すずめの戸締まりのレビュー・感想・評価
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災害系、旅系好きにドンピシャの作品
ダイジンこわかわいい。
ダイジン母親説あると思ったのに全然外れた。ぴえん。
本当によかった…。
新海誠作品にしてはすごくわかりやすい。
何かの災害、家の上に船、ってところで東北の震災を表してるのか、と。
ダイジンのかわいい声して不気味なやつ感がよかった…。
こわさ不気味さが出てて可愛い声の不気味キャラ嫌いじゃない。
巻き込まれて日本を横断するストーリーめちゃくちゃワクワクした。
君の名はもだが、移動シーンも描くから旅したくなる描き方。
ミミズの禍々しさがね…。
倒れてくるところとか恐ろしい。
イケメンは椅子になってもイケメンだなと。
銀魂の桂に似てると思ったのわたしだけ???
椅子の姿で奮闘するのがもう…。
愛媛でのみかん少女との出会い、神戸のスナックママとの出会い、もう全てが感動……。
青春してるな…。
環おばのわたしの10年間返して、とかは泣けた。
そのあとお母さんを探して何日も何日も津波でボロボロになった街を歩くシーンも号泣。
扉って観覧車のドアも該当するんかーい。
SFしてて日本全国舞台にしてる感じも良かった。
楽しかった。
災害系も全国横断系も好きな私にはどんハマりだった。
今度は北海道舞台に作品作ってくれないかな…。
もう一度映画館でみても良いかなと思えるさくひんでした。
楽しかった。
22.11.23 映画館
新海映画の真髄をひしひしと、かつ、力強く感じ、個々の生涯を担い想う作品
レビューと感想です。
ストーリーもグラフィックも綺麗で非常に良くできた作品であると感じた。自分が鑑賞した時の心境にもよるが、とても共感深く感動した。草太が要石として人柱になるなか、クライマックスでその草太に代わり、前要石のダイジンが要石に戻るシーンにおいて、ストーリーとして草太が人に戻り、現世に帰還することに感動があるが、やはりダイジンが自分を犠牲にしてでも、またすずめのためにでも、要石としての役目を全うした点において、この映画最大の悲しみを涙とともに味わった。
かつては多くの人に祀られていたダイジンも、数100年の歴史の中で徐々に忘れ去られていき、そんな中声をかけてくれた、そして孤独から解放してくれた鈴芽に嫌われてしまったことはとてもショックであろう。しかし、そんな中、好きな鈴芽は好きな草太のために自分を犠牲にしてでも要石になろうと決意したことに影響を受け、ダイジンが本来の役職に戻ろうと決意したシーン、鈴芽の手で元に戻してほしいというセリフは、ダイジンの覚悟と、好きな鈴芽への甘えであると感じると、ダイジンの赤子ながらも孤独に耐え、役目をまっとうしてきた忘れ去られていた期間の心情を思うことができるのかもしれない。これからは新たな閉じ師たちの歴史と共に、要石も祀られ、人々の信仰とともに孤独から解放されてほしいと感じた。
また、なぜ宮崎から東京に向けて順々に後ろ戸が開いていくのかを考えてみると、東京の要石が抜け、また草太が要石でなくなったことも考えると、西と東の要石が抜けている状態でなければ要石を挿すことが、できないのではないかと感じた。このように考察の幅が広がる点やストーリーと描写の広大さという点において、また、大神など日本神話や古典文学などにインスパイアされている点、新海映画の真髄を感じることができる。
時代は場所と共に移り変わり、過去に繁栄したところは現在衰退し、現在繁栄しているところでも未来では衰退しているかもしれない。そんな繁栄と衰退を繰り返し時代が巡り、衰退により忘れられてしまう存在もある。この作品ではそこで後ろ戸が開いてしまい、人々の想いを込めて神様にお返しすることで、忘れられた存在として出なく、人々の心と共にあり続けることができている。私たちが生きる今は、そんな人々の心と共に、繁栄し、衰退を繰り返し、隣り合わせの死に対し、生として抗い続けているのだと感じた。今一刻でも生きながられたいと言う祝詞のように、愛するもののために、また、何かのためにでも、死の恐怖に抗い、生き続けることこそが、災いや時代の移り変わりに対して生き続けることであると感じる。
実際の東日本大震災当時、震災は昼間に起きたことから、多くの人が劇中のように「いってきます」、「いってらっしゃい」を最後に被災した。「ただいま」、「おかえり」を言うことが叶わなかった人たちがおり、移り行く時代、忘れられてしまった存在を描くこの作品において、震災から10年以上経過した現在、この作品のを「おかえり」、「ただいま」で締めくくることに、監督の、映画としての、忘れてはならない、時代の移り変わりのメッセージを強く感じられた。鈴芽の目に映し出された常世のように、被災された方々の記憶には痛々しく、また強々と残る震災ではあるが、実際に被災しなかった人たちの記憶からは忘れられてしまっている。そんな中、鈴芽という被災した主人公と、時代の移り変わりを作品で示し、時代の繁栄衰退と記憶のあり方を強く示していたと感じる。
また、ダイジンやサダイジンのように、陰陽のようにダイジンは行く先々で福をもたらし、サダイジンは暴露を行うことで、鈴芽と環さんの関係も良くなり、結果的に福をもたらすという、神様として、直接的な描写でなく、間接的に神様を示している。監督の専攻でもある国文学を、日本神話を用いて映画に融合させ、神様と、自然と、災いと、私たち人間が時代に適応し生き抗うメッセージを作品として、強く感じるものであった。加えて鈴芽が決意し、草太の家から御茶ノ水駅に向けて歩き向かうシーンのように、描写を斜めにして移すことで、坂道を登っていくような描き方をしており、このようなさりげない表現が多く作品に取り込まれており印象的であった。
新海映画の真髄をひしひしと、かつ、力強く感じ、個々の生涯を担い想う作品であった。
2023/5/19 TOHOシネマズ新宿にて(戸締り上映)
2023/9/26 TOHOシネマズ新宿にて(おかえり上映)
2023/9/28 109シネマズ二子玉川にて(おかえり上映)
2023/9/29 109シネマズ二子玉川にて(おかえり上映)
宿命の物語
鑑賞後、私は「宿命の物語」と云うワードが頭に浮かびました。
私はこの作品を見終えた時にダイジンを主人公に据えていた事に気が付く。
この作品は猫好きの新海誠監督による猫リスペクトの映画に思えた。
また今作は「魔女の宅急便」のオマージュが多々あるのも面白い。
以下、良かった点と悪かった点。
【良かった点】
〇圧倒的映像美
新海誠作品の代名詞ともなっている現実にはない光源を利用した圧倒的映像美は健在で本作も素晴らしかったです。
また毎度の事ながら日本文学の美しさを情景として表現する新海誠監督に脱帽です。
ふと空を見上げて青空を泳ぐ雲、切なさを覚える夕暮れ、涙を流したくなる星々輝く夜空...
誰しもが空や山が見せる幻想的な美しさに想いを馳せるはずです。
実写映画では現実では勝る物は無いと思いますが、アニメーションだとまた現実とは似て非なる情景となり、感動が増します。
この映像美にはカメラワークも含んでおり、すずめを軸にした背景の移動や反転が素晴らしかった。
如何にこの美しい世界を映像に出来るかと言う強い気概を覚えた。
〇飽きさせないテンポの切り替え
観客を飽きさせないスピーディーな場面の切り替えは評価したいです。
多少強引で合ってもテンポが良く、中弛みを感じさせない。
〇ロードムービー
多くの映画ファンなら好きであろうシチュエーション...それがロードムービー。
突然始まったすずめと草太の旅。
その過程でその土地で自分の日常を生きる人と出会い、別れを繰り返す。
王道ではありますが、人の温もりだったり、自身のルーツを知り精神的成長を果たす過程は見ていて気持ちが良かったです。
○登場人物
個人的に芹澤君が大好きでした。
物語の清涼剤として和みました。
○ダイジン
最初に書いた通り、ダイジンに感情移入して観賞していました。
宮城県には猫を神として祀る猫神社があると聞きます。
ダイジンは元は人間なのか、変わらず猫だったのか分かりませんが、ある日厄災を鎮める要石となる。
そこから何百年と孤独だった。
時を重ねて神と到りはしたが、始まりは平凡な存在だったはず。
ダイジンからしたら理不尽であり不条理だと思います。
だからこそ自分を要石と云う役割から解放してくれたすずめを好きになった。
だからこそすずめの戸締まりをサポートしてくれたのでしょう。
最後、すずめの為に再び要石になる選択をしたダイジン。
あのロードムービーにはダイジンも含まれており、ダイジンもまた自由な身となり現実を楽しんで旅を出来たのでしょう。
こう考えると本作はダイジンの宿命の物語に思えました。
日本を数百年に渡り厄災から守り、自分を救ってくれた一人の少女の為に奮闘したダイジンこそ本作の主人公でしょう。
〇メッセージ
本作は言うまでもないですが、根底に東日本大震災があります。
終盤、宮城にてあの日を生きていた人々の日常を垣間見るシーン...そこには多くの「いってらっしゃい」があり、多くの「お帰りなさい」が失われた。
だからこそラスト、すずめの「お帰りなさい」には様々な想いが凝縮されている。
あれから11年。
まだ11年か、もう11年か...それは人によって感覚は異なるでしょう。
すずめの戸締まりが描いた「いってらっしゃい」と「お帰りなさい」は御伽噺です。
しかし映画くらい救いがあってもいいじゃないかと思いたい。
○再会
初期の新海誠作品と言えば、再会が叶わなかった結末が多い。
しかし「言の葉の庭」から希望の持てる終わりが描かれて来た。
本作も2人の再会で幕を降ろす。
それに否定意見もあるかと思いますが、私は肯定。
上記に書いたようにこれは「いってらっしゃい」と「お帰りなさい」の物語。
どちらかが欠けてはいけない。
2人の再会はとても意味のあるものだ。
【悪かった点】
〇ベースとなる日本神話が分かりにくい
新海誠監督の独自の解釈もあるのでしょうが、ベースとなった神話・民俗学が分かりにくく、要石が何故二つあるのかだったり、ダイジン・サダイジンの行動原理に首を傾げる部分も。
厄災がミミズの形をしている理由や天岩戸伝説に基づく設定など知識のない観客を置いてけぼりにしてしまった。
○登場人物に感情移入し辛い
時間の関係上、詰め込み過ぎてすずめの心の変化に着いて行けない人も多くいるかと思います。
現地で出会った人々と打ち解ける過程が短すぎる。
「秒速5センチメートル」や「言の葉の庭」のような丁寧さを感じられなかった。
○ラストのパラドクス
すずめが幼少時代の自分に出会い、椅子を渡すシーンは唐突にも感じた。
○距離が...
新海誠監督と言えば軸となる2人の距離感を描く事に定評があります。
しかし前作「天気の子」と同じく、すずめと草太の距離感にもどかしさも絶望も感じられませんでした。
総評として私は大好きな映画です。
しかしこの作品は星5とまではいかない。
それなのに星5を付けました。
映画とは疑問を与えて、思考する機会を与えてくれます。
好きな映画と出会った時、何故好きなのか考える。
同時に嫌いな映画と出会った時、何故嫌いなのか考える。
映画とは例外なく総合芸術として私達に多くの知識、教養を与えてくれる...
本作は疑問に思うシーンも多々ありましたが、それも含めて多くの思考プロセスを頂きました。
それだけで私は星5に値する作品だと思います。
最後に...
見せたい演出を優先したように思えた為、納得出来ない場面もありました。
しかし繰り返しになりますが、私はこのすずめの戸締まりが大好きです。
「ほしのこえ」、「雲のむこう、約束の空」、「秒速5センチメートル」と云った初期作品が大好きな私のようなファン達から
大衆向けにシフトした「君の名は」以降から疑問を持つ人も多かったはず。
しかし「すずめの戸締まり」には、初期作品のような独創性はなくとも美しき日本文学の普遍性は、変わらずあり続けている。
この日本だからこそ作れた作品に感謝を。
気づいたら5回鑑賞
新海誠作品とのことで、観たかった別作品の映画の合間に軽い気持ちで見に行ってみたら大当たりでした。
世界観は安定の薄暗さがありつつも、シリアスな部分と明るい部分を使い分け、新海誠作品の雰囲気も残しながら、重めのストーリーが苦手な人も見られる良い塩梅に落ち着いていたと思います。
前々作は一般受けに振り切りすぎて元のファンは離れたし、前作は元の作風に寄りすぎたことで伸び悩んだ、と思うので今回は上手いなと思いました。
そして今回、環さんが本当に大好きです。
新海誠作品は好きですが、映像美や世界観が良い反面、今まではキャラに魅力を感じる事が少なかったです。
鑑賞後も友人に環さんの話ばかりするほど環さん沼です。
深津絵里さんの方言が自然で心地良い。
調べてみれば九州出身の方ではないと知り驚きました。
すずめと言い合いになるシーンでは、私自身の過去の嫌な事を思い出してグサグサ刺さったほどに演技が素晴らしいです。
しつこく電話する、すずめを心配して暴走する、長文LINEを送ってくる環さんに、うわ〜面倒くさい親あるあるだわ〜と正直うんざりしつつも、苦悩などもしっかり描かれていたので、可愛らしく魅力あるキャラになったのだと思います。
そう考えると心理面の描写が今回は強化されていたのかもしれません。
最終的には公開初期に2回、環さん特典期間、芹澤特典期間、ラストランで計5回鑑賞していました。
地震アラートが苦手な人を誘えないのが悲しいところでしたが、堂々と好きと言える、人に薦める事のできる作品です。
おかえりなさいを言えなかった人への鎮魂歌
宮崎の田舎町に住む高校生の鈴芽。
ある日登校中に「扉を探している」と言う青年と出会う。
気になって後を追いかけた鈴芽が山中で見たのは、人が住まなくなり全体が廃墟になった町。
そしてその中心には古びた扉が……
ひょんなことから青年草太とともに日本中を回ることになる鈴芽。
しかしそれは運命的な旅路であった。
自分がアニメーションが少し苦手な理由に非現実的すぎるファンタジー要素がある。
異世界転生だの魔王だの勇者だの魔法使いだの、あまりに唐突にそういう設定を入れられると全くついていけなくなる。
(まず前提として……自分はアニメには全く詳しくないし、実は『君の名は。』は諸事情により途中まで、『天気の子』も観れていない。ので、ズレていることを言っていたら申し訳ないが、アニメを知らない者の戯言として受け流してほしい。)
新海誠は限りなくリアルなファンタジーだ。
少なくとも最新の長編3本はそんな感じがする(観てないんだけど)。
よく評価されている映像美。
浮世離れした美しさではない。どこか見覚えのある日本の原風景、日本の美しい自然や都会的な街並みがベースにある。
田舎と都会、2つの日本の姿。
上京した者も田舎に残っている者も都会で生まれ育った者も。
誰にとっても入り込みやすい世界観の提供、それこそが何よりも広く大衆の心を掴むのだと思う。
そして今回のテーマは大きく言ってしまえば“地震”。
それも12年前のあの出来事をかなり直接的に扱っている。
20歳前後からそれ以上の日本人の多くがあの日をしっかりと覚えているだろう。
この地震列島に住む我々にとって、日々の暮らしと地震というものは切っても切り離せないものだ。
内容なだけに賛否ある部分が出るのも分かる。
ただ、自分は映画館で観れてよかったと思うし、アニメーション映画としてしっかりと面白いものを観れたという印象だ。
前半は鈴芽のロードムービー。
宮崎から愛媛、兵庫、そして東京。
ここまででも十分お話になるけれど、これは序章に過ぎない。
この不思議な旅は人の優しさに触れる旅であるところが印象的だった。
通して見ると日本国大称賛ムービー。
古き良き日本の文化、街並み、人の温もり。
今では少し懐かしくなってしまった「絆」とか「がんばろう日本」とかのスローガンを思い出す。
廃れつつある日本を守っていくために、スマホに夢中になっている現代人を呼び覚ますように、太古の日本から見守ってきた大地の神々が警告しているのかもしれない。
過去のものにするのではなくしっかり向き合っていく。
ただ、これがなかなか難しい問題で。
自分は直接的な被害者ではないから好きに言えているけれど、当事者にとって見れば向き合うことは何より難しい。
震災遺構を残すべきか残さないべきか。
風化させないためにも人々が生きた証にも残すべきだ。
外野はなんでも言える。
劇中にも建物の上に乗っかった漁船が出てきた。
今作のキーとなる日本各地の廃墟もそうだ。
残すにしろ残さないにしろ、12年経とうが75年経とうが復興は容易なものではない。
町の復興はもちろん、心の復興は更に難しい。
できることはそこにあった人々の想いを感じ取ること。
そうすれば必ず扉は閉まる。
地震を引き起こす存在。この作品ではミミズと呼ばれていた。
禍々しいその存在には霊体ミミズを思い出さずにはいられなくて、白石晃士監督!?と思わず声が出そうになった。
いいね、新海くん!
扉の向こうにはあの世=常世が広がる。
それはただただ美しい。
しかし、同時に危険な場所でもある。
まるで禁断の果実。足を踏み入れた鈴芽はイブなのか?
まあ、これ以上考察はしないけれど、実際ラストで話が冒頭部分に繋がるように、鈴芽と草太は何か運命的なもので結ばれたペアであったことは間違いない。
東京の一幕でのトロッコ問題。
草太1人を取るのか何万人もの人を守るのか。
答えは決まっていたんだと思う。どちらを取ってもそれが正解なんだと思う。
日本国大称賛ムービーと言ったけど、日本人的感覚も取り入れられていると感じた。
扉を越えるためには敷居を跨ぐ。
そこから先は別世界、人の家へ行くときも敷居を跨いだら靴を脱いでその世界へお邪魔する。
東京でミミズに乗っかって空へ飛ぶシーンで鈴芽は靴を落っことすけれど、それもそういったことなのではないかと思った。
これは日本人特有の感覚だと思う。
現在海外でも公開されているみたいだけど、海外の人にはどういう風に映るのか……
そして、この敷居は今回三途の川の役割を果たしている。
常人が踏み入れてはいけないライン。死の世界への線。
そこにしっかりと鍵をかけ、さらに要石で封印する。
面白い、面白すぎる。
元はと言えば…ってところもあるし(これも必然だとは思うけど)、鈴芽ちゃんは自分勝手すぎて好きになれなさそうなのに、なんか人間らしくて良いキャラだったから普通に好きになれた。
椅子、ダイジンなど、アニメならではのキャラクター造形も素晴らしい。
みかん農家の子とか兵庫のママとかもっと見たかった感はあるけど、芹沢が最高だったので◎
そりゃファンも増えるわ。
そしてプレイリストのセンスよ!あそこでけんかをやめてとか最高じゃん笑
テキトーに言いたいことを言ったけど、本当に面白かった。
アニメーション映画を観ないというのもあるけれど、ここ数年で観たアニメ映画の中では1位2位を争うかも。
近いうちに前2作も復習しなくては。
2回目見たら3.5
鑑賞後の気持ち
1回目見た時は評価2くらいでした。ストーリーが無理やりつなげたような感じがしてツッコミどころ満載だったので。
2回目は部分部分のいいところに注目して観ました。そうしたら3.5になりました。
鑑賞後の心の変化
行ってきますとお帰りを大切にしようと思った
鑑賞後の行動の変化
行ってきますとお帰りは絶対に言うようにした。
いつ死んでもいいように生きる努力をしようと思った。
好きなシーン
ただいまっていうシーン
嫌いなシーン
おばさんの本音の一部が出てしまうシーン
日本の宗教観や世界観があふれるストーリー
記憶に新しい、東日本大震災。ほかにも神戸の震災や熊本の震災など、日本では毎年のように各地で大きな地震に見舞われている。
それが、日本列島に住むミミズによるものだったら。その厄災を抑えるための閉じ師がいて、要石という封印のための生贄が必要だったら…。
自然災害に追われる日本において、古くから意識下に続く自然の神様を畏れ、敬う気持ちを体現するストーリーで、なんとも言えない感動がある物語だった。
鈴芽はどこか自分の命を顧みない自暴自棄さがある少女だったけれど、それでも草太を助けようと必死になり、彼を好きでいることで自分も生きたいと思えるようになったことで、彼女自身の成長のストーリーでもあるなと感じた。
実はインドの映画館で観たのだけれど、子供から大人までいろんな人たちが観に来ていて、そしてこの日本特有の世界観を彼らはどんな風に感じて見ていたのかな、というのがとても気になった。
ちなみに私はボロボロ泣いてしまった。映像も美しいし、ストーリーも心が洗われるし、よかった。
想像の範囲内で終わってしまって残念
PVを見た時のシチュエーションから
・普通の暮らしをしてる主人公が、災害に関わる特殊なイケメンと偶然出会う
・不思議な出来事に巻き込まれてイケメンと仲良くなる
・中盤でイケメンと突然関係が途絶える
・苦難を乗り越えてイケメンと感動的に再会
・衝撃の感動的なフィナーレ
という流れが思い浮かんだけど、見事にそのまんまで終わってしまって消化不良でした。
ちらっと写った序盤のシーンの相手がタイムスリップした自分でしたーと言われても、姿も写ってないし視聴者目線は何も衝撃が無い。
絵日記で椅子持って3人立ってる絵を見て察しましたが、心の中では(椅子を過去の自分に渡しちゃったらその椅子がループの中で老朽化する矛盾が…)と思って渡すな渡すな渡すなって考えてましたが監督がドヤ顔するかのように椅子を渡す描写見せられて終わりました。
まあでも演出やBGM、イラストなど全体的にクオリティは高いので気持ちよく見れました。
おかえり。言葉の重さ
そうたとすずめの交わした「おかえり」の一言で幕を閉じた違和感。その後、考察を拝見して言葉の重さに鳥肌が立ちました。
突然日常を奪われた悲しさ、幼い頃のすずめと出会った際の、母がいなくなった理由をうまく説明してやれないもどかしさ。災害を通じていろんな人の心に癒えない傷ができていることを再確認しました。
土地に残る人の思いに寄り添い、扉を締めるシーンは切ない気持ちになります。人の念は強いですね
好奇心と想像力と冒険心の壮大な物語
好奇心と想像力と冒険心の壮大な物語、アニメという事を忘れて惹き込まれた。岩戸鈴芽(すずめ・17歳の女子高校生:原菜乃華)は宗像草太(閉じ師:松村北斗)と出逢い、扉(災いが噴き出す)を閉じる事にのめり込む。ダイジン(すずめの前に突如現れた、謎の白い猫。人の言葉を話すことができ、扉が開く場所に度々出没してはすずめたちを翻弄する。)の後を追い、 “すずめの椅子”に姿を変えられた宗像草太と共に「宮崎~愛媛~神戸~東京~東北」と「扉を閉じる」旅。意味深なエンディング❣
BEST ONE
ここ迄の新海作品の中では、一番しっくりくる作品だった。
舞台も災害が有った所を辿ってるし、テーマや人物描写も良かった。
記憶の場面での登場人物や、そこまでの展開もすんなり入ってきた。
PS
BGMについて。
自分みたいなOnTimeで曲を聴いてた者からすると、当時の振り返りが有ってその分状況説明にもなるのだが… 知らない世代が何処まで感覚共有できるのか?
それがなくても良いストーリーテリングではある…
感想
世界観の前提が説明されないので、なぜ?なんで?と疑問に感じながら観る時間が長かったです。以下消化不良だった点を記載します。
●地震の原因である、扉から出てくるミミズ
…何に由来するものか不明。
…過去その土地に暮らした人々の残留思念のようなものだとしたら、人の思いが地震を起こすというのは荒唐無稽かつ地震の被害者を冒涜するような設定。
…人々に見捨てられ廃墟と化した土地や自然の怨念だとしたら、東京のど真ん中で出てきた理由が不明。
…ミミズが見える人と見えない人がいるのはなぜか不明。
●ミミズが出てくる扉の向こうの世界
…向こうの世界の設定が語られないので、現世との違い、なぜ行き来することができるのかが分からない。幼いすずめが扉を通過して自分の世界(十数年前の世界)に帰るシーンがあることから、パラレルワールドのなかでも時間を超越していることは分かるが、映画を通じてすずめが出入りできる理由が分からない。
…常世と呼ばれ俗にいうあの世を指すようで、死者の世界と言われる場所であるが、そこからミミズが出てくる背景が不明。そもそもミミズの設定が曖昧なので、繋がらない。
…扉の向こうが大草原だったり、震災後の焼け野原だったりと、見え方が変わるのはなぜか不明。
…すずめが抜いた要石は現世の廃墟にあったが、後半要石と化した草太や猫二匹が要石として打ち込まれたのは常世であり、要石の置き場に揺らぎがある。要石となった草太に会うには常世に行くしかないという後半の展開の要となる設定には矛盾がある。
●閉じ師、要石
…ど素人のすずめでもできちゃった。
…要石が無いと閉じられない扉と、無くてもお頼みして閉じられる扉の違いは何なのか不明。要石の役割がはっきりしない。要石が無いと閉じられない強力な扉と、押せば閉じる普通の扉があるようだが、その強弱がなぜ生まれるのか不明。
…要石と閉じ師の関係。定期的に要石は変わるのか。過去起きたという大地震の時は要石はどうだったのか、その時閉じ師は何をしていたのか。過去大地震が起きてしまった原因、経緯がはっきりしない。要石や閉じ師ができること、あるいはできないことが何なのかよく分からない。
●登場人物の感情、現実世界への配慮の無さ
…子猫を可愛いがり、うちの子になる?とまで言いながら、イケメンを要石にした途端に激怒して捨てた。人間らしい人物と言えばそれまでだが、、、
…地震で人がたくさん死ぬよ?という台詞があるが、震災で家族や友人を失った人々への配慮に欠けてて呆れてしまった。首都圏に住んでまだ震災を経験していない監督だからこそ描ける、震災なんぞ他人事の世界。
音楽は主人公の男女目線の世界観にはマッチしてて良かったです。
プラス評価はそれくらいで、正直に言うと、二千円弱の費用がもったいなく感じた作品でした。何回見ても多分感想は変わりそうにないです。
新海誠が3.11の決着をつけた世界に通用する傑作エンタテイメント
新海誠 監督による2022年製作(121分)の日本映画。配給:東宝。
素晴らしい、エンタテイメント・映画になっていて感心,そして感動させられた。
まず、主人公を女子高生に置いた、次を予想出来ないストーリー展開に魅せられた。自分が知らない何かがベースにあるかもしれないが、地上にある幾つかの扉から地下に蠢くミミズが出てきて災害をもたらし、その扉を閉める家業が有るという設定はとても斬新に感じた。
更にそこに、3.11の災害を絡めて、主人公鈴芽(すずめ)の亡くなった母への記憶、育ててくれた伯母への想いを重ね、更に女子校生ながら決意を秘めた恋心も加えた物語は、お見事と思わされた。
扉を境に世界ががらりと変わる映像は、設定自体は種々あった気もするが、新海監督の描く映像の際立つ美しさで彼独自の世界になっていた。主人公が勇気ある乙女で、巨大なミミズ等自然の猛威と立ち向かっていく映像は、宮崎駿のそれをも思い起こさせ、新海誠の映像のレパートリーの幅の広さを感じさせた。
鈴芽が恋する閉じ師の大学生草太が4脚の1つが欠けた椅子にされてしまい、それが一生懸命に走る姿がとてもコミカルな動きの有る映像になっていて、そのアイデアに感服させられた。そしてその椅子は実は、亡くなった母親の形見というのも、良く練られたストーリーだ。
あと、鈴芽を引き取って育ててくれたおば岩戸環(たまき、声は深津絵里)がキャラクターのデザインと声優の演技を併せて、とても素敵だった。また、閉じ師の友人という芹澤朋也(ともや、声は神木隆之介)の一見ホスト風ながら良い先生になりそうなキャラもなかなかユニークで魅力的で、印象に残った。大学生の車内での「ルージュの伝言」、「SWEET MEMORIES」、「夢の中へ」、「けんかをやめて」は不思議な選曲だっだが、親達の影響という解釈(実は監督の好み)? 何かが生まれた様にも見えた2人を主人公としたロードムービーを、スピンオフ作品として作って欲しいなんて思った。
そして、人間の言葉を話す白い猫ダイジン(声は山根あん)の度々の登場も、謎の存在だけに、楽しませてくれた。目撃情報がネット通じて拡散されるさまが結構リアルで、彼が実は子供の閉じ師であったとの設定にも、感心させられた。
RADWIMPS と陣内一真によるとされる音楽も、今回は出しゃばらず抑えた感じで良かった。野田洋次郎さんの声に少々飽きたこともあるが、主題歌を歌った十明(とあか)の飾らない無垢的な声が良くこの映画の雰囲気にマッチしていた。
毎回ながら、ありふれた場所を絶景にし名所化する新海マジックに感心させられる。映画の後、あらためて舞台の一つである御茶ノ水の聖橋に行ってみたが、確かにお堀の水上、中央線の下を丸の内線地下鉄が横切る景色は絵になるし、聖地巡礼?なのか海外から来た様に思われる人たちが数名写真を撮っていた。
何より、物語全体が鈴芽の旅とヒト(草太、スナック・ママ、旅館で働く同年代の女の子、等)との出会いを通じての成長物語になっていた。そして、鈴芽が扉をくぐり、その先で3.11災害後母を求めて彷徨う少女の頃の自分に出会うというのが、少女鈴芽の真っ黒に塗りたくった頁の有る日記帳とともに感動的。それは、冒頭の夢の謎解きともなっていて、同時に新海誠がずっと拘って描いてきたあの大災害に関する一つの決着つけと感じた。
監督新海誠、原作新海誠、脚本新海誠、製作川口典孝、企画川村元気、プロデュース川村元気、エグゼクティブプロデューサー古澤佳寛、制作統括徳永智広、プロデューサー岡村和佳菜、 伊藤絹恵、音楽プロデューサー成川沙世子、キャラクターデザイン田中将賀、作画監督
土屋堅一、美術監督丹治匠、音響監督山田陽、音響効果伊藤瑞樹、音楽RADWIMPS 、陣内一真、主題歌十明、制作プロデュースSTORY inc.。制作コミックス・ウェーブ・フィルム。
出演
原菜乃華岩戸鈴芽、松村北斗宗像草太、深津絵里岩戸環、染谷将太岡部稔、伊藤沙莉二ノ宮ルミ、花瀬琴音海部千果、花澤香菜岩戸椿芽、神木隆之介芹澤朋也、松本白鸚(2代目)宗像羊朗。
ダイジンの存在がものすごくモヤる
終盤ダイジンが後ろ戸に導いたのは開きそうになってる所にすずめを導いていたんだ〜良い奴だった〜みたいなテイストになったが、そもそもダイジンが逃げ出したから各地の後ろ戸が開いたのでは? ダイジンの一人称がダイジンだったりサダイジンが出てきたりしたが、ダイジンの名前はSNSユーザが勝手に付けたものじゃなかったか? 「人の手で戻して」と感動的な流れになったが最初から逃げなければここまで大事にならなかったのでは? そもそもダイジンがすずめを各地の後ろ戸に導いた理由は?すずめの震災の過去に向き合わせるためだとしてもその理由は?最初のエサやりだけで急に「過去に向き合わせてあげよう」という発想になったの?震災の危機という宿命を背負わせてまで?じゃあ「遊ぼう」の言い回しはなんだったの?
どうしてもその辺がずっっっとモヤモヤして素直に感動できなかった。ダイジンの行動論理がまるでわからない。読解力がなかったらすまない。
ダイジンが素直に悪役で「もうお役目ヤダー!」からすずめの在り方に心打たれて改心したとかの方が個人的には楽しめた
もっと早く見とけばよかった
おじさんが見に行くのもあれかなって躊躇があって、興味はあったけど、保留にしてたこの映画。
異例のロングランで、いつまでもやってるので(笑)時間できたので見に行く事に。
結果、見に行ってよかった!
これまでの新海誠作品の中で一番好きかも。
冒頭の死後の世界?の美しさにまず掴まれます。この最初のシーンが、最後クライマックスのシーンにつながるなんて‥そういう事だったのかと見てる側も納得。この映画はまず脚本が素晴らしいです。
そして主人公の女の子の背景が、物語が進むにつれ、徐々に明らかになっていくのですが、実は東北大震災でお母さんを亡くしてるという設定。
お母さんが生きてると信じて探し回るシーンに涙が‥
震災自体、自分も東京でですがあのもの凄かった揺れを体験してるので、当時を思い出すというか、フラッシュバックするんですよね‥
まだ見てない人は是非。
過去見たアニメ映画の中で自分的にはトップ3に入るくらい良かったです。
最後、エンドロールで主人公の叔母役が深津絵里と出てて、ビックリ。
新海誠作品で一番好き
公開後かなり時間が経ってしまいましたが、2回観ました。まず題材が地震であり胸が苦しくなります。なんとも言えない悔しさや虚しさ、悲しさが胸をギュッと掴んできます。ただ悲しいだけではなく、平凡な何気ない日常は素敵なんだ、新しい景色はこんなにキラキラしているんだとワクワクしながら映像美に見惚れます。
人間模様も細かく描かれており、何かをしよう、していこうと思えるような、前向きになれる素敵な映画でした。
猫が走る すずめが走る 椅子が走る
何気ない都会の風景。そして廃墟さえも美しい。そんな中を軽やかに走り抜ける少女はなんとも爽快だった。とある目的でロードムービーのごとく列島縦断して戸締まりをするすずめだったが、終盤は想い人のために目覚めたのごとく超人的なアクションで戸締まりを成し遂げる。ラストもすれ違いで終わることもなかった。草太よ、君は幸せ者だ。
それにしても出会った人たちがいい人ばかりで良かったです。
当たり前を当たり前だと感じないように
特典3・4の短編小説欲しさに3回観に行くことには、なりましたが私が考える事をここのレビューに記したいと思います。
キャスト・声優陣
岩戸すずめ役を演じた原菜乃華さん 恐らく初の声優業(?)だったかですが何の違和感もなく聞くことが出来ました。上手でしたね。感情の起伏も激しく喜怒哀楽も上手く表現出来ていて凄かったです。
宗像草太役はSixTONESの松村北斗さん透き通った声に優しげな声色で上手でしたがそこまでかって所でしたね笑それ以上でもそれ以下でもなくうん普通って感じでたしね。ならまだ前作前々作の御二方の方が気持ちに昂りなどを感じ良かったなと思いましたがね
そして特に良かったのは、他の方も仰っている通り環役の深津絵里さん・芹澤役の神木くん・二ノ宮ルミ役の伊藤沙莉さん 上手すぎたし役からここまで皆を虜にしたのは、驚きですね。
物語
今作は「震災」をテーマに当たり前の日常が失われた人々・使われなくなり古くなった廃墟を「後ろ戸」と表現する事で人間の記憶に残すという表現方法素晴らしいです。2011 3.11東日本大震災をテーマに作品を作っているようですが、追悼を担う映画としては論点がズレているかな〜って思いました。これは、自分が述べる感想論なので別に自分がそう思っただけなので深掘りはしないです。面倒なので
当たり前の生活する中でそれが普段出来ているのにありがたみが薄れてしまいがちですが、行ってきます・おかえりがその日以降言えなくなるなんて辛いし想像できないですよね。考えたくもない。
ダイジンが可哀想だとかなぜ草太さんが椅子に変えられたのかどうでもよいです。
レビューを観ずまずは、映画館に足を踏み入れ日常の有難みを噛み締めてください。
感想を出すのが大変遅くなりもう3.11です。
私もあの日の事は、必ず生涯忘れる事がないようそして新たな時代の者にまで覚えていて貰いたいですね。
皆が幸せで健康に生きられるように
それでは(行ってきます)(行ってらっしゃい)
(おかえりなさい。)
感想と考察・・・確かにダイジンはかわいそう、なんだけど。
とりあえず、超遅ればせながら1回観ただけの感想なので、また観に行く機会があれば追記するかもしれません。
そのうえで最初に結論を言っておくと
新海監督らしさは薄れたが、映像美と感性に訴える日本的ストーリーは健在であり素晴らしい。この作品は、日本各地で現代を生きる様々な世代の人へのエール的な作品だと思います。
星を一つ減らしたのは、新海監督らしさが薄れた(天気の子も薄くなってきてたが今回は更に)から。個人的には、「雲のむこう、約束の場所」とか「秒速5センチメートル」等でみなぎっていた独自性とセンスが好きなので。
そして隠れがちながら良かったポイントが、俳優や女優を多数声優起用したにもかかわらず全般的に違和感がなく、むしろはまり役が多かったこと。
前情報ゼロで観に行ったのもありますが、個人的に驚いたのは、環の深津さんと、ルミの伊藤さん、芹沢の神木さん。違和感がなさ過ぎて全く気付かず、誰が声優しているのかなと思ったほどでした。
※ここからネタバレ考察。観てない人は1度でいいので観てほしい。※
ネットでよくある「ダイジンかわいそう」論調。
これにはちょっと違和感がある。
「ダイジンが千と千尋の神様(かわいいの以外)的なビジュアルだったらそうは思わないんじゃないの?」
と思ってしまうような、中身のない薄っぺらい幼稚園児のような感情論は上記の一言で一蹴。
そのうえで、ちゃんとした考察ですが
まずダイジンは幼い神様であると思います。その論拠として、外見、言動、行動、サダイジンのダイジンに対する仕草、要石が設置されたであろう時期、が挙げられます。
まず外見が完全に子猫である(サダイジンと比べて)のは言うまでもなく、言動についても幼いし行動が身勝手かつ思考も幼い(かわいい外見により補正されてるが、人がたくさん死ぬと笑顔で言い放つのはなかなかエグい)。サダイジンもまさに子猫扱いしているし。
決定的なのが、要石が設置された時期。
サダイジンは古文書レベルの昔に要石になった描写があるが、ダイジンがいた温泉街は少なくとも数十年前程度に廃墟になった場所で、要石があったのは廃ホテルのドームのど真ん中、つまり営業中からそこにあったわけではないと思われ(後ろ戸はそもそも廃墟になって以降に発生するようだし)、廃墟になって以降に閉じ師により要石とされたのだと考えます。
ダイジンの魅力も、言動から行動に至るまでも全ては幼さゆえのものなのではないかと。
だからこそ、鈴芽に東京の地下で拒絶されるまで状況や相手の感情に気づかず、愛を失うと瘦せ細るのだと思います(幼い子供は常に愛に飢えているものですよね)。
ダイジンは最初にエサもらうまで痩せてましたが、サダイジンは登場初期に何も貰わなくても普通体系でした(病院の窓)し。
この映画はロードムービーですが、鈴芽と共にダイジンも成長しているのだと解釈します。
だからこそ、最後は鈴芽の自己犠牲を厭わない姿を見て成長し、自ら要石になることを選んだのだと思います。
それに関連して鈴芽は身勝手だとかの感想も多いですが・・・
最初に普通の子猫だと思って「うちの子になる?」を言うのが身勝手というなら、それをあなたは現実に言わないんですか?という話。冗談としても、かわいい猫とかに言うことはあるでしょうよ。
まあこれは感情論でしょうからそこまで掘り下げませんが・・・
視聴者の視点はいわば神であり状況を俯瞰できますからそういうことが言えます。
しかし、鈴芽の立場に置かれてみれば彼女なりにいっぱいいっぱいであり、状況を鑑みればダイジンは悪と映っても仕方がないと思います。あなたが同じ状況に置かれたら同じ感想を持てますか?同じように行動できますか?オールハッピーな幕引きできますか?あなたはそんなに完璧なの?ということ。
しかも、鈴芽も最後にはダイジンの意図や気持ちを理解している描写もあるし(謝罪とかは口には出さないけど)、それを背負うことで一皮むけたのではないでしょうか。
主題歌「すずめ」の歌詞にも、「愚かさでいい、醜さでいい、正しさのその先で君と手を取りたい / 君と生きてたい」とありますし。
加えて、生身の人間が後ろ戸から感情を感じることができるのだから、最後の場面では神であるダイジンにも鈴芽の気持ちは伝わっているのだと解釈しています。
では映画としての総括考察ですが・・・
最初に日本各地で現代を生きる様々な世代の人へのエール的な作品だと思います。と述べましたのでその内容をば。
登場人物全般が、完璧ではなく何か負い目があったり、背負っているものがあったり、また人生の岐路に立っていたりと、多少なりとも負の側面があると思います。
言い換えれば、現実の我々のようである。と感じます。
作中では、その中で衝突したり、または鈴芽の影響を受けたり、影響を与えたりすることで最終的には収束の方向に向かっていく(現実世界で言えば、なんだかんだで可もなく不可もなく日常が過ぎていく)わけで・・・
作品のメッセージ性としては
負い目や背負っているものがあっても自分なりに精一杯生きることの大切さ
完璧ではなく悪い部分も持ち合わせることへの肯定
日常の尊さ
人それぞれに感情や価値観があり、相手の立場に立ってそれを理解することも大事
時には感情をぶつけ合うことも必要
というのを伝えたかったのではないかなと思います。
特に、ダイジンと鈴芽の絡みや結末~主題歌の歌詞については、「完璧ではなく悪い部分も持ち合わせることへの肯定」なのではないかと。
それこそが現代を生きる我々へのエールだと思うのです。だって、人間誰しも後ろめたいことや失敗、もやもやした人に言えない感情、そういうのを持ち合わせてるでしょ?
だからこそ、ただただ「ダイジンかわいそう」「鈴芽は身勝手」と言ってしまうのは残念な感想だなと思うのです。
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