういう映画か聞かれたらきっと「すごくA24って感じ」と答えるかも。
90年代ならシネ・ヴィヴァン六本木か、シネセゾン渋谷あたりで上映しそう。
ホアキン・フェニックスは、これくらい恰幅の良い方が、哀愁を漂わせていて好きだな。大ヒットにしてオスカー受賞作である『ジョーカー』の後にこれを選ぶセンスも素晴らしい。
ラジオジャーナリストって聞いたことない職業だけど、その対象者の子供たちのインタビューとともに、ジョニーもジェシーも成長していく。
自分を上手に表現出来ないジェシーが、ヘッドフォンをかけてマイクに向かって伝える。職業と小道具を効果的に使っている。
自分だったら、空港に向かう途中でトイレ籠城されて冷静でいられるか。まあ無理だろう。
派手さは皆無だけど、良い映画を観たと言いたくなる。
ぺらっぺらでもいいよね?
圧倒的な多幸感って言われると、そんな映画だったか?と思ってしまう。
ジェシーがやる自分は施設の子、両親やジョニーは子を失った親という設定の遊びは、ジェシーの抱える不安の現れ。でも不安を抱えてるだけではなくて、ちゃんと未来を恐れつつ、不安がりつつ、それでも進まなきゃってわかってるジェシーの繊細さと勇気の両方が愛おしくなる。
子供はまるで哲学者のように雄弁にインタビューに答える。インタビューされるということは確かに尊重されることなのかもしれない。注目され問われ自分に問いかけ、そして答える。ジェシーははじめそれを拒むけど、最後には一所懸命密やかに答えてみる。
心の奥底にしまってある本音を語るのは子供だけじゃなくて大人にとっても容易ではなく問いかけすら自分にしなくなっていることに気づく。ぺらっぺらでもいいじゃないか。たまには、自分に問い、そして誰かに語ることもいいのかも。
まるでドキュメンタリーを観てるような自然な作品で、おそらくそう仕上がったのはモノクロであることも影響しているのだろう。モノクロによって雑味がとれるというのはなかなか興味深い。ジェシーのウッディ・ノーマンももちろんホアキン・フェニックスも素晴らしかったと思う。
説明が…
業界の人からも高評価が多い作品だったので観に行き、良い作品だとは思ったのだが、腑に落ちなかった点があったので、敢えて書かせて頂こうと思う。
二人が心を通わせていく心温まるストーリー
と、モノクロームの映像の美しさはとても楽しませて頂いた。子供たちへのリアルなインタビューのノンフィクションの要素と、映画のフィクションとを織り交ぜるのは試みとしては面白いが、着地点がどちらにもいかず、役者の演技を純粋に楽しみたかった自分には現実の声が演技の部分に介入し少し邪魔をしてしまっている様に感じたのと、主人公の叔父が妹への電話で、少年とどんなふうに打ち解けていったかといった出来事や、感情を含めた詳細を説明してしまっており、実際に少年との表情や会話のやり取り、間合いから二人の関係性が深まっていくのを観て感じるのが映画の面白さのところを、後から言葉で説明される形になっており、それだと映画ではなくて文章表現の本でいいのでは?と思ってしまった。
最後の方でも、少年と出会ってからの全ての回想シーンがまとめられていて、映画を観終わった後に個々に映画の余韻に浸って回想するのを映画の中でやられてしまった感じがして、自分の中で回想したかったのが説明的にまとめられていて楽しみが減ったと感じたので、やや興醒めしてしまった。
役者もいいし繊細なやり取りも良かっただけに、説明的な部分が多い様に感じたのが残念でした。
大人になってしまったことを絶妙に再認識させられた
構成がすごく上手でした。普段から子供の声を取り扱う仕事をしているが、子供と暮らすことで、その純粋さや複雑さを再発見していく話だと思いました。
インタビューはドキュメンタリー調でしたが、確かに子供は余計な知識がなく、表層的だけど本質的に社会に対して物事を捉えている気がします。
自分自身、子供の頃に抱いていた純粋な「不満や葛藤」が薄れていたことに気づかされました。
少し難しい子という設定だったと思いますが、文化の違いなのでしょうけど、あまりにも子供のわがままに寛容なのが驚きでした。
終始子供に合わせて行くだけで、正直見ていて退屈に感じてしまいました。
子供が主人公に心を開いていくシーンがもっとあっても良かったかな、と思いました。
そして子供との触れ合いから、インタビューを聞くスタンスへの変化や、核心部分を聞き出せるようになる、などの連動も欲しかったです。
ドビュッシーの月の光でしたかね、とても大好きな音楽です。モノクロ映像とマッチしていて素敵でした。
家族映画の新たな傑作が誕生したと個人的には思わされた。日常をここま...
家族映画の新たな傑作が誕生したと個人的には思わされた。日常をここまでスタイリッシュに、そしてリアルに切り取った家族映画がはたしていくつあるだろうか。だがモノクロであるが故に、監督が言う「寓話」になりしっかりと映画になっていたのも流石の手腕。
自分は親の子どもだった時代しかなく、子どもの親になったことはない。だからこの物語も一辺倒な見方しかできないが、劇中にある「子どもも親もどちらもお互いを完全には理解できていない」的なセリフにはハッとさせられた。反抗期もなく喧嘩もない家庭だったが、子ども時代に親が何を考えているのか分からず不安になる瞬間が時折あった。それは今まで答えのないモヤモヤでしかなかったが、この映画を観た今、何かしらの形にできそうな気がしている。
ただ見るのではなく、その人の声を聞く。それこそがコミュニケーションであり、お互いを歩み寄らせ、絆を生むための唯一の手段であると思う。この映画はそれを見事に作品に収めてくれている。ここ最近で一番胸が温かくなる一本だった。
オトナはわかってくれない。。。
妹の一人息子(甥)との、短い共同生活を
描くモノクロ・ドキュメンタリータッチの人間ドラマ。
妹の夫(義弟)が単身赴任先で心を病み、妹は急遽、
面倒を見るために家を後にすることに。
家に残す9歳の息子の世話を兄に託す。
・妹の夫→オーケストラの一員
・妹→著述家あるいは小説家
・妹の子→空想や会話を楽しむ理屈っぽい男子
・兄(主人公)→全米の子どもたちをインタビューして回る硬派なラジオ番組の制作に携わる
ということで、全員、カネの心配は皆無。
決してそれが作品で強調されはしないのだが、
庶民的感覚からは離れた世界が、作中ずっと
背景にあった。
『未来はどうなると思う?』
『もし、君が、君の両親の親になったら何を教える?』
など、単純ながらも、かなり深いインタビューに答える様々な子どもたちが次々とフィーチャーされる。
併せて、場面の切り替わりには、(おそらく実在の)
童話や著作の一節が、いくつか字幕つきで紹介される。
それらの一つひとつが、強烈に比喩的かつ哲学的で
途中からアタマが一杯になる。
特にインタビューに回答する全米各地の子どもたちの
答えがどれも、(良い意味で)すごすぎて、
映画を見ている自分の表情から、徐々に笑いが
なくなるのを自覚できた。
主人公の9歳になる甥っ子も、ごたぶんにもれず、
子供なりに色々なことを見聞きし、評価し、
行動し、要求することを繰り返す。
主人公はペースを乱しながらも、
甥っ子、あるいは甥っ子を通じて妹との
関係を再構築していく。
モノクロ画面が、映画の硬質さを如実に表し、
表情や会話への集中を余儀なくされる。
興味深い映画だったが、見たあとは
どっと疲れた。
録画して、ところどころ、止めたり戻したりしながら
セリフを味わいたい作品だと思った。
いい作品でした。
ジョーカーのホアンキンフェニックス
ラジオジャーナリストで録音取材を親を亡くした子供達にしている。そんな時、妹から息子を預かってほしいと。不思議な共同生活がはじまる。
はじめは、ゆっくりなんで、眠たくなる。しかし、9歳の子供とのやりとりに引き込まれていく。僕も仕事にかこつけて子育てに参加していなかったなあって切なくなる。母親はやはり子供にとって特別なんだなあ。
エンドクレジットのインタビューの言葉 よかったなあ。
君の叫びを抱き締めたい
◉世界とか、未来
世界や未来や、自分とか親や家族とかが何かなんて、そんなに簡単に分かってたまるか! だから時々、叫び声を上げたり身体を揺すったりしてしまう、愛すべき子供の物語。
子供の世界には柵がないから、素敵なことも哀しいこともたくさんあって、押し潰されてしまう。それを自分に言い聞かせるためにジェシーは騒ぐ。大声を上げたり、テーブルを叩いたりして、自分を守っていた。
◉二人が聴くもの
ジェシーは伯父の商売道具のマイクを、街や森や海に向けて、出来るだけ広い世界の自然な声や音を聞く。聴き入る彼の笑顔が、本当に可愛いらしかった。
ジョニー伯父は多くの子供たちにマイクを向ける。それは仕事だからなのだけれど、狭くなった自分の世界をちょっとでも広くしようとする試みでもあるのですね。そのように感じました。一人語りもそうした、心の作業の一つ。
◉二人が優しいもの
はい、それは母親のヴィヴに対してです。
甥っ子は大人ぶって、身勝手に振る舞っているように見えて、母が恋しくては拗ねるし、会えばひしと抱きつく。伯父は家族のことで辛い思いばかりする妹を慮って、手間のかかる甥っ子を連れて回るし、逃げられては途方に暮れる。
父親の精神状態が落ち着いて、伯父と甥っ子はひとまず離れる。この二人なら、一期一会じゃなくて、また会えます。伯父と甥の思索と探索は続くのです。
二人の役者の間で、わずかずつ高まっていく温度の感じが目に映るようで良かったです。
子を育てるのは大変そうだ💦
映画の中のインタビューで印象に残った言葉があった(正確には覚えてないけど)
『未来は過去の蓄積だから争いはなくならない』
良い映画を観ました。
子育て奮闘中の方々、お疲れさまです。
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