すずめの戸締まりのレビュー・感想・評価
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東京の人
たぶん監督など誰かも知らず全く情報無しで観たとしたら、「なかなか良い作品やん!」となったでしょう。でも新海誠作品と知ってて観たものだからハードルあげてしまいました。
作画、動画は文句無し良かったです。毎回思うのがこの監督の東京の描きは絶妙だとおもいます。しかし他の街の描きはそこまで力がないように感じます。
何ていうか「東京の人」だよね。
すずめ役の声優さんもピッタシ!神戸のママ役もいい感じでした。
んーなんだろ?
物足りなさを感じます。
テンポ感がいまいちだったかなぁ?ストーリーが無理矢理すぎかなぁ?
そんなにずば抜けた作品ではないと感じます。
史実の災害をトレースするのならもうちょっと良いアイディアが無かったものか?
そもそも東日本大震災は海底が震源ですよ。なんで地上に扉があんのよ?
君の名は、天気の子、は観終わったあと色々と考察したくなって場面やセリフを思いかえしたり、もう一度見たくなったりしたものですが、本作品はそういう欲求がしないですね。もう一回観たいとまでは思えない。
駄作ではないけど傑作でもないと思います。
ただよう『AIR』臭はご愛敬。新海誠が三度臨んだ『自然災害エンタメ』決定版! 「人間椅子」もあるでよ!
海辺の街にやってくる草太見て、「国崎かよっ!!」って思ったけど(笑)。
椅子になってひょこひょこ動く草太見て、「国崎かよっ!!」って思ったけど(笑)。
エンタメとしては今年、最強の一本!!
文句なしに面白かった。
アクションとしては、宮崎駿系の空中バトル方面において、圧倒的な仕上がり。
恋愛ものとしては、若干薄味で予定調和ではあるが、勘所を押さえた必要十分の出来。
なにより、頑張る女の子というのは、いつの世にも尊い。
ただ、尊い。とにかく、尊い。
新海誠というのは、意外と珍しい監督だと思う。
だいたい、エンタメ作でメガヒットを飛ばしたアニメ監督というのは、宮崎駿にしても、細田守にしても、原恵一にしても、作るたびに世に問う次回作が「小難しく」「個人的な」作品になっていくのが普通で、だんだんとエンタメとしてはバランスを逸して「癖の強い」作品になっていくものだ(それは、たとえば黒澤明だってそうだ)。
ところが、この人の場合は違う。
『君の名は。』でメガヒットを飛ばして以降、むしろ明らかにエンタメ度をあげてきているし、作品としてのバランスも良くなってきている。「粗がとれて」「相対的な完成度が上がって」「より無心に楽しめる」作りになっている。いや、それを目指して努力して、そう仕上げてきている。
いわば、巨匠性や作家性を前面に出すより、エンタメ性と職人性を磨いて、「期待してくれる観客」に「ただひたすら尽くす」姿勢を敢えて固持しているのだ。
しかも、たいていの監督の場合、ヒット作のあとは、作る映画のジャンルやらノリやらを変えていくのが普通ではないか。
作家として、同じものの焼き直しを作っていると思われるのが耐えられないから。
ところが、新海誠は、『君の名は。』までは、散々いろいろなパターンのアニメ表現を試していたのに、『君の名は。』で大当たりしてからは、二作続けて、敢えて「似たり寄ったり」の作品を送り出してみせた。
ひとりの純真な少女が、まわりのサポートを得ながらも、自らに備わった独自の力で、大規模自然災害の発生に使命感をもって立ち向かう物語。
一度は起きてしまった大災害を知る少女が、二度目のカタストロフィを何とか食い止めて奇跡を起こすことで、自らの心の傷をも乗り越える物語。
同じ苦難に立ち向かってきた男の子と心を通じ合わせることで、会えない距離に隔てられていたはずの関係性を取り戻し、無事再会を果たす話。
基本は、三作とも同じだ。
新海誠という人は、おそらく彼独自の作家性は様々な形で保持しつつも、自分の評判以上に、関わってくれる大量のスタッフやビッグバジェットを用意してくれた映画会社を「裏切らない」ことを第一義に考えて、映画製作を行っているのではないか。
だから彼は、個性を強めるよりも、完成度を高める。
一度当たった「型」は、外すまでは敢えて踏襲する。
エンタメであることを、恐れない。
そういう、より安全で、ウィンウィンで、誰もがハッピーになれる「必勝の方程式」を模索し、目指している。
エンタメとは本来そういうものだろうと言われそうだが、最初に言ったとおり、それを実現できている監督は、ほとんどいない。
でも、新海誠はそれをやっている。
何千人の「この映画に賭けている」関係者たちを食わしていくために、新海は全力全霊で「日本人の危機意識を高め」「同時に日本人のトラウマを癒す」「少女の頑張りに世界の命運のかかった王道のセカイ系映画」を撮り続ける。
僕は、そういう新海誠のあり方を、全面的に支持したいと思う。
『天気の子』は、面白くはあったが、正直バランスの悪い映画だった。
エンタメとしては『君の名は。』より派手で大掛かりになっていたが、町のお祭りや学校行事のために「お天気」乞いをする「軽さ」と、そのために人身御供にならざるを得ないセカイ系の「重さ」のつり合いが完全に破綻していた。「なぜ彼女が巫女なのか?」という「選ばれる理由」の部分でも、適当な神社の言い伝えを引っ張ってきただけで、説得力はほぼ皆無だった。
その点、今回の「すずめの戸締まり」は、全体の世界観の設定に大きな破綻がない。
逆にいえば「よくある」「龍脈と封印の巫女」みたいなお話に立ち帰ったような感じで、多少陳腐な物語設定に堕しているともいえるのかもしれないが、設定に得心が行かないせいで話に集中できないよりは100倍ましだ。
むしろ、
異世界に通じる「扉」と、
それを封印する「鍵」と、
防犯を象徴する「戸締まり」の三題噺として、
この「閉じ師」と「要石」によって「地震」を収めて回るという「天岩戸」の設定を編み出したのだとしたら、それは本当に素晴らしい構成力だと思う。
新海がどうしてもやりたい「日本独自の自然災害への恐怖とトラウマに立ち向かうセカイ系」というテーマに、「少女」が関わってくる理由として、風来坊との恋愛要素を絡めてきたのは大正解だ。
こうして新海誠は、敢えて自分を殺してエンタメに徹している。
一方で、彼はエンタメに徹しながらも、同時に、自らの作家性を存分に発揮している。
だからこそ観客は、新海の「本気」を受け取り、「本気」で愉しんでくれるわけだ。
実際、新海は、やりたいテーマや、描きたい少女像や、本人の性癖に関しては、驚くほど素直に、欲望に忠実に、やりたいようにやってきたし、本作でもやっている。
じつは本作の予告編を最初に観たときに思ったのは、こいつ、何事もないかのように、自分の出自であるエロゲのノリに回帰してやがるな(笑)、ということだった。
この感想の冒頭で述べたとおり、「海辺の街」で「少女」が「年上の」「背の高い」「旅の青年」と出逢うというオープニングは、強くKeyの美少女ゲーム『AIR』のヒロイン神尾観鈴とヒーロー国崎往人の出逢いを想起させるものだ。
鈴芽は観鈴のように病弱でもなければ、重い前世を背負っているわけでもないが、「叔母と二人で」「母子家庭」に近い家庭環境で生きているという設定が完全に被っていることを考えると、新海が『AIR』を意識せずに本作を作ったとは、僕にはとても思えない。
何より、草太が三本脚の「椅子」になって、ひょこひょこ動くという設定が、国崎が法術で動かす人形と、「二巡目のカラス」(詳細は伏す)を思い出させずにはいられない。
草太が「閉じ師」で、ヒロインがそれを助けるという設定も、同じKeyの『Kanon』における川澄舞シナリオの裏返しとも言える。
猫の「ダイジン」も、しゃべったり、巨大化したり、なんか既視感があるなあと思ったら、CIRCUSの『水夏』にでてくる「アルキメデス」および、ほぼ同キャラである『D.C. 〜ダ・カーポ〜』のうたまるだった(笑)。
一方、筋金入りの宮崎駿フォロワーとしての新海誠の部分も隠すことなくむき出しになっていて、重力に抗って展開される空中アクションが、前作から比べても大幅に増量されている。
超巨大ミミズ(地表からの角度で危険度がわかるの秀逸なアイディア!)や、それに立ち向かう巨大獣は、『もののけ姫』のダイダラボッチや「主」のようだし、「ダイジン」の向けてくる純粋無垢な好意と、それと裏腹の善悪を越えた「災害とつながる半神」のイメージは、まるで『崖の上のポニョ』のようだ。
新海誠特有の「性癖」も、しっかり作品に反映されている。
まずは、いたいけな少女と年上のお姉さんの両方に「萌えられる」(=性的に興奮できる)彼の両刀ぶり(だから、『ほしのこえ』や『君の名は。』ではヒロインが先に「齢を取る」)は、鈴芽と叔母の環に振り分けられて充足される。
それから、毎回どの映画でも登場する「濡れたヒロイン」というフェティシズムも、何度も、何度も、充足される(鈴芽も、環も、きちんとびしょ濡れになる)。とくに鈴芽にはお風呂シーンがあるし、着替えシーンもある。
ただし、『君の名は。』で口噛み酒をぶっこんできたり、『天気の子』で敢えてラブホお泊りシーンを挿入して、一部の女性層の強い反発を招いた反省もあってか、いずれの「性癖充足」も、できるだけ毒気の少ない表現に抑えられているのがミソだ。
それでも、ちょっとしたスカートのまとわりつき方とか、ちょっとした足のケガのさせ方とかに新海誠のこだわりはしっかり刻印されている。
ついでにいうと、この映画の最大の見どころは、椅子になった草太が、鈴芽に「座ってもらったり」、鈴芽に「足で踏んでもらったり」する、ご褒美シーンの神々しさにこそある、と僕は同好の士として強く信じている。
そう、新海誠は、真の変態であることを辞めたわけではない。
ただ、その表現の仕方が、じつに洗練されてきているのだ!!
やっていることは、そのまんま江戸川乱歩の『人間椅子』なのだが(笑)、本当に椅子にメタモルフォーゼしているという「無機物化」の魔法を用いることによって、たくみに「性的な気持ち悪さ」から行為の生々しさを遠ざけ、子供でも見られるノリに無毒化している。
このあたり、過去作で叩かれた新海の、渾身の創意工夫とリベンジ魂が垣間見えるとでもいおうか。
鈴芽サイドも、「生々しさ」はきわめて巧妙に回避している。
キスは、椅子にするだけ。
かわりに、彼の「靴」を履き、傷ついた足を守って最終決戦の場に赴く。
そして最後は、ご褒美に彼の上っ張りをかけてもらう。
おお、なんて奥ゆかしいフェティシズム! ビバ新海!
彼にとって、多くの観客が求めるものを作り出すことと、作家性は共存可能なものだ。
誰もが喜んでくれる圧巻のエンターテインメントに仕上げながらも、
自らの設定した問題意識(自然災害と日本)と正面から向き合い、
デビュー以来不変のテーマ(男女の距離から生じるディスコミュニケーション)をも追求し、
同時に自らの性癖にも噓をつかない(少女が好き、お姉さんが好き、濡れてるのが好き)。
僕はそういう新海誠が偉いと思うし、今回の『すずめの戸締まり』は、三回試してきた路線のなかでは、いちばんの王道で、いちばんの仕上がりだと感じている。
今回新たに加わった要素として一番目新しいのは、「ロードムーヴィー」としての旅の描写がある点だと思うが、これとて、単なる新奇な趣向として導入されたわけではない。
『君の名は。』で、日本の田舎の美しさ、『天気の子』で日本の都市の美しさを描いてみせた新海は、本作でその両者を「取り合わせる」ために、「海」と「山」と「都市」を、「旅」という動線で結んでみせたのだ。
あるいは、局所災害がテーマだったこれまでの映画を、九州と四国と神戸と東京と東北を旅で結ぶことによって、「日本全体の災害」がテーマの映画へとふくらませてみせたともいえる。
さらにいえば、新海誠は稀代の「廃墟」マニアだが、前作、前前作の廃墟は「災害」と直接結びついた「滅び」と「蹂躙」の象徴でもあった。
今回の映画では、廃墟は廃墟として――時代に遺棄されたトポスとして、より美しく立ち上がっている。そこには、賑やかだったころの幸福な人々の記憶がしみついている。だからこそ、災害が立ち現れる「ゲート」にもなりうるのだ。
「廃墟と水」という取り合わせは、当然ながら宮崎駿を想起させるものでもあるが、今回はそれ以上にタルコフスキー的な詩情を漂わせていると僕は思う。
タルコフスキーもまた、廃墟と、水と、記憶について、常に思索しつづけた監督だった。
新海誠は、今回の映画でその領域に一歩近づいたのかもしれない。
声優陣は、プロはザーさん一人であるにもかかわらず、ほぼ完ぺきな演技ぶり。
とくに深津絵里は、やっているあいだじゅうずいぶんと悩んだと何かの記事で言っていたが、これ以上ないくらい素晴らしい演技だったと思う。
あと、神木きゅんが、TVアニメなら100%櫻井孝宏がやりそうな役を、櫻井くんみたいな声でやっていて、たいへん感心した。芸域広いよ(高笑いは下手だったけど)。
さりげに草原のシロツメクサやアカツメクサ、ブタナ、モンキチョウ、海岸のセグロカモメ、カラスのまばたきなど、自然描写に一切噓がないのにも驚いた。ほんと丹治匠の仕事なくして、新海なしだね。
東日本大震災の方に向け、もっと注意喚起をしてほしい
新海誠監督だから面白いと思い、気軽に観てはダメだと思います。
東日本大震災に関わった方は特に気を付けてください。私自身は直接関わってはおりませんでしたが、震災後、何度もボランティアで瓦礫撤去をしに行き、未だに忘れられない光景です。
直接関わった方は、地震がテーマのこの作品には、東日本大震災のことも描かれていますし、緊急警報など頻繁に鳴り響きますし、思い出したくない過去もあるでしょう。
映画のタイトルからは想像もつきませんし、もっと新海誠監督最新作ということでもてはやすだけではなく、地震について描かれているので、ということもしっかり上映前から告知すべきだと思います。
新海誠監督の魅力を活かしきれてないような。
僕としては新海誠監督の魅力は「秒速5センチメートル」のようなを"大人になると出来なくなってしまう恋愛と中々抱けなくなる真っ直ぐな恋心"を非常にリアルかつドラマティックに描くことの出来る所だと思っているので、今回の作品はなんとなく物足りなかったです。
「天気の子」が監督の魅力を最大限気活かせた最高傑作だと思っているのですが、あれほどSF描写を最小限にしてしまうと画的な派手さが抑えられてしまって一般的には少々不評だったみたいですね。
そのせいか今回は、
・ストーリーテリングにおいて物語を押し進めるためのSF的設定
・集客ノルマ達成の為の超映像美やド派手演出
・真に伝えたいメッセージと心理描写
この三要素の内の前二つを優先しすぎて少々中途半端になってるような印象がありました。
SF的設定が複雑で細そうな割に映画内では全てを語りきれてないというのが監督の魅力の部分を邪魔していたように思えます。
もちろん心を揺さぶられるシーンはいくつもありましたが、SF要素やその複雑な設定に気を取られすぎて、一度見ただけではメッセージを読み取りきれなかった。
もう一度見に行きます。
最高傑作
今までとは違うテイストの映画だけど似たようなものを
感じる場面もありとても面白い。
君の名はや天気の子の劇中で流れる曲を期待してる人は
少し残念な思いをしてしまう人がいるかもしれない。
劇中曲をなしにした事で見てる人がそのシーンより良く
見えるし感情移入しやすくなるのかもしれない。
ひとつ気になったのは予告と本編でセリフ
が変わってるところがあった。
震災をテーマにした前向きなストーリー
登場人物がみんな温く見てて嫌な気持ちにならない映画だった。主人公に関わる人がみんな良い人であることや、過去の回想(その土地の人々の思い出)も良い部分がピックアップされており、自分の日常と照らし合わせて考えたら前向きになれるような感覚になった。
震災をテーマにしているだけあり、あの頃よく目にした被災地がリアルに描かれていた。地震速報の音が怖いって感想をsns上で多く見かけたが、聞きなれている地震速報の音とはちがうし、地響きなんかもリアルなものとは違ったので気にならなかった。
アニメ映画特有の登場人物の非現実的な環境適応能力の高さはあるが、日常のあるあるがテンポ良く盛り込まれているおかげで、登場人物や起こる事柄に共感することができて入り込みやすいストーリーになっていると思った。(SNSやサブスクの描写のあるあるネタの面白さは親世代に通じるのかな?って少し気になった)
声優さんと曲は君の名は。や天気の子のほうが印象的だった。すずめっていう曲は綺麗な絵におても似合っていた。すずめの声は透明感があり演技もよかったが、そうたの声優さんは声質はとても似合っていたが、演技には若干違和感があって少し惜しかった。
震災がテーマなだけあって泣けるけど、前向きになれる映画だと思った。震災をテーマにする映画って、震災が起きていろんなものを失って苦労したり悩んだりするところにスポットライトが当てられがちだけど、この映画は今のすずめはもうたくさん悩んで乗り越えて結論を出しているから変なメンヘラテイストがなくて見てて爽快感がある。
生きるか死ぬかは運ってわかってるはずなのに、普段あんまり考えないで生活している自分がいるよなーって考えさせられる。とりあえず映画館から帰り道、気をつけて帰ろうって思った。
よくわからないけど…涙が頬を伝う
タイトルなどから、どんな作品になるかと思ってましたが…
へへ〜!そうきましたか!
という感じでしたが…
なんといいますか…
冒頭から(アマプラなどで公開されてる冒頭12分)から
なぜか、泣けます。
この『なぜか泣ける』がジャブのように何度か重なり…
自分自身の命の記憶や、魂の記憶に、そっと手を伸ばしてきて…
祝詞と合せて…
神様までも巻き込みながら
実際の神様や、魂の流れ…そういったものを全部内包しつつも
それが一切鼻につくことなく
極上のエンタメ作品に仕上がってて…
怒涛のクライマックスで
涙が溢れて止まらない。
日本人だからこそ泣く。
大事な人達を失った経験のある人ほど、涙が止まらない。
そんな作品でした。
読んだヒトがネタバレや!って言うかもなのでネタバレにしますが…
個人的には
ネタバレのつもりはないです。
なんで?
良い点悪い点
男女ペアで危機に立ち向かうみたいな流れはこれまでと同じです。
全体を通してジブリを意識している感じを受けました。途中ジブリ曲入りますし。
地震速報はわざわざこんな大げさに注意流すほどようなものでもない気がします。
本物と音違いますから(同じものもあったらすみません)。
そんなこと言ったら開始前の公開予定情報で流れてたやつだってお風呂が沸いたのかと思いました。
主人公が最序盤イケメンへの一目惚れで一緒にいるようになりますのでくっつくまでの展開はないに等しいです。
地震の発生源は裏世界のミミズで、封印のための要石(ダイジン)を倒してしまってミミズの封印が解かれたというのは良かったです。
個人的に気に入らない(理解できない)場面
・草太を要石にした割にはミミズを封印するわけでもなく追いかけてこさせるダイジン
・左大臣の登場(ダイジンが解放した?そもそもダイジン自体が大臣っぽいからってSNSのハッシュタグで拡散した名前では?)
・ソウタのいない世界なんて~(会って間もなく椅子にされてんのに面食いにもほどがある(笑))
・叔母さんのかわいそうさ(姉妹の娘を引き取って育て、結婚願望あるらしいのにコブ付きと遠慮した挙句に娘がイケメンとあっちこっち家出同然状態)
・叔母さんブチギレ(左大臣に操られてたみたいな描写だけどどうゆうこと?)
・東北まで付いてきてくれている二人に頑なに事情を言わない
・事故ったとたんに運転手と叔母を置き去りにする
・ぽっと出左大臣の方が対ミミズ戦で活躍する
・何故か急にダイジンと和解する(草太を椅子にしてこの映画前半の大追跡のきっかけを作り、首都大地震直前という事態を引き起こした割にここが軽すぎるのはけっこう致命的なような)
・閉じ師と教育学部は相性悪すぎでは?ビジュアル生かして教育系配信とかやるならどこでも出来るのでまだ分かりますが
・キャラデザがシャープ感寄り(伝え辛い)になっている気がします。君の名はの頃くらいの緩さが欲しいなあという気も
・すずめその行動力と運動神経あるならバイトするなりできるのでは…
・このミミズ海外にも出るのかな
良かった点
・背景などの作画
・挿入歌や曲
・ミミズのあたりの設定
・胡麻化さずに津波後を入れた
・全体のテンポ
映画としては悪くはないのですが???な部分が多すぎて評価を多少低めにしました。
3/11もこうやってアニメ映画に組み込めるようになったあたり時間経過を感じます。
この映画の内容であれば、草太とすずめを要石にしてしまうような所謂バットエンドでも良かったのではないかと個人的に思います。
ダイジンと左大臣が元は人間だったのかは分かりませんが。
震災を経験した方への注意喚起をもっとしてほしい
私は震災を経験していないし震災に対してトラウマのような感情もないですが、上映中に気分が悪くなるシーンがありました。被災された方がなんの事前情報もなしにこの映画を見たらどのような気持ちになるのか。見るにしてもせめて覚悟を持っていかないと相当きついと思います。
・東京の上空に大きなみみずが現れてすずめがそれを鎮めるシーン。ダイジンがニヤッとしながら「人がたくさん死ぬよ♪」と言い放ちます。あまりにも軽すぎない?。言い方がどこか他人事だし必死感は微塵もない。自身が災害を防ぐ役割を担ってた者の言葉とは思えない。100万人の命かかってんだろ?
・すずめの絵日記を見るシーン。真っ黒に塗りつぶされたページの日付は3月11日。常夜の中で必死にお母さんを探す幼少期のすずめ。家の屋根の上に乗っかっている船。これらの描写だけでもトラウマが蘇り苦しくなる人がいると思います。覚悟を持って見ないとだめです。
・要石になった草太を抜き取るシーン。これ下手したらすずめのせいでまた大きな災害が起きる可能性ある行動だよね?すずめが要石になれる保証なんてないしダイジンが要石に戻る保証もない。好きだっていう理由でそんな行動していいの?軽く考えすぎじゃない?ハッピーエンドになったからよかったけど、震災経験した人からするとこんな軽く扱われてほしくないと思う。
風化させてはだめな題材だとは思うけど事前の注意喚起をもっとすべき映画だと思います。
他の方のレビュー見てるとそんなに重く受け止めてる人が少ないように感じるのですが私が重く受け止めすぎなのでしょうか。
2度は見れないかな。
高身長萌え
ヒロインの背が高そうなところ、運動神経も良さそうなところが良かった。個人的に気に入らないディテイルもあるが、いくつもの山を上手く繋げて美しい映像とともに長時間飽きさせないスキルは手慣れた域に達していると感じた。ダイジンが単純な悪者じゃないとわかるあたりから涙も出てきた。311をここまで直接的に組み込んでいるとは知らなかったので途中から、変な形にならないか心配でざわざわしてしまったが、それは杞憂だったか。ただ個人的には「君の名は。」を超えたとは言えない。
先述の気に入らないディテイルとしては、まずすずめが登校中にイケメンを追っかけて学校行かないとか革靴靴下履いたまま水に入っていくとか、マサカと感じてしまってロスタイム発生。後半の80年代ドライブ音楽もオヤジサービスなんだろうけどユーミンでネコに言及とか誰得感。
多分苦手な人もいるが、好きな人にはとことん刺さる
先に言っておきますが、私は本作が好きです。しかし同時に、「この作品が苦手な人も少なからずいるだろうな」とも感じます。
『君の名は。』『天気の子』などのアニメ映画で知られる人気のアニメ映画監督である新海誠監督による最新作で、公開初日朝イチの回での鑑賞です。
結論から言いますと、「めちゃくちゃ面白かったけど、かなり際どいバランスだな」という感想を抱きました。エンタメとして非常に楽しめましたが、地震などの描写がリアルに出てくるため、嫌悪感を抱く方も少なからずいると思います。
新海監督は元々鑑賞する人を選ぶ独特な作風で、一部のアニメマニアに人気のあったクリエイターでした。(製作サイドからの指示で)作家性を抑えて広く一般向けに作ったのが『君の名は。』であり、これは日本映画史に残る爆発的ヒットを記録しました。次いで公開された『天気の子』は一転して監督の作家性と性癖がちょっと強めに出ており、結構人を選ぶ作品になっていたような気がします。
そして本作『すずめの戸締まり』は、どちらかと言えば『天気の子』に近く、監督の作家性が強く出ていました。しかしながら『天気の子』が苦手という方でも本作を「エンタメに寄せていて面白かった」と評価しているのをちらほら見掛けますので、「新海誠監督の作風(セカイ系)が苦手」という方でも意外とイケるのかもしれません。
地震の描写と新海作品特有の世界観という、観る人を選ぶ要素が二つも入っています。当然これらを許容できる方は本作を絶賛し、どうしても受け入れられない方は本作を酷評する。賛否両論が生まれやすい作品だと感じました。
・・・・・・・・・・・・
九州で叔母と二人暮らしをしている高校生の岩戸鈴芽(原菜乃華)は、ある日の通学路で端正な顔立ちの青年・宗像草太(松村北斗)に道を聞かれる。廃墟を探して扉を閉じると語る彼に興味を惹かれた鈴芽は、彼の向かった廃墟へと先回りし、彼の探していたと思しき「扉」を見つけた。その扉を開けると、そこには広い星空が続く不思議な空間が広がっているのだった。
・・・・・・・・・・・・
先述の通り、私は本作が好きです。非常に楽しめましたし、新海誠監督作品の最高傑作と言う方がいらっしゃるのも理解できます。しかし同時に、本作の地震に対する過激かつ直接的な描写に対して嫌悪感を抱いてしまう方がいらっしゃるのも理解できます。両者の気持ちが理解できるからこそ、肯定派と否定派が場外乱闘的に批判し合っている現在の状態はあんまり気分のいいもんじゃないです。そういえば、『天気の子』が公開された当初も劇中の異常気象と水害の描写、そして主人公の選択について、肯定派と否定派がバチバチに殴り合ってましたね。
新海誠監督は『君の名は。』から一貫して「災害」を描いてきた監督です。震災直後に公開された『星を追う子ども』を除けば、東日本大震災以降の作品では、必ず何かしらの災害が劇中の重要なファクターとして登場します。『君の名は。』『天気の子』『すずめの戸締まり』は合わせて「災害三部作」と呼ばれます。過去のインタビューでも震災について語っているものも多くあるそうで、監督にとってあの震災は自分の価値観を塗り替えられた重要なターニングポイントとなったのだと思います。
前作『天気の子』の水害描写はかなり誇張されたフィクションっぽいものでしたが、私の確認できる範囲だけでも、水害描写に対して「不謹慎」との批判的意見が散見されたのを覚えています。本作『すずめの戸締まり』は、災害の描写が誇張少な目でリアルに生々しく描かれています。誇張気味に描かれた前作でも批判があったのだから、当然リアルに災害を描いた本作が批判を受けるのは予想できます。そのため、監督は批判を覚悟で本作の製作に取り掛かったんだろうと感じます。そして、これこそが監督の描きたかったものなのだと思います。
私個人の意見にはなりますが、批判意見の中に「災害の描写があるからダメ」という論点での批判をする方が少なからずいらっしゃいますが、その意見に対して私は否定的です。災害描写がダメなんだったら、震災を扱ったドキュメンタリーもダメになっちゃうし、被災者の方が後世に震災の経験を伝える活動もダメってことになっちゃいますよ。「災害描写あるからダメ」は、いくらなんでも極端すぎる気がします。
私は本作を、過激な震災描写も含めて評価します。本当に素晴らしい作品でした。
新海作品の映像は映画館の大画面で鑑賞することでより楽しめると思いますので、ぜひ映画館でご覧いただきたいですね。オススメです!
監督の器用さ・挑戦に脱帽
扱うテーマからして相当な覚悟を持って作った作品なのは想像に易いが、それでいてどの年齢層にも楽しめるような要素が散りばめられていて、本当に器用な監督だなと再認識した。
最後の常世(3.11)における、かつての人々の日常の回想、および現実の焼け野原を描いたあのシーンは、多少なりともコミカルなアニメーションであるこの映画において一番の挑戦だったはず。
正直賛否分かれるのは間違いない。
特に被災者が見ることは要注意とは思う。
ただ、中には救われる人間はいるだろう。
被災ではないが、思春期に母を亡くした人間が身近にいる私にとっては、すずめのあの言葉で感情移入し、涙を抑えられなかった。
芸術作品は得てして相当な思いがなければ鑑賞者には届かない。
この題材でこうも人の心を動かせるのはやはり作り手の思いがあってこそ。
中途半端に扱ったのであればそれこそ大批判を受けるだろうが、現に私は心を動かされたし、この作品には相応の覚悟を感じた。
おそらく今後批判コメントが多くなる作品とは思うが、まずは先入観なくフラットな目線で見てみることを勧める。
独特のセンスが光る作品でした
タイトルなし(ネタバレ)
新しい設定を考えるのって凄いですよねぇ~。発想が凄い!
そして音楽は昔のヒット曲が使われているので、それもまた良いかもしれないな~。
感動したなんて人は震災孤児を想って泣いてしまう人がいるのかもなぁ。
映像は本当に素晴らしい。最先端だと思う。
ただ、君の名はと比較してしまうと、やっぱ劣るので星4つかな。
以下ネタバレ
扉からミミズが出てくる。ミミズが倒れることによって地震が起きる。倒れる前に扉を閉めるとミミズは消えて地震発生を回避できる。
扉を閉める人を閉じ師と言って、宗像草太の家業だ。ミミズは普通の人には見えないから、閉じ師にしか扉を閉められない。
ミミズを抑えるのには2つの要石が必要だ。そのうちの一つを岩戸鈴芽が外してしまう。
鈴芽の外した要石は猫になる。ネットで有名になってダイジンと呼ばれる。ダイジンによって草太は椅子の姿になる。鈴芽の椅子に魂が吹き込まれるというのか。
鈴芽たちは宮崎に発生したミミズが倒れるのを防げなかったが、扉を締めた。その後、鈴芽たちは四国、神戸、東京、茨木へと移動していく。
東京では草太を要石としてミミズを抑えることに成功した。しかし、鈴芽は草太を救いたいと考えた。
鈴芽は東京で九州から駆けつけた叔母と遭遇。また、草太を心配して草太の家に来た芹澤と、鈴芽の実家のある茨木へ向かう。
鈴芽は叔母との二人暮らし。両親はいない。父は描かれていないから、シングルマザーなのかもしれない。鈴芽は東日本大震災で母親を失っている。
茨木の実家に着くと、自宅は津波で流されたため、更地になっている。鈴芽はそこでタイムカプセルを掘り当て、震災時の記憶を蘇らす。
茨木で扉の向こう側の世界に入る。震災当日の世界だ。街は倒壊し火事であたりは焼け野原だ。
そこで要石となった草太を救い、二人で新たな要石を使ってミミズの封印に成功する。
草太は鈴芽に再会を誓う。そして九州で二人は再会する。
感慨深い
日本しか作れないアニメーション映画ではないだろうか
世界に通用する響きが願いが込められている映画だと感じた
今で良かったこのタイミングで良かったそう思います
製作陣に嫉妬です
このクオリティで届けてくださってありがとうございます
あ、大画面で見てほしい…
出来れば大勢の観客と共に…
映画で見るべきみんなで見るべき映画です!
+追記
レビューを書いた後、他の方々のレビューを読みました
自分がどれほど震災の傍観者であったか思い知らされました
この映画を通して語られる論争は必要なものだと感じます
映画を観て、隣の人を見て、その人の痛みを垣間見て。
何と声をかけたら良いのか悩み、映画に疑念の矛先を向けたり、追記している私のように、映画に対する評価をもう一度見つめ直したり、傍観者であった自身を見つめ直したり。
映画史上No.1
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