すずめの戸締まりのレビュー・感想・評価
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テンポよく進む厄災話
前作の天気の子は、あまり合わなかった人です。
今回の厄災は『地震』
九州から始まり、大地震のあった都市を巡るロードムービーです(笑)
鬼ごっこが縦軸としたら、家族関係と旅先で出会う人が横軸。
最後の仕掛けまで、ありきたりですがよく練られてると感じます。
左大臣が動き出した理由がよく分からなかったです。
そしてダイジン、せつなかったです。
そりゃ嫌にもなるだろうね。
ハッピーエンドですが切なさ、やるせなさも最後にのこりました。
でも、総じて今回は満足出来ました。
最後に何故お前は80年代の曲ばかり流すのか。
雰囲気の違う魔女宅のオープニングは最高だったぞ^_^
期待以上!!観て損はないと思う。
最初に出てきた大人の女性が主人公であることが簡単に読めてしまったこと序盤の物語の進行度合いが少し唐突で早く感じたこと、常世の話が出た段階でラストの流れが視えてしまったことが少し残念だった。
その他は、かなりよかった。
旅先であった人との関わり方と関係性、叔母さんとの関係性など随所に様々な‘繋がり’を感じたのもよかった。
そのおばさんとの関係性が垣間見える駐車場のシーンはなかなかだった。
心の奥底に仕舞い込んでいた感情を全て吐き出すシーン、言わされた言葉だったけど、あれは真実と主人公に長い間愛情を注いでこないと出ない感情(言葉)だったと思った。
芹澤君もとてもよかった。言葉では心配していないような事を言いつつも実はかなり友の事を心配している彼はとても優しい人。いい先生になれると思う。
彼の曲選が最高だったので一緒にドライブしたい!!
1番心打たれたのは、幼少期の自分に語りかけ母の形見である椅子を渡すシーン!このシーンは台詞も良かったし、今の自分よりもこの椅子が必要であった幼少期の自分に渡す所は過去との決別、感謝など色んな感情が伝わってきた。
東日本大震災と地震をテーマで扱うことは、まだ傷の癒えない人が多数いる中で大変なことだったように思う。
難しいテーマをよく上手くまとめあげたと思う。
かなりいい映画でした!
2回見てきました ダイジンが切ない
昨日今日と連続して見てきました。
2回ともダイジンの切なさに泣きました。
うちの子になる?って言ってもらえて嬉しかったダイジン
すずめの子になりたくて、要石の役割を押し付けてしまったけど
今まで頑張ってきたダイジンも救ってあげたかったなー
自ら石に戻るところは号泣でした。
サダイジンと二人だから、寂しくありませんように(T ^ T)
人の気持ちも、ダイジンの気持ちも 裏表
見えてるものが本質ではない
とても考えさせられる作品でした。
天気の子では自分達を優先して、災害を受け入れると言うちょっと??な結果だったけど
今回は自分のための行動と、人のための正義感
どちらも納得できるバランスがとても良い作品だと思いました。
3部作集大成!シンプルな恋愛映画も観てみたいです。
要石、後ろ戸、ラストについて
一つ目は「要石」について。
前半パートでは「廃れた温泉施設」「土砂崩れによる廃村」「休止した遊園地」で後ろ戸が開き、地震をもたらすミミズが出るのを、後ろ戸を閉じることで防ぎます。で、なんとなく後ろ戸が開く=捨てられた土地、という印象ですが、これは違うのではないか?と
なぜなら、東京で後ろ戸があります。また、一度後ろ戸が開いたすずめの実家である東北の地でも古くなった後ろ戸があります。
後ろ戸を閉じる時に草太とすずめは、かつて賑わいのあった頃の声を聞いて扉を閉めます。でも、東京の後ろ戸を閉める時には、そういったシーンはなかったと思います。また常世で後ろ戸を閉める時に「本当は必要ないのだけど」声を聞くシーンを入れた、とパンフにあります。
そうする「後ろ戸は何処にでもあるが、地守りや要石が無くなると後ろ戸が開く」と解釈するのかな、と。捨てられた土地では、地鎮する人々がいなくなる。地鎮や後ろ戸を閉める行為には人々の祈り=願いが必要で、その代行者である閉じ師はその想いを声として聞くことで閉じる力を得る。
東京は人々がまだ住んでいて想いがあるので、声を聞く必要がない。また常世は死後の世界だから、そもそも想いなど必要がないので、本来は声を聞く必要がない。
だとすると、何故東京の後ろ戸が開かれたのか?作中から分かるのは、東の要石である左大臣が外れたこと(猫の姿ですずめ達の前に現れています)、閉じ師の爺さんが死んだ(たぶん死ぬのでしょ)こと、ぐらいです。ただ、閉じ師が死んだぐらいでは後ろ戸は開かないでしょう。
とすると、要因は左大臣。ダイジンが外れた理由は、すずめが外したから?いや、それは表面的な理由で、途中で「ダイジンは後ろ戸を開けて回っているのではなく、空いている後ろ戸に導いている」とありますよね。だから、左大臣も意味を持って、自らの要石としての役割を一時的に草太に委ねて、すずめ達の合流した、と考えるのかな?では、合流して何をしたかと言うと、常世でミミズを封印した、のでコレが目的。
そうすると、ダイジンと左大臣はこれから起きる大地震を察知して、草太とすずめを使いこれを鎮めにいった、という解釈かな。
2つ目は「後ろ戸」について
後ろ戸というのはお寺の本堂の後ろにある扉。鬼はこの扉からやってくる、とされており、法会の際、やってくる鬼の気を逸らすために、踊りを踊ったのが、後の能楽(後戸の猿楽)になった。つまり、日本のエンターテイメントの源流の一つです。
元来エンタメはこのように神様への奉納や悪魔祓いが目的だった。ヒロインが宮崎から旅立ち、名前が岩戸すずめ、ですから、もちろん天の岩戸で舞を舞ったアメノウズメのこと。なので、この作品も神か悪魔か、地震をもたらす「人ならざるもの」への神事の意味があります。
怠ると神罰がくだるので、神事で最も重要なのは「忘れずにやる」こと。ただ、この話のメインプロットって「忘れる」にあるように思います。ヒロインのすずめは震災の後、小さい頃に後ろ戸に入ったことを忘れていて、それを思い出し記憶を取り戻すのが、この話の流れです。
震災後12年が経って記憶も薄れてくる。神への畏れを持ち続けるために、神事としてこの作品がある、と考えると、尊いですな〜。
3つ目はたいした話ではないですが、ラストの意味。すずめは幼い頃に後ろ戸の先で出会ったのを死んだ母親だと思っていたが、ラストでそれが未来の自分だった、ってオチでした。
これって涼宮ハルヒの「笹の葉ラプソディ」だな〜って、ってのは、どーでもよいけど、この解釈。この作品のテーマの一つである、すずめの成長、の意味を考えると、自分を導くのは結局自分だけ、という意味なのかと思います。
宮崎では自分のアイデンティティが曖昧で、草太に出逢い自分探しの旅をして、過去の「自分」を思い出すことで、自分に向き合い前に進む。また過去のすずめも、母親の死を受け入れられず迷い込んだ先で出会ったのは、やっぱり未来の「自分」で、その出会いをきっかけに立ち直る。
作家性で解釈すれば新開誠は自分の創作にとって「指針とすべきは過去と未来の自分でしかないのだ」というメッセージかな。前作の天気の子では「世の中がどうなろうと、俺は俺のエンタメを作る」というメッセージだったので、やはり作家性が強い作風なんだろうな〜、と。
あと、これもどーでも良い謎ですが、東京の後ろ戸って、何でしょう?
陰陽道に従うと東京は鬼門・裏鬼門に沿って、上野/寛永寺、神田明神、日枝神社、芝/増上寺と配置されています。本作でもお茶の水=神田明神を舞台に聖橋から丸ノ内線のトンネルを見下ろしています。そもそもこの作品の旅って、宮崎から東京を通り東北なので、やはり裏鬼門→鬼門への旅なんですね。その線上にあるのが後ろ戸。
すずめが東京上空の第10使徒サハクィエル、もとい、ミミズを倒して落下するのが竹橋あたりですね。ここの地下に東京の後ろ戸がある設定。だとすると、皇居の平川門の真下、となります。
平川門というと、ここは別名「不浄門」と言われています。江戸城の頃、日々の不浄(汚物など)はこの門の脇から舟で運び出されています。城内で出た死骸や、絵島生島事件の奥女中・絵島や赤穂藩の浅野内匠頭といった罪人もこの門から追放されています。
まあ、そういう逸話をもとに後ろ戸に設定したのかな〜、確証はありません。
ちなみ、トンネルから地上に出るシーンは首都高の北の丸トンネルですね。ここにあるのは乾門で別名「明治門」で明治時代に作られた門。桜や紅葉の通り抜けの際に使われる門なので、あまり後ろ戸には相応しくないですね。
さて、これで語り尽くしました。長文・駄文にお付き合いくださり、ありがとうございます。
見応え十分!でも物足りなさも…。
色々な要素がうまく混ざり切ってない感はあれど、見応え十分な作品だった!
作品を思い返しながら脳内を整理するために分解していくと、大きく3つの要素があったと私は理解した。
ひとつ目はやはりポスト3.11としての側面。
名言はされなかったけどすずめは明らか東北に大震災の被災者(そして孤児)だ。
叔母の愛情を受けながらも、すずめは生まれ故郷を離れ、母の不在を感じながら生きている。
作中に舞台として登場する廃墟となった街や学校などは、なんとなく放射能で人が住まなくなった福島の被災地を彷彿とさせた。
そして終盤、すずめが過去の自分に送ったメッセージは監督からの3.11の後を生きる被災者の方々へのメッセージなのだと理解した。
十年以上経とうが、震災で変わってしまった人生を生きる人たちの中で震災は終わらない(本作のすずめのように一見してそうとはわからなくても)。
人気監督になっても、いや人気監督だからこそ、エンタメとして成り立たせつつ、この重く難しいテーマを真摯に描いているところに敬意を払いたい(そして過去2作で自然災害を取り扱ってきた中で本作が臨界点という感じがした)。
ふたつ目はロードムービー的な側面。
すずめと椅子になった草太は、草太をもとに戻すため猫の「ダイジン」を追う旅に出る。
九州から愛媛、神戸、東京へ移動しながら、さまざまな人に出会い、助け助けられながらを彼ら彼女たちと交流を深めていく。
また東京で草太に取り戻すための気づきを得たすずめが、叔母さんと草太の友人・芹澤と生まれ故郷に向かう旅?に出る。
どちらも良いシーンがたくさんあるんだけど、いまいち本筋に絡んでない気がして物足りなさを感じたり…。
(そういえば芹澤さんの車で流れた懐メロの数々は何だったんだろう。何か意味がありそうだけど…)
みっつ目がすずめと草太とラブストーリー的な側面。
新海誠監督は主人公の中にあるなにかしらの欠落感(「君の名は。」はこの描写がめちゃくちゃ良かった…)を運命の(と信じる)相手で埋める(あるいは埋まらない)、を長らく描いてきたと思っているのだけど、この2人に関してはちょっと描写が足りない感じがしてなんとなくそこが物足りなかった。
この作品のメインテーマではないから仕方ないのだろうけど、草太が「君(すずめ)に会えたから」と思いながら意識を手放すところとか、「いつのまにすずめちゃんにそんな思い入れを?」と思ってしまったり唐突感が否めないというか…。
こういういくつかの要素がラストにうまく集約してる感じがなくて、個人的にそこは物足りなかったけど、「いつ死んでもいい」と思っていたすずめが草太を大切に思う過程を経て、自分の「生きたい」という気持ちにも気づけたのは良かったと思うし、震災の一つの描き方としても良かったのかもなと思う。
あと新海誠監督作品の、胸がしめられるような美しい風景が今回は感じられなかった気がして、そこは少し残念(映像はめちゃくちゃ綺麗なんだけど)。何が違ったのかな。
ある意味の集大成だが現実の震災を扱うには薄っぺらさが否めない。
災に立ち向かう作品としては三部作の3つ目で、ある意味の集大成だと思う。
絵も美しいし、すずめのキャラクターも魅力的だ。背が高くてすらっとしててポニーテールなのも素敵。
草太は長身のイケメンで萌えポイントの泣きぼくろまである。
ちゃんとRADWIMPSの曲もかけてくれるし、前の作品からの繋がりはなくとも前の作品の声優の神木隆之介の起用もあったりで、はずしはない。
絵日記の真っ黒のページが続くシーンあたりからは胸に込み上げるものもあった。
ただ、君の名は。や天気の子のように何度も劇場に通って観たいかとなると、そこまで心が動かされないのは何故だろう。
ストーリーはシンプルで、ロードムービーの要素もあって話の展開がどこに向かっていくのかとてもわかりやすい。
路上のアクションはハリウッド映画並みのスリル、ダイジンや椅子のキャラクターは子どもにもウケが良いだろうし、ジブリ作品並に後世に残ると思う。
でもそのふたつともが余計だ。
大学生の若者が何故か車の中で懐メロを聞いているという設定も邪魔。
おじさんが主たるお客さんのスナックでチェッカーズのような懐メロが流れるのは理解出来るけれど、ロードムービー部分で懐メロばっかりはちょっとやりすぎか。
特にユーミンをかけたらもうジブリ。松田聖子をかけたら打ち上げ花火…
漫才だったら、もうええわどうもありがとうございました。と終わるところが河合奈保子に井上陽水にと古い曲がしつこい。
誰に聞かせたいのだろうか。なんなら震災が起きた年の曲が続く方がまだ理解出来る。
地震で身内を無くしたことを扱っているので、心の葛藤とか苦しみをもっと丁寧に描いて欲しかったので残念だ。
月9の監察医朝顔ぐらいの現実に家族を震災で亡くした方への寄り添いの表現が足りなかった。
すずめみたいに大丈夫で元気に生きてる人ばかりでは無い。
観ている側としても一緒に苦しんで悲しみたかった。
猫との追いかけっこを見たいわけじゃない。
個人的には天気の子や秒速5センチメートルを観た時の感動には及ばなかった。
ちょっとファミリーに寄せすぎたかな?
そして、恋が圧倒的に足りない。
命を懸けて相手を救おうとする程、すずめと草太は好きあってはいない。そんなところはどこにも描かれていない。
すずめが草太のことをちょっと好みのタイプだっただけだ。ラブストーリー感が圧倒的に足りないのだ。
草太が早々に椅子になってしまうから人間同士の男女の物語が描ききれていない点で天気の子より劣る。
深海飯も天気の子では貧困な中、豆苗やネギを育ててる陽菜の工夫されたチャーハンが人物の性格をよく表現していた。そしてとても美味しそうだった。今回のポテトサラダ焼きうどん陽菜のチャーハンみたいにコンビニで販売されることも無さそうだ。
それでもあと1回は劇場で観ると思うし、テレビ放送した時にもいつか観てしまう気がする。
災三部作として集大成と思うので、次はまた心を揺さぶりまくる作品を作って欲しいと切に思います。
映像が綺麗なだけ。
正直、今回の作品は題名のような感想しかありません。
地震災害を扱ってる割には、地震アラートくらいしかリアルな描写はなく、挙句の果てに地震の正体はミミズが異世界から出てきて倒れて起きますなんて言われてな、、、って感じでした。
現実とファンタジーが上手く合わせってる感じがしなかったです。
実際に起こった地震を扱っている割には、設定が雑すぎるかなと。
それと、ダイジンの扱いが雑すぎませんか?
要石から解放されてやっと気ままに生活してたのに解放した張本人のすずめから終始ウザがれる始末。
好きな人を助ける為に、ダイジンが要石に戻るという展開には納得いきませんでした。
すずめが、母親の死を受け入れて前に進むという最後でしたがこれも微妙でした。
草太を通じて自分の過去と向き合う展開だったので、母親との思い出のシーンがあまり無く、すずめがどれだけ母親のことを思っているのか感情移入できませんでした。
これまでの「君の名は」「秒速5センチメートル」など、異性を好きになる過程をきちんと描いてた過去作と比べても今回の「すずめの戸締まり」は好きになる過程を雑に描いてる気がしてなりませんでした。
一目惚れから始まり、椅子になっていたといはいえ草太にキスしたり。100歩譲って、すずめが草太のこと好きになっていたとしても、草太がすずめのことを好きになる理由がほんと意味わかりませんでした。
「君の名は」「天気の子」で瀧くんを演じた神木隆之介を中途半端な役でキャスティングしたのも残念でした。
映像は、いつも通りのクオリティーで良かったです。
新海誠の集大成は嘘じゃない
ネタバレを目にしてしまう前に、と急いで鑑賞。良かった。泣いた。何で泣いてるのかよくわからないけど泣いた。
「君の名は。」「天気の子」より好きかもしれない。たぶんそれは自分が過去二作の主人公よりもその周囲の大人の方が近い立場だから。これまではどこか感情移入出来ないところがあったけど、今回は主人公の旅を通して廃れていく故郷の今と昔を思ってどうしようもない気持ちになるからだと思う。今や日本全国に後ろ戸がありそうだな、と。
震災から12年が経とうとしてるからこの映画の意味があるように思う。まだ生々しく記憶がある世代もいれば、もはや教科書の中の出来事でしか無い世代もいるし、また同じ世代でも震災当事者とそうで無い人との間にも格差があるわけで劇中の芹澤とすずめの街を見下ろした時のセリフがその象徴だな、と思った。
残念ながらすずめと草太には通過されてしまった地域住みではあるけど、家の近くがワンシーンになってたことに感動したのでまた観に行こうと思う。笑
内容はとても良かった。
先程鑑賞して来た。
主人公の鈴芽の過去(生い立ち)と人間の生き死としての宿命を絡ませながら、好きな人を助ける為に動いていくと言うお話。
全体的に話の内容は分かり易く、テンポ良く進んでいくので途中で飽きる事もなく観る事が出来た。
主人公の鈴芽役・草太役の俳優さん達も迫真のある演技で話に入り込めたし、最後のシーンやエピローグ的なスタッフロールも良かったと思う。
ただ、気になった点もあった。
・チカの民宿に泊まった際、制服と椅子しか持たない女子高校生に異変を感じずに泊まらせてるチカの家族。
・ヒッチハイク中に声を掛けてきた大阪人のシンママ、自分の家に泊めて、幾ら裏方とは言えその日知り合った未成年を自分の幼い子供達の面倒だけでなく、自分のスナックで働かせるのってどうなんだ??
後、個人的には芹澤の前半と後半の温度差が余りにもあり過ぎて、車で御茶ノ水前で合流辺りから違和感しか感じなかった。ナツメロばかりを掛けまくり、口ずさんでいるシーンを見ていても芹澤の風貌からしても全然しっくり来なかった。寧ろあれは叔母さんに恋焦がれている岡部の方が良かったんじゃないか?とさえ感じた。
ただ、その岡部も最初にアレだけ伏線張っときながらあれしか出番が無いのもなぁ…と、言ったところ。
また鈴芽の苗字が「岩戸」とあるのを見て、真っ先に「天岩戸」を思い起こしたが、話の内容からイザナミ神とイザナギ神に絡めているのかと勝手に思っていたのだが、劇場で頂いたミニパンフレットには鈴芽の名前はアメノウズメから来ていると書かれていて、成る程。と納得した。
総評としては、最後まで飽きる事なくストーリーを楽しむ事が出来たが、鈴芽と草太の恋愛の展開が些か強引過ぎるなと思える点も気になった。椅子になっているシーンが多かったから表情が見えない部分も多く、致し方ないのであろうが、チカの家に宿泊していた際に2人で恋バナをしていてもウントモスントモしていなかった椅子(草太)が、危ないから帰れと鈴芽に連呼しているかと思えば、凍りつく直前に君に会えて良かった…には「急に何故?」と言った感じに。
草太の心情がもう少しのぞけていれば良かったかも知れない(鈴芽が見た草太の心情だけでも少ない気がした)。
※ ここからは個人的な話になるが、今回この映画を休日に観た事や時間帯、それとアニメと言う性質上どうしても中学生〜高校生の団体客が多く、観覧中も周りに聞こえる程の私語や頻繁な立ち上がりや出入りが激しく、いつも観ている感じで集中して観ることが出来なかったのは残念だった。
現在観覧した映画館では15分おきに上映開始しているようだが、暫くはこう言った幼い客層が多いと思うので、それが嫌な人は夜間帯で観るか、平日の午前中に観るのがベストだと思う。
新海誠ワールド
まず、入場者特典の冊子にビックリ。
簡単なチラシ程度の内容かと思ったら、企画書の画像、監督のインタビュー、主要キャストとの鼎談、とかなりの充実度とボリューム。
冒頭映像など配信されていたがあえて観ず、ほとんど予習もなく来たが、上映前にこれをパラパラと眺めて、初めてこの映画がある出来事をモチーフにしていることを知った。
それ自体は私とってある意味「ネタバレ」でもあったが、冒頭の映像を観た人なら想起されるコトではあろうし、あまり気になることでもないのだが、それとは別に、私はあの出来事をネタにするのは、言葉を選ばず言うと「卑怯」な気もしている。
それは、あの出来事で被害を受けた方々が今も依然として生活されていて、それを当時多くの日本人がリアルタイムで大きなショックを受けながら注視していた事件だったから。
正直、私はあの現場の映像は今でも苦手にしている。
私が「卑怯」だというのは、「作品を作るな」という意味ではなく、「どうしたって泣いてしまう」からだ。
前置きばかり長くなってしまった。
(ここから少しだけネタバレっぽい内容も含みます)
まずは相変わらず…いや、さらにクオリティの上がった映像美。自然物はもちろん、光や水といった無機質なモノを美しく描かせたらやはりトップクラスだと思う。
そして、CGで背景が自由に動かせるお陰で、カメラの動きでこれまでに見たことのないようなシーンがたくさんあった。
そして今回は「人」の描き方もこれまでより踏み込んでいた気がする。
とは言え、やはり新海誠作品テイストは健在なので、彼の作風が好きならハマるだろうし、そうでなければピンと来ない人も多いだろう。
本質的なところでよく解らないところもあるし。
でも私は、これまでの劇場作品3作の中では一番好きだなぁ、という感想。
ラストシーンとパーキングエリアでのシーン(この辺りはむしろ大人達の「人を救うことって綺麗事じゃない」という叫びに近い)で都合2回の涙、でした。
ま、その辺りは私自身の更なる老いと、最近仕事で大きく削られたメンタルのせいなのかも知れませんが。
この映像を楽しむなら、劇場以外はあり得ません。
よろしく。
「君の名は。」「天気の子」より好き。最高傑作。
今回の作品は東日本大震災という重いテーマの作品であるが、ここまで深い作品にできるのは日本の映画監督のなかで新海誠監督しかいないと思う。
「行ってきます」という単純な言葉がここまで心に刺さったのは初めてで、何気ない日常を送る日々がどれだけ幸せなものか改めて感じることができました。
終盤のシーンは鳥肌注意です。
また、映像美は流石といった感じで終始綺麗でしたし、今回はRAD要素が少なめでコミカルなシーンやシリアスなシーンのバランスが良く、とても見やすかったです。
老若男女に受け入れられるでしょうし、君の名は。は超えられるか分かりませんが、結構いい線まで興行収入は伸ばせるんじゃないかと思います。
不満な点を挙げるとしたら、すずめと草太の関係性とダイジンについての深堀りがもう少し欲しかったくらいですね。
それ以外は文句なし。
期待を裏切らない完成度!
新海誠監督の新作で期待していた本作。その期待を裏切らないすばらしい作品でした。公開初日に鑑賞してきましたが、行きつけの劇場はいつもの倍ぐらいの客入りで、改めて新海監督の絶大な人気を感じました。
ストーリーは、扉を探しているという青年・宗像草太に興味をもった高校生・岩戸鈴芽(すずめ)が、たまたま廃墟で見つけた、災いをもたらすミミズが吹き出す「後ろ戸」を開けてしまい、草太と協力してなんとか戸締まりをするものの、封印の要石は猫に姿を変えて逃げたため、猫によってイスに変えられてしまった草太とともに、猫を追いながら各地の廃墟にある後ろ戸を戸締まりしていくというもの。
とにかくテンポがよく、冒頭から美しさや迫力を感じさせる映像で魅せ、舞台設定を観客にすんなりと理解させるとともに、すずめの行動にある程度の必然性を持たせる導入はお見事です。その後もスムーズな展開で一気に作品世界に引き込まれます。物語の魅力もさることながら、すずめたちに絡む人々の誰もが確かな息を感じさせる描き方がされているのもすばらしかったです。それを圧倒的な映像美で魅せるのだから、没入感が半端ないです。
前半は、すずめが自らしでかした不始末の償いでもあり、自分でも気づかぬ草太への想いからの行動で物語が展開します。それがロードムービー的でもあり、ほのぼのとした雰囲気を醸します。同時に、それと対照的なミミズを抑えるための戸締まりが、緊迫感をもって描かれます。この緩急をつけながらの展開がテンポのよさを生んでいると感じました。
そんな前半から、大きく舵を切る後半への切り替えがまた上手いと感じました。最後の目的地は、すずめの故郷の東北。ここで初めて本作のテーマに東日本大震災があることを知り、スクリーンに映し出される映像からあの日の忌まわしい記憶が蘇りました。自分は直接的な被害は何一つ受けていませんが、観る人によっては今だに受け入れられないシーンかもしれません。そして、それはすずめも同じ…というより、そんな人たちの象徴として描かれているのが、すずめなのだと思います。
震災孤児となったすずめが、自分の中でくすぶり続ける亡き母への思い、自分を育ててくれた叔母への遠慮やわだかまり等と向き合い、受け入れ、乗り越え、前を向いていく姿が、観る者の共感を誘います。そんなすずめの成長譚は、震災で亡くなった方への追悼であり、残された者への未来に向けたエールなのだと感じました。
キャストは、すずめ役に原菜乃花華さん、草太役に松村北斗くんで、他のキャストも深津絵里さん、染谷将太くん、伊藤沙莉さん、神木隆之介くんと軒並み俳優さんが占め、十分に及第点ではあるものの、やはり多少の物足りなさは残ります。それでも作品としてのクオリティは抜群なので、とにかく見て損はないと思います。
すずめの戸締まり テーマが一つではない映画
すずめの戸締まり テーマが一つではない映画
以下は24.4.26時点での考察です
映画の最後の方で すずめの戸締まり とスクリーン一杯に表示されて。
ここからが本当の すずめの戸締まり なのではと思いました。
この時から鍵をかけるシーンが強調されていて。
映画の終わりが 始まりの映画で。
映画の終わりが 観客の戸締まりの始まりで。
以下は22.12.09時点での考察です
映画を理解するのに 映画だけを観て理解する方法と
脚本を書いた人の過去の履歴をネットで調べて
調べた情報と 映画の両方で理解する方法があって。
hukuは映画だけで理解するのは 無理かもと思ってます
それで 監督の過去をウィキペディアで調べて
過去にゲーム会社で オープニングムービーの
作成にかかわっておられたそうで
時期的に ブランディッシュ4かなと思って ユーチューブで
調べたら スタッフロールに監督の名前があって。
その次に作られた 白き魔女のOP(WIN版)を見たら
以下の文が書いてありました (抜粋です)
物静かで
いつも淋しげな表情をした娘は
町から町へと旅を続け、
通り過ぎた街に
さまざまな言葉を残した。
彼女は人々に明日への警鐘を説いた。
進むべき道。
心掛けるべき、いくつかの事柄。
災いの波が、さざ波のうちに
危惧が脅威へと変わる前に、、、、、。
それが自分の使命であるかのように
彼女は巡礼の旅を続けた
娘は未来を知る力を持っていた
彼女は生まれついての魔女だった
良い予言が当たれば人々は彼女を賛美し
悪い予言が当たれば
魔女の呪いとののしった。
昔、白き魔女と呼ばれる娘が
ティラスイールを旅した
様々な言葉を残し
白き魔女は姿を消した
すずめの戸締まりでは
愛媛県で 転がってきたミカンを
集めたときに 千果に
「あんた、魔法使いみたいじゃねえ!
と言われていて
夜には
「すずめは魔法使いじゃけんのう、
と言われていて
魔女と魔法使いは ほぼ同じなので
両方とも魔女、魔法使いが主人公で
すずめの戸締まりは、白き魔女の
アップデート版とみなすこともできるかと
(二十数年の集大成とみなすこともできるかと)
白き魔女では
進むべき道。
心掛けるべき、いくつかの事柄。
と書いてあるから
すずめの戸締まりでも
テーマは複数 設定してあるかと
テーマを一つに絞ることが出来ない映画だと
22.12.09時点では思ってます
すずめの戸締まりの考察-2
22.12.03時点でのhukuの考察です
ダイジンはすずめの過去の出来事、記憶かと。
ヒトは過去の積み重ねで今があるわけで
過去はだいじという事で
だいじでは さみしいから ダイジンと名付けて
要石は動かせないモノ 動かしてはいけないモノを
表す言葉で
ダイジン(要石)に「うちの子になる?」と
聞くことは 過去と現在の区別をなくすって事かと
親のいないすずめが母親を草太に被せた事の比喩として
草太はダイジンに椅子にされたのかも?
(違っているかもしれないけど)
過去には鍵をかける(戸締りをする)べきってことで
過去には戻れないから 要石としておくべきって事で。
過去に戻ろうとする行為は 良くない事を生むって事で
過去に戻ろうとする行為は災いを生むかと
過去をいい加減な状態、認識で放置しておかないで
しっかり認識、考察して
要石とするべき(戸締りするべき)という事かと
過去にとらわれていると前に進めなくて
それを災い(みみず)とみなすこともできるかと
すずめが母の形見の椅子を持って
旅をしているって事は 過去を引きずって前に
進めていないことの比喩かと。
ダイジン(すずめの過去)がいるところは
商売が繁盛していて。 これが意味するのは
過去が現在にも影響を及ぼしているってことの
比喩かと。
(過去は過去としてHDDにバックアップして
現在はSSDで処理すると
処理が早いから 成長が早いかと)
hukuはこれがテーマだと
22.12.03時点では思ってます
他のテーマもたくさん加えてあって。
100人が観たら100通りの考察が出来るって良いなと
2022.11.12時点でのhukuの考察
新規産業を興す、 産業を再生させる場合 それまでを清算(閉める)する必要があると。
出かける(新しいことを行う)場合 戸締りをしてから出かける必要があると。
戸締りの戸を締める と 閉めるの掛け言葉になっていて。
再生するためには 現状をきちんとする必要があるってことを教えてくれる映画で。
ヒトは群れで生活することを選んだ種なので
猫のダイジンに 「うちの子になる?」 と気軽に言っていて。
人の生き方について考えさせてくれる映画で とても良いなと。
過去に引きずられるのではなく 過去をきちんと閉めて
未来に進む 背中を押してくれる映画で。
100人に聞いたら100通りの考察が出来る映画で
とても良いなと。
2022.11.18時点でのhukuの考察
11月11日の次に11月22日がある
11月11日は すずめの戸締まりの封切り日で。
11月22日は いい夫婦の日で。
これって 単なる偶然とは思えなくて。
11月11日は金曜日で 封切り日は金曜日が一般的で
いい夫婦の前に すずめの戸締まりがあるってことは
いい夫婦になる為の何かが すずめの戸締りで描かれて
いるってことで。
いい夫婦になるための何かが 主要テーマとみなしてよいかと
家庭を持つ前には 戸締りのようにすべきことがあって
家庭を持つ前の考え方に 鍵をかけて
以前の考えとは異なる考え方で 新生活を
始めるべきっていうのが すずめの戸締まりのメインテーマかと。
物語のはじめでは
すずめは 死ぬのは怖くないのかと聞かれて 「怖くない。」
と答えていて。 自分だけの身ではないから若い時にしか
言えない言葉で。
物語の後半では
すずめは 自分の意思で 「自分が要石になる。」と言えるように
なっていて。
独り身の時の考え方に鍵をかけた(戸締りをした)と言えるかと
草太も 同じように 独り身の時には言わないであろう事を
後半で言っていて。
草太も すずめと同じように戸締りをしたと言えるかと
この考察を確認するために3回目を観てこようと思ってます。
2022.11.20時点の hukuの考察です
すずめの戸締まり 全年齢対象の映画
すずめの戸締まり の主題歌カナタハルカの歌詞を見ていると
全年齢を対象にした映画だと思えてきて。
歌詞の初めに 朝焼けとあって
歌詞の終わりでは 夕立とあって
歌詞のはじめでは 恋を知らなくて
恋を知って
君に割り込まれだいめいわくとあるから 家庭をもって
母の鼻歌とあるから 子供が生まれて
あなたさえいればとあるから 子供が独立して
君に届くなら とあるから 二人ではなくて
主題歌が全年齢を歌っているってことは
物語も全年齢を対象に作られているってことで
全年齢の観客が それぞれの年齢に応じて
自分独自の考察が出来る映画で。
この映画のテーマは何かという言葉が
当てはまらない映画で。
重いテーマだけど秀逸
圧巻の迫力
地震を起こす化け物を鎮める閉じ師、311被災地慰霊、スズメのインナーチャイルド救済。
結論として、面白かった。見ていて鼻につくところはなく、数度涙腺が緩む場面があった(個人的に結構久しぶりに緩んでしまった)。それだけのめり込めた。
涙腺が緩んだ場所は、被災者への慰霊を感じる場面数カ所と、最後にすずめが子供の頃の自分に出会って慰めるところ。具体的な出来事に感動するのではなく、劇中の登場人物が体験している感情・実感に共感して感動していた。そのため、なぜ感動したのか視聴中は言語化できなかった。今回の作品はすずめのノートに『311』とあったように、被災者を慰めるために作られたのだと自分は解釈した。そのテーマ性はとても自然に表現されていて、比較するのはおかしいが『火垂るの墓』とは対照的に被災者に寄り添ったマイルドな表現になっていたと思う。それとともに、すずめが扉を閉める旅の道中でいろんな人々と出会ってその暖かさに触れたり、おばさんとの心のすれ違いから衝突へのエスカレートとそこからの和解を繊細に描きっている(すずめが各地で別れのたびに抱擁するシーンが強く印象に残る)これはコロナ下で人との距離が希薄になった視聴者のニーズに強く合致していると思う。
また、今作で新海賊さんのえぐみが少なくなったと感じる。えぐみと自分が解釈するのは、フェティシズムのことだ。今作でも『Mな椅子になりたい』願望があるのかな?と冗談半分で思うことはあったが、これまでの作品ほど気になるものではなかった(その突飛な表現は寧ろ小さな子供受けの方が大きいとも思う)。今作で前作に感じた青少年や青年の性的指向に与する少し倒錯した部分もあった性的願望表現は少なくなり、より一般受けのする作品になっていると思う。これは驚きで、今後もこのような傾向で日本の地域性、古き日本独自の信仰の表現を取り入れた良い作品を作ってくれたら嬉しいなと思う。
最後に枝葉末節ではあるが気になったり印象深かったりしたところ。①今回制作陣は廃墟に常世に通じる扉が生まれる事を設定したと思うがその設定に至った経緯を知りたい。たしかに廃墟はこの世とあの世の堺がゆるくなっているかもとは夢想できるが。②なぜ要石の二匹を猫型にしたのか?子供、女性受けしぬいぐるみやキーホルダー等でグッズ展開しやすい可愛いキャラだから以上のことはあるのだろうか?③なぜ要石を大臣、左大臣という名前にしたか④今回は疑問じゃなくて、蒼汰の大学の友達の名前忘れた男の子のキャラが良かった。他の観客席からも彼が関わる展開ではちらちら笑いが起きていた。
追記。感想を書いた後、映画館でもらった『新海誠本』を読んだ。彼による言葉で今作のテーマや創作姿勢が書かれていて彼を今まで自分は過小評価していたと感じた。小さいことだが印象に残ったことが一つ。『すずめ』という名前は、古事記の天『岩戸』開きの話において岩戸を開けるきっかけを作ったアメノ『ウズメ』から来ているとの事。
再追記。今作では扉から地震を起こしに『ミミズ』が度々出てくる。自分は過去に個人的にミシャクジ様という神様が地震に関係するという事を聞いていたので短絡的に監督はミシャクジ様をモチーフとしたんだと思ったが、おそらく違う可能性が高そうだ。閉じ師が上げる祝詞は『ヒミズの神』に奏上するもので、ヒミズ=日不見=モグラとなるため(なるため、と書いたがtwitterでそれを指摘している方が居て知った)、監督がモグラの善神がミミズの悪神を食べるという分かりやすい図式を創作した、という事が考えられるからだ。
期待していた分、全てがチープに感じた
新海誠のファンです。
今回の作品は、すずめの成長ストーリー、災害から街を救うファンタジー要素、違う境遇の2人のラブストーリーが三本の柱だったようですが全てが中途半端で結果見た後あまり何も残らなかった印象。
ベースが現代な分、ファンタジーな要素が浮いていてすずめの家出に無理があるような気がした。
あそこまで過保護なのに、数日間放置する叔母にも連絡も叔母からしか入っていないところにも違和感。
また、すずめそうたに惹かれたところがわからない。見た目と物腰くらいじゃないか?と思う。
一目惚れの相手に災害で何万人が死ぬかもしれない時に天秤にかかりまた災害を起こすかもしれないのに後ろ戸をもう一度開こうとするし、それを誰も止めない。
すずめ、そうた以外の解像度が著しく低く、メイン2人も感情移入しきれない。
芹沢の役回りはもはや車の運転係としか思えない……。
環がただただかわいそう。姪が心配なのに、説明もしてもらえずついて行くことしかできない。
「天気の子」の帆高も家で少年であったが、帆高は家庭環境に事情がありそうだったり冒頭の描写からもネグレクトや虐待が示唆されてるためまだ納得できたけど、、、。
新海誠はこれまで恋愛を描く時にその時の感情、なぜ惹かれたかという場面を丁寧に描いていた印象があるのにそこがとても残念でした。
成長という面でも、環の気持ちを理解したところがまぁ成長と言えるのかなと思ったけどそれ以外は受け取れられなかった。
言の葉の庭では夢に向かうタカオが登場したが、すずめは看護師が目指し始めた理由もまたよく分からない。母親のトラウマからの成長という割に母親との思い出や尊敬するようなシーンが少なすぎる。
全ての事象に理由が欲しいわけじゃないけど、理由もわからなければ心動かされる心情描写もその土台もないまま終わってしまって、最後に恋愛っぽいRADWIMPSの歌がずっと冷めてしまって流れてなんだかなー…となりました。
過去作品と似ているところも多いですが、今回の話は全てに置いて説明不足。映像美と勢い、ファンタジー設定に委ねすぎていると思う。
好き嫌いは分かれると思うけど、過去作の独白のような始まり方が引き込まれて好きでした。
欲しい説明を省いているのに蛇足が多すぎる。
多分要素が詰め込まれすぎて薄くなってしまったんだと思います。
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