「リコリス・ピザ」リコリス・ピザ tyshiさんの映画レビュー(感想・評価)
リコリス・ピザ
面白かった…のだろうか。途中寝てしまったのは、疲れていたからではないと思う。だが、特段見れなかったと言うか、話がつまらなかったと言うわけではない。
ただ、本質的に僕の好きな映画なのかと問われると違う気がする。その原因はなんなのか、探ってみる。
人の弱いところが見えたかどうか。それは見えた。見えたと思う。主人公の少年は、体格はいいものの、心はガキでまっすぐであるが故に、他人の気持ちを考えない横暴な身振りが目立つ。それによって、女性は振り回され、主人公も本当に好きな女性に対し、素直になれない。その女性もまた弱者であった。家族からの目。相手が15歳と言うことに対して引け目をずっと持ってしまう。そんな年下を相手にしてはいけない。そんな恋愛はおかしい。好きになってはいけない。そんな先入観と、本当は彼を求めてしまうと言う自分の中の潜在的な欲求との中で揺れ動き、わざとなのか偶然なのか、自分は大人なんだと言わんばかりに政治や経済に興味を持とうとする。しかし、彼女が1番輝いているのはプールベッドを運ぶトラックを運転している時と、彼を求めて走っている時だ。しかし、にそんな人の弱いところがたくさん見えたのに、特段面白いと思えなかった」と言うところに、僕の好きな映画の秘密がある気がする。劇的なシーンがあまりなかったのは印象的だった。これもまた、ある人物の周辺を覗き見ているような感じ。リアリティ?なのか。しかし、一つ一つのシーンで心を揺さぶるシーンはいくつもあった。若い女とセックスする主人公を見る女性のシーンや、バイクから落ちた女性に真っ先に駆け寄る主人公のシーンなど。しかしなぜこんなにも感情移入できないのか。お話に流れがないから?もっとなんか本質的でシンプルなものの気がする。黒い部分がなかったのはそう。例えば、男が他の女との関係を持つことに迷っていて、背徳感の中でバレるかもと言う感情を持ちつつ関係を持ってしまい、その現場を女性に見られる…。とか?男の正体は、女の金目当てだった…。とか?青春群青劇としては良かったと思うが、誰かの欲望欲求やどうしようもないものに抗っているところを見たかったのだろうか?例えば、「2人は恋に落ちるが、周りの目や、一般的な観点というものが邪魔をして、好きになることが出来ない」みたいな。
「どうしようもないものに対して、翻弄されたり、立ち向かっていく人間」を見るのが好きなのだろうか…?でも、それだと「ソーシャルネットワーク」や「ファイトクラブ」とはテーマがまた違う気がする…。
やはりここでも「生の感情」なのだろうか。果たしてこの「リコリスピザ」、人物の生の感情が出ていただろうか。まっすぐで実直で失敗を恐れない人間と人間同士がぶつかったりしただろうか。2人とも「人間らしさ」があっただろうか。「性」という一つのテーマの中で「人間らしい」感情の起伏はあった。だからこれじゃない気がする。けど、これな気もする。言語化が難しい。
「生の感情」が出ると言うより、その「生の感情」の扱い方がどうかと言うところなのか。「生の感情」は誰もが持つ。その時に思う印象、感覚。それを隠すのか、曝け出すのか。隠すからこその「生」なのか。大人は「生の感情」を調理する術を知っている。しかし子供は「生の感情」の調理の仕方を知らない。隠している「生の感情」を人物がどうするのか?と言うものが面白いのかも。これも一つの「謎」なのかもしれない。
一つの答えが出た。
「隠している「生の感情」をどう処理するのか?」を僕は映画を通して見てみたい。
これには、まず主人公が「生の感情」を抱えていないといけない。
マークザッカーバーグなら「天才的な自分というプライド」の後ろに隠れた「認めてもらいたいという承認欲求」
ファイトクラブなら「ミーハーで周りと同調しようとする」の後ろに隠れた「何もかも破壊して生きている実感が欲しい」
百円の恋なら「男に振り向いて欲しい、私を見て欲しい」の後ろに隠れた「男性有利の社会で、復讐したい」
この構図なのか。