生きる LIVINGのレビュー・感想・評価
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足りないものを補って逝く
胸熱と言うよりは胸痛ですがとても感動的なストーリー、オリジナルを観たくなった 家族には言えんけど赤の他人には言えるっていうのも気持ち分かる ナナカマドの木を唄いながらブランコに乗るシーンにはもう涙が... 亡くなる前は正反対の性格になったり意外と人の死って謎が多いもんだなと思ったことがあるので、徐々に明らかになっていく構成も順序がちょっと変わってるけど刺さりまくり 1950年代の雰囲気や映像、ピアノのBGM、ファッションやエンドロールで流れる昔の映画みたいな字体も全て良かったです
原作も見たくなります。
ここまで直截なタイトルも珍しいです。しかし優れた物語は青臭い命題もしみじみと考えさせてくれるものです。映画館の暗闇で浸るのにふさわしい良作といえるでしょう。
本作は数ある黒澤明監督の傑作の中でも、指折りの一本である「生きる」の英国版リメーク。黒澤と橋本忍、小国英雄の脚本をノーベル賞作家のカズオ・イシグロが脚色、日本ではなじみがないが国際映画祭では常連のオリバー・ハーマナスが監督しました。
そびえる高峰に挑んだわけですが。頂にたどり着いたかはともかく、その精神は間違いなく受け継がれていると思います。生きることなく、人生を終えたくない。死を前にした男の痛切な気持ちは洋の東西も、時代も超えます。名作をなぞっただけではない、意味あるリメイクといえます。カズオと73歳の主演俳優、ビル・ナイは米アカデミー賞の候補にもなりました。
筋立てやエピソード、構成は黒澤版をほぼ踏襲。ただこちらの基調はリアリズムで、紳士然として感情を表に出さず人を寄せ付けないウィリアムズの苦悩を、ビル・ナイが抑えた演技でにじませいました。
舞台は第2次大戦終結から久しい1953年のロンドン。市役所の市民課に新人ピーター(アレックス・シャープ)が着任してきます。課長のウィリアムズ(ビル・ナイ)はじめ同僚たちは、問題先送りが仕事のようです。
ある日、子どもの遊び場建設を求め、広場の排水改善を陳情に来た女性たちの案内を命じられたピーターは、役所の中をたらい回しにされて市民課に戻り、書類は保留の棚に放置されてしまうのです。それが役所の日常でした。
お役所仕事にどっぷりつかっていたウィリアムズが、体調の異変から診察を受けたとき、医者からがんで余命が短いと告げられます。彼は絶望し、人生を見つめ直そうと職場を欠勤し、夜遊びにふけますが満たされません。自分の人生の空虚さに打ちのめされるのです。けれども、かつての部下マーガレット(エイミー・ルー・フド)と再会し、人生を謳歌する自由な生き方に刺激されて、職場復帰。廃虚を子供用公園にするために行動を開始するのです。
物語の内容も構成も、オリジナルと細かな描写も重なる部分は多く、キザな帽子やウサギのおもちゃなども出てきます。もちろんブランコも。あえて変えなかったところに、イシグロやオリバー・ハーマナス監督の黒澤作品への敬意を感じました。
ストーリーはオリジナルに忠実ですが、舞台設定や主演俳優のアプローチの違いによって、かなり印象の異なるリメークになりました。狂気すら感じさせた志村喬のギラついた芝居と比べると、いかにも英国紳士然としたビル・ナイのたたずまいはずいぶんお上品に映るのです。
オリジナルで志村喬が演じた主人公は猫背でしょぼくれているのに対し、リメイク版の主人公は背筋を伸ばして威厳があり、周囲から一目置かれています。しかし、余命が短いと宣告された後のうろたえぶりは同じです。最も近しいはずの息子にも打ち明けられない。一人立つナイの姿から、圧倒的な孤独がにじみ出ます。
ナイの演技は、志村喬よりも抑制的に見えます。これについてプロデューサーの一人であるスティーブン・ウーリーは、「面白いことに、日本の笠智衆さんからインスピレーションを得ています。イシグロが笠さんのようなストイックな演技を求めたんです。その方が英国人気質にも近いのではないかと感じました」ということで、笠智衆からのインスパイアだったことを明かしています。
だったら小津安二郎監督の「東京物語」のリメイクはどうだろうと水を向けると、「『東京物語』は女性の人権についての物語です。小津や成瀬巳喜男は、結婚によって女性の人権が失われることを、女性の視点から描いている。素晴らしいと思います。これは、英国に置き換えることは出来ません」とのことでした。残念!
さてウィリアムズが「生まれ変わる」後半の重要シーン。オリジナルでも黒澤監督の才気がほとばしる、出色の場面でした。今作でも見どころです。
しかし作品全体から受ける印象は異なります。脚本を手がけたカズオ・イシグロの筆致は穏やかで、夢中で遊ぶ子どもの姿に仮託し、生きるとは何かと問いかけ、人生がすり切れていく悔恨をにじませる。ノーベル賞作家の面目躍如のところ。
また抑制の利いたビル・ナイの演技と言葉の力は、抑制されたナイの人生の悲哀を味わわせ、見る者の胸に静かに染み込んでくるかのようなのです。
エイミー・ルー・ウッド演じる、はつらつとした元部下の女性とのエピソードもどこか軽やか。50年代のロンドンの街並みや衣装も素晴らしく、日本映画のリメークでありながら、イギリス映画としての見応えもある作品に仕上がっていると思います。
気になるところは、セリフがない間をたっぷりと取り、叙情的な音楽を使って情感を盛りあげてゆく演出は時にけれんが目につきます。黒澤版を意識して力が入ったのでしょうか。ただウィリアムズと息子夫婦の関係や役人気質は現代でもさもありなんと感じられました。そして映画が訴える、人生を充実させるのは自分次第なのだというメッセージは、陳腐には見えずいささかも古びません。
「人生の意味」は芸術表現の普遍的な主題といえるでしょう、ただ、ここまで直截なタイトルも珍しいです。しかし優れた物語は青臭い命題もしみじみと考えさせてくれるものです。映画館の暗闇で浸るのにふさわしい良作といえるでしょう。
オリジナルは1952年に公開されまし。日本は復興の途上にあり、人々は貧しかったのです。同時代を生きた40歳代の黒澤監督は、役所という冷たい組織、ひいては社会そのものに対し、厳しい視線を送ったのでした。
終戦間もないという時代設定は同じでも、今作は復興を終えた現代からの視点が加わる。最終盤、語る順番を少し変えたことで、作品の印象は少し違ったものになりました。人は変わることができのるだ、そんな普遍的で前向きなメッセージを受け止めました。
「THE END」
黒澤映画を
不思議な映画
命短し恋せよ乙女
まさにその通り。
古き(良き?)イギリス紳士たち。
外見はかっこいいけど、実はリビングデッド。
お役所仕事って日本だけじゃないのね。
うんざりするような窓口たらい回し。
仕事するふりをして一日を過ごす。
死に直面して初めて、あれ?生きるってなんだっけ?
自分生きてる?って気付く。
キラキラした子ども時代。キラキラした恋愛。キラキラした夢があったはず。
それがいつの頃からか毎日をやり過ごすだけの
お役所の中で卒なく時間を長らえるだけのゾンビになっていた。
元部下の女性の不器用ながらも頑張る姿がキラキラして見えたのだろうか。
それにすがるようにして彼は生き返った。
生きて仕事をした。
その彼の姿を見た者達は?変わるのだろうか??????
郷愁漂う映像がもの悲しく、胸が詰まった。
新しい道しるべと誓い合った胸の内!!
今までお役所仕事でMr.ゾンビと
あだ名を付けられるくらいだった老紳士が
マーガレットがキラキラ輝くように働く姿を見て、自分が若い頃、子ども時代に時間を
忘れて日が暮れるまで公園で遊んだこと、
仕事に熱中していたことを思い出したように見えました。
そして、自分自身のかつての姿がそこにあったこと。
土砂降りの雨のなか、びしょ濡れになって傘をさす場面、御婦人たちが役所に持ってきた
嘆願書を持ち時間も気にせずいつまでも
待ち続けるウィリアムズ。
亡くなってから知り得たウィリアムズの心意気を知った息子さんたち。
教会のステンドグラスから差し込む仄かな光
公園の揺れるブランコ。
しっとりとした歌声。
地面にしみ込んでいく雪
ひっそりと生涯を閉じたウィリアムズは
私たちに温かい灯火を与えてくれたストーリーでした。
やはり、父と息子は。。。。
芯が変わらない見事なリメイク
わりとまんまリメイクに見えるくらい、芯の部分は変えず、英国での出来事に見事に翻案されていました。
公務員がルーティンワークに埋没し、縦割りと先送りと事なかれな官僚主義の中で「生ける屍(Mr.ゾンビ)」と言われた課長が、医師の余命宣告を受けて、自分の生き方・働き方を見つめ直す話。
黒澤明監督の『生きる』オリジナルでは、「ゴンドラの唄」を志村喬が歌っていました。
♪いのち短し 恋せよ乙女~♪
舞台が英国になった本作では、スコットランド民謡「ナナカマドの木」になっていました。
主人公の妻が、スコットランド人だったことを明らかにしていたので、おそらく妻との思い出を抱きつつ、死後に妻に再会したときに誇れるほどの仕事をやり遂げた満足感を表現してるのかなと。
また、オリジナルでは課長の葬式で、部下や関係者がまた課長の亡くなる寸前の行動や動機を疑って、責任逃れの言い訳を繰り返し、課長の手柄を自分たちのものにしていたのが、酔ううちに課長を褒めたたえ、その仕事のやり方や遺志を引き継ぐと誓ったものですが。
本作では、帰りの汽車の中で酔わずにさらっと結論に至るあたりが、英国紳士らしいというか。
その見苦しく長めの葬式のシーンが、比較して短い分、オリジナルより短くまとまっていたことはよかった。
オリジナルは日本人のダメな部分をえぐり、官僚主義の徹底した批判を籠める表現だったんだなと、再認識するのに役立ちました。
カズオ・イシグロの翻案も、ビル・ナイの演技も素晴らしく、本作はかなりの傑作だと言えるのですが、観たらオリジナルの方を観返したくなりました。
140分オーバーで、なかなかハードルが高いですけどね>オリジナル
映画は万国共通である
黒沢明監督の「生きる」は若い頃、名画座で拝見し、その後テレビでも鑑賞しました。何度か放映されていたテレビの黒沢監督作品特集でも、確か「七人の侍」と一位二位を争うほどの名作として取り上げられていたような記憶があります。ただ、現代劇である「生きる」が、海外でリメークされた事実には少し驚きを禁じ得ませんでした。
で、WIKIで調べたところ、海外でもオールタイムベスト100などに選ばれることもあるようで割と受け入れられているのだなぁということを今回初めて知り、なるほどと納得した次第です。最近は「男はつらいよ」がフランスで人気との記事も読んだりして、やはり人間の感情を描く映画は万国共通なのかなと思ったりします。
前置きが長くなりましたが、感想を要約すると、①黒沢作品の物語を忠実になぞっているが時間がかなり短縮化されコンパクトにまとまっている。②作品としては良い意味でも悪い意味でも別物である。③古き良き英国の英国紳士の美しさが、彩度を落とした美しい映像でよく再現されている。でしょうか。
②に関して言うと、例えば、志村喬の前半の少し情けない様子は、ビル・ナイにはありませんし、余命いくばくもない初老の志村喬が、ただでさえ大きな目を剥き出しにして、「生きる」とは一体何なのか?と娘に問い詰める迫力は、紳士としてのビル・ナイの魅力的な礼儀正しさに中和され、減殺されていました。最後旧弊を打破すると誓った同僚達がたどる道を描くシーンにおいては、黒沢作品にあったユーモアは、本作品では、ビル・ナイの英雄的行動を明確にする事実としてのみ機能しているように思えました。
しかしながら、本作には、③があります。そう。この作品は、どにかく美しい。
黒沢作品にあったぎらぎらした対照の妙は、古きよき紳士の国英国の気風の中で中和され、遙か昔の美しい記憶として昇華されているように思いました。
そして、表現や背景や文化は異なりますが、やはり核は同じものだと思います。それは多分「お金や地位や名誉など見返りを求めず、誰かの役に立つなにものかを創りだすこと」それが「生きる」ことの本質的な意味だという主張です。
世の中は新年度。スタートラインに立って見る作品としてはとても良い作品だと思いました。
思うに、現代的ではない価値観
先に前提的なことから。まず、私はオリジナルである黒澤監督の『生きる』は未見です。
次に今作を観ながら感じていたのは、前半は正直イラっとすることもあります。ただ、後半は目頭が熱くなる展開になっています。
ということで、トータルとしては決して低い評価をつける要素はありません。それはやはりビル・ナイの滋味深い味わいの演技が大きいことは言うまでもありません。彼の長いキャリアにおいて、今回のウィリアムズのような物静かなキャラクターもハマり役ですが、結構コメディ寄りのキャラクターを演じている印象も強かったりするし、時にゾンビ役やヴァンパイア役など悪ノリを真顔でやる素敵な英国人俳優の一人だと思います。
そして観賞し終わり、いつも帰り道はレビューを書くために映画を反芻しながら歩くのですが、今回は黒澤監督作品のリメイクということで「今、この作品がリメイクされる意味(意義)」を考えてみました。結果、正直この作品って若者には響かないばかりか、むしろ「年輩」と言われる年代以上に向けた懐古主義で、何なら自慰的とすら感じてしまうことも否めず、ちょっと複雑な思いを隠し切れません。敢えて言うならば、リメイクにあたってこれを現代に置き換えず1950年代にすることによって、作品への感動が成立するのだろうとすら思います。ただ、これは映画の作品性そのものを否定するわけでなく、むしろ(50代の)自分への戒めであることは理解ください。決して嫌いではないんです。でも、正直「キレイゴト」にも感じてしまって。
そもそも、この作品の推進力であり、自分が老い先短いことを知るウィリアムズを変えるのは「若者たち」です。
余命の生き方に迷い、反動的に自暴な言動に走りかけるウィリアムズを目覚めさせるマーガレットは、本当に眩しい存在です。清々しいほど物おじしない態度と、はつらつとしてチャーミングな彼女に「甘える」ウィリアムズ。オジサンである私も十分気持ちは解ります。が、正直、「打ち明け話」はやりすぎですし、それを聞かされた方の身になっていないことに、観ていてハラハラ、イライラします。
そしてまた、社会人になりたてでウィリアムズと僅か1日しか働いていないピーターの達観ぶりに、なんなら、そんなわけなかろうと思いつつ、結局、彼のこの作品における価値観は「こうあるべきという理想」としての存在などだろうと思います。
ウィリアムズが「最期」にかけた仕事は、そもそも彼ほどの経験と立場があれば元から出来たはずで、今どきの価値観ならむしろ、それまでやってこなかったことの方が罪深いと思われて当たり前です。彼が見て見ぬふりをした陳情は山ほど存在したはずで、最期に身を呈して行った事業一つを伝説のように扱うことに、いささか欺瞞を感じるてしまったり。。
いや、いい映画だと思いますよ。でも、私も若者に嫌われたくないし、彼ら目線で考えることもせざるを得ないので、ちょっと厳しめに書いてみました。悪しからず。。
素晴らしい!
人生の最期の輝き
第二次世界大戦後のイギリス、市役所の市民課に勤める方が主人公。
いかにも、というお堅い英国紳士が、ある日突然の余命宣告。
真面目な彼は、息子夫婦にも打ち明けられず、さらには無断欠勤。
気晴らしの方法もわからない彼は、元部下の女性と会い、
いろいろと話を重ね、自分の悩みを告白。
そして、仕事に戻り、これまで淡々とこなしていた仕事から一転、
市民の方の要望を受け止め、必死に動き、その結果・・・
といったストーリー。ありがちといえば、ありがちだが、
人は最期を悟るとこんなに積極的に動けるものなのか、
誰かのために必死に行動を起こせるものなのか、と感動。
最後のブランコは達成感と哀しみと半々かな。。
リメイク版らしいですが、素直に感動しました。
リメイク前の作品も見てみたいところです。
でも・・・先日観た、オットーのほうが笑いもあり、好きです笑
どしゃ降り雨の中に虹を見た!
オスカーを2人取れるなら…
と思う程ビル・ナイの叙情的な演技が頭から離れません
オリジナルを観たのはかなり昔で記憶もおぼろげですが完璧に完成され上品な英国作品に仕上げられている様に頭が下がった
50年前のイギリスが見事に再現され
自身もあの街角で紅茶を飲んでいるかの様に物語に入り込んでいました
物語に寄り添う全ての音楽も素晴らしかった
オリジナルは「ゴンドラの唄」本作はスコットランド民謡と国は違えども国民心情に刺さる名曲だ
毎日同じルーティンで過ごす人の方が確実に多いのが現実である
人生の価値感や目標は人それぞれ違う
ヒーローやヒロインにならなくとも
賛美や賞賛を得る事なくとも
自身に寄り添ってくれた人達に「ふっ」と想い出してもらえたらきっと満更でもない人生だったのかも知れない
ましてや他人に「幸せそうに見えた」と思わせる終幕なんぞ滅多にある物では無い…
きっと彼はブランコの様に人生の漕ぎ方を上手に閉めたのだろう
時間は無くてもやれる事はある!
主人公の気付きは彼の残りわずかな人生を晴れの日にしたはずた!
そして彼に携わった若者たちの未来をそっと見守っているだろう
人は死ぬまで生きる…
大病を患った経験がある私は
常に健やかで穏やかで笑顔多き日々を大切に丁寧に過ごしている
そして、その時が来た時にもジタバタしない
そんな毎日を生きて行きたいと…
なので、尚更この作品に心励まされ出会えた事に感謝したい
主人公と同世代の観客の方が多い中
終演後は皆さん、マスクからのぞく瞳が穏やかでしたね
カズオ•イシグロさんの脚色は泣けるほど秀逸でした⭐️
きちんとリスペクト
11月末に特集上映でオリジナルを観たばかりだったので、見比べるにちょうど良かった。
設定を変えつつも、まさかのウサギ残しには少しびっくり。
30分くらい短くなっているから、役所内での狂気じみた許可取りシーンはさらっとスッキリ、またビル・ナイがシュッとした英国紳士だからか、弱々しくはあるものの、悲哀はあまり感じなかった。
実際にはイギリスの役所がどういう所かは分からないけど、たらい回しをそのまま使うなら、どこの国も変わらないのだろうな。最初の数分、駅のシーンだけで、退屈な職場なのは分かった。
お通夜の時の誰の手柄だとかという胸糞な官僚批判は抑えめにしたら、息子夫婦が悪目立ち。
ハリウッドにありがちな魔改造は無く、極力いじらず、アレンジというより現代の観客向けにアジャストした感じ。
全体的に黒澤明へのリスペクトを感じた。
ミス ハリスの存在が大きい
作中のキャラクター2人、主人公ウィリアムズとミス ハリスがとても対照的
ウィリアムズは、老いて痩せ細った体型、灰色の髪、気持ちを表に出さず悲観的に話す、貫禄ある紳士
ミス ハリスは、若く丸い体型、ブロンドの髪、前歯が少し出た赤い唇で楽観的に話す、可愛らしいお嬢さん
ウィリアムズは仕事をサボり、ミス ハリスを食事に誘って映画に行ったりして、生きる活力をもらうが、彼女がウイリアムズにつけたニックネームは「Mr.ゾンビ」
余命宣告を誰にも打ち明けられないが
このお嬢さんには、彼女だけには打ち明ける
正直、このシーンに来るまでは眠たい退屈な映画だった
「生きる」は、主人公が残りの人生をどう生きるかの物語ではなく
存命している人々が亡くなったウィリアムズについて語る物語
ミス ハリスに話してその後何を行い、どんな仕事をして亡くなったのか
さりげなくそういう映画になっている
Mr.ゾンビがたくさんいるはずの日本で生まれた不朽の名作「生きる」
同じ島国でマナーや格式を重んじるイギリスでリメイクされたこと
似ているようでとても対照的な「生きる」と「Living」
残りの人生を生きる、一つの参考映画になればと思う
「どう生きるのか」を穏やかに、軽妙に、真摯に問うて来る、英国だけに。
1953年、ロンドンの役所の市民課の新人ピーターは、職場の同僚の無気力な仕事ぶりを実感していた。子供の為に広場の排水の改善をと言う女性たちの切実な陳情の申請書類を、課長のウィリアムズは保留の棚に置いてしまう。そのウィリアムズはがんの宣告を受けて、死ぬ前に本当に「生きて」みようと試みる……
黒澤明監督の「生きる」は未見で、雰囲気はかなり違うのでしょうが、それでもイギリス映画だからその味わいを再現できるんだろうと思います。映像もおしゃれでした。
自分の人生を充実させられるのは自分自身であり、人生にどう向き合うかなのです。
偉大な業績ではなく、やがて忘れ去られるような小さなことでも、その気持ちは誰かに伝わります。ロウソクの光のような灯火をそっと守って次の人に引き継いでいくような映画です。
今のハリウッド映画には出来ないでしょう。
ちょっと気になったのは字幕で、ミス・ハリスが「課長さん」と呼びかけますが、職場の役職にさん付けはおかしいので、「ウィリアムズさん」の方が良かったです。
<4/25追記>
オリジナル版も観ました。ストーリーはほぼ同じですが、雰囲気はかなり違います。
大きな違いは、日本版では主人公が周りから軽んじられていたが、本作では一目置かれていた事ですが、舞台が変われば改変は当然と思いました。
あとは、辞める女性が、日本版では働くのはお金のため、毎日面白おかしく暮らせればいい、という女性。本作のミス・ハリスはやりがいのある仕事をしたいのに、なかなかうまく行かず悩ましい。だから主人公の気持ちに寄り添えたのかなと思います。
本作では警察官の告白も印象的でした。
小さな公園
オリジナルは観ていませんが、ちょうど何か観ようかと思ったところにジャストであったので鑑賞。爺さん婆さんに囲まれて観ました。
んー可もなく不可もなくって感じでした。人生経験がまだまだ浅い自分にとって、この物語の重みを感じることはできませんでした。
余命わずかな主人公が残された人生を楽しむために生きるというお話ですが、派手に大騒ぎというわけではなく、周りの人のために生きたり、自分の生きた証を少しでも残したいと行動したり、と多少(息子には多大)迷惑はかけていますが、その迷惑が観ている側としてはそこまでイライラするものでは無かったのが良かったです。映像もレトロな雰囲気が漂っていて好きですし、背景の装飾や、クレーンゲームの元祖的なものを観れたのはなかなか貴重じゃないかなと思いました。
ただ物語自体にそそられるものが無く、爺ちゃんの珍道中を100分ほど観たなという感じに終わりました。人生経験を重ねて、主人公に近い年齢くらいになってこの作品を観たら感想も変わるのかなとは思いましたが、現時点ではそこまででした。
鑑賞日 4/3
鑑賞時間 11:40〜13:35
座席 G-2
黒澤監督作を変にいじる事なく良作。
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