すずめの戸締まりのレビュー・感想・評価
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微妙なファンタジー
単純な私は「君の名は。」は何度観ても感動するのですが、今回はちょっと刺さらなかったですね。
新海誠監督は色んな要素を程よい配分でミックスして纏めるのがうまいなと思っています。今回も日本古来の神秘的なもの、日本縦断廃墟巡りの文字通りのロードムービー、日本各地に多発する地震等をテーマに盛り込んで作られていると思います。ただこの作品は実際に起きた震災を背景にしているために、その点がすごくリアルな感じでずっと頭の片隅に引っ掛かり、純粋なファンタジーとして楽しむことが出来ませんでした。
「君の名は。」のように一般受けはしないかもですが、監督の思い、挑戦者としての意欲は感じました。
ただ題材として描くにはまだ記憶が鮮明すぎる 。東北と神戸の描き方の差は時間のせいだけだろうか
なんかジブリっぽいのはなぜ?
疑問に思いつつ
今回はロードムービーなんだ
九州から東北まで
最後はやっぱりそこに行き着くのく
というか、最初からそうだった
なら、神戸に行くのも意図的?
東北のイメージが神戸のようになるのはどれくらいかかるんだろう
当事者でないので、どう感じられるのかはわからないけれど・・・
新海誠本なんて特典があったのでチラチラ読んだけど、真面目に向き合った作品なんだそうです
真面目かもしれないが、鎮魂の気持ちが感じられるわけでもなく、ただ題材として選んだだけですよね
原因を神っぽい物のせいにした荒唐無稽に作っただけ
もうそろそろやってもかまわないだろうという考えがプンプンします
天間荘の三姉妹はだいぶ気を使って作られた映画だったけど
こちらには、気遣いは感じられなかった
まだまだ昨日の事のように思い出してしまう
作らなかったらいいのにと思ったというか、気分的に落ち込んだ
最後はいつものようにお決まりの歌で大いに盛り上げてなんか感動したように錯覚させてたけど、中身はは薄々でした
女の子のヒッチハイクは危ない
この映画、まったく悪人が出てこないんです
まだ若い人は世間が狭いから、本当の悪人を知らない
だから、毒蛇を知らなければ知らずに触って噛みつかれるように、SNSで簡単についていって被害にあう
この映画、罪作りですよね
そういえば、ラブストーリーとしても浅いし
カーステの音楽が古い歌謡曲なのは、なんかやっつけ仕事っぽい
ナツメロやっとけば年寄り客が喜ぶとでも思ったのかな
まあ、河合奈保子まで出されるとさすがに口ずさんでしまいましたがね
キッチリ罠にはめられとる
予告編で新神戸駅が出ていたので気になっていたんだけど廃墟の遊園地は、岡山の鷲羽山ハイランドだし、三田のフルーツフラワーパークの遊園地なんてマイナーすぎる
あと新開地の北の東山商店街か
何か大人の事情を感じますね
新海誠の性癖を見たと思ったのは
神戸のキャラクターで伊藤沙莉を使ったところ
彼女は千葉県人なのに、わざわざ
かすれ声の女の子の大阪弁がなんかセクシーに感じるのが関東人じゃないかな
でも神戸だし
大阪も京都も神戸もわからんのは、アジア人の区別がわからん白人のよう
詰めが甘い
世界観も構成も、全てが美しい。
「迷い込んだその先には、全部の時間が溶け合ったような、空があった−」
予告編の最後、印象的な言葉だ。夜空には数多の星が浮かぶ。ある星の光は何万年もかけて地球に届き、ある星は数年で届く。そんな別々の時代に存在する光が、同時に見えるのが夜の星空だ。この言葉には、そんな意味が込められているのだと思う。
常世と現世。それを繋ぐ扉。災害が起きる理由。さすがとしか言いようのない、新海誠の世界観だ。突飛な設定も、どこか説得力があり、観る者をその世界にいざなう。すべての時間が溶け合う常世で、過去のすずめと現在のすずめが出会う。彼女は、自身の過去の、微かな記憶に触れる。とても感動的ではないか。「行ってきます。」の一言で、母親のいない世界を受け入れられない過去の私と、死者の世界である常世に生きるであろう彼女の母親に別れを告げる。たった一言に、彼女の思いが込められているのだ。本当に美しい。
本作において象徴的に描かれる扉と、すべての家にある普遍的な扉。あらゆる扉が、「行ってきます」と「おかえり」を持っていて、そんな数多の思いが、本作の「扉」というアイコンに重厚感を与えている。どうしてこれほどまでに美しくまとめられるのか、本当に凄い。
2回目みたい映画
2回見ると変わる映画
最初に見た時、東日本大震災の話が出てきてけしからん、ひどい、東北の人がかわいそうって思いませんでした?
残念ながらそう思った人は新海監督の思惑に思いっきりはまっちゃってるかもしれません。
そう思う人に向けた映画だからです。
これまで一人でもあなたを支えてくれた人はいませんでしたか?そういう人に心から感謝の言葉を伝えたことはありますか?
やりたかったこと、かなえたかったことはあれからできていますか?
自分の人生を本当に大切にしていますか?
本当の自分を見失っていませんか?
震災は、大切な人を亡くした人、家を無くした人にとって忘れたくない悲惨な出来事ですが、誰が悪いわけでもないのです。偶然起きてしまったことは仕方ない。残された人は故人を偲びつつ今支えてくれている人に感謝して前に進まないといけないのです。
新海監督が震災をネタに本気で金儲けのために利用していると思いますか?そんな人はそもそも人間ですらないのです。
鈴芽が死ぬのは怖くないとずっと言いつづけていたけどそれは前に進めずずっと自分を見失っていたから。しかし最後に大切なことに気づき過去の自分に言い聞かせているあのセリフこそ新海監督が批判覚悟で本当に伝えたかったことです。
このセリフを覚えていない人はもう一度見てください。
きっと大切なことに気づくはずです。
草太が椅子になってしまう理由を誰か教えて
エンタメに振り切った分、 “新海誠らしさ”がちと減った?
「天気の子(2019)」以来3年ぶりの新海誠作品。もちろん自称“新海誠ファン”の自分としてはマストに観るべき作品であり、非常に楽しみにしていた作品。
スタートから魅せる絵の美しさ、特に海を背景に主人公:すずめが自転車に乗って坂を下るシーンの美しさに、「ああ、新海作品だ」と最序盤でありながら感嘆してしまう。やはり現代日本において最高の画力を持った作家だな、てことを3年ぶりに再認識するんですな。
この作品では廃墟になった箇所に災いをもたらす「扉」があり、それを締めていくストーリーなのだが、その過程で「その場所の人の記憶を聞く」というのがある。それは「この場所を忘れないで」「あったことを覚えていて」というような感覚だ。その「あったことを覚えていて」が一つキーになるんじゃないか。“地震”を作品の一部、特に3・11を思い起こさせる。時代が変わり、事は風化していく。しかし大事なことまで風化しないでほしいという訴えもあるのではないか。3・11を経験したからこそ、この映画はそのように自分は捉えたんです。またこの作品には“人の優しさ”が流れている。突然の出来事に巻き込まれ、いきなり旅することになった少女を、その地域で出会った人たちが助け仲良くなる。前作では日本の閉塞感・人々の無関心さを描き警鐘を鳴らしていたと私は思っている。今回は逆で、一期一会の出会いを大切に人にやさしくするという、今の日本が忘れかけそうなことを少し思い出させてくれる。
だが、“違和感”が少し漂う。上映中はのめり込んでしまった分気にしてなかったが、途中で「あれっ?」と思う。しかし中盤までにはわかる。
エンタメに思いっきり振ったな。
「君の名は(2016)」以降、エンタメ要素が強くなっている感じはある。それ以前の作品を思い返しても「星を追う子ども(2011)」が一番強かったかなと思うぐらいだが、本作は間違いなく新海作品史上最高のエンタメ作品になっている。また最近の新海作品にみられるティーン要素が本作でもふんだんに盛られている。今年33の自分には少し騒がしいのは年のせいか。でも過去作やったら今でも観やすいと思ってしまうのだが・・・。そう思いながらふと気づく。
今回、“新海誠らしさ”がないな。
自分の思う新海誠監督とは、心の機微を上手く捉え、それを得意の画力で、時には音楽の力(歌の力)を最大限に活用して描く。だからこそクライマックスにとてつもない感動に包まれ、「すげー」となる。そんな現代でも稀有な作りができる監督が自分の印象。
しかし、それが本作では隠れてしまっている気がする。もしかしたら作風が変化してきているのかもしれない。しかし、それが一番の違和感やったんやろう。それでも、やはり絵の美しさと、エンタメに振ったとはいえ楽しむことができたこと、最初に伝えた「忘れていきそうな大事なこと」を覚えていてとのメッセージ性。この3点が良かった。もしかしたら、もう一度観れば違う視点から新たな良さが発見できるかも・・・。
でも、やっぱ物足りない。新海誠監督はもっと静かに、機微な動きを敏感にとらえる作風が自分は好きなんだ。「秒速5センチメートル(2007)」「言の葉の庭(2013)」のように。次回作は3年後かな?次こそは・・・、と願ってみる。
信頼と実績の「新海 誠」作品。
冒頭のシーンからタイトルを出す演出が粋過ぎて一瞬で心を奪われた。
ああ、これはきっと面白いぞ、という高揚感が「新海 誠」作品では感じられる。
物語は「扉」を通して展開され、その扉から巻き起こる災いを一人の少女、「鈴芽」と閉じ師の「草太」がその災いを防ぐべく「戸締り」をしていくお話である。
タイトルには「すずめの戸締り」と書いてあるが鑑賞後に感じたのは物理的な「扉」は戸締りをしたが「鈴芽」の心の扉は「草太」との戸締りを通じて開けていっている様だと感じた。どこかで母との記憶をシャットアウトし、本来の自分の心の扉を締め込んでいたような。その心が「草太」との出会いや戸締りの旅先で出会う様々な人のおかげで変わっていっていた。そんな人間の深層心理を突くような所も見どころの一つである。
次に、災いを起こすミミズを扉の中に閉じ込めた後の描写に焦点を当てたい。扉が開けば災いを起こすミミズが存在を表す。そして、「鈴芽」や「草太」達が扉の鍵を閉めると空いっぱいに覆い被さっていたミミズが閉じ込められ、雨が降る。私はこの「雨」をそこにかつて住んでいた人々の「涙」であると感じた。涙は様々な種類のものが存在している。嬉し涙、悲し涙、悔し涙 etc…。このミミズも大事な描写なので注目して見て欲しい。
「ダイジン」という愛くるしいキャラクターが良い味を出し、物語に更に深みを持たせており、あの手のタイプの猫キャラクターは私の個人的趣味での意見だが、まどか☆マギカの「きゅうべぇ」に通ずるものがあった。
全体を通して、物語が驚くほどスムーズに進んでいくため見る側としても非常に物語に没入しやすくまるで「鈴芽」と一緒に自分も成長していくかの様な一体感が感じられた。
通常の映画スクリーンの観賞でも十分面白いがIMAXの上映もあるので是非、大音量、高画質で過去と未来を繋ぐ、「戸締り」の物語を全身で感じて欲しい。
ダイジンの優しさに全米が泣いた
前作天気の子は突っ込みどころ満載でも胸に迫るものがありました、
ですが今作、現実の震災を扱うには美麗な映像と音楽だけでは限界突破した脚本を抑えることが出来なかったように思います。
震災ってセカイ系の外にある絆みたいな縁をセカイと強制的に繋げてしまうものだと思うんですよね、だから主人公の周りの輪が狭いことにすごい違和感を覚えるんですよ、例えば女子高生なら父親を捜すんじゃないかとかおじいさんおばあさんはどこいったんだとか…
この話って閉じ師云々抜きにしたら思春期の県外避難者がヒッチハイクをしながら復興中の被災地を訪れる、ルーツを探すお話ですよね、
道中でふれあいしてるのに肝心の東北の被災地では主人公がセカイの外と交流しないのは片手落ちではないでしょうか。
家と親を流された子どもを出されたらそりゃ泣きますよ。でもそれはこの映画に限ったことではないし、ここだけの評価で泣ける映画ですというのも違うと思うんですが。「流された」って日本人なら思いますが海外の何も知らない人が見たら「燃えた」とも捉えられるんじゃないですかね。それならフィクションで良かったのではないでしょうか。
結局セカイ系に津波の描写一つ出来ない様な大人の事情が加わって狭い世界が更に狭くなってしまい、更に3.11を出したせいで現実が気になってしまって素直に物語に入れなくて序盤の追いかけっこ以外は楽しめなかったです。秒速的な丁寧な描写で描いて欲しかったです。
(某掲示板からの受け売りですが「要石になってください」ってジイさんに言ったら恐らく了承してたんじゃないでしょうか?大人の事情ですか?ダイジンはモノじゃない!でしょう)
すずめの戸締り
現時点での新海作品集大成、美しい祈りと希望。ジブリオマージュほほえましい
素敵でした。世界の美しさに感動しました。『君の名は』『天気の子』よりもシンプルでまっすぐ伝わる話です。優しく切なる願い。深海監督、素敵な映画をありがとう。忘れたくても忘れちゃいけない消せない事、大切に寄り添ってくれてありがとう。
『君の名は。』は大ヒットした一方で「震災を無かったことにするな」と強く批判されたそう。その批判を受けて『天気の子』では新海監督の鬱憤や社会批判をつめこみ、世間に受け入れられずさらに批判されたようです。環境問題を抱えた未来を生きる思春期の少年少女へのエールが、世間の多くの人々にはあまり伝わらなかったみたい…。それでもなお、監督は今作で「震災を体験していない東京の人が綺麗事を言うな」と世間から批判されることを、受けて立つ覚悟をもって、震災を忘れ風化させてはいけないこと、希望をもって生きること、まっすぐにメッセージを届けてくれました。日本人なら3.11を無視してはならないと思います。当時を知らない子供達、次世代の命に伝えることは大切です。たとえ批判され酷評されても…。生半可ではないその真摯な覚悟に胸を打たれました。
「たとえ命はかりそめでも、つねに死と隣り合わせとわかっていても、私達は生きたい、あと一年でも1日でも…」それに尽きます。綺麗事なんかじゃない。自分事としての切なるエール。心こめたメッセージでした。死ぬことなんか怖くない、といつも即答していた、喪失感をいつも抱えていたすずめが、人を好きになって「死ぬのは怖い、もっと生きたい」と言えるようになったことが胸に残ります。
星空の美しさは新海作品の醍醐味ですが、今作では現実の震災での「何も無い闇夜、星空が綺麗すぎた」被災者の話を思い出し、リアルで切なかったです。ファンタジー映画でありながら、あの震災の中で「常世」に迷い込んだ(生死をさ迷った)のは現実味があります。
廃校になった中学校、閉園した遊園地、人々の楽しい記憶や人生の大切な場面がつまった場所が無くなってしまうのは悲しい。「場所を悼む人」がいてくれるなんて、素敵なこと。新海監督のその発想、優しい。
一人旅する草太さんの背景は語られないけれど、家族は育ての親であるお爺さんだけ。両親は、草太さんもまた何らかの災害で失くしたか…あるいは、家業の果てに要石や楔となったか…。孤独に生きながら、各地の廃墟を悼む 心優しき人。叶うならば、「いつか消えてしまうかもしれない大切な場所を…」と焦りながらも、上手く伝えられず就職面接に落ち続けていた『君の名』の瀧に、君の願いを、こんな戦い方で守っている人もいるよって、いつか教えてあげたい。建設業の街作りを通して、守ろうとめざす瀧。映画を作って人々に伝えようとする監督。さまざまな戦い方、生き方で、消えゆく街の風景を守ろうとする人がいる。左大臣に敬意を払うお爺さん、深みがありますね。
戸締まりは日常的な行動で、壮大なファンタジー映画のタイトルとしては妙に感じるけれど、戸締まりは自分の大切なものを守るための行動。毎日の日常のすぐ隣に、一瞬で街が消えるほどの巨大な災害が存在することは現実。
行ってきます、といつもの挨拶を交わして、そのまま二度と帰らなかった人々の姿、涙が出ました。だからこそ、同じ言葉を告げて扉に鍵をかけたすずめの姿に、過去のつらい記憶に鍵をかけ(忘れるのではなく、大事な自分の一部として心の奥に刻んで) 前に向かい進んで行く、強い決意を感じました。忘れないまま生きて行く、勇気をもらいました。
今作はとても日本的な話だと感じます。ミミズは、日本人なら誰もが知るナマズの地震と重なるけれど、悪とみなさず「何の意思ももたずただ暴れる存在」であり、退治するのではなく、ただ鎮めるのみ。「どうかお願いします」と左大臣に祈る。自然に対するその態度はまさに古来日本的です。人間にとって悪ならば対峙し支配しようとするのがキリスト教的欧米の考え方。さっきまで敵のように見えた猫を「この猫、なんか神様なんだって」と受け入れてしまう、自然に神が宿ると神道を信じる日本人の感覚、唯一神教の海外ファンには理解できないだろうけれど、感じとってもらえたらと願います。
公開前に予告映像を見た時、最初、いすが動いたり喋ったりするネタは、古い児童文学「2人のイーダ」を連想しました。小さい女の子と戦争の記憶の物語。新海監督がモチーフとして意識したかどうかわかりませんが、もしかしたらご存知の上でかもしれません。戦争の記憶も、風化してはならないもの。今の幸せと平和を壊さないために。
ミミズ暴走はタタリ神のようにも見え、草太の「かしこみかしこみ…」の台詞から『もののけ姫』を思い出しました。
実際に映画を見てみたら、随所にジブリ作品を彷彿とさせられる場面がたくさんあり、ジブリファンとしては嬉しい♪宮崎監督へのリスペクトを感じました。
椅子をとなりに座り込む鈴芽の座り方が『耳をすませば』の雫と同じ座り方だな~と思っていたら、その直後に猫が電車に乗る写真がTwitter拡散される場面に『リアル耳すま』と表記。
凍っていく草太にキスする画面は、鳥化物になり果てたハウルにキスする画面に似ています。
『ルージュの伝言』が流れて魔女宅だな~と思っていたら「旅立ちにはこの曲でしょ、なんか猫もいるし」の台詞、クロネコヤマト宅急便のトラックとすれ違う、明らかに『魔女の宅急便』をオマージュ。真っ赤なスポーツカーでタバコふかし「借金とり」のセリフは 『 紅の豚』のモチーフ。広い田舎の風景(かつて震災にあった場所)を眺めてタバコ吸うのは『風立ちぬ』かな。敵味方のわからない猫や環などみんな芹沢の車に乗せて行くのはハウルの既視感、「人の手で元に戻してほしい」という左大臣のセリフは、もののけ姫の「人の手で返したい」に通じます。ミミズが地上に倒れる姿はもののけ姫の首を失くしたデイダラボッチに似ているし、最後の「会いに行くよ」もアシタカと同じ台詞。
ダイジンと左大臣が巨大な狼に変化する姿は、千と千尋のハクに似ています。特に、鈴芽を守って変化し落ちて元の姿に戻る映像。鈴芽の制服の袖、白に緑線2本は千尋の服の袖に似てる。美味しそうな食事場面もジブリを彷彿とさせます。
などなど、挙げればきりがないほどですが、「昔から宮崎駿監督の作品が大好きだったし、憧れつつも越えなければならない存在だけど、宮崎監督からは大いに影響を受けて、血肉にしていますよ!」と監督に笑顔で宣言しているような感じがして、ほほえましいです。
新海作品同士のつながりを見ると『君の名は。』は『秒速』『ほしのこえ』の悲恋を成就させ『彼女猫』の猫視点の画面が目立つ作品でした。『天気の子』の後半は『君の名は』と表裏一体を成す、似た展開でした。
『すずめ』は『星を追う子ども』のテーマ「それは、さよならを言うための旅」とつながります。愛する人に会うため死者の国へと旅し、鎮魂とさよならがテーマの物語、同じです。『すずめ』は、過去を胸に抱きつつもさよならを越えて、より前向きに「行ってきます」と未来を向く希望の物語でした。幼い頃にすずめが土に埋めた宝箱タイムカプセル、クッキー缶のふたに『Agartha』の文字、アガルタは『星を追う子』で冥界⋅あの世を意味する言葉、常世と同じです。『星を追う子』はジブリの「パクり?」と酷評もされましたが、それでも今回、堂々とジブリへのオマージュを示している点、もうあとどれだけ生きてくれるかわからない宮崎監督への感謝のメッセージがこめられていると感じます。色々な点で確かに現時点の集大成でした。
廃校になった中学の記憶風景、登校する中学生達の後ろ姿、最後に「昨日のお客さんめっちゃイケメンやってん」とはしゃぐショートボブの少女は千果だったのでしょう。こういう細かい書込みを見つけるの楽しい。ルミの車は25(双子)、芹澤のアルファロメオは630(ロミオ)とかね。
公開前の情報で、主人公の名前が「岩戸すずめ」だと知り、きっと「天岩戸の伝説」に由来する名だな、と思っていました。語感が似てるから「あめのうずめのみこと」とも関連しているのかな~と思っていたら、大正解でした♪
昔話「すずめのお宿」もモチーフで 家庭をテーマにした作品かな、と思っていたけど、これは関連無いようですね。
ダイジンは、態度の大きさからいつのまにか大臣と呼ばれそのまま定着した名前だけど、すずめが小さい頃に埋めたタイムカプセルのお菓子の缶に大きく書いたペンの字「すずめのだいじ」(なもの、が書ききれなくなっちゃった~っていう子供らしさ)を見て、ダイジンは本当は、大臣や大神なんかじゃなく、誰かの大事なもの、になりたかったんだな~と切なくなりました。単なる言葉遊びのだじゃれ…いや、日本へ古来より、言霊のさきはう国ですから、そういう複数の意味をこめて名付けるのはよくあること。
草太さんは、とても優しくて、年下にも敬語で話す礼儀正しい人。草太という名には「大事な仕事は目立たない方がいい」という考えに通じるものがありますね。芹沢も本当に受容する器の大きい優しい人。2人とも教員志望な点、監督は「激務で薄給な教員を志望する若者が激減」な現実の中、この世界の希望を描こうとしたのでは。「あなたは大丈夫!」と幼いすずめに呼びかける言葉とともに。『天気の子』でも監督が一番 少年少女に伝えたかった(けれど世間には届かなかった)「大丈夫!」の言葉を再び、届けと強く願って。
新海作品の中で今作が素直に一番好き。また映画館に見に行きます♪
気になる点といえば、すずめが東京弁なこと。素直な子だから、幼少期は東北弁→今は12年暮らした宮崎の九州弁に染まっているのが自然。主役は標準語のほうが 日本人の大半が主役に感情移入しやすい、だろうけど…他のキャラは方言だからすずめも方言の方がリアルだな。それと日記の黒、幼児はクレヨンであんなきれいに均等に色塗れない。隙間あり紙は折れ曲がり破けたりするはず。の2点だけ気になります。
最初はダイジンが悪役に見えたけど、要石として長年孤独に過ごしていた 幼い仔猫だと考えたら、解放されて無邪気に振る舞っていただけで、人から見たら時には残酷に見えたけど、愛されて生きたい、それだけなんだな。左大臣は要石が抜けてしまった後も必死でミミズを止めようとしていたし、ミミズに破壊の意思は無いし、誰も悪役のいない世界でした。切なく優しい物語。
要素のバランスが素晴らしい 面白かったー!
日本にとって避けられない災害のリアル、その扱いのファンタジー、あらゆる人の日常、想い、一番大事な「人を好きになる」こと
組み合わせ、バランスが絶妙!2時間本当にスムースに楽しめた
「駐車場で言ったこと、あれは心の中で思うちょったことよ。でもそれが全部じゃないけんね、全部じゃないけん…」
愛に溢れてて一番グッときた
椅子は『よつばと』のダンボーだね。
失礼しましました。削除されました。
共感頂いた方には申し訳なく思ってます。
正確な知識と賢明な知恵があれば、この映画も『PLAN75』も、見るべきだと思います。しかし、見て泣くだけでは駄目だと言う事です。
泣いて終わらせる時期ではまだないですし、これから不安が現実になる可能性は充分あると思います。
また、実際にあった大災害だけに『面白い』とか『大迫力』とか『絵が綺麗』とかは、道義的にタブーになると僕は思います。
この大災害を後世に伝えたい気持があるのだ思います。しかし、それならば、もっと、直接的に怖い場面があっても、良かったのではないかと思います。ミミズを震災と指すならば、その程度のおぞましさではない事は、経験した方が分かると思います。勿論、閉じ師がいて『カシコミ』と唱えれば、地震がおさまる訳では無い事は、日本に住んでいれば、誰でも分かります。
しかし、
僕自身、この映画を見て、『うるっ』と来ましたし、『凄い絵と音だなぁ』と感じました。しかし、しかし、
商業主義的映画ですから、こう言った過度の演出は問題があると思います。だから、それに対する道義的責任を、制作する側には感じて貰いたいと思いました。
兎に角、この映画で泣くよりも、現実はもっと悲惨です。
損害が拡大しないように、危ないものは早く片付け、美しい本当の日本を取り戻して貰いたいです。
もう少し、考えて削除されない言葉で、この映画に対する本音を語りたいと思います。どうせ、出来レースで、賞は取れる事になっているのでしょうから。
北陸地方の皆様へ
頑張って下さい。
また、亡くなった方の為に冥福をお祈り申し上げます。
2024年1月3日午前5時より鑑賞
キャラクター、映像、脚本、キャスティング全てが秀逸。
どっちつかず?
主人公が災いが吹き出す扉を締めてくお話。
開かれてしまった後戸を占めることと主人公の過去とが絡み合ってお話が進んでいく。
草太の第一声がなんとも違和感があって最初入り込めなかった。が、椅子になってからはすごくフィットして良かった。
お話的に主人公が要石を引き抜く事が偶然なのか必然なのかがよく分からなくて、最初の出会いはイケメンに惹かれたのかな? っとも思われる。 なので主人公の過去が絡んでくることと、メインの扉を締める事との決定的な結び目がイマイチ見えなかった。。。
それでも、あれよあれよの展開で大いに引き込まれたのは確か。
初回特典でもらった冊子の中に具体的な製作者の狙いが書いてあったが、これに『そーゆーことだったのか』と更に面白みが増すのか、『映画の中だけじゃそこまでわかんない』と思うかは見る人次第。自身は後者。
綺麗な映像で音楽もよく素晴らしい迫力でした。
とても面白かったです。
表現者として3.11をどう総括するのか
今ひとつだった「天気の子」から一転、作家としての気概にあふれた一作となった。
災害国である日本で、カタストロフィから逃れるための祈りとして、「閉じ込め師」が日本を縦断するロードムービー。
目的地の宮城で男女関係に収れんしていく終盤は賛否が分かれるかもしれないが、若い世代には支持されるだろう。震災孤児である主人公が、災害にあって母親を涙ながらに探す少女時代の自分に、成長した姿で語りかけるシーンは感動的で忘れがたい。
クリエーターにとって、「3.11」は描かずに済むわけにはいかない題材なのだろう。何よりも「これが撮りたい・次世代に残したい」という思いが伝わってくる。
表現者でなくとも、日本人の誰もが、3.11を総括することが求められるのではと思いを致した。ポスターにもある主人公の「行ってきます」の言葉が限りない救いとなっている。観るべし‼︎
いつ何が起こるか分からない理不尽な日常で。
新海作品という事で鑑賞。
とりあえず、ちょっとなめてた。
いやぁー、泣いたね。
完全に東日本大地震に絡めたストーリー。
予告編の行ってきますの意味合いがみた後だと変わるよね。
きっと当時言った人も言われた人もそれが最後になるとは思わなかったんだろうな。
芹沢の綺麗な場所だなのセリフに対してのすずめ、ここが綺麗な場所?的なセリフに本当にゾッとした。
あまりにも色々な情報量が多すぎて全然咀嚼しきれてないな、、、
まず、東京に行くまでのテンポ感がいいよね。
観客は薄々要石のくだりを察しながらも、いつ決定的な何かが起こるのかを考えながらみたところで、アレですよ。
日数にしたら数日に過ぎないけど、被災した可哀想な子ではなく、個人として自分を見てくれたソウタに惹かれたのかなとか、邪推してしまった。
東北への里帰りとか、ベースシリアスなのにそこに上手く異物(芹沢とか)を織り込んで観客が力を抜ける瞬間を作ったりとか話の作りが上手いよね。
自転車のシーンはとても良いシーンだった。
ちょっと右大臣?左大臣だっけ?黒猫の登場が唐突過ぎてビックリしたけど。
猫視点で見るとどういう流れだったのかなーって思わなくもないけど、個人的解釈としては要石って人身御供とかの意味合いも含まれていたのかな。
ダイジンが子供になれなくてごめんなさいって言ってたし。
孤児とかが、捧げられて何百年と孤独に過ごしその孤独から救ってくれたすずめに好意を抱いてずっと一緒にいたいと思う。
子供だから独占欲強めで、ソウタ邪魔だし要石無くなったらまずいのは理解してるから役目こいつに押し付けよう。
的なことなのかな?
黒猫が大きかったのはこっちは幼い子ではなく、成人済みとかおじいちゃんが捧げられたからなのかな?
環さんが黒い感情に支配されたのは、ちょっと自分の中で落ちてはないけど、、、、
ラストのソウタへのおかえりは分かっててもいいセリフだよね。
自分が周りに迷惑をかけているって自覚がスズメの中にあるから、死ぬのが怖くないのかってセリフに対して怖くないって言えるし、自分が何か成し遂げた「役割」みたいなものに固執に近いものを抱いていたのかな。
この作品で考えなきゃいけないのは、これはフィクションだけど現実にある話ってことだよね。
この映画から何を受け取って、どう日常を過ごすのか、自分の中ではまだ落とし込めてないし明確な答えのない難しい問題だけど考えることをやめてはいけないなーと。
突然誰かを亡くす「死」は本当に身近にあって、それでも生きたい。好きな友人に家族に恋人に会いたい。っていうのは万人に共通することだからこそ、常世でのソウタのセリフは胸にくるものがあった。
これを一本の映画にまとめ上げた、新海誠監督は本当に凄かった。
テーマとしてものすごく重い物で、扱うのに勇気が必要だったろうな。
とりあえず、円盤は買うしできればもう一度見に行きたいな。
パンフレットも特別冊子も何も読んでない人の感想でした。
熟読してからもっかい見たい。
あと、RADの歌ありの曲の使い方のバランスは個人的に最高でした。
100/100
絶対に最高傑作ではない
前半はとにかくテンポが早い
主人公のすずめは超常現象が起こっても、あっさりとその事実を受け入れる
ネタバレになるのであまり書けないが
喋るイスやネコが登場してもあっさりと受け入れるし
扉に近づく際に靴を履いたまま、水の中に入る
躊躇するような描写がないのが残念
良い意味で裏切ってくれない
中盤でストーリーの終わりが予想できてしまった
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