すずめの戸締まりのレビュー・感想・評価
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題名にしては少しインパクが弱かったなぁ…
ずっとずーっと楽しみにしていた
「すずめの戸締り」当日に観に行きました。
観に行った後の気持ちが何故かモヤモヤというか満足感がなかったというか…。
少しネタバレになります。
今回の映画の内容は「地震」ってテーマで作ったみたいです。これは簡単に触れていい物なのか?って少し疑問に思いました。この映画を観て、この先代々と忘れちゃダメな出来事なんだよって新海誠監督はそういう風に言いたのかなって思いました。でも、やはりモヤモヤします。実際映画化になっているので通ってたんだなぁって分かりましたけど、何だかなぁって感じです。
あと、タイトルに少しインパクが弱かったという部分は、ただただ旅をしながらドアを閉めるんだなぁって観てて思いました。
やはり新海誠監督は走らせる事が好きだなっていう再認識をしました笑笑
インパクが弱かったなぁって素直な気持ちです。
地震にトラウマがある方は観ない方がいいと思います。映画館の中で観てるはずなのに、こっちまで振動が伝ってくるぐらいの迫力があります。
もう1つは、今回の主人公にモヤモヤしました…。
今回の主人公「すずめ」ちゃんという女の子です。
すずめちゃんの見た目は「君の名は。」のみつはちゃんに寄せてるなぁって感じがありました。
「君の名は。」と「天気の子」の主人公達が印象が良すぎてThe主人公!って感じが強かったので、今回の主人公にモヤモヤしてました。
上手にいえませんが、多分映画観たら分かるかもしれません…。
まぁ最終的には皆が幸せでめでたしめでたしって感じで終わっていたので、私自身は終わりが良ければそれでよし!です。
でも、迫力はあります。絵も前の映画と比べにならないほど凄く綺麗でした。何よりもダイジンとサダイジンが可愛くて癒されました。
最初からダイジンは何がしたったの?って思った部分もありましたけど、最終的に思ったのがすずめちゃんに可愛がられたかったのかなって思いました。
ストーリー性は悪くなかったと思います。
ただ色々詰め込み過ぎる、、というイメージです。
後はやっぱり大事な事で2回も言っちゃいますけど…
地震にトラウマがある方は観ない方がいいと思います。
それでも観たい人は覚悟を決めて観に行ってください。
ここの低評価を確認してから観ました
変な映画
新海誠パワー全開!
鈴芽(すずめ)と草太の戸締まりロードムービーです。新海監督の新境地になる作品!全体的に、作画・ストーリーに引き込まれる作りが凄いとおもいました。九州…愛媛…神戸…東京…東北へと旅を続ける!一時、草太はすずめの椅子へと……?ダイジンの目的も…!後味のよい終わり方に、さすが新海監督だと感慨無量でした。
圧倒的傑作!負の激情の発露で一気に深度を増したストーリー
圧倒的傑作でした!
しかも自然災害という難しいテーマを真正面から捉えつつもエンターテイメント作品として成立させているのは見事!・・・としか言いようがありません。
新海誠監督は「君の名は。」に続き、また新たな境地に踏み込まれたのではないかと存じ上げます。私自身も酷評した前作は無かったことで良いです(笑)。
鑑賞後、涙をぬぐいながらあまりに振れ幅の大きい激情のシーンをその選び抜かれた言葉(ことのは・・・と読むとカッコいい)、精緻に組み上げられた最高の映像表現と共に反芻いたしましたが、今回は特に、登場人物の負の感情も隠すことなく曝け出しているのが印象的でした。
極めて美麗だけどあまりにそれが過ぎて現実味がなくなり表面的に見えてしまう・・・というのが新海誠監督作のエンタメの最大の欠点でありましたが、「恨み」「嫉妬」「不安」「怒り」などの負の感情をストレートかつ非常に戦略的に表現することで、一気に物語の深度が増し、共感の軸がかなり太くなったと感じました。
この物語の深度の増強は、物語終盤に明らかになる日本史上における未曾有の大災害に触れる際に必然であったのだろうと思われます。
また、日本古来の伝承、八百万の神々の理解度という点で監督の知識の広さ、深さ、精緻さには脱帽です!正直フィクションの枠を超越しています。
当方あまりに心が揺さぶられ、お恥ずかしながら涙をこらえるあまり重要なシーンを直視出来なかったので近いうちに再度鑑賞したいと思う次第です。
またダメかもですが(笑)。
ジブリの系譜と新海誠のマッチング
ロードムービーとして強固なおもしろさ
理解が追い付かなかった
今回は鑑賞前に「新海誠本」というものが配られた為、上映前に一読。
内容は、今作を製作するに至った経緯、過程、何を伝えたいのか、インタビュー等となっており、鑑賞前に知りたかった情報が色々載っていたのでとても助かった。
本編は前半の鈴芽と草太が旅をしているシーンは二人の距離感が縮まっている描写などがすごく伝わってきたのでとても良かったが、後半になり物語の核心に迫ってくると色んな情報がなだれ込んでくる割に説明不足?で、情報の咀嚼が間に合わなかった。
意味不明な流れでは無いので、もう少し説明や時間があれば理解が追い付いたかもしれないが、色々考えている間に震災のシーン、クライマックスと展開がどんどん進んでしまう為最後は完全に置いてきぼりになってしまった。
最後まで必死に情報を整理していたがどうしても整理しきれず、エンドロールで「るーるるるるる」と流れ出した時はなんだかゲド戦記を思い出した。
新海監督の想いを詰めた素晴らしい作品だと思います。
注)本筋には触れませんが、全く情報を入れたくない方には、もしかしたらネタバレと感じるかもです。
新海誠監督の最新作。
今作も自然災害を軸とした作品。
隕石、豪雨に続き今作は地震。
地震は後ろ戸に潜む巨大なミミズが現世に現れる事で発生するという設定が面白く、現実的な世界観とファンタジーが上手く融合されているなと感じました。
相変わらずの圧倒的な映像美は素晴らしい!の一言。1シーン1シー本当に魅せてくれます。
また、今作は舞台が次々と変わる為、まるで自分も旅行しているような気分に。
ちょっとしたシーンの描写が本当に細かく、リアリティがあります。
また、リアリティがあるからこその地震警報の緊張感。
まさかとは思ったが、現実にあった大災害、東日本大震災をあそこまではっきり取り上げてくるとは思ってもいませんでした。(新聞なんかでも掲載されていたらしいですが、できる限り前情報は入れないたちなので、地震がテーマである事も知らなかった。)
わずか11年前の大災害。人によってはかなり刺激が強いのではと心配になってしまうのと同時に、よくぞこのデリケートなテーマを取り上げたなと感心。かなりの覚悟で臨んだのだと感じました。
映画としても、見応えのある非常に素晴らしい作品でした✨
一緒に行った小6娘
とても面白かったようです。もう一回観たいと言ってました。
小3息子
難しかったようで、ストーリーは全然理解していないようでした。
子供は高学年位からがおすすめですかね?w
その他
・過去2作はRADWIMPSをBGMにプモローションビデオのような演出が印象的であったが、今作は無し。その代わり?ナツメロがかなり流れてました♪まさかあの曲を使うとはかなり強気だなと感じたりw
・前作の登場人物がこっそり登場する演出。今作は気付けず。帆高くんと陽菜ちゃん、どこかにいましたかね?
新海誠版ハウル。ファンタジー化の功罪
久々のレビューが今作かと思うと、指が震えます。
新海誠作品は残念ながら全部は観れていない状態で、「秒速5センチメートル」「言の葉の庭」と今作を含めた天災3部作を観ています。個人的には「言の葉の庭」以降の、新海誠が一歩一歩と運命や壁を前向きに超えていこうとする流れは、1人の人間の変化をまじまじと見ている感覚があって好きです。特に「天気の子」は、そのエモーションが最高潮に到達して全力でドライブしていて、一番好きでしたね。
そんな中で今回の「すずめの戸締まり」は、「新海誠監督集大成にして最高傑作」とコピーで謳われるくらいですから、個人的には「天気の子」の後で何をやる気なのかな?という期待と不安がありました。
端的な感想としては、「結構好き」という感じでした。このニュアンスなんですよね。「最高傑作!」とか「全人類観ろ!」とか、どこがどう良いんだと熱を上げて語る感じじゃなくて、かといって「期待はずれ」とか「凡作」とかいう事ではなくて、「あー、結構好きだなぁ」という感じ。凄いふわふわしてるな。w
やたらジブリ感というかまんまジブリというのは色んな人が言ってるかと思うのですが、個人的には「千と千尋の神隠し」「ハウルの動く城」への挑戦のような感じがしたのが、かなり好印象でした。ハウルがねぇ、好きなんですよねぇ。
ただ、かなり言いたい事は出てくる映画で、そこは色んな人と話して、賛否両論あってってなったら良いなぁと思いますね。
ここから、多分あんまり褒めにならない言いたい事を徒然なるままに書き留めていきます。
◯ガールミーツボーイについて
本作はザックリ言うなら、主人公鈴芽と閉じ師草太のロードムービーものと言ってよいのかと思います。その道中で祟り神の邪気を浄化する、という言い方をすると凄いもののけ姫感がしますが、実際やってる事は大地震から日本を救うという体を取っているものの、過去の無念の記憶を聞いて見届けて呪いから解放するというのが本筋という気がしています。やたらファンタジー感が強いので魔法使い感がしますが、それよりはエクソシストとか霊媒師とかに近しいものかと思いました。
まぁ、その点はひとまず置いておいて、この映画においてのガールミーツボーイはちょっと微妙というか、この2人の親密さの構築っていうのがあまりされていないと感じました。それはまさに戸締まりが本筋になっているからだと思います。ロードムービーとしての、観光や場所ごとでの住民との触れ合い要素はあるのですが、2人で過ごす甘い時間みたいな要素がほとんどありませんでした。恋愛までいく必要はないと思うのですが、あまり親密さの構築をしていないために、最後の方の「草太さんを救う」とか「草太さんがいない世界が怖い」というのがイマイチ納得がいきづらいなぁと思いました。キャラクターそれぞれは魅力的で声優も良かったのですが、そこからのバディ的楽しさは弱い印象でした。
◯地震の扱いについて
本作は前2作以上に分かりやすく天災テーマを描いてる作品としても特徴的でした。しかし、アニメーションで大地震を直接描写するという事ではなく、スマホのアラート音、地面の歪み、川が波打つといった関節表現によって、見えない地震の得体しれなさを表現していたというのは演出力の高さを感じました。また、関東大震災の再現が起こりそうになる所では、東京に住む人々の日常が描写される事で、この日常が破壊されてしまうという恐怖が見事に表現されていました。
ただ、この関節表現というのは今作では考えもので、1箇所決定的なカタストロフがあっても良かったんじゃないか?と思いました。というのは、今作では地震が発生する原因は扉の向こう煉獄から這い出てきたミミズ(地震を起こす大鯰という所ですかね?)によって発生しているとなっており、止めようのない自然現象ではなくなっています。勿論、一般人からしたら、そこに差異はないわけですが、観客側としては今作での地震は「コントロールができるもの」になっています。しかし、実際そんな事はないわけではないですか。現に、鈴芽は地震の被害に遭ってるわけです。何故、あの地震を閉じ師は防ぐ事ができなかったのか?防げない地震があるという事なのか?
ならば、1箇所でいいから、決定的に防げない地震による大量虐殺を描く事は、地震の恐怖を訴える上で必要があったのではないか?と思います。物語設定上、防ぎようのあるファンタジーなものに一貫したために、そこの現実感は弱くなってしまっていたと思います。この映画本編内では1人も死なないんですよね。
ここが多分一番「ハウルの動く城」に似てるポイントで、本来戦争の恐怖を描くはずだったあの作品も魔法使いなどのファンタジー要素によって、決定的な喪失がなく、現実としての戦争の恐怖を描くことにはかなり失敗している作品でした。逆にそこを日常とともに決定的に表現していたのが「この世界の片隅に」であり、日常としての描写は淡々と一定でありながらも決定的にどんどん奪われていく事の辛さが描かれていました。
◯ねこ・人身御供について
おそらく今作で一番無理があるポイントだと思います。地震を起こす地中の大鯰を要石で封じたという神話が根底にあるため、地震を防ぐ要石が抜かれてしまう事で厄災が発生するという事だとは思います。ただ、その要石の扱いはかなりご都合的としか言いようがないものだなぁと思いました。
まず、草太が要石としての責務を継承してしまったという点。これは言い方は悪いですが、鈴芽と草太が運命によって引き裂かれるという、いつもの新海誠展開をやるための設定ですよね?これは勿論、「天気の子」でもあった人身御供の責務を勝手に任されてしまうという設定で同じなのですが、「天気の子」と違い決定的に避けようのない大殺戮と天秤にかけさせられているため、否応なく人身御供の選択をしないわけにいかないわけです(そこまでのガールミーツボーイが弱いせいでもありそうですが...。)。ただ、どちらも死者数の規模は違えど自然災害としては本来同じ事なわけです。しかし、今作では前述したように「コントロールできるもの」である上に、それが前代の要石で継続的に防止できるものになっているために、日本を守るための人身御供の継承の立ち位置が曖昧になってると思いました。だから、それを放棄するという「天気の子」の方向に振り切る事もできず、かといって人身御供の選択をしていく事の選択もしないという、ギャルゲーのルート選択的には大分ズルい展開になっているなぁと思いました。
しかも、そこがズルいだけではなくて、「じゃあ猫の立場はどうなるんだよ!」と思いました。この物語の設定から考えるに、あの猫というのは前代の人身御供として要石になった人間なんですよね?多分。喋り方から考えると、下手すると子供なのかなぁとか、単に子供受けのために可愛い喋り方なのかなぁとか考えていました。あの猫は要石から一度は解放されて、(物語上は鈴芽たちを東京まで導くための仕掛けではあるものの)自由を再び手に入れたわけじゃないですか。あの猫にはあの猫の人格?猫格?があるわけで主張がありますよね?つまり、キャラクターなわけです。そのキャラクターに物語の設定上、再び要石としての責務を引き受けさせるというのはかなり残酷なのではないか?と思いました。主人公たちが自分達の意志の元、要石の責務を放棄しようとしてるが故に余計「猫の立場はどうなるんだよ」と思ってしまいました。
◯まとめ-今作で一番恐ろしい事
全体にツッコミを入れまくってますが、観てる分には「流石」という感じで、面白く観れる作品ではあると思いました。地震描写には人によって意見がやはり分かれるとは思いますが。
ただ、勿論地震は恐ろしいのですが、私が一番恐ろしいと思ったのは、宮城へ鈴芽が幼少期の頃入った扉を探しに行くシーンでした。実際行った所、扉はあったわけですが。10年です。あの日から10年、あの扉は何事もなく存在していたという事なわけです。これほどに改修が遅いという事実には、改めて恐ろしいものを感じました。勿論、これは自然災害が強大だったから、だけが理由ではないでしょう。これは忘れないようにしていくべき記憶であり、早く修繕されるべきものなはずです。正にタイトルになっているように、ちゃんとどの記憶も実害も戸締まりをしていかなければいけないんです。そこのテーマに関しては、震災を扱った作品としてはファンタジーになってしまって寓話的ではありつつも、かなり身につまされるものになっていて良かったと思いました。
では、また。
※追記
◯喧嘩シーン
あそこは本当に良かったですね。近年久々に見たキツい喧嘩シーンでしたね。つい言ってしまった後の「どうしてあんな事を...」と泣き崩れる所までの描写は本当に秀逸で、多分一番好きなシーンでしたね。
◯ラスト
あれ、草太が電車に乗って別れていったけれど、旅費はどうやって返してもらったんだろうか?実は本当は借金踏み倒し犯なのか?w
◯仕事
鈴芽がスナックで働くというシーンは、「千と千尋の神隠し」を思い出しましたね。喋る猫が出てくるから「魔女の宅急便」な感じもしますが、子供が仕事をする、また草太も閉じ師とは別に教師を目指している、といった感じで労働への入門を描くというのには、宮崎駿じゃあないですが責任感があるんですかね。
※追追記
色々考えた結果、星4はないな...。
前提の感想は変わらないのだけれど、やっぱり無理矢理な所が多いし。
そもそも新海誠監督は物語や人物のバックグラウンドのディテールを描くよりも背景やアニメーションによる情動の表現が上手いのだから、変にファンタジーをやらないで、リアルな方に注力した方が作品としては観た事ないものになって良かったんじゃないか?と思ってしまいますね。
次は、ジブリっぽい感じは3部作で切り上げて、日常ものをやってほしいですね。そういうやり方でも、今回のようなテーマを扱う事はできると思いますし。
RADWIMPS色が少ない作品でしたが、見て損のない作品です!
『君の名は。』、『天気の子』に比べると、RADWIMPS色の少ない作品で、
音楽が物語に与える影響が少なかったかと。
作品7:音楽3ってとこかな。
(『君の名は。』は、5:5。『天気の子』が、4:6。
ってとこかな)
主人公(鈴芽)の声が、
キャラクターの見た目(身長など)と
合ってなかったような気がしました。
特に冒頭は、キーーンっと変に際立ってしまってたかと。
所々で、
あのイギリスファンタジー小説のようなシーンや
兄弟が旅する国内マンガのようなシーンが。
さぁ~て、
2回目の観賞前に小説の方を読まなくっちゃ!
ダイジンって、
やはり【大臣】から来てるんですよね?
劇中でのセリフが、
うまく脳内で漢字変換できなくて【大尽】が浮かんでしまって。
モデルは、白豆と呼ばれていた右大臣三条実美かしら。
すずめさん、日本を救う
冒頭、九州弁が行き交う教室の中でただ一人標準語を操る少女。山と海に囲まれた宮崎の田舎町で、なぜ彼女だけが標準語なのか?この些細で丁寧でなおかつ巧妙な違和感を種火に、物語は地理の横軸と歴史の縦軸を繊細かつダイナミックに往還する壮大無比なファンタジック・ロードムービーへと展開されていく。
草太や鈴芽が行う「みみず」の封印作業(=「戸締まり」)は、言うまでもなく地理からも歴史からも忘れ去られた人々の鎮魂に他ならない。草太と鈴芽は「みみず」の噴出する扉に身体を預け、そこにあったはずの無数の声を聴く。そうすることによって声たちは美しい雨粒へと浄化され、街一帯に降り注ぐ。ここで破壊や抑圧といった暴力的手段に訴え出ないのが偉い。
さて、「みみず」を地震のメタファーとして用いる作品といえば、新海が敬愛してやまない村上春樹の『かえるくん、東京を救う』が真っ先に想起される。『かえるくん』もまた阪神・淡路大震災への鎮魂という射程を明確に持って執筆された作品だ。本作は「かえるくん」が「閉じ師」に、「阪神・淡路大震災」が「東日本大震災」にそれぞれスライドした「みみず」鎮魂物語の再演だといえる。
本作では今までのように村上の滑らかで感傷的な語り口だけを体裁よく取り込んでいた新海作品(『雲のむこう、約束の場所』『秒速5センチメートル』など)とは異なり、村上春樹の抱いていた文学的使命がダイレクトに継承されている。身が引き裂かれるような惨事に直面したとき、文芸にはいったい何ができるのか?文芸を成す者として何をすべきなのか?阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件を契機にデタッチメントからコミットメントへと作風を大きく転換した村上春樹の懊悩と決意を、本作において新海はきわめて実直に受け継いでいる。
たとえば彼は劇中で幾度となくあの忌々しい災害アラートを鳴り響かせた。人によっては二度と聴きたくないであろうあの音を。しかしそれは物語をとりとめもない空想として雲散霧消させないためだ。大地震を「みみず」に置き換えたうえ、その接近を知らせる警鐘までもをメタファーに置き換えてしまえば、物語は単なる観念の遊戯以上の射程を持ち得ない。それゆえ、空想の遠心力に現実の求心力を吊り合わせるためにも、実際の災害アラートを繰り返し鳴り響かせたことには大きな意義と必然性があると私は考える。
ただ、そうはいっても当事者でない一介のクリエイターや我々観客が、東日本大震災とその被災者というセンシティビティに留保なくコミットすることはできない。新海もその辺りはよく理解しており、それゆえに芹澤という不思議なキャラクターが存在する。芹澤は劇中でしつこいくらい良心的人物であることが強調されるが、そんな彼が東北のかつて市街だった東北の草原を見て「このあたりってこんなに綺麗だったんだな」というグロテスクな所感を漏らす。どれだけ良心があっても、どれだけ細心の注意を払っても、当事者の心の深淵に直接触れることは決してできないのだという新海自身の自戒にも似た線引きが、芹澤というキャラクターを介して行われている。
さて、空想世界から現実世界への転向という点に関連して、彼は今や完全にセカイ系の呪縛を脱したと考えてよいと思った。新海誠といえば『最終兵器彼女』『イリヤの空、UFOの夏』と並び立つセカイ系の代表作『ほしのこえ』の制作者であり、それ以降も「ぼく-君」の閉ざされた関係の中で成り立つ自涜的な作品を乱発していた。しかし『君の名は。』を境に、彼は明らかにセカイ系の不健全な自閉性から逃れ出ようもがきはじめる。セカイ系の元牽引者である彼にとっては、それは自分自身を真っ向から否定する絶望的営為に他ならない。それでも彼は苦闘を続け、『天気の子』では遂に「セカイ」側による「ぼく-君」的自閉性の無効化を達成した。
帆高と陽菜が自分たちの愛を優先したことで東京は永遠に雨の止まない街(=ある種の終末世界)に変貌してしまった。しかしそこには絶えず無数の人々がいて、無数の生活を営み続けていた。過度な感傷に浸る「ぼく」と「君」に対して、「お前らの愛がなんだ?お前らなんかいてもいなくても俺たちの人生は続いていくんだぜ」と冷静に諭してやった。それが『天気の子』という映画だ。
そして本作ではさらにその先の倫理が描かれている。物語終盤、鈴芽は鎮魂の最終段階として、自らも母親を喪った東日本の故郷へと向かう。鈴芽は帆高と同様に、世界の命運or個人的な愛のトレードオフに直面させられ、最終的に後者を選択する。それによって要石を解かれた「みみず」は常世を抜けて現世に現れようとするが、鈴芽と草太がこれを食い止める。このときの草太の叫びはきわめてクリティカルだ。
いつか死ぬとわかっていても、それでも一分一秒でも長く生きていたい。生き続けていたい…
無念と後悔の中で命を断たれた無数の声に耳を傾け続けてきた彼だからこそ、自分自身も「要石化」という形で死を経験した彼だからこそ、その願いはことさら痛切な響きを帯びる。どちらを選ぶべきかというアポリアを、ただ生きたい、生き続けていたいという強い願いが圧倒する。それは「草太の死」か「世界の破滅」かという二者択一そのものを貫通し、一切合切を躍動的な生へと突き上げる。「みみず」は鎮魂され、鈴芽と草太は現実世界に帰還を遂げる。
留意すべきはこの「生きたい」が、「(誰もが)生きていてほしい」という外向きのベクトルを併せ持っているということだ。「戸締まり」と日本縦断の旅を経て、二人は他者というものの重みを知った。そして他ならぬ他者によって自己の存在が定立されているということも。鈴芽は東日本大震災によって母を喪ったトラウマを今なお根強く抱いているし、草太は鈴芽がいたからこそ「要石化」=死の呪縛から逃れ出ることができた。あるいは二人が「みみず」の内側で聴いた無数の「行ってきます」と「行ってらっしゃい」。それらは「おかえり」「ただいま」という応答を迎えられないまま途絶し、ゆえに「みみず」に姿を変えて暴れ回っている。したがって彼らの「生きたい」には「生きていてほしい」という他者への祈りが不可避に含まれているといえる。
自己を開き、他者世界と積極的に関わっていくこと。それはちょうどセカイ系の「ぼく」と「君」が閉じられた世界の中で己の自意識に終始していることの裏返しだ。
新海誠のこうした自己反省のダイナミズムは、我々に以下のようなことを示唆してくれる。それは、自分の過ちや後悔を振り返り、見つめ直し、再練する機会は万人に平等に開かれているということだ。そういった意味では本作の鈴芽と新海誠には少なからず重なる部分がある。鈴芽は事情を知らないとはいえ他ならぬ自分の手によって「扉」を開いてしまい、それによって現世に「みみず」が解き放たれた。鈴芽は自分の過ちを深く後悔する。しかしそんな彼女の後悔に対し、物語は「戸締まり」の旅という反省の道筋を優しく示す。
近年では加害者と被害者の関係性において加害者を極端に矮小化する言説をよく見かける。要するに「いじめた側には何も言う権利はない」みたいなやつだ。ただ、そうやって反省の契機さえ奪われた加害者が向かうのは自罰の究極形としての死か、あるいは逆ギレ的な憎悪の発散しかない。それゆえ新海は問う。「それが本当に正しいことなのか?」と。これはともすれば「いじめられる奴にも原因がある(だから加害者を許せ)」的な傲慢にも取られかねない危ういものだ。しかし他ならぬ新海自身がセカイ系から他者との関係へと真摯な更生劇を演じた元罪人だったからこそ、この言説は信用に足る処方箋として我々を治癒してくれる。
さて、新海誠の反省の旅はいったいどこまで続くのだろうか?次は何を相手取って乗り越えてくれるのか。彼の創作的葛藤の痕跡をこれからも辿り続けたいと思う。
ストーリーが頭に入らない
正直、ガッカリしました
緻密な心理描写を描いていた頃の作品を作るつもりはないのかも
大味で映画を楽しみたい方には向いていると思いますが、、、
<よかった点>
・風景描写はやはり監督のお手のもの。綺麗でした。
・よくも悪くも、物語の起承転結がはっきりしているので、飲み込みやすい作品だと思います
・性的にきわどい描写もないのでデートだったり、家族で行っても嫌な思いをしないでしょう
<残念な点>
・主人公以外の登場人物の設定や心情に関する描写が極めて弱く、どういう行動原理でそうなっているのかがわからなかった。
そのため、考えてしまい、メインのストーリーに集中することができなかった。
・新海誠監督は、本来は心理描写が巧みな監督だと思っていたけど、少し変わってしまったのかもしれない…登場人物にあまり魅力を感じませんでした
・自然災害の神秘性、田舎と都市の対比、女子高生…過去数作で見覚えのある感じだなと感じました。はっきり言って新しさがない。
この映画とは関係ありませんが、金曜夜の都会の映画館はマナーがなってない方が多かったので、気になる方はお勧めできません。
空想的超現実な夢の交錯
最後は震災に対しての追悼的な内容が、あまりにも生々しくそれまでの涙誘うシーンが完全な絵空事になってしまい色々とは語れる感じではなくなりましたが、登場人物は皆親しみ覚えるキャラでストーリーの主題も展開もとても興味深く引き込まれ見応えありました。
追記
ストーリーは勿論のこと設備の違いによる音響も確認したかったので3回見ましたがやはり震災との関係性が収まり所の無い存在になっている。純粋で真剣に本気で作られた作品だと思いますが、真にこの状況にあられる方のお気持ちを考えずにはいられません。
慰めや癒しや希望を確かに必要としているかもしれませんが、モラルとして踏み込んではいけない境界線への配慮に欠けているとも思えてしまいます。
個人的には完全な無力さで遠くからひとつの人生を尊重し慈しみ敬う事しか出来ません。
計り知れないその方の体験や気持ちや痛みは永い一生を掛けてその生活の中で修復し慰められ時には何か意味を見いだしたりしながら完結に向かうのであって一本の映画での感傷的な泣く又は泣かすいう行為自体、失礼で不道徳とさえ思えてしまう。
すずめと叔母の関係性はとっても人の心情の機微に共鳴し揺さぶりグッと来る。
はまらず
全1250件中、1101~1120件目を表示