すずめの戸締まりのレビュー・感想・評価
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ストーリーは支離滅裂ながら映像に引き込まれた
SFなんで多少のことはごちゃごちゃ言いませんが、やはり理屈が通ってないと引っかかってしまう。
ダイジンが夢叶わないと悟り、せめてすずめの手で戻してと願うシーンが不憫で、思い返すたびに泣けてくる。
日本人にしか描けない新しいファンタジー
遅ればせながらようやく、鑑賞できました。
音響に映画館ならではの工夫がされてるとのこと、是非映画館で観たかった!
スピーディーな展開、映像の美しさ、素晴らしかったです。でも、何より、ストーリーが独創的でした。
これは、災害をいくつも経験した日本人にしか作れない日本独自のファンタジーです。
「君の名は」「天気の子」をも越える傑作といってもいいと思います。
「君の名は」でも主役の女の子は巫女の血をひく女の子でしたが、今回も主役の草太は災害を防ぐ役割を持つ「閉じ師」でした。こういう設定が日本的な味わいを深めてくれて魅力的ですよね。大好きです。
草太の「戸締まり」する時の祝詞のような呪文、古事記から取ってるようですが、これもとてもよかった。なぜなら日本人が、ずっと神社を通じてやってきたことだと思うからです。
それを上手く新海流で現代風に描きました。
また、恋愛の要素も無理なく入っていて、いつもながらハッピーエンドなのもよかったです。
個人的には伯母さんの環さんに同情しました。
そりゃー、怒るでしょ!あれは。
ちゃんと説明しろ!って言いたくなりますよね。
意地悪だった元要石の猫も、最後はまた要石に戻ってくれたところが感動しました。
声優陣も素晴らしかったです。特に神木隆之介が上手いなあと思いました。北村北斗もすごく、あってました。
強いて言えば曲の印象が今回は他よりやや薄いかもしれません。でも、これはこれで作品の印象が強くなるので、いいと思います。
EDは良かったです。
震災の元となる扉を閉める為、要石の大将を追う少女の奮闘を描く物語。
ヒットメーカー新海監督のオリジナル作品ですね。
物語はロードムービー。前半は、椅子となった草太と共に、要石・大将を追って旅をします。愛媛で、神戸で現地の人の温かみに触れながら、すずめと草太の関係が深まっていきます。
後半は叔母と姪の物語。草太を助ける道行きに、二人の苦悩とすれ違いを描きます。
中盤とクライマックスにあるミミズとの激闘は迫力十分。特に、中盤御茶ノ水でのシーンは、見知っている街並みだけに臨場感を強く感じることが出来ました。
また、お茶の水で草太を失い傷ついたすずめの描写は秀逸でした。心身共に深く傷ついた状態なのに、草太を助けるために力強く歩むスズメの強さに心打たれます。
映像は流石の新海クォリティ。背景もキャラも、そして動きも文句なしの一級品で、物語を引き立てます。
ただ、それでも私的評価は2.5にしました。
この作品の問題は3点。
一つ目は、スズメが旅に出る理由がないこと。言い方を変えれば、旅に出て成長しなければならない理由が序盤に明示されていないこと。
例えば、反抗期をこじらせたスズメが叔母との関係が微妙になっていて・・・とか。
例えば、震災のトラウマがぶり返して・・・とか。
旅に出て色々な人に触れ合い、困難にぶつかり、本音で叔母と喧嘩して、故郷に帰ることでそんな状況が改善する流れなら、物語として深みが増すのでしょう。
でも、そんな前振りがないので、物語全体を浅く感じてしまいます。
二つ目は、スズメが自分の命を賭けて草太を救おうとしたこと。
勿論、愛情の深さと係わった時間はイコールではないかもしれません。でも、自らを要石にして草太を救おう・・・という決断は、極端過ぎます。
その場の感情で「思わず」ならまだ少しは理解出来ます。
草太を救うには、命に危険が及ぶ行動が必要になる・・・なら理解出来ます。
でも、一定の時間を経ってまだ、自らを要石にする決断は、寧ろ現実感がなく興ざめしてしまいます。
これは叔母を救う・・・とからな納得感も出るのですが、流石に浅すぎます。
そして、最後になりますが・・・、声優の力不足。主役を務めた二人、厳しい言い方をしますが、本当に下手くそでした。なぜ、この演技でOKが出るのか理解出来ません。あのクオリティの映像を作り上げたアニメーターの方々への冒涜・・・とすら感じます。
ジブリへのオマージュも戸惑い以外感じることは出来ず、映画としての評価は厳しくなりました。
イケメン男への思い入れ
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女子高生のすずめが登校中、一人の男に会う。
このあたりで廃墟はある?と聞かれ、教える。
でふと気になって、すぐに自分もそこへ行ってみる。
そこにはどこでもドアみたいなのがあった。
近くに変な封印石があり、地面から引き抜くと猫になった。
そしてどこかへ走り去ってしまった。
その後、ドアから黒いものが天に向かって生えて来た。
であの男が必死でドアを閉じようとした。すずめも手伝う。
そして何とか閉じて鍵をかけた。
男によると、血の底にはミミズという物の怪?がいるらしい。
それが戸から出て来て空に上がり、地上に落ちると地震になる。
日本中にそんな戸があり、ミミズが時々出て来るらしい。
それを閉じるのが先祖代々、その男の仕事らしい。
やがて上記猫が現れ、男を椅子に変えてしまう。
すずめは椅子と共に猫を追い、宇和島、神戸で戸を閉める。
そして東京へ。そこで巨大なミミズが出現。
これを収めるために、椅子(男)が封印石となった。
それを雀がミミズに刺し、何とか収める。
男を好きになってたすずめは、男の爺さんに会いに行く。
で、自分が少女時代に誤って戸をくぐったことを知る。
その戸からならミミズの世界に行けるとの話。
ということで故郷の東北へ。そこへ猫も来て、一緒に行った。
で戸を見つけてミミズの世界へ行き、封印石(男)を抜く。
すずめは男を助け、自分が封印石になるつもりだった。
でも猫が自ら再度石になってくれて、それで封印できた。
こうして男は現世に戻って来られた。
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うーん・・・・・・。
率直に言って、確かに面白い。いい映画だと思う。
でも爆発的ヒットするほどか?ってのは少し思ったな。
すずめは自分の気持ちに従って行動できる、魅力的な女の子。
多少ムチャはするが、若い頃はそれくらいの方がいい。
最後までそれが一貫してたし、そこは感情移入できる。
でも、え?って思ったのが、自分が封印石になるとか言い出す所。
何で??男は確かに優しく魅力的だったとは思う。
でも会って間もない関係で、自分の人生を捨ててまで助けるか??
そんなことまずないし、そこで急に猫が自ら石になるってのも、
あまりにも都合が良過ぎというか、話にムリがないかい?
それにこの男は偶然イケメンやったわけやけど、
もしあれが平凡な顔だったら、この話ってどうなんの?
すずめがあそこまで行動するとは思えないんですけどw
つまりこれは、顔が格好いい男が女子高生から惚れられ、
それによって命を救われ、人生を取り戻す話。ってことになる。
何かそう考えたら、低俗やな~ってちょっと冷めるわw
大事なことをずっと心に刻んでおける映画
3.11の震災を地元で経験した友人と見た。
友人は映像を見ただけで地元のことだと分かったそう。
映画終わりには泣いていた。
私はこの映画を通して、震災時に東北から離れたところにいたため、心なしか震災がリアルではなくテレビの中での出来事のように思えていたことに気付かされた。
大事なことは忘れてはならないし、日本は地震大国とも言われてるくらいこれからも地震はなくならないと思うので、みんなで助け合えるようにしたい。
映像、音楽、ストーリー、何もかも美しくて世界に発信したい映画だった。
『ネコと和解せよ』
今更ながら、『すずめの戸締まり』のレビューを書く。
本作の公開日は令和4年11月11日。私が本作を映画館で鑑賞したのは同年11月22日だった。
結論を先に書くと、本作は傑作である。
自分の中でのベスト1である『君の名は。』(前々作)と順位を入れ替えるには至らなかったが、それでも、『天気の子』(前作)を上回る出来であった事は間違い無い。
で、本作を鑑賞直後に私が思った事が、このレビューの表題そのまんまである。
……これだけだと意味不明なので、以下、主に主観的な記憶を頼りにして、私がレビューの表題の通りに思った理由を書く。
例によって、他者のレビューに影響される事を防ぐため、私は本レビュー執筆に当たって他者のレビューを読んでいない。
前作『天気の子』のレビューでも書いた事であるが、「芸術家はデビュー作で追い求めたテーマやモチーフを生涯追い続ける」とはよく言われる事であり、本作も例外ではないと思う。
本作にも、既存の新海誠作品から踏襲してきたと思われるテーマやモチーフが多々見られる。
「思わず祝福したくなる様な若き男女の愛」
「その愛を阻もうとする理不尽や不条理」
「少年少女にとって、時に敵や障害となり、時に味方となる大人達」
「大きな災いに抗おうとする人々のつながり」
「ドラマを引き立てる小道具や舞台装置としての、
SF的あるいはファンタジー的ガジェット」……等々。
但し本作の場合、前々作や前作と違い、主人公カップルの愛の成就にとって最大の『障害』になるのは『大人達』ではない。
『神』である。
もう少し詳しく言うと、制御する術が殆ど無い自然現象や怪奇現象の戯画・擬人化としての『神』であり、本作では白猫の姿をし、「ダイジン」という通称で呼ばれている。
この「ダイジン」、恐ろしい超常能力を持っており、主人公カップルのカタワレである宗像 草太 を造作も無く3本足の幼児用椅子に変えてしまい、主人公カップルの前から逃げ出してしまう。
草太に惹かれ始めていた主人公カップルのカタワレのもう片方である女子高校生、岩戸 鈴芽 は、草太を元の姿に戻す(※)ために奔走する破目になる。
(※草太は何故か幼児用椅子の形態でとりあえず行動可能であるが、後に劇中で判明する通り制限時間が有り、その制限時間を過ぎると元に戻れなくなり、ダイジンの身代わりとして要石になってしまう)
ダイジンの正体は、劇中で大震災を引き起こす超常的存在(劇中では『ミミズ』と呼ばれていた)を封じる『西の要石』であり、背景設定によるとかつては人間の子どもだったらしい。
『要石』としての境遇に不満を感じていたのであろうダイジンは日本列島を北東に向かって神出鬼没に移動し、気ままに遊びまわるが、その結果、封じられていた『ミミズ』が動き出し、東京都であわや大震災が起こりかける。
物語の中盤、ダイジンを追う過程で要石とミミズの関係を知った鈴芽は、先代要石であったダイジンを知らぬとは言え自分が解放してしまったという自責の念も有ってか、ミミズを封じるため、大震災がもたらす被害と草太の存在とを天秤にかけ、号泣しながら、要石と化した草太をミミズに突き刺す。
……前作『天気の子』では大水害がもたらす被害と想い人の存在とを天秤にかけ、帆高は想い人の方を選んだ。
本作の鈴芽の選択は前作の帆高の選択と真逆であったが、それぞれの置かれていた境遇の違いも有るので、「どちらの選択が正しかったか?」を問うのは、難しい。
この辺りの問題(トロッコ問題の様に、主観的な選好と功利主義的な判断とのせめぎあいが現れる問題)については『天気の子』の方のレビューで書いたので、ここでは多くを語らない。
ただ、本作中盤での鈴芽の選択が、前作を見た人に対して新海監督が提示した「トロッコ問題の別の答え」である事は、おそらく間違い無かろう。
ここで物語が終わっていたら本作は悲恋ものになるのだが、終盤へ向けて鈴芽は、ダイジンが再び要石に戻って元来の役割を果たしてもらう様、そして草太が再び人間の姿に戻って帰ってくる様に、様々な人達の助け(※)を得て、奔走する。
(※人間に限らず、ダイジンと対を成す黒猫の姿をした神『サダイジン』の助けも有った事を、ここで言い添えておく)
……ここから先の展開は是非とも本作を見て確認していただきたい。「心地良いハッピーエンドである」とだけ言っておこう。
何にせよ、鈴芽とダイジンが和解しなければ、ハッピーエンドにはたどり着けなかった。だからこそ、本作鑑賞直後にこう思った。
「ネコと和解せよ」(※銀河万丈さんが威厳に満ちた役を演じる時の様な、厳かな声で)
震災で幼い頃に亡くした母への想い、大丈夫だよ!って言える未来の自分が心を救う!
コロナ第8波到来か、ワクチン4回目打つも
そろそろ限界に達してきてる人類と思う今日この頃。
劇場封鎖に成らないでくれよと願うばかり~
そんな中、新海作品待望の「すずめの戸締まり」を観に行った。
前作の2019年の天気の子から3年だな。その時は
7月19日 公開されたんだが、その前日 京都アニメ放火事件が
有った事は記憶に新しい・・・。
(CAST声)
岩戸 鈴芽(主人公):原菜乃華さん
岩戸 椿芽(母、東日本震災で亡くなる):花澤香菜さん
岩戸 環(すずめの育ての叔母):深津絵里さん
宗像 草太(閉じ師、イス):松村北斗さん
ダイジン(要石、猫):山根あんさん
芹澤 朋也(草太の友):神木隆之介さん
宗像 羊朗(閉じ師師匠):松本白鸚さん
新海誠氏の初心作「星を追う子ども」の頃に回帰した感じを受けた今作。
前作の『天気の子』よりは 数段良かったかな。
前作同様に気象ネタに挑む姿勢には賛否が出そう。
特に東日本大震災から11年過ぎて、これを扱うにおいて
人それぞれ思いが違うでしょうし、神戸も出てきますが
阪神大震災からでも27年。
軽々しくは扱えないテ-マだとは感じます。
ネタが偏ってるようにも感じられるけども
地震をナマズではなくて ミミズで表現しているのが新しい感覚かな。
安政2年(1855年)の安政江戸地震の頃に、
鯰(ナマズ)をモチーフにした錦絵が出まわった。
これは鯰絵と呼ばれるそうで、鹿島大明神が ”要石(かなめいし)”で
大ナマズを押さえている絵などがあるそうですよ。
それが元ネタなんでしょうかねぇ。
作画の美しさや、声当てに関しては
違和感なく定番通りと感じます。
ただ、ダイジンキャラに 少々イライラ感を発しましたがw。
何のために要石役を降りられたのか・・・
結局元のお役目に戻ってしまって。
悪さする割にはすずめ達にくっついてきて、
結局 他人に無視されては何処にも行けないダイジン。
知らぬ間に もう一匹の黒猫(要石)もやってきて
皆でハチャメチャドライブは ありゃりゃ~の感じ。
実のところ まとまりが悪すぎて
前作同様に展開死に至りそうに感じてはいましたが、
この 育ての叔母(環)が心配してすずめを追いかけてきて
すずめと本気で口論するところは良かったです。
実際 震災の被災者とそれを保護した人々との圧壁も
当時も今も有ったと思うし、
育ての叔母と心の底からの本音吐露が、
より生きてる実感を増してると感じました。
そして、扉の隙間のアノヨ世界で
草太と二人で最大ミミズに要石を刺して
大いなる地震の災い発生を納める~
冒頭にあった、寒い夜の震災跡地の草原を駈けていた~幼女すずめに
手を差し伸べていたのが、母ではなくて
未来のすずめ本人で~ ”大丈夫だよ!” って過去の自分に対して
ギュッとハグするところは とっても良い場面でしたね。
ここは凄く心がグッときましたよ!
それは震災の被災者だけで無く、日本各地の豪雨災害、豪雪、土砂災害はじめ
交通事故、病気など 色んな事で肉親を急に亡くしてしまった
人々総てにエ-ルを贈る~ それなんだと感じます。
どこかで・・・、どこかで心に整理を付けて
前に進ま無きゃいけない、そんな自分があるわけで。
そんな空虚な心の扉が開いたままの 自分があって
だから 最後の言葉に
”行ってきます” ・・・と自分でその扉に鍵をする~。
その意味を知った時、
彼女の成長とこれからの幸せを願わずにはいられない、
そんな思いに浸りました。
今 劇場が凄くホットな状態になってます。
是非、ご家族揃ってどうぞ!
あの世にいるときは過去も未来も知ってる、かも。
★四つ以上
★★★★☆
★五つ未満
ぼくの個人的な見解です。間違ってるかもだけど悪しからず。
ネタバレあります。
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~
~
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■自分が地獄を引き寄せたと思う人はこの映画をみて過去を思い出すかもしれない。
ボクは思い出した。
■お母さんの思い出は、やっぱりお母さんなんだと思う。
■おばさんとの口論は、昔のことおばさんが忘れるわけないから、たぶん記憶がすぐに思い出せなかったか、多層世界の重なり具合で違う世界の同じ姿かたちの、ちょっとイライラしてる世界のおばさんだったと思う。
■あの世で人に会う場面、台詞が思い出の
と違うけど、今回の主人公目線ではその台詞になってて、主人公としては今回の台詞で会話したと認識されて、
一方で
相手が受け取った台詞は映画での今回の台詞とは違って昔通りの台詞になってるんだと思う。
■同じ世界にいるのに災害の予兆が見える人と見えない人がいる描写があるから、
自分が認識してる言葉のやり取りにも、
個人個人で個別に違ってると、拡張解釈してみた。
■あの世では服が自動修復されてる感じだから
あの世にいるときは服にも命が宿ってるのかもしれない。
だから重要アイテムもあの世にあるときは命が宿って自動修復されてるんだと思う。
■あの世で魔物を鎮めるクサビ形の石になる存在は、次第に神の力を得る台詞とか、人間でもなれるかもしれない描写があるから、元人間なのかなと思う。
■無邪気なあいつは、あの世にいるときは時空を超えて未来と過去の事を繋げて認識してて、それで関係あるスズメがどんな人か知ってたんだと思う。
この世にいるときは超越認識ができないから
ただのイタズラっこな子供みたいになってたんだと思う。
■この映画は女の子と無邪気なあいつがダブル主人公だと思う。
助ける対象(男性&姫属性)も主人公仲間とカウントすればトリプル主人公だと思う。
■最後の方で思い出が嘘だったんだと思ったら涙がすこし出ちゃったけど、思い出を見てる主体ごとに、別々の世界を見てるとしたら、別になにも失っていないんだと思うし、泣く必要なかったな、と思う。泣いて損したというか、もっと違うときに泣けるようにしたいと思った。
■現実で同級生が泣いても、現実で親が泣いても、ぼくは現実のことでは泣けないから。
共感力が無いのと、人の気持ちに鈍感で、いつも批判的な意識で緊張してるんだと思う。
現実でも悲しいときに流れる定番のBGMがラジカセAIから自動的に流れるAIシステムあれば泣けると思うけど、それは現状無理だから困る。
■これは恋人向けなので、仲良くなりたい人と一緒に見ることをおすすめ。
こんなんでジブリの後継になれると思わないでね シナリオライターといえるレベルではない
まずここまでで判明しているパクリ(オマージュといえば何してもいいんですか??)をまとめます。
特別な鍵で扉を閉める→もろキングダムハーツ
みみずのデザイン→エヴァの使徒、もののけ姫のデイダラボッチ
扉の向こうが草原の広がる時間のない世界→ハウル
ソウタのキャラデザ→ハウル
いすのデザイン→よつばとのダンボー
猫のデザイン→魔女の宅急便
昔の自分と対話→ハリポタ、ドラクエV
みみず・話→村上春樹 かえるくん、東京を救う。
とにかく多すぎ。どこにオリジナリティがあるの。
あとアマノウズメをモチーフにしてるていうけどアマノウズメって上半身裸で踊ってみんなを爆笑させた女性なんだけど大丈夫???
弟スサノヲの狼藉にショック受けて太陽神の天照大神が閉じこもってしまい、世界が真っ暗になってみんな困ってた。
そこでアマノウズメが自分の乳をさらけ出し、アホみたいな踊りを披露して楽しい笑いが起きて、なんだろう、この私がいないのに何がそんなに楽しいの?と天照大神が出てくるって話で、
特にリンクしてないよね。
そのくらい監督は知ってるはずなんだけど。
で、すずめはチラッとあっただけのイケメンがいない世界がめちゃくちゃ怖いらしい。
その一方あんないい一軒家に住まわせて経済的にも何不自由なく、人生犠牲にしてまで育ててくれた叔母さんのことは過保護モンペ扱いでイケメンのために逃げる逃げる。
挙げ句「(育ててくれなんて)頼んでないっ!!!」
完全に人の心がありません。
家出の理由「言ったってわかんないよ」って、ダイジンや椅子が話すのも目に見えるんだから、荒唐無稽な話でも信じさせるのは可能だよね。三葉のパパみたいな頑固親父でもないのになぜ説明放棄?
こんな恩知らずを引き取った叔母さんが不憫でならない。
あとソウタが年上の教員志望である必要まっったくなし。
そもそも一家代々閉じ師でありながら教員なんか志望する意味がわからん。激務だよ、平日休み取れないだろ。土日や夏休みしか地震おきないのかな??
無理があるだろー…さすがに…
あと中途半端に叩かれたくないのバレバレ。
地震が来そうで来ないんだもん。閉じてるから。最近は真面目に全国行脚してるから閉じられて良かったねって感じ?
全部閉じ師の頑張り次第なわけ?
違うでしょ?プレート同士のぶつかり合いなんだよ?
例えばプレートに見えるものは実は地中に潜った神でそれが争っているとか、何か整合性とってよ。ミミズが湧き出してそれが倒れた衝撃で揺れるなんておかしいじゃん。
で、3.11のときは無念にも都合悪くて?力強くて?要石の都合で?閉じられませんでした。。て?
じゃ、事情を知りながらどうにもできなかった閉じ師のせいで起きた人災てことでOK?
そんなものすごい自責の念抱え切れないよ…。
これからもやるなら全力で365日24時間やんなきゃだよね。閉じ師だけでは食べてけないって誰がお金くれてんだか知らないけどわかっててお金あげてるわけだから衣食住絶対保障されるべき超重要職だろ。
なんで困窮させてんだアホか
話の流れとしても椅子になる意味がわからん。
民話か何かのオマージュとか言ってたけど意味がわからん。必然性がないんだもん
震災のショックから立ち直れない人が唯一心を開ける同級生が何してるかと思ったら実は閉じ師だった。とか、そういう方がまだ説得力あるよね。
なんか子供の頃見た二人は大人になった自分たちって話もさ、そうはいってもその二人であって5日だからねってのは変わんないし、生きてりゃイケメンと恋する楽しみが待ってるよ!て!軽薄すぎて。まあ新海誠はこんなもんだな…。
おばさんも綺麗で若いよね,そういう人しか描けないもんね。カンタのばあちゃんみたいに綺麗じゃないけどみんなの心が温かくなるような人描いてみろや。
まあ無理だろうけどね…。
結局ダイジンの情緒もキャラクターも定まってなくて意味不明、いっぱい人が死ぬことをなんとも思っていない超越的感覚を持ちながら、すずめに嫌われて傷つく心はある。
そして傷心自殺的に要石にもどる。
すずめから「当たり前だろ!じゃあな!っしゃあ!!!これでイケメンとつきあえる〜っ♪」という声が聞こえてきそうです。
シナリオになってないレベル、そのへんの漫画家さんのほうがちゃんとしてるよね…??
この人も絵と演出専門の方がいいよ。
芹沢が出てきたのも意味不明…。ソウタでいいんだよ、ずっとソウタで。椅子になる必要もなし!!!
二人きりはちょっとってことなら、天気の子みたいにもう一人子供とか連れてけばいいだろ。芹沢×叔母パートとかなんなんだよ一体。
これだけの注目度で現実の震災を扱うのなら、もう覚悟して、あの震災についてインタビューしたり被災地訪問したりして、しっかり向き合って真正面から火垂るの墓みたいに描いたら?あ、得意のオマージュって意味でなくね。
観れない人はたくさんいるだろうけど、そのほうが世界には多分社会的意義があると思う。
タイトルなし(ネタバレ)
ソータの事を好きになって、大事な人になるの、早すぎ
ソータがちょい棒読みがあるが、大事なシーンでは上手で助かった
ちびスズメに椅子を渡して、彼女がモノクロの世界に帰っていくシーンが悲しい
絵は流石に綺麗
ミミズはもののけ姫の祟り神とデイダラボッチに見えてしかたなかった
歌は良かったー
ダイジンというネーミングがすぐ定着するのも違和感
サダイジン、いきなり来て馴染みすぎ
この2匹の立ち位置が分かりにくかった
スズメが旅をして行くのは、楽しかった
うーん
期待していたから、余計に。
やっぱり、見るほどよく分からない。
でも、なんか引き込まれるけど、ストーリーが早いのはいいのだけど、地震とか恋愛とか、詰め込みすぎのような気がする。
でも、人が椅子になるとかそうゆうの好き❤️
でも、何にしても説明不足のような。
でも、絵もRADWIMPSの歌も好きだから、この映画は好き!
声優もいいね!
だから、たぶんまた次の作品出ても見ちゃうんだろうな。
風化させないために。。
新海誠監督が、自身のネームバリューを使い、多くの人に観てもらえるよう、敷居を下げ、間口を広げ、そして敢えて挑んだ作品だったと思いました。
そうは感じていたものの、どうしても踏み出せず。。
私は映画は良く観る方だと思いますし、新海誠監督作品はリアタイで劇場で鑑賞してきました。
新海誠監督の新作だから!と、普段映画を観ない友達も鑑賞していましたが、私には無理でした。観られる時が来たら、と。自分のペースで、と。
しまっていました。
あれから12年以上経ちました。
まだ、12年なのか。
もう、12年なのか。
毎年3月11日の午後2時46分になると、黙祷し、被災した方々へ思いを馳せています。
今回おかえり上映という事で鑑賞しました。
賛否分かれた本作でしたね。
指摘されていたすずめと草太の急過ぎる関係性について。
幼い頃のすずめは常世で草太と母
(と思っていたが、12年後の自分自身)と会っていた。
すずめも被災者で、常世に入り込んでいたのを、2人によって現世へ送り返された過去があった。
その時の出会いがあったからこそ、坂道で草太と会った時、潜在的に「母に繋がる人=自分を救ってくれる人」と感じ、行動を共にしたんでは、と推測しました。
一見サイコパスに見えるダイジン。
確かにあの発言や行動は批判的に捉えられても仕方がない描かれ方にも見えました。
しかし、要石としての役割を全うし
ずっと1人で頑張って来たダイジン。
すずめによってそのお役目から解放された時、自分に自由をくれたすずめを好きになるのも、草太を邪魔に思うのも理解できました。
「うちの子になる?」は嬉しかったと思う。
そしてこの発言は環が幼いすずめにかけていたそれと全く同じセリフだ。
ダイジンはすずめから草太を奪う。
幼いすずめは環から自由と12年分の人生を奪う。
ダイジンとすずめは似ている描かれ方だと思いました。
2人共無意識に無邪気に大切な人の大切なものを奪ってしまうという共通点があった。
子供って無垢過ぎると逆に残酷だったりします。
「扉を閉める」という目的の為に進むロードムービーの側面の他にも、すずめと環の物語でもありました。
ダイジンに導かれるように椅子にされた草太とすずめは協力し、各地の後ろ戸を閉じていく。
愛媛でチカと仲良くなり宿に泊めてもらう。
神戸へ帰る途中のルミに車に乗せてもらい子守とスナックの手伝いをする。
ダイジンが訪れた場所は人々が集まり活気づく。なぜなんだろう。ダイジンは福の神のような存在なのかとも思えた。
そしてだんだんと寝起きが悪くなっていく草太に嫌な予感がしていた。
後に要石となってしまう事の伏線だったのかな?
東京に戻るとこれまでとは比べ物にならない巨大ミミズの出現に、草太は自らが要石となる覚悟を決める。
すずめの手によって巨大ミミズに、要石となった草太を刺す。
巨大地震は食い止められたが草太を失ったすずめ。
草太を取り戻す為、すずめが唯一通る事のできる岩手の実家の扉を探しに出発する。
芹沢のオープンカーで、環とダイジン、サダイジンと共に。。
途中のSAでサダイジンに乗っ取られた環と喧嘩になるシーンは辛かった。
お互い大切な存在なのは分かりきっているのに、でも口から出たその言葉も本音だった。
すずめの心が震えたつ。
何としても草太を救う!
被災した過去の記憶を思い出し、サダイジン、ダイジンと共に巨大ミミズに立ち向かう。
ダイジンが再び自分が要石になる事で草太をすずめに返してくれた場面は強く心に残った。
ここをかわいそうと見る声もあった様ですが。。
ダイジンはすずめと行動を共にして行く内に心変わりして、自ら選んで要石になるお役目を引き受けてくれたと思っています。感謝しかありません。
悲しい震災があった事は事実です。
残された人々は、人と関わり、時間をかけて、その傷を超えて行かなければなりません。何があっても、その時が来るまでは生きていかなくてはいけません。
三本の脚でも立っていられる。
「ただいま」「おかえり」を言える、聞ける、そんな日々を大切にしたい。
子も成長し、だんだんと素っ気なくなる「ただいま」だが、その声を聞ける事の幸せを噛み締める。
私の「おかえり」はいつまでも変わらない愛だ。
大変な震災を経験され、大切な人や家、全てを失った方々からすると、耐えられない作品だったかもしれません。
作中に流れるアラート音には私も動悸が止まらなくなりました。
本作は、これまでも災害をテーマに描いて来た監督作品と比べられないほどに、東日本大震災をかなり直接的に描いています。
「死ぬか生きるかなんて運だ!」
なんて高校生のすずめに言わせるほど、その死生観をも歪めた震災だったとわかります。
人々の心理描写が深掘りされている事で、まだ観るのが辛い方も多いだろうと推測します。
でも私は監督の、未来への希望を見出してほしいというメッセージを受け取りました。
苦しんでいる方々のショックやトラウマも戸締り出来たらいいのにと思いました。
1日でも多く笑える時間が訪れますように。
早いか否か
前知識持たずに鑑賞。3.11を題材にしてるとは思わず。
ノンフィクションでは無く、3.11を娯楽作品の背景に持ってくるのに10年余りと言う期間は早いのか否か。他にも背景に使った作品は有ったが、アニメ故に描写出来てしまう燃える町のシーンの様な使い方は知ってる限り無いかなぁ。
映画としては面白い。序盤は昔のジブリの様な雰囲気。
前二作の RADWIMPSのMVぽさは無くなった(最後に掛かるけど)
ただ、声優をねぇ・・・・
「失う心の痛み」の普遍性に肉薄
新海誠がメジャー化した「君の名は。」「天気の子」のような、大衆に向けて広く訴える作品(それなりに楽しんだことには違いないが…)より、良い意味で偏りもある強い作家性を発揮した過去の作品(個人的には好きな作品もあれば嫌いな作品もある)の方に注目してきたし、その中でも「言の葉の庭」こそが至高だというのが私の持論だ。メジャーとなって大衆に訴える方法も掴んだいま、元々の強い作家性を発揮し、大衆に迎合せずとも大衆を強い引力で巻き込む作品を志向して欲しいと思っていたところに本作が登場した。
正直に言おう。初見の時、クライマックスで私は涙を堪えることができなかった。この涙は、純粋にこの作品に揺さぶられたからか、はたまた震災の記憶(私なりに強烈に焼き付いている体験ではあるが、それでも私はそれを東京で体験したに過ぎない)を刺激されたからなのか…いやきっと両方だろう。少なくとも、クライマックスであの扉の向こうで出会った幼いすずめから発せられたことばに酷く心が掻き乱された。そして、(ここがこの作品の凄いと思うところなのだが)この鋭く伝わってくる幼いすずめの心の痛みが、「震災による喪失の痛み」というラベリングを突き抜けて、「大切な人を突然失う痛み」という極めて普遍的なものとしてストレートに伝わってきたような気がしたのである。東日本大震災という強烈に焼きついた現実での出来事をモチーフに、それに尽きない普遍的な人の心の痛みに肉薄するというかなりの離れ業を、こんな形で観ることになろうとは正直思っていなかった。
やはり、新海誠はオーディエンスに媚びることなく、自分のこだわりに従って作品に取り組んでこそ真価を発揮する。本作はとても素晴らしい。
未来へのメッセージ
東日本大震災から10年間。
新海誠監督が10年間。考え続け考え抜いた
「ひとつの答え」
そんなメッセージを受け取りました。
3・11で家族や大切な人を亡くした多くの日本人たち。
心の傷は家族を失わなかった人にも、心に大きな爪痕を
残しています。
「ミミズ」と宗像草太がそう呼ぶ《地震の予兆》
それは大地や海から、
《赤黒くて太い竜巻のように空に向かって突き上げてくる》
草太は地震の予兆を止める【閉じ師】が家業だ・・・
そう言い全国を放浪している。
ミミズの吹き出し口である「扉」を見つけては閉じているのだ。
ある朝、学校へ向かう坂道で、草太から「この辺りに廃墟はないか?」
と聞かれる。
そこは九州の宮崎。
岩戸鈴芽が叔母の環と暮らす土地だ。
「君の名は。」「天気の子」と比べても、ファンタジー要素はとても
大きくなっています。
気候の「超常現象」や「入れ替わり」より、人が「椅子」に
変えられるのは
「美女と野獣」で家来がティーポットや時計や羽根ばたきに
変わるのに良く似ている。
童話のようだ。
作画は写真のように精密だった前2作に較べると意図して水彩画のような
描き方や「ミミズ」が竜巻のように湧き上がるシーンは民話やホラーを
思わせる。
鈴芽(すずめ)や叔母の環(たまき)の顔も平板で特別な美少女には
描かれない。
「君の名は。」と「天気の子」でストーリーを主導するかのようだった
音楽(RADWINPSの歌の歌詞)も、でしゃばらずに、密やかに流される。
その草太と一緒に九州から愛媛そして神戸。
草太(椅子)と鈴芽が、生まれ故郷の実家のある東北へと
旅するロードムービー。
草太はダイジンと呼ばれる話す猫から鈴芽の母親の形見の黄色い椅子に
姿を変えられてしまっても同行して要石で閉じていた災厄が
現れた場所を次々と訪れる。
現実離れした設定だが、アニメにしか出来ないファンタジー。
行く先々、愛媛や神戸で親切な人に世話になる。
草太の学友の芹沢が神戸から東北の鈴芽の生まれた家まで送る
赤いオンボロ・オープンカーの車内でカーステレオから流れる懐メロ。
平山みきの「真夏の出来事」
河合奈保子の「けんかをやめて」
誰の好みなのか?この辺りは肩の力が抜けて楽しい。
災害(地震)の扉の【閉じ師】が現実に存在して、予兆を閉じて行く。
草太がミミズに必死で祝詞を唱え「かしこみ、かしこみ・・・」
と大声で唱えて、力の限り「扉」を閉じるシーンは圧巻。
鈴芽も力を合わせるのだ。
鈴芽の名字が岩戸というのも「天の岩戸」を連想する。
閉じ師の草太と行動する勇敢な少女・鈴芽は死を賭けて
ミミズを止めに行く。
天災も人知で防ぐ事が出来たら?
それが新海誠監督の出した「答え」
新海監督の「願い」
いつかは天災を科学が人知が止める日が来る。
最後の地点は鈴芽が亡き母親と暮らした岩手県大槌町辺り?
そこで鈴芽は過去(震災)と向き合う。
そして震災の日(過去)の戸締まりをして、未来へ向かって
生きて行く。
草太は言う。
「死にたくない。生きたい、生きたい、もっと」
鈴芽も草太も「命はかりそめ」と知っている。
それでも「限りある命」
人は今を生きる。
なぜミミズ←わかりました❗️
地震という自然災害をくい止める為に九州から東北まで奔走する鈴芽と草太。
本来なら家業の草太一人でする仕事らしいが、猫のダイジンに小さな椅子にされて仕方なくというか、鈴芽本人は望んで同行というこじつけなストーリー。ただ、鈴芽が望む理由は二つあり、ラスト近くでわかる。
また、何でナマズではなくミミズなんだろう?
グレシャムの法則さんのレビューを拝読してみて謎は氷解した。村上春樹さんの作品『かえるくん、東京を救う』から新海誠監督が発想を得られたらしい。私のように疑問に思う方は、グレシャムの法則さんのレビューをご覧になっていただけたらと思う。一目瞭然。共にいいお話も仕入れられるだろう。
多分、皆様のレビューにもヒントが散りばめられていたのだろう。知識不足かつ鈍い自分には気づくことができなかったということだ。
草太が呪文を唱えていたのも古くからの日本に伝わる災害忌避への祈りなのだろうか。
現在において地震の予知は無理である。本作では、鈴芽に見える"ミミズ"近くの戸を早めに締め鍵をかければ地震を防ぐことができる。何と素晴らしいことではないか。だからファンタジーなのか。
大分、愛媛、神戸、東京、東北とダイジンが写っていたり、"ミミズ"が出現したところに場所は移って行く。この繰り返しが話を単調にした所以だろうか。
故に最後の東北の話に於いても鈴芽の幼い頃の記憶が盛り込まれていても鈴芽程も衝撃も受けずただ辛くて悲しい記憶のある人々にとっては、架空のファンタジーではなく現実に引き戻されてしまうのではないかと危惧する。
(余談)
ずっと公開作品として紹介されていて目にしていた、ほぼ半年。ロングランなので最終日に観に行った。
映像での舞台挨拶もあったが、やはり、生でないと魅力半減。
そうなる??
女子高生がジェットコースター効果で謎の大学生に恋する話?命かけて?
謎ですね。
お母さんとの過去も良くわからないし。。。
椅子を渡すループも私には理解しがたい
二時間にしてはエピソード詰め込みすぎかな
機内の小さな液晶モニターで見たからなのかもしれないですが。
災害系、旅系好きにドンピシャの作品
ダイジンこわかわいい。
ダイジン母親説あると思ったのに全然外れた。ぴえん。
本当によかった…。
新海誠作品にしてはすごくわかりやすい。
何かの災害、家の上に船、ってところで東北の震災を表してるのか、と。
ダイジンのかわいい声して不気味なやつ感がよかった…。
こわさ不気味さが出てて可愛い声の不気味キャラ嫌いじゃない。
巻き込まれて日本を横断するストーリーめちゃくちゃワクワクした。
君の名はもだが、移動シーンも描くから旅したくなる描き方。
ミミズの禍々しさがね…。
倒れてくるところとか恐ろしい。
イケメンは椅子になってもイケメンだなと。
銀魂の桂に似てると思ったのわたしだけ???
椅子の姿で奮闘するのがもう…。
愛媛でのみかん少女との出会い、神戸のスナックママとの出会い、もう全てが感動……。
青春してるな…。
環おばのわたしの10年間返して、とかは泣けた。
そのあとお母さんを探して何日も何日も津波でボロボロになった街を歩くシーンも号泣。
扉って観覧車のドアも該当するんかーい。
SFしてて日本全国舞台にしてる感じも良かった。
楽しかった。
災害系も全国横断系も好きな私にはどんハマりだった。
今度は北海道舞台に作品作ってくれないかな…。
もう一度映画館でみても良いかなと思えるさくひんでした。
楽しかった。
22.11.23 映画館
新海映画の真髄をひしひしと、かつ、力強く感じ、個々の生涯を担い想う作品
レビューと感想です。
ストーリーもグラフィックも綺麗で非常に良くできた作品であると感じた。自分が鑑賞した時の心境にもよるが、とても共感深く感動した。草太が要石として人柱になるなか、クライマックスでその草太に代わり、前要石のダイジンが要石に戻るシーンにおいて、ストーリーとして草太が人に戻り、現世に帰還することに感動があるが、やはりダイジンが自分を犠牲にしてでも、またすずめのためにでも、要石としての役目を全うした点において、この映画最大の悲しみを涙とともに味わった。
かつては多くの人に祀られていたダイジンも、数100年の歴史の中で徐々に忘れ去られていき、そんな中声をかけてくれた、そして孤独から解放してくれた鈴芽に嫌われてしまったことはとてもショックであろう。しかし、そんな中、好きな鈴芽は好きな草太のために自分を犠牲にしてでも要石になろうと決意したことに影響を受け、ダイジンが本来の役職に戻ろうと決意したシーン、鈴芽の手で元に戻してほしいというセリフは、ダイジンの覚悟と、好きな鈴芽への甘えであると感じると、ダイジンの赤子ながらも孤独に耐え、役目をまっとうしてきた忘れ去られていた期間の心情を思うことができるのかもしれない。これからは新たな閉じ師たちの歴史と共に、要石も祀られ、人々の信仰とともに孤独から解放されてほしいと感じた。
また、なぜ宮崎から東京に向けて順々に後ろ戸が開いていくのかを考えてみると、東京の要石が抜け、また草太が要石でなくなったことも考えると、西と東の要石が抜けている状態でなければ要石を挿すことが、できないのではないかと感じた。このように考察の幅が広がる点やストーリーと描写の広大さという点において、また、大神など日本神話や古典文学などにインスパイアされている点、新海映画の真髄を感じることができる。
時代は場所と共に移り変わり、過去に繁栄したところは現在衰退し、現在繁栄しているところでも未来では衰退しているかもしれない。そんな繁栄と衰退を繰り返し時代が巡り、衰退により忘れられてしまう存在もある。この作品ではそこで後ろ戸が開いてしまい、人々の想いを込めて神様にお返しすることで、忘れられた存在として出なく、人々の心と共にあり続けることができている。私たちが生きる今は、そんな人々の心と共に、繁栄し、衰退を繰り返し、隣り合わせの死に対し、生として抗い続けているのだと感じた。今一刻でも生きながられたいと言う祝詞のように、愛するもののために、また、何かのためにでも、死の恐怖に抗い、生き続けることこそが、災いや時代の移り変わりに対して生き続けることであると感じる。
実際の東日本大震災当時、震災は昼間に起きたことから、多くの人が劇中のように「いってきます」、「いってらっしゃい」を最後に被災した。「ただいま」、「おかえり」を言うことが叶わなかった人たちがおり、移り行く時代、忘れられてしまった存在を描くこの作品において、震災から10年以上経過した現在、この作品のを「おかえり」、「ただいま」で締めくくることに、監督の、映画としての、忘れてはならない、時代の移り変わりのメッセージを強く感じられた。鈴芽の目に映し出された常世のように、被災された方々の記憶には痛々しく、また強々と残る震災ではあるが、実際に被災しなかった人たちの記憶からは忘れられてしまっている。そんな中、鈴芽という被災した主人公と、時代の移り変わりを作品で示し、時代の繁栄衰退と記憶のあり方を強く示していたと感じる。
また、ダイジンやサダイジンのように、陰陽のようにダイジンは行く先々で福をもたらし、サダイジンは暴露を行うことで、鈴芽と環さんの関係も良くなり、結果的に福をもたらすという、神様として、直接的な描写でなく、間接的に神様を示している。監督の専攻でもある国文学を、日本神話を用いて映画に融合させ、神様と、自然と、災いと、私たち人間が時代に適応し生き抗うメッセージを作品として、強く感じるものであった。加えて鈴芽が決意し、草太の家から御茶ノ水駅に向けて歩き向かうシーンのように、描写を斜めにして移すことで、坂道を登っていくような描き方をしており、このようなさりげない表現が多く作品に取り込まれており印象的であった。
新海映画の真髄をひしひしと、かつ、力強く感じ、個々の生涯を担い想う作品であった。
2023/5/19 TOHOシネマズ新宿にて(戸締り上映)
2023/9/26 TOHOシネマズ新宿にて(おかえり上映)
2023/9/28 109シネマズ二子玉川にて(おかえり上映)
2023/9/29 109シネマズ二子玉川にて(おかえり上映)
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