すずめの戸締まりのレビュー・感想・評価
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日本中に有る呪いの類をロードムービーとリンクさせて頂きます。かしこ...
日本中に有る呪いの類をロードムービーとリンクさせて頂きます。かしこみ〜かしこみ〜
心の扉🚪
全世界で500億円以上の興行収入を稼ぎ出した邦画は、現在のところ本アニメのみという、むかうところ敵なしの新海誠監督なのである。作風が“中二病”とか“セカイ系”とか揶揄されたのも遠い昔話、本アニメを見終わった直後の素直な感想はとにかく“分かりやすい”の一言につきるのである。『君の名は。』『天気の子』に引き続き、日本の古代神話に登場するアメノウズメをモチーフにした女の子を主人公にすえているが、日本書紀や古事記なんかを知らない外国人が見ても十分理解できる普遍性が感じられたのである。
そんな神話的要素に加え、時事問題をテーマに絡めることが多い新海監督。本アニメには、東北大震災と過疎化に伴う廃墟問題が、主人公岩戸鈴芽の成長物語の通奏低音として常に流れていて、大人が見ても厭きさせない工夫がきちんとなされているのである。基本的には、日本各地に起きようとしている地震をくい止めるため、女子高生鈴芽、閉じ師草太、白猫ダイジンが旅するロードムービーになっている。その道行きをサポートする道祖神が登場するのも新海アニメの特徴だ。
あらゆる道の最高神として祀られている宗像三女神の末裔であることを想像させる草太は、白猫ダイジンによって、導きの神として知られる八咫烏と同じ3本足の椅子に姿を変えられてしまう。2人を震災の地に導くダイジンは、地震を鎮めるため東西に埋め込まれた要石の化身という設定だ。宮崎→愛媛→神戸→東京→福島と、地震を引き起こすミミズ様が通り抜ける全国各地の後ろ戸を閉めて回るストーリーは、単純明快で実に分かりやすい。前2作にみられた複雑さは皆無といってもよいだろう。
冒頭にリンクするラストの展開は、お子さまにはちょっと分かりにくいのかなあと思ったりしたのだが、SF好きの皆さんにとっては(どこかで見た気がしないでもないが)納得のエンディングだろう。なぜ、草太に初めて会ったはずなのに鈴芽は既にどこかで会っていたような気がしたのか?3.11の辛い記憶を封印するかのように、後ろ戸を閉め続けてきた鈴芽。過干渉のおばさんに言いたいことも言えずアマテラスのように自分の殻にとじ込もっていた鈴芽が最後にあけた扉は、自分の心の扉だったのかもしれない。
未来へのメッセージ
東日本大震災から10年間。
新海誠監督が10年間。考え続け考え抜いた
「ひとつの答え」
そんなメッセージを受け取りました。
3・11で家族や大切な人を亡くした多くの日本人たち。
心の傷は家族を失わなかった人にも、心に大きな爪痕を
残しています。
「ミミズ」と宗像草太がそう呼ぶ《地震の予兆》
それは大地や海から、
《赤黒くて太い竜巻のように空に向かって突き上げてくる》
草太は地震の予兆を止める【閉じ師】が家業だ・・・
そう言い全国を放浪している。
ミミズの吹き出し口である「扉」を見つけては閉じているのだ。
ある朝、学校へ向かう坂道で、草太から「この辺りに廃墟はないか?」
と聞かれる。
そこは九州の宮崎。
岩戸鈴芽が叔母の環と暮らす土地だ。
「君の名は。」「天気の子」と比べても、ファンタジー要素はとても
大きくなっています。
気候の「超常現象」や「入れ替わり」より、人が「椅子」に
変えられるのは
「美女と野獣」で家来がティーポットや時計や羽根ばたきに
変わるのに良く似ている。
童話のようだ。
作画は写真のように精密だった前2作に較べると意図して水彩画のような
描き方や「ミミズ」が竜巻のように湧き上がるシーンは民話やホラーを
思わせる。
鈴芽(すずめ)や叔母の環(たまき)の顔も平板で特別な美少女には
描かれない。
「君の名は。」と「天気の子」でストーリーを主導するかのようだった
音楽(RADWINPSの歌の歌詞)も、でしゃばらずに、密やかに流される。
その草太と一緒に九州から愛媛そして神戸。
草太(椅子)と鈴芽が、生まれ故郷の実家のある東北へと
旅するロードムービー。
草太はダイジンと呼ばれる話す猫から鈴芽の母親の形見の黄色い椅子に
姿を変えられてしまっても同行して要石で閉じていた災厄が
現れた場所を次々と訪れる。
現実離れした設定だが、アニメにしか出来ないファンタジー。
行く先々、愛媛や神戸で親切な人に世話になる。
草太の学友の芹沢が神戸から東北の鈴芽の生まれた家まで送る
赤いオンボロ・オープンカーの車内でカーステレオから流れる懐メロ。
平山みきの「真夏の出来事」
河合奈保子の「けんかをやめて」
誰の好みなのか?この辺りは肩の力が抜けて楽しい。
災害(地震)の扉の【閉じ師】が現実に存在して、予兆を閉じて行く。
草太がミミズに必死で祝詞を唱え「かしこみ、かしこみ・・・」
と大声で唱えて、力の限り「扉」を閉じるシーンは圧巻。
鈴芽も力を合わせるのだ。
鈴芽の名字が岩戸というのも「天の岩戸」を連想する。
閉じ師の草太と行動する勇敢な少女・鈴芽は死を賭けて
ミミズを止めに行く。
天災も人知で防ぐ事が出来たら?
それが新海誠監督の出した「答え」
新海監督の「願い」
いつかは天災を科学が人知が止める日が来る。
最後の地点は鈴芽が亡き母親と暮らした岩手県大槌町辺り?
そこで鈴芽は過去(震災)と向き合う。
そして震災の日(過去)の戸締まりをして、未来へ向かって
生きて行く。
草太は言う。
「死にたくない。生きたい、生きたい、もっと」
鈴芽も草太も「命はかりそめ」と知っている。
それでも「限りある命」
人は今を生きる。
なぜミミズ←わかりました❗️
地震という自然災害をくい止める為に九州から東北まで奔走する鈴芽と草太。
本来なら家業の草太一人でする仕事らしいが、猫のダイジンに小さな椅子にされて仕方なくというか、鈴芽本人は望んで同行というこじつけなストーリー。ただ、鈴芽が望む理由は二つあり、ラスト近くでわかる。
また、何でナマズではなくミミズなんだろう?
グレシャムの法則さんのレビューを拝読してみて謎は氷解した。村上春樹さんの作品『かえるくん、東京を救う』から新海誠監督が発想を得られたらしい。私のように疑問に思う方は、グレシャムの法則さんのレビューをご覧になっていただけたらと思う。一目瞭然。共にいいお話も仕入れられるだろう。
多分、皆様のレビューにもヒントが散りばめられていたのだろう。知識不足かつ鈍い自分には気づくことができなかったということだ。
草太が呪文を唱えていたのも古くからの日本に伝わる災害忌避への祈りなのだろうか。
現在において地震の予知は無理である。本作では、鈴芽に見える"ミミズ"近くの戸を早めに締め鍵をかければ地震を防ぐことができる。何と素晴らしいことではないか。だからファンタジーなのか。
大分、愛媛、神戸、東京、東北とダイジンが写っていたり、"ミミズ"が出現したところに場所は移って行く。この繰り返しが話を単調にした所以だろうか。
故に最後の東北の話に於いても鈴芽の幼い頃の記憶が盛り込まれていても鈴芽程も衝撃も受けずただ辛くて悲しい記憶のある人々にとっては、架空のファンタジーではなく現実に引き戻されてしまうのではないかと危惧する。
(余談)
ずっと公開作品として紹介されていて目にしていた、ほぼ半年。ロングランなので最終日に観に行った。
映像での舞台挨拶もあったが、やはり、生でないと魅力半減。
そうなる??
女子高生がジェットコースター効果で謎の大学生に恋する話?命かけて?
謎ですね。
お母さんとの過去も良くわからないし。。。
椅子を渡すループも私には理解しがたい
二時間にしてはエピソード詰め込みすぎかな
機内の小さな液晶モニターで見たからなのかもしれないですが。
災害系、旅系好きにドンピシャの作品
ダイジンこわかわいい。
ダイジン母親説あると思ったのに全然外れた。ぴえん。
本当によかった…。
新海誠作品にしてはすごくわかりやすい。
何かの災害、家の上に船、ってところで東北の震災を表してるのか、と。
ダイジンのかわいい声して不気味なやつ感がよかった…。
こわさ不気味さが出てて可愛い声の不気味キャラ嫌いじゃない。
巻き込まれて日本を横断するストーリーめちゃくちゃワクワクした。
君の名はもだが、移動シーンも描くから旅したくなる描き方。
ミミズの禍々しさがね…。
倒れてくるところとか恐ろしい。
イケメンは椅子になってもイケメンだなと。
銀魂の桂に似てると思ったのわたしだけ???
椅子の姿で奮闘するのがもう…。
愛媛でのみかん少女との出会い、神戸のスナックママとの出会い、もう全てが感動……。
青春してるな…。
環おばのわたしの10年間返して、とかは泣けた。
そのあとお母さんを探して何日も何日も津波でボロボロになった街を歩くシーンも号泣。
扉って観覧車のドアも該当するんかーい。
SFしてて日本全国舞台にしてる感じも良かった。
楽しかった。
災害系も全国横断系も好きな私にはどんハマりだった。
今度は北海道舞台に作品作ってくれないかな…。
もう一度映画館でみても良いかなと思えるさくひんでした。
楽しかった。
22.11.23 映画館
あんまりよく分からなかった
友達に半ば強引に連れられ観に行った。その友達はもう1回みたいと言うほど気に入っていたが、正直私には面白さがあまり理解できなかった。自分では元々観る気がなかったが、実際に観に来て感想が変わった!ということもなかった。良くも悪くも期待通り。なんなら期待よりは面白くなかった。新海作品にリアリティを求めるつもりは元々ないが、さすがにリアリティなさすぎて、おお?ってなる点も割とあった。椅子とか遊園地のシーンとか。そういうのが引っかかったのかも。あとなんか終わり方も微妙だった。結局何が言いたいのか、何が起こったのかよく分からなかった。君の名はが面白すぎたが故に、な部分もあるかも。でも絵は綺麗だったから観といてよかった。
悲しき過去との決別!! 旅を通して得た友情と絆を描いた作品
17歳のすずめの幼き日の遠い記憶を辿ると
其処には、いつも安らぎをくれた母の姿が
ありました。
自分のために心を込めて作られた
手作りの『椅子』
突如として起きた震災。
失われた大事な家族の存在。
傍らで実の娘のように接してくれたおば。
すずめが幼い日に見た母の面影。
壊れかけていた『もの』が呼び覚ます瞬間!
朧げな記憶が鮮明になり、映像と音楽に
奏でられていました。
17歳に成長したすずめが青年の草太に出会い
扉の鍵を締めていく!
ダイジンの猫は幼き日のすずめの姿を表していました。
一期一会、旅をしながら新しい出会いがあり、大事な人にまた、会えるインスピレーションを感じました。
扉の鍵を締めて、旅立つシーンに清々しく思いました。
追記、公開した3日後に観賞
レビュー遅くなりましてすみませんでした。
すずめの恋心
最近の(世界的な評価によってインバウンドにも貢献するようになった程の) 日本のアニメ業界を 映画で牽引する細田守氏と この新海誠氏。
赤塚不二夫や手塚治虫そして藤子不二雄あたりのアニメイメージで育った者としては甚だ恥ずかしくもこの二人がごっちゃになってた頃があった。
彼らの作品が数重なるようになった今
ありがたい事に彼らそれぞれの個性が顕著になり
私のような者でも それが見分けられるようになってきた。(やっとですが)
村上春樹氏の かえるくん〜は私の大好きな短編小説で、
ストーリーの土台がそれであるという前知識はあったので、この事については「もう知ってます」といったスタンスで見られたのは良かった事だった。
実は この美しくも壮大なアニメ画ではあるが
このたび乗ったJALの機内で見た。
最近の飛行機の液晶画面は大ぶりなiPadくらいの大きさがあって画像も鮮明で 10年くらい昔の「ストーリーはわかるけど」程度の物とは大違いではあるのだけれど この丁寧なアニメーションは映画館で見たい 見なくては という気持ちにはさせられた。
東日本大震災は、私にとって 非常に恐怖を実感する災害であった。
知人友人身内の誰も犠牲者はいない私でも あの日 あの年の不自由さと またいつ起こるとも知れない恐怖に慄く日々の記憶は体に染み込んでいる。
でも随分 薄れたかもなあ。
ソウタさんが 唱えるのが神教の祝詞(のりと)であるところから この話の根底にある 日本列島の在り方 みたいな事へのこだわりも見えて 地震大国日本への ある意味リスペクト(?という言い方は変だとしても) そういう意気込みも感じる程の重みはあった。
震災で母を亡くしたすずめと 姉を亡くしその子を育てる事で喪失を埋めてきたであろう若い叔母。
慈しみは朝食にも弁当にも溢れる程に
そして 高校生の女の子が居なくなったとした時に飛び出して東京まで来てしまう気持ちにも。
それらの決して軽くない気持ちを
心のどこかで申し訳なく そして重く感じていたすずめ。
叔母は もちろんしたくてしてるんだけれども でもあんたを引き取って 私は嫁にも行かず と 深層心理を吐露させてしまう場面では、そんな事言うのは私じゃないと我に返るとともに すずめが 「あなた誰」 と自分の叔母でない事を指摘する。
このあたりの 人の心の描き方に 新海誠氏のひととなり を垣間見る気がして心地よい。
そう言った何もかもを包み込み
それで敢えて このストーリーの主題は すずめが椅子に対する、あ いえ ソウタに対する 恋心なのだと
ラストシーンの始まり部分での叔母さんの言葉によって
気づくのである。
まあ、、、一つ言うなら
東北生まれの女性が大人になって移住した宮崎の方言を
喋る必要性は全くわからないと言うのは ありました。
新海映画の真髄をひしひしと、かつ、力強く感じ、個々の生涯を担い想う作品
レビューと感想です。
ストーリーもグラフィックも綺麗で非常に良くできた作品であると感じた。自分が鑑賞した時の心境にもよるが、とても共感深く感動した。草太が要石として人柱になるなか、クライマックスでその草太に代わり、前要石のダイジンが要石に戻るシーンにおいて、ストーリーとして草太が人に戻り、現世に帰還することに感動があるが、やはりダイジンが自分を犠牲にしてでも、またすずめのためにでも、要石としての役目を全うした点において、この映画最大の悲しみを涙とともに味わった。
かつては多くの人に祀られていたダイジンも、数100年の歴史の中で徐々に忘れ去られていき、そんな中声をかけてくれた、そして孤独から解放してくれた鈴芽に嫌われてしまったことはとてもショックであろう。しかし、そんな中、好きな鈴芽は好きな草太のために自分を犠牲にしてでも要石になろうと決意したことに影響を受け、ダイジンが本来の役職に戻ろうと決意したシーン、鈴芽の手で元に戻してほしいというセリフは、ダイジンの覚悟と、好きな鈴芽への甘えであると感じると、ダイジンの赤子ながらも孤独に耐え、役目をまっとうしてきた忘れ去られていた期間の心情を思うことができるのかもしれない。これからは新たな閉じ師たちの歴史と共に、要石も祀られ、人々の信仰とともに孤独から解放されてほしいと感じた。
また、なぜ宮崎から東京に向けて順々に後ろ戸が開いていくのかを考えてみると、東京の要石が抜け、また草太が要石でなくなったことも考えると、西と東の要石が抜けている状態でなければ要石を挿すことが、できないのではないかと感じた。このように考察の幅が広がる点やストーリーと描写の広大さという点において、また、大神など日本神話や古典文学などにインスパイアされている点、新海映画の真髄を感じることができる。
時代は場所と共に移り変わり、過去に繁栄したところは現在衰退し、現在繁栄しているところでも未来では衰退しているかもしれない。そんな繁栄と衰退を繰り返し時代が巡り、衰退により忘れられてしまう存在もある。この作品ではそこで後ろ戸が開いてしまい、人々の想いを込めて神様にお返しすることで、忘れられた存在として出なく、人々の心と共にあり続けることができている。私たちが生きる今は、そんな人々の心と共に、繁栄し、衰退を繰り返し、隣り合わせの死に対し、生として抗い続けているのだと感じた。今一刻でも生きながられたいと言う祝詞のように、愛するもののために、また、何かのためにでも、死の恐怖に抗い、生き続けることこそが、災いや時代の移り変わりに対して生き続けることであると感じる。
実際の東日本大震災当時、震災は昼間に起きたことから、多くの人が劇中のように「いってきます」、「いってらっしゃい」を最後に被災した。「ただいま」、「おかえり」を言うことが叶わなかった人たちがおり、移り行く時代、忘れられてしまった存在を描くこの作品において、震災から10年以上経過した現在、この作品のを「おかえり」、「ただいま」で締めくくることに、監督の、映画としての、忘れてはならない、時代の移り変わりのメッセージを強く感じられた。鈴芽の目に映し出された常世のように、被災された方々の記憶には痛々しく、また強々と残る震災ではあるが、実際に被災しなかった人たちの記憶からは忘れられてしまっている。そんな中、鈴芽という被災した主人公と、時代の移り変わりを作品で示し、時代の繁栄衰退と記憶のあり方を強く示していたと感じる。
また、ダイジンやサダイジンのように、陰陽のようにダイジンは行く先々で福をもたらし、サダイジンは暴露を行うことで、鈴芽と環さんの関係も良くなり、結果的に福をもたらすという、神様として、直接的な描写でなく、間接的に神様を示している。監督の専攻でもある国文学を、日本神話を用いて映画に融合させ、神様と、自然と、災いと、私たち人間が時代に適応し生き抗うメッセージを作品として、強く感じるものであった。加えて鈴芽が決意し、草太の家から御茶ノ水駅に向けて歩き向かうシーンのように、描写を斜めにして移すことで、坂道を登っていくような描き方をしており、このようなさりげない表現が多く作品に取り込まれており印象的であった。
新海映画の真髄をひしひしと、かつ、力強く感じ、個々の生涯を担い想う作品であった。
2023/5/19 TOHOシネマズ新宿にて(戸締り上映)
2023/9/26 TOHOシネマズ新宿にて(おかえり上映)
2023/9/28 109シネマズ二子玉川にて(おかえり上映)
2023/9/29 109シネマズ二子玉川にて(おかえり上映)
宿命の物語
鑑賞後、私は「宿命の物語」と云うワードが頭に浮かびました。
私はこの作品を見終えた時にダイジンを主人公に据えていた事に気が付く。
この作品は猫好きの新海誠監督による猫リスペクトの映画に思えた。
また今作は「魔女の宅急便」のオマージュが多々あるのも面白い。
以下、良かった点と悪かった点。
【良かった点】
〇圧倒的映像美
新海誠作品の代名詞ともなっている現実にはない光源を利用した圧倒的映像美は健在で本作も素晴らしかったです。
また毎度の事ながら日本文学の美しさを情景として表現する新海誠監督に脱帽です。
ふと空を見上げて青空を泳ぐ雲、切なさを覚える夕暮れ、涙を流したくなる星々輝く夜空...
誰しもが空や山が見せる幻想的な美しさに想いを馳せるはずです。
実写映画では現実では勝る物は無いと思いますが、アニメーションだとまた現実とは似て非なる情景となり、感動が増します。
この映像美にはカメラワークも含んでおり、すずめを軸にした背景の移動や反転が素晴らしかった。
如何にこの美しい世界を映像に出来るかと言う強い気概を覚えた。
〇飽きさせないテンポの切り替え
観客を飽きさせないスピーディーな場面の切り替えは評価したいです。
多少強引で合ってもテンポが良く、中弛みを感じさせない。
〇ロードムービー
多くの映画ファンなら好きであろうシチュエーション...それがロードムービー。
突然始まったすずめと草太の旅。
その過程でその土地で自分の日常を生きる人と出会い、別れを繰り返す。
王道ではありますが、人の温もりだったり、自身のルーツを知り精神的成長を果たす過程は見ていて気持ちが良かったです。
○登場人物
個人的に芹澤君が大好きでした。
物語の清涼剤として和みました。
○ダイジン
最初に書いた通り、ダイジンに感情移入して観賞していました。
宮城県には猫を神として祀る猫神社があると聞きます。
ダイジンは元は人間なのか、変わらず猫だったのか分かりませんが、ある日厄災を鎮める要石となる。
そこから何百年と孤独だった。
時を重ねて神と到りはしたが、始まりは平凡な存在だったはず。
ダイジンからしたら理不尽であり不条理だと思います。
だからこそ自分を要石と云う役割から解放してくれたすずめを好きになった。
だからこそすずめの戸締まりをサポートしてくれたのでしょう。
最後、すずめの為に再び要石になる選択をしたダイジン。
あのロードムービーにはダイジンも含まれており、ダイジンもまた自由な身となり現実を楽しんで旅を出来たのでしょう。
こう考えると本作はダイジンの宿命の物語に思えました。
日本を数百年に渡り厄災から守り、自分を救ってくれた一人の少女の為に奮闘したダイジンこそ本作の主人公でしょう。
〇メッセージ
本作は言うまでもないですが、根底に東日本大震災があります。
終盤、宮城にてあの日を生きていた人々の日常を垣間見るシーン...そこには多くの「いってらっしゃい」があり、多くの「お帰りなさい」が失われた。
だからこそラスト、すずめの「お帰りなさい」には様々な想いが凝縮されている。
あれから11年。
まだ11年か、もう11年か...それは人によって感覚は異なるでしょう。
すずめの戸締まりが描いた「いってらっしゃい」と「お帰りなさい」は御伽噺です。
しかし映画くらい救いがあってもいいじゃないかと思いたい。
○再会
初期の新海誠作品と言えば、再会が叶わなかった結末が多い。
しかし「言の葉の庭」から希望の持てる終わりが描かれて来た。
本作も2人の再会で幕を降ろす。
それに否定意見もあるかと思いますが、私は肯定。
上記に書いたようにこれは「いってらっしゃい」と「お帰りなさい」の物語。
どちらかが欠けてはいけない。
2人の再会はとても意味のあるものだ。
【悪かった点】
〇ベースとなる日本神話が分かりにくい
新海誠監督の独自の解釈もあるのでしょうが、ベースとなった神話・民俗学が分かりにくく、要石が何故二つあるのかだったり、ダイジン・サダイジンの行動原理に首を傾げる部分も。
厄災がミミズの形をしている理由や天岩戸伝説に基づく設定など知識のない観客を置いてけぼりにしてしまった。
○登場人物に感情移入し辛い
時間の関係上、詰め込み過ぎてすずめの心の変化に着いて行けない人も多くいるかと思います。
現地で出会った人々と打ち解ける過程が短すぎる。
「秒速5センチメートル」や「言の葉の庭」のような丁寧さを感じられなかった。
○ラストのパラドクス
すずめが幼少時代の自分に出会い、椅子を渡すシーンは唐突にも感じた。
○距離が...
新海誠監督と言えば軸となる2人の距離感を描く事に定評があります。
しかし前作「天気の子」と同じく、すずめと草太の距離感にもどかしさも絶望も感じられませんでした。
総評として私は大好きな映画です。
しかしこの作品は星5とまではいかない。
それなのに星5を付けました。
映画とは疑問を与えて、思考する機会を与えてくれます。
好きな映画と出会った時、何故好きなのか考える。
同時に嫌いな映画と出会った時、何故嫌いなのか考える。
映画とは例外なく総合芸術として私達に多くの知識、教養を与えてくれる...
本作は疑問に思うシーンも多々ありましたが、それも含めて多くの思考プロセスを頂きました。
それだけで私は星5に値する作品だと思います。
最後に...
見せたい演出を優先したように思えた為、納得出来ない場面もありました。
しかし繰り返しになりますが、私はこのすずめの戸締まりが大好きです。
「ほしのこえ」、「雲のむこう、約束の空」、「秒速5センチメートル」と云った初期作品が大好きな私のようなファン達から
大衆向けにシフトした「君の名は」以降から疑問を持つ人も多かったはず。
しかし「すずめの戸締まり」には、初期作品のような独創性はなくとも美しき日本文学の普遍性は、変わらずあり続けている。
この日本だからこそ作れた作品に感謝を。
Hay hơn hẳn Tenki no ko
Âm thanh hình ảnh vẫn đỉnh như mọi khi, nhiều góc quay đẹp. Nội dung k bị ôm đồm như Tenki no ko
気づいたら5回鑑賞
新海誠作品とのことで、観たかった別作品の映画の合間に軽い気持ちで見に行ってみたら大当たりでした。
世界観は安定の薄暗さがありつつも、シリアスな部分と明るい部分を使い分け、新海誠作品の雰囲気も残しながら、重めのストーリーが苦手な人も見られる良い塩梅に落ち着いていたと思います。
前々作は一般受けに振り切りすぎて元のファンは離れたし、前作は元の作風に寄りすぎたことで伸び悩んだ、と思うので今回は上手いなと思いました。
そして今回、環さんが本当に大好きです。
新海誠作品は好きですが、映像美や世界観が良い反面、今まではキャラに魅力を感じる事が少なかったです。
鑑賞後も友人に環さんの話ばかりするほど環さん沼です。
深津絵里さんの方言が自然で心地良い。
調べてみれば九州出身の方ではないと知り驚きました。
すずめと言い合いになるシーンでは、私自身の過去の嫌な事を思い出してグサグサ刺さったほどに演技が素晴らしいです。
しつこく電話する、すずめを心配して暴走する、長文LINEを送ってくる環さんに、うわ〜面倒くさい親あるあるだわ〜と正直うんざりしつつも、苦悩などもしっかり描かれていたので、可愛らしく魅力あるキャラになったのだと思います。
そう考えると心理面の描写が今回は強化されていたのかもしれません。
最終的には公開初期に2回、環さん特典期間、芹澤特典期間、ラストランで計5回鑑賞していました。
地震アラートが苦手な人を誘えないのが悲しいところでしたが、堂々と好きと言える、人に薦める事のできる作品です。
特典もらった 1回目 12月28日 環さんのものがたり 2回目 1...
特典もらった
1回目 12月28日 環さんのものがたり
2回目 1月28日 芹沢ものがたり
最初が退屈。映像美。
思ってた以上に東日本大震災擦っていて驚いた。これが噂の男か………って男が出てきて笑った。監督の性癖ぶつけられ男。
最近のアニメは海外意識してつくってんなぁって思った。
大人が倫理観もっている、ストーリーに信念がある竜そばって感じ
ただ、ターゲットが子供だから途中展開よめて退屈でしたね。
映像とキャラクターのかけあいがいい。
鑑賞者の解釈次第、かなあ。
前作「天気の子」よりはテンポよく話が進むので面白かった。というのが率直な感想です。「君の名は」と「天気の子」を昇華させたような作りで、個人的には「ひるね姫」への既視感も(勝手に)ありました。
ただ、鑑賞する人のリテラシー(教養と置き換えてもいいですが)次第でどうとでも取れるし、制作者側の意図とかけ離れた感想を抱いたりしちゃうんだろうな、それって映画作品としてどうなんだろうかな、とも感じました。観た人によって感想が違ってくるし、余計な詮索もしてしまうかなあと。また、これも解釈次第ですが、特定の愛国主義者からは相当な反発も食いそうだなあとも。これは考えすぎかな?
・冒頭の鈴芽の記憶?体験シーン?で大凡の流れと結論が読めました。大体、合ってました。なので、鈴芽が草太を一目惚れしたのには理由があるし、多分、そうだろうというのは想像通りでした。ただ、そのまま観たままでは一目惚れしただけで~というのはその通りですね。
・要石(ダイジン)に意思があったらそうなるよなあ。自分にはほぼ永久にそこに留まっていろ、と仕事振られたら全力で逃げる。でも、単純にそういうことで逃げ回っていたわけではなくてちゃんと意味があってのことだったんだということには後々で気付きました。でも、受け手のすずめはそうは思ってもなくて、最後まで意図は分からなかったのかもかなあ。コミュニケーション、説明責任って大事だね。
・岩戸で宮崎では分かる。でも、すずめが震災に会った場所には疑問が残るし、東京から向かう場合、そのルートは取らない。なぜなら、自分がそうだから。なのでラストにはとてつもない違和感があってモヤモヤもしました。ただ、鈴芽が震災に会った場所(遺構的な?)をみて見覚えがあったので想定はできた。(惜しかったw)
・前二作に比べて画力、映像の表現力は落ちた気がする。
・天気の子で感じた柵まくりは感じなかった。
・制作に瀬下寛之さんのクレジットで、妙になにか(笑)を納得してしまう。
予告ティザーで感じた「やっちまった感」はなんだったんだろうというくらいにいい方向に裏切られた思いですが、激賞するほどの作品とは言えないかなあ。
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