夏へのトンネル、さよならの出口のレビュー・感想・評価
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古いタイプの画風かと思って観てたけど
全然飽きさせないで「なるほど!そういう展開なんだ!」って驚かされました。恋愛要素はあまり要らなかったかもと思いつつもしっかり泣かされました。
まるっきり新しい着想ではないのかもしれない。でも、絵も含めてとてもよかった。ネタバレするきならいろいろ書いちゃうけどやめとく。
タイトルで勘違い
ホラーだと思って観に行ったんですが恋愛ものなので面喰いましたが、まあ演出ひとつでホラーにもなりえるプロットなので必然なのでしょうか。
とりあえずグラフィックはココみろというポイントが特になかったのが残念。
おそらく制作意図的にはトンネル内を見せ場にしたかったんでしょうが、こじんまりしてしまいました。
作画崩壊というほどでもないですが、アンズが走っているところの骨格おかしかったり、顔が安定してなかったり・・・
願い事といえば成功そのものを願うと思うのですが、そうではなく成功するための才能を得るというのが硬い性格というか願い事として成立してないというか・・・
不思議な力で才能を得るというツッコミやすい矛盾した目的にしたのにその場で指摘しないのが気になりましたが、単純に成功するというより、この理由なら思いとどまらすロジックも簡単ですからそうしなかったのでしょう。
実際、成功のための才能を超自然の力で得ても満足はしなかったでしょうし。
飯豊さん良かったです。
特に1回目と2回目の差の付けかたが良くて、共感できた人も多かったのでは?
3回目のようなアニメっぽいオーバーな表現はぎこちない感じもありながらも好演でした。
期待しすぎてしまった...
映像も綺麗で映画としてはよかったが、名前を連呼するシーンがわざとらしくてなぜか引いてしまった...
最初クラスメイトが出てくるのだがその後ほとんと登場せず音沙汰無くなり、尺の都合なら無理に出さなくてもよかったのでは?クラスメイトの嫌がらせや花城さんがクラスメイトをパンチする必要あったのかな。
妹との再会シーンの演出や、トンネルの描写や設定は面白いと感じたが、ストーリーはもうちょっと盛り上げられたのでは?と思える感じで終わってしまいました。
無くしたものを取り戻せるという伝説のトンネル。それを見つけた高校生男女の願いは、はたして叶うのか。そんな、SF基調のファンタジックなお話です。
観るかどうか迷っていた作品なのですが
観てという声が聞こえた気がして鑑賞。 (…幻聴?)
アニメーション制作担当がCLIC(”ポンポさん”を制作)
と知ったのも後押しした気がします。
で、お話はというと…
ウラシマトンネルという都市伝説のある田舎町。
そのトンネルは入った者の願いが叶うという。
しかし願いには代償が必要。 あら
滞在した時間の何千倍何万倍もの時間が
外の世界では過ぎてしまうことになる …らしい。
カオルはそんな町の高校に通う高校2年生。
同じ高校に女子高生が転校してくる。
この二人が主人公。
男子高校生の名はカオル。
数年前事故で妹を亡くしてから、家庭が崩壊している。
もう一度妹に会いたい それがカオルの願い。
女子高生の名はあんず。
祖父が売れない漫画家だが、家族の中でやっかい者だった。
漫画で認められる才能が欲しい それがあんずの願い。
ある日のカオル。
線路沿いを歩いて土手の下に転げ落ちる。
その先にはトンネルのような穴が。 おぅ。
穴の中に入ったカオルの肩に鳥がとまる。
それは昔飼っていた鳥だった。
思わず連れ帰ってしまうカオル。
少しの時間だと思っていたのに
トンネルの外では数時間が過ぎていた。
そんなカオルの行動に気がついたあんず。
ある日後をつけて行き、トンネルに入る。
「どうして此処に?」 と、カオル。
「私にも叶えたい願いが」 と、あんず。
互いに家族が崩壊している事を知った二人
願いを叶えるための「共同戦線」を結ぶ約束をする。
一人がトンネルの中に入り
もう一人はトンネルの外にいて
・トンネルに出口はあるのか とか
・時間の進み方の違い具合 とか
・外からのメールは届くのか とか
・中からのメールは届くのか とか
そんな事を調べる二人。
トンネル以外の場所でもデートしたり
あんずの描いた漫画を見せてもらったり と
次第に親密度も上がっていく。
そして夏休み
トンネルの奥まで進もうと日にちを決める二人なのだが…
と、まあ
一夏の出会い(と別れ)を描いた
SF的というよりはファンタジックな世界感のお話です。
前半の展開からは、理屈っぽい感じを受けましたが
あのエンディングは、嫌いでは無いです。
駆け込み鑑賞でしたが
観られて良かった。
◇
ストーリーの前半部分
話の展開が淡々としていて一本道に思えて
やや退屈な感じも受けました。
それが
カオルが一人でトンネルに入る決意をする辺りから
話が急に動き出して面白くなった気がします。
観終わってからは
疑問点がアタマに浮かんできています。
たとえば…
・一人でトンネルに入った主人公
戻らない予定だったのか? とか
・妹に無事会えたのに
なぜ連れ帰らなかったのか? とか
・トンネルの中で出会った幻影は
父と義理の母だったのか? (死んだから居た?) とか
・同い年の二人だったのに八歳の年齢差になった
歳の差カップルは続くのか? とか
う~ん。
気になる。
で、この作品には原作があるようです。
小説と漫画。
読んだ後でもう一度鑑賞するともっと分かるのかな
などと思ったのですが…
かなりの地域で上映終了しているみたいですね… ありゃ
ネット配信されたらもう一度観てみようと思います。
◇最後に
この”トンネル”の中にいる状態は
光速の宇宙船に乗っているのと同じということ
なのでしょうか。 はて
宇宙船に乗るのと大きく違うのは
「途中で引き返すことができる」 こと。
それを分かった上で、
あんずはカオルを待っていたのでしょうか。
そして今度は
あんずが外の世界の8年分、トンネルに入って戻れば
歳の差カップルを解消できるのかなぁ
などなど。
色々想像して楽しんでいます。
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
原作をベースにしつつも、映画として完成されたいい作品
原作は小説、既に漫画化もされている『夏へのトンネル、さよならの出口』のアニメ映画。
漫画を読んだときは、あんまりストーリーに共感できなかったけど、今回の映画を観たら、主人公のとった行動の背景とか感情がアニメならではの映像と演出ですんなりと心に入ってきた。
余計なものをそぎ落として、83分という短い時間に物語が一番伝えたかったことを凝縮させていたから心に響いたんだと思う。
映画版だとちゃんと「さよならの出口」がタイトル回収されていて、他の媒体でこの作品を見ていない人にもしっかりと伝わってくる内容だった。
以下、少し下げてネタバレありで感想書いています。
漫画版だとコマ割りの描き方のせいか「さよならの出口」って部分があまり伝わってこなくて、なんかぱっとしない作品を読んだなと思ってたんだけど、映画版はここがしっかり描かれていた。
死んでしまった妹への未練・死なせてしまった後悔と「さよなら」して、
未来へと続く出口に主人公は向かったってのが伝わってきた。
作中では不思議な「ウラシマトンネル」は失ったものを取り戻せるトンネルと主人公たちは理解しているけど、失ったものではなく、「未練や心残りがあるもの」が出てくるトンネルなんじゃないかな。
ストーリー後半で主人公が自ら捨てた携帯電話が手元に戻ってきて、
「失くしたんじゃなくて、捨てたんだ!」って言うシーンがある。
捨てたとしても、未練が残っていたから、手元に現れたのかなと考察。
漫画版だと丁寧に書かれていた花城とクラスメートの話が無くなっていて、
クラスメートがただの嫌な子になってしまっていたのは、残念だったかな。
ここらへんは時間の都合上、しょうがないよね…。
「面白い」はお世辞
アニメ映画には2種類ある。
棒役者のいないアニメ映画と、棒役者のいるアニメ映画である。
この作品は後者である。開幕して一言目で目の当たりにしてしまうだろう。
大枠の設定やストーリーは中々良いか。
入ると願いを叶えるというトンネルに高校生の男女2人が挑む。
ただし、トンネル内は入ると外界との時間ズレが生じていく。
願いとリスクを天秤にかけること、時間のズレによる物語の展開は面白い。
良い点
・作画や描写が綺麗。口パクの作画は雑だが。
・時代設定が少し昔
・尺が長すぎない
悪い点
・主役が棒読み
・インコ?の声が人間的
・少女の横柄キャラ設定がほぼ意味がない。
・父の口調がやや説明的。
・お爺さんの人物設定がやや苦しい。
・トンネルという言葉面にとらわれて出口があると思う。
その他点
・映画「オールド」を彷彿とさせる
・試しに妹を連れ帰ってみる
・後の社会生活
・タイトルが謎
王道の青春演出に照れてしまった
前情報なしでの鑑賞でした。
絵が綺麗ですね。
特にウラシマトンネルの中がとても美しかった。
ただ、青春アニメでよく見る“うっかり覆い被さっちゃう” 定番のシチュエーションが度々見られて観てるこっちは何やら気恥ずかしくなってしまいました^^;
鑑賞後の余韻が残った状態で“その後”を読めるとは、気の利いた映画特典ですね。
嬉しいです。
原作読めば世界観が深まるらしいです。
某SNSでインターステラーの影響で作った作品と聞き鑑賞しました。厳密に言うとインターステラーのミラーの星に影響を受けてるんですね。
欲しいものが手に入るけど、その代わりウラシマ効果で時間経過してしまう不思議なトンネル、ウラシマトンネル。そのウラシマトンネル攻略のために共同戦線で同志から徐々に自己開示に繋げていき恋愛に当てはめていく。情緒の流れや絵が綺麗で終盤あたりまでは前のめりでした。
ただ自分的に「?」となったところがあり、最後にウラシマトンネルでカレンを何故現代に連れて行かない…ってなりました。カレンは「お兄ちゃんも他の人のことを好きになって欲しい」「そしたら3人で笑えるもん」と主張してるじゃないですか…。
と、思いながら映画が一気にエンドロールへ。
あとで調べてみたら原作だとカレンが元の世界に戻れないと発言しているそうです。また、塔野のお父さんは実父ではなく、妻の浮気相手の間に出来た子どもだそうです。そうするとお父さんが塔野への強いあたりも辻褄が合わないこともないかな?と腑に落ちました。
ただ映画の設定としては少なくともインコは蘇ったのだから、カレンも一緒に蘇る終わり方でも良かったのではないのかな?と思います。
もしくはインコは蘇ったけど現代だと数週間しか生きれなかったとか色々出来たと思います。自分的に設定に対してやや不満が終わる結末でした。
いつ面白くなるかなと思ってたら終わった
某方が恋愛青春版インターステラーと仰ってたので期待して見に行ったのですが、ちょっと泣くほど感情移入できなかったし全然ッ面白くなかった。
80分という尺なので仕方ないかもしれないですが、感動まで持っていく描写が足りないままクライマックスなので何も心が揺れないままエンドロールでした。
70分の尺のプリキュア映画の方が泣ける作品あります。
他人の面白いってあんまり間に受けない方がいいと学びました。
CLAPさんの作品をもっと増やしてください( . .)"
CLAPさんの今までの作品が良かったので見に行かねばと。
期待通りめちゃくちゃ綺麗な画でした。配色がとっても綺麗ですね。眼福です。
脚本?演出?にはそこでテンポあげる?と思ったところがありました。間延びしないのはいいですしまぁ好みですよね。
全体的に見て損はない。配信されたらもう1回見ようっていう作品でした。80分だしね。ちょうどいいよね。
和製インターステラー、100点満点です
あんなにロンマンチックでSFチックなキスの表現を産まれてこのかた聞いたことがないぜ!!!!!たまげた!!!素敵すぎて劇場で叫びそうになった!!!お願いだから叫ばせて!!!
イヤホンを嵌めて雨音が音楽に切り替わるシーンや、向日葵を渡すところで背景がバッと切り替わるシーン等、描写が丁寧かつダイナミックで好き…
全体を通してテンポが良く、ダレてないから鑑賞後のスッキリ感がきもてぃ……
花や月を使って時間の経過をこっそり示してるのもお上手……
そして主題歌よ…挿入歌といいEDといいなんなの???最高すぎるが???あなたeillっていうのね!?ファンになるわ!!!!!
今年の夏はこの映画が締めくくってくれました。ありがとなッ!!!!!
物語的にはまあまあ!
内容的には良くできていて、飽きることなく鑑賞は出来ました。
でも妹が死んでなぜ母親まで出ていったのか謎なのと、最後妹も連れて行けば良かったのにと思ってしまった!
声優のまりえさんは、あまり違和感はなかったけど、鈴鹿さんは、いまいちだったかな!
どうしても、鈴鹿さんの顔がチラついてしまって!
ついでにお父さんは、毛利小五郎さんにしか見えなかった。
アニメーションに関しては、トンネル内は綺麗でしたが、その他でキャラクターの表情や、喫茶店でのオムライス、お水の氷、花火等々、ちょっと手抜き感を感じました。
ま〜ストーリー的には関係ないとはいえ、そう言う細かいところもちゃんと描いてもらいたかった。
ただでさえ、最近の日本のアニメは年々綺麗になっているからこそ、細部にも力を注いでもらいたい。
『片っぽ』新解釈
なんでも欲しいものが手に入るというウラシマトンネル。
しかしその代償に時間を失う。
この不思議なトンネルの噂がある田舎町で、塔野カオルと花城あんずは自分の欲しいものを手にするべく共同戦線を結ぶ。
主題歌・挿入歌がeillという自分の好きなアーティストだったからという、半分押し活くらいの気持ちで観に行ったため、正直期待値はそこまで高くなかったのだが、そんな期待は大きく裏切られた。
この作品、もっと話題になっても良い。
いや、なるべき。
冒頭の2人の出会いのシーンからグッと掴まれた。
eillファンとしては冒頭から『片っぽ』という曲が聴けた(しかも少し物語のキーとなる曲だった)のが嬉しい。
雨が降り頻る海沿いの駅のホームには、ベンチに座るあまり見かけない顔の少女と傘を持って現れた主人公の少年の2人きり。
沈黙と雨音が、あまり良いとは言えない2人の邂逅を強く印象づける。
2人が同じ痛みを抱えて共同戦線を結ぶ。
あんな出会い方をした2人の間で、恋とも友情とも違う関係性が少しずつ、本当に少しずつ育まれていく描写が何よりも上手い。
そこで流れるのが『プレロマンス』。
ーこれが恋だとしても
これが恋じゃなくても
ふたりだけの世界がここにあれば良い
ウラシマトンネルをくぐり続け、物語は佳境に入る。
ツンデレあんずの可愛いこと。
一途に想い続けるあんずと自己犠牲の元に過去を取り戻そうとするカオル。
2人が過去と和解し、“今この瞬間”の幸せに気づいた瞬間がとても素晴らしかった。
ーふたつの傘より相合い傘
錆びついた傘、6時間のキス。
真夏のプレロマンスを超えた先に迎える初秋のロマンス。
今の季節柄とピッタリだった。
映像の美しさも見所の一つ。
ウラシマトンネルの美しくもどこか恐ろしいビジュアル。
まさに“世界を断絶している”ような異空間。
水の描写も素敵だった。
冷たい雨、海、トンネル内の水飛沫、涙、天気雨。
透明感も温度も表情も全て違う。
線路内に立ち入ったりひまわり折ったり、倫理観がややぶっ壊れてるところがちょっと気になったけど、これぞ隠れた良作。
是非さよならの出口を観に行って欲しい。
ー味気ないね
でもそれがね
ふたりの幸せ。
現実を地でゆくSFモノ
社会的に美しくないモノは多く
否が応でもみえる
「現実」
観客の想像力で帰結させる構成で
多くの解釈や納得に堕としてゆかれました。
映画としては綺麗に
フィナーレを迎え
<ネタバレ含む個人的想いとして>
描かれたらみちゃうかもストーリー
①再会後、やはり現実が厳しく再度妹を2人で迎えにゆき未来に生きる3人というアフターストーリー
②妹との生活が楽しくて時間を浪費して帰ったらトンネルが海の底でバッドエンド、①の続きで彼女・妹も一緒だとなお救いがない。
③妹を連れ帰ってしまったが為に、帰った世界で兄は誘拐犯とか、木から落ちた妹のストーリーが神隠しや行方不明者と家庭崩壊の原因を兄が作っていた事実を知り、戸籍も無く火垂るの墓。
④トンネルの深さは過去の時点に移動しているだけなのか、木と木の間を通らなければ時間が経過せず、過去専用のタイムマシン化するのではという仮説が成功して神になる。
引き込まれた。 訳あり男女が駅で遭遇。女は転校生、2人はクラスメイ...
引き込まれた。
訳あり男女が駅で遭遇。女は転校生、2人はクラスメイトに。昭和かよ(笑)そしてこれまた昭和のなかなか告げられない展開。
ウラシマトンネルの設定がやはり良かったのかな。飯豊まりえの声も魅力的でした。
日本のアニメはすごい、続々と新しいチームが生まれてますよね。これからも楽しみです。
スクリーン10座席C-4ちょい前過ぎた。鑑賞人数3人。ゆったり(笑)
ラッキーアイテムは傘!
最近もう涼しくなってきましたが、夏の雰囲気を楽しめる映画が見れて良かったです(*^^*)
不思議なトンネル・海・水族館・花火・向日葵の背景が綺麗なので、映画館で鑑賞する価値がありました!
ウラシマトンネルの中が綺麗な紅葉並木になっているのが綺麗で好きでした🍁✨
ウラシマトンネルが序盤に出てきて、それを中心に話が進むので私は違和感なく最後まで楽しめました!
ラストはウラシマトンネルと現実で2人とも離ればなれになってしまうのかなと思いましたが、また再会する事が出来てホッとしました☺️
ボーイ・ミーツ・ガール×「黄泉がえり」の形態をとった、過去に囚われた少年の「救済」物語。
うん、おもしろかった。
いわゆるタイム・リープ系のネタとは異なるが、時間にまつわるSF要素の含まれたボーイ・ミーツ・ガールという意味では、細野守の『時をかける少女』や新海誠の『ほしのこえ』の直系につらなるジュブナイルであり、まさに日本のラノベ&アニメの王道といっていい。
とくに、時間差を生ずる(現世と遠い世界とをつなぐ)モバイルでのやりとりと、そこで生じるディスコミュニケーションを描くという意味では、新海誠作品の影響は絶大であり、「少女萌え」と「お姉さん萌え」が混淆するヒロインへの嗜好性に関しても、両者はとてもよく似ていると思う。
ついでに、濡れた少女への偏執的なこだわりも(笑)。
「夏へのトンネル」というのは、もちろんロバート・A・ハインラインの『夏への扉』を意識したタイトルだろう。作中での「ウラシマトンネル」という呼称は、相対性理論に則ったSF用語「ウラシマ効果」からとられており、ネタの直接的な参照元はおそらくクリストファー・ノーランの『インターステラー』あたりか(庵野秀明の『トップをねらえ!』かもしれないが)。
中にはいると、時間が早く過ぎる代わりに、何かが手に入るトンネル。
それを見つけてしまった少年と少女が、お互いの喪失感と向き合いながら、心を通わせていく物語だ。
原作は未読。ただ、パンフの監督インタビューを読むかぎり、尺を短めに抑えるために(CLAPのポンポさん理論ですね)、主人公二人の関係性以外はバッサリカットしてるっぽいし、最初の出逢いのシーンも、あんずがトンネル前で泣き叫ぶシーンも、駅で最初の出逢いを再現するシーンも、みんな完全アニメ・オリジナルらしいので(そもそも、原作のトンネルには出口があるし、中は白い鳥居と松明が続いている設定らしい)、今回はあくまで「一つの独立したアニメ作品」として触れておく。
総じて、丁寧につくられた作品で、観ていて心地がいい。
それは確かだ。
とにかくじっくり絵コンテが切ってあって、手のしぐさの作画や、立ち位置、距離感、視点の切り替え、雨のタイミングなど、本当によく考えてある。
その割に、京アニ(とくに山田作品)のような「これみよがし」に「考えぬいた」感じは出さず(あれはあれで素晴らしいのだが)、自然に流して見せているぶん、好感がもてる(ちょっとシャローフォーカスを多用しすぎて、やたらボケ表現いれてくるのが若干うざいが)。
ウォークマン、ビニル傘、ガラケー、ひまわり、漫画といった、小道具の用い方も実に巧い。
なにより、作画と美術が常に安定しているので、そこで気を削がれる心配がまったくない。
物語も、大筋としてはとても楽しめた。
SF要素と恋愛要素を抜きで考えれば、
昔からある「黄泉がえり」譚の語り直しなので、飲み下しやすい。
カオルは、自分のせいで妹のカレンが死んだと、親に責められながら育った。
実際にそこまで苦しむほどの因果関係はない感じもするが、少なくともカオルはずっと、妹の死を我が罪として背負って生きてきた。
そこに「ウラシマトンネル」という奇跡が唐突に眼前に現れ、それを用いれば「変えられないはずの過去を改変して、喪った大事なものを取り戻せる」ことを知った少年が、妹を「黄泉がえ」らせようとする。これは、そういう話だ。
トンネルを通って死者を迎えに行く(そして、連れて帰れない)というのは、ギリシャ神話におけるオルフェウスのハデス詣でや、イザナミの黄泉平坂(よもつひらさか)のエピソードなどで、われわれの脳裏に深く刷り込まれている原初的な物語の類型に属する。
アニオリのトンネル内描写として、敢えて「モミジ」の樹が選ばれたのも、そのあたりと関連があるのかもしれない。「万葉集」の昔より、モミジは「黄葉」つながりで「黄泉」とかかわる樹とされ、枕詞の「もみちばの」は「過ぐ」にかかって、人の死を意味するとされてきたのだから。
このトンネルのSF設定(と呼んで具合が悪いようならファンタジー設定)で興味深いのは、「時間」の要素が明快に「代償」として扱われている点だろう。
おしなべて、ジュブナイルにおける「タイムリープ」などの時間改変要素は、「恩寵」である。
主人公が、何度もリトライできる「代償」として支払うのは、何度も死んだり痛いめにあったりなかなかループから抜け出せなかったりといった「苦痛」であって、少なくとも「時間を遡行してやり直せる」こと自体は、主人公特権の「ご褒美」として呈示されることが多い。
ところが、本作の場合、この因果関係は逆である。
すなわち、攻略条件はイージーだが、不可逆的に時間という「代償」を支払わされる。
「過去に喪ったもの」を取り返すのは容易だ。何せ、入っていったら落ちていて、それを拾って帰ってくるだけでいいのだから。ただ、その代わりに「代償」として、過大とも思える「時間」が奪われる。
この手のボーイ・ミーツ・ガールで、時間が「ペナルティ」として容赦なく課されるケースは、意外に珍しいのではないか。
この設定には、相応に納得のいく「理由」がある。
それは、本作が、じつは「いかにしてカオルが死者を取り返すか」の物語ではなく、
「いかにしてカオルが過去の軛から解放されるか」が主眼の物語だからだ。
カオルは常に「罪」の意識を背負って生きている。
それを解放してやるために本当に必要なことは、
じつは「罪」を帳消しにすること(=妹の黄泉がえり)ではない。
「罪」に似合った、相応の「罰」(とカオルが感じられること)を与えてやることなのだ。
すなわち、ウラシマトンネルが与えてくれる「救済」は、「奇跡」による恩寵ではない。
彼が妹を取り戻そうとすることで「浪費」する「時間」というペナルティ、それ自体が「救済」なのだ。
いわば、時間の牢獄。時の懲役刑だ。
彼はトンネルの深奥で妹の幻影を観ることで、今度は「現世のほうに、喪ったら取り返しのつかない人を遺してきた」ことに気づく。
そこで彼が「引き返せた」のは、トンネルによって「時間」を奪われることで、なんとか過去への折り合いをつけられたからだ。「代償」を支払ったから、心の重荷が少しおろせたのだ。過去より、今を選べたのだ。
アニメ内で二人が行なった調査によると、このトンネルは土地の神話や伝承ともつながりがない、かなりあいまいな都市伝説らしい。
これは作劇上はむしろおかしな話で、「古来言い伝えられてきた曰くつきのトンネル」だからこそ、神秘的な霊場として機能する、というのがふつうのドラマツルギーである。
それが敢えて「土地と結びつかない」とされているのは、結局このトンネルが万人のための場所ではなく、あくまでカオル君専用穴(なんかエロいね)だということを強調していると考えるべきだろう。
要するに、このトンネルは、カオルという少年を救済する「ためだけ」に生み出された極私的な祭祀場なのだ。
だいたい、このトンネルのやっていることは、かなりおかしい。
そもそも、なんで最初がインコとサンダルなのか。妹と歌を教えてたっていうからには、死んだのはずいぶん昔のはずだ。それを今になってなぜ? それに、サンダルが「喪って取り戻したかった物」ってのも、なんか無理がないか? ものすごく「恣意的」な黄泉がえりだ。
ぼくは思う。インコとサンダルは、じつは単なる「呼び水」に過ぎないんだと。
カオルを本気にさせるための、トンネル側の撒いた「餌」だったのだと。
トンネルの大本命は、「喪った大切な何かを取り返させる」ことではなくて、
「カオルに、喪った大切な何かのことを諦めさせる」ことだったのだと。
納得させるための儀式。そのために敢えて与えられる代償。
ぼくは、カオルがカレンと出逢うシーンが、びっくりするくらい『Re:ゼロから始める異世界生活』の家族回と、空気感もやってることもそっくりなのは、決して偶然ではないと思う。
一方、あんずという少女にとって、あのトンネルは何を意味していたのか。
ぼくの考えでは、あれは「カオルにしか」必要のないものだ。
そのことを、あんずもじつはわかっていたのではないかと思う。
だって、あのトンネルに入ったら「インコ」と「サンダル」が戻ってきたという話をきいて、「昔なくしたものが返って来る場所」と考えずに、「なんでも願いが叶う場所」だと理解するのは、どう考えても「曲解」だもの。
あんずも、内心ではそこが「なくしたものが返って来る場所」だと気づいていたはず。
でも、「なんでも願いが叶う場所」だと言い張って、「共同戦線」を主張し、みずから「巻き込まれよう」としたのは、彼女にとって、この共同戦線が、不安な未来から逃げて、カオルとの時間を選択する、ある種の「心中」のようなものだったからだ。本質的には、不純な動機。だから、あんずは、負い目を感じていた。
カオルは、ずっと「死んだ妹(カレン)」に負い目を感じていた。
では、あんずは、だれに負い目を感じていたのか。
それは、カオルに対して、だ。
自分の抱えている悩みが、しょせん思春期に特有の、一過性の「未来への不安」に過ぎないこと。
カオルの抱えている救いがたい生き地獄とは、まるでつり合いがとれないこと。
カオルは「救済」される意味と理由をもっているが、自分はもとより救済の対象ですらないだろうこと。
このそれぞれの「負い目」を埋めるのが、「時間の代償」なのだ。
カオルは、「13年」という時間を代償として支払うことで、カレンの死を受け入れた。
あんずは、「13年」という時間を「カオルに対して」支払うことで、カオルとのつり合いをようやく取ることができた。だから、ようやく二人は、一緒になれた。
このトンネルは、そういうふうに機能している、と考えるべきだ。
ついでにいうと、この物語は、「父権的な脅威」に晒され続けてきた少年が、「胎内回帰願望」の具現化としてのウラシマトンネルを現出せしめ(だから、入口が女陰の形をしていて、なかから水が湧き出ていて、なかは真っ赤なひだひだになっている)、その深奥で「内なる母」である妹のカレンに「赦し」を得たうえで、「胎内めぐり」を経て「再び産みなおされて」、「外なる母」であるあんずの元へと帰還する話であるとも解釈できる(だからあんずが齢を食っているのはちっともおかしくない)。
母性を知らずに父性に虐げられて育った少年が、母胎から「リボーン」し、新たな母を見出すお話ということだ。まあ、適当だけど(笑)。
大筋、面白かったけど、細部では気になったところもある。
何よりひっかかったのが、それぞれの両親との関係性が途中でブチ切られていることだ。
彼らが抱えている「本当の問題」とは、「過去」ではなく「今の家族」との問題のはずなのだが。
カオルがあのまま父親と別れたとなると、父親も後妻と幸せになれたようにはとても思えないし、決して悪い人ではないはずなので、そこが投げっぱなしなのは、結構もやっとする。
まして、あんずの親の作中での扱いは、あんまりだ。
娘を漫画家にならせたくないという理由で「わざわざ一人暮らしさせる」親など、どこにいるというのだ(ふつうは逆で、「手元に置いて」見張るだろう)。
まあ、「親を若者の世界観から徹底的にオミットする」ってのは、20年前から変わらないラノベ独特の流儀だけどね。
あと一点、冒頭でウラシマトンネルを見つけるシーンについて。
踏切があって、少し奥に電車のトンネルがあって、しばらく線路を歩いてたら後ろから電車が! って、おいおい警報機はどうした? それも気づかないくらい傷ついていたっていうのなら、無音にして親の声だけがリフレインしているみたいな「演出」くらいはいるのでは?
それと、主演二人の声の演技が気にならなかったといったら、噓になる。
彼らなりによく頑張っていたとは思うんだけど、やっぱり、「はあはあ」とか「ふたりで笑う」とか「泣き叫ぶ」みたいな「息」の演技は、全体的に聞いててかなり辛い感じだった……。
その点、小林星蘭は、プロの声優に交じってもまったく遜色のないガチの「声優演技」をこなしてて、さすがでございました。
良いー
エイルの主題歌はエンディングに流れて欲しかった。君の名はを、意識しているのかな?物語は完結でまとまりがある。最後の再会は泣きそうになった。心にきた!
エイルの主題歌は、この作品にとてもマッチしていると思う。
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