「素朴で、あたたかい。」左様なら今晩は TF.movさんの映画レビュー(感想・評価)
素朴で、あたたかい。
初めは、幽霊が"居る"から引っ越したいと思っていた陽平。次第に距離を縮めていく中で、彼の中で「あいすけ」の存在が無くてはならないものになる。最後は、幽霊が"居ない"から引っ越すことに。そこに至るまでの、陽平とあいすけの奇妙な日常を描いた本作。
特に印象的なのは、2人の生活の何気なさが強調されている点だろう。取り立てて大きなイベント事がある訳では無い。例えば終盤のデートについても、実はそれ自体についての描写と同等以上に、デートに至るまでのなんてことない情景が描写されている。そんな何気のない日常こそが、本作の魅力だと私は思う。常に一定の距離感を保った2人が織りなす、淡いラブストーリー。一見して非日常的な設定だが、極めて日常的な情景が描写されることで、それはありきたりな日常風景に昇華され、どこか遠くに存在するかのような現実感を与えている。
言葉を交わす。視線を合わせ、逸らす。閉鎖された101号室という空間における、2人の一挙手一投足が繊細に描かれる。開放的なベランダでさえも、あいすけという存在を部屋に閉じこめる1要因であることが明示されることで、その空間の特質性を際立たせていた。しかし、あいすけがベランダから外の世界に出られることが分かった時、この奇妙な日常の必然性が失われた訳だ。まさにそのベランダにて、陽平をデートに誘うあいすけからは、確かな決意が感じとれた。出ていくことを決めたあいすけは、デートの中で度々寂しそうな表情を浮かべる。部屋から出られないという事実に支持された日常。それが失くなってしまうと分かって以降のあいすけの心情描写は、本当に切ないものだった。しかしそんな時間も、ただの日常として流れていく。本作から感じとれる、悲哀や儚さは、ひたすらに貫き通された日常から来るのだろう。
本編全体を通して、2人のゆるやかな空気感が存分に映し出され、雑然と蠢く都会の日常とは乖離した、ゆったりと流れる時間を演出していた。そしてそんな日常にも終わりが訪れる。時間の有限性や、失われるからこその尊さをも教えてくれる。
兎角、素朴であたたかい。本作が与えてくれるのは、小難しい議論よりも、もっと素直に受容されるものなのかもしれない。例えばそれは、私にとっては、映画鑑賞というなんてことのない日常の1コマだったりする。