すずめの戸締まりのレビュー・感想・評価
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これまで観た新海監督作品で一番退屈
この作品について言えることはほとんどない。面白いという人の気持はまあ分からなくもないけれど、個人的には何が面白いのか全く分からなかった。
ドラマ性というのは登場キャラクターの変化や成長だ。事象の転がり、つまり展開のことではない。
新海監督の作品には、このドラマ性がないんだよね。
純粋なラブロマンスものであった「君の名は」は、恋する男女を描けばよかったのでなんとかなったのだろうが、もう少し踏み込んだ複雑さを含んだ心情になると描写不足がおきたり、上っ面だけを撫でた浅いものになる。
ネタバレしない程度に書くと、作中で経験する出来事とラストシークエンスの関連性が薄すぎて、なんとなく「いい感じ」になるように用意されただけのように思えてしまうのだ。
とはいってもあまり複雑な心情になると若年層がついていけなくなるだろうし、このバランスでいい気もする。
文句を書いているけれど、作品が失敗しているとはいえないということだ。
要は、全年齢向けのやや下よりな作品だったわけで、ダーゲット外にいそうな私が退屈に感じてしまうのも仕方ない。
「君の名は」が面白かったので惰性で観ているけれど新海監督の作品はもう観なくていいかな。
過去に観た新海作品の中で一番退屈だった本作をもって落第とさせていただきます。
だいたいだいじんのせい
震災で幼い頃に亡くした母への想い、大丈夫だよ!って言える未来の自分が心を救う!
コロナ第8波到来か、ワクチン4回目打つも
そろそろ限界に達してきてる人類と思う今日この頃。
劇場封鎖に成らないでくれよと願うばかり~
そんな中、新海作品待望の「すずめの戸締まり」を観に行った。
前作の2019年の天気の子から3年だな。その時は
7月19日 公開されたんだが、その前日 京都アニメ放火事件が
有った事は記憶に新しい・・・。
(CAST声)
岩戸 鈴芽(主人公):原菜乃華さん
岩戸 椿芽(母、東日本震災で亡くなる):花澤香菜さん
岩戸 環(すずめの育ての叔母):深津絵里さん
宗像 草太(閉じ師、イス):松村北斗さん
ダイジン(要石、猫):山根あんさん
芹澤 朋也(草太の友):神木隆之介さん
宗像 羊朗(閉じ師師匠):松本白鸚さん
新海誠氏の初心作「星を追う子ども」の頃に回帰した感じを受けた今作。
前作の『天気の子』よりは 数段良かったかな。
前作同様に気象ネタに挑む姿勢には賛否が出そう。
特に東日本大震災から11年過ぎて、これを扱うにおいて
人それぞれ思いが違うでしょうし、神戸も出てきますが
阪神大震災からでも27年。
軽々しくは扱えないテ-マだとは感じます。
ネタが偏ってるようにも感じられるけども
地震をナマズではなくて ミミズで表現しているのが新しい感覚かな。
安政2年(1855年)の安政江戸地震の頃に、
鯰(ナマズ)をモチーフにした錦絵が出まわった。
これは鯰絵と呼ばれるそうで、鹿島大明神が ”要石(かなめいし)”で
大ナマズを押さえている絵などがあるそうですよ。
それが元ネタなんでしょうかねぇ。
作画の美しさや、声当てに関しては
違和感なく定番通りと感じます。
ただ、ダイジンキャラに 少々イライラ感を発しましたがw。
何のために要石役を降りられたのか・・・
結局元のお役目に戻ってしまって。
悪さする割にはすずめ達にくっついてきて、
結局 他人に無視されては何処にも行けないダイジン。
知らぬ間に もう一匹の黒猫(要石)もやってきて
皆でハチャメチャドライブは ありゃりゃ~の感じ。
実のところ まとまりが悪すぎて
前作同様に展開死に至りそうに感じてはいましたが、
この 育ての叔母(環)が心配してすずめを追いかけてきて
すずめと本気で口論するところは良かったです。
実際 震災の被災者とそれを保護した人々との圧壁も
当時も今も有ったと思うし、
育ての叔母と心の底からの本音吐露が、
より生きてる実感を増してると感じました。
そして、扉の隙間のアノヨ世界で
草太と二人で最大ミミズに要石を刺して
大いなる地震の災い発生を納める~
冒頭にあった、寒い夜の震災跡地の草原を駈けていた~幼女すずめに
手を差し伸べていたのが、母ではなくて
未来のすずめ本人で~ ”大丈夫だよ!” って過去の自分に対して
ギュッとハグするところは とっても良い場面でしたね。
ここは凄く心がグッときましたよ!
それは震災の被災者だけで無く、日本各地の豪雨災害、豪雪、土砂災害はじめ
交通事故、病気など 色んな事で肉親を急に亡くしてしまった
人々総てにエ-ルを贈る~ それなんだと感じます。
どこかで・・・、どこかで心に整理を付けて
前に進ま無きゃいけない、そんな自分があるわけで。
そんな空虚な心の扉が開いたままの 自分があって
だから 最後の言葉に
”行ってきます” ・・・と自分でその扉に鍵をする~。
その意味を知った時、
彼女の成長とこれからの幸せを願わずにはいられない、
そんな思いに浸りました。
今 劇場が凄くホットな状態になってます。
是非、ご家族揃ってどうぞ!
主演の原さんの声が良き
娯楽ではなく教訓として観るべし。
あの世にいるときは過去も未来も知ってる、かも。
★四つ以上
★★★★☆
★五つ未満
ぼくの個人的な見解です。間違ってるかもだけど悪しからず。
ネタバレあります。
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■自分が地獄を引き寄せたと思う人はこの映画をみて過去を思い出すかもしれない。
ボクは思い出した。
■お母さんの思い出は、やっぱりお母さんなんだと思う。
■おばさんとの口論は、昔のことおばさんが忘れるわけないから、たぶん記憶がすぐに思い出せなかったか、多層世界の重なり具合で違う世界の同じ姿かたちの、ちょっとイライラしてる世界のおばさんだったと思う。
■あの世で人に会う場面、台詞が思い出の
と違うけど、今回の主人公目線ではその台詞になってて、主人公としては今回の台詞で会話したと認識されて、
一方で
相手が受け取った台詞は映画での今回の台詞とは違って昔通りの台詞になってるんだと思う。
■同じ世界にいるのに災害の予兆が見える人と見えない人がいる描写があるから、
自分が認識してる言葉のやり取りにも、
個人個人で個別に違ってると、拡張解釈してみた。
■あの世では服が自動修復されてる感じだから
あの世にいるときは服にも命が宿ってるのかもしれない。
だから重要アイテムもあの世にあるときは命が宿って自動修復されてるんだと思う。
■あの世で魔物を鎮めるクサビ形の石になる存在は、次第に神の力を得る台詞とか、人間でもなれるかもしれない描写があるから、元人間なのかなと思う。
■無邪気なあいつは、あの世にいるときは時空を超えて未来と過去の事を繋げて認識してて、それで関係あるスズメがどんな人か知ってたんだと思う。
この世にいるときは超越認識ができないから
ただのイタズラっこな子供みたいになってたんだと思う。
■この映画は女の子と無邪気なあいつがダブル主人公だと思う。
助ける対象(男性&姫属性)も主人公仲間とカウントすればトリプル主人公だと思う。
■最後の方で思い出が嘘だったんだと思ったら涙がすこし出ちゃったけど、思い出を見てる主体ごとに、別々の世界を見てるとしたら、別になにも失っていないんだと思うし、泣く必要なかったな、と思う。泣いて損したというか、もっと違うときに泣けるようにしたいと思った。
■現実で同級生が泣いても、現実で親が泣いても、ぼくは現実のことでは泣けないから。
共感力が無いのと、人の気持ちに鈍感で、いつも批判的な意識で緊張してるんだと思う。
現実でも悲しいときに流れる定番のBGMがラジカセAIから自動的に流れるAIシステムあれば泣けると思うけど、それは現状無理だから困る。
■これは恋人向けなので、仲良くなりたい人と一緒に見ることをおすすめ。
こんなんでジブリの後継になれると思わないでね シナリオライターといえるレベルではない
まずここまでで判明しているパクリ(オマージュといえば何してもいいんですか??)をまとめます。
特別な鍵で扉を閉める→もろキングダムハーツ
みみずのデザイン→エヴァの使徒、もののけ姫のデイダラボッチ
扉の向こうが草原の広がる時間のない世界→ハウル
ソウタのキャラデザ→ハウル
いすのデザイン→よつばとのダンボー
猫のデザイン→魔女の宅急便
昔の自分と対話→ハリポタ、ドラクエV
みみず・話→村上春樹 かえるくん、東京を救う。
とにかく多すぎ。どこにオリジナリティがあるの。
あとアマノウズメをモチーフにしてるていうけどアマノウズメって上半身裸で踊ってみんなを爆笑させた女性なんだけど大丈夫???
弟スサノヲの狼藉にショック受けて太陽神の天照大神が閉じこもってしまい、世界が真っ暗になってみんな困ってた。
そこでアマノウズメが自分の乳をさらけ出し、アホみたいな踊りを披露して楽しい笑いが起きて、なんだろう、この私がいないのに何がそんなに楽しいの?と天照大神が出てくるって話で、
特にリンクしてないよね。
そのくらい監督は知ってるはずなんだけど。
で、すずめはチラッとあっただけのイケメンがいない世界がめちゃくちゃ怖いらしい。
その一方あんないい一軒家に住まわせて経済的にも何不自由なく、人生犠牲にしてまで育ててくれた叔母さんのことは過保護モンペ扱いでイケメンのために逃げる逃げる。
挙げ句「(育ててくれなんて)頼んでないっ!!!」
完全に人の心がありません。
家出の理由「言ったってわかんないよ」って、ダイジンや椅子が話すのも目に見えるんだから、荒唐無稽な話でも信じさせるのは可能だよね。三葉のパパみたいな頑固親父でもないのになぜ説明放棄?
こんな恩知らずを引き取った叔母さんが不憫でならない。
あとソウタが年上の教員志望である必要まっったくなし。
そもそも一家代々閉じ師でありながら教員なんか志望する意味がわからん。激務だよ、平日休み取れないだろ。土日や夏休みしか地震おきないのかな??
無理があるだろー…さすがに…
あと中途半端に叩かれたくないのバレバレ。
地震が来そうで来ないんだもん。閉じてるから。最近は真面目に全国行脚してるから閉じられて良かったねって感じ?
全部閉じ師の頑張り次第なわけ?
違うでしょ?プレート同士のぶつかり合いなんだよ?
例えばプレートに見えるものは実は地中に潜った神でそれが争っているとか、何か整合性とってよ。ミミズが湧き出してそれが倒れた衝撃で揺れるなんておかしいじゃん。
で、3.11のときは無念にも都合悪くて?力強くて?要石の都合で?閉じられませんでした。。て?
じゃ、事情を知りながらどうにもできなかった閉じ師のせいで起きた人災てことでOK?
そんなものすごい自責の念抱え切れないよ…。
これからもやるなら全力で365日24時間やんなきゃだよね。閉じ師だけでは食べてけないって誰がお金くれてんだか知らないけどわかっててお金あげてるわけだから衣食住絶対保障されるべき超重要職だろ。
なんで困窮させてんだアホか
話の流れとしても椅子になる意味がわからん。
民話か何かのオマージュとか言ってたけど意味がわからん。必然性がないんだもん
震災のショックから立ち直れない人が唯一心を開ける同級生が何してるかと思ったら実は閉じ師だった。とか、そういう方がまだ説得力あるよね。
なんか子供の頃見た二人は大人になった自分たちって話もさ、そうはいってもその二人であって5日だからねってのは変わんないし、生きてりゃイケメンと恋する楽しみが待ってるよ!て!軽薄すぎて。まあ新海誠はこんなもんだな…。
おばさんも綺麗で若いよね,そういう人しか描けないもんね。カンタのばあちゃんみたいに綺麗じゃないけどみんなの心が温かくなるような人描いてみろや。
まあ無理だろうけどね…。
結局ダイジンの情緒もキャラクターも定まってなくて意味不明、いっぱい人が死ぬことをなんとも思っていない超越的感覚を持ちながら、すずめに嫌われて傷つく心はある。
そして傷心自殺的に要石にもどる。
すずめから「当たり前だろ!じゃあな!っしゃあ!!!これでイケメンとつきあえる〜っ♪」という声が聞こえてきそうです。
シナリオになってないレベル、そのへんの漫画家さんのほうがちゃんとしてるよね…??
この人も絵と演出専門の方がいいよ。
芹沢が出てきたのも意味不明…。ソウタでいいんだよ、ずっとソウタで。椅子になる必要もなし!!!
二人きりはちょっとってことなら、天気の子みたいにもう一人子供とか連れてけばいいだろ。芹沢×叔母パートとかなんなんだよ一体。
これだけの注目度で現実の震災を扱うのなら、もう覚悟して、あの震災についてインタビューしたり被災地訪問したりして、しっかり向き合って真正面から火垂るの墓みたいに描いたら?あ、得意のオマージュって意味でなくね。
観れない人はたくさんいるだろうけど、そのほうが世界には多分社会的意義があると思う。
アニメ歴代興行収入 低くて…。
おもしろくてかわいいタイトルからすずめたちのほんわかした物語だと本気で思っていた…が、大間違いだった。
忘れることのできない災害の爪痕を感じさせ、それを背負うことを余儀なくされた複雑な心の動きに正面から向き合う作品は、単なるレクイエムにとどまらず、被災者である主人公・鈴芽に、閉じ込められた時間から飛び立つ旅を仕掛けた。
そして一瞬衝撃的でもあった、生身の人間関係だからこそのストレートな感情、時には溜め込まれたわだかまりの存在があることをあえてぶつけてみせるのだ。
生きているから知っていく。
生きているから越えていく。
そこに自分にしか助けてやれない自分がいることを教えるために。
そして重要なもうひとつ。
私達が澱みなく与えられた尊いものはいつも、それを感じられる自分のなかにありそれが自分を突き動かす基本の糧であると伝える。
作者は私達に鈴芽の戸締まりの体験を共有させながら、一方で支える側の必要性を説く。
自分の速度で一歩ずつ進んでいこうとする(生きていこうとする)誰かの背中側にそっとまわり、立ち止まるときも、座りたくなるときも、また歩きだすときも、いつでもささえられる位置にいられる私達でいようと呼びかけているのだろう。
いってらっしゃい。いってきます。
ただいま。
おかえりなさい。
何人もの人々が交わす挨拶だけのシーンに胸が詰まりこみあげる。
慣れてしまうとわからなくなるこの上なく幸せな時間のやりとりを強烈にみせる短く深いシーンに涙がぽたぽた落ちた。
なんでもない日常は奇跡とよべる時間だ。
こうして生かされていることに感謝し行動しなければと思わせられた作品だった。
本当に伝えたいことが何だったのか最後まで私には分からなかった
公開時のオープニング部分の無料公開を観てから興味がすっかり失せてしまって何ヶ月も経った今日、レンタルDVD借りて来て鑑賞
最初から最後までワクワクせず退屈してしまった。私のような年寄りには驚きも喜びも、何の気付きも考え込ませられる場面もないまま時間だけが過ぎた
過去作もほとんど観てきたけど、とても上手に作る監督なんだよね
だけど 厳しく言えば、
J-POPの売れっ子バンドの多くが作曲の時に使い続けてきた大衆受けする売れ線の魔法のコード進行みたいに、気持ち良くなっちゃう脚本作りや絵作りの味付けを監督が心得てしまったのかもしれないなぁと邪念が頭をもたげたまま終映
薄味 見終わった後の正直な感想でした
宮崎駿作品「君たちはどう生きるか」を観た時の混乱😵💫や考え込んだり🫤の飲み込んでしまった異物感の正体が何か、何ヶ月か経った今も未だに明確に答えが出てこないのだけど、この映画からは残念ながら何も問いかけが感じられずにスルスルと流れてゆく話を少し淋しい気分で眺めていた
作家として震災をテーマに扱う責任は重たいね
タイトルなし(ネタバレ)
ソータの事を好きになって、大事な人になるの、早すぎ
ソータがちょい棒読みがあるが、大事なシーンでは上手で助かった
ちびスズメに椅子を渡して、彼女がモノクロの世界に帰っていくシーンが悲しい
絵は流石に綺麗
ミミズはもののけ姫の祟り神とデイダラボッチに見えてしかたなかった
歌は良かったー
ダイジンというネーミングがすぐ定着するのも違和感
サダイジン、いきなり来て馴染みすぎ
この2匹の立ち位置が分かりにくかった
スズメが旅をして行くのは、楽しかった
新海誠嫌いでも大丈夫
2回目 2024/3/31
余りにもダイジンに対して無慈悲だ。要石として"大切な見えない仕事"を江戸時代から続けていたダイジンはさぞ大変だっただろう。漸く封印を解いてもらいソウタに役割を押し付け自由を謳歌することができた。しかしすずめにものの見事に振られた。その上ソウタのために自分が閉じ師になろうとしてるスズメを思い再び石になる。
愛されている人のために誰からも愛されていない社会の陰で頑張っている人が辛い目に遭う。よくあることだがこんな綺麗な娯楽作品でそれをやるのが惨い。
映画自体は面白かった。
1回目
僕は新海誠がずっと苦手でした。
「君の名は」「天気の子」の、RADWIMPSのmvみたいな感じがすごく嫌でした。これ、映画がすごいんじゃなくて、曲が凄いんじゃね?って思ってました。(RADWIMPSは普通に好きです。特に念仏みたいな曲が好きです。)
映画館にこれを観に行ったのは、好きな女の子をデートに誘いたい一心、それだけでした。新海誠の名はうぶな高校生にデートに誘う勇気を与えるのには完璧でした。
そして、果たしてデートに行けたのですが、普通に面白くて、困りました。横に彼女がいるから集中できませんでした。
この映画は冒険譚であって、ラブストーリーの要素はかなり抑えられています。新海誠がポストジブリを意識しているのを感じました。
日本人を悩ます地震を化け物として、戯画的に描くのはシン・ゴジラと似ていると感じました。
ロードムービーが好きな僕はそっち方面でも楽しめました。かかってくる音楽はどれも名曲で聴覚も癒されました。
もちろん新海誠らしく、10代のモラトリアムも義務的に描いてはいました。
いろんな要素をバランスよく抑えているので、間違いない作品にはなっていますが尖った魅力がないのが残念なので、次作を楽しみにしています
扱いにくいテーマを盛り込んでよく作った
個人的、タイトルと予告編を見た印象ではもっと単純なファンタジー物語かと思っていたが、まったく違ってて、重いと感じた。
地震災害を怪しいミミズで表現しているファンタジー的な部分やネコの姿を借りた異次元の神様?たちなどそれなりのキャラクターが並び、物語を構成しており、さてどうなるか?と期待感を持って観たものの、3.11を絡ませた内容が演出上で出て来て、何気ない朝、いつもの食事をしている人たちの声とか出てくるシーンもあり、被害がなかった地域で住んでいる私にも関わらず、あれだけの犠牲者とその関係者の切なさを考えると胸が苦 しくなった。「お母さんが居ないんです。探しています」なんて幼い声で言われたら、ホンマにツラいわ。
そして、そのテーマ部分をさっ引くと心動く部分がないと私には見えた。
基本のストーリーで謎のイケメン大学生と女子高生の恋物語がこの作品のなかでとてつもないキーになったとは思えず、かといって震災イメージ演出で目を潤ませてしまい「こりゃ何回も観ようとは思わんなぁ…」 と言うのが正直な感想。
人に見せるとして震災のイメージありと言って見せるとしたら心理的な抑制が掛かりそうだし、どうにもこの作品を正当に評価してやれない気がする。
「おかえりなさい」
映画館でも鑑賞したが、配信であらためて鑑賞。
12年前の3月11日、東京で暮らしていたわたしは東北の状況をニュースで知り、仕事帰りに寄ったコンビニはパンやカップラーメンなどがほとんどなく、テレビは全て震災の情報を伝えるものでCMはACジャパンだった。
あの日の事は決して忘れない。
映画のラスト30分程、たくさんの人が「行ってらっしゃい」「行ってきます」と交わす言葉。
あの震災当日、誰がその「行ってらっしゃい」が最後に交わす言葉になるなんて思っただろうか。
どれだけの人が「ただいま」と言えたのだろうか。
震災のニュースとACジャパンのCMを観ながら苦しくて泣いてばかりいた自分を思い出し涙が溢れた。
「行ってらっしゃい」と伝えた相手に「おかえり」と伝えられる事、「行ってきます」と伝えた相手に「ただいま」と伝えられる事が当たり前ではない事。
すずめも言っていたように「生きるも死ぬも運」でたまたまわたしは今日を生きている。
その事を忘れずに生きたいと思い出させてくれる映画だ。
地震(災い)が主としてある映画ですが、芹澤(神木さん)のチャラそうではあるけどイイヤツが最高でした。
きっと良い先生になるんだろうなと思います。
あの日の事は忘れないけれど少しづつ薄れてゆく記憶を大切な事を忘れないよう毎年、観返す映画にしようと思います。
うーん
期待していたから、余計に。
やっぱり、見るほどよく分からない。
でも、なんか引き込まれるけど、ストーリーが早いのはいいのだけど、地震とか恋愛とか、詰め込みすぎのような気がする。
でも、人が椅子になるとかそうゆうの好き❤️
でも、何にしても説明不足のような。
でも、絵もRADWIMPSの歌も好きだから、この映画は好き!
声優もいいね!
だから、たぶんまた次の作品出ても見ちゃうんだろうな。
風化させないために。。
新海誠監督が、自身のネームバリューを使い、多くの人に観てもらえるよう、敷居を下げ、間口を広げ、そして敢えて挑んだ作品だったと思いました。
そうは感じていたものの、どうしても踏み出せず。。
私は映画は良く観る方だと思いますし、新海誠監督作品はリアタイで劇場で鑑賞してきました。
新海誠監督の新作だから!と、普段映画を観ない友達も鑑賞していましたが、私には無理でした。観られる時が来たら、と。自分のペースで、と。
しまっていました。
あれから12年以上経ちました。
まだ、12年なのか。
もう、12年なのか。
毎年3月11日の午後2時46分になると、黙祷し、被災した方々へ思いを馳せています。
今回おかえり上映という事で鑑賞しました。
賛否分かれた本作でしたね。
指摘されていたすずめと草太の急過ぎる関係性について。
幼い頃のすずめは常世で草太と母
(と思っていたが、12年後の自分自身)と会っていた。
すずめも被災者で、常世に入り込んでいたのを、2人によって現世へ送り返された過去があった。
その時の出会いがあったからこそ、坂道で草太と会った時、潜在的に「母に繋がる人=自分を救ってくれる人」と感じ、行動を共にしたんでは、と推測しました。
一見サイコパスに見えるダイジン。
確かにあの発言や行動は批判的に捉えられても仕方がない描かれ方にも見えました。
しかし、要石としての役割を全うし
ずっと1人で頑張って来たダイジン。
すずめによってそのお役目から解放された時、自分に自由をくれたすずめを好きになるのも、草太を邪魔に思うのも理解できました。
「うちの子になる?」は嬉しかったと思う。
そしてこの発言は環が幼いすずめにかけていたそれと全く同じセリフだ。
ダイジンはすずめから草太を奪う。
幼いすずめは環から自由と12年分の人生を奪う。
ダイジンとすずめは似ている描かれ方だと思いました。
2人共無意識に無邪気に大切な人の大切なものを奪ってしまうという共通点があった。
子供って無垢過ぎると逆に残酷だったりします。
「扉を閉める」という目的の為に進むロードムービーの側面の他にも、すずめと環の物語でもありました。
ダイジンに導かれるように椅子にされた草太とすずめは協力し、各地の後ろ戸を閉じていく。
愛媛でチカと仲良くなり宿に泊めてもらう。
神戸へ帰る途中のルミに車に乗せてもらい子守とスナックの手伝いをする。
ダイジンが訪れた場所は人々が集まり活気づく。なぜなんだろう。ダイジンは福の神のような存在なのかとも思えた。
そしてだんだんと寝起きが悪くなっていく草太に嫌な予感がしていた。
後に要石となってしまう事の伏線だったのかな?
東京に戻るとこれまでとは比べ物にならない巨大ミミズの出現に、草太は自らが要石となる覚悟を決める。
すずめの手によって巨大ミミズに、要石となった草太を刺す。
巨大地震は食い止められたが草太を失ったすずめ。
草太を取り戻す為、すずめが唯一通る事のできる岩手の実家の扉を探しに出発する。
芹沢のオープンカーで、環とダイジン、サダイジンと共に。。
途中のSAでサダイジンに乗っ取られた環と喧嘩になるシーンは辛かった。
お互い大切な存在なのは分かりきっているのに、でも口から出たその言葉も本音だった。
すずめの心が震えたつ。
何としても草太を救う!
被災した過去の記憶を思い出し、サダイジン、ダイジンと共に巨大ミミズに立ち向かう。
ダイジンが再び自分が要石になる事で草太をすずめに返してくれた場面は強く心に残った。
ここをかわいそうと見る声もあった様ですが。。
ダイジンはすずめと行動を共にして行く内に心変わりして、自ら選んで要石になるお役目を引き受けてくれたと思っています。感謝しかありません。
悲しい震災があった事は事実です。
残された人々は、人と関わり、時間をかけて、その傷を超えて行かなければなりません。何があっても、その時が来るまでは生きていかなくてはいけません。
三本の脚でも立っていられる。
「ただいま」「おかえり」を言える、聞ける、そんな日々を大切にしたい。
子も成長し、だんだんと素っ気なくなる「ただいま」だが、その声を聞ける事の幸せを噛み締める。
私の「おかえり」はいつまでも変わらない愛だ。
大変な震災を経験され、大切な人や家、全てを失った方々からすると、耐えられない作品だったかもしれません。
作中に流れるアラート音には私も動悸が止まらなくなりました。
本作は、これまでも災害をテーマに描いて来た監督作品と比べられないほどに、東日本大震災をかなり直接的に描いています。
「死ぬか生きるかなんて運だ!」
なんて高校生のすずめに言わせるほど、その死生観をも歪めた震災だったとわかります。
人々の心理描写が深掘りされている事で、まだ観るのが辛い方も多いだろうと推測します。
でも私は監督の、未来への希望を見出してほしいというメッセージを受け取りました。
苦しんでいる方々のショックやトラウマも戸締り出来たらいいのにと思いました。
1日でも多く笑える時間が訪れますように。
早いか否か
前知識持たずに鑑賞。3.11を題材にしてるとは思わず。
ノンフィクションでは無く、3.11を娯楽作品の背景に持ってくるのに10年余りと言う期間は早いのか否か。他にも背景に使った作品は有ったが、アニメ故に描写出来てしまう燃える町のシーンの様な使い方は知ってる限り無いかなぁ。
映画としては面白い。序盤は昔のジブリの様な雰囲気。
前二作の RADWIMPSのMVぽさは無くなった(最後に掛かるけど)
ただ、声優をねぇ・・・・
「失う心の痛み」の普遍性に肉薄
新海誠がメジャー化した「君の名は。」「天気の子」のような、大衆に向けて広く訴える作品(それなりに楽しんだことには違いないが…)より、良い意味で偏りもある強い作家性を発揮した過去の作品(個人的には好きな作品もあれば嫌いな作品もある)の方に注目してきたし、その中でも「言の葉の庭」こそが至高だというのが私の持論だ。メジャーとなって大衆に訴える方法も掴んだいま、元々の強い作家性を発揮し、大衆に迎合せずとも大衆を強い引力で巻き込む作品を志向して欲しいと思っていたところに本作が登場した。
正直に言おう。初見の時、クライマックスで私は涙を堪えることができなかった。この涙は、純粋にこの作品に揺さぶられたからか、はたまた震災の記憶(私なりに強烈に焼き付いている体験ではあるが、それでも私はそれを東京で体験したに過ぎない)を刺激されたからなのか…いやきっと両方だろう。少なくとも、クライマックスであの扉の向こうで出会った幼いすずめから発せられたことばに酷く心が掻き乱された。そして、(ここがこの作品の凄いと思うところなのだが)この鋭く伝わってくる幼いすずめの心の痛みが、「震災による喪失の痛み」というラベリングを突き抜けて、「大切な人を突然失う痛み」という極めて普遍的なものとしてストレートに伝わってきたような気がしたのである。東日本大震災という強烈に焼きついた現実での出来事をモチーフに、それに尽きない普遍的な人の心の痛みに肉薄するというかなりの離れ業を、こんな形で観ることになろうとは正直思っていなかった。
やはり、新海誠はオーディエンスに媚びることなく、自分のこだわりに従って作品に取り組んでこそ真価を発揮する。本作はとても素晴らしい。
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