生きる LIVINGのレビュー・感想・評価
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改めて生きるって何か考えた。
生きるって、生きていることってなに?どんな状態?この映画を見て改めて考えさせられた。人間っておいさき短いと知った時、こんなにパワフルになり、物事を成しとけることができるの?結局は子供のための公園に尽力を尽くしたけど、ウィリアムズ(ビル・ナイ)は初めは子供のためにと考えたわけじゃない。自分で生きがいを見つけたかったわけだ。信念を持ってやり遂げたことが何もなかったから。こんなことを考えながらもこの映画は泣けた。
公務員のウィリアムズは元部下であるマーガレット(エイミー・ルー・ウッド)に自分の苦しい気持ちを伝えることができたというということが生きる気力を導き出したということだと思った。この喫茶店でのシーンはマーガレットと同様に泣けてしまった。マーガレットの優しい眼差しが、私の心も癒してくれた。ありがとう、マーガレット、ウィリアムが言いたくなるまで待って、そして、聞いてあげてくれて。息子、マイケルの代わりに聞いてあげてくれて。
レストランであった通りすがりの男にも自分の心の中を見せたがウイリアムズに生きる決心させるものはなかった。一人で息子を育て、無気力のお役所仕事を長く続けすぎて、心が凍りついてしまい、息子にも心の中を見せることができなかった。というより、言い出すチャンスをつかめなかったのかもしれない。息子だって聞く耳をもってなかったわけじゃない。「若い女と一緒に?」という先入観に囚われすぎていたのだ。『息子は自分のことでいっぱいだから』と言って息子を思いやり躊躇してしまうウイリアムズ。お父さんだね。
黒澤明の『生きる』から生きるっていうことをこの映画ほどは感じ取れなかった。なぜかというと、例えば、葬儀の通夜のシーンでの日本社会の縮図(お役所仕事、公園建設は誰の功績かを謙遜し合っていうが、自分の功績にしたがる上司などなど)が見られ、おかしくなってしまって、個人の心の中より、第二次世界大戦後の社会構図の方に興味があった。それが、また、現状維持という名で今も?続いていっていることを皮肉っているのに興味があった。
そして、また戦後の歴史の人間模様を天下の黒澤は的確に描いている。それが『お笑いのような、バカさ加減』になり手にとるようにわかる。それに対比した志村喬のクソ真面目な演技が心を打った。
しかし、この映画では当時、男はよく新聞を読んでいて、上司の前では閉じて会釈する。それに回りくどいような肩っくるしい英語はなるほどと思うが、その反面この映画のロンドンの戦後の復興時代は私は何もしらない。文化を知らなすぎたので、文化背景を知って映画を鑑賞するより、もっと普遍的な人間性や人間関係に注意を向けることができた。
例えば、ウィリアムズ人間の生き方、特にウイリアムズの葛藤が手に取るようにわかり、彼は聞いてもらうことによって癒やされ、次のステップに行ける力強さに感動した。それに、彼の部下の通勤列車の中の会話も酒が入ってないせいか(黒澤のは通夜で酒の場)真剣に聞こうとしている自分に気がついた。イシグロの脚本は当時のイギリス文化を上手に取り入れ、黒澤明の『生きる』の良さを十二分に生かした秀作だ。ビル・ナイも志村喬と同様、演技派だ。うまい。
生きることなく人生を終えたくない 2本立て1本目。余命を言い渡され...
生きることなく人生を終えたくない
2本立て1本目。余命を言い渡された男の悲哀、覚悟。明日は我が身(笑)
残りの人生、いかに充実したものにすべきか。
働いて、働いて、その後は施設に。老後の施設代を稼ぐための人生なんて嫌だ。年金支給はどんどん遅くなり、ただ働くだけの人生、嫌だ嫌だ。
だいたいみんな働きすぎなんだよ、政府の思う壺。遊ぶぞー(笑笑)
本作、死んだあとが良かった。完璧なリメイクらしい。元作未見、死ぬまでに絶対楽しみたい。
自分を大切にして生きることの難しさ
黒沢明監督「生きる」のイギリス版リメイク。
黒沢監督のオリジナルは見れておらず比較できないが、多くの人が原作への敬意が感じられる良作と評価している通り、とても優れた作品だった。日本生まれイギリス育ちのカズオ・イシグロの脚本によるところも大きいだろう。
1953年のロンドンが舞台である本作のオープニングは、当時の実録映像から始まり、映画の舞台へとシームレスにつながっていく作りで、古き良き時代のロンドンに一気に引き込まれていった。とは言え、ただの回顧主義的な話にとどまらず、現代の私たち、もっと若い人たちにも響く余韻がある作品だったと思う。
余命宣告を受けた公務員一筋の主人公のウイリアムズは、バイタリティに溢れる若手社員のマーガレットの生き方に感銘を受ける。でも彼女は決して誰かを元気にするつもりなんかなくて、ただありのままに自分を大切にして生きているだけなのだ。それって簡単なようでいてとても難しいことのように感じた。私は、私が後悔しない人生を送れているだろうか、今からでもそういう生き方はできるだろうか。
主演のビル・ナイの憂いある表情やハットを被った佇まいに、何故か他界した祖父の面影が重なり、ホロリと涙してしまった。
黒沢版オリジナル作品も見たい。
映画らしい映画とはこういう作品のことを言うんだろう。 普遍になって...
映画らしい映画とはこういう作品のことを言うんだろう。
普遍になってしまうことが少し寂しい気がするが、やはり普遍なんだろう。
ただ、もし気が付いた人が若者だったとしたら、それは苦難の人生になるだろうから、なかなかに希望のような絶望のような夢のような物語であるなと思った。
英国紳士としての「矜持」という生き様
あの黒澤明の大傑作がノーベル賞作家カズオ・イシグロ脚本で甦る……という超豪華リメイク。
ただ、いくらなんでもリメイク元が名作すぎる上に「原典の志村喬に対してビル・ナイって配役はいくらなんでも格好良すぎないか?」と観る前は不安でしたが、こちらは「英国紳士としての生き様」という別の一本芯を入れて見事に成り立たせています。
前半は驚くほど黒澤版に忠実に進みます。たらい回しのお役所仕事描写に、作家に遊び方を聞いて羽目を外そうとするウィリアムズ(原典の渡邊)、息子に胃がんについて話を切り出そうとするもお互いに中々話せないもどかしさ……黒澤版と同じおかしみに溢れています。
病院で医者に胃がんの申告を遠回しにされる部分くらいですかね、オミットされたの。
まあ、医者が胃がんをハッキリ伝えないとか現在だと医療倫理的にどうなんだろう(一応、本作の時代設定も1950年代のままですが…)とか、そもそもお国柄的に迂遠な申告はしないのかもなとか色々ありそうですけどね、この辺。
ただ、リメイクなんで当然ですが、しっかり英国の美に合わせた画作りをしているのは美しいです。
集団が画一的な存在に成っている…って表現である朝の通勤ラッシュ描写が、スラッとした黒スーツに山高帽というお洒落さで異様に格好良いです。こればかりは「英国紳士だから」こそ出来た絵面なのでズルさすら感じますね……この場面はどう足掻いても日本人じゃサマにならないからネ……
スクリーンサイズも当時のスタンダート・サイズ(1:1.37)に近しくしていますし、冒頭のスタッフロールは完全なスタンダート・サイズと当時を思わせる画質で、往年の「名画」を観ているって感じで嬉しい。『七人の侍』のリメイクだったらフルスクリーンで観たいですが、本作に関してはなんぼ小さくしたって良いですからね!
演出も全体的に抑えてあり、前述の胃がん問答といった黒澤版の滑稽な描写は極力オミットして雰囲作りに注力している印象があります。
原典から決定的にズラしたのは職場の女の子との関係性と主人公の変化の仕方でしょう。
原典ではおもちゃ会社に再就職した彼女の何気ない「何か作れば?」の一言に渡邊は天恵を得て、ハッピーバースデーの歌と共に「生まれ変った」受動的な変化でした。
しかし、こちらではウィリアムズは彼女に息子にすら打ち明けなかった余命の話を打ち明け、自ら納得して「生まれ変わる」という能動的な変化となっています。
そのため、原典と違ってウィリアムズと強い繋がりを得た彼女も葬式に参列することになります。
僕が黒澤版で一番スゲェーな……って思ったの、二部構成のうち二部からは主人公が既に故人で、すっぱり抜け落ちた彼の公園建設の過程を遺された人々の通夜の会話で1時間展開させたことなんですよ。
前述通り、変化のきっかけとなった女の子も不在だから、主人公の生き様は類推でしか察せられない「聖域」と化しています。
ところが、本作は死後のシーンは30分足らず。
上司がウィリアムズの手柄を横取りする場面や、公園作りを陳情しに来たマダムたちの焼香(英国だから参列か)も一応ありますがサラッと流していて、その構成に拘っているわけではありません。
しかも、ウィリアムズが死に際に何を感じていたのかを、自分でまとめてそれを女の子と手紙を託した新人に伝えている…というように、描き方自体を根本から変えているんですね。そのため、ウィリアムズの遺志を(想像して)継ぐも、結局死に臨んだ人間の行動は模倣できずに流されたシニカルな黒澤版から結末も変わっています。
即ち女の子と新人の役割は「継承先」へ、公園の意味は自分のような「生ける屍(ゾンビ)」を生み出さないための次世代への目線に再解釈。そのため、後半からは黒澤版を大きく汲みつつも全く別の話となっています。
この辺の改変、下手にやると陳腐というか「想いは受け継がれる」という安直な話に堕してしまう恐れがあるんですけど、本作においてはウィリアムズが「英国紳士になりたかった」という一本芯を通したことでかなり筋が通っているように感じましたね。
流されやすい日本人である渡邊は死に臨んで天啓を得て自分だけの「聖域」を築きましたが、英国紳士であるウィリアムズは死に臨んでも慌てずに何が出来るかを精一杯考えて納得する「矜持」を持つに至りました。
だからこそ、ウィリアムズは自分がこれからやることを言語化して他者にハッキリ伝えましたし、作品自体も見事に「継承の物語」への換骨奪胎を遂げることに繋がったのです。
ただその場合、黒澤版のシニカルなオチ部分は別に入れる必要はなかったかな……
本作ではその部分、希望のある継承の物語に変換した大オチに対する中オチにあたるんですけど、別に入れなくても良い場面になってるんですよね。
特に原典でのあの場面、通夜の席で酔った部下達がその場のノリで宣言したから翌朝には元の木阿弥だった…って風にも取れるようになっているのが秀逸で、対して通夜での酒宴の文化のない英国版だとシラフで宣言したのに、翌朝には元に戻ってるのはちょっと薄情とも取れちゃうからね……
それでも、原典の要点を正確に理解して、それを英国流にズラした上で相応しい様式に変えた脚本の出来は実に見事でした。
これは日本出身イギリス在住の作家であるカズオ・イシグロだからこそ出来たとも言えるでしょうね。その非常に丁寧で良質な仕事ぶりに拍手喝采です。
オリジナルをイギリスチックに、シャープに、しかし“生きる”の意味はそのままに
黒澤明監督作品の中でも名作のひとつに数えられると言われる「生きる(1952)」。自分もこの作品が好きなんですが、それをノーベル賞作家:カズオ・イシグロが脚色しイギリスでリメイクするとなったときは「観たい!」の一言。そして本作のポスター絵からにじみ出る、“名作の予感”・・・。そして映画が始まるとそれが確信に変わっていきます。まずオープニングから1950年代を匂わす画作りが素敵。昔の映画のようにスタッフ/キャストのクレジットが出てくるんです。しかもいつの時代のカメラを使ってるんやと思ってしまう画の粗さがまた時代の雰囲気づくりに一役担っている点も好ポイント。序盤の掴みが地味だが上手い。
そして観終わった後、
“素晴らしい・・・”を感嘆するように思う自分が居りました。
あらすじとしては、真面目一徹な男が長年役所仕事で画一的な生活を送っている。そんな男が急に病により余命宣告され、いざ息子に言おうにも出てくる言葉が見つからない。最後の人生楽しもうにもそのやり方がわからず、試しにいろんな事をやっても空虚。そんな男が若い女性と出会い、一日を明るく過ごす姿を見て自分と比べて悲しく思う。「自分に出来ることなど・・・」その時、自分の立場を使ってやれることに気づき、奔走し始める・・・てな感じです。
人は、気づかぬうちは誰しも凡庸に日々を過ごし、変わらない生活を続けている。そしてそれに慣れ、麻痺している。しかし“死”を悟ると初めて思うのです、「今まで自分は何してきたのか?」「死んだまま生きてる、むなしいじゃないか」と。人生の大切さを、“死”の淵に立って気づくんです。
たしかに・・・!
正直自分も日々を大切に過ごしているかと言えばそうではないかもしれない。目の前のことに囚われて、無難に生きている。しかし、
実感しないとわからんよね、ていう風刺も利いているところがポイント。
結局、“死”は非日常なんです。それを感じて生きるなど、死の宣告をされる以外ないんです。一時期「この人のように一日精一杯頑張らなきゃ」と思っても、いつかは日常に慣れ、いつもに戻る。この風刺がたまらなく好きなんです。優等生には終わらない、人間のダメな部分をきっちり描く点が良いですね。
本作は、黒澤監督のオリジナルと比べると、重厚感には欠ける部分があります。しかし言い換えれば流れるように、シャープなスタイルで描かれている
感じがして、個人的には観やすいと思います。
しかし要点なる部分は、なにも欠けてはいません。
また、死の淵に立たされた男の難しい心境を、本作ではビル・ナイが演じております。この俳優、
なんと巧い事か・・・!
ロボットのような雰囲気から、悲壮感と誰にも言えない胸の内の苦しさを表情から滲ませる。しかし驚くのは若い女性に全てを打ち明けた後、自分がすべきことを見つけた時の表情だ。その表情の切り替わりは、まさに土砂降りの雨が止んだ後に綺麗な青空を見たかのような、一点の曇りなし。
圧倒された。その一言でございます。
その後のハツラツとした動きも含め、本当に素晴らしい役者でございます。
また、役所の新人役で出てきたアレックス・シャープ。若い俳優なんだなと思いながら結構自然体に、強く出てくることなく上手くなじんだ演技が妙にハマる。観ていて違和感のない存在。この名前は覚えておこうかな。
オリジナルから70年経ってリメイクされた本作。シャープに観やすくなって、それでいて「生きる」という意味を改めて感じる作品でした。でも、こうしてレビューを書いてる間にも「生きる」が慣れてきてしまうんだろうなぁ。それでも、「目的は見失わない」よう心がけよう。
生きる意味
最近気力がなくて映画あんまり観てなかった
大好きなビル・ナイの主演でずっと観たいと思っていたのにようやく観ることができました
よかった…
淡々と仕事をこなす日々を送っていた男が余命を知り自らの人生を見つめ直す物語
私は生きる意味とか理由とかいう言葉が好きではない
『そんなものがなきゃ生きられないのか😡それが知りたきゃ足掻け!全力で生きてみろ!!』と思っているからだ
でもMr.ウィリアムズは見つけた
そこからの奮闘はダイジェストのように短かったけれどゾンビから力のある意志をもった紳士になった彼は凄く魅力的だった
他人の生き方を変えてしまうほどに
最期を知り、人生が輝く。
自分もそう生きたいと思った
気になる人物はサザーランド
まだ足掻いている途中だったMr.ウィリアムズしか見ていなかったと思うけど彼も生き方を見つめ直し始めたと思いたい
黒澤版生きるは未視聴だけどいつか観たいと思います
いや…先延ばしせずに探して観るぞ😃
過去を描く脚本が素晴らしい
黒澤明監督の「生きる」は未鑑賞のため原作との比較は出来ないが、リメイクされた本作も素晴らしい作品であることは間違いない。
特に素晴らしいのは過去を描いていく脚本。過去の出来事を振り返っていく逆展開の発想が非常に興味深く印象的でした。己の最期を知って人生を輝かせる主人公の生き方に強く共感しました。
2023-69
国を越え、時代を越えて、響くテーマ。
通常スクリーンで鑑賞(字幕)。
オリジナル版は鑑賞済み。
ビル・ナイの演技が胸を打つ。死までに残された時間をどう過ごすか苦悩する姿の痛ましさの表現が素晴らしく、生きることの意味を見出した後の変化が感動的でした。
それまでは消え入りそうだった声に少しハリが出、その眼差しからも「成すべきことを成そう」と云う決意が溢れていて、志村喬の演技に通じる深みと繊細さがありました。
オリジナル版に多大な敬意が払われていることがひしひしと感じられました。日本で生まれた作品が別の国で、このような最良の形でリメイクされることは、日本人として非常に誇らしい気持ちになりました。国を越え、時代を越えて響く、生きるとは何かと云う問い掛けが沁みました。
※修正(2024/02/18)
自分の人生に求めること
「夕方まで遊び、母親が呼びに来たときに帰りたくないと言いたい。」
「呼びに来られるのを待つのではなく」
それはそうと、役人なら普段から市民のために働いてほしい。
自分の最後を意味あるものにするためにではなく。
共感できないこと
全体的にはすごくよかったし、ラストも良かったと思います。オリジナルは昔見たけど、あまりはっきり覚えてなくて、どのへんが違うのかはわからなかったですが、どうしても共感できないことがあって、中盤は少し冷めた目で見ていました。それは、主人公が余命宣告をされたあとに、仕事を無断欠勤したことです。それだけショックだったことを表現したかったのかもしれないですが、公務員が1日無断欠勤するだけでも大変なことなのに、カレンダーがめくれるシーンから推測すると、1ヶ月ほど無断欠勤してたことになりますよね? もしそうなら、普通は大騒ぎになっているし、懲戒解雇になっているはずです。それなのに周りはたいして騒ぎもせず、いきなり戻ってきて一方的に「ついてこい」と言われて、あんなに簡単に従うのは不自然だと思いました。それともこの映画の時代設定が現代よりも鷹揚で、それぐらいは許されていたということでしょうか? その部分がちゃんと有休を使うなど、もっとリアリティがあった方がより共感できたと思います。
古き良き50年代のロンドンを観るだけで幸せ。
私たちは、今の生活がまだまだ続くと思っています。
目の前のやるべき仕事や家事、時間つぶしのSNSやゲーム、スマホに、貴重な人生を消費しています。
自分の余命が分かったら…、自分の本心と向き合わざるを得ない。
私は、余命が分かったら、まず、自分の後始末をします。
動産・不動産を現金化して、財産関係を整理します。
これは、祖父母、大叔母、叔父、両親の後始末をしてきた私の、最期の子どもたちへのプレゼントです。
それから、ひとりでヨーロッパに飛び立って、毎日日記をつけながら好きなだけかの地を堪能します。
誰かのために何かをするというより、最期のボーナスステージを存分に楽しみたい。
子どもを産んできっちり育てただけで、社会への貢献は十分かなと思ってます
(*^-^*)
そう、余命宣告受けなくても、あと1年しか生きられないとしたら今日、どうする?と自分に問いかけてみよう。
そしたら、多分、やりたいことはいくらでも浮かんでくるはず。
この映画を観て、30年以上前、学生時代に滞在したイギリスの風景を思い出しました、懐かしい。
コンパートメント式の列車、駅の風景、ダブルデッカー、ピカデリーサーカス、イギリス紳士。
うーん、やっぱり、イギリスが好き。
オリンピックで便利に様変わりしちゃった今のロンドンでもいいので、来年、行きたいです。
少しは円高になっているといいなあ(切実)。
抑制の効いた多くの人に見てもらいたい誠実な映画。
黒澤明監督の「生きる」は20代の頃に見た。もちろん封切り時ではないが、公務員として働き始めた時でいわゆるお役所仕事がユーモラスに描かれ、そこに突然激変する課長が新たな事業に取り組むというとても印象に残った映画であった。
自分もこうならねばならぬと思ったものだ。
今回の映画は、舞台をイギリスに移し時代もほぼ同じ1950年代前半である。お役所仕事的な日本の地方公務員とは違って身なりはとてもキチンとしていて言葉遣いもよく皆さん紳士であった。そのような状況でどのように黒澤映画をリメイクするのかと思いながら見ていた。大枠のストーリーは同じであったと思う。
個人的には日本語での微妙な言葉のやり取りや志村喬の表情などが、ユーモラスなシーンなどもあるのだが、英語の映画であることもあって印象のインパクトが違った。それは多分に言葉の違いなのであるが。
アメリカ人の友人と行ったが、彼も感動してくれて涙が出るシーンもいろいろあったといいう。特にラストシーンの意味するところに印象が残ったようだ。また年齢的にどう終末を迎えるかも考えさせられると。自分はその日をしっかり生きていくことを心掛けていると。
私も単純に「感動した!」というのではなく、自分に置き換えてどう生きていき、どう終末を迎えていくのか。感情を抑え、地味ではあるがいい映画であった。多くの働く人たち、高齢者だけでなく若い人たちにも見てもらいたい。
生きるとは、誰かのために行動することかな
1953年のロンドンで、仕事一筋に生きてきた公務員のウィリアムズは、妻を亡くした後も再婚せず、息子は結婚して同居してるが、人生は空虚で無意味なものと感じていた。そんなある日、ガンに冒され医師から余命半年と宣告された。残りの人生を充実したものにしたいと考えたウィリアムズは、仕事を無断欠勤し、預金をおろし、海辺のリゾート地へ来て、睡眠薬を欲しがってた男性と出会い酒を飲んだり、馬鹿騒ぎしてみたが、こんなことでは満たされないと知った。ロンドンへ戻った彼はかつての部下マーガレットと再会し、活動的な彼女と一緒に食事をしたり、映画を観たりして過ごす中で、自分も新しい一歩を踏み出そうと決意し、陳情の有った公園づくりに着手した。そんな話。
日本版のリメイクらしいが、黒澤明監督作は観たことないため新鮮な気持ちで観賞した。
公務員で陳情はたらい回し、よくある話だなぁ、って観てたけど、16ヶ月で辞めたマーガレットは活動的では有ったが、そんなに魅力的でもなく、影響を受けたというほど説得力はなかったかな。
生きる、とはなかなか難しいテーマだが、誰かのために行動する事で得られる満足感、とようなものなのかな、って思った。
黒澤明の作品も観てみたい、とも思った。
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