彼女のいない部屋のレビュー・感想・評価
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【“家出した女の物語、の様である。”仏蘭西の名優マチューアマルリックが散りばめた複雑なパズルが、終盤のあるシーンで突然繋がりロジックが完成する作品。】
■仏蘭西の地方都市を舞台にした家族の物語である。
金曜日の早朝、二児の母クラリス(ビッキー・クリーブス)は、そっと家を出て様々な場所を彷徨う。
彼女は、何故か嘆き悲しみ、怒り、酔いつぶれる姿が映し出される。
一方、残された夫のマルク(アリエ・ワルトアルテ)は妻がいなくなった事に困惑しつつ、日常の生活を送り、パリ音楽院を目指す娘はピアノの練習に余念がない。
マルクは息子にはツリーハウスを贈ってあげる。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・今作では、冒頭家を出たクラリスは娘が弾くピアノ曲を聞きながら車を走らせる。それと被るように、娘はピアノの練習に精を出している。
・クラリスは、車を走らせ雪山の見える山間の宿で数日を過ごす。女主人からは”景色の良い部屋を用意したわ。”と言われるが、彼女は”大きな部屋にしたい。”と言って二段ベッドが二つある部屋に入る。彼女は一人なのに・・。
<そして、後半、この映画は決定的なシーンを描き出す。雪上を救助隊に運ばれるシートにくるまれた三つの橇。
彼女は、その橇に泣きながら縋りつくのである。
今作は、仏蘭西の名優マチューアマルリックがその作家性を前面に出して制作した作品なのである。>
鑑賞動機:あらすじ9割、ヴィッキー・クリープス1割
彼女のいない部屋と彼女しかいない部屋。
観客のレベルを高く見積りすぎの気がするけど。
制作側の目的は推測できるけど、手法としてよりよい選択肢があったのではと思う。こういうやり方で提示すること自体が目的だとしたら、つべこべ言っても仕方がないが。
映画が人を癒すように、自分のために物語をつくる
彼女のいない部屋
Serre Moi Fort/ Hold Me Tight
「未来」とは、これから起こりうる事態を予測すること。想像すること。期待をすること。少しの希望を抱くこと。そういう妄想。
「過去」とは、記憶。トラウマ。あなたの痛みとなるもの。
妄想と記憶、そして現実が同相で(区別なく)描かれる中、絵本のようなキャロット・オレンジが「これは演技です」と告げる。
彼女のつくる物語。
痛みを抱えた心が、持ち主に前進を促す過程で生成された、現実の補完。
それを書いては消し、書いては消し。
心の中のイメージが、人間を支え、癒し、糧となる。
まるで映画が観客に希望を与えるように。
物語が心の中に形成されるありさまをそのまま映像にしたようなー。
胸に抱かれた心象を、妄想のままに見せる手腕。
人間の内面への尊重を感じる。
(3月7日、内容を刷新して公開)
・・・
・現実と妄想を同相で描く点
・時間描写を人間の脳内イメージとして包括的に捉えて「時間描写→妄想、脳内イメージ」とスライドさせる点
・脳内イメージを「人間が心の中でつくる物語、行う演技」として捉えることで映画というもののあり方も作品内に収めるという点
以上の類似点から、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の『複製された男』を連想しました。
また、脳内のイメージ(物語)に現実が反映されていく点は『二重螺旋の恋人』を想起しました。
ヴィルヌーヴ監督はフランス系のカナダ人で、『二重螺旋の恋人』もフランス作品ですが、これはフランス系の映画らしさなのか、それともフランス系映画の成熟度の高さを示すものなのか。
「映画は現実を補完しながら、観客に希望を与えたり癒したりする」というような映画の本質を捉えながら物語に昇華している感じがあります。
難しすぎた
家出をした妻クラリスが夫、むすめ、息子を置いて朝早くに家を出る、というところから始まる話。
その後は時間軸が行ったり来たりし、なおかつ、山で夫、娘、息子が遭難、という情報が入ってきてさらに混乱してしまった。
現実なのか、妄想なのか、過去なのか、現在なのか、未来なのか、説明が無いから推理しながら観たが、何を観せられてるのか頭の中が???
最後は、もしかしてそういう事?で終わった。
余韻は残ったが、あそこまでぐちゃぐちゃにしなくても良いような気がする。スッキリ感が無かった。
娘リシューの幼い時役のアンヌ=ソフィ・ボーエン=シャテがピアノが上手くて可愛かった。
劇中曲のアクセントたるや。
不運にも愛する家族を失った主人公の記憶や心境の描写に特化した本作品。映画としては珍しいテーマではないし、悲喜交々のバランスとトーンに単調な嫌いはあるものの、どこか新鮮な気分で観ることができた。リゲティの「ムジカ・リチェルカータ 第1番」には引き込まれてしまった。全編を通して音楽の使い方がとても効果的だったように思う。言葉よりも音楽のほうが記憶と相性が良いだろうから、納得感がある。ちなみに、宇宙船のようなAMCペーサーも好きです。
裏返されたポラロイド写真。 絵合わせゲームのように同じようなショッ...
裏返されたポラロイド写真。
絵合わせゲームのように同じようなショットを合わせていく手。
写っているのは家族の写真・・・
妻クラリス(ヴィッキー・クリープス)はある朝早く家を出た。
置手紙をしようとしたが、なにもかも言い訳がましくなると感じて、書くのは止めた。
残されたのは夫マルク(アリエ・ワルトアルテ)と娘ルーシ(アンヌ=ソフィ・ボーエン=シャテ)と息子ポール(サシャ・アルディリ)。
「いつものことさ・・・」と、ここのところ夫婦間が冷めているマルクは思い、子供たちもあまり気にしない。
気になるのは「金曜日」のこと。
「金曜には間に合うかな」とふたりの子どもたちは考えている・・・
といったところからはじまる物語で、なにかが起こった家族の物語だということはすぐに察しがつく。
また、女性の声でのモノローグが入るので、なにかが起こるのは、たぶん家族の方だろうとも思う。
と、少々ぼやかして書いているのは、チラシなどにマチュー・アマルリックの言葉として、
「彼女に何が起きたのか、映画を見る前の方々には明らかにしないでください」
とあるから。
なのだけれど、観終わった直後の感想としては、「そういう話なのか。ならば、はじめからストーリーを知っていた方が、より愉しめたんじゃないか」ということ。
というのも、時制が複雑で、かつ、クラリスの想像の物語も入り混じるので、後半(特に後半)は、出来事の流れとクラリスの心の変化を追うのに相当骨を折るからです。
で、ここからは《ネタバレ》です。
家族は冬のリゾートとして、スペインの雪山に行くことにしていた。
その初日が金曜日だ。
夫婦仲の冷めていたクラリスは家出したままリゾート地に遅れてしまう。
遅れて到着したクラリスが耳にしたのは「親子三人の雪山登山者が行方不明になった」「雪崩に巻き込まれて捜索は困難」というものだった・・・
というのが前半。
家出したクラリス、クラリスのいない中での夫と二人の子どもたち、行方不明になった三人を待つクラリス、喪失感を抱えたクラリスが思い出す家族そろっての様子・・・
そういう映像が、時制を複雑に入れ子細工にして描かれていきます。
夫たち三人が乗ってきた自動車のフロントガラスに厚く積もった雪を掻き分けるシーンまでを前半とすると、この前半は極めて秀逸です。
ひとりのクラリスの動作(ドアを閉めるなど)がほかの三人の動作とシンクロする、
幼い娘が弾いていたピアノの音が現在とシンクロする、
といった時間空間を越えてのシンクロが映画に深みと瑞々しさと謎めいたやさしさのようなものを与えていると感じました。
さて、問題は後半。
彼女に何が起きたのかを知ってしまった観客(わたし)は、少し緊張の糸が切れます。
事件後の彼女の心の変化をストレートに感じたいところですが、映画は前半と同じく時制を複雑に語りつづけます。
結果、彼女の心の変化と行動が捕まえづらくなりました。
三人は還ってくると待ちわびながらも、やはり還ってくることはないと不安になるクラリス。
春の雪解けまでは、どうにか持ちこたえたものの、実際に三人の遺体に遭遇すると、悲しみと絶望は頂点に達し、その後の喪失感は如何ともし難い。
観光案内の通訳の仕事に就いたりして新しい世界に踏み出そうとするもの、仕事場で見かける父子の姿に激怒したりもしてしまう。
そのうち彼女が浸るようになるのは、空想の世界。
三人が死なずに生きていたならば・・・それも死ぬのが彼ら三人でなく私だったならば・・・
こういう家族になるだろう、というもの。
これが日本タイトルの『彼女のいない部屋』の意味ですね。
娘のルーシはピアニストへの道を進み、息子のポールはわんぱくぶりを発揮してスポーツが得意になるだろう。
夫のマルクは、鉄道保線の仕事が嫌になっていたから、結局、仕事は辞めて別の職に就いているだろう、と。
クラリスの思いは想像だけにとどまらず、マルクに似た男性に夫を見出し、思春期の少女の中に成長した娘の姿を見出し、学生アイスホッケー選手の中に成長した息子の姿を見出していき、それが遠くから見るだけでなく、彼らに関わってしまう・・・と展開していきます。
この後半は、ヒッチコック『めまい』、デ・パルマ『愛のメモリー』を彷彿とさせます。
クラリスが執着した三人の中でも、もっとも執着したのはピアニスト志望の思春期の少女で、少女がピアノを弾く場に現れるだけでなく、少女の受験の場(ピアノの実技の場)に現れ、少女を悲劇的な結果へと導いてしまう・・・
執着が引き起こした悲劇を契機に、執着の源であり象徴でもあった家族4人で暮らした旧邸を処分する、というところで物語は終わります。
この後半、ストレートに時系列に沿って描いたのでは締まらない結末と考えたのかどうか、結果としては掴みどころを欠いたことになったような気がしました。
個人的には、後半はストレートに描いた方がよかったと思うのですが。
クラリスに共感するか、反発するかは観る側に委ねるとしても。
というのが、わたしの解釈なのですが、先に観た妻は、「三人の遺体が発見されるまでの物語じゃないの?」と言っていました。
そのへんが曖昧に受け取れてしまうのは、映画としては欠陥なのかもしれません。
なお、映画的記憶の連想では、先に挙げた2作品のほか、濱口竜介監督『ドライブ・マイ・カー』『寝ても覚めても』に肌合いが似ていると感じました。
悲しすぎる
わけわからないで前半ずっと首を傾げていたのに、途中から内容わかったら、なんて救いようの無い話なんだと、終わってから観たことに後悔しました。
最後まで観られたから星1つ。
今後の自分の人生の役には立ちそう。
家族を大切にしようと思えた。
バットを振れず。
手堅くクオリティがレベル以上と計算できるル・シネマ。時々アヴァンギャルドに振れて暴投がある。本作は、僕はちとバットを振れなかった。まお、人によってはストライクに見えるだろう。異論をの存在を認めざるをえない作品だな。
途中からカラクリの正体はどっちかな?と思い出し、後半部分で判明。あとはねえ、なにがなんやら。
神経衰弱
2人の子供と旦那と暮らすママが早朝車で一人旅に出て回想する話。
逃亡中か逃避中か家出ママ?リフレッシュ旅?なんて思わせながら、家族との過去のことや未来のことを考えて…。
回顧か妄想か想像か、恐らく殆どは彼女の頭の中のことをみせているのだと思うけれど、いったい何をみさせられているのかと思いきや、山のホテルで…。
脳内映像と現実の境目が判り難くて逃亡中からの再起動中の重さがイマイチダイレクトに伝わって来なかった。
イマジネーション
目を閉じて想いを馳せると、どんな未来でも見ることが出来る。
でも自分はそこに存在しない。手を伸ばしても触れることも出来ない。
未見なのにネタバレのこのレビューを開いたあなたにも是非見てほしいです。
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