夏へのトンネル、さよならの出口のレビュー・感想・評価
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ラッキーアイテムは傘!
最近もう涼しくなってきましたが、夏の雰囲気を楽しめる映画が見れて良かったです(*^^*)
不思議なトンネル・海・水族館・花火・向日葵の背景が綺麗なので、映画館で鑑賞する価値がありました!
ウラシマトンネルの中が綺麗な紅葉並木になっているのが綺麗で好きでした🍁✨
ウラシマトンネルが序盤に出てきて、それを中心に話が進むので私は違和感なく最後まで楽しめました!
ラストはウラシマトンネルと現実で2人とも離ればなれになってしまうのかなと思いましたが、また再会する事が出来てホッとしました☺️
ボーイ・ミーツ・ガール×「黄泉がえり」の形態をとった、過去に囚われた少年の「救済」物語。
うん、おもしろかった。
いわゆるタイム・リープ系のネタとは異なるが、時間にまつわるSF要素の含まれたボーイ・ミーツ・ガールという意味では、細野守の『時をかける少女』や新海誠の『ほしのこえ』の直系につらなるジュブナイルであり、まさに日本のラノベ&アニメの王道といっていい。
とくに、時間差を生ずる(現世と遠い世界とをつなぐ)モバイルでのやりとりと、そこで生じるディスコミュニケーションを描くという意味では、新海誠作品の影響は絶大であり、「少女萌え」と「お姉さん萌え」が混淆するヒロインへの嗜好性に関しても、両者はとてもよく似ていると思う。
ついでに、濡れた少女への偏執的なこだわりも(笑)。
「夏へのトンネル」というのは、もちろんロバート・A・ハインラインの『夏への扉』を意識したタイトルだろう。作中での「ウラシマトンネル」という呼称は、相対性理論に則ったSF用語「ウラシマ効果」からとられており、ネタの直接的な参照元はおそらくクリストファー・ノーランの『インターステラー』あたりか(庵野秀明の『トップをねらえ!』かもしれないが)。
中にはいると、時間が早く過ぎる代わりに、何かが手に入るトンネル。
それを見つけてしまった少年と少女が、お互いの喪失感と向き合いながら、心を通わせていく物語だ。
原作は未読。ただ、パンフの監督インタビューを読むかぎり、尺を短めに抑えるために(CLAPのポンポさん理論ですね)、主人公二人の関係性以外はバッサリカットしてるっぽいし、最初の出逢いのシーンも、あんずがトンネル前で泣き叫ぶシーンも、駅で最初の出逢いを再現するシーンも、みんな完全アニメ・オリジナルらしいので(そもそも、原作のトンネルには出口があるし、中は白い鳥居と松明が続いている設定らしい)、今回はあくまで「一つの独立したアニメ作品」として触れておく。
総じて、丁寧につくられた作品で、観ていて心地がいい。
それは確かだ。
とにかくじっくり絵コンテが切ってあって、手のしぐさの作画や、立ち位置、距離感、視点の切り替え、雨のタイミングなど、本当によく考えてある。
その割に、京アニ(とくに山田作品)のような「これみよがし」に「考えぬいた」感じは出さず(あれはあれで素晴らしいのだが)、自然に流して見せているぶん、好感がもてる(ちょっとシャローフォーカスを多用しすぎて、やたらボケ表現いれてくるのが若干うざいが)。
ウォークマン、ビニル傘、ガラケー、ひまわり、漫画といった、小道具の用い方も実に巧い。
なにより、作画と美術が常に安定しているので、そこで気を削がれる心配がまったくない。
物語も、大筋としてはとても楽しめた。
SF要素と恋愛要素を抜きで考えれば、
昔からある「黄泉がえり」譚の語り直しなので、飲み下しやすい。
カオルは、自分のせいで妹のカレンが死んだと、親に責められながら育った。
実際にそこまで苦しむほどの因果関係はない感じもするが、少なくともカオルはずっと、妹の死を我が罪として背負って生きてきた。
そこに「ウラシマトンネル」という奇跡が唐突に眼前に現れ、それを用いれば「変えられないはずの過去を改変して、喪った大事なものを取り戻せる」ことを知った少年が、妹を「黄泉がえ」らせようとする。これは、そういう話だ。
トンネルを通って死者を迎えに行く(そして、連れて帰れない)というのは、ギリシャ神話におけるオルフェウスのハデス詣でや、イザナミの黄泉平坂(よもつひらさか)のエピソードなどで、われわれの脳裏に深く刷り込まれている原初的な物語の類型に属する。
アニオリのトンネル内描写として、敢えて「モミジ」の樹が選ばれたのも、そのあたりと関連があるのかもしれない。「万葉集」の昔より、モミジは「黄葉」つながりで「黄泉」とかかわる樹とされ、枕詞の「もみちばの」は「過ぐ」にかかって、人の死を意味するとされてきたのだから。
このトンネルのSF設定(と呼んで具合が悪いようならファンタジー設定)で興味深いのは、「時間」の要素が明快に「代償」として扱われている点だろう。
おしなべて、ジュブナイルにおける「タイムリープ」などの時間改変要素は、「恩寵」である。
主人公が、何度もリトライできる「代償」として支払うのは、何度も死んだり痛いめにあったりなかなかループから抜け出せなかったりといった「苦痛」であって、少なくとも「時間を遡行してやり直せる」こと自体は、主人公特権の「ご褒美」として呈示されることが多い。
ところが、本作の場合、この因果関係は逆である。
すなわち、攻略条件はイージーだが、不可逆的に時間という「代償」を支払わされる。
「過去に喪ったもの」を取り返すのは容易だ。何せ、入っていったら落ちていて、それを拾って帰ってくるだけでいいのだから。ただ、その代わりに「代償」として、過大とも思える「時間」が奪われる。
この手のボーイ・ミーツ・ガールで、時間が「ペナルティ」として容赦なく課されるケースは、意外に珍しいのではないか。
この設定には、相応に納得のいく「理由」がある。
それは、本作が、じつは「いかにしてカオルが死者を取り返すか」の物語ではなく、
「いかにしてカオルが過去の軛から解放されるか」が主眼の物語だからだ。
カオルは常に「罪」の意識を背負って生きている。
それを解放してやるために本当に必要なことは、
じつは「罪」を帳消しにすること(=妹の黄泉がえり)ではない。
「罪」に似合った、相応の「罰」(とカオルが感じられること)を与えてやることなのだ。
すなわち、ウラシマトンネルが与えてくれる「救済」は、「奇跡」による恩寵ではない。
彼が妹を取り戻そうとすることで「浪費」する「時間」というペナルティ、それ自体が「救済」なのだ。
いわば、時間の牢獄。時の懲役刑だ。
彼はトンネルの深奥で妹の幻影を観ることで、今度は「現世のほうに、喪ったら取り返しのつかない人を遺してきた」ことに気づく。
そこで彼が「引き返せた」のは、トンネルによって「時間」を奪われることで、なんとか過去への折り合いをつけられたからだ。「代償」を支払ったから、心の重荷が少しおろせたのだ。過去より、今を選べたのだ。
アニメ内で二人が行なった調査によると、このトンネルは土地の神話や伝承ともつながりがない、かなりあいまいな都市伝説らしい。
これは作劇上はむしろおかしな話で、「古来言い伝えられてきた曰くつきのトンネル」だからこそ、神秘的な霊場として機能する、というのがふつうのドラマツルギーである。
それが敢えて「土地と結びつかない」とされているのは、結局このトンネルが万人のための場所ではなく、あくまでカオル君専用穴(なんかエロいね)だということを強調していると考えるべきだろう。
要するに、このトンネルは、カオルという少年を救済する「ためだけ」に生み出された極私的な祭祀場なのだ。
だいたい、このトンネルのやっていることは、かなりおかしい。
そもそも、なんで最初がインコとサンダルなのか。妹と歌を教えてたっていうからには、死んだのはずいぶん昔のはずだ。それを今になってなぜ? それに、サンダルが「喪って取り戻したかった物」ってのも、なんか無理がないか? ものすごく「恣意的」な黄泉がえりだ。
ぼくは思う。インコとサンダルは、じつは単なる「呼び水」に過ぎないんだと。
カオルを本気にさせるための、トンネル側の撒いた「餌」だったのだと。
トンネルの大本命は、「喪った大切な何かを取り返させる」ことではなくて、
「カオルに、喪った大切な何かのことを諦めさせる」ことだったのだと。
納得させるための儀式。そのために敢えて与えられる代償。
ぼくは、カオルがカレンと出逢うシーンが、びっくりするくらい『Re:ゼロから始める異世界生活』の家族回と、空気感もやってることもそっくりなのは、決して偶然ではないと思う。
一方、あんずという少女にとって、あのトンネルは何を意味していたのか。
ぼくの考えでは、あれは「カオルにしか」必要のないものだ。
そのことを、あんずもじつはわかっていたのではないかと思う。
だって、あのトンネルに入ったら「インコ」と「サンダル」が戻ってきたという話をきいて、「昔なくしたものが返って来る場所」と考えずに、「なんでも願いが叶う場所」だと理解するのは、どう考えても「曲解」だもの。
あんずも、内心ではそこが「なくしたものが返って来る場所」だと気づいていたはず。
でも、「なんでも願いが叶う場所」だと言い張って、「共同戦線」を主張し、みずから「巻き込まれよう」としたのは、彼女にとって、この共同戦線が、不安な未来から逃げて、カオルとの時間を選択する、ある種の「心中」のようなものだったからだ。本質的には、不純な動機。だから、あんずは、負い目を感じていた。
カオルは、ずっと「死んだ妹(カレン)」に負い目を感じていた。
では、あんずは、だれに負い目を感じていたのか。
それは、カオルに対して、だ。
自分の抱えている悩みが、しょせん思春期に特有の、一過性の「未来への不安」に過ぎないこと。
カオルの抱えている救いがたい生き地獄とは、まるでつり合いがとれないこと。
カオルは「救済」される意味と理由をもっているが、自分はもとより救済の対象ですらないだろうこと。
このそれぞれの「負い目」を埋めるのが、「時間の代償」なのだ。
カオルは、「13年」という時間を代償として支払うことで、カレンの死を受け入れた。
あんずは、「13年」という時間を「カオルに対して」支払うことで、カオルとのつり合いをようやく取ることができた。だから、ようやく二人は、一緒になれた。
このトンネルは、そういうふうに機能している、と考えるべきだ。
ついでにいうと、この物語は、「父権的な脅威」に晒され続けてきた少年が、「胎内回帰願望」の具現化としてのウラシマトンネルを現出せしめ(だから、入口が女陰の形をしていて、なかから水が湧き出ていて、なかは真っ赤なひだひだになっている)、その深奥で「内なる母」である妹のカレンに「赦し」を得たうえで、「胎内めぐり」を経て「再び産みなおされて」、「外なる母」であるあんずの元へと帰還する話であるとも解釈できる(だからあんずが齢を食っているのはちっともおかしくない)。
母性を知らずに父性に虐げられて育った少年が、母胎から「リボーン」し、新たな母を見出すお話ということだ。まあ、適当だけど(笑)。
大筋、面白かったけど、細部では気になったところもある。
何よりひっかかったのが、それぞれの両親との関係性が途中でブチ切られていることだ。
彼らが抱えている「本当の問題」とは、「過去」ではなく「今の家族」との問題のはずなのだが。
カオルがあのまま父親と別れたとなると、父親も後妻と幸せになれたようにはとても思えないし、決して悪い人ではないはずなので、そこが投げっぱなしなのは、結構もやっとする。
まして、あんずの親の作中での扱いは、あんまりだ。
娘を漫画家にならせたくないという理由で「わざわざ一人暮らしさせる」親など、どこにいるというのだ(ふつうは逆で、「手元に置いて」見張るだろう)。
まあ、「親を若者の世界観から徹底的にオミットする」ってのは、20年前から変わらないラノベ独特の流儀だけどね。
あと一点、冒頭でウラシマトンネルを見つけるシーンについて。
踏切があって、少し奥に電車のトンネルがあって、しばらく線路を歩いてたら後ろから電車が! って、おいおい警報機はどうした? それも気づかないくらい傷ついていたっていうのなら、無音にして親の声だけがリフレインしているみたいな「演出」くらいはいるのでは?
それと、主演二人の声の演技が気にならなかったといったら、噓になる。
彼らなりによく頑張っていたとは思うんだけど、やっぱり、「はあはあ」とか「ふたりで笑う」とか「泣き叫ぶ」みたいな「息」の演技は、全体的に聞いててかなり辛い感じだった……。
その点、小林星蘭は、プロの声優に交じってもまったく遜色のないガチの「声優演技」をこなしてて、さすがでございました。
良いー
タイトルが語るラブストーリー
時間のトリックを使ったラブストーリー。
偶然出会った2人の高校生が、亜空間の入口を知ったことから起こる関係性の変化と過程を描きだす。
ただこの亜空間に関してはいくつかお約束があり、その点はちょっとご都合主義の感が否めないが、2人の出逢いからの流れは丁寧に描いてて好感をもてました。
ただこの2人に絞った形なので、もう少し高校生らしく周りを巻き込んだ物語にして欲しかったです。
映画としての出来はそれなりなんですが
3Gが停波になる前に戻れて良かったね
8年との引き替えに手に入れた答えが、現実の彼女の方が大事とか、シスコンを貫けよ
顔面殴った相手とサックリ仲直りとか(多分、原作では描写が有るんだろう)
余計な感想が
夏の日の大いなる幻想と現実、定かでない未来
原作は読んでいません。
◉恋よりトンネルの正体が大事
恋を実らせるためにSFの筋書きがあったのではなく、SFの物語の実りとして恋が生まれた。気恥ずかしいが、夏の日の軽い想い出が生まれた感覚。
ただ、取り戻せるものと、失う時間の比率が気になる。それを若者二人が、綿密な調査と検証を重ねていくのがいい。全体はファンタジックに、細部は事実っぽく。結局、トンネル内の数秒が、外での4〜5時間になることを掴む。
◉トンネルは魔窟だったのか?
華奢なくせに乱暴で、自分本位な花城あんずは転校初日にクラスの女子を殴る。しかしクラスを巻き込んでの話にはならない。カオルとあんず二人だけで成立する物語がひっそりと始まる。世間からは孤立して、傍観者のように生きている二人が、ウラシマトンネルに狙いを定めて共闘関係を築く。そしてトンネルに向かった。
樹々に隠されたトンネルは時を歪ませ、願いを叶えるマジカルな空間。紅葉が散り敷くトンネルの中には妖が棲んで、あんずとカオルを捉えてしまった。トンネルは、とにかく目を離せば消えそうに儚い幻想で形作られていて、この世ならぬほど綺麗でした。このトンネルや、線路に繋がる雑木林の描写など、作画の素晴らしさをストレートに味わいました。
◉ごめん、あたしは現実に生きるよ
だがしかし、あんずとカオルの願いの質は、大きく違っていたと私は思います。死んだ妹を蘇らせてと言うカオルの願いは、現世を基準に考えたらば、当てのない願い。一方、捨てられた原稿を返してと言うあんずの願いは、現世を見たもしかしたらの願い。妹カレンが生き返った後は、どんな話になるか予測出来ずに不安だった。
カオルの願いよりあんずが先に願いを成就する。そして、ウラシマトンネルが返してくれたマンガに編集者が反応して、ここであんずはトンネルの探索から身を引く。私は自分のマンガが認められただけでいいの…とか言ってカオルに同行するのではなくて、漫画家の道を歩き出す。現実がファンタジーに打ち勝ってしまった。一方、カオルは戻れないであろうウラシマトンネルの深部に、単独で向かう。
この突き放され感を盛り込んだことが、ただのファンタジー以上の深みを生み出したと感じました。おとぎ話はそうザラには生まれないから、素敵なのだと思うのです。
◉絶対にカレンを取り戻す
ウラシマトンネルの深部には、いつもと変わらない日常があった。夕暮れ、カレンとカオルが言葉を交わしている。だが妹はまるで女神のような思いを兄に向ける。
彼女の願いは、皆が笑って幸せに暮らせることだった。少し神様すぎないか? と思ったのだが、本人がそう言うんだから仕方ない。
あんずと年を経たカオルが再会するとしたら、映像的にどれほど衝撃的なものになるか、不安だった。でも妹の力で、さほどのギャップなく、二人の高校生は会える。携帯を繋いだのは、カレンの魔法と言うことでいいんですよね。
現実がファンタジーを乗り越え、ファンタジーを吸い取った現実が、二人の運命を決めた夏の日々。
入場者特典の小説を読んで少しホッとした。ちゃんと未来は進んでいた。制作の方々の優しい気配り?
見落とすのは惜しい
遠距離恋愛ってレベルじゃねえ
ストーリー自体は結構良かったです。思ってた以上に重かった。女子の方が重い過去を背負っていると思いきや、主人公の方がずっと生きてるのに死んでる人みたいな状態だった。
どん底からの救済。待ってる人の存在ってありがたい。
是非とも傍にいる大切な人と観に行くべき作品…と言いたいところ、なんですけどね。
まあ、最大かつほぼ唯一の課題がキャストさんと言いますか。
飯豊まりえさんは良かったです。清楚系オトナ女子と思いきや、結構図太く幼いヒロインを上手く演じられていました。声もよく通ってて聞きやすかった。
主人公。見てくれの割に声が低い。そして抑揚がない。当初はわざとかなと思っていましたが、ようやく人間らしさに目覚めてもあんま変わりなかったので、うーん…という感じです。
あと親父さん。
小山力也さんは嫌いじゃないです。でも結構合う役と合わない役があり、今回は後者の方でした。
欲しい物ではなく無くした物が手に入るトンネル 紅葉のトンネルって確...
欲しい物ではなく無くした物が手に入るトンネル 紅葉のトンネルって確かに異世界に行けそう 朴訥なカオルと野心家でクールなあんずのジワジワ仲良くなる様も面白かった 過去は振り返るなということですかね 花火が実写みたいで綺麗でした 何故か届いたメールにも思わず感動 今更ガラケー?は不思議だったけど その後が大変そうですが、久々に良いアニメだった
エヴァの影を感じざるを得ない
内容は面白かったです。
なかでもカオルが過去(?)から戻るときに聞こえた妹の言葉には少しウルっと来ました。
で、演出は随所にエヴァンゲリオンのオマージュ感を感じました。
・シンエヴァの冒頭で線路を歩くシーン
・破の海洋研究所のジンベイザメ
・綾波宅でシンジが綾波に倒れかかる
・明かりをつけない部屋で寝っ転がってSDAT聞くシンジ
ほかにもありそうですが、結構意図的にエヴァオマージュしてる気がしました。
あらかじめ喪われている子どもたち
主人公・塔野カオルは幼い妹が亡くなったことをキッカケに家庭が崩壊。母親は失踪し、父親は酒に溺れて息子に暴力を振るうようになっていた。
ヒロイン・花城あんずは、漫画家だった祖父に憧れて自分も漫画家を夢見るが、その夢を両親に否定され、「頭を冷やせ」と東京の家を出されて地方に転校することになった。
2人とも親がいないわけではないが、どちらも子どもを守り、導くような関係性ではない。
彼らは、まだ高校生でありながら、親という存在があらかじめ喪われている状態でストーリーに登場するのだ。
ゆえに2人は心を閉ざし気味で、喜怒哀楽に乏しい。
そんな2人が出会うボーイミーツガールの物語である。
では、感情表情が薄い2人のラブストーリーをどう表現するか?
ここがこのアニメの演出上のユニークなポイントとなる。
本作の工夫は「手」を効果的に使っていることだ。
2人の出会いは、塔野が花城に傘を貸すことから。つまり、塔野が差し出した傘を、花城が受け取るところから始まる。始まりも「手」だったのだ。
その後も、2人の感情の描写は手で表していく。
哀しみからぎゅっと握られる塔野のこぶし。お祭りで2人の手が伸びてつながれる。クライマックスでは、それまでの2人の手のクローズアップを回想するシーンまで登場する。
表情には出ない、出せない葛藤や悩み、苦しみ、そして互いへの想いを、2人は「手」で表現するのだ。
こうした演出は原作にはなく、アニメならではのものだろう。実に巧い。
本作には派手なアクションシーンはなく、基本的には心理劇だ。主人公たちの心理描写が丁寧に描かれているのは素晴らしい。
この映画は、夏の恋にウラシマ効果というSFのスパイスを効かせた、王道ジュブナイルのフォーマットに乗っている、と言っていいだろう。
同じ仕掛けを持つ新海誠の「ほしのこえ」を思い出しながら観ていた。
少年は喪われた家族を求めるが、少女は家族には見切りを付け(そもそも家族を喪ったわけではない)「特別な自分」でありたいと願う。
ウラシマトンネルに挑む時点では、2人はお互いを想っているわけではない上、そもそもの動機が違っている。だから、すれ違うのは必然だ。
だが、離れたことで2人は自分の想いに気付く。
ところが、ここでウラシマ効果が意味を持ってしまう。
少年にとっては半日程度の出来事だったが、少女にとっては6年もの時間が過ぎてしまうのだ。ここが、この設定の面白さが生きるところなのだが、残念ながら、この点を本作は深掘り出来ていない。
せめて、塔野が妹と会っているとき、過ぎた時間を計算する描写でもあればよかったのだが。
花城が過ごした年月を考えもせずにメールの返信をした塔野は身勝手過ぎはしないか。
そして塔野を待ち続けた花城は、6年もの年月をどう過ごしてきたのか、もっと描いてよかったのではないか。
見返りがあるかどうかも分からずに待つのは辛い。迷いや諦めが花城を襲わなかったわけはないだろう。
そして、塔野にしてみれば彼女を想えばこそ、「待たせるのも辛い」はずである。
こうした点で、本作の最大の「仕掛け」であるウラシマ効果を、2人のラブストーリーにうまく活かし切れていないように感じた。惜しい。
塔野にとって「喪われた大切なもの」は、花城と離れ、彼女の大切さを認識したことから妹から花城に変わった。妹もそれを許容した。
「喪われた大切なもの」が花城である以上、トンネルの効果によって、どうあっても塔野は花城の愛を手に入れることになっている。そう考えると、ラストシーンも少し興醒めだ。
このあたり、設定というか、設定の説明というか、または脚本の甘さがある。
想いが、障害や困難を越えるからこそラブストーリーは盛り上がるのだが。
前述の通り、2人は駅で出会った。
そこから線路は延びている。
だが、2人はどこにも行かずに、「そこ」にとどまり続けた。
ゆえに始まりも終わりも、ほぼ同じ場所で本作は終わる。だが時間だけが過ぎるのだ。
主人公たちの暮らす海辺の自然の景色は美しく見応えがある。2人の境遇は過酷ではあるが、自然はいつでも美しい。そこには尊さだけではなく、残酷さもあると思うが、ラストシーンもまた、風景は変わらない。時は過ぎ去っても。
そう。
想いと自然。環境やテクノロジーは変わっても、変わらないものの尊さ。ここに本作のメッセージはあるのではないか。
83分と、さほど長くはない上映時間だが、しっかりと素敵な余韻を残す。大作志向では決してなく、夏に似合う小品である。
大甘の青春もの、100歳とっちゃわないのか?
どっかで見た、設定と展開。
ガラケーだから、80年代だよなー。
でも、あれで通話も、メールも出来たし、
iPhoneの原型だよ。そのうち写真も、インターネットも
できた。なんで日本で出来なかったのかなぁ。残念。
欲しいものが手に入るって言うけど、
カオルは、最初はインコなんて忘れてたけど、
手に入った。
あんずは、才能じゃなく、昔の原稿が手に入った。
幸せな頃の両親との生活は、手に入らなくて、消えちゃったよ。
神が何を与えるか、選ぶのか?
現実を失っても、得られるべき未来を選択できるなら、
進んでみる価値ありだな。
だいたい、高校生なら特別な才能なんてなくて当たり前。
若者は、勘違いしないようにしましょう。
だいたい、特別な才能自体、ほとんどの人にはない。
だけど、やってみないと、わからないのも事実。
やってみる価値は、あるよ。
カオルまだ、年取っても20代、
二人で出てきても、30代だろ。甘すぎ。
年取って、60ぐらいになってたらどうする?
ほんとに100年たってたら?
かなりのビターエンドもあり得るけど、
ファンタジーとしては、この程度かな。
同じくファンタジーなら、「さかなのこ」見てみて。
全体的に良かったが少し物足りなさが...
意外と攻めていて面白かった
意外と暗くて驚いた
綺麗な景色と幻想的な色彩、
独特のアングルや切り取り方が
ちらほら登場してくる
定番のストーリーに
良いスパイスとなっていた気がする
見せ方や挿入歌等も意思があって
独特な作品だと思う
他作品のオマージュみたいなカットも
そこ切り取る!?ってセンスが面白かった
ピントをずらす演出は
少しくどいように感じたけど
この作品の暗さや気だるさと
そこそこ合っていたと思う
昔のウォークマンや携帯電話が
しっかり再現されているのがたまらなかった
結末にかけてファンタジーどんでん返しで
すべて綺麗におさめる感じではなく
結局、ある程度荷物を背負ったまま
成長していく感じ
逆に作者のおもいや真摯さが詰まっている
感じがして後を引いた
漫画家になるための特別な何かのくだりも
言っていることに不思議な迫力があった
声優などのキャストを
なぜか最初に提示するのは
個人的には好みではなかった
誰が声をやっているのか
先入観無しで観たかった
アオハルネタだけどあまり好みではなかった
本当は公開封切り直後に見に行く予定でしたが、急病に見舞われて昨日ようやく鑑賞できました。ところが封切り2週目にして昼間1回きりの上映と随分な冷遇、邪険な扱いで結構久しぶりに定価(1,900円)での鑑賞となりました。
率直に申しましてこの作品、個人的にあまり面白くありませんでした。
先ず第一には、もうコレまで口酸っぱく言い続けて(書き続けて)来た事で、キャラの性格設定が幸いし『丸太』ではないにしろぎこちなくて、冒頭ナカナカ内容に入り込めません。
カオルの性格的にはアレで良いのかもですが、掛合いの不自然さは声優の技量不足に原因の一端があると考えます。それにクズ親や、ブラコンシスコンが古臭いテンプレでいささか見飽きた感。ところでこの親子描写、何かチョッとおかしいデス。。。
ガラケーのシーンが多用されてますが、コレは後々の伏線でしょうから、冒頭にやるべき大事な事がスッポ抜けてる気も‥‥
浦島トンネルなる『穴』についての環境設定がイロイロと良く解りません。穴を見つけるまでの行動が無理やりで、わざわざ穴に自らザブザブ入っていく行動原理も不明。穴もキレイに整ってて、わざわざ誂えたかの様相ですし‥‥
てか水たまりは必要? そのせいでラストの絵面がイロイロヘンテコで足を引っ張った様な。。。
他にも、取り戻すとか特別を手に入れる等の話がフワッと曖昧で、その辺は勢いでゴリ押し。そう云う事なのでご理解ください的ではなく、もっとキチンと建てつける必要があり、これは『現世界ファンタジー』の難しさです。
その他、カオルがあんずの漫画を褒めるのがイヤによく解ってるプロ目線だったり、あんずの一人暮らしは完全なるご都合だったり。
そんな訳で、何だか釈然としないうちに物語は閉幕し、微妙な後味となりました。
声優ウンヌンは云うだけ無駄として、主人公二人のディテールをもっと丁寧に描写しないと、上っ面だけで動き回ってる風であまり良くありません。冒頭であんずが女子を殴るのも、ナゼあれ程こっ酷くブン殴るのか、カオルの親子関係の不自然さなど、ストーリーの中でそう云うモンなんだと観覧客に行間を読ませるのに依存した感じの話の織り方です。
結局、劇場用のキレイなビジュアル・動画以外の色んなアレコレが今一つパッとしない風味が残ります。そのオチは面影残してスッカリ変わった感じが良いのでは?と思いましたが、JKからあまり変わってなくて、あの年数では変わり様がないとすれば‥‥
とても不思議な物語です。
原作を読んでいなかったのですが、「夏へのトンネル、さよならの出口」という、不思議なタイトルと、予告編の美しいアニメーションの描写に惹かれたので、鑑賞しました。
鑑賞後、とても清々しい気持ちになれました。
「夏へのトンネル、さよならの出口」というタイトルが、何を意味するのかは、観てのお楽しみです。
作者の原作も読みたくなったので、この作品の他に、「ミモザの告白」、「きのうの春で、君を待つ」の電子書籍も購入しました。
今年の夏の、最後の思い出の一つに、この映画を加えて良かったと思いました。
美しい話だがそれで本当によかったのか…
外よりも数倍の速度で時が流れる代わりに欲しいものは何でも手に入る…そんなトンネルを巡るボーイミーツガール作品。設定は面白いし、とにかく絵が美しい。背景も服の柄までも作り込まれててすごくきれいです。「ポンポさん」と同じ制作と知って納得。サクッと観られる短さなのも良い。
ただ、あそこまでやる動機づけと、あちらとこちらの結末には少しモヤモヤも。13年も費やして、妹は結局どうなった??彼女の13年を思うと…これから彼らはうまく行くのか?もともと13歳差のカップルならよいだろうけど、元は同い年からの片や13年分大人になってしまったカップル。あそこまでした意味はあったのか…ってなるのは、わたしが大人になりすぎたからなのかな?
どこか懐かしい😊😊
ほぼ二人の掛け合いで最後まで飽きずに観れたのは凄いと思います。トンネル内の映像がとても綺麗で引き込まれました。
ただ主人公の父親との関係が最後まで気になったのでマイナス一にしました。個人的には好きな映画ですが、人には薦めづらいかな••••
やや短めのタイプのアニメとしては好印象。
今年271本目(合計546本目/今月(2022年9月度)14本目)。
今日みた3作の中で時間に余裕があったし、80分ほどの映画なのでチョイスしました。
tohoシネマズ系で見る場合、ミニ小説が入場者特典になっています(本当にミニ小説ですが、映画が始まるまでの10分ほどでは読めないので、帰ってから読みましょう)。
多くの方が書かれている通り、80分ほどの中にいろいろな要素(ただし、一部を除いてストーリーには関係する)を入れ込んだため、どれもこれも描写が薄目という部分はあります。上述通り原作小説が存在するようで、それ前提なのかなという気はしますが、導入は丁寧だし、また多くの方が書かれている通り、この映画は「綺麗な画像で引き込むタイプ」の映画なので、それ主軸で見に行くと、「動画がきれいでよかったです」と「消化不良でした」の半々に極端に分かれてしまうような気がします(そして実際そうなっている…)。
最初はトンネルの仕組み(序盤にそうそう解明されてしまう)から物理法則がどうだのという物理的なネタをしている学術系要素のあるアニメなのかな、と一瞬思いましたが、そうした話題は最初にちらっと出るだけで後半ほとんど関係なくなるので、それら(物理。専門的にこうしたことは大学レベルでは習います)の知識は不要かな、というところです。
どうしても80分ほどの映画にあれもこれも入れた事情があるので、やはりどれもこれも感情移入しにくいという部分はありますが、そういう部分を抜きにして、もう9月も半分来ていますが「夏の映画らしく、甘酸っぱく青春まっさかりなラブストーリー」と解するのが妥当かな…と思います。
趣旨的に「トンネルの仕組みがどうだの」ということを書くとネタバレになるし、実際、学術的に詳細には詰め込まれていない(換言すると、ちゃんと知識があると混乱する部分も一応はあります)のだろうというところ(というより、元の小説にあるのだから、混乱するも何もいれないと原作者から怒られる)で、「ちょっと変わった部分も絡めた、青春まっさかりラブストーリー」と解するのが妥当かな、というところです。
上記にも書いたように、放映時間が短いこと(他の映画の視聴の計画に組み込みやすい)、「映像が特に綺麗」という点については高く評価しました。
採点にあたっては下記を考慮しています。
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(減点0.3) 前にも書きましたが、たとえ単線であっても線路内を勝手に歩く行為は法にふれます(災害時などに特別に許されるにすぎない)。
この点も小説通りなのだろうとは思いますが、エンディングロールでもよかったので「線路の上を歩かないようにしましょう」という一文は欲しかったです(真似をする人が出てくるので)。
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