すずめの戸締まりのレビュー・感想・評価
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感想
世界観の前提が説明されないので、なぜ?なんで?と疑問に感じながら観る時間が長かったです。以下消化不良だった点を記載します。
●地震の原因である、扉から出てくるミミズ
…何に由来するものか不明。
…過去その土地に暮らした人々の残留思念のようなものだとしたら、人の思いが地震を起こすというのは荒唐無稽かつ地震の被害者を冒涜するような設定。
…人々に見捨てられ廃墟と化した土地や自然の怨念だとしたら、東京のど真ん中で出てきた理由が不明。
…ミミズが見える人と見えない人がいるのはなぜか不明。
●ミミズが出てくる扉の向こうの世界
…向こうの世界の設定が語られないので、現世との違い、なぜ行き来することができるのかが分からない。幼いすずめが扉を通過して自分の世界(十数年前の世界)に帰るシーンがあることから、パラレルワールドのなかでも時間を超越していることは分かるが、映画を通じてすずめが出入りできる理由が分からない。
…常世と呼ばれ俗にいうあの世を指すようで、死者の世界と言われる場所であるが、そこからミミズが出てくる背景が不明。そもそもミミズの設定が曖昧なので、繋がらない。
…扉の向こうが大草原だったり、震災後の焼け野原だったりと、見え方が変わるのはなぜか不明。
…すずめが抜いた要石は現世の廃墟にあったが、後半要石と化した草太や猫二匹が要石として打ち込まれたのは常世であり、要石の置き場に揺らぎがある。要石となった草太に会うには常世に行くしかないという後半の展開の要となる設定には矛盾がある。
●閉じ師、要石
…ど素人のすずめでもできちゃった。
…要石が無いと閉じられない扉と、無くてもお頼みして閉じられる扉の違いは何なのか不明。要石の役割がはっきりしない。要石が無いと閉じられない強力な扉と、押せば閉じる普通の扉があるようだが、その強弱がなぜ生まれるのか不明。
…要石と閉じ師の関係。定期的に要石は変わるのか。過去起きたという大地震の時は要石はどうだったのか、その時閉じ師は何をしていたのか。過去大地震が起きてしまった原因、経緯がはっきりしない。要石や閉じ師ができること、あるいはできないことが何なのかよく分からない。
●登場人物の感情、現実世界への配慮の無さ
…子猫を可愛いがり、うちの子になる?とまで言いながら、イケメンを要石にした途端に激怒して捨てた。人間らしい人物と言えばそれまでだが、、、
…地震で人がたくさん死ぬよ?という台詞があるが、震災で家族や友人を失った人々への配慮に欠けてて呆れてしまった。首都圏に住んでまだ震災を経験していない監督だからこそ描ける、震災なんぞ他人事の世界。
音楽は主人公の男女目線の世界観にはマッチしてて良かったです。
プラス評価はそれくらいで、正直に言うと、二千円弱の費用がもったいなく感じた作品でした。何回見ても多分感想は変わりそうにないです。
新海誠が3.11の決着をつけた世界に通用する傑作エンタテイメント
新海誠 監督による2022年製作(121分)の日本映画。配給:東宝。
素晴らしい、エンタテイメント・映画になっていて感心,そして感動させられた。
まず、主人公を女子高生に置いた、次を予想出来ないストーリー展開に魅せられた。自分が知らない何かがベースにあるかもしれないが、地上にある幾つかの扉から地下に蠢くミミズが出てきて災害をもたらし、その扉を閉める家業が有るという設定はとても斬新に感じた。
更にそこに、3.11の災害を絡めて、主人公鈴芽(すずめ)の亡くなった母への記憶、育ててくれた伯母への想いを重ね、更に女子校生ながら決意を秘めた恋心も加えた物語は、お見事と思わされた。
扉を境に世界ががらりと変わる映像は、設定自体は種々あった気もするが、新海監督の描く映像の際立つ美しさで彼独自の世界になっていた。主人公が勇気ある乙女で、巨大なミミズ等自然の猛威と立ち向かっていく映像は、宮崎駿のそれをも思い起こさせ、新海誠の映像のレパートリーの幅の広さを感じさせた。
鈴芽が恋する閉じ師の大学生草太が4脚の1つが欠けた椅子にされてしまい、それが一生懸命に走る姿がとてもコミカルな動きの有る映像になっていて、そのアイデアに感服させられた。そしてその椅子は実は、亡くなった母親の形見というのも、良く練られたストーリーだ。
あと、鈴芽を引き取って育ててくれたおば岩戸環(たまき、声は深津絵里)がキャラクターのデザインと声優の演技を併せて、とても素敵だった。また、閉じ師の友人という芹澤朋也(ともや、声は神木隆之介)の一見ホスト風ながら良い先生になりそうなキャラもなかなかユニークで魅力的で、印象に残った。大学生の車内での「ルージュの伝言」、「SWEET MEMORIES」、「夢の中へ」、「けんかをやめて」は不思議な選曲だっだが、親達の影響という解釈(実は監督の好み)? 何かが生まれた様にも見えた2人を主人公としたロードムービーを、スピンオフ作品として作って欲しいなんて思った。
そして、人間の言葉を話す白い猫ダイジン(声は山根あん)の度々の登場も、謎の存在だけに、楽しませてくれた。目撃情報がネット通じて拡散されるさまが結構リアルで、彼が実は子供の閉じ師であったとの設定にも、感心させられた。
RADWIMPS と陣内一真によるとされる音楽も、今回は出しゃばらず抑えた感じで良かった。野田洋次郎さんの声に少々飽きたこともあるが、主題歌を歌った十明(とあか)の飾らない無垢的な声が良くこの映画の雰囲気にマッチしていた。
毎回ながら、ありふれた場所を絶景にし名所化する新海マジックに感心させられる。映画の後、あらためて舞台の一つである御茶ノ水の聖橋に行ってみたが、確かにお堀の水上、中央線の下を丸の内線地下鉄が横切る景色は絵になるし、聖地巡礼?なのか海外から来た様に思われる人たちが数名写真を撮っていた。
何より、物語全体が鈴芽の旅とヒト(草太、スナック・ママ、旅館で働く同年代の女の子、等)との出会いを通じての成長物語になっていた。そして、鈴芽が扉をくぐり、その先で3.11災害後母を求めて彷徨う少女の頃の自分に出会うというのが、少女鈴芽の真っ黒に塗りたくった頁の有る日記帳とともに感動的。それは、冒頭の夢の謎解きともなっていて、同時に新海誠がずっと拘って描いてきたあの大災害に関する一つの決着つけと感じた。
監督新海誠、原作新海誠、脚本新海誠、製作川口典孝、企画川村元気、プロデュース川村元気、エグゼクティブプロデューサー古澤佳寛、制作統括徳永智広、プロデューサー岡村和佳菜、 伊藤絹恵、音楽プロデューサー成川沙世子、キャラクターデザイン田中将賀、作画監督
土屋堅一、美術監督丹治匠、音響監督山田陽、音響効果伊藤瑞樹、音楽RADWIMPS 、陣内一真、主題歌十明、制作プロデュースSTORY inc.。制作コミックス・ウェーブ・フィルム。
出演
原菜乃華岩戸鈴芽、松村北斗宗像草太、深津絵里岩戸環、染谷将太岡部稔、伊藤沙莉二ノ宮ルミ、花瀬琴音海部千果、花澤香菜岩戸椿芽、神木隆之介芹澤朋也、松本白鸚(2代目)宗像羊朗。
ダイジンの存在がものすごくモヤる
終盤ダイジンが後ろ戸に導いたのは開きそうになってる所にすずめを導いていたんだ〜良い奴だった〜みたいなテイストになったが、そもそもダイジンが逃げ出したから各地の後ろ戸が開いたのでは? ダイジンの一人称がダイジンだったりサダイジンが出てきたりしたが、ダイジンの名前はSNSユーザが勝手に付けたものじゃなかったか? 「人の手で戻して」と感動的な流れになったが最初から逃げなければここまで大事にならなかったのでは? そもそもダイジンがすずめを各地の後ろ戸に導いた理由は?すずめの震災の過去に向き合わせるためだとしてもその理由は?最初のエサやりだけで急に「過去に向き合わせてあげよう」という発想になったの?震災の危機という宿命を背負わせてまで?じゃあ「遊ぼう」の言い回しはなんだったの?
どうしてもその辺がずっっっとモヤモヤして素直に感動できなかった。ダイジンの行動論理がまるでわからない。読解力がなかったらすまない。
ダイジンが素直に悪役で「もうお役目ヤダー!」からすずめの在り方に心打たれて改心したとかの方が個人的には楽しめた
もっと早く見とけばよかった
おじさんが見に行くのもあれかなって躊躇があって、興味はあったけど、保留にしてたこの映画。
異例のロングランで、いつまでもやってるので(笑)時間できたので見に行く事に。
結果、見に行ってよかった!
これまでの新海誠作品の中で一番好きかも。
冒頭の死後の世界?の美しさにまず掴まれます。この最初のシーンが、最後クライマックスのシーンにつながるなんて‥そういう事だったのかと見てる側も納得。この映画はまず脚本が素晴らしいです。
そして主人公の女の子の背景が、物語が進むにつれ、徐々に明らかになっていくのですが、実は東北大震災でお母さんを亡くしてるという設定。
お母さんが生きてると信じて探し回るシーンに涙が‥
震災自体、自分も東京でですがあのもの凄かった揺れを体験してるので、当時を思い出すというか、フラッシュバックするんですよね‥
まだ見てない人は是非。
過去見たアニメ映画の中で自分的にはトップ3に入るくらい良かったです。
最後、エンドロールで主人公の叔母役が深津絵里と出てて、ビックリ。
新海誠作品で一番好き
公開後かなり時間が経ってしまいましたが、2回観ました。まず題材が地震であり胸が苦しくなります。なんとも言えない悔しさや虚しさ、悲しさが胸をギュッと掴んできます。ただ悲しいだけではなく、平凡な何気ない日常は素敵なんだ、新しい景色はこんなにキラキラしているんだとワクワクしながら映像美に見惚れます。
人間模様も細かく描かれており、何かをしよう、していこうと思えるような、前向きになれる素敵な映画でした。
猫が走る すずめが走る 椅子が走る
何気ない都会の風景。そして廃墟さえも美しい。そんな中を軽やかに走り抜ける少女はなんとも爽快だった。とある目的でロードムービーのごとく列島縦断して戸締まりをするすずめだったが、終盤は想い人のために目覚めたのごとく超人的なアクションで戸締まりを成し遂げる。ラストもすれ違いで終わることもなかった。草太よ、君は幸せ者だ。
それにしても出会った人たちがいい人ばかりで良かったです。
当たり前を当たり前だと感じないように
特典3・4の短編小説欲しさに3回観に行くことには、なりましたが私が考える事をここのレビューに記したいと思います。
キャスト・声優陣
岩戸すずめ役を演じた原菜乃華さん 恐らく初の声優業(?)だったかですが何の違和感もなく聞くことが出来ました。上手でしたね。感情の起伏も激しく喜怒哀楽も上手く表現出来ていて凄かったです。
宗像草太役はSixTONESの松村北斗さん透き通った声に優しげな声色で上手でしたがそこまでかって所でしたね笑それ以上でもそれ以下でもなくうん普通って感じでたしね。ならまだ前作前々作の御二方の方が気持ちに昂りなどを感じ良かったなと思いましたがね
そして特に良かったのは、他の方も仰っている通り環役の深津絵里さん・芹澤役の神木くん・二ノ宮ルミ役の伊藤沙莉さん 上手すぎたし役からここまで皆を虜にしたのは、驚きですね。
物語
今作は「震災」をテーマに当たり前の日常が失われた人々・使われなくなり古くなった廃墟を「後ろ戸」と表現する事で人間の記憶に残すという表現方法素晴らしいです。2011 3.11東日本大震災をテーマに作品を作っているようですが、追悼を担う映画としては論点がズレているかな〜って思いました。これは、自分が述べる感想論なので別に自分がそう思っただけなので深掘りはしないです。面倒なので
当たり前の生活する中でそれが普段出来ているのにありがたみが薄れてしまいがちですが、行ってきます・おかえりがその日以降言えなくなるなんて辛いし想像できないですよね。考えたくもない。
ダイジンが可哀想だとかなぜ草太さんが椅子に変えられたのかどうでもよいです。
レビューを観ずまずは、映画館に足を踏み入れ日常の有難みを噛み締めてください。
感想を出すのが大変遅くなりもう3.11です。
私もあの日の事は、必ず生涯忘れる事がないようそして新たな時代の者にまで覚えていて貰いたいですね。
皆が幸せで健康に生きられるように
それでは(行ってきます)(行ってらっしゃい)
(おかえりなさい。)
感想と考察・・・確かにダイジンはかわいそう、なんだけど。
とりあえず、超遅ればせながら1回観ただけの感想なので、また観に行く機会があれば追記するかもしれません。
そのうえで最初に結論を言っておくと
新海監督らしさは薄れたが、映像美と感性に訴える日本的ストーリーは健在であり素晴らしい。この作品は、日本各地で現代を生きる様々な世代の人へのエール的な作品だと思います。
星を一つ減らしたのは、新海監督らしさが薄れた(天気の子も薄くなってきてたが今回は更に)から。個人的には、「雲のむこう、約束の場所」とか「秒速5センチメートル」等でみなぎっていた独自性とセンスが好きなので。
そして隠れがちながら良かったポイントが、俳優や女優を多数声優起用したにもかかわらず全般的に違和感がなく、むしろはまり役が多かったこと。
前情報ゼロで観に行ったのもありますが、個人的に驚いたのは、環の深津さんと、ルミの伊藤さん、芹沢の神木さん。違和感がなさ過ぎて全く気付かず、誰が声優しているのかなと思ったほどでした。
※ここからネタバレ考察。観てない人は1度でいいので観てほしい。※
ネットでよくある「ダイジンかわいそう」論調。
これにはちょっと違和感がある。
「ダイジンが千と千尋の神様(かわいいの以外)的なビジュアルだったらそうは思わないんじゃないの?」
と思ってしまうような、中身のない薄っぺらい幼稚園児のような感情論は上記の一言で一蹴。
そのうえで、ちゃんとした考察ですが
まずダイジンは幼い神様であると思います。その論拠として、外見、言動、行動、サダイジンのダイジンに対する仕草、要石が設置されたであろう時期、が挙げられます。
まず外見が完全に子猫である(サダイジンと比べて)のは言うまでもなく、言動についても幼いし行動が身勝手かつ思考も幼い(かわいい外見により補正されてるが、人がたくさん死ぬと笑顔で言い放つのはなかなかエグい)。サダイジンもまさに子猫扱いしているし。
決定的なのが、要石が設置された時期。
サダイジンは古文書レベルの昔に要石になった描写があるが、ダイジンがいた温泉街は少なくとも数十年前程度に廃墟になった場所で、要石があったのは廃ホテルのドームのど真ん中、つまり営業中からそこにあったわけではないと思われ(後ろ戸はそもそも廃墟になって以降に発生するようだし)、廃墟になって以降に閉じ師により要石とされたのだと考えます。
ダイジンの魅力も、言動から行動に至るまでも全ては幼さゆえのものなのではないかと。
だからこそ、鈴芽に東京の地下で拒絶されるまで状況や相手の感情に気づかず、愛を失うと瘦せ細るのだと思います(幼い子供は常に愛に飢えているものですよね)。
ダイジンは最初にエサもらうまで痩せてましたが、サダイジンは登場初期に何も貰わなくても普通体系でした(病院の窓)し。
この映画はロードムービーですが、鈴芽と共にダイジンも成長しているのだと解釈します。
だからこそ、最後は鈴芽の自己犠牲を厭わない姿を見て成長し、自ら要石になることを選んだのだと思います。
それに関連して鈴芽は身勝手だとかの感想も多いですが・・・
最初に普通の子猫だと思って「うちの子になる?」を言うのが身勝手というなら、それをあなたは現実に言わないんですか?という話。冗談としても、かわいい猫とかに言うことはあるでしょうよ。
まあこれは感情論でしょうからそこまで掘り下げませんが・・・
視聴者の視点はいわば神であり状況を俯瞰できますからそういうことが言えます。
しかし、鈴芽の立場に置かれてみれば彼女なりにいっぱいいっぱいであり、状況を鑑みればダイジンは悪と映っても仕方がないと思います。あなたが同じ状況に置かれたら同じ感想を持てますか?同じように行動できますか?オールハッピーな幕引きできますか?あなたはそんなに完璧なの?ということ。
しかも、鈴芽も最後にはダイジンの意図や気持ちを理解している描写もあるし(謝罪とかは口には出さないけど)、それを背負うことで一皮むけたのではないでしょうか。
主題歌「すずめ」の歌詞にも、「愚かさでいい、醜さでいい、正しさのその先で君と手を取りたい / 君と生きてたい」とありますし。
加えて、生身の人間が後ろ戸から感情を感じることができるのだから、最後の場面では神であるダイジンにも鈴芽の気持ちは伝わっているのだと解釈しています。
では映画としての総括考察ですが・・・
最初に日本各地で現代を生きる様々な世代の人へのエール的な作品だと思います。と述べましたのでその内容をば。
登場人物全般が、完璧ではなく何か負い目があったり、背負っているものがあったり、また人生の岐路に立っていたりと、多少なりとも負の側面があると思います。
言い換えれば、現実の我々のようである。と感じます。
作中では、その中で衝突したり、または鈴芽の影響を受けたり、影響を与えたりすることで最終的には収束の方向に向かっていく(現実世界で言えば、なんだかんだで可もなく不可もなく日常が過ぎていく)わけで・・・
作品のメッセージ性としては
負い目や背負っているものがあっても自分なりに精一杯生きることの大切さ
完璧ではなく悪い部分も持ち合わせることへの肯定
日常の尊さ
人それぞれに感情や価値観があり、相手の立場に立ってそれを理解することも大事
時には感情をぶつけ合うことも必要
というのを伝えたかったのではないかなと思います。
特に、ダイジンと鈴芽の絡みや結末~主題歌の歌詞については、「完璧ではなく悪い部分も持ち合わせることへの肯定」なのではないかと。
それこそが現代を生きる我々へのエールだと思うのです。だって、人間誰しも後ろめたいことや失敗、もやもやした人に言えない感情、そういうのを持ち合わせてるでしょ?
だからこそ、ただただ「ダイジンかわいそう」「鈴芽は身勝手」と言ってしまうのは残念な感想だなと思うのです。
絵の綺麗さ以外は評価に値せず
絵は綺麗です、最初の水の上にドアがある場面までは期待感がありました。
また、私自身は好きではないですが、妖怪などが出てくる作品で、その入口としてのドアを持ち出すのもありだと思います。
ですが、地震というものを、この扱いはないです、最低です。創作だからと言う方もいるかも知れないですが、実際の地震までも気持ち悪い化け物や閉じ師という訳の分からん存在が関わっているという描き方は、地震の被害者や対策に従事している方への冒涜です。これは、津波や洪水は実世界でもあれど、あくまでも作中の悲劇はポニョという悪魔の所業であったあの作品とは違います。
地震を止める側なんだからいいじゃないかという意見もあるだろうが、私個人としてはそんな温かい目で見る必要はないと感じます。
また、放映前に地震速報が流れますと注意がありましたが、そこではなく本来の速報の仕組みとは全く違った形で地震速報を使った事を謝罪すべきです。
要素詰め込み作品。。
作画は丁寧で、主人公も可愛く、相手役もイケメンだが、ストーリーや設定が子供騙し(と大人騙し)に感じられる要素が多く、共感を引き出そうとして仕組んだんだろうなと読めてしまう場面が多く、一言で言えば、あざとい作品に感じた。
呪われて、椅子になる設定は滑稽で子供騙しだなぁと感じ、冷めた目になってしまった。飲み屋の場面や車で移動する時の選曲などが昭和の懐メロをあえて使っているところは、典型的な大人騙しだし、3・11に関係させる展開も作品に社会の関心毎を登場させようとする意図。また熊本、愛媛、神戸、東京、宮城の具体的場所を登場させるのも、聖地化させようとする意図が透けて見える。
可愛い女の子、ファンタジー要素、具体的な場所を用いた場面の作画等、君の名は?の二番煎じと感じさせるようなこの作品は、クリエイティビティは感じられず、単に共感や感動、ブームを呼ぶにはどうしたらいいかを逆算して考えられた作品に思えてしまって、薄っぺらい。
見た人からは一定の評価を受けており、ある程度の成功はしているのかもしれないが、それで良しとはして欲しくないと思った。
ダイジンかわいい
すごくおもしろかったです
最初の戸締りするところ怖かったけど、すごい迫力あり引き込まれました
草太もイスもすごくいい動きをしてて、かっこいいし見応えあります
ただ一つ残念なのは、主人公のすずめにほぼ感情移入というか、理解できないこと。
え?高校生ですよね?もうちょっと自分以外の気持ちとか考えてもいいんじゃない?と思ってしまう
自分がされて嫌なことを平気で関係ない人には押し付ける。自分と草太以外は眼中にないって感じでちょっと理解できなかった。
ダイジンとかほんとにかわいそうだった
結果オーライだからいいのかもだけど、もうちょっとすずめの成長が見たかったなあと思う
周りに生かされたなあという感じ。
ただの個人的願望で、新海誠監督が描きたいストーリーはこっちだから、とやとや言う筋合いはないんだけど..
あと、震災の当事者でない私でも最初本当にしんどくて、会場を出ようかと思ったくらいなので、被災者の方はいろいろ思うことがあるかもしれません。
母を探す子に「(母のいない)明日がある」と言われても
緊急アラートや震災の描写があることは注意喚起があったのでメンタル武装できましたが、どうしてもダイジンのことを考えると気持ちが沈みます。
同時に主人公であるすずめを好きになることができませんでした。
わたしは震災とは異なることで生きるか死ぬかは運次第ということを体感した人間です。だからこそ幼少の自分に聞かせた言葉が全く響きませんでした。弱っている人間は正論や眩しいことを説かれても何も入りません。
例えば転んだ子供に「あそこで足元を見て歩いていれば、走らなかったら転けなかったよね」なんて言うでしょうか。そこで必要な言葉は「痛かったね」や言葉ではない抱擁だったりすると思います。
幼少の自分に宛てるというより、この物語を観る人へというメッセージが強すぎて新海監督のご高説でしかなく、物語として締まらないなと思いました。
胸がざわつく映画でした。
南海トラフあたりで気が付きましたが
九州では【戸締りが間に合わなかったから熊本地震が起きた】と
史実につなげてからの最後の東日本大震災へつながる流れ
炎が暗闇の中線状に伸びていく絵など
当時、ニュースで見た映像によく似た景色が多かった
私は、再び見る事はなさそう。
それはある扉を閉じたことから始まった…
今回の新海監督のアニメは震災をテーマにした映画で深く感じました。
全国の廃墟にある扉を閉じに旅に出た少女と青年(実質椅子)が猫を追いかけながら閉じに行くという設定が面白い発想だなと思いました。
中でも終盤辺りの少女の日記の部分が黒く塗りつぶすシーンが震災を感じさせる事で深く感じました。
(ฅ ॑꒳ ॑)ฅ スーズメッ!
めちゃくちゃ遅れてようやく観ました、すずめの戸締まり。正直1回観ただけでは最後の方の理解が追いつかなかったです。もう一度観たい...
何故急に子猫からダイジンと呼ばれるようになったのか、何故すずめに嫌われるとシオシオになったのか、左大臣?はなぜ急に環さんに乗り移ったのか...
謎が多いです🤔
しかしそういう謎や理解出来なかった点を含め相変わらずの映像美や切ない音楽、話のスピード感諸々おもしろい映画でした。
ダイジンをなぜ猫にしたのか
どうしても私見を述べて、近い意見の方がいたら「そうそう」とうなづいてもらいたいと思い初投稿です。長いですがお付き合い頂ければ嬉しいです。
この映画「すずめの戸締り」
素晴らしい!から駄作、まで感想の幅も広く、それだけ皆の感性や気持ちを刺激し、たくさんの問いかけがあり、考察させてしまう作品であることは間違いないと思います。
前置きが長くなりましたが、
もしテストで「映画を観たことのない人のために、監督が最も伝えたかったことを50字以内でまとめよ」と出題されたら、私なら
東日本大震災で母親を亡くした子どもに、成長したその子自身が「大丈夫」と伝えることで自分を救う物語 (48字)
と、まとめます。物語の内容ではなく、骨子なので、このようにしました。
しかし、物語構成要素が他にたくさんあって、というかありすぎて、観客の頭がぐるぐるしてしまい、また、それらの物語要素ひとつひとつに説明がない(あっても少ない)ので、いったい物語の最も太い屋台骨はなにか? をはじめとして、観ている側にはたくさんの疑問点が出てきます。なので、私の五十文字以内まとめとは違う内容を選ぶかたもいらっしゃると思います。
映画は観ている側に委ねる、考えさせるものでもあると思うので、それでいいと思います。監督の最も伝えたいこと、それも受け手によって変わってくる、それもいいと思います。
が、それにしてもかなりモヤモヤ度がデカい。
その中でも私の一番のモヤモヤは、以下のような事です。
ダイジンという役を猫で表現したのがエグい。
要石に戻りたくない、要石から解放して「うちの子になる?」と受け入れてくれた(ように見えただけ)鈴芽と居たいから。でも、鈴芽に愛されていないとわかり、誰かが要石にならないといけなくて、愛する鈴芽は椅子の代わりに自分が要石になると言ってる、だから自分(猫)が要石に戻る。
...このダイジンが人間の大人の姿だったら、もう少しモヤモヤが少ないのにな、と思った。子猫に、報われない愛と自己犠牲を表現させるのは、モヤモヤする。鈴芽と草太を祝福できないのだ。ヒロインを肯定できないまま映画が終わってしまった...
全てが終わって日常に戻った最終場面で、私は、鈴芽が白い弱った野良子猫と出会ってダイジンを思い出し、ああこの子猫をダイジンの代わりに大事に育ててやろう、と決意し、抱っこしているところに草太が現れる...みたいなラストにならないかな〜(なるとは思ってなかったが、希望として)と映画館で思っていた。が、やはり鈴芽と草太の再会だけで映画は終わった。
要石を可愛らしい姿で表現し、自己犠牲させることの意図はなんだったのだろう。草太と同じように若くてイケメンの男性で、鈴芽を想うが報われない、ではダメだったのか。或いは他のブログで拝見した意見だが、江戸時代から生きてるヨボヨボのおじいさん、とか。それにしたって、要石の刺さってる皇居下(だっけ)に向かって手を合わせるくらいしても、いいんじゃないか?
可愛い子猫のほうが、映画ビジネス的に都合がいいからなのだとしたら、モヤモヤ大爆発である。
せめて、ダイジンが愛のために自己犠牲になるのではなく、要石に戻るのはそもそも自分の仕事を全うするためだが、何日か猫の姿に戻れてリフレッシュできたよ〜ありがとね〜またがんばるよ〜、くらいにできなかったのか?
でなければ、草太が自分の家業である閉じ師を全うすべく要石になり、鈴芽は彼を忘れず生きていく、のほうがまだスッキリするのだが...もういっそ、愛と平和のために鈴芽と草太が二人で要石になっちゃうんでもいい。まだそのほうがわかりやすい。そもそも要石を引っこ抜いたのは鈴芽なんだし(マッチポンプという感想さえあった)。
鈴芽の手で猫に戻しておいて、自分の猫にならないかと誘っておきながら都合が悪くなると存在を否定して、自分を愛してくれる猫を自分の好きな男のために犠牲にして思い出しもしない、というのは納得できない。しかもそれは、日本を地震から守るためという大義名分がついているのである。ますます納得いかない。
人がいっぱい死ぬね、とダイジンに言われて(このセリフもかなり賛否の否が多いようだ)草太を要石にせざるを得ないというのは、自分の愛する人より、地震を防ぐ事を選んだ、と解釈できる。
もし、地震より愛する人を選んだ場合、首都圏直下型地震を映画の中で具体的に描くことになってしまい、それはあまりにエグいからできないという、現実的な理由もあるよなぁと思った。
映画を観たあと調べたら、案の定ダイジンのぬいぐるみなどグッズが売られていて、ますます割り切れない思いだった。可愛い猫を登場させたほうが儲かるから、という意図まで勘ぐってしまった。自己犠牲の猫をグッズにして売らないで欲しかった。
しかも、新海誠監督は猫を飼い始めて、名前を鈴芽と椿芽にしたそうではないか。なぜダイジンとサダイジンにしないのか.....
この映画を駄作とまでは思わないし、楽しく鑑賞した。映像美も素晴らしく、さすが新海誠映画だとその点感動した。でも、とにかくダイジンの扱い方、動かし方、結末においては全く納得できず、モヤモヤは膨らむ一方であり、そのために他の重要部分(東日本大震災について、寂れた土地を想い鎮めること、鈴芽の自己救済、鈴芽と環の関係性、鈴芽と草太の恋、芹澤の役目など)は全然考えられなくなっている。
鈴芽とダイジンの関係と、環と鈴芽の関係を対にする考察も多く見たし、なるほど...と思ったのだが、もう長過ぎちゃうのでここでは触れないでおく。ただし、環が鈴芽に発した「うちの子になる?」と、鈴芽がダイジンに発した「うちの子になる?」の重みが違いすぎるのに、対比させることにはどうも違和感がある、ということは記しておきたい。
そして以下は重箱的ツッコミ(笑)
①物語の冒頭、鈴芽が草太を追いかける理由がイマイチ伝わってこない
イケメンだから&どこかで会ったような気がするから、という事だろうけど、それもコミカルな台詞で印象が薄まっちゃって。
②水溜まりの真ん中にある扉まで、ローファーを履いたまま歩いていくだろうか
そこまでするほど扉に惹きつけられているように見えなかったのにな〜的なこともあり、単純に女子高生がそこまでするかな、的な意味もあり。
③なぜ要石を抜いたのだろうか
たまたま目についてなんとなく軽い気持ちで...としか見えなかったけど(なにかもっとありましたっけ?)、ここは物語の全編に関わる部分なのになぁ、という疑問
④会ったばかりの男子が怪我していてイケメンで気になるからと言って、自分の家、自分の部屋にまであげるだろうか
せめて玄関先とかじゃね?
⑤鈴芽の部屋に来たダイジンは、自分が引き抜いた要石が姿を変えて、その手から逃げ出した猫だと、彼女は気づいたのか
気づかずにエサをあげて「うちの子になる?」と致命的な台詞を吐いたのだと認識していますが、どうだったっけ?
草太はすぐに分かったんですよね、だから、要石に戻れと言って、逆に椅子に閉じ込められてしまうんですよね。(合ってる?)
⑥スマホ以外何も持たず、フェリーに乗り込む女子高生がいるだろうか
物語上絶対に必要な流れだし、椅子とダイジンを追いかけてるからしょうがないんだけども、唐突過ぎるというか、無理があるというか、不自然に感じた。スマホがなかったらどうするつもりだったのか...
⑦お金の支払いが全部スマホだけど、鈴芽の口座には一体いくら入っているのか
環さんがお金を管理してるから心配しなくていいのか。それにしたって使い過ぎ...それと、あんなに何でもかんでもスマホ決済できるの?現代社会はすごいな
⑧旅先で会う人々は、なぜあんなに優しくて寝食提供のみならず心の交流まであるのか
これも物語上大事な部分なので、ケチつけないほうがいいのはわかってるんだけど...なんか不自然に感じちゃって。最初に会う旅館の娘も、せめて親にバレないようにかくまう、とかのほうが自然なのでは...
⑨鈴芽が、椅子である草太に座ることは、草太をコミュニケーションの輪に入れることになるのか
お尻を草太に密着させるのって、なんかちょっと恥ずかしくはないのだろうか。
椅子を入れて記念撮影までしてるのも、なんか違和感。
キスすると起きるよ、と聞かされて簡単にキスしてるけど、それもなんか...
お互いに惹かれ合っていくんだなという描写も見えずそんな匂いもしないのに、物語の都合だけで「好きだ!」ってなっちゃってる感じがどうにも否めないんだよねぇ。それに比べるとダイジンが鈴芽を好き!っていうのはなぜか伝わってきたよ。なんでだ?(ハッキリ言ってるからってのもあるけどw)
⑩教員採用試験の二次をすっぽかす事が、自分を粗末に扱うことにつながるのか
この芹澤の台詞は、映画館で配られたスピンオフ小説で出典?が明らかになるもので、草太と芹澤の繋がりを示す大事な台詞ではあるのですが、なんかちょっと、違和感。すっぽかすなんてよっぽど何かあったんだろう、いったいなんなんだ、心配だ!ならまだわかるけど。芹澤が草太を心配してるのはよく伝わってきたから、心配だって台詞はいらないけど、自分を粗末にしすぎる、はなんかヘン。
映画ではわからない部分も多いから、小説版を読んだらいいらしいのですが、それはある意味禁じ手とも考えられるので、映画だけで考えています。
.
映画を観た後、家に帰って飼い猫をめちゃくちゃ可愛がって、心の中で「ダイジンごめんよ」と何度もつぶやいたが、同じ事をしてる方がネット上にもいらして、あー同じ気持ちの人いっぱいいるんだろうなぁと思いました(笑)
もう、タイトルを「すずめの戸締り」じゃなく「かわいそうなダイジン」にしちゃえ。
正反対で同じな二人
封切りで見て、やっとレビュー書こうという気持ちに。
映画全体としては本当に良く出来ていて、相変わらず美しさとリアリティを貫きながらも、今までの作品よりクスッと笑えるポイントも多くて。
何度でも見たいし、定期的に、春や夏に見たくなるのだろうと。無くなった世界を思い出すように。
それはそれとして、主役であるすずめと草太さんのパーソナリティのリアルさに舌を巻いたのでその話を。
すずめは2011年に被災した孤児で、「人間はいつ死ぬか分からないから」と、自暴自棄な面がある所が映画では何度も描写されます。
人のために死んだ母親をなぞって、どうせ失うならと命を有効に使う場を探している側面があります。
看護師を目指しつつも、「それまで生きていられたら」という前提で序盤ではものすごく熱心という事もない様子です。
一方草太さんも作中ではっきりと明言されていませんが彼も被災した孤児です。
そして彼の場合は「人間はいつ死ぬか分からないから」やりたい事を生きているうちに全てやろうとしているように見えます。
どうせ失うならと、死ぬまでに家業も続けたいし、教員になりたいし、こんな所で終わりたくないのです。
なので、浮世離れした外見に反して生に貪欲でオーバーワーク気味です。
そういう意味で、二人は幼い頃に場面は違えど同じ傷を負って同じ結論を得た同士でありながら、その傷へのアプローチが違う二人なのです。
だからこそ、惹かれたし寄り添えたんだろうなと思うし、その正反対のアプローチが『人』だなぁと思うのでした。
ジブリ感
新海誠監督の作品は「君の名は」ぶりに劇場で観ました。
き「君の名は」で光が割れるシーンがジブリの「ハウルの動く城」でハウルの幼少期に心から光が放たれるシーンと類似しているのは知っている方もいらっしゃるかなと思います。
今作でも、"あ、これは千と千尋の神隠しで龍になったハクの背中に千尋が乗って空を飛ぶシーンと似てるぞ?"とか、これまた"これはハウルの動く城のハウルと、壊れてしまった城を描いたシーンに似てるかも"とか、
わたしの頭の中にジブリがあったからその先入観もあるのかもしれませんが、
所々似てるなあ…新海監督はジブリに影響されているのかもなあ…と感じました。
松村北斗さんと原菜乃花さんの声のお芝居はもちろんのこと、白鵬さんの声のお芝居に心を掴まれました。すごい迫力。声だけであんなに気迫を感じさせられるのはすごいです。。圧巻でした。
肝心のストーリーはというと、考察が読みたくてたまらやくなりました。
一度では理解できない難題ストーリーです。。
あまりにも陳腐
どこかで見たようなストーリーのつぎはぎ合わせ感がすごい。
なによりもしょうもないポイントが、東日本大震災という実在の自然災害をミミズという超常現象のせいだとした設定。ストーリー上そうする必要があったのなら目を瞑るが、結局ミミズの正体はわからずじまいでなんの意味もない。
ストーリーの本筋も、顔のいい男とそれに恋した女が人柱状態になりかけて日本を救おうとするだけ。全てが陳腐すぎて逆に面白い。
主人公の女の周りの人間達も、主人公を助ける(時には安っぽい障害になる)舞台装置でしかない。いそうでいない奴らばっかでクサい。
神様猫の扱いも酷すぎる。カップルのイチャイチャの踏み台になった猫。胸糞悪い。グロ映画だったのかな?www
時間を無駄にした。最低最悪。☆0.5は映像と音響分。
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