すずめの戸締まりのレビュー・感想・評価
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覚悟して観てください。
•作品についていくつか
映画作品、ロードムービーとして、よくできています。今回は人柱の話ではなく、要石は神様でなくてはならなかった。地震を抑えるには人の力はあまりに弱い。草太さんは要石になった後何十年と何百年と時間をかけて神格を持つ存在になっていくんだなと思います。
映画後半で、今まで主人公が行く先々で人々に親しみを持って接してもらえるのは、ご都合主義ではなくダイジンがついてるからだったんだなぁと納得しました。
すずめがダイジンに煮干しをあげる。つまり供物をあげて、「うちの子になる?」と言う言葉で信仰が生まれたからダイジンはあっという間にふっくらとかわいい猫になったし、行く先々でダイジンが人々に注目されSNSにUPされるのは、ダイジンがただの白猫ではなくて神様だからだと思いました。
•取り扱っているテーマについて(個人的なことです)
地震を扱っていることを事前に知っていましたので、覚悟して鑑賞しに行きました。
学校の先生が神戸出身でした。阪神淡路大震災の時にご家族が神戸にいらっしゃって、ご自身は被災しなかったものの、ご実家をなくされ、お母様が被災した話を聞いたことがあります。
私は東日本大震災当時、自宅付近一帯が停電して近所の小学校に避難し、ニュースを携帯で見ながら一晩明かしました。ネットのYahoo緊急掲示板に「自分は無事です」と書き込んだ記憶が思い出されます。
幸い家族はみんな無事でした。でも、そんな私でも映画冒頭ですごく複雑な気持ちになりました。当時の記憶がまざまざとよみがります。冒頭の数分、主人公の夢のシーンで涙ぐみ、席を立とうか迷いましたが、最後まで見届けました。
新海監督のこれまでの作品と違うところは、本当にあった震災を描いているところです。
被災した方も、そうでなかった方にとってもテーマとメッセージが重くて強い作品になっています。
忘れられるわけないです。あんなに怖い思いをしたのは人生で初めてでした。
ちょっと心が落ち着いた後に、また感想を書き足そうと思います。ただの感動超大作映画ではないです。心の深くて暗いところに突き刺さったままの杭みたいなものに訴えかけてきます。
新海誠監督の目指す所が確かに感じられる作品。子供にも向いていると感じます。
ストーリー、映像、音楽ともに最高でした。
映画館で配布された『新海誠本』に、この映画の3つの柱が記されています。
端的には、下記の通りです。
①ヒロインの成長
②ラブストーリー
③日本を『戸締まり』しながら巡る旅
こうした要素が、2時間余りの中で展開されるので、他の方のレビューにもあるように人によっては作品の目的意識などがぼんやりしたものに感じられるかもしれません。また、3.11の震災を取り上げることへの是非もあるかもしれません。
ただ、同じ本の中の新海監督のコメントとして、『観客の感想だけは作り手にはコントロール出来ない』とおっしゃっているように、こうした受け手による賛否があるのは覚悟の上で、それでも観客の誰かにはメッセージが伝わるだろう、そうした想いで作品を創り上げたのだと思います。そして私は、その試みは成功したと感じました。
今回、私は妻と小学生の子供達と観ました。妻は、3.11の事が思い出された、と言いました。一方で、子供達は『ミミズが怖かった。でも、面白かった。』という感想でした。まさに、大人にとっては忘れかけていた震災のことを思い出す機会になるとともに、震災を知らない子供たちにも、震災が過去にあったことを話す機会になるとともに、コミカルなストーリーを楽しむという、両方の側面があったように思います。震災を取り上げるのは、時間が経っているとはいえ、やはりデリケートなテーマですし、その点ではある程度のコミカルさや、荒唐無稽とも思えるプロットも必要だったのだと思います。もう一つ、妻はテンポが良かった、と言っていましたが、私も同感で、”余白の美”的な、無言の状況で何かを察しろ的な場面はほとんどなく、終始バタバタと、キャラクターが動いているのも、出来るだけストーリーをシンプルにしようという工夫が感じられました。
なお、新海監督は、こうもおっしゃっています。『ターゲットとする観客を想定するのだとしたら、ラブストーリーを求める十代に向けるのはもちろんだが、同時に家族連れにも退屈させないという大望を抱きたい。』
小学生の子供が2時間強を退屈しないか心配でしたし、とりわけ、かなり飽きっぽいうちの子供達がどう反応するかと思っていましたが、最後までワクワク集中して観ていました。この事からも、私は監督のメッセージがいかに力強く伝わるものだったかを実感しました。『君の名は』や『天気の子』は、どちらかというと高校生以上に向いてると感じましたが、今作は万人向けだと思いました。
これからの日本を言ってるような
とても感動しました
みみずの出現=地震
3.11の大震災の悲劇を改めて実感させられた
それに加え、東京直下型地震や南海トラフを
考えさせられる描写が
自然災害の恐怖、危機感を持って生活すべきだと感じた
過去の自分に向き合い、未来への約束を
他の映画の前に入る予告で見た程度で予備知識ゼロでの鑑賞。
「君の名は」「天気の子」という前2作も映画館で観たが、
今回も綺麗な描写、そして深い話だなぁ~、と。
宮崎からスタートした主人公の鈴芽が各地を回る。
愛媛のあと、神戸に行くときに「え?ひょっとして・・・」と思い始め、
さらには東京、そして最後は宮城。
たびたび出てきた、3.11や12年前って、東日本大震災じゃないか。
テーマがテーマなだけに、ちょっとびっくりしてしまった。
最後は12年前の自分と向き合うために、宮城に向かったのか。。。
それにしても、日本神話とか詳しくないけどすごい話だな、と。
日本神話と震災、厄災を絡めちゃったのか。
鈴芽の姓は岩戸、って、天照大神が隠れる岩戸とかけたのか。
あれは逆に岩戸に隠れているのを引っ張り出された話だったけど、
今回は後戸に震災(厄災)=ミミズを閉じ込めちゃうんだな。
イケメン草太さんはほとんどイスのままなわけで、ちょっとウケた。
イスなのに寝起きの悪いところも人間らしくてよかった。
草太さんの姓は宗像、これも神様だな。。。
そして、あのネコ、ダイジン。
最初は迷惑な奴だと思ったけど、そこはダイジン=大神なんだな。
ちゃんと開いた後戸に案内していたとは。
最後、要石に戻ってしまったのは残念でもあるが、それしかないよね。
いい味出していたのは、草太さんの友達、芹沢さんかな。
ナツメロ好き、壊れたオープンカーもいいけど、
貸していた2万円、ホントは借りてたのかよ!笑
ルージュの伝言が流れてきたときは、別の映画を思い出したぞ笑
テーマがテーマなだけに、意見が分かれそうな映画ではあるが、
とてもいい映画でした。
もう一度観ると、捉え方も感想も変わるのだろうか。
すずめの戸締まり
監督の意図したテーマに合わせて作り上げていった結果、小さな様々な要素が無理に押し込められた感じです。主人公が突然理解できない世界に疑問もなく参加してしまう。突然現れた少女をほぼ疑いもなく受け入れてしまう市井の人々。大きなテーマなのに結局恋愛に収束してしまう結末。特に納得出来なかったのは、後半、姉の死を受け入れ姪っ子を育てる覚悟をした妹である叔母が、主人公に向かって言うセリフです。震災を経験した方々、関わった方々からすれば(私もそうですが)、心をえぐられる、決して第三者が軽々しく言ってはならない言葉です。正直言ってその場面では怒りを感じました。映像は綺麗ですが、それだけです。
設定に不満
個人的にはイマイチだった。
すずめの性格や行動力がご都合主義過ぎる気がする。
まあ多かれ少なかれフィクションはそういうものだけど。
新海誠作品はいろいろ見たけど、ストーリーはともかくビジュアルと音楽が良い。
でも本作はあんまり良さを感じなかったな。
理由は分からない。
都市生活を描くほうが得意なのかも。
もっとも不満なのはミミズが地震を起こすという設定。
311がミミズのせいという描写はないけど、そう受け取れなくもない。
ここは明確に否定して欲しかった。
実際に多数の死者が出た災害の原因をファンタジーなものにして欲しくない。
震災を扱うなという訳じゃないけど、これは本当に良くないと思う。
良かった点を。
声優は意外にもと言うと失礼だけど、みんな良かった。
エンディングで道中出会った人と再会するシーンが心温まる感じで良かった。
嫌な人のいないロードムービー
地震がテーマになったロードムービー。
のっけの家の上になった船が3.11を想起させるなと思って観ていたら舞台が宮崎に。
あれ?と思っていたら巡ってそこに終着した。
廃墟 人の思いの途切れた扉から場所から災厄が溢れ出す。ダイジンを追いかけて各地の扉を閉じていく、ロードムービー。
出会う人たちが、良い人ばかり。土地の雰囲気を感じさせながら旅をしていく。愛媛、神戸と絡む相手が女性で、保護者抜きでは男性と絡まない ただ優しさが先に立つ感じ。
地震を抑える要石。地震といえばナマズだけど、ここでは蚯蚓。出現とそれからタイムアウトになるまでの要素をわかりやすく描けるのもあるか。
力は押さえつけられるのみ。実際の地震も力を蓄えつつ暴発を待つ状況。来る南海トラフ、首都圏直下 etc
まずは凌いでるだけ。要石たちの人のチカラで というのはどう言う思いなのか。
単に作品内のすずめたちの? 防災他の対策?
天気の子の時は多摩川氾濫とか、作品制作期間を考えると無関係な筈なのにタイムリーだったけれど、今回も関東住みとしては茨城震源の地震が頻発してるタイミング。現実との親和性を感じた。
関係ないけど都心 お茶の水あたりの地下は、水没したこともあるし、江戸時代のこの辺りの地形を思うと神社はあり得ないなぁ。夢はあるけど。
地下鉄の昔の地下ホームとかそっち系かと思って観てた。
最後 戸締まりをしたところで終わりも良かったと思ったけれど、エンディングとともにロードムービーの帰路、おばさんと一緒の挨拶まわりをつけたのは、これはこれでありがたく、娯楽(と言ってしまうと 震災にトラウマを抱えた人に語弊があるが)として完結させた気がした。
天気の子のオープンエンドも好きだけど、これはこれで好きだ。
お決まりの中だけど
今日2回目の映画館。TOHOシネマズ日比谷の新しくなったレーザーIMAXでみる。
お決まりの、災害発生→主人公がそれを防ぐ→万事解決めでたしではなく、好きになった人のために、さらに危険を冒し結局最後はハッピーエンド。
でも新海誠の絵は細部にこだわってて楽しい。たとえば、主人公のすずめが自転車で坂を下るシーン。田舎だとアスファルトはガタガタしたりする。それがちやんと表現されている。都内の描写は言わずもがな。
ただ、強力で色んな会社の名前が出て来たけど、あれって看板に出た会社、ブランドの会社に了解を取ったのかなあと思った。信玄餅の桔梗屋が中に出たけど、とくに信玄餅を登場人物が食べた記憶がない。
エンドロールで、作画とかけっこうな人数が中国から参画していた。ハリウッドと同様に日本のアニメも中国資本、人的な協力なしには、成り立たなくなってきてるのかな、と思った。
1126加筆
ダイジンがお前は、じゃまと草太を椅子に同化させたのは、すずめが、小さい頃後ろ戸を開けたままで、それを閉めに行かせようと考え、そのためにも東北のその場所に誘導したかった。草太がいると、東北のその場所にたどりつけないかもしれない。ひょっとしたらすずめのお母さんの化身がダイジンだったのかもしれない。これ以上、過去を引きずらせないために。
だから、またダイジンが要石になる直前にダイジンはすずめの子にはなれなかったと言わせたのも、母親の化身部分がそこに混じっていたからではないか?
母親が娘の子どもになれるわけがないのだ。
ようやく母親について語り始めた新海誠
すずめの母親はすずめを助けるために死んだ設定もあったのでは。故に「(自分のために犠牲になったことは)分かっていた」というセリフになる。
黒猫はすずめの母親という設定もあったかも。だから、環が何かに取り憑かれたようになったときに現れて祓ってくれた。
新海誠は母を描くべき場面を避けている。次回作以降は母性をどのように描いていくのかを楽しみにしたい。
よかったです!
皆さま大変ご無沙汰しております。(って誰に言ってるんでしょうか?)ベイビーブローカー以来の劇場での鑑賞なので猛暑から秋を通り越して♪出逢いは風の中♪木枯らしに抱かれて(懐かしいなぁ、最近のZ世代にも80年代アイドルが見直されているとこの前耳にしました!)の季節になってしまいました。
巨匠 新海誠監督待望の最新作ですから賛否両論あって当然かと思います。私個人は『賛』でした。期待通りの美しい映像!相変わらずのRADWIMPS の音楽との見事なマッチング、何かと難癖をつけられがちな声優陣の選択。総合点としては間違いなく期待以上だったかと思います。
『否』の皆さんはあまりにも期待を膨らませすぎたんじゃないかと。新作発表ごとに最高得点を取り続けるなんてどんな天才でも無理だと思うんです。
率直な感想として悪い人が全然でてこないロードムービーって感じで人間の良いところを描けた素敵な作品でした。知らず知らずのうちに涙している自分がいました。確かに3.11を扱っていることはあらかじめ告知しておけば批判は減ったかもしれませんね。ある意味3.11に戸締りするんじゃなくて風化させない(戸締りしない)ことを監督は考えていたのではないでしょうか?
災害三部作(誰が名付けたんでしょう?!)の中でどれも甲乙つけたがい仕上がりです。圧倒的な迫力だけでなく鈴芽と環の心の奥底での改めての信頼回復は心からホッとしました。鈴芽がお母さんを探すシーンはハウルとソフィの幻想のシーンのようでした。
主役のお二人も正直期待以上の出来だったと思いますし脇を固める深津絵里さん(ダイワハウスのリリーさんとの夫婦役のCMシリーズ大好きです。)伊藤沙莉さん(太めの声の女優さんは苦手だったんですが彼女がその悪い先入観を払拭してくれました。)神木隆之介さん(『坊』の頃から好きでした!)万全の体勢ですよね。芹澤さん、カッコよかったです。彼のドライブ中の選曲にはやられてしまったどハマり世代です。
是非とも映画館の大画面、大音響で鑑賞をお薦めします。
追伸
確かにどの劇場も一日20回前後の上映回数はどうかと思いますが、残念ながら土曜日明2番上映とはいえ劇場内には20人くらいしか観客がいなくて名古屋地区の映画興行に不安を感じざるを得ませんでした。東京は満席なんでしょうか?
映画館で観て良かったと思える作品
なんと新海誠監督の作品を初めて観たのですが、すごく良かったです。
評判通り映像もきれいで、音楽も良かったですが、
何よりストーリー、終わり方がとても好きでした。
中でも一番印象的だったのは、東北に向かう道中のサービスエリアで叔母の環さんと言い争いになるシーン。
家族っていいことだけじゃなくて、嫌なこととか、お互い色んな想いを抱えていて、でもそれが全てでもなくて。
ファンタジー映画の中でこのやり取りがとてもリアルに感じられました。
特典本を読んで「観客の中にも、この映画を観ても震災を連想しない方が1/3から半分くらいはいるんじゃないでしょうか。」という記述に衝撃を受けました。
もうそんなに年月が経っているんだなと。
とは言え、西日本に住む身としては、東日本大震災をどこか我が事としては考えられていない後ろめたさもずっと感じていたので、「場所を悼む」そこにあった生活や人々や想いを悼むというこの映画の内容に、ある種自分にはできないことをやってもらえたという尊敬だか感謝だかの気持ちが湧いてきて、本当に「閉じ師」という人たちが存在したらいいのにな(大変な仕事だけど)、と思いました。
ダイジンのお役目
新海誠監督ならではの圧巻の映像美ですね。個人的に前作2作より好きですが、ダイジンのことを思うとすごく辛い。色々疑問点も多い。
○ダイジンが可哀想
うちの子になる?ってすずめが聞いたからその気になった、と思ったら、好きな人が要石になるの嫌だからお前が要石に戻れ!って…
結局ダイジンは要石に逆戻り、役目を再度押し付けられ…か、かわいそう…。
元々すずめが抜きさえしなければこんなことにはならなかったのに、気をもたせられたようにしか思えない…残酷。
作中の要石の役目にポジティブなイメージがないのに(人柱にしか見えない)、そのイメージを植え付けたまま物語は進んでいく。結局誰かに押し付けるしかないんだなというモヤモヤが残る。
○もう1つの要石はなぜ封印が解けたのか?
ダイジンが封印を解いたのか、ひとりでに解けたのか。どちらにせよ納得のいく説明が欲しいが、視聴者の想像にお任せだろうか?
○芹沢くん被害者すぎでは?
ろくに説明も受けず長時間ドライブさせられ、擬似親子関係のもだもだに巻き込まれ、車の扉壊れ。
すずめとタマキはもっと感謝するべきだと思う、本当に。
ていうか作中の人物、初対面の女子高生に優しすぎ。笑
○被災者への配慮
非常にセンシティブな題材を取り扱った今作だが、配慮は足りていたか?
特に実際に起きた被災を取り扱ったのだから、視聴者の中には大切な人や帰る場所を無くした被災者もいることは想定できたと思う。
「人がたくさん死ぬね」って台詞を、ダイジンに言わせる必要があったか?本当に、本気で、被災者のことを考えてくれていたか?
背筋が凍りつく思いだった。皆どんな気持ちで、このシーンを見たのかな。
被災を悼むシーンもたくさんあったのに、この台詞のデリカシーの無さに、作品の意図がわからなくなってしまった。
私が大人になりすぎて
映像や音楽は素晴らしかったです。
没頭してしまうくらい、素敵な世界観でした。
肝心のストーリーは伝えたいことが多すぎて、最終的何を伝えたかったのかなと考えています。
正直、『初めて恋を知った少女の成長を描きたいけど、それだけでは大衆受けしなさそうなので、アドベンチャー要素を足しました』という印象を受けました。
このアドベンチャー要素に問題があり、映画全体を浅くしています。
•なぜミミズなのか
•なぜ要石は猫なのか
•サダイジンとダイジンはどういう経緯で要石になったのか
•なぜサダイジンも要石の役割を離れたのか…要石は自由に動けるの…?あれダイジンはなぜ…?
•常世が荒れたのは要石達が持場を離れたからなのか
と挙げればきりがないですが、主人公も疑問を持たずすんなりと受け入れてしまうため、特に説明もなくアドベンチャーが8割を占める物語は進行していきます。
おそらく色んな年代の女性と少女の成長を描くため、アドベンチャーの背景は省かれてしまったのかなと思われます。
これに恋愛を絡めるから厄介で、主人公は恋愛を優先して、要石であるダイジンを粗雑に扱います。
要石は戸締師にとって重要な存在、お互い尊重しなくてはならないパートナー的な存在のはず。ところが主人公は自分の好きな人に呪いをかけた、元要石ダイジンに心ない言葉をかけます。何年も要石にされてたダイジンにもっと寄り添って欲しかった…。
この行動で『とても大切なことをやっている』と話していた主人公の戸締師への思いも、好きな人によく思われたかっただけなの?と意思の浅さを感じさせます。
恋は盲目ということでしょうか?
キャラクターの設定も変に現実味を帯びさせようとした結果、現実感がなくなっています。
•戸締師だけでは生計がたてられないから、教師を目指す主人公の想い人、草太。
→この設定は必要でした?教師になったら戸締師の仕事する時間取れないような…教師って有休取りにくいですよね?休日も部活の練習とかあるかもですよね?
せめて、大学教授や研究者を目指してくれ。
•椅子になった草太は教員採用試験の2次に参加できなかった。
→人間の姿でも長髪大丈夫なの?友人も髪の色とピアスの穴隠せたのかな?
最近の教員採用試験は自由度高めなのか…
主人公と草太は最終的に相思相愛だったみたいですが、4日くらいしか過ごしてないし、何があったのでしょうか。リアリティーショーと同じでカメラが回っていないところで色んな物語が生まれていたというこでしょうか…。
お互い一目惚れっぽいのですが、恋ってこんなものだったのかな、大人になりすぎて思い出せない。
タマキさん(育ての親)の心の内の葛藤や主人公の幼少期の回想は良かったです。
私が大人になりすぎて親目線の内容にしか感情移入できなかったことが原因かもしれません。
今の私にはついていけませんでした。
シン・ほしのこえ 求ム
1958年、東アジアのとある大国ーー大躍進を掲げる時の指導者の号令の下、スズメたちへの恐るべきジェノサイドが始まった。家族を失いながら密輸船に紛れ、辛くも逃げ延びた一羽のスズメは極東の島国へと辿り着き……
という話をタイトルから想像したのですが掠りもしませんでした。
これは半分冗談半分本気で、東宝で跳ねてからの3作目、明確な変化が求められるタイミングだったと思います。
おそらく新海さんも(相棒の敏腕プロデューサーも)意識していたことで、所謂「きみとぼく」的な世界から家族や血縁を越えて、職場や実社会にまでコミュニティの範囲を広げたり、挿入歌のエモさで突進する得意技を封印したりと意欲的だったと思いますが、却ってキャラ造形の薄さがこれまで以上に露呈した気がします。畢竟、キャラクター当人が初登場時から自分のロールを認識しており、予定調和で立ち回っているように見えてしまったのは非常に辛い。
美麗なアニメーションという最大の武器は健在ですが、お客は呑気で贅沢なことにいずれは必ず飽きが来る。最近はNetflixオリジナルはおろか地上波でもハイクオリティな作品が観れてしまう(のは、新海作品がバカ当たりした影響も一部ありそうですが)。前2作と比べ、素人目には特段アニメ表現が進化したようには見えなかったです。
物語の終盤、汚れた服から決意表明のように制服に着替えた場面。意味ありげでしたが意味が汲み取れませんでした。学生の足元の象徴たるハルタのローファーは途中打ち捨てているのに。
遥か遡って『ほしのこえ』ではどうだったでしょう。宇宙軍?のロボットに乗って戦っている状況で、頑なに制服を着用し続けるヒロイン。あの単なる記号性と利便性と作者の思い込みが混濁したスレスレな表現が、えも言われぬ空気を醸していたのです。
かくなる上は庵野プロデュースでシン・ほしのこえを作る時が来たのです。主役の声をもう一度自ら演じ、ソウルメイトの天門を呼び戻す。ヒロイン役は新津ちせにするとなかなか気持ち悪いと思いました。
しかしこれでは売り上げは悲惨な結果をもたらすこと請け合い。古参を気取る愚かな人々の世迷言には耳を貸さず、これからも猫好き敏腕プロデューサーと二人三脚で突き進むが是だと思います。
「天気の子」よりは面白かったが・・
新海誠監督の最新作。
観終わった感想はタイトル通り。
「天気の子」はあまりにセカイ系的な展開に感情移入できずに終わった。この作品も「Boy meets Girl」作品ではあるものの(正確には「Girl meets Boy」)、作品のテンポが早くて最後まで飽きることなく観ることはできた。
ストーリーは、古事記の天鈿女命(あまのうずめのみこと)から名前を取った主人公の鈴芽(すずめ)が、誤って扉(天岩戸)を開けてしまい、そのミスの回収のため日本中を旅して回るロードムービー的な作品。一応、旅を通して心理的な成長をしつつ(?)、話が進んでいく。最後は伏線回収して終了。
ただ、他のレビューにも書かれている通り、納得できない箇所が多すぎる。
- なぜ、すずめはあそこまで叔母さんに対して頑ななのか?
⇒ 母親の記憶より、叔母さんとの記憶の方が多いはずだよな・・なぜ今だにあんなにギクシャクしてて、あそこまで頑なに避けようとするのか?ただの反抗期?
- なぜ、すずめは扉が開けられるのか?
⇒ まさか誰でも開けられる設定なのか、あの扉?
- ダイジンの行動原理がわからない
⇒ 神様だから気まぐれ、って設定だけでは押し切れないだろう・・最後まで本当によくわからんかった
- ダイジンがSNSで見つかりすぎ
- ロードムービーにしてはお金の心配がなさすぎ
- 叔母さんが御茶ノ水駅ですずめと偶然出会うとかありえん
- サダイジンは東京の要石だったはず。ダイジンはすずめが引き抜いたんだが、なぜ、サダイジンの要石は自然と抜かれたんだ?
- で、なんで、サダイジンは叔母さんに取り憑いてる?
- 叔母さんとの和解が早すぎ
- 3.11を扱っているが、自然災害とみみずの起こした地震の区別が付かない。3.11もみみずが起こしたって設定なのか?
⇒ その設定だと、3.11も閉じ師が防げることになってしまうが。。
- 常世(とこよ)の設定が雑
⇒ なぜ1度しか行けないのか?過去行ったときと同じ扉ならまた行けるのもよくわからん。。
- なぜ、4歳のすずめは常世に行けたのか?
これは色々と詰め込みすぎた結果なんだろうな・・劇場でもらった「新海誠本」にも書いてあったけど、最初から描きたい「テーマ」が決まってたみたいだから、ストーリーや設定の辻褄合わせが出来なくなったんだろうね。
大枠のストーリーとして、すずめが草太(そうた)に一目惚れするのは、まぁ、一目惚れってのはそんなモノだから良いだろう。恋愛要素は新海作品には必須だし。その人のためなら死んでも良いと思えるかどうかはキャラ次第。だいぶ無理はあるけど。
しかし、現実の3.11を扱う必要があったんだろうか?とは思う。
2011年に起こった3.11だが、すずめは当時4歳という設定。で、今高校2年生の17歳だから13年前ってことになる。2022年公開作品では年が合わなくなる。現実とリンクさせることで、変な齟齬が生じてしまっている。
地震をみみずという妖怪っぽいモノの仕業とするのはフィクションだから良い。閉じ師という仕事が成立している世界設定だし。ただし、この世界設定だと、全ての地震はみみずの仕業=閉じ師が解決できる、となっていないとおかしい。自然発生の地震もあるし、みみずが原因の地震もある、とかだと、そもそも閉じ師は必要なくなる。被災者にとってはどちらも同じなので。その設定の甘さに、現実の3.11を変な形でリンクさせてしまっている。それがどうしても気になってしまった。
(3.11を扱うことに対して異論はない。表現者が時代に影響受けるのは当然だし。ただ、「ちゃんと扱ってますよ」というアナウンスは必要。見たくない人はいるだろうから)
あと、変にジブリっぽいのも気になった。
最後のエンドロールなんか、絵のタッチも含めて、まんまトトロのエンドロールだったし。スタジオジブリは制作部門が閉鎖されてアニメーターが別スタジオに行っただろうから、新海監督の元に集まったんだろうか?森や林の自然タッチもジブリっぽかった。けど、新海作品にジブリ要素は求めてないんだよな・・。宮崎駿監督の代わりは誰にもできない。庵野監督や神山健治監督のように、もっと独自路線(オリジナリティ)を貫いてもらいたい。
最後に、自分はRADWINPSは好きなんだけど、流石に毎回同じだと飽きてくるな。。
次回作は別のアーティストにしたり、歌の使い方にしてくれると、もっと作品を楽しめると思う。
色々書いたけど、それでも「天気の子」よりは面白かったので3.5点。
0.5点は芹澤が押し上げてくれた点だと思う(笑)。
よくわからん
全体的になんかジブ○っぽい、君の名は、天気の子ときてこの作品を見るとなんかコレジャナイ感がすごい、作画とかは相変わらずすごいんですが。
わからなかった点として
ダイジンの考え、なぜ役割を変える必要があったのか?
ソウタの祖父とダイジンの関係もよくわからん封印したのが祖父なのか?なぜスズメにはミミズが見えるのか?幼い頃から迷い込んだから??みのるさんとか出す必要ある?ってレベルのモブキャラだったし、いい話だけどそもそもスズメがイケメンに釣られて封印を解かなければこんな大惨事になってないのでは???
おかえり
震災の源であるものを封じる旅と
閉じ師のイケメンとの出会いで
成長する少女の物語
なんですが
その世界観と
明日へ生きる少女の再生を
描いたストーリーに
こころが震える
生死の境界を
私たちが暮らす 現し世 と
死者が暮らす 常世 として
古来から日本人は表現
時間では夕方と夜の間を黄昏刻
場所では鳥居
本作では
時間では華やかな時代と静寂の間
場所では廃墟の扉として、
人間が意図しない所に
常世が生まれる現実を
示していました。
本作はファンタジーなんだけど
重みを与えているのは
その世界観や倫理感が
神話や民俗学と
あまり矛盾していなくて
日本人として
腑に落ちるからではと。
返事をしない死者 母に対して
問いかけるのは
現し世の
鈴芽であり、
幼い壊れそうな自分のこころを
修復するのも
亡くなった方の想い出や遺品に
思いをよせて助けられた
自分。
その線引の筋が一本通っていて
凛とした世界観に。
常世の助っ人が未来の自分で
ハリポタ的な所や
ミミズなどキャラクターデザインが
ジブリ的というのも
あるかもですが
目に見えない厄災を
防ぎたい思いや
どうしょうもない悲惨体験から
脱け出すための
こころのプロセスを
丁寧に描かれている凄みが秀逸
出会いと同じシーンの
「おかえり」で
二人の関係を思い出す
実は、
そんな重いテーマである
各地の災いを鎮める原動力が
ひとめぼれの恋心
なのが
よかったり。
おすすめ。
声の演技の難しさ
心に響かないセリフ、日本で公開される劇場映画のアニメ、古くは「地球へ」がそうでした。声だけの演技はやはり難しい。視覚と音響効果で誤魔化そうとする演出をいつになったら辞めるのだろう。「えーーーっ‼️」と言う主人公のセリフだけが耳の奥に残っている。あああ、物真似と吹替えを混同している業界、業界だけでは無く見ている方も許容しているのが原因なのだろう。
声だけでは無い、私はこの監督が作るダイナミックなスペクタル要素が飽きてしまった。そうそう、ジブリのよう雰囲気すら私には見苦しかった。
あの日の事をテーマにしたいのはわかるが、もっと真摯に向き合わなくては…。
視聴者置いてけぼりで主人公だけが猛スピードで駆け抜けていく作品
前作天気の子が好きだった身として、非常に残念な印象でした。
まず出頭から主人公がイケメンにすれ違っただけで恋をし学校をさぼってまで追いかけ、どこでもドアが現れたり喋る猫が現れたり人間が椅子に変化させられたりといったファンタジーな世界が次々と出現するのに即順応していくという、唐突且つリアリティーの無い展開が続いたことにより、完全に感情移入できないままどんどん物語が進んでいく。
また、やりたいこと、テーマを詰め込みすぎてるのではないか、とも感じた。それによって一つ一つの要素が薄くガンガン進んでいくので終始「ポカーン」としてしまう。
ロードムービーをやりたい、ファンタジーな描写をやりたい、親と子の関係性をやりたい、震災をテーマにしたい、そしてやっぱり恋愛も入れたい、と。
前作は、一人の少年が少女に恋をして、その人のために、というのがすべての行動基準で、それを軸として物語が進んでいくので非常に分かりやすかったが、今作はその「軸」が見えない。
また、新海作品の良い点の一つとして、音楽を最大限利用した演出、というのがあるが、
前作のクライマックスシーンのグランドエスケープは、あのシーン見たさに何度も劇場に足を運んだくらいだが、今作は歌のシーンがそもそも少なく、クライマックスでもあまり良い演出が見られなかったのが非常に残念だった。
ミュージックビデオだ、などと揶揄されていたのを気にしてのことなのだろうか。非常に残念。
やはりファンタジー要素が強すぎる
新海誠監督の作風はやはり、
美麗な作画や台詞も相まって細かな感情描写に魅力を感じるので
「秒速5センチメートル」や「言の葉の庭」等あまりファンタジー要素のない作品の方が合うと思う。
それでも「君の名は」はまだ現実的な中にファンタジー要素がエッセンスとしてミックスされており違和感がなかった。
今作は色々設定があるのだろうが、
現代における他の閉じ師の存在の有無や主人公達の両親の所在(母親除く)、ダイジンやすずめの行動原理等々、ツッコミ所や気になるところの多さの割に対して作中で語られることがあまりに少なく、置いてけぼりになってしまった。
劇中歌に関して、懐メロにしてもさすがに古すぎて今どきの学生が流すにしては違和感があったが、監督の趣味も込みであるなら納得感がある。
過去作品でLINDBERGが流れることもあったがあれも場面にあっていてとても好感であった。
何よりプロモーション等色々理由はあるのだろうが、
いい加減主題歌にRADWIMPSは食傷気味に感じる。
RAD自体は好きな私からしても食傷気味に感じるのだからよっぽどだと思う。
繰り返しになるが、
「言の葉の庭」や「秒速5センチメートル」であったようにタイアップありきで特定のアーティストに拘りすぎず、作品にマッチする主題歌であってほしいと思う。今となっては古い曲が選ばれたとしてもその方が納得感があると思う。
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