リコリス・ピザのレビュー・感想・評価
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冴えない主演2人
1970年代、ハリウッド近郊のサンフェルナンド・バレーで、高校生のゲイリーは子役として活躍していた。一方、アラナは、社会人として働いているが、将来が見えぬまま過ごしていた。高校の写真撮影のためにやってきたアラナに一目惚れした15歳のゲイリーは25歳のアラナに交際を申し込んだ。未来になんの迷いもなく、自信満々のゲイリーと夢や将来に希望のないアラナが徐々に近づいていくという話。
3人姉妹バンドHAIMのアラナ・ハイムがアラナ役だったので歌を期待したが無くて残念だった。
特に綺麗でも無く、イケメンでも無い主演2人に魅力を感じなくて、やってることもドタバタで計画性もなく、何を見せられてるのだろうと混乱しそうな内容。
最後にキスして終わり???
70年代の設定で、約50年前の車が現役でたくさん走ってるのは凄いと思った。CGなのかな?
永遠に続くラブストーリー
舞台は70年代、カリフォルニア。
ハイスクールの校内で生徒の個人撮影がおこなわれている。生徒のゲイリー(クーパー・ホフマン)はカメラスタジオのアシスタントとして来ていたアラナ(アラナ・ハイム)と出会い、一目惚れする。
本作は、そこから2人の行きつ戻りつの関係を描く。
アラナと出会ったゲイリーは、その日帰宅して弟に「結婚する女性と出会った」と話す。
ラスト、ゲイリーはアラナを「僕の妻」と呼ぶ。
つまり、変わっていないのだ。
だから、このラストシーンから、また同じストーリーが始まったとしても、たぶん成り立ってしまう。
そう、無限にループできるのだ。
そう考えると、この映画は永遠にずっと観ていられる気がしてくる。
とても映画らしい、いいシーンが連発。何より、鳴っている音楽が心地よい。
主人公2人は、近づくようで近づかない。でも、ときどき2人は疾走し、全力で近づく。
パトカーに連行されたゲイリーを追うアラナ。バイクから落ちたアラナに駆け寄るゲイリー。そしてラストではお互いはお互いを探して街を駆ける。
終始、緩いトーンで進む本作だが、時折出てくる全力疾走がアクセントになり、2人の想いの強さ、切実さを表現していて、ストーリーを推し進めているのだ。
途中で出てくる人たちが、またおかしい。ショーン・ペン演じる往年の映画スター、その友人にトム・ウェイツ。バーバラ・ストライサンドと付き合っているという大物プロデューサーにブラッドリー・クーパー。
豪華キャストが奇妙な人を演じるというのは、同じポール・トマス・アンダーソン(PTA)の「マグノリア」に似ている。
おかしな人たちによる、おかしなエピソードが本作を単純なラブストーリーにしていない。そのひねりがなかったら、ただのよくある恋愛映画にしかならないだろう。
映画が何度も描いてきたボーイ・ミーツ・ガールの物語を、PTAは彼らしくツイストして見せた。
『ポール・トーマス・アンダーソン』が1970年代のロサンゼルスにオマージュを捧げる
監督の『ポール・トーマス・アンダーソン』は
1970年ロサンゼルスの生まれと聞いている。
正しく、本作の舞台と時代も共通
(場所は言わずもがな。年代も劇中で
〔007 Live And Let Die(1973年)〕が映画館で上映されているシーンがあり
直ぐと特定可能)。
その意味では、直近の『ケネス・ブラナー』による〔ベルファスト〕を彷彿とさせるが、
個人的には1963年生まれの『クエンティン・タランティーノ』による
〔ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド(2019年)〕と同じ文脈を想起する。
時代は少々遡るが、
『シャロン・テート』が『チャールズ・マンソン』の一味に惨殺(1969年)されなかったら、との
自身にとってのあらまほしき世界を描いており、
そうであれば勿論『ロマン・ポランスキー』のイマイマも変わっていたはず。
が、それよりも猶、当時のロサンゼルスの描写を克明にすることに腐心しているわけで
それが作品の大きな要素。
翻って本作、
やはり、自身にとっての出生地と、
その近辺の時代の風俗を、これでもかと盛り込んでいる。
しかしそれがトリビア的にあまりに微細に過ぎるため、
彼の国に詳しくない我々鑑賞者にとっては、
たぶん1/100もその楽しさは伝わらず。
歴史を上手くストーリーに取り込んでいるとの推測は可能も、
諸手を挙げて感心とは、なかなかに行かぬのが辛いところ。
高校生の『ゲイリー(クーパー・ホフマン)』は
一回り近く年上の『アラナ(アラナ・ハイム)』を一目で見初め、
強引に交際を申し込む。
最初の内は年齢の差を気にしていた『アラナ』も、
押しに押しまくる『ゲイリー』にほだされ
次第に恋人同士のような関係になるのだが、
そこからが山あり谷ありのジェットコースター状態。
果たして二人の関係は如何に?が物語の流れも、
恋の帰趨に加え作品の要諦である
1970年代のアメリカの風俗を描くことがあまりに細かすぎ、
どうしても気がそちらに取られてしまう(笑)。
話中で言及される幾人かの人物のうち、
『バーブラ・ストライサンド』は〔追憶〕が1973年だから、か。
1973年に〔ペーパー・ムーン〕なので『テータム』は『テータム・オニール』のことだろう。
政治家の『ジョエル・ワックス』は実在の人物らしいが、
それよりもゲイを公表し、1978年に射殺されたサンフランシスコ市議『ハーヴェイ・ミルク』を思い出し、
映画化にあたっては本作にも登場している『ショーン・ペン』が演じていたな。
彼が演じている『ジャック・ホールデン』=『ウィリアム・ホールデン』で
『グレース・ケリー』と共演した〔トコリの橋(1954年)〕は観てないので、
挿話の、おそらく半分も面白さが判らんぞ、等々。
人物でもその程度なのだから
風俗については推して知るべし。
ピンボールが規制されたいたことすら初耳。
ましてや「リコリス・ピザ」が
レコードチェーンの名称だなんて。
勿論、それらをエピソードに取り込んだ脚本は
頗る上出来ではあるのだが。
創造したかったのは「空気」のようなものだと思う。
やっぱり初日にわくわくして映画館に行ってしまう唯一無二の監督にして、完全なる同世代監督、ポールトーマスアンダーソン。音楽的、文学的嗜好が強いけど、同世代のくっだらない風俗・通俗のものを扱うほうがやっぱり面白い。
誰も選び得ない過去の配役像の残らない若い主演ふたりを使って自らの青春時代を描き出す、、つってもまあ金がかかってる。過去を描くったってこんな時代の空気感や黄昏時を狙って掴み取れるもんなんでしょうか。いわゆる「街角」の再現度は恐るべし。公開がひと段落したら「ワンスアポンアタイムインハリウッド」と並べて観たい。比べたらこちらがどんな時間帯や空気感を狙っているかがよくわかる。あと「あの頃ペニーレインと」も見たくなったな。
まあそんな技術力を駆使して描かれるたわいもない青春。と、言っても子役が年上の女を好きになって、で、ウォーターベッドを一緒に売る、ってのはやはりキャッチーではないし、土地柄の芸能人ネタも決して大きく振りかぶってない。ご近所のあやしい、チャーミングな人々、って感じのスパイスの中で展開される「くっつくまでの話」。やっぱり狙いは「あの時の空気」なんだと思う。そんなものを人工的に作り上げてしまった。〜からのエンドクレジットの美しさ、チャーミングさは見事。
感心・感動作ではないけど、圧倒的な技術力で底上げされたこの世界はとても凡庸とは言えない。
何度も何度もすれ違って焦ったい
将来の目標も無く働くアラナと高校生のゲイリー。
何でもない(なかなか風変わり)二人の出来事を切り取っている。
歳だ、意義のある仕事だなんだとマウント取ったり、何度も何度もすれ違って焦ったい。
二人の喜び、素直になれない二人の葛藤を走ることで表現しているのかな、とにかく走るシーンが印象的、なんだか眩しいなぁ、羨ましいなぁと思った。
ゲイリー15歳はさすがにおっさんじゃないかと思った。
【”年の差恋愛、我慢比べ。恋の鞘当て。”P・T・A監督作品は、いつでも高い評価を得るんだけれど、この作品はどうだろう・・、と思ってしまった作品。】
ー 1970年代のハリウッドの近郊が舞台。
15歳の高校生ゲイリー(クーパー・ホフマン)と、随分年上のアラナ(アラナ・ハイム)は、ゲイリーの学校の廊下ですれ違い、お互いを意識するようになる。
ゲイリーは、ウォーターベッドの商売を始めたり、アラナも負けじと、カメラマン意外に市長選挙のスタッフを務めたりして、何故かお互いに張り合ってしまうのであるが・・。
◆感想
・申し訳ないが、高校生ゲイリーを演じたクーパー・ホフマンと、随分年上のアラナを演じたアラナ・ハイムに、主役としての”華”がないんだよねえ。
ー お二人とも、監督の知人の子供さんらしいのだが・・。お二人ともデビュー作と資料にある。ー
・ストーリー展開もP・T・A監督作品としては、やや粗く感じてしまったシーンが幾つかある。
ー けれども、今作はアカデミー賞、作品賞、監督賞、そして脚本賞にノミネートされたと資料に記載してある。
審査員たちの多くが、1970年代に青春時代を謳歌したが故に、回顧的に評価したんじゃないの?と、思ってしまったぞ。-
・ショーン・ペンや、トム・ウェイツやブラッドリー・クーパーもハッチャけた役で、短いシーンで登場するが、メインストーリーに大きな影響を与えたのは、映画スタ―と思われる可なりイカレタ男を演じたブラッドリー・クーパー位じゃないかなあ・・。
ー 彼との絡みは、ナカナカ面白かったよ。トラックがガス欠になって惰性でアラナがトラックをバック走行させて、逃げるシーンなど・・。-
<私の居住区では、珍しく6割の入りで、流石P・T・A監督作品だなあ、と開始前思っていたら、この作品は1970年代に青春時代を謳歌した人向けかな、と思ってしまった作品だった。
それでも、主役に魅力があって、脚本も面白ければ良かったと思うのだが、ポール・トーマス・アンダーソン監督作品だからこそ、敢えてやや辛口レビューになってしまった。
ご寛恕頂きたい。
「ファントム・スレッド」の鑑賞後の満足を得られるのは、いつかなあ・・。>
エピソード感のつなぎがピザみたいに切れてる。あっ、そういう意味?
2022年劇場鑑賞151本目。
27歳いや、25歳の女性が15歳の少年に恋される話。
これだけ聞くと純木な中学生が淡い恋をする話に感じますが、この子、なんか只者じゃない。
最初俳優という話で、まぁそういってもモブみたいな、あっぱれさんま大先生の子供たちみたいな感じなんですが(舞台なんでちょっと違いますけど)急に商売始めたりヒロインのプロデュースしたり、喧嘩したり仲直りしたり、まあとにかくアグレッシブなのはいいんですが、急に展開が変わってそれに対する説明がないのです。軽いのはありますけど、心情までは描いていないとか。なのでキャラクターが今何をしているのかは分かるのですが感情移入はできなくて、しかもこういう映画にしては長尺なので後半結構退屈でした。
後タイトルの意味が全くわからなくて調べたらアメリカの昔のレコード店の名前らしいです。それ何かこの映画に関係ありました?
私には理解出来ない映画だった。
予告編を見て、高校生同士の恋愛映画と思っていたら、少年と年上の女性との恋愛を描いた映画であった。女性は25歳と言っていたが、高校生でもとおるぐらい若く見えてしまう。
正直なところ、何を言いたいのが私には理解出来なかった。時代設定が1970年代で、私と同世代である。もう、五十年前のことで、流れる音楽は当時流行した音楽だが、聞き覚えがない。アメリカと日本ではこんなにも違うのかと感じた。
15歳で起業するなんて、私には考えられない。また、この作品はテーマは何かわからない。青春の彷徨を描いたと思うが、ぼやけている気がする。まぁ、私が66歳の老人で感性が衰えた証拠かな。
ハイム一家、勢揃い
大好きなポール・トーマス・アンダーソンの新作にコレまた大好きなショーン・ペンやトム・ウェイツが出演、映画監督でもあるサフディ兄弟の作品は全部好きだし、本作の公開前から気になっていたアラナ・ハイムのヴィジュアルに今では彼女の三姉妹によるバンドHAIMも好きになり、好きだけで言ったら完璧過ぎる完成度。
HAIMのメンバーでもある姉二人に父と母まで全員集合、勢いに任せてウォーターベッド売りの胡散臭いオヤジはディカプリオの実の父親が俳優デビュー、PTA作品常連のフィリップ・シーモア・ホフマンの息子でもある期待の新人クーパー・ホフマンに、PTAとハイム一家の関係性など本作は濃密なファミリー映画でもある。
ショーン・ペンとトム・ウェイツの絡みがファンには嬉しい贅沢な場面でもありながら、そんな二人にブラッドリー・クーパー含めた豪華俳優陣が物語に於ける重要性を担っていない、寧ろ必要の無い場面に思えてしまうが最高に美味い調味料としての効き目が抜群であるのは否めない面白さ。
主役の二人、アラナとゲイリーが走る場面の数々は印象的で最高潮にテンションを高めながら平静を装う気持ちが不安定で、その瞬間で終わってしまう関係性が恋愛にすら至らない劇的な演出描写ですら控えめに煽らない。
大人になり切れない幼さと背伸びしてもガキであるのは変わらない、そんな二人の成長が早ければズレが生じてしまう、青春の思い出としての儚さ、現実を突き付ける年の差から、子供のままで、大人になる為に、相思相愛に思えながらも相反する二人の関係性が清々しく。
懐古的な古きよきアメリカ
よくぞここまで、オールドカーを揃えたな、というのが正直な感想(笑)
とにかく、車がカッコいい。
ほかにも懐かしいファッション、音楽、見どころいっぱい。
ストーリーは、まあ、さておきだけど一目惚れの魔力ってすごいのと、ゲイリーの商才も素晴らしい。
9歳の弟のイケメンぶりが気になって(笑)
年の差10才、そんなこともものともせず、ひたすらアタックしまくるゲイリーの人柄がいい味出してる。
かたや年下と遊んでることに悩みつつ、素直になれないこじらせ女子。女としてはサイテーなやつだなと思うけど、ゲイリーはどこに惚れたのやら。
それが初恋ってものなのかな。
何かが起こりそうな予感がするのに、なんにも起こらない(笑)
こういう的外れもあるのかなだけど、平和で何より。
最後はハッピーエンドだから、まあ、いっか。
音楽はいい!音楽は!
ボーイ・ミーツ・ガールな青春映画では音楽がとても重要だと思う。10代のときからいろんな青春映画を観て魅了されてきたが、それは大事なシーンでかかる音楽にしびれてしまったからだといっても過言ではない。
そういう意味で本作はとてもいい。70年代の音楽がたくさんかかって、しかもどれも素晴らしい。この時代になると知らない曲も結構あるけど、それもまたよかった。サントラが聴きたくなるやつ。
でも個人的にはハマらなかった。ゲイリーとアラナの2人の恋する感じがあまり感じられなかったからかも。恋愛ものとしては2人がクズよりなことが問題。不良っぽい感じであればまだ受け入れやすかったかもしれないけど。悪いことだったとしても、何かを成し遂げようとする姿に高揚するシーンがなかった。時代背景の問題なのか?
そもそもアラナがイケてる女設定にもかなりの違和感を覚えた。みんなが惹かれるようないい女か?と思ってしまうとこの手の映画は成り立たない。
タイトルなし
ほんとにぶっちぎりで面白かった。マグノリアに出てた彼も懐かしかった。あの時代のキレてる感じと、監督のキレとの重なり。今とは違う牧歌的な空気感があるけど、それでも今に通じる狂気もあり。最後になって、これは友情の物語ではなく、愛だったのかと知る。
様々な暴力シーン(クレイジーなキレシーン)が出てくるのだけれど、彼女がそれを背負わされたドライブシーンが好き。
男って馬鹿だと改めて思う。それでもそんな男の子が彼女は好きなんだし、大人の政治をやる男がゲイも認められない情けない人だと知って反転していくところ、ラストに向かう疾走感はいい。
登場人物がほぼキレてて、役者がみんなすごくいい。
ショーン・ペンとブラッドリー・クーパーのシーンは、ペンも年取ったなあと思ったけど、意外にペンはシリアスな役が多いので、キレててもここまでおかしいのはなかなかファンとしては嬉しい。このお祭り騒ぎには観客もキレてるから、こういう大スターの時代だったんだと思う。今なら、すぐにSNSに出て、場を共有しないでシーンを見る観客があれこれ言うんだろうなあ。場がそこにいないと共有できない時代が懐かしい。
そしてホフマンの息子、クーパーがいい。ホフマンの笑顔、特にザ・マスターのそれは素晴らしいのだけど、どこか解離的な要素があるのに対し、息子は、排除に近いくらい現実が見えてない役なのだけれど(この意味では繊細に現実を見ていなから見ぬふりしている父と真逆)、足に地がついてる感がある。
同じ日に観た『わたしは最悪。』とよく似ていることにビックリ。主人公が醸す等身大の存在感が愛おしくてしょうがない、どこまでも甘酸っぱい青春ドラマ
舞台はLAのサンフェルナンド・バレー、映画館で上映している作品が『007 死ぬのは奴らだ』と『メカニック』なので1973年頃と半世紀前の話ですが、さっき観たばかりのノルウェー映画『わたしは最悪。』と物凄くよく似た話なのでビックリ。主人公のアラナは撮影助手。子役のオーディションの手伝いをしているところを15歳の生意気な子役俳優ギャリーにナンパされたのがきっかけで仲良くなるが、子役としてはとっくに旬を過ぎてしまいとっとと俳優稼業に見切りをつけて次々と色んな商売を始めるギャリーにアラナもどんどん巻き込まれて・・・という話なので『ファントム・スレッド』とはある意味真逆。見た目はデカいのに中身が全然子供のギャリーが鬱陶しいけど放っておけないアラナがいじらしくてしょうがないです。チョイチョイぶち込まれるユダヤ教ネタ、日本語ネタやちょっとした下ネタ等がとにかく楽しいですが、最高に楽しかったのはショーン・ペンとブラッドリー・クーパーのキレ芸。『初体験 リッジモント・ハイ』以来のハシャギっぷりを披露するショーン・ペンにビックリしましたが、より印象的なのはブラッドリー・クーパー。実在の映画プロデューサーであるジョン・ピーターズが繰り広げる奇行を嬉々として演じる姿は『ブギーナイツ』で麻薬王ラハッドを演じたアルフレッド・モリーナと同じくらい壮観です。
母のようにも姉のようにも恋人のようにも見えるアラナを演じているアラナ・ハイムがとにかくキュート。女優然として完璧な美貌ではなくすぐそばにいるかのような等身大の存在感が途方もなく愛おしいです。アラナの姉妹がアラナによく似ているのに驚きましたが、エンドロールでアラナの家族は全員彼女の実際の家族が演じていることを知って納得。そして三姉妹がサンフェルナンド・バレー出身のバンド、ハイムとして活躍中であることに驚きました。
何かと旧作との繋がりが気になりますが、やっぱりギャリーを演じているのが『ブギーナイツ』や『マグノリア』での名演が未だに鮮烈なフィリップ・シーモア・ホフマンの息子、クーパー・ホフマンであることにジンときました。そしてさらにグッとくるのがエンドロールです。
長かった
ちょっと長く感じた。
ゲイとか1970年代とかわからないことが多かったけど、ハッピーエンドはよかった。
友達の延長で恋人になること、長くいるとお互い飽きて離れてしまうこと、共感できることが多かった。
全体的には面白かったです。
タイトルなし
主演が和田光沙っぽい。なんなら、和田光沙でリメイクして欲しい。もっと演技もいいんじゃないかな。PTAもこういう青春思い出し映画を撮るのね。これに比べると、ベルファストの方がちゃんと評価されて当然かな。15歳って一番思い詰めていたような気がする。その当時、25歳の女性をどう思ってたか思い出せない。でも、中学生で大学生と付き合ってる女の子は居たな。それだともっときっつい感じの映画になっちゃうかな。
とっちゃん坊やの恋の行方
生意気なとっちゃん坊やの恋の行方に興味が湧かないんだよねこれが。しかも、ゲイリー君、成長しないのよ。成長しないで、おいたをしまくっているガキにはお仕置きが必要なんだけど、そういうテイストでもないし、なんかストレスがたまる。
ショーン・ペンやブラッドリー・クーパーとの絡み自体は面白い。2人とも死ぬほど、はしゃいでいるんだけど、やりすぎですべってる。
自分にとっては味がしない青春物語でございました。
不思議な設定の70年代の青春物
「リコリス・ピザ」
久しぶりのポールトーマスアンダーソン監督作品。
主人公が15(16)歳で図体は大人にしか見えないのに子役の役だったり商売に長けていたり、と不思議な感じで25(28?)歳のヒロインと変にくっついたり離れたりの話でなんか2人の考えがよくわからんつかみどころない話だったかなあ‥
ショーンペンがデニーロそっくりだったり、ブラッドリークーパーが変なキレキャラだったのはよかった。
自己実現と歳の差な恋のゆくえ
向こう(西欧/西海岸)の自由で開放的空気やラフさを考えると、どれほど意識的か分からないけど、魅力的なアラナという女性キャラクターの思いがけず性を感じさせる描き方によって観客にもまたゲイリーと同じようなヤキモキしたピュアな気持ちを感じさせる(ex.胸)。そして、"成功"している大人ほど思いの儘に支離滅裂/滅茶苦茶でブッ飛んでいて(ex.ショーン・ペン、ブラッドリー・クーパー)、だから"旅路"の果てに真っ直ぐな想いを抱えながら、それをある社会的理由/事柄から隠さないといけない人/"大人"に出会い、その人から「思いやりがある」と言われてハッと気づく本当に大切なもの。成功の尺度は一概に測れないし、ぼくたちは大人ぶってもまだまだ青く居られるのだ、と --- 好きな人と、好きな人のために走れるなんて最高じゃないか!!
現代屈指の名匠ポール・トーマス・アンダーソン(以下PTA)とハイムの(MVだけでなく今回は家族総出か!) --- そして言わずもがな70年代との蜜月関係/相性の良さ(ex.『ブギーナイツ』『インヒアレント・ヴァイス』)。きっとPTAにとっての70年代とは僕にとっての90年代のように特別で描かずにはいられないものなのだろう。そして今回のそれはとりわけ真っ直ぐというか、記憶や思い出とともにこの監督の従来の作品とは違った風にピュアネスが見て取れた(ex.ウイングスの後に間髪入れずデヴィッド・ボウイなど遠慮なく名曲だらけな当時の楽曲たちが彩るサントラ)。そして他にも盟友・故フィリップ・シーモア・ホフマンの息子クーパー・ホフマンが主演を務め、音楽は『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』以降おなじみのジョニー・グリーンウッドと安定かつ最強盤石な布陣と新鮮フレッシュな空気、ブレイクスルーな面々。こんなにも恥ずかしげもなく斜に構えず、ノスタルジアいっぱいでまっすぐな青春映画も撮れたんだな(個人的に大好物なのですが)?ポール・トーマス・アンダーソン監督のフィルモグラフィーで一番好きな作品ではないけど、一番好きな作品のタイプ/ジャンル。
70s当時の音楽やファッション、ヘアスタイル、フィルムライクで特徴的なルックを実現する撮影(本当にフィルムかな)にタイトル文字情報含めた空気や雰囲気…あぁ、愛しい"あの頃"に思いを馳せる。最初から最高で、10代ティーンの甘酸っぱさが目いっぱい詰まっていた!そりゃ誰だって好きな人に、たかが映画のためなんかに脱いでほしくないし、脱ぐ必要なんかない。という意味で、本作途中まで女性の描き方なんかに少し疑問抱いていたけど取れた。背伸びしたり若返ったり"らしく"あるって大変だ。コーラ2杯、あとマティーニで。ジン?ウォッカ?ジン=ウォッカ。自分の知らない世界を知っていそうな年上の人にも惹かれる。彼らが片足を突っ込むのは、嘘だらけ、武勇伝だらけで、虚飾にまみれた常軌を逸するイカれた世界。ウォーターベッドの次はピンボール、商機はあちこちに転がっている。色々なビジネスに手を出しては右往左往いきあたりばったり、すれ違ってはぶつかって迷って走って…。ステキな作品でした。
P.S. あくまでそうした若者目線の作品だからだろうか、マーヤ・ルドルフ、ショーン・ペンやトム・ウェイツ、ブラッドリー・クーパー、そしてベニー・サフディなど豪華キャストの豪華な使い方も印象的だった。
ロバート・ダウニー・シニアに捧ぐ(a prince)
ダラダラと長すぎる
少年と年上の女性との、甘酸っぱい初体験モノなのかと思って観ていると、そうはならない。お互いに意識し合っているはずなのに、歳の差を気にしてなのか、プライドのせいなのか、なかなか恋愛には発展しない。
友達以上、恋人未満のまま、付かず離れずの関係がダラダラと続く二人の姿には、もどかしさを感じざるを得ないが、その一方で、若き起業家が奮闘する、青春お仕事ムービーとしては、それなりに楽しめる。
紆余曲折の末に、結局、ラブ・ストーリーとしての結末を迎えることになるのだが、そうであれば、もっと短く、シンプルな話にしても良かったのではないだろうか?特に、後半、これでエンディングかと思ったら、そこから、まだ話が続くという展開が、二度、三度あり、冗長さを感じてしまった。
いつまでたってもピザ屋の話にはならないし・・・
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