ストレイ 犬が見た世界のレビュー・感想・評価
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犬だけでない、もう一方のストレイ
このドキュメンタリーを見ながら、イスタンブールを旅した時の記憶が蘇ってきた。路線バスから望んだ景色には必ずと言っていいほど野良犬が写り込んでいたし、この映画の舞台の一つと思しき旧市街では、可愛らしく尾を振る犬とも、それから舌をだらりと垂らした危なっかしそうな犬とも何度となくすれ違った。あの犬たちが誰からも束縛されずに生きていけるのには理由があったことを、今になって初めて知った。本作は紀元前の偉人が遺した犬にまつわる箴言をところどころに配しながら、あくまで犬の目線でイスタンブールの町を見つめる。どうやらこの社会で犬は特別な存在のようで、自分の飼い犬でもないのに餌を与える大人たちがいれば、野良犬に自らの状況を重ね合わせるかのように慈しむ親のいない子供たちもいる。中には子供だけで廃墟に寝泊りし、シンナー中毒で表情が虚ろになった子も。犬と子供。二つのストレイ。この街が持つ側面を垣間見た思いがした。
ただただ犬を追う映画。これが全然飽きないから不思議
トルコの野犬に密着し、犬目線カメラで移動撮影したドキュメンタリー。「犬に密着って、それで映画として成立すんのか?」って疑問を持ちながら見ていました。しばらくは、ストーリーは特になくて、犬を追ってるだけなんだけど、これが不思議と全然飽きないんですよね。私は、犬を飼ってるわけでも、犬好きでもないのに。なぜか飽きない。
途中から、人間の登場人物も少しずつ出てきて、ドラマらしき展開も混じります。それから、犬にカメラ装着したPOD(Point of Dog)映像も登場します。だけどこれは、「白いトリュフの宿る森」の方が秀逸でした。そして、終盤の遠吠えシークエンスにはグッときましたね。あと、スタジオが、その名も「Dogwoof」なんですね。ロンドンのドキュメンタリー専門スタジオ。感心&納得。
トルコの野良犬
イスタンブールに暮らす野良犬を追ったドキュメンタリー映画、2016年にはイスタンブールに暮らす野良猫を描いた「Kedi」というトルコのドキュメンタリー映画がありアメリカでも好評だったようだ、それに触発されたのだろうか香港生まれの中国系アメリカ人エリザベス・ロー監督が2017年にトルコを旅した時出会った野良犬ゼイティンに魅かれて半年間犬の目線で描いたドキュメンタリー。
ゼイティンは推定2歳のラブラドールの雑種の雌犬、野良にしては温厚で品格もありましたね。町の皆に可愛がられて名前で呼ばれていましたが、公園の中国系の少女だけは「傍に来ないで、あっちへ行って」と邪険でした、エリザベス監督の母国への皮肉っぽいメッセージなんでしょうかね。
イスタンブールには迫害を禁じた動物愛護法があり何千匹の野良猫や10万頭を超える野良犬がいるという、活動範囲も広く傍を横切る自動車や路面電車にも物おじしない自由気ままな徘徊ぶりが印象的。撮影はペット用のGPSを犬につけ毎日所在を追って行われたそうだが大変だったでしょうね。
普通、この手のドキュメンタリーはナレーション解説やインタビューがつきものですがそれは無く、唯一、犬儒派(キュニコス派)と呼ばれたギリシャの哲学者ディオゲネス の犬に関する名言を所々にはさんでいました。音楽もチェロのクラシカルな響き、驚いたのはエンディングで遠くから聞こえるイスラム教の礼拝の声に合わせてゼイティンが遠吠えをしていました。
只管、野良犬を追うのですが、岩合さんの「世界猫歩き」も良く見ているので違和感なく退屈もせず鑑賞、ただ、イスタンブールにはシリアの難民も多く犬と一緒に路上生活をする少年も出てきましたし胸が痛むシーンも無い訳では無いので犬好きだからと言ってお勧めは微妙です。
【犬の目線で、トルコの民の犬に対する寛容さと、世界の諸問題を映し出した構成佳きドキュメンタリー映画。】
ー 今作品では、随所でトルコ出身の古代ギリシアの犬儒派であった、ディオゲネスの言葉がテロップで流れる。
この、究極のミニマリストであり、犬の様に放浪の人生を送った哲学者の言葉と、映し出される現代トルコの風景の絶妙なシンクロ具合が佳き映画である。-
◆感想
・冒頭に語られるが、20世紀初めに野良犬を大虐殺した事を反省した、トルコ政府は自らの国を殺処分0にするための、政策を取って来たという。
成程、イスタンブールの街中で多数の野良犬が人間と共存している。
・面白いのは、野良犬たちにキチンとした、名前が付いていることである。
ゼイティン、ナザール、子犬のカルタル、ジル・・。
・この映画では犬目線で、現代トルコで起こっている諸問題も描かれている。
1.シリアのアレッポから逃げて来た難民達
彼らを追い払う、トルコ市警の人々の姿もキチンと描かれている。
2.女性達の人権デモ
3.チェチェンから逃げてきて、別の仕事に就いている人々
4.旦那の愚痴を言う奥さん達・・(諸問題じゃないな・・。)
<私の住む街で、野良犬を見かけなくなって、久しい。それはペットを勝手に捨てる人たちが居なくなったのかもしれないし、様々な映画で描かれているように、行政が通報により野良犬を一定期間留置し、期限が来た犬を殺処分しているからかもしれない。
出来れば、ペットを飼っている人たちの意識が向上した結果だと思いたいが・・。
今作は、構成を含めて面白く且つイロイロと考えさせられながら鑑賞した作品である。>
犬を追い続けるドキュメンタリーというのは興味深かった。 大都会で多...
犬を追い続けるドキュメンタリーというのは興味深かった。
大都会で多数の野犬がうろついている様子は現在の日本では観られない光景。
トルコは犬にとって比較的生きやすい国なのか。
PG12指定なので、残虐なシーンがあるのかと思って心配したが、そんなこともなく安心した。
犬が交尾をするシーンがあるからかな。
国で飼う
犬好きとしては見逃せない映画とワクワクで鑑賞。
驚いたことに、野良なのにみんな薄汚れてもないし毛並みが良い。
何より目が死んでない。
きちんと国なり町の人々に愛されて生きているんだろう。
2つの骨肉を独り占めしようとしていた場面。ウチにも犬がいるが毎日のように、お互いのご飯を取り合っている、自分専用の皿があるのに。
どこの犬も同じ事してるんだな。
ナレーションがないから、犬たちの行動に作り手側の決めつけがなくて、自分ちの子たちと比べたりしながら観れる。
野良の犬たちと野良の少年たち。
ニュースなどで近年よく目にする難民問題も犬の目線から知ることが出来た。
犬目線で寡黙に語るドキュメンタリー
犬を扱った映画は多いが、ここまで淡々と犬を取り巻く世界を犬目線で捉えようとした映画は珍しいのではないか。 犬の愛らしさを魅せつけるわけでもなく、かといって、犬が生きる世界の過酷さを深刻に語るわけでもない。 焦点を当てられる主役的な犬はいるものの、人為的な物語性は、ほとんど感じられない。 結局、野犬の日常を映しているだけなのだが、これがいろいろと感じさせてくれるのである。
犬目線で、人間の営みも含めたこの世界を眺めていると、人間も犬も同じ動物であり、大して変わらないように見えてくる。 その一方で、なぜ犬たちは、犬よりも明らかに気まぐれで騒々しい人間という動物と、共生しているのだろうという思いもよぎる。 そしてまた、犬が思いの他無口で、静かで、平穏な生き物であることにも気づかされる。
この作品の舞台であるトルコでは、犬の殺処分が法律で禁じられているとのことだ。 そのせいかどうか、登場する犬たちは、皆自由で幸せそうである。 人間とも付かず離れずの間合いで、とても平和な感じだ。 これが、犬と人間との関係を表す、一つの理想形のように見える。
私が子供だった1970年代までは、イスタンブールと同じように、日本でもまだ野良犬がそこら中にいたのだ。 だが、あの当時と比べると、人間は前にも増して我がままになり、寂しくもなった。 犬への依存や甘えは、随分と酷くなっているのではないだろうか。 問題を投げかけてくる映画ではないのだが、そこだけは、どうしても考えてしまった。
1時間半弱と、尺は短い。 考えさせてくれるというよりも、いろいろと感じさせてくれる、哲学的で良質な犬ドキュメンタリーである。
野良は犬だけではなかった!殺処分はゼロなのだろうが、それが問題の本質ではないのだろう。
自分の面倒すら見られない路上生活を余儀なくされるシリア難民の少年たちは、シンナーを吸い犬たちに温かさを求めている。
殺さないことが善なのではなく、その先を見据えた対策が必要であることは一目瞭然だ。システムがうわべだけできちんと機能していない社会問題を、野良犬になぞらえて制作した意図はよく分かった。
しかし、中途半端なBGMと効果音、主体性のない編集によって作品の意義が大きく損なわれている点が残念だ。
牝犬のおケツをひたすら追い回す
20世紀初頭に野犬の大量処分を行ったトルコは市民からの猛反発を食らったことで180度転換し、犬の安楽死や野犬の殺処分を禁止する法案を制定し、今日に至っている。首都のイスタンブールでは野犬のための餌や水を配置しているらしい。
カメラは大型犬を低アングルでひたすら追う。
腰が痛くなりそうだ。
どうやらメス犬。
メスのおケツをひたすら追いかけ回すのは野暮だが、監督は香港生まれの中国系アメリカ人女性。犬好きであることは間違いないが、ムツゴロウさんのようなカリスマ性があるせいかもしれない。撮影対象の野犬が慣れるにはかなりの時間を必要だったに違いない。
オスだとふぐりがぶらぶらして、可笑しくて笑ってしまい、この映画のテーマがぼやけてしまいそう。
ともあれ、この犬は実に堂々として、威厳がある。そして、のびのびとしている。イスタンブールの人たちは昔から東西文化交流の地で揉まれてきたせいか、おおらかである。苛めたりしないからだと思う。この犬たちを通してそれが感じられた。
予防注射は国が行い、耳に管理札がはめられている。しかし、去勢はしないみたいで、可愛い子犬を連れた母親犬を中心にした家族を世話する港湾労働者のオジサンたちもまた家族。
シリア難民のストリートチルドレンが子犬とボロ毛布にくるまって寝ているカットにほっこり。共生、共存。共依存。
増えすぎないのだろうか?
それが心配。
トルコ経済の停滞とコロナやウクライナ侵攻の影響で人々が犬の世話をお荷物と感じれば、犬にはそれがすぐ伝わってしまうだろう。そうなれば、イライラし、人を恐れ、噛みつく犬が増えてしまうかもしれない。それはとても残念なこと。
コーラン?の曲に合わせて遠吠えするラストはおみごとおみごと
トルコの街に住み着いた犬から何を学ぶか…。
犬の視点から何が見えるか?ということですかね。犬の視点から、街はどう見えるか?人間はどう見えるか?
この映画が、そこまで描ききれていたか?については、わかりません。
途中の…誰か私は知らないのですが、賢人か哲学者の方の言葉を解釈すると、「人間はなぜ欲しがる。犬は一日の糧しか欲しがらない。なぜ人間は様々な物を欲しがる。」ということになるのでしょうか。
これを言い始めると哲学の世界になってくると思いますが、「犬は欲しがらないが、文明を創ることもない。人間には欲があるが、その欲があるからこそ、文明を創る。」と言えるかもしれません。
トルコのような信仰のある国では、神が人間に欲を与えたと考えるかもしれませんし、科学信仰の方であれば、突然変異により?人間は動物から進化し、欲を持った?と考えるのでしょうか?
唯物論のような考えでは、人間は機械のようなものなので、欲は脳の作用と考えるのでしょうか?
よくわかりませんが、心については、科学では、なかなか解明出来ないということかもしれません。
さすがに、犬視点のカメラと、犬が聞いているであろう、周りの人間の言葉だけでは、描けるものは少ないと言えるかもしれません。
時間のある方は、犬の映像を72分ご堪能ください。
哲学者になれるかなぁ…。
ありのままだワン🐕
犬の目の高さにカメラを合わせて、犬について行って…。よくこのような映画を作ったものだな、と感心しました。
野良犬が好むのは雑踏、彼らを可愛がるのは難民、ホームレス、ヤンキー、無職風の人たち。
犬の近くにいる人のやりとりが字幕になっていました。通りすがりや、同じ店に居合わせた人の会話が聞こえるのと同じ感じでした。
あらすじもないし、観光名所が出てくるわけでもないので、これ以上、見るのはきつい…と思う絶妙な瞬間に終わるのが見事。多分、世界のどこで撮っても、同じ感じに仕上がりそう。
野良犬は高級住宅街には行かないし、お屋敷に住んでいる人たちは、きっと、野良犬を好まないでしょう。
日本なら、河瀬直美監督が撮りそうな作品だと思います。
犬好きな人にお薦めかというとそうでもなく、
ありのままの街、人の暮らしを見たい人におすすめです。
野良犬が見たトルコってか??
イスタンブールと その周辺は 二度旅しました。
野良猫が目立っていましたね。
シリアの難民の子供が出たら あ゛ーあ,,..って感じ
仲良しなのはいいけど 何だかねー。
野良の生活は 犬も人も大変です。
どう見えているのかな?
うーん、、、犬目線(犬の目線の高さ)での映像が多いけど、だからと言ってこれを犬が見た世界と言ってよいのかなぁ?
ストレイな人間を映してるにすぎないんじゃないかな?映像としては面白いけど、作品としてはどーなんだろ?似たような境遇は人間社会にもありますよーって言ってる止まりな気がします。
それともトルコ政府への皮肉なのかな?移民政策に対しての。ストレイ状態を作ってまっせ!野良犬同様の人間がいまっせ!って。
どーにもピンとこなかったな、残念ながら。
けど、ラストのあの遠吠えは、仲間を呼ぶ声か?声なき訴えなのか?ちょいと胸に迫るものがありました。きっと不遇な人々の代わりに叫んでるんじゃ?って。
PG12扱いですが、動物(特に、犬)好きなら家族で見に行く枠の対抗枠?
今年77本目(合計350本目/今月(2022年3月度)19本目)。
私は個人的には猫派ですが、猫派であることはアンチ犬派であることを意味「しません」。
さて、こちらの映画。日本よりもさらに動物愛護の概念が進んだ国をテーマにして、犬目線でどのように犬が扱われているのか、を扱う内容になります。
できれば多くの方に見てほしかったのでG指定されるべきだったのですがPG12になっています。これは、ごく一部のセリフで犯罪行為(シンナーが何だのというので大半引っかかったと思います)が想定できるというもので、間違っても「大人の営み」というシーンはありません。
それでもPG12とはいえそこだけなので、事実上、家族で注意してみるのなら、「事実上は」G指定なのかなという扱いです(どうしてもシンナーのようなドラッグはチェック対象が厳しくなるため)。
映画内では犬目線で大半進みます。また、犬に関する名言や名句などをギリシャ・ローマの哲学者などが述べていて、その部分でその内容にある程度沿った犬の描写、人の描写という形のものが4~5テーマ(だっけ?)あるような感じです。そのため、「一応の」章立てはあるという感じです(Chapter1,2…としてはつきませんが)。
また、一部で、「犬の排泄物そのもの」(固形物のほう)についてもG指定では通らなかったのではなかろうか…という部分の描写があるのですが、さすがに「動物映画で、犬・猫等に排泄描写をさせるな」というほうがどう考えても動物虐待事案です。極端に「食事がとれないほどストレートに出る」などは困りますが、一般常識範囲で出るレベルであれば、「人間がそうであるように」犬や猫もそうである以上、ああこう言うべきではないだろう、と思います。
採点は下記のみ気になったものの、大きな減点幅ではないと考えて満点にしています。
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(減点0.1) タイトルの「ストレイ」がわかりにくいです。Strayで、「野良」「迷ったもの」という意味です。このお話は犬のお話なので「野良犬」ないしは「迷い犬」程度の意味になります。ただ、この単語もそれほど常識ではないので、何かしら配慮はあっても良かったかな、とは思えます(どうしても、映画の趣旨的に(犬が嫌いでない家族の)家族枠になるであろう、ということを考えた場合)。
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犬の目線から見える世界はどんなものなのか?犬体験型映画inトルコ!!
最近『グンダ』や東京国際映画祭で上映された『牛』など、動物の様子を淡々と映し出したドキュメンタリー作品が作られているが、今作も犬が主体のドキュメンタリーである。2017~2019年にかけて撮影された。
トルコという国は、野良犬、猫の安楽死や殺すための捕獲を法律で禁止している珍しい国。そのためイスタンブールの町中に犬があふれている。
今作は犬を人間の目線から観察するドキュメンタリーというよりも、出会う犬や人間、建物などが犬の目線から見ると、どう感じるのかを疑似体験する、まさに犬体験映画なのだ。
カメラも犬の目線の高さに拘って、低い位置から撮影されている。
淡々と時間が進んでいくだけではあるが、犬たちの表情は豊かで、行動も見ていて飽きない。関わる人間が物語を運んでくるようで、ドキュメンタリーでありながら、ドラマ性のある作品に仕上がっている。
よりそう感じられるのは、トルコの中でもイスタンブールという、治安の悪さや貧困などの社会問題が蓄積された場所だからかもしれない。テレビや街頭スピーカーから聞こえる政府への不満の声、慌ただしい人々、ゴミがあふれる町、ホームレスの子供たち……
しかし、そんなことは犬たちにとっては、どうでもいいこと。目線を変えさえすれば、人間の抱えている問題など、ちっぽけなものに過ぎないと言われているようであるし、目線が違うだけで、こんなにも世界は違って見えてくるのだ。
あえて難点を言うのであれば、数か所、人間の目線になるシーンがあるのは残念だし、ドラマ性を狙いすぎたからか、カップルの会話のシーンなど、不自然な部分もあったりする。 一貫して犬の目線に拘ってほしかったところだ。
野良犬とトルコの人々の関係性に密着した独特な映画
トルコは世界でも珍しく野良犬の権利が法で認められている。
そんなトルコで野良犬に密着して制作された映画。
野良犬と人々の共存生活の様子からどちらも見返りを求めない関係性が垣間見えた。日本に住んでいると「野良犬=危険」と感じてしまうけど、トルコの人たちからはそんな感情は感じられず、ただ同じ土地に偶然一緒にいる隣人(犬)のような雰囲気だった。
ただ、一点気になったのが、人種によって犬への接し方が異なるようなシーンの切り取り方。
少々、印象操作感が否めなかった。
タイトルなし
オンライン試写会にて鑑賞。
犬の殺処分0の国、トルコ。その首都イスタンブールに住む犬たちを追ったドキュメンタリー。始終犬目線のカメラワーク。犬たちの澄んだ瞳を通して見る人間世界は歪で複雑。生きることはもっとシンプルなんだって犬が教えてくれる
@cinema_cafe
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