生きる LIVINGのレビュー・感想・評価
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山高帽とフェドラ帽
伊藤雄之助が演じた遊び人風情をトムバークに充てたのもしっくりする人選だったが、Aimee Lou Woodがまさに小田切みきタイプだった。小田切みきタイプとは愛嬌があり単純かつ健全で、よく笑うからみんなにいじられる。──という感じの学内や職場や市井で人気者になるタイプの女性。生きるのポイントは死をまえにした志村喬が小田切みきのほとばしる”生”に励まされるところだ。オリバーハーマナス監督は生きるをよく観察している。むろん黒澤明のを知らなくてもくりくり目でビーバー前歯でぽちゃなAimee Lou Woodは魅力だった。
ビルナイは悪くなかったがなんとなくもっと泥臭い感じの役者のほうがいい気はした。
カズオイシグロの脚本はいいのかわるいのかわからないが、時代とその監修(衣装)と撮影がよかった。おそらく撮影はすごくいいと思う。
最初から古い映画の雰囲気ではじまり、縦横も4:3に切ってある。意図的に古い時代のことを話しているのが強調されていた。
なぜなら現代であれば貯金をおろして若い女性を買うという行為がバケットリストになりえるから。
余命宣告された人が美しいことを為すという保証はないし、現代ならもっとドライにとらえるかもしれない。
多様性や死生観の変化などによってリメイクするにしても現代劇にはできなかった──という感じが伝わってくる時代設定だった。つまりたまたまDQNがこれを見たなら「パパ活しっぱいするじじい」という感想を述べるかもしれない。映画なんてじぶんの好きに捉えればいいので「パパ活しっぱいするじじい」にもなるほどそういう見方もあるね──だが、そう見られないための時代設定なわけである。
公園の設立にみずから現地へおもむいて奮励している課長が、雨のなかへ足をふみだしたとき、懇請していた女性のひとりが傘をさしてあげるショットがそのまま使われている。
生きるをよく覚えていないがまた生きるを見たなら同じ構図がたくさん見つかるのかもしれない。
オリバーハーマナス監督は黒澤明をリメイクするという「恐怖心」をしっかり持っていて変なことは一切やっていなかった。そういうなんというか行儀のいい映画だが、黒澤明のリメイクなんて”行儀よく”以外にはやりようはないだろう──とは思った。
IMDB7.3、RottenTomatoes96%と84%。
RottenTomatoesの批評家は一様にナイを褒めているがいつものナイだったし志村喬の生きる体験者なら悪くないにとどまるのではなかろうかという気はする。
生きるは基本的に官僚主義者が改心して一念発起する話である。が、このリメイクを見るとどちらかといえばいい時代(とそこに生きるいい人)の話──に見えてしまう。
現代社会はたとえ事なかれ主義をつらぬくにしても、この時代よりも複雑で、死をまえにして何かを成しえるという状況にはならないだろう。いずれにしても現実的にはこんな事にはならないから生きるは一種のおとぎ話といえる。
しかし黒澤明の生きるは、というより生きるで課長を演じた志村喬は時代設定も公開年も作り話も超えてがつんと揺さぶるものがあった。ほかのことを忘れても何とも形容しがたい志村喬の表情は覚えている。そういうエピックの焼き増しだから個人的にはじょうずとかていねいなどの感想になった。が、Aimee Lou Woodはとてもよかった。
ビルナイってなんか指先に特徴出るんだよね。
どう生きるか?どう生きたか?
それは人間の永遠の命題だと思います。
黒澤明監督の不朽の名作1952年公開映画「生きる」が、
2022年英国でカズオ・イシグロの脚本、
ビル・ナイの主演で映画化されました。
とても嬉しく喜ばしい出来事です。
1952年。
イギリスも未だ戦後の復興途上で配給制度も残っていたそうです。
通勤のプラットフォームには山高帽に黒い仕立ての良いスーツに
ステッキの英国紳士が「通勤は私語禁止」と整然と並び
プラットフォームに入ってくるのは蒸気機関車です。
「生きる」の主役・ミスター・ゾンビとのあだ名を
部下のマーガレットから聞いて、納得して頷きつつも内心穏やかではない
市役所の市民課課のウィリアムズ氏。
ビル・ナイほどウィリアムズにふさわしい主役はいるでしょうか?
英国のレジェンド俳優を知ったのは
「アバウト・タイム~愛おしい時間について~」でした。
それからは好んで彼の出ている映画を観ました。
特に好きなのは「マリーゴールド・ホテルで会いましょう」
特にハンサムとも思えないのに妙にセクシーで印象に残ります。
ビル・ナイ。彼からは、生命力の薄さ・・・が匂います。
言ってしまうと、「いつ死んでもおかしくない」雰囲気の俳優。
あまりに痩せて見えるので、健康ではないのか?と危惧する程です。
カズオ・イシグロがビル・ナイのために書いたと語る脚本。
イシグロ氏は1930〜1940年代の英国映画がとても好き・・・
そう語り、
この映画もとてもクラシックな作りになっています。
スタンダードサイズの小さな画面。
クレジットの字体、エンドクレジットも古い映画そっくりです。
イギリスは建造物が立派ですから、日本版より高級な雰囲気を
感じます。
市役所の書類の山積みはオリジナルそのまま。
公園の新設を陳情に来る婦人たちに、
最初はウィリアムズ(ビル・ナイ)が課長をする市民課、
それからは、やれ土木課→水道課→公園課→下水道課→
とたらい回しになり、周り周って市民課へ戻る。
そして書類の山のてっぺんに置かれて先送りされてしまう。
程なくウィリアムズは余命宣告を受ける。
癌のため余命は6ヶ月から9ヶ月。
彼は妻の死後、正気を失い・・・
市民課の仕事を惰性でしかやって来なかった。
彼の心の中の虚しさ、やりきれなさが募るばかりです。
市民課の仕事が性に合わない部下のマーガレットを伴って、
映画を観たりランチを有名レストランで奢ったり・・・
その内にマーガレットから叱られて、
もう一度「生き生きと輝いてみよう」
そして何度も陳情に来た案件、
「子供たちの小さな空き地を遊び場にする」に、
本気で取り組むのです。
日本版とかなりよく似ています。
特に後半の30分は会話もほぼ同じ。
ウィリアムズの葬儀から、彼の残り時間を振り返る構成。
市民課の部下たちが、
「あの遊び場はウィリアムズ課長の功績か?」
と、話し合っている。
そしてウィリアムズがいかに粘り強く交渉に当たり、
実現する過程が再現映像で描かれる。
そしてラスト。
ウィリアムズは自分のただ一つ満足して
振り返れる仕事・・・
雪の降りしきる寒い夜、公園のブランコに座り、
妻の故郷スコットランド民謡「ナナカマドの木」
それを歌いながらウィリアムズは永眠する。
「早くお帰りください」とお声を掛ければ・・・
そう嘆くポリスマンが部下の新人ピーターに言う。
「本当に幸せそうでした」と。
☆☆☆
志村喬の歌う「ゴンドラの唄」
こちらも素晴らしいラストでした。
改めて生きるって何か考えた。
生きるって、生きていることってなに?どんな状態?この映画を見て改めて考えさせられた。人間っておいさき短いと知った時、こんなにパワフルになり、物事を成しとけることができるの?結局は子供のための公園に尽力を尽くしたけど、ウィリアムズ(ビル・ナイ)は初めは子供のためにと考えたわけじゃない。自分で生きがいを見つけたかったわけだ。信念を持ってやり遂げたことが何もなかったから。こんなことを考えながらもこの映画は泣けた。
公務員のウィリアムズは元部下であるマーガレット(エイミー・ルー・ウッド)に自分の苦しい気持ちを伝えることができたというということが生きる気力を導き出したということだと思った。この喫茶店でのシーンはマーガレットと同様に泣けてしまった。マーガレットの優しい眼差しが、私の心も癒してくれた。ありがとう、マーガレット、ウィリアムが言いたくなるまで待って、そして、聞いてあげてくれて。息子、マイケルの代わりに聞いてあげてくれて。
レストランであった通りすがりの男にも自分の心の中を見せたがウイリアムズに生きる決心させるものはなかった。一人で息子を育て、無気力のお役所仕事を長く続けすぎて、心が凍りついてしまい、息子にも心の中を見せることができなかった。というより、言い出すチャンスをつかめなかったのかもしれない。息子だって聞く耳をもってなかったわけじゃない。「若い女と一緒に?」という先入観に囚われすぎていたのだ。『息子は自分のことでいっぱいだから』と言って息子を思いやり躊躇してしまうウイリアムズ。お父さんだね。
黒澤明の『生きる』から生きるっていうことをこの映画ほどは感じ取れなかった。なぜかというと、例えば、葬儀の通夜のシーンでの日本社会の縮図(お役所仕事、公園建設は誰の功績かを謙遜し合っていうが、自分の功績にしたがる上司などなど)が見られ、おかしくなってしまって、個人の心の中より、第二次世界大戦後の社会構図の方に興味があった。それが、また、現状維持という名で今も?続いていっていることを皮肉っているのに興味があった。
そして、また戦後の歴史の人間模様を天下の黒澤は的確に描いている。それが『お笑いのような、バカさ加減』になり手にとるようにわかる。それに対比した志村喬のクソ真面目な演技が心を打った。
しかし、この映画では当時、男はよく新聞を読んでいて、上司の前では閉じて会釈する。それに回りくどいような肩っくるしい英語はなるほどと思うが、その反面この映画のロンドンの戦後の復興時代は私は何もしらない。文化を知らなすぎたので、文化背景を知って映画を鑑賞するより、もっと普遍的な人間性や人間関係に注意を向けることができた。
例えば、ウィリアムズ人間の生き方、特にウイリアムズの葛藤が手に取るようにわかり、彼は聞いてもらうことによって癒やされ、次のステップに行ける力強さに感動した。それに、彼の部下の通勤列車の中の会話も酒が入ってないせいか(黒澤のは通夜で酒の場)真剣に聞こうとしている自分に気がついた。イシグロの脚本は当時のイギリス文化を上手に取り入れ、黒澤明の『生きる』の良さを十二分に生かした秀作だ。ビル・ナイも志村喬と同様、演技派だ。うまい。
生きることなく人生を終えたくない 2本立て1本目。余命を言い渡され...
自分を大切にして生きることの難しさ
黒沢明監督「生きる」のイギリス版リメイク。
黒沢監督のオリジナルは見れておらず比較できないが、多くの人が原作への敬意が感じられる良作と評価している通り、とても優れた作品だった。日本生まれイギリス育ちのカズオ・イシグロの脚本によるところも大きいだろう。
1953年のロンドンが舞台である本作のオープニングは、当時の実録映像から始まり、映画の舞台へとシームレスにつながっていく作りで、古き良き時代のロンドンに一気に引き込まれていった。とは言え、ただの回顧主義的な話にとどまらず、現代の私たち、もっと若い人たちにも響く余韻がある作品だったと思う。
余命宣告を受けた公務員一筋の主人公のウイリアムズは、バイタリティに溢れる若手社員のマーガレットの生き方に感銘を受ける。でも彼女は決して誰かを元気にするつもりなんかなくて、ただありのままに自分を大切にして生きているだけなのだ。それって簡単なようでいてとても難しいことのように感じた。私は、私が後悔しない人生を送れているだろうか、今からでもそういう生き方はできるだろうか。
主演のビル・ナイの憂いある表情やハットを被った佇まいに、何故か他界した祖父の面影が重なり、ホロリと涙してしまった。
黒沢版オリジナル作品も見たい。
映画らしい映画とはこういう作品のことを言うんだろう。 普遍になって...
英国紳士としての「矜持」という生き様
あの黒澤明の大傑作がノーベル賞作家カズオ・イシグロ脚本で甦る……という超豪華リメイク。
ただ、いくらなんでもリメイク元が名作すぎる上に「原典の志村喬に対してビル・ナイって配役はいくらなんでも格好良すぎないか?」と観る前は不安でしたが、こちらは「英国紳士としての生き様」という別の一本芯を入れて見事に成り立たせています。
前半は驚くほど黒澤版に忠実に進みます。たらい回しのお役所仕事描写に、作家に遊び方を聞いて羽目を外そうとするウィリアムズ(原典の渡邊)、息子に胃がんについて話を切り出そうとするもお互いに中々話せないもどかしさ……黒澤版と同じおかしみに溢れています。
病院で医者に胃がんの申告を遠回しにされる部分くらいですかね、オミットされたの。
まあ、医者が胃がんをハッキリ伝えないとか現在だと医療倫理的にどうなんだろう(一応、本作の時代設定も1950年代のままですが…)とか、そもそもお国柄的に迂遠な申告はしないのかもなとか色々ありそうですけどね、この辺。
ただ、リメイクなんで当然ですが、しっかり英国の美に合わせた画作りをしているのは美しいです。
集団が画一的な存在に成っている…って表現である朝の通勤ラッシュ描写が、スラッとした黒スーツに山高帽というお洒落さで異様に格好良いです。こればかりは「英国紳士だから」こそ出来た絵面なのでズルさすら感じますね……この場面はどう足掻いても日本人じゃサマにならないからネ……
スクリーンサイズも当時のスタンダート・サイズ(1:1.37)に近しくしていますし、冒頭のスタッフロールは完全なスタンダート・サイズと当時を思わせる画質で、往年の「名画」を観ているって感じで嬉しい。『七人の侍』のリメイクだったらフルスクリーンで観たいですが、本作に関してはなんぼ小さくしたって良いですからね!
演出も全体的に抑えてあり、前述の胃がん問答といった黒澤版の滑稽な描写は極力オミットして雰囲作りに注力している印象があります。
原典から決定的にズラしたのは職場の女の子との関係性と主人公の変化の仕方でしょう。
原典ではおもちゃ会社に再就職した彼女の何気ない「何か作れば?」の一言に渡邊は天恵を得て、ハッピーバースデーの歌と共に「生まれ変った」受動的な変化でした。
しかし、こちらではウィリアムズは彼女に息子にすら打ち明けなかった余命の話を打ち明け、自ら納得して「生まれ変わる」という能動的な変化となっています。
そのため、原典と違ってウィリアムズと強い繋がりを得た彼女も葬式に参列することになります。
僕が黒澤版で一番スゲェーな……って思ったの、二部構成のうち二部からは主人公が既に故人で、すっぱり抜け落ちた彼の公園建設の過程を遺された人々の通夜の会話で1時間展開させたことなんですよ。
前述通り、変化のきっかけとなった女の子も不在だから、主人公の生き様は類推でしか察せられない「聖域」と化しています。
ところが、本作は死後のシーンは30分足らず。
上司がウィリアムズの手柄を横取りする場面や、公園作りを陳情しに来たマダムたちの焼香(英国だから参列か)も一応ありますがサラッと流していて、その構成に拘っているわけではありません。
しかも、ウィリアムズが死に際に何を感じていたのかを、自分でまとめてそれを女の子と手紙を託した新人に伝えている…というように、描き方自体を根本から変えているんですね。そのため、ウィリアムズの遺志を(想像して)継ぐも、結局死に臨んだ人間の行動は模倣できずに流されたシニカルな黒澤版から結末も変わっています。
即ち女の子と新人の役割は「継承先」へ、公園の意味は自分のような「生ける屍(ゾンビ)」を生み出さないための次世代への目線に再解釈。そのため、後半からは黒澤版を大きく汲みつつも全く別の話となっています。
この辺の改変、下手にやると陳腐というか「想いは受け継がれる」という安直な話に堕してしまう恐れがあるんですけど、本作においてはウィリアムズが「英国紳士になりたかった」という一本芯を通したことでかなり筋が通っているように感じましたね。
流されやすい日本人である渡邊は死に臨んで天啓を得て自分だけの「聖域」を築きましたが、英国紳士であるウィリアムズは死に臨んでも慌てずに何が出来るかを精一杯考えて納得する「矜持」を持つに至りました。
だからこそ、ウィリアムズは自分がこれからやることを言語化して他者にハッキリ伝えましたし、作品自体も見事に「継承の物語」への換骨奪胎を遂げることに繋がったのです。
ただその場合、黒澤版のシニカルなオチ部分は別に入れる必要はなかったかな……
本作ではその部分、希望のある継承の物語に変換した大オチに対する中オチにあたるんですけど、別に入れなくても良い場面になってるんですよね。
特に原典でのあの場面、通夜の席で酔った部下達がその場のノリで宣言したから翌朝には元の木阿弥だった…って風にも取れるようになっているのが秀逸で、対して通夜での酒宴の文化のない英国版だとシラフで宣言したのに、翌朝には元に戻ってるのはちょっと薄情とも取れちゃうからね……
それでも、原典の要点を正確に理解して、それを英国流にズラした上で相応しい様式に変えた脚本の出来は実に見事でした。
これは日本出身イギリス在住の作家であるカズオ・イシグロだからこそ出来たとも言えるでしょうね。その非常に丁寧で良質な仕事ぶりに拍手喝采です。
オリジナルをイギリスチックに、シャープに、しかし“生きる”の意味はそのままに
黒澤明監督作品の中でも名作のひとつに数えられると言われる「生きる(1952)」。自分もこの作品が好きなんですが、それをノーベル賞作家:カズオ・イシグロが脚色しイギリスでリメイクするとなったときは「観たい!」の一言。そして本作のポスター絵からにじみ出る、“名作の予感”・・・。そして映画が始まるとそれが確信に変わっていきます。まずオープニングから1950年代を匂わす画作りが素敵。昔の映画のようにスタッフ/キャストのクレジットが出てくるんです。しかもいつの時代のカメラを使ってるんやと思ってしまう画の粗さがまた時代の雰囲気づくりに一役担っている点も好ポイント。序盤の掴みが地味だが上手い。
そして観終わった後、
“素晴らしい・・・”を感嘆するように思う自分が居りました。
あらすじとしては、真面目一徹な男が長年役所仕事で画一的な生活を送っている。そんな男が急に病により余命宣告され、いざ息子に言おうにも出てくる言葉が見つからない。最後の人生楽しもうにもそのやり方がわからず、試しにいろんな事をやっても空虚。そんな男が若い女性と出会い、一日を明るく過ごす姿を見て自分と比べて悲しく思う。「自分に出来ることなど・・・」その時、自分の立場を使ってやれることに気づき、奔走し始める・・・てな感じです。
人は、気づかぬうちは誰しも凡庸に日々を過ごし、変わらない生活を続けている。そしてそれに慣れ、麻痺している。しかし“死”を悟ると初めて思うのです、「今まで自分は何してきたのか?」「死んだまま生きてる、むなしいじゃないか」と。人生の大切さを、“死”の淵に立って気づくんです。
たしかに・・・!
正直自分も日々を大切に過ごしているかと言えばそうではないかもしれない。目の前のことに囚われて、無難に生きている。しかし、
実感しないとわからんよね、ていう風刺も利いているところがポイント。
結局、“死”は非日常なんです。それを感じて生きるなど、死の宣告をされる以外ないんです。一時期「この人のように一日精一杯頑張らなきゃ」と思っても、いつかは日常に慣れ、いつもに戻る。この風刺がたまらなく好きなんです。優等生には終わらない、人間のダメな部分をきっちり描く点が良いですね。
本作は、黒澤監督のオリジナルと比べると、重厚感には欠ける部分があります。しかし言い換えれば流れるように、シャープなスタイルで描かれている
感じがして、個人的には観やすいと思います。
しかし要点なる部分は、なにも欠けてはいません。
また、死の淵に立たされた男の難しい心境を、本作ではビル・ナイが演じております。この俳優、
なんと巧い事か・・・!
ロボットのような雰囲気から、悲壮感と誰にも言えない胸の内の苦しさを表情から滲ませる。しかし驚くのは若い女性に全てを打ち明けた後、自分がすべきことを見つけた時の表情だ。その表情の切り替わりは、まさに土砂降りの雨が止んだ後に綺麗な青空を見たかのような、一点の曇りなし。
圧倒された。その一言でございます。
その後のハツラツとした動きも含め、本当に素晴らしい役者でございます。
また、役所の新人役で出てきたアレックス・シャープ。若い俳優なんだなと思いながら結構自然体に、強く出てくることなく上手くなじんだ演技が妙にハマる。観ていて違和感のない存在。この名前は覚えておこうかな。
オリジナルから70年経ってリメイクされた本作。シャープに観やすくなって、それでいて「生きる」という意味を改めて感じる作品でした。でも、こうしてレビューを書いてる間にも「生きる」が慣れてきてしまうんだろうなぁ。それでも、「目的は見失わない」よう心がけよう。
生きる意味
最近気力がなくて映画あんまり観てなかった
大好きなビル・ナイの主演でずっと観たいと思っていたのにようやく観ることができました
よかった…
淡々と仕事をこなす日々を送っていた男が余命を知り自らの人生を見つめ直す物語
私は生きる意味とか理由とかいう言葉が好きではない
『そんなものがなきゃ生きられないのか😡それが知りたきゃ足掻け!全力で生きてみろ!!』と思っているからだ
でもMr.ウィリアムズは見つけた
そこからの奮闘はダイジェストのように短かったけれどゾンビから力のある意志をもった紳士になった彼は凄く魅力的だった
他人の生き方を変えてしまうほどに
最期を知り、人生が輝く。
自分もそう生きたいと思った
気になる人物はサザーランド
まだ足掻いている途中だったMr.ウィリアムズしか見ていなかったと思うけど彼も生き方を見つめ直し始めたと思いたい
黒澤版生きるは未視聴だけどいつか観たいと思います
いや…先延ばしせずに探して観るぞ😃
過去を描く脚本が素晴らしい
黒澤明監督の「生きる」は未鑑賞のため原作との比較は出来ないが、リメイクされた本作も素晴らしい作品であることは間違いない。
特に素晴らしいのは過去を描いていく脚本。過去の出来事を振り返っていく逆展開の発想が非常に興味深く印象的でした。己の最期を知って人生を輝かせる主人公の生き方に強く共感しました。
2023-69
国を越え、時代を越えて、響くテーマ。
通常スクリーンで鑑賞(字幕)。
オリジナル版は鑑賞済み。
ビル・ナイの演技が胸を打つ。死までに残された時間をどう過ごすか苦悩する姿の痛ましさの表現が素晴らしく、生きることの意味を見出した後の変化が感動的でした。
それまでは消え入りそうだった声に少しハリが出、その眼差しからも「成すべきことを成そう」と云う決意が溢れていて、志村喬の演技に通じる深みと繊細さがありました。
オリジナル版に多大な敬意が払われていることがひしひしと感じられました。日本で生まれた作品が別の国で、このような最良の形でリメイクされることは、日本人として非常に誇らしい気持ちになりました。国を越え、時代を越えて響く、生きるとは何かと云う問い掛けが沁みました。
※修正(2024/02/18)
自分の人生に求めること
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