「人との関わりの中で消化されていく悲しみ」ツユクサ movie mammaさんの映画レビュー(感想・評価)
人との関わりの中で消化されていく悲しみ
ツユクサ、露草、葉に雨がたまって葉先から雫がぽたっと落ちる描写が目に浮かぶ、情緒豊かな名前の草である。
歯科医は忙しく他人の虫歯を治すが、妻の鬱病を治すことはできぬまま、妻の自死を経験していた。
家の裏のツユクサで草笛を教えてくれた妻の喪失が辛くて、歯科医を閉めて東京から静岡に来て交通整理の仕事をするが、やはりツユクサを見つけると吹いてしまう。ツユクサはどこにでもある草で、そうであればその悲しみと向き合い受け入れる心が決まり、東京に歯科医として戻って行く決意がつく。
一方、おつかいを頼んだ息子が7歳で踏切事故に遭い、遮断機がないところを求めて東京から静岡に来た芙美は、タオル工場で働きながら、悲しみをお酒で解消する生活を辞めたく、断酒に取り組んでいる。草笛男性とは日々のウォーキングで時々見かけていたが、改めてバーで出会う。芙美はタオル工場の同僚の息子、航平に息子を重ねるのか仲が良い。隕石や宇宙に興味がある航平の知識で、以前運転中に突然空が光り車が廃車になった時に降って来たのは隕石とわかり、後日航平と海辺で隕石を見つける。隕石にぶつかるのは宝くじよりも低い1億分の1の確率らしく、過去隕石が当たった人は離婚に死と決してその後大当たり人生だった訳ではないようだが、芙美は隕石と同じ頃であった草笛男性に久々の恋愛の空気を感じ、息子の死から止まっていた心境が少し動き始めようとしていた。
同僚の息子、航平は、父親が母の再婚相手の義父である。おじさんからお父さんに変わった義父にいまいち馴染めず、ぎこちない。クラスメイトで仲良しの女の子は、別の同級生とどんどん親密になっていく。
ちょっぴり疎外感を感じる中で、芙美や草笛おじさんには出せる感情を受け止めて貰いながら、義父との関係や、義父の転勤による新潟への引っ越しを受け入れて消化していく。
芙美のもう1人のタオル工場同僚、妙子は、夫を亡くしていた。夫の納骨に来てくれたお寺の坊主と、気付けば親しくなり、海沿いの静岡でオフはサーフィンをする坊主に新しい世界と人生を拓いて貰っていた。夫がいた頃から飼っている喋るインコが元夫の名を話さぬよう、芙美にインコを預けてまでも、坊主と過ごすようになっていく。
死別、離縁、人間色々な別れがあるが、失った悲しみ、後悔などをその後一生1人で抱えて生きていくには限界がある。そして、人間関係もまた自然と変化し広がっていく。
ツユクサや隕石をきっかけに、それらが運んできてくれた出会いから、草笛男性や芙美が少しずつ心を開いて過去を打ち明けるところが印象的だった。
手料理に飢えていた草笛おじさん、篠田さんが、芙美の振舞う家庭料理を嬉しそうに食べて、芙美の打ち明け話に、キスして良いか聞く。
芙美そのものを女性として好きと言うよりも、女性という存在に久々に関わって癒しを求めていた気持ちが溢れ出たようだった。松重豊だから、キモくなっていない。
芙美も、篠田さんが話し出すまでは、根掘り葉掘り質問しない。深い傷を抱えた心には、開示できるまでにとても長い時間が必要なことを知っているから。
言える相手、言いたい時にぽつりぽつり話そうとすると、話せるより前に話さないといけないタイミングでは、嘘をついてかわす時もある。本当のことを言って、知り合い程度の関係性の相手に気を遣わせるより、かえって良いからだろう。はじめは篠田さんにも、夫は捕鯨船漁師、航平は子供などと適当に自己紹介をしていて、男性と関わる自分に息子への罪悪感を抱いていた。
静岡の海沿いを舞台に静かに少しずつ変化していく人間関係に、登場人物それぞれが自己開示と転機を経験していて、人の中で変化し成長していく人間という生き物が表現されている気がした。
ツユクサからぽたりと落ちる雫のように、抱えていた哀しみを外に出してみることができた時、なにかが変わり動き出す。
ただ、田舎街でも、航平は家族以外の大人に着いて行ったり、現代ではちょっと心配だった。