すずめの戸締まりのレビュー・感想・評価
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泣けた~
上映初日に観に行きたかったけど、
仕事の都合で今日になりました。
いつもの映画館は、現在1日15回上映。
朝1の8:00、240名ほどスクリーンで鑑賞。
半分くらい埋まっていました。
邦画で一番好きな映画は、君の名は。
映画を好きになった記念の作品。
君の名はが強烈だったので、天気の子は期待が大きすぎて、いまいちだった。
今作はどうかなぁとワクワクドキドキ。
半分ぐらいからずっと泣いていました。
君の名は号泣だったけど、すずめの戸締まりも
心が暖かくなる作品でした。
途中、ナツメロとか言われていた曲は
おばさんの世代の曲で、懐かしく、
すずめの故郷に帰る高速場面が近所だったので
ちょい嬉しかったです。
次はI'MAXで観よう
そして、今から君の名はを観ます。
そしてあすからの仕事を頑張ります
昭和歌謡
映画館で観て良かったと思える作品
なんと新海誠監督の作品を初めて観たのですが、すごく良かったです。
評判通り映像もきれいで、音楽も良かったですが、
何よりストーリー、終わり方がとても好きでした。
中でも一番印象的だったのは、東北に向かう道中のサービスエリアで叔母の環さんと言い争いになるシーン。
家族っていいことだけじゃなくて、嫌なこととか、お互い色んな想いを抱えていて、でもそれが全てでもなくて。
ファンタジー映画の中でこのやり取りがとてもリアルに感じられました。
特典本を読んで「観客の中にも、この映画を観ても震災を連想しない方が1/3から半分くらいはいるんじゃないでしょうか。」という記述に衝撃を受けました。
もうそんなに年月が経っているんだなと。
とは言え、西日本に住む身としては、東日本大震災をどこか我が事としては考えられていない後ろめたさもずっと感じていたので、「場所を悼む」そこにあった生活や人々や想いを悼むというこの映画の内容に、ある種自分にはできないことをやってもらえたという尊敬だか感謝だかの気持ちが湧いてきて、本当に「閉じ師」という人たちが存在したらいいのにな(大変な仕事だけど)、と思いました。
ダイジンのお役目
新海誠監督ならではの圧巻の映像美ですね。個人的に前作2作より好きですが、ダイジンのことを思うとすごく辛い。色々疑問点も多い。
○ダイジンが可哀想
うちの子になる?ってすずめが聞いたからその気になった、と思ったら、好きな人が要石になるの嫌だからお前が要石に戻れ!って…
結局ダイジンは要石に逆戻り、役目を再度押し付けられ…か、かわいそう…。
元々すずめが抜きさえしなければこんなことにはならなかったのに、気をもたせられたようにしか思えない…残酷。
作中の要石の役目にポジティブなイメージがないのに(人柱にしか見えない)、そのイメージを植え付けたまま物語は進んでいく。結局誰かに押し付けるしかないんだなというモヤモヤが残る。
○もう1つの要石はなぜ封印が解けたのか?
ダイジンが封印を解いたのか、ひとりでに解けたのか。どちらにせよ納得のいく説明が欲しいが、視聴者の想像にお任せだろうか?
○芹沢くん被害者すぎでは?
ろくに説明も受けず長時間ドライブさせられ、擬似親子関係のもだもだに巻き込まれ、車の扉壊れ。
すずめとタマキはもっと感謝するべきだと思う、本当に。
ていうか作中の人物、初対面の女子高生に優しすぎ。笑
○被災者への配慮
非常にセンシティブな題材を取り扱った今作だが、配慮は足りていたか?
特に実際に起きた被災を取り扱ったのだから、視聴者の中には大切な人や帰る場所を無くした被災者もいることは想定できたと思う。
「人がたくさん死ぬね」って台詞を、ダイジンに言わせる必要があったか?本当に、本気で、被災者のことを考えてくれていたか?
背筋が凍りつく思いだった。皆どんな気持ちで、このシーンを見たのかな。
被災を悼むシーンもたくさんあったのに、この台詞のデリカシーの無さに、作品の意図がわからなくなってしまった。
猫と椅子の追いかけっこ?その先にあるものは?
意味不明な事だらけ
私が大人になりすぎて
映像や音楽は素晴らしかったです。
没頭してしまうくらい、素敵な世界観でした。
肝心のストーリーは伝えたいことが多すぎて、最終的何を伝えたかったのかなと考えています。
正直、『初めて恋を知った少女の成長を描きたいけど、それだけでは大衆受けしなさそうなので、アドベンチャー要素を足しました』という印象を受けました。
このアドベンチャー要素に問題があり、映画全体を浅くしています。
•なぜミミズなのか
•なぜ要石は猫なのか
•サダイジンとダイジンはどういう経緯で要石になったのか
•なぜサダイジンも要石の役割を離れたのか…要石は自由に動けるの…?あれダイジンはなぜ…?
•常世が荒れたのは要石達が持場を離れたからなのか
と挙げればきりがないですが、主人公も疑問を持たずすんなりと受け入れてしまうため、特に説明もなくアドベンチャーが8割を占める物語は進行していきます。
おそらく色んな年代の女性と少女の成長を描くため、アドベンチャーの背景は省かれてしまったのかなと思われます。
これに恋愛を絡めるから厄介で、主人公は恋愛を優先して、要石であるダイジンを粗雑に扱います。
要石は戸締師にとって重要な存在、お互い尊重しなくてはならないパートナー的な存在のはず。ところが主人公は自分の好きな人に呪いをかけた、元要石ダイジンに心ない言葉をかけます。何年も要石にされてたダイジンにもっと寄り添って欲しかった…。
この行動で『とても大切なことをやっている』と話していた主人公の戸締師への思いも、好きな人によく思われたかっただけなの?と意思の浅さを感じさせます。
恋は盲目ということでしょうか?
キャラクターの設定も変に現実味を帯びさせようとした結果、現実感がなくなっています。
•戸締師だけでは生計がたてられないから、教師を目指す主人公の想い人、草太。
→この設定は必要でした?教師になったら戸締師の仕事する時間取れないような…教師って有休取りにくいですよね?休日も部活の練習とかあるかもですよね?
せめて、大学教授や研究者を目指してくれ。
•椅子になった草太は教員採用試験の2次に参加できなかった。
→人間の姿でも長髪大丈夫なの?友人も髪の色とピアスの穴隠せたのかな?
最近の教員採用試験は自由度高めなのか…
主人公と草太は最終的に相思相愛だったみたいですが、4日くらいしか過ごしてないし、何があったのでしょうか。リアリティーショーと同じでカメラが回っていないところで色んな物語が生まれていたというこでしょうか…。
お互い一目惚れっぽいのですが、恋ってこんなものだったのかな、大人になりすぎて思い出せない。
タマキさん(育ての親)の心の内の葛藤や主人公の幼少期の回想は良かったです。
私が大人になりすぎて親目線の内容にしか感情移入できなかったことが原因かもしれません。
今の私にはついていけませんでした。
シン・ほしのこえ 求ム
1958年、東アジアのとある大国ーー大躍進を掲げる時の指導者の号令の下、スズメたちへの恐るべきジェノサイドが始まった。家族を失いながら密輸船に紛れ、辛くも逃げ延びた一羽のスズメは極東の島国へと辿り着き……
という話をタイトルから想像したのですが掠りもしませんでした。
これは半分冗談半分本気で、東宝で跳ねてからの3作目、明確な変化が求められるタイミングだったと思います。
おそらく新海さんも(相棒の敏腕プロデューサーも)意識していたことで、所謂「きみとぼく」的な世界から家族や血縁を越えて、職場や実社会にまでコミュニティの範囲を広げたり、挿入歌のエモさで突進する得意技を封印したりと意欲的だったと思いますが、却ってキャラ造形の薄さがこれまで以上に露呈した気がします。畢竟、キャラクター当人が初登場時から自分のロールを認識しており、予定調和で立ち回っているように見えてしまったのは非常に辛い。
美麗なアニメーションという最大の武器は健在ですが、お客は呑気で贅沢なことにいずれは必ず飽きが来る。最近はNetflixオリジナルはおろか地上波でもハイクオリティな作品が観れてしまう(のは、新海作品がバカ当たりした影響も一部ありそうですが)。前2作と比べ、素人目には特段アニメ表現が進化したようには見えなかったです。
物語の終盤、汚れた服から決意表明のように制服に着替えた場面。意味ありげでしたが意味が汲み取れませんでした。学生の足元の象徴たるハルタのローファーは途中打ち捨てているのに。
遥か遡って『ほしのこえ』ではどうだったでしょう。宇宙軍?のロボットに乗って戦っている状況で、頑なに制服を着用し続けるヒロイン。あの単なる記号性と利便性と作者の思い込みが混濁したスレスレな表現が、えも言われぬ空気を醸していたのです。
かくなる上は庵野プロデュースでシン・ほしのこえを作る時が来たのです。主役の声をもう一度自ら演じ、ソウルメイトの天門を呼び戻す。ヒロイン役は新津ちせにするとなかなか気持ち悪いと思いました。
しかしこれでは売り上げは悲惨な結果をもたらすこと請け合い。古参を気取る愚かな人々の世迷言には耳を貸さず、これからも猫好き敏腕プロデューサーと二人三脚で突き進むが是だと思います。
「天気の子」よりは面白かったが・・
新海誠監督の最新作。
観終わった感想はタイトル通り。
「天気の子」はあまりにセカイ系的な展開に感情移入できずに終わった。この作品も「Boy meets Girl」作品ではあるものの(正確には「Girl meets Boy」)、作品のテンポが早くて最後まで飽きることなく観ることはできた。
ストーリーは、古事記の天鈿女命(あまのうずめのみこと)から名前を取った主人公の鈴芽(すずめ)が、誤って扉(天岩戸)を開けてしまい、そのミスの回収のため日本中を旅して回るロードムービー的な作品。一応、旅を通して心理的な成長をしつつ(?)、話が進んでいく。最後は伏線回収して終了。
ただ、他のレビューにも書かれている通り、納得できない箇所が多すぎる。
- なぜ、すずめはあそこまで叔母さんに対して頑ななのか?
⇒ 母親の記憶より、叔母さんとの記憶の方が多いはずだよな・・なぜ今だにあんなにギクシャクしてて、あそこまで頑なに避けようとするのか?ただの反抗期?
- なぜ、すずめは扉が開けられるのか?
⇒ まさか誰でも開けられる設定なのか、あの扉?
- ダイジンの行動原理がわからない
⇒ 神様だから気まぐれ、って設定だけでは押し切れないだろう・・最後まで本当によくわからんかった
- ダイジンがSNSで見つかりすぎ
- ロードムービーにしてはお金の心配がなさすぎ
- 叔母さんが御茶ノ水駅ですずめと偶然出会うとかありえん
- サダイジンは東京の要石だったはず。ダイジンはすずめが引き抜いたんだが、なぜ、サダイジンの要石は自然と抜かれたんだ?
- で、なんで、サダイジンは叔母さんに取り憑いてる?
- 叔母さんとの和解が早すぎ
- 3.11を扱っているが、自然災害とみみずの起こした地震の区別が付かない。3.11もみみずが起こしたって設定なのか?
⇒ その設定だと、3.11も閉じ師が防げることになってしまうが。。
- 常世(とこよ)の設定が雑
⇒ なぜ1度しか行けないのか?過去行ったときと同じ扉ならまた行けるのもよくわからん。。
- なぜ、4歳のすずめは常世に行けたのか?
これは色々と詰め込みすぎた結果なんだろうな・・劇場でもらった「新海誠本」にも書いてあったけど、最初から描きたい「テーマ」が決まってたみたいだから、ストーリーや設定の辻褄合わせが出来なくなったんだろうね。
大枠のストーリーとして、すずめが草太(そうた)に一目惚れするのは、まぁ、一目惚れってのはそんなモノだから良いだろう。恋愛要素は新海作品には必須だし。その人のためなら死んでも良いと思えるかどうかはキャラ次第。だいぶ無理はあるけど。
しかし、現実の3.11を扱う必要があったんだろうか?とは思う。
2011年に起こった3.11だが、すずめは当時4歳という設定。で、今高校2年生の17歳だから13年前ってことになる。2022年公開作品では年が合わなくなる。現実とリンクさせることで、変な齟齬が生じてしまっている。
地震をみみずという妖怪っぽいモノの仕業とするのはフィクションだから良い。閉じ師という仕事が成立している世界設定だし。ただし、この世界設定だと、全ての地震はみみずの仕業=閉じ師が解決できる、となっていないとおかしい。自然発生の地震もあるし、みみずが原因の地震もある、とかだと、そもそも閉じ師は必要なくなる。被災者にとってはどちらも同じなので。その設定の甘さに、現実の3.11を変な形でリンクさせてしまっている。それがどうしても気になってしまった。
(3.11を扱うことに対して異論はない。表現者が時代に影響受けるのは当然だし。ただ、「ちゃんと扱ってますよ」というアナウンスは必要。見たくない人はいるだろうから)
あと、変にジブリっぽいのも気になった。
最後のエンドロールなんか、絵のタッチも含めて、まんまトトロのエンドロールだったし。スタジオジブリは制作部門が閉鎖されてアニメーターが別スタジオに行っただろうから、新海監督の元に集まったんだろうか?森や林の自然タッチもジブリっぽかった。けど、新海作品にジブリ要素は求めてないんだよな・・。宮崎駿監督の代わりは誰にもできない。庵野監督や神山健治監督のように、もっと独自路線(オリジナリティ)を貫いてもらいたい。
最後に、自分はRADWINPSは好きなんだけど、流石に毎回同じだと飽きてくるな。。
次回作は別のアーティストにしたり、歌の使い方にしてくれると、もっと作品を楽しめると思う。
色々書いたけど、それでも「天気の子」よりは面白かったので3.5点。
0.5点は芹澤が押し上げてくれた点だと思う(笑)。
よくわからん
全体的になんかジブ○っぽい、君の名は、天気の子ときてこの作品を見るとなんかコレジャナイ感がすごい、作画とかは相変わらずすごいんですが。
わからなかった点として
ダイジンの考え、なぜ役割を変える必要があったのか?
ソウタの祖父とダイジンの関係もよくわからん封印したのが祖父なのか?なぜスズメにはミミズが見えるのか?幼い頃から迷い込んだから??みのるさんとか出す必要ある?ってレベルのモブキャラだったし、いい話だけどそもそもスズメがイケメンに釣られて封印を解かなければこんな大惨事になってないのでは???
おかえり
震災の源であるものを封じる旅と
閉じ師のイケメンとの出会いで
成長する少女の物語
なんですが
その世界観と
明日へ生きる少女の再生を
描いたストーリーに
こころが震える
生死の境界を
私たちが暮らす 現し世 と
死者が暮らす 常世 として
古来から日本人は表現
時間では夕方と夜の間を黄昏刻
場所では鳥居
本作では
時間では華やかな時代と静寂の間
場所では廃墟の扉として、
人間が意図しない所に
常世が生まれる現実を
示していました。
本作はファンタジーなんだけど
重みを与えているのは
その世界観や倫理感が
神話や民俗学と
あまり矛盾していなくて
日本人として
腑に落ちるからではと。
返事をしない死者 母に対して
問いかけるのは
現し世の
鈴芽であり、
幼い壊れそうな自分のこころを
修復するのも
亡くなった方の想い出や遺品に
思いをよせて助けられた
自分。
その線引の筋が一本通っていて
凛とした世界観に。
常世の助っ人が未来の自分で
ハリポタ的な所や
ミミズなどキャラクターデザインが
ジブリ的というのも
あるかもですが
目に見えない厄災を
防ぎたい思いや
どうしょうもない悲惨体験から
脱け出すための
こころのプロセスを
丁寧に描かれている凄みが秀逸
出会いと同じシーンの
「おかえり」で
二人の関係を思い出す
実は、
そんな重いテーマである
各地の災いを鎮める原動力が
ひとめぼれの恋心
なのが
よかったり。
おすすめ。
誰かにこう言って欲しかった。
先行IMAX上映にて鑑賞。
災害三部作の着地点は今までのフィクションとは違って、3.11の震災が起こった後の世界の話だった。
震災を経験したことの有無で作品の受け取り方は変わると思うけど、私の住んでいる地域は震災で家を失ったり家族を失った方が移り住んで来た地域だった。
当時もかなり強い揺れを体感したし、停電やコンビニが軒並み閉店してガソリンスタンドには長蛇の列ができた。
今でもはっきり覚えてる。
震災があって、そこから復興して今がある。
ただ、なんとなく震災の話をするのは不謹慎。
震災に遭われた方、被災した方に対して腫れ物に触るような距離感があった。
物語の冒頭や作中でも響き渡る緊急地震速報のブザー音は実際の音とは異なるけど、今でも心臓が跳ね上がる。
新海誠監督がいろんな思いで作品を作り上げて、自分の中にある思いを発信してくれた作品だと思う。
監督の思いは物語の最後にすずめちゃんが語ってくれる。
誰かにこうやって言って欲しかった。
友達とも震災の話をした。
あの時はどこにいたの?
大変だったよね。
辛かったね。
と、各々の思いを語れる機会になった。
今まで蓋をしていた。見ないふりをしなくちゃいけない出来事だったけど、人と繋がって生きていることの尊さと話ができることが当たり前じゃないんだと改めて感じることができた。
作品としては現実とファンタジーをミックスさせて、ところどころ可愛いダイジンが登場して和んだ。
人に忘れ去られた寂しい場所に後ろ戸は開くと言う設定や場所の声を聞いて災厄を鎮めると言った鎮魂の儀式も日本人の風土にあった手順だったように感じました。
すずめちゃんと環さんの関係性も良かった。
ラストシーンの会話で2人の関係が伝わってきた。
全部言葉にしなくても分かった。伝わってきた。
映画を観た後、草太さんと芹澤君はカップルなのかな?と感じた。少なくとも友達以上恋人に近い親友という感じだった。近年の作品では同性カップルも珍しくないので、そうなのかな?と思ったけど、ラストシーンの描かれ方的には違うのかなと思う。
でも、芹澤君がいて初めて草太さんが現実に生きる人間だったんだな〜とわかる。
あと、教員と閉じ師の両立はできないと思う。教師になったらまとまった休みは試験問題作ったり教材作りに消えてしまって、遠出なんて絶対できない。と、リアルにツッコミを入れてしまう。
今生きている風景を、心の中にある風景を残しておけるような社会にしたいって、君の名はで瀧くんが言っていたよな。
人の生きている場所が誰かにとっての故郷になっている。
場所がなくなっても、生かそうとした人の思いを受け取って育っている。
震災復興とは言っても、心の傷が癒えるまでの時間は人それぞれだと思う。
自分が作品を受け止められるか。体調が悪くなったら無理をしないで劇場から出て欲しい。
私は泣きながらこの映画を観た。
思い返して語るだけでも涙が溢れてくる。
自分にはすずめちゃんの言葉が刺さった。
救われた、許された気持ちになりました。
悩みながらも作品を世に送り出してくれた全ての方にありがとうと言いたいです。
ご自身の観られるタイミングでご鑑賞ください。
声の演技の難しさ
心に響かないセリフ、日本で公開される劇場映画のアニメ、古くは「地球へ」がそうでした。声だけの演技はやはり難しい。視覚と音響効果で誤魔化そうとする演出をいつになったら辞めるのだろう。「えーーーっ‼️」と言う主人公のセリフだけが耳の奥に残っている。あああ、物真似と吹替えを混同している業界、業界だけでは無く見ている方も許容しているのが原因なのだろう。
声だけでは無い、私はこの監督が作るダイナミックなスペクタル要素が飽きてしまった。そうそう、ジブリのよう雰囲気すら私には見苦しかった。
あの日の事をテーマにしたいのはわかるが、もっと真摯に向き合わなくては…。
描きたいところは分かるのですが
「輝く未来が待っている!」とのメッセージは大人は分かるのですが、低学年の子供には怖かったと言われました。見たいと言うから付き合ったのに。
「死ぬのは怖くない」のセリフは分からないと言われました。
「人がたくさん死ぬよ」のセリフは怖かった。
猫は可愛かったと言っていました。
画はとてもきれい、テンポも良いので飽きずに最後まで見れます。
ディズニーとジブリの要素が少し入っています。
ですが、私自身が被災地ど真ん中に当時も今も住んでいるため複雑な気持ちになりました。
映画終了後は観客は無言でシーンとお通夜みたいな雰囲気で何とも言えない空気になっていました。無言で席を立つ人ばかりで、啜り泣くような声も聞こえた気がします(振り向いて確認するのも躊躇われる雰囲気)。
震災の件は子供には話題に出さないように教えてあります。被災地ど真ん中なので身内や仕事を失った人も多いため、話題に出せません。
私は身内は無事でしたが日常は大変でした。
ヘドロにまみれた国道は灰色で酷い悪臭、信号が全て止まった道路をお互いに譲り合いながら低速で走らせました、海沿いの石油タンク?からは煙が3か所から3日あがり続けました。悪夢のようでした。遺体が線路に横たわっているところを歩いて避難した人もいました。
停電中でも総合病院の病棟の電気が点いていたことに、なぜか心が救われました。
1か月にわたる断水と水汲み、スーパーでは一人5点までと指定のある買い物、仕事に行けるようになると電車から見える景色は震災処理のガレキの山。
友人の自宅は崩壊しローンを抱えたままアパートへ、ローンは少し前に完済したそうですが未だアパート暮らし。
なんとも評価しがたい映画だな~と複雑な気持ちになりました。
この監督自身が被災して家族と家を無くしている人なら話も別かと思うのですが。
架空の事件や架空の自然災害をモチーフにした作品でも人は感動しますし、メッセージも届きます。架空のストーリーから与えることができる人が真の作家なのではないかと考えるのは私が年寄りだからでしょうか?
若い世代に人気のある監督さんなので、今後はぜひ架空のストーリーから感動を作ってほしいです。
【追記】
来年の2023年2月に、「生きる」大川小学校のドキュメント映画が公開されます。文部科学省選定作品です。
本当の意味での「震災を忘れない、場所を悼む鎮魂する」ための映画だと思います。
「震災を忘れない」とのことであれば、「生きる」を見てほしいです。
わたしは怖くて(悲しすぎて)見れないかもしれませんが。
【追記】2023/1/19芥川賞受賞した「荒地の家族」仙台在住の作家さんです。震災がテーマです。読んでみようかな。
視聴者置いてけぼりで主人公だけが猛スピードで駆け抜けていく作品
前作天気の子が好きだった身として、非常に残念な印象でした。
まず出頭から主人公がイケメンにすれ違っただけで恋をし学校をさぼってまで追いかけ、どこでもドアが現れたり喋る猫が現れたり人間が椅子に変化させられたりといったファンタジーな世界が次々と出現するのに即順応していくという、唐突且つリアリティーの無い展開が続いたことにより、完全に感情移入できないままどんどん物語が進んでいく。
また、やりたいこと、テーマを詰め込みすぎてるのではないか、とも感じた。それによって一つ一つの要素が薄くガンガン進んでいくので終始「ポカーン」としてしまう。
ロードムービーをやりたい、ファンタジーな描写をやりたい、親と子の関係性をやりたい、震災をテーマにしたい、そしてやっぱり恋愛も入れたい、と。
前作は、一人の少年が少女に恋をして、その人のために、というのがすべての行動基準で、それを軸として物語が進んでいくので非常に分かりやすかったが、今作はその「軸」が見えない。
また、新海作品の良い点の一つとして、音楽を最大限利用した演出、というのがあるが、
前作のクライマックスシーンのグランドエスケープは、あのシーン見たさに何度も劇場に足を運んだくらいだが、今作は歌のシーンがそもそも少なく、クライマックスでもあまり良い演出が見られなかったのが非常に残念だった。
ミュージックビデオだ、などと揶揄されていたのを気にしてのことなのだろうか。非常に残念。
やはりファンタジー要素が強すぎる
新海誠監督の作風はやはり、
美麗な作画や台詞も相まって細かな感情描写に魅力を感じるので
「秒速5センチメートル」や「言の葉の庭」等あまりファンタジー要素のない作品の方が合うと思う。
それでも「君の名は」はまだ現実的な中にファンタジー要素がエッセンスとしてミックスされており違和感がなかった。
今作は色々設定があるのだろうが、
現代における他の閉じ師の存在の有無や主人公達の両親の所在(母親除く)、ダイジンやすずめの行動原理等々、ツッコミ所や気になるところの多さの割に対して作中で語られることがあまりに少なく、置いてけぼりになってしまった。
劇中歌に関して、懐メロにしてもさすがに古すぎて今どきの学生が流すにしては違和感があったが、監督の趣味も込みであるなら納得感がある。
過去作品でLINDBERGが流れることもあったがあれも場面にあっていてとても好感であった。
何よりプロモーション等色々理由はあるのだろうが、
いい加減主題歌にRADWIMPSは食傷気味に感じる。
RAD自体は好きな私からしても食傷気味に感じるのだからよっぽどだと思う。
繰り返しになるが、
「言の葉の庭」や「秒速5センチメートル」であったようにタイアップありきで特定のアーティストに拘りすぎず、作品にマッチする主題歌であってほしいと思う。今となっては古い曲が選ばれたとしてもその方が納得感があると思う。
さっき言ってたあの発言はなんだったの?のオンパレード
これ必要ある?どれくらい真剣にこれ受け止めればいいの?みたいな展開ばかりで終始げんなりしちゃった。
震災のことを映画化するなんて不謹慎!みたいな批判が多いようだけど、まあその配慮はもしかして必要だったかもしれないけどそこよりも、はっきりストーリーめちゃくちゃ。レベル低くないですか。
なんであの人が椅子になっちゃうのか、この2人がそんなに思い合う意味がわからないし、ネコたちの一個一個の行動がミスリード。全員、行動原理が意味不明。さっきのあの発言なんだったの?(二度と顔見せんなって言っといて!とか言う人が、その相手の従兄弟連れて7時間ドライブすることのほうが、あのミミズの存在よりもファンタジーでは?)
そういうのが多すぎてどうでもよくなってくる。あと婚活の話いる?子供向けの映画なのかな。
わざと描かないようにするんじゃなくて描けてないことがある。主人公があんなにギャアギャア言うほど恋に落ちてるほどの描写はない。映画ってそういうの描かないでいいんだっけ?イケメンだからだとしたら稚拙。「考察」勢のためにあえて言わないことをとっておいてる感じが、穴埋め形式の学習ドリルみたい。
「考察」好きのひとたちには読み甲斐があるのかな。民俗学はじめ、学問を知ることがエンターテイメントを楽しむことにつながる、ということを知る人が増えるのはいいことかもしれない。本気でジブリの席とりにいきまーす!みたいな感じで、オマージュしまくるあたりはもはや潔いと思いました。
災害のなかにひとり・ひとり・ひとり・ひとりの生があるという大切なことを気づくきっかけになった、、と感じる機会にはなるのでしょうか。。?
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